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2008年08月 アーカイブ

2008年08月03日

竹二胡交流会

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さて、この中で手話落語をする人とピエロさんは誰でしょう?

竹二胡を製作するワークショップをあちらこちらでさせていただき、そこで自分の作った二胡を弾きたいという生徒さんが生まれ、教室がいくつかできました。指導のてじょんは、いろんな教室の人が一同に会し楽しく交流できる機会をもちたいと、本日3日実現しました。

ゲストに手話落語の交遊亭楽笑さん、バルーンアートのピエロさん「のりぴー」を迎え、にぎやかに演芸・演奏と、楽しんだ一日でした。
みんな、いい生徒さんばかりで、それぞれ交流を楽しんでいただきよかった・よかった。

ピエロさんは、難聴者。子供の時からです。
彼は、19歳まで人前で「笑う」ことができなかったそうです。なぜか?自分が「笑う」と人から見られ、にらまれるから悪いことと思ったそうです。聞こえない人達にとって、視覚から得る情報は時に心まで通じません。人は、実につめたい顔や、難しい顔(よく相方にいいますが)をします。
私もmake smileでとりあえず笑顔、微笑でも心がけようと思ったりします。 
街で人の顔をよく観察しますが、今の社会にしんどいことが多いからか、割と怖い顔して自転車のったり、歩いたりしてる人が多いように感じます。口角をあげてみませんか?
ピエロさんの芸は、スマイルに満ち満ちていて見てる人に笑顔がうつります。
いろんなところで、ボランティアでバルーンを作ってくれます。

二胡の生徒さんの中には、体調の優れない人、忙しい人、目が不自由な人、元気な人、いろんな人が
います。けれど、新しい出会いでお互いに、音楽を楽しんで、明日もなんとかやっていこうかな・・と思ってもらえれば幸いです。
私たちもそれが何よりの幸せ。

2008年08月18日

8月は、やっぱり心が騒がしい

8月の暑さ・臭い・音。これらは、私が実際に経験したことのない戦争の風景を私に連想させる。
毎年そうだし、年々それは強く、焦りに似たような感じさえもたせて自分に迫っているように思う。

ドキュメンタリーを追いかけたり、見なければならない、知らなくてはならない、63年も経ったのにまだまだ知らないことが多すぎる。かつ、今も進行形で紛争がある。
オリンピックを見ているけれど、グルジアの選手の出場が(自分が知らないせいで)意外と多いことに驚く。オリンピックの商業主義的な華やかさと、選手の競技にかける思いとのギャップ。応援する人々のわがままな思いが飛び交う、メディアの中の言葉。

相反するいろんな思いが自分の中に渦巻いて、ざわめいた心に惑わされている。

現実の日常を見れば、やたらに8月は忙しかった、まだ、それは続いているけれど。人と関わる面白さを感じて、楽しんでイベントをこなしていくのだが、実際は追われるように次から次と準備と当日が繰り返された。

このような、時間の使い方をしていると、ふっと抜け落ちた時間に何もできなくなる。受身で、じっとして休むというような感じ。夏だから、多くの人が休みだからなんだか、企画ものも、戦争関連のものもキャッチしたいものも多いのに・・・。何も動いていない自分に焦りを感じる。

りんさんのブログで書かれてた、石内都さんの写真展「ひろしま Strings of Time」に広島に駆けつけたい思いだったがかなわず、エントリーを読んでやっぱり素晴らしい写真展であったことを知る。写真集で我慢だな。
そういえば、毎年行っている写真展に今年は行ってない。
「世界報道写真展 2008」 これは、何とか間に合うだろうから行ってこようと思う。
今回は、ビルマで亡くなった長井さんの作品が上映される。

インフォメーションは追記で。

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2008年08月19日

世界報道写真展 2008

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今日は、電車で仕事に出かけ、帰り道に梅田へ寄って「世界報道写真展2008」に行ってきた。
毎年、前年の大きな災害や紛争がテーマとして取り上げられるので、只中にいたカメラマンの目を通して、あらためて知る風景に衝撃や悲しみを感じる。

