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2006年03月31日

しなやかな・・

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今月読んだ週刊金曜日の中のコラムで、佐高信が書いた「三つのお願い」になるほどと思ったことがある。
9条や平和運動、あるいはその他の市民運動でも、まじめな人がまじめに取り組んで、理屈だけの骨皮筋衛門になってしまうことをやんわり批判している。掲載されてる週刊金曜日そのものもお堅い。猥雑さがない。そこで、佐高は「3つのお願い」を書いている。なんだか歌のタイトルみたいだけれど。

それというのは、
1、例えば「憲法9条」云々というのではなく、9条の9の字も出さないで平和を語る。
2、大きな声でなく囁くように語る。(やたら大声で演説することは相手に伝える事を考えていない)
3、一本調子にならずに抑揚をつけて話して欲しい。
といったようなものだ。

特に、憲法9条については、例えばマガジン9条など、若い人にもとっつきやすく、キャラクターも取り組みにも愛嬌があるサイトがある。だけれど、9条問題に興味の無い人はたどり着かないだろう。ならば、ごく身近な問題としてとらえた話を伝える事ができたら、その先にいくことができるのではないか。
つい、伝えたい思いが強すぎて、かえって相手に引かせてしまうことがあることは、何も平和をつたえることに関わらず、どんな人間関係の中にもある。

そして、演説したりこぶしを上げたりせずに普通の感覚で共感できる話としてできれば、身近に語っていくことも難しくない。
うんと前に、絵本の読み聞かせの上手な人の話を聞いた事がある。
こどもたちが集中しない時、大声で読むよりも「囁くように」読むほうが「何があるのだろう?」という興味を引かせてしっかりお話が聞ける。と。

私は、運動のまん中で駆けずり回ってる人間ではないけれど、情報をキャッチし、考え、書き、人と話すことが地道な平和への歩みとなればいいと希望的に思っている。
人が人に繋いで行く、この地味な作業は実は、九条の会の呼びかけ人の人達の中で行われているようだ。小学校単位の全戸訪問など、頭が下がる。ごく普通の人とどれだけ対話が成立するだろうか?

9条を守るといっても国民投票の是非など、運動の方向はまちまちなのだが、間違っていないのは身近な人たちと意識を共有できる「対話」のあり方だと思う。
しなやかに・・・。対話を試みることができますように。努力してみます。

投稿者 pianocraft : 23:45 | コメント (2) | トラックバック

2006年03月25日

スポーツ 民族主義

WBCで試合が行われていた期間、異様にテンションの高いイチロー選手が、「日の丸を背負って戦う」と言っているのを聞いた。私にとってこれは気持ち悪い言葉だ。オリンピックもそう。うちでは自衛隊のつける日の丸を見て相方はよく言う。「一発で殺せる急所に日の丸がついてて、狙いやすいな」って。
学校では入学式・卒業式で壇上正面に掲げられる日の丸。いろんなところで、このごろ目にする。
そうは言っても、昔祝祭日は家の前に旗を掲げる金具があり、斜めに旗は掲げられていた。そんなことも覚えている。嫌いになったのは、日本がいつまでたっても戦争で何をしたかを省みないことを知ったとき。

何も知らないということは、無垢でも無邪気でもない。
何故、国際試合になると、お気楽な愛国主義者が大勢現れるんだ?
ことに日本のように、国境を共有する陸続きの線を持たない国は、国の土地を分かつ紛争を今まで経験していないから、いくつかの宗教や民族が移動し混ざり合うという実感がもてないから?国とは何か?
私にとってはいつでも、単なる地球の線引きだ。

確かに他者を受け入れるのは、同じ日本に住む同じ言語を喋る人間でも難しい事がある。
だが、理解しないで拒否するのはとても簡単な事なのだ。争う事もまた簡単。戦争もまた。
相手に対し優位に感じる、裏返せば差別意識をもつとき、民族主義はより高みに上り詰めるように思う。

