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2008年05月 アーカイブ

2008年05月09日

連休は・・・弾きこもり

連休が過ぎたのだけれど、私たちの仕事はサラリーマンではないので、このブログの表題のようにあるいみ「毎日が日曜日」。
他の人があちこちへお出かけする時は、訪問して仕事をするので「連休明けにしてね」と言われる。

ところが、体調を崩してしまい、じっとがまんして本を読んだり休んだりした前半戦。
後半戦は、7月に決まったライブの準備のために「弾きこもり」をしていた。正確に言うと、その前段階で曲を楽譜に仕上げたり、移調したり(ボーカリストのキーに)、そんな風に結構幸せに過ごした。
もっともっと時間をかけたいのだが、曲をあたっていると、どんどん時間が過ぎていく。

体がしんどかった時は、本の後にはFMをかけていた。NHK-FMがずっと長くイレギュラーな番組をしており、一日はピーターバラカンさん中心にワールドミュージックからクラッシックまでいろんなジャンルを
時間帯に応じてかけていて面白かった。
後日もやはりNHKで、丸1日、ギタリストのチャーがこれまたロックの古いやつを沢山かけてくれて懐かしかったり、「この選曲かい!」とつっこみを入れたりして深夜まで楽しく聞いていた。

普段なにごとも、音楽をならしながら用事をするというわけではないのだけれど、聞き出すと聞く。
若いときは、ずっとステレオに向き合って、レコードジャケットを隅々まで読みながら、曲の細部まで深く聞いて入り込んでいたものだが、今でも、耳に入ってくる音楽は後の音まで聞こうとしてしまう。
実は、作り手はいろんな音を盛り込んでいることが多いのでその辺が気になる。
曲をコピーしていると、リード楽器でなくサイドマンの出す音を聞くことも多いので、いいフレーズを弾いてたりすると嬉しくなる。「これ、もらお」っとと言う感じでフレーズは自分の演奏の貯金になる。

というような、間延びしつつも、音楽に囲まれた日々でした。
さあて、また練習しないといけません。

2008年05月18日

瓦礫と軍隊

中国の被害を伝える放送を聴くたびに、こころがぎしぎし痛む。
その規模の大きさは、範囲も震度そのものも、想像を絶する。

瓦礫の山を見て、阪神の震災を思い出すけれど、建物が形を成していない様はより厳しい現実を伝える。
日本からの救援、レスキューも出向いた。韓国やそのほかの国も手助けすることだろう。
阪神の時に感じた人と人のつながりは、国も越えていけるといいと思う。
被害の現場は、非日常が日常になったためなのか、他人に対する距離感が変わってしまう。同じ被害者として、共鳴しあうのか、支えあい、心を寄せ合ったことがあそこでもあるのだろうか?

そこに救助にいくのは、軍隊ではなかった。中国では国軍が行ったが、日本の精鋭部隊はレスキューチームだ。本当に、人のために動くのはそういう人たち。民間がいけるならそういう支援も惜しまないだろう。
軍は、国防のためというが、国の何を守るかは怪しい。国民を守るのでないことだけは判っている。

少しでも多くの命が助かりますように。

2008年05月26日

民族の音

日曜日は、雨で心配していたけれど無事に「浜街道まつり」が行われ、参加できてよかった。
昨年初めて、古い歌を歌っている「べこぼこ」で出演させていただいたが、今回は二胡のグループ「二胡じゃらし」の伴奏で2曲ピアノを弾かせていただいた。

二胡を学ぶ人は偉いなあと思う。
あんなにピッチ取りが難しいのに、弦が2本しかないのに、多くの音を表現しないといけない。
音を聞けば、癒し系のやさしい音色だが、その美しい音を出すのが難しい。(らしい・・私は弾けませんので)

メンバーの人と話をしていてふうんと思った。
固定音楽器であるピアノは、平均律調律を一般的には行っていて、和音が本当は美しくない。二胡などは、民族的に使用している音階というのが二胡奏者それぞれにあったり、西洋楽器で修正された、ピアノと近い音で演奏する音階を使う人がいたりするらしい。
三線をやっていても同じなのだが、西洋楽器の半音にない音を使用することが当然ある。
その地域固有の音の高さ、それは、そこに住む人たちが気持ちいいと感じる音の高さなのだ。

ピアノをあつかっていながら、ピアノってつくづく、植民地を作ってきた側の道具だったから・・ってなわけはないだろうが、「私は自由に音律を即座にかえられないのだから、私が正しい。あなたが合わせなさい!」といわんばかりの独善的な態度があるよな~と感じる。
その音を作ってるのは、私のような調律師なのだけど。

実際には、プロの演奏者は伴奏楽器が入るとピッチをそれにあわせていけるので、基本的にピアノ伴奏が入ってしまうと平均律で演奏される。
平均律調律って、どの和音も美しくないのだ。

音楽の世界でも、いろんな文化のいろんな民族の音が混ざり合って現代の音楽はある。古い、新しい、も含め、多様で、知らずに影響を受けたりしていて音が入ったりしている。
そうやって、人も垣根を越えることが容易ならば、も少しゆるやかに生きていけそうに思うのに。余りに自分の音を守りすぎたり、相手の音を否定したりしなければね。

いろんな音を出す楽器は、結構に通った形をしているものが多い。遠くの国で鳴らされていたものとそっくりな楽器が身近にあったりする。シルクロードに行き来があったころ、イスラムの地域も仏教の地域も通って物も人も動いたんだろうな。

2008年05月30日

クラスター爆弾 日本もやっと全面禁止合意

アイルランドで開かれていた国際会議で、クラスター爆弾の一部の最新型を除いた製造・保有・使用などを全面的に禁じる条約案を全会一致で採択された。
日本もようやく合意し、これから8年の間に最新型を除いて(コレが不満)廃棄されるという。

ニュースをたどっていったら、日本のクラスター爆弾の廃棄に100億円費用がかかる(時事通信)とのこだが、では、購入にいくら掛かってたのか?と思ってしまう。専守防衛目的など、理屈の通らない保持理由だったが、新型のものは不発が少ないとかで廃棄しないでよいそうだ。

今回の合意は、以下のような譲歩がある。
> 北大西洋条約機構(NATO)に加盟する英仏独と日米同盟を結ぶ日本が足並みをそろえた共同作戦条項については、「非締約国との軍事協力・作戦に関与できる」との規定が盛り込まれた。日本政府の交渉筋は「米国の理解は得られる内容」と成果を強調した。(産経新聞)

要するに日米の共同作戦に支障がないという点。どこまでも、どこまでも、ついていく日本の軍隊。

あとは、責任もって不発弾の回収がすすめばいいと思う。提言したNGO団体が今度は劣化ウラン弾廃絶に向けて進んでいくという意思表明に大いに賛同する。

原爆の認定をめぐる大阪地裁の裁判で、国が全面敗訴となったことも、今日のニュースで知った。
国の敗訴ももちろんだが、日米は軍事同盟を結んでいても、かつての原爆投下の責任を応分に負う気持ちはないらしい。
劣化ウラン弾をめぐって、新たにヒバクシャを生み出していることを現在・今起こっていることとしてとらえなくてはならない。クラスター・地雷・劣化ウラン弾・世界で増えていく被害者を、爆弾を散らかした人間が片付けなくてはならないと思う。

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