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2006年10月 アーカイブ

2006年10月01日

ふと気づく

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今日、阪急電車に乗っていたら「おやっ」と思い、「そうか~」と納得したつり広告を見た。私は、阪急沿線に住んでいるが、仕事柄車で移動することが多い。日曜に、気がかりな楽器を下見にでかけていて見つけた。

それは、阪神タイガースの公式ファンクラブの募集広告だった。2枚続きのつり広告。「おや~ここは阪神電車じゃないぞ」「そっか~阪神と阪急は一緒になったんだった」というわけ。妙な感じがする。別にスポーツに執着はない、特にファンのチームが野球であろうとサッカーであろうとなし・・である。カラーの違う2つが、どんな風になるんだろうな・・と遠巻きにしてみている。

そういうえば執着しない。平和の危機と音楽以外には。平和の危機は命にかかわること、音楽は心の命に関わることなんていってみたりして。他のことについて、こっち側とあっち側をなるべくいったりきたりして、ものを見ていたいと思う。だから、一つのものに熱狂しない。今も大好きなものはあるけれど、まい進することはない。

執着しない生き方といえば・・・この間、夕刊を読んでいて森巣博という人をクローズアップしていた。実は、この人の本で「ナショナリズムの克服」という姜尚中さんとの対談のを持っていた。でもずいぶん前。
全然経歴や職業をしらなかったけれど。ギャンブラーで作家でテッサ・モーリス・スズキさんの相方でもある。彼の言う、「境界」という言葉にふ~んとひっかっかた。自分の子供が学校で差別を受けたときに、差別するほうは「境界」をもっていて、そのエリア内を守ろうとする。それって、人の垣根だけれど、これが地域の垣根になり、国の垣根になったり、民族というものの垣根になったり、肌の色という垣根になったりするんだろうな。

要するに、「違う」ということと「保身」があわさったときに、排他的な行動をする。そこに利害がからむとやたらとヒートする。ひどくすると戦争する。という人間の感情にコントロールされた、浅くて薄いナショナリズムを感じる。だから、なるべく執着しないでいるというか、そういう性格かもしれない。

ところで、この秋。梅田をうろうろするわたしは、鍵盤を捜し求めている。生のピアノではなく、当の昔に手放したフェンダーローズの音を求めて。あるいは、ぐっとくるサウンドを求めて。さあて・・・。どんな音楽をつくろうか。

2006年10月04日

MTのアップデートに苦労し、プラスチックアートに癒される

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minさんの、美しいペットボトルアート

昨日の夜、ふと、このblogを動かしているソフトMovable typeのアップデートをしなくちゃと思いつつ、ほったらかしていたのに、ついにアップデートしようと決心した。何事もなければ、ファイルをどんどんアップロードして、読み込むと成功するのだが・・・。夜に始めたせいで、あせってつまらないミスをした。それを修復しようと、また原因を探ろうとあちこち触っているうちに朝の4時になってしまった~~~。できてないのに、明日の仕事のことを考えて眠ることにした。今日・・・。仕事しながら「あれが悪かったのでは?」と考えをめぐらし、帰ってきて実行すると、「成功!」でいやに嬉しい。見た目は、かわりませんけど、いろんなプラグインが追加され、デザインの変更もやりやすくなりそう。なので、とにかくやれやれでした。

そんな昨日のお昼。ごはんを食べに帰ってきて、TVをつけたら、知っている人が「おもいっきりテレビ」に出演していた。そうそう、メールもらってたんだ。その人は、サイエンスフェスタでうちのテジョンとご一緒させていただいた、プラスチックアーチストのminさんだ。
本も出されていて、その活動はおおきな評価を得ている。美しいストローの生き物はしっていたけれど、ペットボトルでティアラを作るシーンを、取材していた。写真のような、美しい造形の作品であるけれど
繊細な技術によって成り立っている。
作品は、コチラのサイトで詳しく紹介されています。いや~美しいくて、きらきらして、みていて癒されます。

2006年10月06日

核は静かに被爆者を増やす

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北朝鮮の核実験の問題がかますびしい。アメリカの核実験はどうなんだ。今年も8月に23回目の臨界前核実験を行っている。核兵器を抑止力になるなんてナンセンスだ。

