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2011年06月 アーカイブ

2011年06月01日

見送る

身内の一人を1年半ぶりに、また見送った。
人の生の続きに死はある・・といつも思うが。

この2年半の間に行った葬式
・無宗教式
・仏教式
・キリスト教のある宗派式

と全て違っていた。

私の宗教観は、というと
・信仰する宗教は持っていない。
・仏教や神道が身近にあって、生活文化にとけこんでいても、特に神道系は意識的に
行わない。
・キリスト教徒の友人は多いほうだ。
・イスラム教徒の知り合いはいないけれど、パレスチナやイラクの人々を支援している。
・人の信仰には立ち入らない立場。
・自分は、信仰するという道を選ばない。
・土着信仰などには、理解できるものもあるとおもっている。

とかきながら大雑把にまとめた。

カミガミがどんな方々か存じ上げないが、それを信仰し実践しているのは人間に違いないのだから、信仰は人そのものであり、そのものの行為であると考えている。
人だから迷うのだし、争うのだろうし、あらゆる間違いを犯す可能性があるということなのでしょう。

人がカミを解釈し選んでいると、傍目で考えている。
感じることが大事というけれど、大事だと解釈している。
島の神々のように自然の神々は、また違うようにも思うけれど。畏敬が信仰そのものとでもいうような。本当に、コントロールできないものは、あるんだよね。きっと。

2011年06月11日

大人は現実を引き受けなくてはならない

今日6月11日は、3月11日の3ヶ月後ということで、日本中で反原発・脱原発のアクションが行われた。

まだ、収束の見通しがたっていない福島原発の状況にあまりにも多くの人が不安と恐怖に陥っているという証拠に、原発関連の集会、学習会、講演会などが満杯になるという現実がある。

今日も、その1つ、神戸であった小出裕章先生とドキュメンタリー映画「祝の島」の監督纐纈あやさんの講演学習会「原発の安全神話を考える」に行ってきた。午前中、二胡の演奏の伴奏の予定がありそちらが終ってすぐ大阪から神戸へ駆けつけたが、着いた午後1時にはすで会場は満席で立ち見もいっぱいで、一階上の第2会場でのネット中継の映像と音声で何とかよく見える場所での立ち見を確保した。この会場も大変な参加人数で気の毒なくらい立ち見の方がぎっしりと出入り口まで埋めていた。

参加者の年齢層は高い。小出先生がじかに講演をされるのでかなりの人出となったのであろう。

小出先生のわかりやすい解説は専門家ではない私や多くの人にもわかるように畳み掛けるように、原発が必要ないことを裏付けて説いていく。

初めからわかっていたことに対し、無知であることに甘んじ、いかに私たちは電力会社の都合よく刷り込まれていたのか、co2の排出量を盾にエコというまやかしを言い放ち、遥かに危険な核廃棄物については、地下に埋めて安心など広報を湯水のようにうちつづけた関電。
私もこのCMが流れていた地震前の時はみるたび腹立ち、毒づいたものだがそれだけではもう済まない。

講演最後の質疑応答で、より深い感銘を受けた。どんな質問にも丁寧に、真摯に答える小出先生。その言葉の中には、自分の責任を語るところもあった。それは、福島はもう、人が住める状況ではないけれど、チェルノブイリでもそうであったように、その地でないと暮せない人が汚染を知ってもとどまり続けることは理解できる。農業も、漁業も含め地球全部が3月11日以降は汚染されたのだから、その現実を我々は責任をもって受け止め、災害地区の農産物・海産物を子供や妊娠の可能性のある若い人々以外(そういう人は避難するしかないし、そういうものを避けなくてはならない)どんどん食べて、地域の産業をつぶしてはならないと考える。といった内容だった。

長年生きてきた私は、もう充分に細胞レベルでもガンのリスクは高いし、放射能の感受性も年齢でうんと減るらしいので、何も怖いものはない。いままで結局は原発を黙認してきた都会という街に住む人間としての責任は、「おこってしまったことを引き受ける」という覚悟であると、ひしひしと感じた。

最後に纐纈あや監督が涙を見せながら語ったことばは生身の彼女の言葉で、私にも強い印象を与えた。、本当に地震で感じた恐怖に対する正面から向き合う決意宣言。チェルノブイリで彼女と一緒に仕事をしてきた本橋監督(ナージャの村・アレクセイと泉・ナミイと唄えば)が、たった一人汚染地域に住み続けるお年寄りに「なぜここにとどまるのか?」と尋ねた答え「人が汚したのだからここにい続けなくてはならない」という言葉をきっかけに映画作りを始めたというメッセージは強く響いた。

人がすべてしたことだから。

電力会社からがんじがらめで補助金と仕事から解放されない人々たちのことも知っています。けれど、麻薬のような構造を是非断ち切ってもらいたい。切って、本当の地域振興を行ってほしい。切実に。

