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      <title>毎日が日曜日blog2</title>
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      <description>ピアノクラフトワークの管理人のつれづれ日記</description>
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         <title>２０１２年ブログを引っ越します。</title>
         <description><![CDATA[２０１２年以降のブログは、
<a href="http://www.pianocraftwork.net/">http://www.pianocraftwork.net/</a>

に引っ越します。古いものはこのまま残しておきます。
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         <pubDate>Fri, 20 Jan 2012 00:39:02 +0900</pubDate>
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         <title>第九で９条パレードに参加</title>
         <description><![CDATA[<img alt="%E7%AC%AC%E4%B9%9D%E3%81%A7%EF%BC%99%E6%9D%A1%E8%B5%A4%E6%97%97.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/%E7%AC%AC%E4%B9%9D%E3%81%A7%EF%BC%99%E6%9D%A1%E8%B5%A4%E6%97%97.jpg" width="373" height="425" />
御堂筋でパレードの様子

今年も終わりに近づいた。今日は、ホスピスで演奏をさせていただいた。本当に今日会った方々と次にお会いすることがないという、ホスピスでのボランティア演奏はかえって普段どおりにやっている。冗談をいい、歌を歌い、楽器をもって側まで行ってお一人お一人と握手する。

お部屋からベッドごとロビーに出てきてくれる方、車椅子で参加する方。にこやかにひと時を一緒に過ごした。

先日は、２３日多くの人が街にあふれかえっている御堂筋を、ベートーベンの第九に日本国憲法第９条を歌詞に乗せて、平和を訴える活動をしている秋元さんに誘われ、今回で５年目、５０回を向かえるパレードに参加させていただいた。

東北へ行くために始めたアコーディオンがここでも登場。最近は、どこへでも連れて行く。へたくそであろうがなかろうが、この楽器の機動性、サウンドの魅力は捨てがたく、新たな音楽との出会いにとっても楽しんでいる。

毎日新聞、大阪日日新聞、赤旗と民主新報が取材してくれたと主催者からメールがきた。辺野古環境アセス、武器輸出３原則緩和など良くない空気が渦巻いている。
原発の時のように、無関心でいるとどんなことになるか。今年私たちは、痛いほど知らされた。

来年も。あちこちに出向きます。]]></description>
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         <pubDate>Wed, 28 Dec 2011 21:09:23 +0900</pubDate>
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         <title>東北を行く３</title>
         <description><![CDATA[<img alt="tyoko.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/tyoko.jpg" width="225" height="164" />
ちょこらい　さん

共同支援ネットワークで宿泊した翌朝、近所のお年寄りのお宅に訪問した。
明るいおばあちゃんだったけれど、独居で身の回りに必要なものが手に届くように並べてある。いろんなことが多分不便だとおもうのだけれど、ボランティアのみんなと一緒に大勢で伺ったのに、楽しくおしゃべりしてひと時を過ごした。

さあ、今日は宅老所「ちょこらい」さんにうかがう。
お茶っこスペースちょこらいは、一般のお宅だが、震災後を仮設におられる方々などのために開放することにされた。代表の吉田千代子さんの名前にちなんで「ちよこんち（家）」という意味で地元の言葉で言うと「ちょこらい」。

また、我々のチームがにぎやかしをさせていただく。

みんな、明るく元気にしておられるけれど、石巻も津波被害は大きい。
近くの石ノ森章太郎の石ノ森漫画館のそばに橋が架かっている。
内海橋という。そこの中洲には、昔の風情をのこした「岡田劇場」という映画館があった。ちょこらいの吉田さんは、子供のころから娯楽といえばここで映画をよく観たという。それが中州ごとすっかりなくなり、とてもショックだった。と話していた。

子供の時から過ごした街が、街ごとすっかり消えた。
取り戻しようのない喪失感が、こころの奥深くにどしんとある。
ちょこらいのお家も、津波のときは水に浸かった。直後は、ボランティアさんたちに助けられ、なんとか片付けたけれど、何もする気にならなかった。

でも、このままではダメだとおもってつくったのが、この憩いのスペースだ。
寄り合うことの大切さがこの旅でひしひしと伝わる。
色んな場所で、色んな人が、被災しながらも、あるいは外部からも、考えて支援を続けている。震災の３月以来、また寒い冬がやってきている。

仮設では、外側から断熱材を貼っているお家や、二重サッシにしたりと工夫はあるが、根本的に暑く、寒い仮の建物。おそらく、地域差もあるとおもう。
気持ちを春へ、先へよいことがありますように、見守り、そしてまた、その地に訪問したい。


]]></description>
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         <pubDate>Wed, 14 Dec 2011 23:11:53 +0900</pubDate>
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         <title>東北　２</title>
         <description><![CDATA[<img alt="airplane.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/airplane.jpg" width="240" height="320" />
飛行機から機影が映る海岸線

