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2006年02月27日

映画「あんにょん・サヨナラ」

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日本版と英語版フライヤー

26日朝からひどく雨の降る日曜日、ドーンセンターで映画「あんにょん・サヨナラ」を観て、主役のイ・ヒジャさんと古川雅基さんのお話を聞くことができた。この映画は前から観たかったものだが、私の認識では、韓国の戦死者が靖国神社に合祀されているということに対して、分祀を要求する訴訟を起こした韓国の人の話だという、ぼんやりとしたものだった。どのように靖国は描かれているのか?興味があった。

この映画は、日本では山形国際ドキュメンタリー映画際特別招待作品として上映され、韓国では第10回釜山国際映画祭優秀ドキュメンタリー賞を受賞。ソウル独立映画祭の大賞も受賞している。

このところ、戦争にまつわる映画は良く観ている。でも、これはその中でもいちばん「こたえた」作品だった。イラクやパレスチナ今ある、戦争を扱ったテーマの映画には、想像力を駆使して、本で知識をおぎなって考えることにしているが、今回は違った。わたしにとって靖国神社は、常にその存在そのものに違和感があり、日本人の戦没者であっても、神道でいう神さまにされることも、魂を勝手にもっていかれることも反対だと思っている。けれど、今回はこの映画で問題を「つきつけ」られた感がある。何してんねん。自分は~。と思うような苦しさ。日本にいて、この国の戦争の後始末がまだすんでへんやないか。その当事者である自分は何をしているのか?と。

主人公のイ・ヒジャさんは、お父さんを戦争で亡くした。そのことは戦後ずっと家族に知らされることはなかった。それを知ったのは、1995年防衛庁からだったが、日本政府は、遺族に何のことわりもなく靖国神社にお父さんの名簿を合祀していたのだった。その合祀を取り下げてもらう訴訟を起こした。
ヒジャさんを支える日本の在韓軍人軍属裁判を支援する会の古川さんは、彼女に出会い、日本の戦没者の遺族も同じように、靖国合祀や忠魂碑反対などを訴えていることを追っていく。

ヒジャさんは、この活動について「お父さんの子どもとして運命」として捉えている。
この映画では、右翼活動家の靖国に対する考えを語るシーンがある。わたしとしては、その言葉を聞くのがとても辛かった。相容れない考えに向かい合う時。けれど、右翼の中には鈴木邦夫氏のように、祀って欲しくないものは、合祀しなくていい。とか、8月15日に軍服を着て参拝する必要はない。など、対話のできる部分もあったという。(これは映画では使われていない)
ヒジャさんは、これからもソフトな右翼であれ、ハードな右翼であれ対話を重ねたいと言っていた。大変なエネルギーを要するだろうに・・・・。

靖国神社前で争うシーン。未だに心無い言葉をはく「日本人」。
「靖国神社」について何も感じない、何も知らないで存在を容認し賛美しつづける、その無知は罪深い。
神を分祀できないといって、紙の名簿で祀るという矛盾。人の手で作られた宗教で、人を引き裂くのはやめて欲しい。
何故か、戦争のにおいは宗教の周辺でぷんぷんする。宗教を利用した、天皇を神と言った過ちを、私は知らなくてはいけない。

本当に感動というよりも、若い人に沢山観て欲しい映画である。
大阪ではシネ・ヌーヴォで7月公開。それ以外でも自主上映が各地で開かれる。
詳細はHPで http://www.gun-gun.jp

投稿者 pianocraft : 01:23 | コメント (6) | トラックバック

2006年02月25日

ヴィゴ来日!「ヒストリー・オブ・バイオレンス」

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ヒストリー・オブ・バイオレンス」2005年アメリカ/ カナダ

ヴィゴ・モーテンセンについて書くと、少々冷静さに欠くかもしれないことをお許しいただきたい。
ヴィゴは、この「ヒストリー・オブ・バイオレンス」デビット・クローネンバーグ監督の作品のプロモーションのために来日している。カナダ大使館でプレミアがおこなわれたらしいが、配給会社のファンへの対応は失望させるものであったようだ。

この日本の地にヴィゴがいることについて、どう思うか?と聞かれたら、どうとも思わないというのが正直な感想だ。なにせ、プレミアは東京で開かれるし、実感がわかないからね。そりゃ、たまたまパブで隣にすわって飲んでいたなんて状況があれば別だけど。(きっと、別の自分になるかもしれないな)