この間、アメリカのTV番組で話題になっているものがあると知った。
特殊メイクで白人が黒人メイク。黒人が白人メイクをして街にでていつものように生活してみる。
すると、白人メイクで靴屋に行った人が、生れて初めて店員に靴を履かせてもらった。という。反対に黒人メイクの人は「黒人がこの辺には住んでいないから治安がいい」などと皮肉を言われる。

*このTV放送はブログ「ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記」でも紹介されています。

このように差別意識は誰にでも潜んでいると考えたほうがいい。その上で、自分がその意識とどう関わるかと常に見張っておく必要がある。

イラクでは開戦3年を迎えたが、シーア派・スンニ派の泥沼の争いが続く。
それは宗教が政治に「違い」を利用しようとしているから。差別とはまた違う、「違い」。イデオロギーの違い、信仰の有り方の違い、この世は何ひとつとして同じものは無いと思うのに。
近ければ、近いほど些細な違いに、矛先が向けられていく。
シーア派とスンニ派の見分け方について、「壊れる前に・・・」のうにさんが書いてたな・・・・
リバーベンドの日記を読んでも、小さい時から人からどっちか?とさりげなく聞かれることはあったが、おかあさんにそう言うと、「なぜそんな事を気にするのか?」と言われた。彼女の親戚は半分がスンニ派、半分がシーア派だから。共存はあたりまえ。今、どんなに心を痛めているだろうか?

ローカルに地域を応援する事は良い。それがないと盛り上がらないことも判る。けれど、それが日の丸をしょってるっていうように思わないで欲しい。日本でなくてもいい。友達の国を応援したっていい。
WBCは勝って一瞬喜び、コメントを聞くたびテンションがさがり、興ざめした。

投稿者 pianocraft : 22:19 | コメント (2) | トラックバック

2006年03月24日

ブログを休んで「ダ・ヴィンチ・コード」にハマル

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タイトルどおり。今週は会議もあったり、その準備があったり、仕事と別のこととが重なり、気持ち的にばたついた。といいながらも、日頃は新書マニア(?)の私がめずらしくベストセラーを手にした。あんまり、ベストセラーといわれると、たいがい読む気がうせるのだけど、今回はすこし違った。
何の事は無い、「ダ・ヴィンチ・コード」が文庫化されたからだ。そして映画公開も決まっていて、読んでおきたかった。
ダヴィンチにまつわる謎めいた話。そして、イエスキリストの結婚説を扱うストーリー。これに惹かれた。

この本には、名画うんちく、キリスト教うんちくが満載で、そして映像を是非見たいと思わせる美術、建造物の描写にひきつけられた。ヨーロッパに行ったことがないけれど、本物見てみたいよな・・・と思わせる。ネタばれがおおいにあるが、角川のサイトも面白い。

この話のキーワードは女性だ。キリスト教における女性。そもそも、聖杯伝説やシオン修道会、オプスデイ、テンプル騎士団などのお話は古くから知られているらしい。ネットでごく簡単に見つかる。オプスデイの日本語サイトもある。そんななか。キリスト教に限らず、宗教が原理主義的になっていくと、「女性」は忌み嫌われる。その理由はひとつ「男を惑わす」ことにあるらしい。男を惑わすためでなくて、女性は存在してるはずなのだが、男が力を持つ社会では、差別対象となる。

アフガニスタンでは、タリバンが女の子の教育に介入して、学校にいかせないように脅しをかけたりしている。日本では、ジェンダフリーという言葉狩りをしている。いつも差別の底辺にいるのが、女性。
なぜか?人間同志の違いを考えるときの最小単位は男女の性別だ。どの世界にもある、男女、雌雄。
この二つの文化領域をどちらかが、支配しようとするとき。宗教を理由にしたり、社会的性的役割を理由にしたり、身体的相違を理由にしたり・・・・・きりない。