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2011年06月13日

本橋成一さん写真展と講演会

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リバティ大阪

本橋監督とは、このところ縁が深い。といっても一方的な縁なのだが。

先日の映画「祝の島」は、監督は纐纈(はなぶさ)あやさんだが、プロデュースは本橋さん。「ナージャの村」「アレクセイと泉」そして、「ナミイと唄えば」は、本橋さんが監督した代表的な作品だ。

この3月14日に写真家でもある本橋さんが「屠場」という写真集を出した。
大阪の松原の屠畜場を写し取ったものである。その企画展と、ご本人と鎌田實さんとによる講演会がリバティ大阪で開かれる。

部落差別を考える機会をまた与えてくれるのだ。

企画展
「本橋成一写真展・屠場(とば)」
2011年6月21日(火)~8月28日(日)【会場】ガイダンスルーム2

以下は、リバティ大阪の企画内容を転記した。

屠場(とば)-そこは、私たちの日常生活と深く関わっている食肉生産の現場です。精肉や内臓など、私たちの食卓をいろどる肉の数々は、屠場での労働を通して加工されます。 かつて大阪の中部に位置していた松原市立屠畜場での作業に、カメラを向けた一人の写真家がいました。本橋成一です。本橋はレンズを通して、屠場で働く人びとの眼差しや細かな技を記録し続けました。 本展は、1970~80年代の屠場で、生き物の命に向きあう人びとの姿を通して、食文化の大切さと差別問題について考えようとするものです。

シンポジウム

「屠場の記憶と記録」
【日時】2011年7月23日(土)午後1時30分~4時
【会場】リバティホール
【シンポジスト】本橋成一(写真家)
【シンポジスト】鎌田慧(ルポライター)
【定員】275名(当日先着順)
【参加費】入館料のみ


2011年06月17日

ポポポポンを聞くと思い出す。

TVをつけている時間は、少ないけれど。たまにつけたときに、ポポポポンのAC広告がふいに流れて「ドキッ」とするのは何だろう。

一日中、映像に圧倒されていた日々と、繰り返されたACの映像や音声がセットで記憶に畳み込まれているに違いない。

音の情報は、強烈に情景を思い出させる。

あのウタを歌っていたであろう声の主が他のコマーシャルで歌ってる声にも反応してしまう。
あまりにも明るいイメージの絵ずらとともに、恐怖が蘇ってくる。

どんなにも、東北の人々が喪失感をもって、また、核に汚染された場所では理不尽な思いで、すごしているのだろうかと想像してもしきれない。
けれど、生きなくてはならない。その重さを一緒に感じますから・・。

2011年06月20日

沖縄慰霊の日がちかづく

昨夜はNHKで、以前BSで放送した「笑う沖縄」をもう一度見て、今夜はNHKスペシャル「昔 父は日本人を殺した~ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦~ 」を見た。

「笑う沖縄」で登場した、「お笑い米軍基地」の舞台は一度見てみたいと思った。沢山の民間人の犠牲をだした沖縄戦、そして今も続く基地に占領された街。これを笑いをヤマトの私は本当に笑えるのか・・・。笑ってしまうけれど、それを見る人の目は笑いながら泣いているように見えた。

今日の番組は、アメリカ側から沖縄戦を捉えるという内容で、米兵サイドからの証言を見聞きするのは初めてだった。アメリカ人の作家は父が沖縄戦で少年兵を殺したのではないかという推測を持っていた。父と同じ部隊の生き残り兵士に、沖縄戦がどんなようすであったか語らせていく。民間人を殺したということに彼らは強い後悔をもって生きていた。手榴弾を女性や子供のいるガマに投げて、血だらけでガマから出てくる人を見ていた。日本軍の隠れて見えない姿におびえ、狂気にかられていく兵隊の心理も語られた。帰国してからも、眠るとうなされ、母の名前や戦場を思い出し悪夢におびえる。

作家は、沖縄を訪れ、父達が上陸した海辺から追い込まれていく沖縄南部での闘いの地まで、残された写真の場所など訪ね、当時少年兵だった人に話を聞いた。
もと少年兵のある人が、「民間人を何故こんなにも殺さなくてはならなかったのか」と鋭い視線で作家に詰め寄る。父の気持ちを思いながら、彼は沖縄戦を戦った兵士たちは
誰も自分を英雄だとは思ったことがないということを知る。

今も昔も戦争は民間人が犠牲になる。国というのが一体どういう意思で戦争を始めるのかと思ってしまうが、結局始めた責任の主体は前線の自分ではないというような気持ちで、わけのわからんもんの大義のためには狂気をふるうのだ。

沖縄は、まだまだ怒っている。
慰霊の日が近づく。

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