ところで、この映画に関して「暴力」に対してヴィゴはどう思うか?というインタビューで、「暴力は本質的には自己破壊であり、他者にたいする攻撃は結局、自分自身への攻撃となる」というようなことを言っている。これは、彼がアメリカ政府のイラク攻撃を批判したりする活動にも通じるように思われる。自身で詩を書き、絵を描き、写真を撮る表現活動をする、変わり者の俳優であるから、繊細な表現者の感性というべきか。

ヴィゴは、息子をイラク戦争で失い、ブッシュに息子の戦争での犬死の謝罪をもとめる運動を展開している「シンディー・シーハン」さんをキャンプに訪問した事は、blogでも書いたが、そのときのシンディの様子をヴィゴファンのmisaさんのインタビュー翻訳で知った。以下、引用させて頂きます。(全文はhttp://viggowords.exblog.jp/i3

<モーテンセンを見てシーハンの精神が高揚したとあなたは思うかもしれない。彼の生気に満ちた青い瞳、くぼみのある顎、2x4の切り口のようにスクエアな所、彼のビーフジャーキーのように無駄のない体格に。いや、彼女は青ざめたのだ。

「彼女には奇妙なことだったんだ」ヴィゴは彼女の打ちひしがれた顔を思い起こしながら言う。何が彼女を動揺させたのかを知ったのは後になってからだった。シンディと息子が最後に一緒にしたことの一つが、モーテンセンを脇役からスターへと変えた『ロード・オブ・ザ・リング』3部作の最終作『王の帰還』を見ることだった。だからヴィゴが自分に向かって歩いてくるのを見たとき、一瞬ゴンドールの王冠への流浪の後継者、アラゴルンだけを見たのだ。そしてその同じ瞬間、彼女は死んだ息子の存在を感じた。>

アラゴルンの姿を見たというのは、胸に詰まる思いだっただろう。息子との大切な思い出。
あの「ロード・オブ・ザ・リング」は、確かに壮大で大好きなのだけれど、いろんな種が争う戦争映画だ。
どう考えても暴力はどこにも満ちている。現実にも映画にも。ごく近くの暴力と国の振るう暴力。これは、サイズが違うだけで、攻撃と報復の繰り返しで生まれるものはなく、失う命とカウントされる死者のみだ。
この映画を冷静に、見られるだろうか?リアルな映画をうんと観てきた今のわたしに。ヴィゴに見とれてしまうだけの映画にならないことを期待している。

関連記事
http://www.pianocraftwork.com/mt/archives/000175.html

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2006年02月19日

ついに「ホテル・ルワンダ」を観た

この「ホテル・ルワンダ」は公開までの「思い」がとても強い映画だった。昨年のアカデミー賞授賞式「Ray」のジェイミー・フォックスが賞をとるか見ていて、他に主演男優賞にノミネートされていた「ホテル・ルワンダ」のドン・チードルを解説していてこの映画の内容を知った。その後のこの映画公開までの道のりは、「ホテル・ルワンダ日本公開を応援する会」のHPを観て欲しい。

何度も、ルワンダの大虐殺についての情報を読んでいるし、この映画の主役の行動についても、映画のストーリーもすべて知っていたけれど、映画をみることで、文字で知っている事では得られない人間の息遣いや風景を突きつけられた感がする。
もっとも強烈に揺り動かされたのは、国連のベルギー軍がやっとやってきて、これでツチの人たちも救われると思ったとたんに、裏切られるシーンだ。救われたのは外国人だけだった。世界は自分達を見捨てたと知ったとき。このシーンをみていて、自分はどちら側から今見ているのだろう?と思った。
残された人の絶望感か去っていく外国人が感じている不甲斐なさ、無力さだろうか?傍観者として映画に立ち会ってしまった私は、どこにいたのか?