映画「六ヶ所村ラプソディー」の上映会のときに販売していた、鎌仲ひとみ監督と肥田医師による共著の、「内部被爆の脅威」原爆から劣化ウラン弾まで を読んだ。

核兵器をつかわなくとも、原発がある限り、被爆者は世界中にどんどん増えていく。この地球が、人工的な放射能汚染に果てしなくさらされていく。人が自覚しようがしまいが・・・というのがこの本でしる怖いところだ。被爆というのは、外部から熱線でやられることだけでなく、いろんなところに舞い降りた放射線が、空気を媒介に、食べ物を媒介に、水を媒介にして、人間に取り込まれている。
それは、時限爆弾をかかえたように、長い時間をかけて遺伝子に傷をつける。体の中で濃縮され放射能を出し続ける。癌をつくることもする。

内部被爆について、劣化ウラン弾を使用した、アフガンや湾岸戦争、イラク戦争でアメリカ兵が政府に訴訟をおこしているが、アメリカ政府はそれを認めようとはしない。イラクで使われていた化学兵器の影響だとか何とかいって。でも、原爆の開発段階から内部被爆に関する研究は行われており、どういった影響があるかは、実は知っているはずなのだった。

北朝鮮の核実験が失敗したら、核汚染がどうひろがるか?とかいろいろ取りざたされているが、今だって日本の海に停泊しているアメリカの原潜の周辺からも汚染が報告されている。放射能まみれなのだすでに。おそらく、チェルノブイリからヨーロッパは学んだことも多いとおもうけれど、日本は被爆国なのに
被爆者の認定にこの「内部被爆」で長年にわたり苦しんでいる人たちを救済していない。赤い背中の青年も老人になったいまも、体内の放射線と同居して、苦しんでいるのだ。

なんてひどい仕打ちだろうか。徐々に人を死にやるものは、人が人に向けて放ったものだ。
核廃絶の運動は、原発も含め、人々の生活に関わる大きな部分もすべて変えていくところから始めなくてはいけないようだ。被爆国です。とっていもいまや、何処の国にも原発があるので、被爆国というのは核を利用するすべての国であるといえる。人々の命と引き換えに、苦しみと引き換えに、使う電気って何だ?

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2006年10月10日

連休にしたこと

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ニューオリンズビーズ募金   栗の渋皮煮

連休とはいえ、毎日仕事をまわり、そうでなければ修理の仕事をしていたから、完全な休みではなかったけど。でも、気分的にリフレッシュした。

ひとつめは、もらった栗を「渋皮煮」にすること、鬼皮を剥くのが面倒だけど、その前に大好きな包丁研ぎを軽くやったら効率があがった。重曹でゆでると、すごい灰汁がでるんだというのを知った。栗ご飯は、今シーズンに入って一回つくったから、別のものを作ろうと挑戦した。案外簡単にでき、家族のおやつに好評だった。普段と違う料理をするのも楽しかった。

もう一つの写真の腕にまいているのが、大阪ニューオリンズ祭りでニューオリンズ復興のための募金をするともらえるビーズの首飾り、はではでなので腕にまいて、野外コンサートを楽しんだ。
ニューオリンズは昨年の8月のカトリーナ以来、いまだに復興から遠い状況だ。貧しい黒人の人たちに救済の手はとどくのだろうか?イラクにお金使ってる場合じゃないだろうに・・・ここでも、国は国民をまもらないという教訓を得たように思う。災害より戦争をとったアメリカ政府。という印象だ。

今日のニューオリンズ音楽祭でのわたしのお目当ては、シリル・ネビルのバンドだった。ネビルブラザースの前回の来日からどれだけたったのだろう?単調だけど、ニューオリンズテイストの重圧なファンクサウンドに、腕をふりまわして踊り、楽しんだ~。10月10日は、シリルの誕生日らしくフェスティバルゲートで誕生日会が開かれるらしい。詳しくは、Help Neworleansのサイトへ。

ハリケーンによって、「民族浄化」だといわれるくらい黒人の居住が減ってしまったニューオリンズ。この街にどういう思いをシリル・ネビルが描いているかを、上記のサイトでは紹介している。

2006年10月18日

いちおう LIVE告知

友人の歌をなんとか盛り立てようと、歌伴バンド「GIVE A LITTLE」に参加したのが、この夏。
障害者の人たちと楽しむダンスパーティの出演以降、次のライブにも仲間にいれてもらい、いよいよこの22日日曜日にLIVEとあいなりました。

