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2007年07月 アーカイブ

2007年07月01日

おめでとう! ももちゃん

土曜日に、友人の結婚式に行ってきた。
ジャズピアニストであり、いまやゴスペルも指導もする多才な女性でとても魅力的で、エネルギーにあふれている人。であるももちゃんの結婚式だった。

私は、ゴスペル仲間(かつてのクアイア仲間)とキリスト教式結婚式のときと披露宴で数曲、歌わせてもらった。ももちゃんの結婚を歌で祝福できてとても素敵な気分だった。
教会で歌い上げるタイプのゴスペル曲と言うのは本当にぴったりマッチして、良く響く教会内の空気を強く震わせることができるようで、心の中に音が入ってくる感じがする。聞いている人は、より強く感じるだろうと思うけれど。

その感動の挙式もすばらしかったのだが、披露宴が、これまた私も経験したことないような「楽しい」パーティだった。言うならば、音楽ライブパーティ。
もちろん新婦もピアノを弾くけれど、お客の多くにジャズミュージシャンがいるので、順々に素敵な音楽が披露される。新郎まで、歌がうまくびっくりしたけれど、約90名の前での見事な熱唱は、堂々たるものだった。

ももちゃんは、早くに両親を亡くしているので、何でも一人で物事を決めてしっかり生きてきた。結構波乱万丈の人生を今までやってきたけれど、キリスト教の洗礼を受けてからとてもいろんな人の支えをもらったのだろうと思う。・・・なによりも神様を味方につけてしまったのだから、怖いものはないだろう。

これから、二人という単位に慣れないとね。
また、それもいいもんよ。と

若々しいカップルもいいけれど、人生をそこそこやってきた人の結婚式はとても人間関係が充実していて、顔ぶれをみても楽しい。豊かな人間関係が倍増することは大きな喜びだと思う。幸せにね!

2007年07月04日

原爆投下正当化 アメリカから

久間防衛大臣が「しょうがない」発言をして、辞任したと思ったら、アメリカでは核不拡散特使のジョゼフ氏が以下のようにたもうた。(NHKニュースより

アメリカによる広島と長崎への原爆投下について「さらに何百万人もの日本人の命を奪うところだった戦争を終結させることができたというのは、ほとんどの歴史家が同意するところだ」と述べて、原爆投下によって結果的に多くの日本人の命を救ったという認識を示しました。

核不拡散防止の特使というたちばでありながら、瀕死の日本に2発のタイプの違う原爆を落としておいて、なんという正当化だ。と思うが、これは何度も、アメリカでずっと言い続けられている話だ。

それが、一般論なのか、元軍人の認識なのか、あるいはどの程度の世論なのか、まったくわからないが、核兵器が一体どういうものなのかを、核不拡散の特使は知っているはずだ。
アメリカ合州国以外の国へ、核をもたせないことのみがその目的かもしれないが・・・、核の恐怖が爆発したときから60年以上被害を及ぼし続けているということを理解しているとは思えない。

日本政府は、即座に強く抗議すべきだが、安倍政権はこれまた出足が鈍い。そういえば、野党も静かなのはおかしい。
安倍首相は、「まだ発言を確かめていない」が

、「原爆投下で多くの命が失われ、たくさんの被爆者が後遺症に苦しんできた。原爆投下は許すことができないという気持ちに変わりはない」と強調した。

イラク戦争をまだ、否定しない国。アメリカにはむかわない親米右翼ということらしい。

親米って、字面をみても「卑屈だな」。親なんだもん。

劣化ウランの核被害も、自国の兵士も救わないアメリカである。この国にとって、徹底的に核は利用価値のある正当な兵器なのだ。

8月を前にしてよく言うね。本当に。

2007年07月07日

ボニー・レイット 姉御の貫禄

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NHKhi World premium liveでのBonnie Raitt

今日、知らずにいつもはチェックしないハイビジョン放送の番組欄を見ていて宝物を見つけたような気分になった。小さな幸せ!