たぶん、無力である自分だろう。
しかも、これは映画ではあっても、事実だったから。
主人公のポールに焦点をあててこの映画はつくられている、虐殺全体を映し出そうとしたのではなく。それには、この映画の監督の意思があった。アイルランド紛争の只中にいたテリー・ジョージ監督の目線。祖国が同じ民族で引き裂かれる苦痛を知っている。
自分達の身近で、隣人や身近な友人が2つに引き裂かれたら?どうだろう?
この映画のメッセージは、そういうことを考えることなのだと<ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記>で町山さんが書いていた。

1994年あなたは何をしてました?阪神大震災の前年。何も心配の要らない普通の生活をして、国際情勢に強く批判をもつことも、関心をもつこともしていなかった。今日は心が強烈にしめつけられました。
大阪のシネ・ヌーヴォは、たぶんこんなミニ・シアターではあまりない、補助席も出した満員の上映だった。
これは、新聞・雑誌でたびたびとりあげられた結果だろう。でも本当に多くの人が見て欲しい。
ロビーにはルワンダに当時、緊急支援に駆けつけたAMDAの活動の写真展示があった。
AMDAのサイトで、当時の支援の様子が報告されている。
現在は、先日起こったフィリピン、レイテ島の地すべりの緊急支援の呼びかけを行っている。

今もアフリカはさまざまな問題を抱えている。
アフリカだけはないけれど。

投稿者 pianocraft : 23:00 | コメント (2) | トラックバック

2006年02月18日

「いのちの輝きを伝えたい」コンサート

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今日は、ピアノクラフトワークの調律のお客さんでもある、廣澤大介君の出演するバイオリンと声楽のコンサートに行ってきた。このコンサートは、石井子どもと文化研究所くるみ、青年の自立支援研究会の主催である。大介君は小さいころからLDを持っており、石井子どもと文化研究所に通っているが、音楽が大好きで、バイオリンに熱心にとりくんでいる。今日は、彼のバイオリン演奏と視覚障害を持っている、バリトン歌手の時田直也さんが出演した。

企画に当たったのは、昨年、行った松野迅さんのバイオリンコンサートでピアノ伴奏をしていた榊原契保さん。この榊原さんは、やっぱりウチの調律のお客さんのピアノの先生でもある。

大介君のバイオリンは時にやさしく、ノリに乗っているときはピッチもボーイングもばっちりで迫力がある音がでている。榊原さんとのコンビもよい。この榊原さんは、いろんな人間との出会いを大切にしているとかたる。優しさと思いやりの心で会場がいっぱいになるようなコンサートを目指したそうだ。
確かに音楽は、言葉を超える。その人の状況も越える。例え、障害があろうがなかろうが、若かろうが老人であろうが奏でる音は、その人の音であるから。

もう一人の出演者、聴覚障害をもつバリトン歌手、時田さん。彼は、ピアノの弾き語りをした。よくとおるバリトンの声でしゃべるバリトン歌手と化した。こんなにおしゃべりな声楽家は初めてだ。自分の生まれたときからの障害を両親が受け入れた話や、酔っ払いのオジさんに「手引き」をしてもらった話と人との出会いを宝物のようにする彼の言葉が印象深かった。人はひとりでは生きていけない。誰かの役に立ち、一方で手助けを受ける。彼の経験から出た言葉は重く、深い。

時々、障害をもった人と接したり、であったりしてるときにふと思う。障害がないほうがイビツな人間のような気がする。実は、いろいろみんな不自由な部分があるとおもうけれど、それが社会生活の中でたいした問題になっていないために、何の問題もなく過ごしていると勘違いしているけれど、人はすくなくとも「老化」という逆らえない時の流れのお陰で、日に日に障害を負って生きていく。もう、めがねが離せないないもんな~。いまや。かくして、人と人は出会い、刺激を受けて前に進む。これしかないな。

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2006年02月15日

Black History Month~黒人歴史月間

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JAFAイベント(大阪)

2月がアメリカではBlack History Month(黒人歴史月間)であることは、新聞でもちらっと書いてあったりして知るところのなのだが。
この月間について、映画俳優のモーガンフリーマンは、こんなもんはいらないと言う発言をアメリカのTV番組”60ミニッツ”のインタビューで答えている。原文はコチラのサイト
ようするに、アメリカの歴史そのもが黒人史であって、とりたててこの一月間だけに押し込めるのはおかしい。という主張だ。というわけで、そもそもこれは1926年、歴史学者のカーター・G・ウッドソンが設定した「ニグロ・ヒストリー週間」から変化していったもので、本当は黒人歴史を強調して意識する必要もないくらい差別がなくなれば、なくなっていけばいいものと捉えていたようだが、いかんせんモーガンフリーマンが怒ったとて、アメリカでは、ハリケーンでしわ寄せをくうのも、学資のためにイラクへ行くのもアフリカ系アメリカ人というわけだ。