<img alt="keseran.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/keseran.jpg" width="244" height="173" />
石巻　三反走仮設住宅集会所にて

宿泊していた、松島から石巻へ移動。
JIM-NETの熊谷さんと、道の駅で待ち合わせ。上品の郷という道の駅には、古いオルガンを弾くおじさんがいた。足踏みオルガンで、童謡を弾いてくれる。なんともいえない懐かしく美しい響き・・・。

JIM-NETは、石巻と福島でも支援活動を行っている。それから、チョコレートも販売してます。イラクの子供達を支援。
イベントの先は三反走仮設住宅、多くの小学生が犠牲になった大川小学校の校区の人たちもいる。「流された」その言葉を聴くとき、その言葉を発する人の目には深い悲しみが宿る。あきらめに似たようなけれど、あきらめきれない。もうこれ以上失いようのないからだひとつで、この先まったくわからない生活。

あるおじいさんが言っていた。「おばあさんが、すごく怒りっぽくなってな。わしの年金で生活しとるのにわしに出て行けいうんや。」気分の変動も大きく、ご本人がいちばん苦しいのだとおもう。
ここでは、我々の整体チームが大活躍！みんな、自分の番を待っていてくれた。
座布団を敷いて本格的な整体。少しだけでも、からだをゆるめてほしい。

ここでも仮設のイベント告知にちんどんやで歩き回った。「いや～懐かしいわ」と出てきてくれるおばちゃん。しばし、立ち話。
お昼まで、交流をさせていただき、次の仮設住宅とデイサービスの方々のもとへ移動。

ここで、ジャズピアニストの河野さんと合流する。
寄贈したピアノをさっそく「おめざめコンサート」でフリージャズやおばあちゃんたちとのジャズセッション。参加型のピアノは楽しく盛り上がった。今回は、本当にお世話になった。河野さん。ありがたい。

ここは、「虹の丘」というデイサービスセンター。裏には仮設が建っている。このデイの理事長さんが土地を提供しているので、仮設の人も遊びに来てくれていた。
朝と同じように、にぎやかしをした。

そして、今日の宿泊先は、長期ボランティアさんたちが逗留している場所。
桃生公民館が共同支援ネットワークという福祉系ボランティア団体に提供されていて、
そこで世話役の方が、食事や寝床を提供してくれていた。]]></description>
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         <pubDate>Tue, 13 Dec 2011 23:11:21 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>東北を行く　１</title>
         <description><![CDATA[<img alt="minamisoma1.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/minamisoma1.jpg" width="219" height="159" />
南相馬市
<img alt="hinanjyo.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/hinanjyo.jpg" width="244" height="156" />
雲雀ヶ原陸上競技場管理棟 避難所

先月、１１月１０日から１２日まで、福島県南相馬市と宮城県石巻市で、避難所や宅老所などを回って、大阪のお気楽な手作り楽器や二胡などの演奏をさせていただいた。

あっと言う間に１ヶ月が経ってしまう。
忘れないために旅を記録してみる。

仙台空港に到着して、この地が繰り返し映像で見た、飛行機が流された場所か・・・と思ったが、空港はとても美しく、復興のための大変な労力があったことを感じさせられる。しかし傷跡は、あった。約２メートルほどの高さにある、空港外の屋根部分が大きくゆがんでいた。これから、出会う人、見るもの、色んな思いをいだきながら、この旅はスタートした。

レンタカーで全ての行程を動く。仲間は、私たち「けせらんパサラン」音楽チーム、手話落語家、交遊亭楽笑。整体師、介護士。その日うかがうことになっている、南相馬市の教育委員会の片平氏と、到着後連絡をとる。お昼一番に、仮設に行って欲しいとのこと。とりあえず、駐在されている避難所の雲雀ヶ原陸上競技場へ向かう。

車は、原発２０Ｋ圏内に入っていく。何も見えない、臭わない、放射性物質の存在。
避難所は、現在もあり、仮説に入居できていない方々が生活をしている。
その日、白装束の若い女性がいた。今日、避難所を除染しているとのこと。
「トユが線量高くて、除染しても０．３マイクロシーベルトなんだな。」と片平さんは言っていた。

そこから、小池第３仮設の集会所に移動し、ちいさい会を開いた。演奏とお笑い、そして整体というセット。なんていうグループ名ですかと聞かれ、相方のてじょんは、おもわず「大阪底抜け脱線チーム」です。と答える。その名で、南相馬はすごす。なんのこっちゃ。けれど、大阪弁の変なグループを見て、聞いて、色んなことして一瞬気分をまぎらしてくれたならと切に思う。

