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2011年12月 アーカイブ

2011年12月12日

東北を行く 1

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南相馬市
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雲雀ヶ原陸上競技場管理棟 避難所

先月、11月10日から12日まで、福島県南相馬市と宮城県石巻市で、避難所や宅老所などを回って、大阪のお気楽な手作り楽器や二胡などの演奏をさせていただいた。

あっと言う間に1ヶ月が経ってしまう。
忘れないために旅を記録してみる。

仙台空港に到着して、この地が繰り返し映像で見た、飛行機が流された場所か・・・と思ったが、空港はとても美しく、復興のための大変な労力があったことを感じさせられる。しかし傷跡は、あった。約2メートルほどの高さにある、空港外の屋根部分が大きくゆがんでいた。これから、出会う人、見るもの、色んな思いをいだきながら、この旅はスタートした。

レンタカーで全ての行程を動く。仲間は、私たち「けせらんパサラン」音楽チーム、手話落語家、交遊亭楽笑。整体師、介護士。その日うかがうことになっている、南相馬市の教育委員会の片平氏と、到着後連絡をとる。お昼一番に、仮設に行って欲しいとのこと。とりあえず、駐在されている避難所の雲雀ヶ原陸上競技場へ向かう。

車は、原発20K圏内に入っていく。何も見えない、臭わない、放射性物質の存在。
避難所は、現在もあり、仮説に入居できていない方々が生活をしている。
その日、白装束の若い女性がいた。今日、避難所を除染しているとのこと。
「トユが線量高くて、除染しても0.3マイクロシーベルトなんだな。」と片平さんは言っていた。

そこから、小池第3仮設の集会所に移動し、ちいさい会を開いた。演奏とお笑い、そして整体というセット。なんていうグループ名ですかと聞かれ、相方のてじょんは、おもわず「大阪底抜け脱線チーム」です。と答える。その名で、南相馬はすごす。なんのこっちゃ。けれど、大阪弁の変なグループを見て、聞いて、色んなことして一瞬気分をまぎらしてくれたならと切に思う。

それでは、と東北行きのために(電気をつかわない鍵盤を用意したいため)2ヶ月弱で、無理やり仕込んだアコーディオン。とても左手のボタンが難しいけれど、頑張って童謡や、二胡の伴奏を覚えた。てじょん持参のチンドン太鼓と連なって、仮設住宅の間を、イベント告知のために「道頓堀行進曲」「青い山脈」をアコーディオンで弾きつつ練りあるく。「今からイベントでっせ~」

多くのお年寄りが集会所に集まってくれた。
演奏などが終って交流すると、原発避難もお家を流されたのもダブルの人々も多い。
ちいさい5歳の女の子が、聞きもしないのに「お家ながされた」と教えてくれた。

この周辺にはとても、美しく柿が実っていた。冬の風景にあまりにも鮮やかな柿色。
仲間の一人が、おもわず1つ2つ、もいだ。けれど、お年寄りに言われたそうだ。
「こんなもの誰もたべないよ。食べたらいかんよ。」放射能に汚染された柿は、カラスにも食べられずにたわわに実をつけていた。 地震後、野鳥を見なくなったという。
地震でねぐらをうばわれたのでは、と友人が教えてくれた。
人も、ねぐらをうばわれたのだ。食も、職も、そして何よりも命を・・・。

海岸線を案内してもらう。
ここにも、残ったひ弱な一本の松。沢山の松林で、すてきな海岸の遊び場だったらしい。今は、基礎が残るだけで何もかもない。護岸のコンクリも隆起している。ひしゃげた消防自動車が放置され。多くの消防団が犠牲になった。

夜。避難所に戻る。
ここで暮らす人は、お弁当など外注されたものを食べていて、体調を崩す人も多いという。しばし、夕食後、同じように音楽・落語・肩もみなど整体でこころと体をほぐしてもらう。ここの人たちは、疲れがたまっているように見えた。ここから、学校や仕事に行く。心休まる、自分達だけの時間も得るのは難しいだろうに。

夜の道を宿泊先へ急いで移動する。やはり、夜は寒くなってきた。
コンビニで食事を調達し、ひたすら車を飛ばす。明日の朝は石巻でイベント。
あっという間に初日を終えた。

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2011年12月13日

東北 2

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飛行機から機影が映る海岸線

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石巻 三反走仮設住宅集会所にて

宿泊していた、松島から石巻へ移動。
JIM-NETの熊谷さんと、道の駅で待ち合わせ。上品の郷という道の駅には、古いオルガンを弾くおじさんがいた。足踏みオルガンで、童謡を弾いてくれる。なんともいえない懐かしく美しい響き・・・。

JIM-NETは、石巻と福島でも支援活動を行っている。それから、チョコレートも販売してます。イラクの子供達を支援。
イベントの先は三反走仮設住宅、多くの小学生が犠牲になった大川小学校の校区の人たちもいる。「流された」その言葉を聴くとき、その言葉を発する人の目には深い悲しみが宿る。あきらめに似たようなけれど、あきらめきれない。もうこれ以上失いようのないからだひとつで、この先まったくわからない生活。