アメリカでは、この月間に多くの展示会、講演会、音楽イベントなどが開かれる。
そこで、日本でもアフリカンアメリカンの団体JAFAがイベントを開く。
そこにわがHarlemJPChoirが出演させていただくことになった。
ゴスペルはまさに、アフリカンアメリカンの人たちにとって、苦しいアメリカでの生活に欠かせなったものだ。選曲も、ブラックゴスペルのスピリチュアルものを選んで、ディープに盛り上がりたいものだ!!
今、来日中のわが愛する講師Butch Heywardさんと素敵なライブになればいいと思っている。

詳細はJAFA HPイベント情報 http://www.jafa.org/japanese/news/news.php
場所は心斎橋 SAVANNA
おいしいソウルフードも有るらしいです。ブラックヒストリーについてのドキュメントフィルムの上映も有ります。


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2006年02月12日

宗教国家

今日のNHKスペシャルは、「イラク シーア派台頭の衝撃」というタイトルだった。これは、先日読んだ「リバーベンドの日記 Baghdad Burning」でもあきらかにされている事だけれど、イラクがイランのような「イスラム教国家」になろうとしているということを取材しているものだった。

悪政でありながらも、イラクの多数の異なった宗教・民族を束ねてきたフセイン政権が倒れ、アメリカが占領するようになったイラク。
リバーは、このように書いている。

<悲惨な状況にあって人々が宗教にすがるのは、驚くようなことじゃないでしょ? 同じことは、世界のいたるところで見られる。津波、ハリケーン、地震、経済封鎖、戦争・・・そのさ中におかれた人々は神々に寄りすがる。多くの人にとって、たとえこの世のよすがすべてが滅んでも、至高の存在は不滅だからだ――いたって簡単なこと。
これは私の個人的な考えだけれど、多くのイラク人は3年に及ぶ占領にすっかり失望して、反アメリカ、反占領に1票をと思い宗教政党に投票したのだ。>

イラクでは政教分離がイラク戦争以前は成立していた。特に、リバーの住むバクダッドなどでは、シーア派もスンニ派もキリスト教徒もいっしょに隣り合って生活することができた。隣人として。
よく、イラク戦争で武装勢力の拠点とした一部の地域を「スンニトライアングル」という言い方をした時期があったが、高遠菜穂子さんも講演でそんなものは、米兵が空中から三角形をながめただけに過ぎない。そこでは、スンニ派以外でもキリスト教徒もいるとイラク人が言う。そう呼ばれる事を嫌がっているということが言われている。

確かに、宗派として成り立ちが違う、今までの権力の配分が違っていた、そんな利害が残っていることは確かだけれど、それを宗教国家としての権限に引き上げるとどういうことになるか?
リバーは日記でこのように書いている。
<イラクのように多様な人々の暮らす国で、宗教政党が政権につくと、困ったことに人は無意識に、その政党つまりその宗派でない人間を遠ざけてしまう。宗教は個人的なもの。運命的に定められた何ものか・・・心、精神、霊に関わること。日々の営みの中には喜び招き入れられても、政治の道具とされてはならない。 >

私は、リバーのような女性達にとってイスラム原理主義の国家というのが、いかに不自由な体制になるだろうかと想像する。痛烈に、リバーも日記にもかいているが、おおらかに日常にイスラム教の信仰と共に生きるというのと、非常に厳しい制限をして生きていくのでは世界が違う。
宗教は、時に人を縛る。
国の政治とその国の国民、民族と宗教。それぞれが違っていて、その国の人に共感できる部分がでてきたりするのに、すべてを一色に塗り替えると、上塗りするか、消す事しかできなくなる。

イラクがまだ占領下にあるということも大問題だけれど。
人が民族や宗派であちこちで争いになることは、人間の不幸だ。

投稿者 pianocraft : 23:13 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月08日

救霊会館賛美

大阪の西成、労働者の街。そこに救霊会館というキリスト教会がある。今日はそこで、韓国からきた教会の青年達と共に日韓友好賛美礼拝というのがあり、ハーレムJPクアイアの一員として参加した。

ここで聞いてくれる人たちは、多くはここのおっちゃん、おばちゃんたちだ、昨年も一度歌わせてもらう機会があったが、そのときはコンサート終了後に食事サービスがあったので、「アンコール?」「もうええ、もうええ」てな感じで、はやく飯にありつきたい一心のおっちゃんも何人もいた。あたりまえである。歌ではおなか一杯にならないからな。
今日は、韓国のチームも賛美し、わたしたちも歌ったけれど、寒い中教会は少しは居心地のいい居場所だったのかもしれないなと思った。