それでは、と東北行きのために(電気をつかわない鍵盤を用意したいため）２ヶ月弱で、無理やり仕込んだアコーディオン。とても左手のボタンが難しいけれど、頑張って童謡や、二胡の伴奏を覚えた。てじょん持参のチンドン太鼓と連なって、仮設住宅の間を、イベント告知のために「道頓堀行進曲」「青い山脈」をアコーディオンで弾きつつ練りあるく。「今からイベントでっせ～」

多くのお年寄りが集会所に集まってくれた。
演奏などが終って交流すると、原発避難もお家を流されたのもダブルの人々も多い。
ちいさい５歳の女の子が、聞きもしないのに「お家ながされた」と教えてくれた。

この周辺にはとても、美しく柿が実っていた。冬の風景にあまりにも鮮やかな柿色。
仲間の一人が、おもわず1つ２つ、もいだ。けれど、お年寄りに言われたそうだ。
「こんなもの誰もたべないよ。食べたらいかんよ。」放射能に汚染された柿は、カラスにも食べられずにたわわに実をつけていた。　地震後、野鳥を見なくなったという。
地震でねぐらをうばわれたのでは、と友人が教えてくれた。
人も、ねぐらをうばわれたのだ。食も、職も、そして何よりも命を・・・。

海岸線を案内してもらう。
ここにも、残ったひ弱な一本の松。沢山の松林で、すてきな海岸の遊び場だったらしい。今は、基礎が残るだけで何もかもない。護岸のコンクリも隆起している。ひしゃげた消防自動車が放置され。多くの消防団が犠牲になった。

夜。避難所に戻る。
ここで暮らす人は、お弁当など外注されたものを食べていて、体調を崩す人も多いという。しばし、夕食後、同じように音楽・落語・肩もみなど整体でこころと体をほぐしてもらう。ここの人たちは、疲れがたまっているように見えた。ここから、学校や仕事に行く。心休まる、自分達だけの時間も得るのは難しいだろうに。

夜の道を宿泊先へ急いで移動する。やはり、夜は寒くなってきた。
コンビニで食事を調達し、ひたすら車を飛ばす。明日の朝は石巻でイベント。
あっという間に初日を終えた。]]></description>
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         <pubDate>Mon, 12 Dec 2011 23:25:15 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>東北の地に～河野さんとの繋がり～</title>
         <description><![CDATA[１１月１０日より、東北の地へ旅立つ。ボランティアに行くという感じでなく、仲間とともに演芸や音楽を届けに（押付けに）行くのだ。

この行程を決めるのに、東北にネットワークを持っていない私たちはつい、先週までどんなボランティアもするぞ！と思い当たる団体や社協に連絡をとったりしていた。
できたら、演芸や音楽もして、交流したいな・・・と思っていたおり、たまたま東京から来阪していたジャズピアニストでピアノを世界各地に贈り、演奏活動を続けておられる河野康弘さんが、ウチに連絡をくれた。

そして、河野さんのネットワークで福島県南相馬市、宮城県石巻市、仙台市と演奏の機会を与えてもらうことが出来た。本当に、感謝！！

その河野さんと現地でも合流するのだが、それ以外でもずっと地道に各地の避難所や仮設など訪問を続けている。この度は、反原発のためのコンサートを開かれる。

詳細は以下の通り。
地球ハーモニーからの御案内

１、河野康弘「浜岡原発10キロ圏内　ヒバクピアノコンサート」
２、浜岡弁護団とハイロー会牧之原　横山昭一
３、貴方の街で「河野康弘ヒバクピアノコンサート」開いてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

１、河野康弘「浜岡原発10キロ圏内　ヒバクピアノコンサート」

会場となる「い～ら」は浜岡原発から直線距離で８キロの位置にあります。
今、福島ではこの範囲に人影はありません。誰も手入れしない町並みはどう
なっているのか、飼い主と別れた家畜やベットはどうやって命をつないでい
るのでしょう・・
ハィロー会企画第一弾！は東日本大震災被災他の人々を、ピアノを通して
応援している「ジャズピアニスト河野康弘さん」のコンサート！！
今回はどんな「音」を聴かせてくれるでしょう。
●日時：１１月６日（日）１９：ＯＯ開演
●会場：相良総合センター「い～ら」ＩＦ活動室
●チケット：前売り１５００円　当日１８００円
●出演：河野康弘（ピアノ）
●主催：ハイロー会牧之原
●問い合わせ：横山090-7614-6640 begin_of_the_skype_highlighting              090-7614-6640      end_of_the_skype_highlighting
☆ハイロー会牧之原は、浜岡原発の運転終了、廃止等の実現のため
に結成された浜岡弁護団の扇動を応援していきます。