あるおじいさんが言っていた。「おばあさんが、すごく怒りっぽくなってな。わしの年金で生活しとるのにわしに出て行けいうんや。」気分の変動も大きく、ご本人がいちばん苦しいのだとおもう。
ここでは、我々の整体チームが大活躍!みんな、自分の番を待っていてくれた。
座布団を敷いて本格的な整体。少しだけでも、からだをゆるめてほしい。

ここでも仮設のイベント告知にちんどんやで歩き回った。「いや~懐かしいわ」と出てきてくれるおばちゃん。しばし、立ち話。
お昼まで、交流をさせていただき、次の仮設住宅とデイサービスの方々のもとへ移動。

ここで、ジャズピアニストの河野さんと合流する。
寄贈したピアノをさっそく「おめざめコンサート」でフリージャズやおばあちゃんたちとのジャズセッション。参加型のピアノは楽しく盛り上がった。今回は、本当にお世話になった。河野さん。ありがたい。

ここは、「虹の丘」というデイサービスセンター。裏には仮設が建っている。このデイの理事長さんが土地を提供しているので、仮設の人も遊びに来てくれていた。
朝と同じように、にぎやかしをした。

そして、今日の宿泊先は、長期ボランティアさんたちが逗留している場所。
桃生公民館が共同支援ネットワークという福祉系ボランティア団体に提供されていて、
そこで世話役の方が、食事や寝床を提供してくれていた。

2011年12月14日

東北を行く3

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ちょこらい さん

共同支援ネットワークで宿泊した翌朝、近所のお年寄りのお宅に訪問した。
明るいおばあちゃんだったけれど、独居で身の回りに必要なものが手に届くように並べてある。いろんなことが多分不便だとおもうのだけれど、ボランティアのみんなと一緒に大勢で伺ったのに、楽しくおしゃべりしてひと時を過ごした。

さあ、今日は宅老所「ちょこらい」さんにうかがう。
お茶っこスペースちょこらいは、一般のお宅だが、震災後を仮設におられる方々などのために開放することにされた。代表の吉田千代子さんの名前にちなんで「ちよこんち(家)」という意味で地元の言葉で言うと「ちょこらい」。

また、我々のチームがにぎやかしをさせていただく。

みんな、明るく元気にしておられるけれど、石巻も津波被害は大きい。
近くの石ノ森章太郎の石ノ森漫画館のそばに橋が架かっている。
内海橋という。そこの中洲には、昔の風情をのこした「岡田劇場」という映画館があった。ちょこらいの吉田さんは、子供のころから娯楽といえばここで映画をよく観たという。それが中州ごとすっかりなくなり、とてもショックだった。と話していた。

子供の時から過ごした街が、街ごとすっかり消えた。
取り戻しようのない喪失感が、こころの奥深くにどしんとある。
ちょこらいのお家も、津波のときは水に浸かった。直後は、ボランティアさんたちに助けられ、なんとか片付けたけれど、何もする気にならなかった。

でも、このままではダメだとおもってつくったのが、この憩いのスペースだ。
寄り合うことの大切さがこの旅でひしひしと伝わる。
色んな場所で、色んな人が、被災しながらも、あるいは外部からも、考えて支援を続けている。震災の3月以来、また寒い冬がやってきている。

仮設では、外側から断熱材を貼っているお家や、二重サッシにしたりと工夫はあるが、根本的に暑く、寒い仮の建物。おそらく、地域差もあるとおもう。
気持ちを春へ、先へよいことがありますように、見守り、そしてまた、その地に訪問したい。


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2011年12月28日

第九で9条パレードに参加

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御堂筋でパレードの様子

今年も終わりに近づいた。今日は、ホスピスで演奏をさせていただいた。本当に今日会った方々と次にお会いすることがないという、ホスピスでのボランティア演奏はかえって普段どおりにやっている。冗談をいい、歌を歌い、楽器をもって側まで行ってお一人お一人と握手する。

お部屋からベッドごとロビーに出てきてくれる方、車椅子で参加する方。にこやかにひと時を一緒に過ごした。

先日は、23日多くの人が街にあふれかえっている御堂筋を、ベートーベンの第九に日本国憲法第9条を歌詞に乗せて、平和を訴える活動をしている秋元さんに誘われ、今回で5年目、50回を向かえるパレードに参加させていただいた。

東北へ行くために始めたアコーディオンがここでも登場。最近は、どこへでも連れて行く。へたくそであろうがなかろうが、この楽器の機動性、サウンドの魅力は捨てがたく、新たな音楽との出会いにとっても楽しんでいる。

毎日新聞、大阪日日新聞、赤旗と民主新報が取材してくれたと主催者からメールがきた。辺野古環境アセス、武器輸出3原則緩和など良くない空気が渦巻いている。
原発の時のように、無関心でいるとどんなことになるか。今年私たちは、痛いほど知らされた。

来年も。あちこちに出向きます。

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