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2006年09月 アーカイブ

2006年09月03日

ダンスパーティでひさびさバンドマンになる

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青葉仁会のダンパ・フライヤー

友人のMIKIの声賭けで、取り組んだひさびさの歌伴。魅力あるボーカリストであるMIKIを生かす支えになれるか???であったけれど、リズムセクションとギターに一世を風靡した関西ロックのメンバーが快く引き受けてくれたものだから、なんとか端っこでキーボードをたたくことができた。

このダンスパーティは、社会福祉法人青葉仁会の主宰する、知的障害をもつ入所者の人たちのために開かれたものだった。音に敏感に反応する彼ら。強力なリズムセクションの音はここちよく、踊る時間になったのだろうか?

本物の音を聞かせたい。ロックならば、ロックの・・・というのが、企画をしてくれている職員の人の考えだ。こころに響く音は、まっすぐに飛ぶように思う。
彼らは、奈良の山奥に住んでいる。仲間といっしょに。でも、本当はいろんな人にまみれて暮らすほうがいいだろうと私は思っている。けれど、そういうところが、たくさん準備されているわけではない。大阪の生野区のように、のきをつらねた路地裏に障害を持った人のグループホームがそこここにあるというようなところは、実は少ない。当たり前に、仕事をし好きな事が出来るような、生きるということのシンプルな繰り返しさえ、障害があることで阻まれる。

ここに来て、作業をしている人たちは、木工やちかくのすてきな自然食レストランで働いたりしている。
私たちも食事をいただいたレストランは、木の色、草の色、流れる空気もすばらしく美しいものだった。
私たちが癒される・・・そんな場所だった。

音楽について。わたしは、3年ほどゴスペルをやってブラックミュージックのルーツミュージックを体現し、今となっては学んだ事も多かった。バンドをすることに自然に移行できたのは、数多くの本物の歌のお陰だし、すばらしい講師から学んだ、歌のリズムでもあった。でも、嬉しいけれど緊張もした。20曲ほどの初めて、鍵盤でたたく曲を覚えなくてはいけなかったけれど、これも刺激になった。

改めて、音楽をする、演奏するという立場にたちかえって考えなくてはいけないことが多く残った。
それは、本当にプロフェショナルに仕事をしているメンバーから教えられたことでもあり、そこの本質は
楽器演奏ではなく、「歌」にあったことに驚きを感じたからでもある。
沖縄に求めたもの。それも「歌」である。 もちろん、そちらもわたしにとって大事な大切な宝物の歌たちなのだ。洋楽のロックをしようが、しまいが、沖縄にある歌をわすれることはない。
さあて、ゴスペルから去ると、新たないそがしさがやってきた。予期せぬバンド。次回ライブも参加できるのか??? 

2006年09月11日

9.11とイマジン

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朝日新聞社刊 自由訳 イマジン/新井満 訳

9.11から5年が経って、TVではいろんな特集が組まれていた。特に、ツインタワーの生存者が語るという形が、多いのかなという印象。
この日以来、世界がなし崩し的に紛争の中に放り込まれた。というと、傍観者のような言い草だけど。
この日本もしっかり、関わった「自衛隊を戦場へ送る」ということをしでかしてしまったのだから。

この自由訳イマジンを手にとって見たら、あまりにも平易なことばで、いろんな角度から新井満という人のジョン・レノンに対する深い敬愛があふれていた。
ニューヨークの街角で歌われた「イマジン」は、あきらかに「ゴッド・ブレス・アメリカ」より「祈り」に近かった。こころから、望む理想の平和。望んでも望んでもするりと手の中からぬけおちてしまう平和。

このような一節がある。

本当にあるかどうかもわからない
そんな天国に
わくわくさせられたり
そんな地獄に
びくびくさせられたり
そういうことって
ばかばかしいことだとは思わないのかい?

この苦しみを乗り越えると天国がまっている、あるいは、敵と戦わなければ地獄になると、甘いことばや脅迫、飴とムチでたくみに、メディアを使ってあおっているのは、誰か?
わたしたちは、自分の頭でよく考えなくてはならない。

クローズアップ現代で見た、アメリカの母親のことば。
「テロ以来、こどもの将来にまた、こういうことが起こるのではないかと恐れている」
これを聞いて、あきれた。本当の恐怖をあたえているのは誰?
今、イラクでは、大人も子供もいつ命を失ってもおかしくない状況に生きている。
アメリカは、恐怖を政治に利用している。いや、アメリカだけではない。日本も。
新しい自民党総裁選を前にして、憲法を変えようとたくらんでいる連中は、日本が他国から攻撃される恐怖とひんまがったプライドで戦争できる国にしたいらしい。

国は民を守らない。
人殺しを子供にはさせない。

日本の軍隊がそうであったように、世界の子供兵も「人殺し」が戦場で当たり前である感覚を植えつけるために、残酷に「殺し」の練習をさせた。そういうことが戦争。

わたしたちは、想像力を駆使して、放送されているもの、政治家の言葉、気をつけていなくてはならない。
わたしにとって、9.11はだまされないための教訓の日。

2006年09月14日

日常社会の中の宗教

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朝日新聞の夕刊に2週にわたって掲載された対談があった。「宗教と社会活動」というテーマで、カトリック神父の本田哲郎さんと浄土真宗本願寺派の住職の釈徹宗さんの対談である。
現代に生きる宗教について語り合ったものであるが、おそらく日本社会の中で今ある、求められる宗教的かかわりとは何かを問うている。