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２、浜岡弁護団とハイロー会牧之原　横山昭一

３.１１の被災は、東北地方は勿論だけれど、ポクの頭にもかなりの衝撃を残した。
特に原発の問題は、関心はあったけれど今回改めて、知らないことはかりだっ
たと反省しました。
この夏、友人に声をかけてもらい、浜岡原発の廃炉訴訟の原告の一人にさせ
てもらった。原告も含めて100人以上の弁護士さんか関わっている大きな訴訟
です。とは言え裁判でポクにで出来ることは少ない。「何かしないと・・」と考
え、ハイロー会で企画をしなから、弁護団のサホーターを呼びかけることにしました。
年会費3000円です、旨さん是非∃ロシク！
詳しくは浜岡弁護団のホームページをご覧ください，
http://www.hamaokaplant-sbengodan.net/

３、貴方の街で「河野康弘ヒバクピアノコンサート」開いてください。

日程、費用など、相談に応じます。
問い合わせ、申し込み　info@wahhahha.com　（地球ハーモニー）
地球ハーモニーHP　<a href="http://www.wahhahha.com/index2.html">http://www.wahhahha.com/index2.html</a>河野康弘HP　<a href="http://www.ne.jp/asahi/wahaha/wahaha/">http://www.ne.jp/asahi/wahaha/wahaha/</a>
]]></description>
         <link>http://www.pianocraftwork.com/mt/000540.html</link>
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         <pubDate>Wed, 02 Nov 2011 23:26:12 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>さりゆく夏</title>
         <description><![CDATA[<img alt="aisei.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/aisei.jpg" width="250" height="150" />
長島愛生園　美しい自然に厳しく隔離されていた

８月。暑くて、忙しくわさわさと過ぎ去った日々だったが。書かなくてはと思いながら
そのままにしていた。毎年８月はイベントがらみで忙しい。
手作りの楽器のワークショップあり、演奏あり。ありがたいことだ。

８月の頭に岡山の国立ハンセン病療養所、長島愛生園を訪問、お隣の邑久光明園のお祭りにも参加してきた。長島愛生園では、歴史資料館など学芸員さんに案内を受けながら園内を巡り、その理不尽で苦しい差別の歴史を学んだ。

今は、入所されている方々については、介護の必要な方々のケア施設であるということと生活施設である。ハンセン病という病は完治したが、その後遺症に苦しんでおられる方のための施設である。

けれど、過酷な差別状況で彼ら自らの手で学校をつくり、施設を工事し、全てこの美しい島で完結し、外へ決して出られない監獄のような隔離を受けてきた。
長い長い間。

この夏、二人の福島の原発から避難してきた女性と子供達にであった。
今、被災者と呼ばれる人々だった。難民のように、自主避難と言う過酷な名前で呼び捨てられることに、怒りを感じる。

「被災者」と言う言葉。時に差別的な言葉やないかと思うときがある。
彼女らはいつもとても申し訳なさそうに支援をうけたことに感謝の言葉を伝える。
けれど、嫌な場面をみてしまった。支援という名前で提供した人間にひどく高圧的に恩を売られている姿を目の当たりにして、たまたま居合わせて、これは被災者差別やと感じてしまった。

その人間の虚構の善意とでもいう、態度と言葉に私まで傷ついてしまいそうになった。
そもそも避難の原因をつくったのは、原発を容認していた（反対していたけど積極的に動かなかった）私たちの責任である。
私たちは加害者でもあった。

今や、東北の多くの人が難民のようになっている。
ハンセン病回復者差別・部落差別・沖縄差別・アイヌ差別・被災者差別
いつも加害者の側にいるんじゃないかと落ち込んでしまう。
]]></description>
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         <pubDate>Wed, 07 Sep 2011 17:26:53 +0900</pubDate>
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         <title>ＮＨＫＢＳ１「オキナワ リポート ～兵士をむしばむ戦争神経症～」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="okinawa_cover.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/okinawa_cover.jpg" width="202" height="300" />
<a href="http://www.shoseki-johosha.com/?p=4">『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知ってること―沖縄・米軍基地観光ガイド』書籍情報社刊</a>　

BSの<a href="http://www.nhk.or.jp/documentary/">「オキナワリポート」</a>を見た。
沖縄戦で、PTSDという言葉もまだなかったとき、米兵がどんどん神経症になっていく状況に、米軍は前線に精神科医を送った。その時に記録された症状がオキナワレポートだった。

先日、アブチラガマでつらいつらい６６年前の沖縄戦の悲惨さ語ってくれたオジイやオバアのことを聞いた。蘇る臭いや空気、音に思い出すのもつらく、苦しい。忘れたいけれど、その時になくなった多くの人や傷ついた人のために語り継がねばならないと、重い言葉を伝えてくれたと。
その時に兵隊も、一般の人たちもみな傷つき、誰一人として良いことはなかった。戦争とはこのようなものだと語ってくれたという。