先日、大阪では大阪城公園と靱公園でホームレスのブルーテントの強制撤去があった。その前に丁度、公園に住民登録をしようとしたホームレスの人がそれを拒否した北区に裁判で勝った事例があったり、ホームレス対策はもっと新しい局面も考えなくてはいけないように思う。公園から追い出された人たちは、まわりの公園にいったり、病院に入院したり、すこし遠くへ移動しただけだ。
それぞれの事情も、意欲も違いすぎる。そこをすくい上げるのは、難しい問題かもしれない。自立に向けた支援も単純ではないだろう。
けれど、追い払っても解決しない。ここ大阪はほんとに豊かではない場所だ。人もお金も。経済格差のひずみがうんと凝縮してる。

こんな日に、ニュースの一番の話題は、一人の女の腹の中の子どもを大勢の他人が心配してるというヤツだ。大きなお世話だ。天皇の継承者?彼らは国に幽閉された一族だ。いっそ解放運動なんてどうかな?

投稿者 pianocraft : 23:57 | コメント (6) | トラックバック

2006年02月05日

ピアノクラブ

ピアノが好き!という仲間を集めて、連弾など乱れ弾きをして遊ぼうという、半ば行き先の見えない「ピアノクラブ」を開催した。

そもそもこの企画は、メンバー2人の「マツケンサンバ連弾譜を弾こう!」ということからスタートした。
なかなか、リズムの複雑な連弾譜は難しいのだ。それでも、ヘルプがありつつ最終章まで弾いていた。
私は、多くは傍観者であったけれど、「ブギ」だけはさせていただきました。

これも興が乗ってくると、乱れ打ちができて楽しい。ベースを誰かが弾いてくれて、「おかず」ばっかり弾くまくっても許されるので嬉しい。
いろんなセッションをしてきたが、ピアノだらけのセッションというのは結構特殊な状況なのだ。
確か、100フィンガースという企画でスタインウエイピアノを10台、円になるように並べて、ジャズピアニストがセッションするっていうのがあったが、あるルールでジャズのようなフリーインプロビゼイションでピアノを弾き合うっていうのにあこがれるな。

でも、ピアノ好きが集まったけれど、それぞれのキャリアも得意分野も違うので、統一した何かをするには前もって準備が必要だとわかった。次はテーマを決めよう!
また、連弾譜の低音パートが両手へ音記号であるっていうのになかなか慣れることができなかったりと、あらためて知った難しさもあって面白かった~。

刺激になり、別の分野への挑戦の意欲もわいてきたりして。
途中から、私の父のチェロ指導が始り、一時は「弦楽くらぶ」になったり、手作り楽器であそんだりと、ずいぶんと音をおもちゃに遊んでもらって楽しかったです。
日頃は、こつこつ上司や会社の仕事に追われて息抜きしないと大変な女性プラス男性一名が明日もピアノに向かって鍵盤と戯れることを期待して。

投稿者 pianocraft : 23:55 | コメント (4) | トラックバック

2006年02月03日

アメリカサイドから見た湾岸戦争

久しぶりに映画で消化不良。試写会に当たったので、「ジャーヘッド」という映画を見ることになった。<湾岸戦争を米軍の一海兵隊員の目で見たもの>という触れ込みだったので、どうせアメリカサイドから見た戦争だろうけれど、あの時現実離れした、花火のようなスカッドミサイルをTVで茶の間で見ていたあの戦争が、地べたではどのようだったのか、原作の手記に基づいて映画化されているのなら、見てみようという気持ちだった。

ところが、原作は読んでいないが、軍隊の暴力的な非人間的な扱いや兵隊達の性的興味には辟易する。「ジャーヘッド」の意味も、兵隊の坊主頭のことを「からっぽのびん」に例えて海兵隊員のことを称すらしい。確かに、頭を空っぽにして、殺人の事しか考えられないような訓練をするからね。

主人公は狙撃主として前線に立つ、一発でしとめる役割を担う。戦争が終わってアメリカに帰っても銃をたずさえてココロは砂漠をさまよっている。
この映画のコピーも、うんざりだ。