ケニアの大統領選挙の不正にともなう暴動、アフガニスタンに駐留する多国籍軍の兵士たち、大人から傷つけられた子供たち。
家を焼き討ちにされ、何もかも失った80歳のおばあさんが、猫だけを救い出して抱いて立っている姿。
この写真は印象深かった。希望のない村でこれからも生きていかなくてはならない、人々。写真は時が止まってもずっと続く、現実。

毎回、20分~30分のビデオ作品上映があるが、今回はビルマで倒れた長井健司さんの作品を編集したものだった。イラク・パレスチナ・ビルマの紛争地域の取材とタイのエイズの子供たちを追ったドキュメント。

タイで取材をしていた7歳の女の子は、とても可愛い顔でふざけて遊んでいる顔から始まり、病院でなくなるまでを追っていた。一家全てがエイズに感染、両親もエイズでなくし、双子だけが残った。孤児院入所したてのころは、沢山遊び相手がいて、食事があって嬉しい顔をした、どこにでもいそうな女の子だったが、なくなる前の表情は、その目は、どこの紛争地でも見る射抜いたような目だった。
何故、子供の私が死ななくてはならないの?苦しまなくてはならないの?痛い思いをしないといけないの?イラクの病院でも、アフガンの病院でも同じ目の子供たちはうんといる。

結局、大人のつけを子供が払い。ついには、人々は命のつながりを自ら絶ってしまうのだろうか?

あらためて、何も解決しない、学ばない私たちはどうすれば、傷つく人を減らせるのか?
自問しては、また、ため息する。


2008年08月31日

相方の旅~二風谷~

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相方のてじょんが旅をしてきた。手話落語の楽笑さん、ピエロののりぴー、ネイティブアメリカンと7年間暮らしていた環境教育プランナーの岡本さんの4人で、二風谷のアシリ・レラさんのアイヌの子供たちのフリースクールへ訪問にいった。
この仲間は、よくつるんで、いろんな場所で芸を披露して喜んでもらいながら交流をしている。

私は残念ながら行けなかったけれど、いつかは訪れたい。また、彼女たちを大阪へ呼ぼうとたくらんでいる。

洞爺湖サミットにちなんで、7月には先住民族サミットを取りまとめたのもアイヌの人達だ。今年の6月に日本の議会でやっとのことで「日本の先住民族」と認められた。遅すぎる。しかも、今までの搾取してきたことに対する謝罪(オーストラリアの首相がアボリジニの人々に謝罪したように)もない。

環境問題もどこもかしこも取り上げているが、多くの先住民の人達は生活の糧として自然のめぐみと真正面から向かい合っている。そのために真の環境問題の重さを知っている。多くの生活を和人に奪われてきて、そのたびに自然を失ってきた。聖地とよばれる「二風谷」もダムの建設で大きく環境を変えられてしまった。

二風谷のアイヌの人達の村で、彼らは多くの旅人やヒッピーのように放浪する若者を共同生活の中に受け入れていると知った。アイヌモシリ1万年祭というものも毎年開かれていて、若い人達が1000人もテントを張って参加するという。
彼らのコミューンは解放的で、とても面白かったようだ。

そして最大のトピックスは、トラックで跳ね飛ばしてしまった子鹿をもらいうけたアイヌの青年が、レラさんたちのところに持ち込んで、宝物のように、解体し、みんなで恵みを喜んで、いのちをいただく祭礼にも
参加できたことだったようだ。
そこには、祈りがあり、命がある。
生まれてから死ぬまで、ちゃんと理にかなったやり過ごし方・・・というのも変だが。自然のサイクルの1つとして、人は時間の中にいることを知らせてくれるような生き方をしてみたいものだ。

いいなあ~と話を聞いていて思った。
旅をしたいところは、沢山あるけど、また1つ増えたな。
りんさんやKATEKさんが読んだ、「コタンの笛」きっと、行ってみたいと思うだろうなと思い書いてみました。

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