このドキュメントでは、その様なガマを掘り、米兵に見えない敵と言わしめた奇襲が、米兵に神経症を患わせた原因となったと伝える。常に狙われている恐怖感。どこから狙われるかわからない。その上、１５歳から召集された少年達が自爆攻撃を仕掛けてくる。ガマを火炎放射で焼き、逃げ出てくる一般の民衆、もうわけがわからなくなり、誰でも赤ん坊でも殺してしまったと証言する、元米兵がいた。

沖縄戦で戦った生き残りの元米兵たちは、重い口を開いた。本当に辛い闘いであったと。ヨーロッパでは経験したことのない、いやらしい戦術に精神的に追い詰められた米兵達。凄惨を極めた沖縄戦は、日米どちらにも大きな傷を残しているとわかる。

そこから、現代に転じて、今のイラクやアフガンに従軍中にPTSDになった兵士たちは、一旦軍の病院に送られ、再度、克服するための訓練を受ける。その映像は衝撃的だった。傷だらけの兵士（仲間）の人形、傷ついた肉体の一部を再現したものなどを置いたくらい部屋に照明を部分的に当て、もう一度その中で体験をさせる訓練。

あるいは、シュミレーションゲームを使い、脳波の状態を確かめ、正常とみなされた行動をとれば戦場に再度送られるという仕組み。

これを見ていると、彼らはもう人間ではない。戦場で機能しないプログラムの破綻がみつかれば、国の工場に返され再プログラムされる。人間として壊れるまで、繰り返すのだろうか？
一方で、イラク帰還兵たちが入院する精神病棟では、治療プログラムが行われていた。沖縄戦とイラク・アフガンのPTSDは似ているという。自爆攻撃でどこで車が爆発するかわからないという追い詰められれた状況がそうさせる。

この凄惨な戦いのあったシュガーローフは、先日の写真にある。
那覇の繁華街も激戦の跡。
車で辺野古の後に普天間基地が見渡せる道の駅に立ち寄った。
那覇まで帰る道は、米兵の基地から出る車と何台も並んで走った。どこまで行っても、横に基地がある。どこまで走っても終らない。時々、かわいい家々が並んでいる。

オキナワに行ったら、是非基地を見てください。写真の本は、辺野古で買いました。
どうやって、そこにいけるか、丁寧に書いています。そして、米軍の戦争の出発の地でもある沖縄を見てきてください。]]></description>
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         <pubDate>Sat, 30 Jul 2011 16:21:18 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>沖縄日記２</title>
         <description><![CDATA[<img alt="%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%95.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%95.jpg" width="252" height="172" />
激戦地　シュガーローフの丘の現在

アブチラガマに入り、最後にもう一度祈りをささげ、お水をそなえて感謝の言葉をこころでつぶやいた。

観光で多くのナイチャーが訪れる沖縄の地のその足の下には、数え切れないくらいの悲しみがある。今、新都心としてにぎわっている、ゆいレールの「おもろまち」駅。DFSギャラリアがある向かいに、沖縄戦の激戦地シュガーローフの丘があるという。
写真の水道施設がかつての丘であったらしい。ホテルから眺めると見えたので、写真に収めた。

６６年前の戦争から、沖縄自動車道に乗って辺野古へ向かう。こちらは、現在も戦争を続ける米軍の基地のそば、あたらしいV字滑走路が出来る案があり、昨年の鳩山発言で大揺れに揺れた。

新しい基地を作らせないための座り込みの抵抗。もう１５年となる。

<img alt="henoko1.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/henoko1.jpg" width="197" height="289" />
暑い日・寒い日。
まえは、鉄条網で基地と仕切られていた浜も、今は異様な構築物（フェンス）が張り巡らされていた。この日は台風の影響があり多くの支援のバナーは外されていた。
私も自作の小さめのバナーを持参したが、いつかまた張ってもらえればいいなと思っている。じっとフェンスの先をながめていたら、迷彩服を着て、重そうなリュックを背負って浜から丘にあるく兵士を見た。どきっとした。

<img alt="%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9.jpg" width="446" height="339" />

テント村の女性と話した。ちょうど、東京から写真家の方も訪れていて高江の状況も教えてもらった。今回は立ち寄ることができなかった高江。ヘイパッドの建設反対で２４時間の座り込みを行っている。辺野古と違うのは、動きがあるときは重機でやられるだろうが、それまでは何も動きのない、丸一日を忍耐で座り込み続けている。
時間も長い、予断は許されないが、かといって何もない一日がほとんどで、がまんくらべ。その心理的負担はそうとうキツイものであるということ・・・。

関西でも支援の機会があるにしても、その地に行ってみてわかることは、空気感だ。
この風景の中で、抵抗を続ける人がいる。それぞれに色々すること、したいこともあるだろうに、もうこれ以上にあらたな苦痛をあたえないで、ほしい。