今回は、今回もというべきか、ハモパートも多く、他のメンバーが音楽で生きてきた人たちなので安心して、鍵盤の音を重ねています。ブログの更新が滞るのは、仕事から帰って、食事がおわると、ピアノをさわり、ハモを練習し、メールチェックなどをしていると、1時2時になってしまうからなんです。

こうやって、音楽ができることを本当に幸せに思います。その合間に実はハングルもかじっていたりして
忙しい一週間です。でも、楽しいです。


ライブ日程は10月22日日曜日 場所 MOTHER POPCORN 地下鉄本町駅すぐです。
夜9時からの出演となっています。ささやかなる告知でした。

2006年10月25日

DVD「男たちの大和」をみた

この映画が公開される前に、週間金曜日で監督が、対談をしていたのを読んでいた。この映画のCMが流れていたときは、好戦的な印象を主役級の二人、中村獅童、反町隆史に抱いていたのだが、対談では結局「無駄死に」「捨石」とされた戦艦大和をどちらかといえば、反戦的にとらえているといった印象を受けた。

それを読んでいたので、DVDで見てみようと思ったわけだけど。
結果として、好戦的ではないけれど、反戦メッセージも感じられないといった感じだった。
ただ、CMでのイメージとは違った。年少兵たちが死出の旅にでる葛藤。生きたいけど、多くの死んでいった日本人のために戦うという気持ち、それは死と引き換えだ。その辛さは、戦闘シーンよりも多くの時間をさかれる、少年兵たちのシーンにあらわされる。

この大和のひどい戦略は、いかにして上層部によって決められたかをもっと描いてほしかった。国のために死ぬことを美化するようなこともなかったけれど、何も守らないんだよ。戦争って、人のことなんて。
というのをもっと、もっと伝えて欲しい。生き残った人の使命は、それだということを最後のほうで、仲代達也がつぶやくけれど、あいまいだ。

戦艦大和がことごとく、攻撃されぼろぼろになって沈んでいくのを映像でみて、本当に無駄死にを強いたことに怒りを覚える。
多くを失った遺族はこころのよりどころのために、慰霊を国に望んだのだろうが、靖国なんかでごまかされないで欲しい。結局国のつごうのよい、ごまかしの慰霊をさせないために。

クリント・イーストウッド監督の硫黄島の映画が公開されるようだ。アメリカ側からと日本側から描く、硫黄島の戦闘。
まだ、ちゃんと整理されない60年前の戦争。日本が国民に戦後しなかったこと。戦争の反省。

2006年10月29日

脱力の日々

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謎のボトル

脱力してた・・というか、22日のライブを終えてそのまま、事務仕事(調律師協会の)を嵐のようにこなした後は、脱力したというか、疲れがでてしまい、気力を失っていた。その上、地域の会議があったりして三線も十分に弾けず、もともと文化的には贅沢な生活をしているとは思っているが、いろいろなしわよせで、のびきっていた。

その間に、ハングル教室も週1に入った。ホントに、韓国に友人はいるけれど(彼が日本語をしゃべるので)わたしは、初歩の初歩のハングル。字を読むのに一苦労している。頭の別の部分を鍛えてるっていう感じがひしひしと脳に伝わる。

さて、私が脱力している間に、相方は、3度目のどぶろくつくりに挑戦。謎のボトルは、その成果である。とはいえ、3日で仕込み、絞りとる。残りかすは、「酒かす」として楽しめる。米のジュースのような、フレッシュ感のある仕上がりである。炊き立てご飯とおいしい水、麹、イースト菌。後は、温度管理と混ぜ込みで、できてしまう。インターネット上にも、市販の本でも作り方は、どこにでも手に入る。個人の楽しみとして、なかなかおもしろい試み。

そういえば、脱力の日々の最後は、30年ぶりの仲間内だけの同窓会だった。
わたしは、同窓会は好きじゃない。基本的には、今を生きることがすき。つながりのある友人とは、今も連絡をとりあっているし、なつかしさを特に求めることもない。おもしろかったけど、また別の遊びができるといいとは思う。会って、そこまでの人生を語ってもね・・・・。と思い。

さあて、明日からはピアノの修理をいくつか抱える。仕事と、音楽の楽しみに戻ろう。

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