このBonnie Raittは、スライドギターを操る、渋いロックを長年つづけてきた、とても愛するミュージシャンだ。2005年9月の映像で、久しぶりにその健在振りを知ることができて嬉しい。

彼女は、1949年生まれ。10代のときからブルースマンと多くセッションしており、持ち味は、そのブルースフィーリングだ。白人の赤毛の女の子は、当時からブルースマンの間で有名だったそうだ。今日のTV放送の中のインタビューで語っていた。実際にいまも、ブルースのイベントでは、大物ブルースマンと一緒に共演している。Ray Charlesの最後のアルバムでも一緒にデュエットしているしね。

ファーストアルバムからずっと聞いてきて、私自身も実際に弾き語りもバンドでも演奏した機会の多い人だ。あこがれのボニー。

彼女を同じように追いかけていた友人が2人いる。一人は、Give a littleのボーカルMIKI。今も一緒にボニーを演ることがある。もう一人は、13年前に他界した。
彼は、七夕の日の夜中に、強盗に襲われてなくなった。

そのときの大切なバックの中には、ボニーを追いかけてきて、書き溜めたノートが入っていた。
だが、財布とともにバックはすてられ、金のたしにもならないノートはこの世から消えた。
ひょっとしたら、天国に持参したのかも知れぬ。ともかく、永遠に読むことができなくなってしまった。

ふと、そんな日を迎える日に、Bonnieの歌声を聴いて、とても嬉しかった。
13年前から新作のCDが聞けないから、毎年いく、仏壇のまえで聞かせてやろうと思ってもっていたこともある。

それでも私は生きている。歌うときは、一緒に歌ってよ。


2007年07月19日

ナミイの歌声がやってきた

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ナミイが録音してくれたテープ

映画「ナミイと唄えば」を見て以来、きょうのぶこさんが家来になる気が十二分にわかってしまった私は、
ナミイグッズを販売する公式商店「オニガシマ商店」で、「ナミイの歌の贈り物 for YOU」のテープを予約していた。
このテープ、一人ひとりのリクエストを聞いて、私のためだけにナミイが録音してくれるというテープだ。

心待ちにしていて、今月とどいたのだった。手書きの曲リスト。のりで貼り付けられていた。
テープの初めには、名前を呼んでくれたりして・・・ほんまにフリークの域に達したという感がする。われながら。

もちろん、ナミイの最新情報もコチラでチェック。来年には、ハワイツアーも企画されていて、これまた心が動く。

実際に、お座敷で遊んでみたいという思いは日々募り、ついにお座敷企画の要項を送ってもらった。
大阪でナミイとお座敷遊びがしたいという人は、この指とまれ!

今、画策中。実現できるかは五里霧中。

ナミイの魅力っていうのは、その素晴らしい三線の腕と、歌声の中にあるハートだ。沢山の人と遊びたいと思っているその気持ちは、多くの人と人をつないでいる。神サマに小さいときに助けられ、今は芸で人を助けている。

ホントにきっと会えると私は信じている。

2007年07月21日

映画「ウリハッキョ」を観た!

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映画「ウリハッキョ」公式ブログはhttp://urihakkyo.blog105.fc2.com/
韓国の公式サイトは、http://www.urischool.co.kr/

5月にこの映画の存在をしったのだけど、結局そのときの上映会にいけなかった。すごく残念な思いをしていたら、全国で自主上映が続々とされることになった。今日、私はごく近所で行われた上映会でこの映画とやっと出会うことができた。

今日の上映会はの主催は近所の北大阪朝鮮初中級学校父母会や支える会として運動している「アプロハムケ北大阪(北大阪朝鮮初中級学校を支える会)」なので、朝の上映には多くの朝鮮学校の生徒さんが小さい子から、大きい子まで参加していた。

朝鮮学校と一般に呼ばれる学校がどんなところか、日本人としてずっと生きてきた私には知らない世界だった。おんなじ世代だったころも、チョゴリを着て通学する女生徒は知っていたし、朝鮮学校の男子生徒が喧嘩に強いというイメージを持っていた。少し距離を置いた感じで知ってるというだけだった。