必ず、また訪ねる。

<img alt="mamoru.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/mamoru.jpg" width="281" height="221" />

沖縄戦を語り継いでいる沖縄の人々は、一方では基地に関しては「あるのがあたりまえ」と思わされていることもあると聞いた。米軍の懐柔策の影響もあるが、新たに作るということに対して反対しないというのはやはりおかしい。基地を全部なくせればいい。けれど、それが簡単でないことは誰でもわかっている。ひとつづつ。新しいものは拒否しようというのが辺野古の闘いであり、高江の闘いであるとテント村の女性は語った。]]></description>
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         <pubDate>Fri, 22 Jul 2011 22:43:27 +0900</pubDate>
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         <title>沖縄日記１</title>
         <description><![CDATA[<img alt="gama.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/gama.jpg" width="348" height="273" />
アブチラガマ

この連休は沖縄に三線の用事で出かけた。が、その初日に用はすんだので残りの時間を使って気になるところを巡った。

このガマを訪ねる前、朝一番には南部の聖地「斎場御嶽」でさんぐーいをくぐり、久高島の拝所から、この旅の無事とこの沖縄の地を踏ませていただくことを感謝してドライブをスタートした。

南部にはグスクなど、史跡も多いが今回の行動のテーマ「６６年前の沖縄戦から今の戦争を巡る」ために「アブチラガマ」を訪ねた。
アブチラガマは、南部観光センターで見学を申し込む。「斎場御嶽」から電話を入れ、見学ができるか尋ねた。一人の見学なので、ガイドを勧められる。

南部観光センターで、ガイドさんの申し込みと、懐中電灯を借り、ヘルメットをつける。まず説明のビデオを見てから、実際のガマへ向かう。
ガマの入り口でガイドさんと一緒に、祈りをささげた。大阪からきた私の名と、今日どうぞここに入らせていただくことを許してください。と、ここで亡くなったた多くの人々に私が入ることを告げたわけだ。

ガマの入り口はとても狭い。ヘルメットに守られながら、かなり急な下りの細い穴をからだを縮めながら入る。暗い。中はまったく光を通さない。ここがどれくらいの高さなのか、足場も鍾乳洞なのでぼこぼこしていて不安定だし、入るだけで不安な感じにさいなまれる。

沖縄にはガマが沢山あるが、沖縄戦においては集団自決の場になったところもあれば、アブチラガマのように日本軍の司令部として内部を構築されたり、病院としての機能をもたされた場所もあった。戦争の体験はそれぞれが、違うストーリー、違う悲惨さを持っている。ガマ内部ではひめゆりの高校生達が傷病者を手当したり、多くの病人の排泄物や、手術ででる（多くは切り落とさないといけなかった手術）人の一部なども毎日、何度も外に捨てに行ったという。

重症患者が多く収容されたために、医薬品も尽きた状況では、捨て置かれた兵隊達は、生きながら暗闇で痛み、苦しみ、死を待つのみであったという。

もちろん、近くの住民も避難していたが、一番危険な入り口の場所で盾にされるがごとく配置されていた。

苦しくて、話したくない生き残りの人々は、重い気持ちをもってしかし、使命感をもって６６年前の地獄を伝えてくれている。

その場に立たなければわからないこと。ガイドさんのおじさんやおばさん、観光センターの受付の人のお父さんやら、すぐそばで今も暮らす人々が、想像出来ないくらいの大きな苦しみを抱えて生きている。それは、簡単に共有できるものではないけれど、その場に立つことで、恐怖は容易に想像ができた。

伝えなくてはならないこと、沖縄だけが経験した戦争。敵見方関係なく、傷つき、トラウマを抱えなければならない戦争を否定する気持ちの強さは、沖縄にはあった。]]></description>
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         <pubDate>Wed, 20 Jul 2011 23:53:44 +0900</pubDate>
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         <title>沖縄慰霊の日がちかづく</title>
         <description><![CDATA[昨夜はNHKで、以前BSで放送した「笑う沖縄」をもう一度見て、今夜はNHKスペシャル「<a href="http://www.nhk.or.jp/special/onair/110619.html">昔 父は日本人を殺した～ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦～ </a>」を見た。

「笑う沖縄」で登場した、「お笑い米軍基地」の舞台は一度見てみたいと思った。沢山の民間人の犠牲をだした沖縄戦、そして今も続く基地に占領された街。これを笑いをヤマトの私は本当に笑えるのか・・・。笑ってしまうけれど、それを見る人の目は笑いながら泣いているように見えた。