見終わっても釈然としない。共感もできない。
いつも、米軍と逆方向から現実の情報を得ているからだろう。
今日きた週刊金曜日にもイラクの記事が載っている。

>■砂上の侵略者(上)
イラクで起きていること
空爆という名の無差別殺戮(成澤 宗男)
3年前のイラク侵略勃発当初にあった「戦争反対」の声は今や薄れ、新聞紙上では「テロの惨事」といった記事が目立つ。
だが、表面下に隠されている巨大な悲劇と暗闘は伝わってこない。
今週から3回にわけてそれを追う。

というものだ。
だんだん疲弊してきたアメリカ軍は、ベトナムの時のように空爆を増やしていってるという。
空爆の五00トン爆弾の落ちる先は、民家であり、医療機関だ。
犠牲者の多くが女性や子ども。被害を受けた悲惨な子どもの写真も掲載されている。
これが現実だ。

人には殺すために生きている人間と殺されるために生きている人間と2種類しかいないのか?
軍隊はそういうところだ。
日本の自衛隊はせっせと米軍を運んでいる。そちらがわに行きたくないのに。

投稿者 pianocraft : 23:54 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月02日

大阪の子どもたち

otona.jpg「大阪府青少年育成条例冊子」

2月1日付けで、大阪府青少年育成条例の一部改正が施行された。
TVなどいろんなところで取り上げられ、ワイドショーのコメンテイターがいろいろ好きな事を言っていた。
こと細かくに規定してあるので、詳しくはリンク先の「大人の責任」という冊子のPDFファイルを読んでもらうとして、大きくは以下のような分類だ。
●立ち入らせない
夜間営業する業種の施設への立ち入りの制限 16歳未満午後7時~翌日午前5時、16歳以上18歳未満  午後11時~翌日午前5時(保護者同伴等の条件つきの16歳未満も)
●外出させない
16歳未満 午後8時~翌日午前4時、16歳~18歳未満 午後11時~翌日午前4時
●見せない
有害図書の販売、貸し付け、閲覧
●持たせない
有害玩具
●買わない
古物、着用済み下着(青少年から買う)
●誘わない
●アクセスさせない 有害サイト

というのを書きつつ、ウチの16歳は友人の誕生日ケーキとプレゼントをもってお泊りに行った。
行く前にインタビューしてみた。
「カラオケで遅い時間は入られへんねんで。」
「10時過ぎたら、もとから学生証はださへん(学割放棄)だからバレナイ(本当は黙認でしょ)」
「店にとってかえってお客がおこったらキレられてややこしいやん。」
などと言っていた。
まあ、こやつは夜中にうろうろしてることはあまりないが、保育園時代(0歳児クラス)からの友達の家にはそこの親とも仲良くてよく出かける。そこでは直に我が子に聞けないことを相談されてしているらしく、「いつも子どもさんにお世話になってます」てな言葉をいただくと、奇妙な気がするが、まずは信頼している。
大人は、夜回り先生のように子どもを本当に「育成」するために、暖かい言葉と視線をもってやれているのだろうか?この条例の冊子の裏表紙には、「子どもたちを健やかに育てるために、ダメなものはダメ!とハッキリいえる大人に」とかいてある。でも本当は子どもを食い物にしているのは大人の側だろう。
ダメといわれすぎた子どもが夜に出かけていく。あるいは、塾に行くことで夜の外出はこわくなくなる。
子どもがやたら、夜にいるのは確かだ。
でも、夜中まで大人が遊んでいるのも確かだ。
なんだか、歪んでいると思う。ある種の規制はいるだろうが、最近、大人が大人でない。
一緒に子どもを連れて夜遅くまで、カラオケするのというのも感心しない。子どもが子どもの時間を失っているというのは、紛争地だけでないな。とあらためて思った。
なので条例で規制しても効果は果たして上がるのか???という感想でした。
さて罰金の第一号はいつ現れるのか?

子どもには子どもの事情がある。そこをいかに時間をかけて付き合うか。反省をしながら今まできた。多くは、確信をもてずに、やってきたけど。
けれど、子どもが一人前になったな。と評価するのにはうんと時間をやらなくてはならないと思う。これは自戒を込めて。

少なくとも大阪府に口出ししてほしいと思わない。
まあ、簡単にオヤが悪いんだという単純な結論を信用しない。親だけじゃ有りませんよ、大人全部です。

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