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2008年06月29日

二胡とゴスペルそして、7・6ライブ

今日は、久し振りにゴスペルを歌った。しかも変わったシチュエーションで・・だ。

天華二胡学院という二胡の教室の演奏会で、二胡とゴスペルが共演するという試みに参加してきた。
二胡が演奏する曲というのは、中国曲だけでなく、クラッシック、ジャズ何でもありだが、ゴスペルというのは、そもそもクアイア(コーラス)が歌うものなので、演奏だけがされることはまず、ない。

ちょっと一般的に想像しにくいのだけれど、このアンサンブルでは、二胡は20~30名の人で演奏され、バックにはプロのジャズトリオがサポートしてくれている。コーラスの編成のように、3声に分けられたパートを二胡が演奏している。曲目は、「OH HAPPY DAY」。これに、リードボーカルとクアイアのコーラスを付けて、コラボが成立した。

久し振りに、仲間と歌い、クアイアは。小さい編成ながら楽しいステージになった。
舞台は、2000人はいるホールだけど、歌う仲間もいちど、舞台に立った人間は、そこに帰ってきたときは嬉しい緊張や興奮を得られる。パフォーマンスする面白さを知っているからだ。

というわけで、久々に楽器を使わずに舞台に立て、来週は楽器と共に舞台に立つ。

ライブ告知です!!

American Heat Wave VOL.5
出演: These Days/Street Walker/Low-Guns/Give A Little&Friends
7月6日(日) アメリカ村BIGCAT Open 16:00 Start 17:00~
前売 2,000円 当日 2,500円 入場時、ドリンク代別途500円必要。

内容は、70年代のアメリカンロックを中心としたバンドのライブです。
Give a littleとして、19時頃に出演予定です。今回は、アコースティックサウンドで演ります。
他のバンドは、がんがんにロックしていると思いますが。ほっと一息、カントリーブルースぽく、力の抜けた感じでパフォーマンスしたいと思っています。

投稿者 pianocraft : 21:59 | コメント (5) | トラックバック

2008年06月26日

「族譜」を観た

原作 梶山季之 脚本・演出 ジェームス三木の「族譜」は、昭和15年の朝鮮・水原郡が舞台になっている。日本が占領していた時に、日本政府による「創氏改名」の政策が敷かれていた。

朝鮮の人々にとって、「族譜」は家計図というだけでなく、何百年もつづけて、世代から世代へその時の情勢が記されたりもしている。膨大な歴史を記録してあるという点で、歴史研究にも役立っていると聞く。そうやって守り続けてきた、朝鮮の人々の家族の名(ただ、朝鮮では男系のみが受け継がれるので
女性は、父親の姓を名乗り、「族譜」ではただ、女とかしか記されていないこともあるという。)が、日本風の名前に変えなくてはならない時に感ずる苦しみは、あまりにも重い。

日本政府は、戦況が悪化し兵隊の確保にも朝鮮の人を借り出す目的のためにも、朝鮮半島の人々を日本人並みに待遇を平等にすると嘯き、名前や言葉を奪った。

日本は、沖縄以外で植民地化したことはない。
言葉を奪われる、名前も奪われるという苦痛に対し実感が持てない。

そんな出来事を、当時の朝鮮でどのように行われていったか?どんな苦しみをあたえたか?をこの芝居は語っていく。
淡々と、しかし、強くわれわれに迫る訴えを重く感じた。
しかし、きちんと要所要所に丁寧な説明がくわえられており、理解がしやすいようになっている。

青年劇場の舞台は、「銃口」という舞台で韓国も多く公演している。そこでは、日本人がこのようなテーマを正面から取り扱って舞台を続けていることを高く評価されている。こうやって、民間ががんばって繋がりをもった人々と絆を大切にしたい。
政治ではなく、人と人としてかかわり、政治をも動かすことができればもっといいだろうけれど。

投稿者 pianocraft : 00:02 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月17日

軍隊アレルギー

橋下知事の今日の発言。
大阪府職員の研修として自衛隊の体験入隊をと部長会議で訴えたいう。

「あいさつ・団結力」を軍隊訓練でやしなうというのか・・・。見下されたものだね。幹部の職員たちも。

マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」の中で、アメリカ海兵隊の訓練(最近でもTVでブートキャンプが放送されたようだが)を観たけれど、人間を軍隊人形に変えるプロセスのように感じた。
日本の自衛隊がどのように訓練しているか、知る由もないが多くの会社が新入社員研修に使っていると聞くと、やっぱり人形を作るのには適した訓練なのか?と思ってしまう。

殺人をすることに、少ない罪悪感で済む様に、正当化した理屈を叩き込む・・・徹底的に軍隊アレルギーといっていいくらい大嫌いな世界だ。

うにさんが、ブログで書いていたことを考えていた。
「自衛隊はスレブレニツァを避けられるのか」というタイトルは、胸をつく。
自衛隊が海外協力で動くということがどういうことか?読んでみてください。

投稿者 pianocraft : 22:37 | コメント (2) | トラックバック

2008年06月11日

トラウマの街

報道が、一色。血の色に一色。
これを観ると、心が痛くなる。

秋葉原の事件の影響は、おそらく多くのあそこに出かける人達、TV報道を見た人達にも深い傷を与えたように思う。
TVの報道は見ない。朝はワイドショーのチャンネルを替える。

あの事件のあと、ナイフのシーンのドラマは放送を中止したと新聞で見た。
当然だ。
私の友人もナイフで殺された。その後、ナイフの暴力シーンは見ない。観ることができない。
そのように、その場にいなくても充分に傷つく。報道は、それをもっと感染させるだろうと思う。
私も社会学を学んでいたが、センセーショナルな事件があると分析を試みる社会学者、心理学者、評論家または、無責任なTVコメンテイターがいるけれど、事が起こってからはいくらでも理由付けされるというものだ。

人は理不尽なことを理解したい。どこかで決着を付けたいという欲望をもっているのかもしれないが、どんな言葉も、聴きたくない。どこかの政治家がそれを野党のせいだとか言っているようだけれど、たまたま猟奇的な殺人事件と通り魔事件の容疑者が派遣社員だったことで、すべてを物語っているわけでもない。

教育大付属池田小学校の事件が起きた時、友人がため息をついていた。
精神障がい者のサポートをしている友人は、あの事件の報道をみてメンバーさんの心の状態が悪化したという。自分もするのではないか?という不安が襲ったというのだ。彼らは、サポートを受けていて、医者にかかっている落ち着いた人々だ。けれど、統合失調症の人達は、報道を見て落ち着かなくなったなったそうで、友人は「みんな調子悪なって、困る」といっていた。

人や事件や出来事を平たく、簡単に考えるのはやめたい。
けれど、今回のことで「死刑求刑」を求める声もまた、一層聞こえてきそうだ。

このトラウマをどれだけの人が抱えているのだろうか?
すると、戦場の地で人はどうやって生きているのか?強烈な虐待は、その痛みを脳が隠してしまうように、我々も麻痺させて生きなくてはならないのか?

投稿者 pianocraft : 22:38 | コメント (2) | トラックバック