本田さんは、大阪西成区のあいりん地区で、野宿者の支援を行っている。はじめは炊き出しをしていたが、食事をもらいにくる労働者が本当はそういう「施し」を望んでいるのではないと気づく。
それから、賃金不払いの会社への交渉、生活保護申請の助けなど具体的な生活支援を行う活動に転換していった。彼らに「寄り添う」活動へと。
本田さんはクリスチャンファミリーに生まれている、だから、キリスト教の組織と建前との開きに疑問をもってきた。組織としてのキリスト教と、宗教の本質が離れているということで、隣人を愛せといいつつ、現実にできないことをするところに生じる欠落したもを感じ取っていた。
本来はキリスト教で言われる「アガペー」は、「愛」という抽象的なものより元の意味は、「その人をその人として大切にする」ことだという。そういうことなら、しっくりくる。

西成で活動していても布教は一切しない。神父は、布教よりもこちらが野宿者、日雇いの人から教えられることのほうが多い。という。宗教者よりも本当の困難をしっている彼ら。そいういう底辺で苦しむ人に寄り添うことが本来の「隣人愛」であるということも言っている。今、アメリカでブッシュの支援するキリスト教は、原理的な福音主義であり、聖書の記述がすべて歴史的事実とするとらえかたは根本的に間違っていると本田神父は重ねて言っている。

誰に寄り添うか?釜ヶ崎(西成)では、キリスト教・仏教・左翼の人たちが互いにうまく共同で活動しているという。自分の心の中で、誰を信心しようが、それを超えたところに本当に「人として人を大切にする」ということが成立する。と。これは同感だ。

目的は、人に寄り添うことであるならば、まず自分の宗教的立場があって活動しているというのはおかしい。まず、一人の人としてあり、その人が何に支えられているかは問わない。
本田さんの言葉の紹介ばかりになったけれど、こういう意見が多数派なのかは私には知りようがないが、かなり日本的なあるいは、日本固有の、多くの神との共存という社会認識の上にこの考えはあるように思う。原理的に先鋭化していきにくいのが日本の風土であると思うが、中には、オウムのように排他的になっていく新興宗教も中にはあるのが現実か。
誰が何を心の支えに生きていくかは問題ではなく、組織にとらわれないのが大切なのだろうとわたしも思う。教義や信条にしばられないことが大事だと、釈さんも言っていた。

この国は、神道原理主義を政治的に利用して国民を戦争で殺した。先鋭的になるということは、ほかを見ない、相容れないという孤立姿勢だ。人間も人との関係もゆるいほうがいいなとわたしは思っているけど。何にも属したくないというのもそいういうこだわりの表れか?やっぱり転石のように生きようかな。
Like a rolling stone ってことで・・・・

2006年09月21日

石垣島~台湾そして韓国

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再プレスされたナミイおばあのCD「ナミイ!」

この間の日曜日、予定をやりくりしてやはり観てしまった。映画「出草の歌」hanaさんの後押しもあった。
京都の上映が6時30分からで、終了後に映画にも靖国神社の宮司に詰め寄る通訳の姿であった、徐桂国さんの解説があったので、濃密な時間だった。

映画「あんにょんサヨナラ」で韓国の靖国合祀反対のイ・ヒジャさんの訴えを観て、台湾の原住民(彼らは自分たちのことをそう呼ぶ)の靖国合祀反対の立場や運動をその人を知りたくて、この映画はわたしにとって一続きのものであった。
この映画の中でも、映画の主人公であるチワス・アリさんと韓国での靖国合祀反対のデモのときにイ・ヒジャさんは並んで立っていた。

台湾の少数民族について、私は本当に知識がなかった。50年にわたる日本の植民地下において皇民化教育を受け、高砂義勇兵として日本兵として戦い、命を落とし、靖国に連れて行かれた彼らの祖父たち、父たち。敵と一緒に合祀されている憤りは、まったく筋が通っている。

映画の主人公は、美しい、元女優で歌手の中心人物のチワス・アリさん、彼女もタイヤル族であり、多くの原住民と手をとりあって台湾での人権獲得のために運動を行っている。映画は彼女の姿を追うと同時にもう一つの大事な主役である、一緒に音楽表現で原住民の伝統的な歌を伝承していこうという「飛魚雲豹的音楽工団」のすばらしいパフォーマンスも追う。
彼らはもともとは、文字をもたなかった。歌ですべてを伝え訴える。その言葉や音を保存しようとしている。彼らは、靖国へやってきて歌で抗議した、大阪でも、歌い始めると、自然に誰かがリードしてその人の部族の歌をうたい、次々に人がかわり、旋律が変わる。その、歌のすばらしさは、会場で買ったCDを家で聞いてさらに驚いた。美しく、幻想的、惹きつけれる力がある唄。

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