今日の番組は、アメリカ側から沖縄戦を捉えるという内容で、米兵サイドからの証言を見聞きするのは初めてだった。アメリカ人の作家は父が沖縄戦で少年兵を殺したのではないかという推測を持っていた。父と同じ部隊の生き残り兵士に、沖縄戦がどんなようすであったか語らせていく。民間人を殺したということに彼らは強い後悔をもって生きていた。手榴弾を女性や子供のいるガマに投げて、血だらけでガマから出てくる人を見ていた。日本軍の隠れて見えない姿におびえ、狂気にかられていく兵隊の心理も語られた。帰国してからも、眠るとうなされ、母の名前や戦場を思い出し悪夢におびえる。

作家は、沖縄を訪れ、父達が上陸した海辺から追い込まれていく沖縄南部での闘いの地まで、残された写真の場所など訪ね、当時少年兵だった人に話を聞いた。
もと少年兵のある人が、「民間人を何故こんなにも殺さなくてはならなかったのか」と鋭い視線で作家に詰め寄る。父の気持ちを思いながら、彼は沖縄戦を戦った兵士たちは
誰も自分を英雄だとは思ったことがないということを知る。

今も昔も戦争は民間人が犠牲になる。国というのが一体どういう意思で戦争を始めるのかと思ってしまうが、結局始めた責任の主体は前線の自分ではないというような気持ちで、わけのわからんもんの大義のためには狂気をふるうのだ。

沖縄は、まだまだ怒っている。
慰霊の日が近づく。]]></description>
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         <pubDate>Mon, 20 Jun 2011 00:09:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ポポポポンを聞くと思い出す。</title>
         <description>TVをつけている時間は、少ないけれど。たまにつけたときに、ポポポポンのAC広告がふいに流れて「ドキッ」とするのは何だろう。

一日中、映像に圧倒されていた日々と、繰り返されたACの映像や音声がセットで記憶に畳み込まれているに違いない。

音の情報は、強烈に情景を思い出させる。

あのウタを歌っていたであろう声の主が他のコマーシャルで歌ってる声にも反応してしまう。
あまりにも明るいイメージの絵ずらとともに、恐怖が蘇ってくる。

どんなにも、東北の人々が喪失感をもって、また、核に汚染された場所では理不尽な思いで、すごしているのだろうかと想像してもしきれない。
けれど、生きなくてはならない。その重さを一緒に感じますから・・。

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         <pubDate>Fri, 17 Jun 2011 23:07:00 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>本橋成一さん写真展と講演会</title>
         <description><![CDATA[<img alt="toba.jpg" src="http://www.pianocraftwork.com/mt/toba.jpg" width="317" height="420" />
リバティ大阪

本橋監督とは、このところ縁が深い。といっても一方的な縁なのだが。

先日の映画「祝の島」は、監督は纐纈(はなぶさ)あやさんだが、プロデュースは本橋さん。「ナージャの村」「アレクセイと泉」そして、「ナミイと唄えば」は、本橋さんが監督した代表的な作品だ。

この3月14日に写真家でもある本橋さんが<a href="http://polepoletimes.jp/times/news/cat24/">「屠場」という写真集</a>を出した。
大阪の松原の屠畜場を写し取ったものである。その企画展と、ご本人と鎌田實さんとによる講演会がリバティ大阪で開かれる。

部落差別を考える機会をまた与えてくれるのだ。

企画展
「本橋成一写真展・屠場（とば）」
２０１１年６月２１日(火)～８月２８日（日）【会場】ガイダンスルーム２

以下は、<a href="http://www.liberty.or.jp/exhibition/plan/toba.html">リバティ大阪</a>の企画内容を転記した。

<blockquote>屠場(とば)－そこは、私たちの日常生活と深く関わっている食肉生産の現場です。精肉や内臓など、私たちの食卓をいろどる肉の数々は、屠場での労働を通して加工されます。　かつて大阪の中部に位置していた松原市立屠畜場での作業に、カメラを向けた一人の写真家がいました。本橋成一です。本橋はレンズを通して、屠場で働く人びとの眼差しや細かな技を記録し続けました。　本展は、1970～80年代の屠場で、生き物の命に向きあう人びとの姿を通して、食文化の大切さと差別問題について考えようとするものです。

シンポジウム

「屠場の記憶と記録」
【日時】2011年7月23日(土)午後1時30分～4時
【会場】リバティホール
【シンポジスト】本橋成一（写真家）
【シンポジスト】鎌田慧（ルポライター）
【定員】275名（当日先着順）
【参加費】入館料のみ</blockquote> 
]]></description>
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         <pubDate>Mon, 13 Jun 2011 22:52:01 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>大人は現実を引き受けなくてはならない</title>
         <description><![CDATA[今日６月１１日は、３月１１日の3ヶ月後ということで、日本中で反原発・脱原発のアクションが行われた。

まだ、収束の見通しがたっていない福島原発の状況にあまりにも多くの人が不安と恐怖に陥っているという証拠に、原発関連の集会、学習会、講演会などが満杯になるという現実がある。