もちろん、大人になってから多くの在日の人と活動したり、韓国の友人がいたりと仲良くやってるとおもうけど。
それでも今日見た学校は全く私の想像していたものとは違っていた。

そこは、もう一つの学校。まるで「家族」のような生徒たち。北海道の朝鮮初中高級学校では、年の違う生徒たちもお互いを、支えあい、守りあう。彼らにとって学校の塀の外の世界は、いつも脅威だ。
緊張を強いられ、異なる文化に対する無理解・非寛容が渦巻いている。特に、拉致問題がクローズアップされると脅迫はより現実的な脅威になる。それだからこそ、自分たちのアイデンティティーを守るためこの学校は存在する。

日常生活の中にある、朝鮮語も日本語とちゃんんぽんになっていて面白い。監督のキム・ミョンジュン
さんも撮影期間の3年を朝鮮学校で過ごしたが、最初は先生の言葉はわかっても、生徒たちの日本語交じりの言葉が理解できなかったという。けれど、しまいに「へんな訛」のハングルを話すと友人に指摘されるが、本人はそれがとても嬉しいという。一緒に過ごした人々への愛情があふれている。

登場する生徒たちは実に明るく元気だ。だが、それぞれの事情で日本社会の中で葛藤や困難、差別にあっている。そのために、早くから自分が何であるか?ということを考えている。誰のために生きるか?
自分のためにだけでなく同胞のため、仲間のため。強い絆がそこにあった。

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2007年07月29日

大人の無邪気もいい

今日、懐かしのグループサウンズフェスティバル07に参加してきた。

出演のメンバーは、久しぶりにバンドまたやろうと頑張っている、いわゆる「おやじバンド」が中心だ。
私とテジョンの演目は、そのグループサウンズよりうんと古い、1910年代のエノケンナンバーや1920年代、笠木シズコの曲、あとは、いつも歌う「19の春」と「ジョージア・オン・マイ・マインド」。

客層は、主催のNPO法人おんがくさーくるコスモスの関係者が多い。年齢層もいろいろ。コスモスさんは、日ごろは吹田市の老人施設などで音楽療法の活動をしたり、高齢者のピアノ教室、懐かしい歌を歌うイベントなど、多彩な音楽活動でいろんな人の心を豊かにさせている。今回は、もう少し若いひとにも元気になってもらおうと、おやじ・おばさんバンドなどの参加呼びかけをした。

いろんな人の懐かしいエルビスやビートルズ、フォークソングなど聞かせてもらったが、みんな本番の顔つきは「いい顔」だった。日ごろは、仕事でなかなかリハーサルもできない仲間が、今日のステージのために努力してきた、晴れの場だ。東京と大阪と行き来きしながら練習してる人もいたりして、その熱心さは、音楽を演るという魅力にほかならない。

無邪気さというと、誤解をうけるかもしれないが、体を動かし、手拍子して楽しむ。そいういう姿は本当に無邪気で元気で、つくづく大人の生活にもいい影響を与るなあと思う。

そういえば、昨日もとてもいい顔をした、大人を見た。ピアノを購入していただいたら、サービス調律というのが付いている。その仕事で伺ったお家の若いご夫婦は、子供のためにだけピアノを買ったのではなかった。若い父が、これからこのピアノを弾いていきたいという思いがあったから。
初めて、家にピアノが届いて、調律で全部の鍵盤の音を出して、最後に分散和音などで、はしからはしまで音だしすると、「今やっと、ピアノが家に来たって思いました。」と晴れ晴れとした顔で、お母さんが言ってくださった。

そう。はじめて「ピアノが来た日」って、こんなに嬉しかったものなんだ。わくわくするような思いと、まだ小さい子供が真ん中を少し弾くだけのピアノが、はしからはしまで鳴らして、一曲弾いてみると(私のピアノの力量はたいしたことない)、それだけで、ぱあ~と晴れやかになってもらえるなんて、嬉しい限りだ。

音楽もピアノもいいもんだって思ってもらえれば嬉しいな。

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