今日も、その1つ、神戸であった小出裕章先生とドキュメンタリー映画「<a href="http://www.hourinoshima.com/">祝の島</a>」の監督纐纈あやさんの講演学習会「原発の安全神話を考える」に行ってきた。午前中、二胡の演奏の伴奏の予定がありそちらが終ってすぐ大阪から神戸へ駆けつけたが、着いた午後1時にはすで会場は満席で立ち見もいっぱいで、一階上の第2会場でのネット中継の映像と音声で何とかよく見える場所での立ち見を確保した。この会場も大変な参加人数で気の毒なくらい立ち見の方がぎっしりと出入り口まで埋めていた。

参加者の年齢層は高い。小出先生がじかに講演をされるのでかなりの人出となったのであろう。

小出先生のわかりやすい解説は専門家ではない私や多くの人にもわかるように畳み掛けるように、原発が必要ないことを裏付けて説いていく。

初めからわかっていたことに対し、無知であることに甘んじ、いかに私たちは電力会社の都合よく刷り込まれていたのか、co2の排出量を盾にエコというまやかしを言い放ち、遥かに危険な核廃棄物については、地下に埋めて安心など広報を湯水のようにうちつづけた関電。
私もこのCMが流れていた地震前の時はみるたび腹立ち、毒づいたものだがそれだけではもう済まない。

講演最後の質疑応答で、より深い感銘を受けた。どんな質問にも丁寧に、真摯に答える小出先生。その言葉の中には、自分の責任を語るところもあった。それは、福島はもう、人が住める状況ではないけれど、チェルノブイリでもそうであったように、その地でないと暮せない人が汚染を知ってもとどまり続けることは理解できる。農業も、漁業も含め地球全部が3月11日以降は汚染されたのだから、その現実を我々は責任をもって受け止め、災害地区の農産物・海産物を子供や妊娠の可能性のある若い人々以外（そういう人は避難するしかないし、そういうものを避けなくてはならない）どんどん食べて、地域の産業をつぶしてはならないと考える。といった内容だった。

長年生きてきた私は、もう充分に細胞レベルでもガンのリスクは高いし、放射能の感受性も年齢でうんと減るらしいので、何も怖いものはない。いままで結局は原発を黙認してきた都会という街に住む人間としての責任は、「おこってしまったことを引き受ける」という覚悟であると、ひしひしと感じた。

最後に纐纈あや監督が涙を見せながら語ったことばは生身の彼女の言葉で、私にも強い印象を与えた。、本当に地震で感じた恐怖に対する正面から向き合う決意宣言。チェルノブイリで彼女と一緒に仕事をしてきた本橋監督（ナージャの村・アレクセイと泉・ナミイと唄えば）が、たった一人汚染地域に住み続けるお年寄りに「なぜここにとどまるのか？」と尋ねた答え「人が汚したのだからここにい続けなくてはならない」という言葉をきっかけに映画作りを始めたというメッセージは強く響いた。

人がすべてしたことだから。

電力会社からがんじがらめで補助金と仕事から解放されない人々たちのことも知っています。けれど、麻薬のような構造を是非断ち切ってもらいたい。切って、本当の地域振興を行ってほしい。切実に。]]></description>
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         <pubDate>Sat, 11 Jun 2011 22:05:39 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>見送る</title>
         <description>身内の一人を１年半ぶりに、また見送った。
人の生の続きに死はある・・といつも思うが。

この２年半の間に行った葬式
・無宗教式
・仏教式
・キリスト教のある宗派式

と全て違っていた。

私の宗教観は、というと
・信仰する宗教は持っていない。
・仏教や神道が身近にあって、生活文化にとけこんでいても、特に神道系は意識的に
行わない。
・キリスト教徒の友人は多いほうだ。
・イスラム教徒の知り合いはいないけれど、パレスチナやイラクの人々を支援している。
・人の信仰には立ち入らない立場。
・自分は、信仰するという道を選ばない。
・土着信仰などには、理解できるものもあるとおもっている。

とかきながら大雑把にまとめた。

カミガミがどんな方々か存じ上げないが、それを信仰し実践しているのは人間に違いないのだから、信仰は人そのものであり、そのものの行為であると考えている。
人だから迷うのだし、争うのだろうし、あらゆる間違いを犯す可能性があるということなのでしょう。

人がカミを解釈し選んでいると、傍目で考えている。
感じることが大事というけれど、大事だと解釈している。
島の神々のように自然の神々は、また違うようにも思うけれど。畏敬が信仰そのものとでもいうような。本当に、コントロールできないものは、あるんだよね。きっと。</description>
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         <pubDate>Wed, 01 Jun 2011 23:51:49 +0900</pubDate>
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