また、話の本筋にあるキリスト教について「ダ・ヴィンチ・コード」の作者ダン・ブラウンにインタビューしているのが面白い。

角川書店サイトから引用
<■あなたはキリスト教徒ですか。

 そうですが、最も伝統的な意味におけるキリスト教徒とは言えないかもしれません。キリスト教徒とはどういうものかと3人に尋ねたら、三者三様の答が返ってくるはずです。洗礼を受ければそれでじゅうぶんだと感じる人もいるでしょう。聖書の記述は歴史的にも完全に正しいと確信している人もいるでしょう。キリストを自分の救世主と見なさない者はすべて地獄に堕ちる、と考える人もいるかもしれません。信仰はいわば一本の連なった線で、人はそれぞれ自分の段階に応じた地点にいるのです。信仰のようなあいまいな概念を厳密に定義しようとしたら、ことば遊びに終始して、明白な真理を見失ってしまう結果になりかねません。その真理とは、わたしたちのだれもが人生の大きな謎を解き明かそうとしており、啓示へ至るそれぞれの道をたどっているということです。わたしはいまも多くの宗教について学んでいますが、学べば学ぶほど、疑問は増すばかりです。わたしにとって、霊的な探求はこれからも生涯にわたってつづくことでしょう>

これを読んで思った。自分の心の中にしかないもの。人にどうこういうものではないと。
超越したところに「信仰」はある。と牧師に聞いた言葉を思い出した。

投稿者 pianocraft : 23:49 | コメント (2) | トラックバック

アクセスディンギー その後の顛末

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アクセスディンギーについて書いて、何日かして、セイラビリティー大阪の八木さんからメールが入ってきた。一部引用します。

<さきほど緊急連絡が入りました。
JOBが指定管理者から降りるそうです。
私たちの勝利です。
今後は9月までに、新しく指定管理者を設けねばなりません。
勿論、私達、利用者協議会も名乗り出ます。
当面は、従来どうりの開発協会が管理するので、なんらの変更も
ありません。
大阪市の決定をくつがえすという大仕事をやってのけたわけで、
みなさんの抗議行動が実を結んだのです。
あらためて、利用者の団結の力を感じますね。>

よかった~。「勝利です」のタイトルで送られてきたメール。これで、体験乗艇会も続けられるでしょう。
一度、アクセスディンギーというヨットを体験したい方、セイラビリティー大阪のサイトをチェック!!

障害を持った方も沢山参加できますように!


投稿者 pianocraft : 23:42 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月17日

アクセスディンギー 大阪北港での不安材料

昨年に正式に休止してしまったボランティア活動で、「みっくす家族レクリエーション」というものに震災以降、スタッフとして関わった。これは、現在も様々なボランティア活動を繰り広げる、大阪生野区の「コリアボランティア協会」の活動のひとつとしてあった。

簡単に言うと、障害を持った子供もそうでない子供もいっしょに「みっくす」して、月に一回は野外であそぼうという企画で、夏は奈良の山までキャンプに行ったりした。参加する子供には、ボランティアの若者(やそんなにわかくないものも含め)が一人に一人は寄り添い、いつも付き添う親とは離れて行動する。

障害をもつ子供の親は、その間にすこし一息できる。その時事情がなければ一緒に同行してもらうけれど、他の子供達の様子も見てもらったりする。親以外の関わりの機会を増やす目的も有った。子供達はいずれ一人で生きていかなくてはならないから、出かけていくのも、他人の力をうまく借りて、自己実現してもらいたいから。今のように支援費でガイドヘルパーをお願いしたり、そういう制度がまだととのっていたかったころにスタートした。
この会は障害を持った子供だけのものではない、「混ざる事」に意味があったので、健常とよばれるやんちゃな我が家の子供達も一緒になって駆け回った。障害をもっていて、変わった行動をする子供達と接して、それに慣れることが、理解の一歩だと私も考えていた。

その「みっくす」の企画の一つで、「アクセスディンギー」というヨットを体験しようという企画をかつて何度か持った。ヨットといえば、ちょっとお金持ちの遊びという感じがするのだがこれはちょっと違う。アクセスディんギーは障害を持った人が参加するレースもあるくらいで、子供にも操作が簡単だ。実際、知的障害をもつ子供と大人のボランティアさんと2人組になって、海に出てもらったけれど、操作は子供たちのほうがうまくいってたりして面白い結果となった。
つまり、海上では、健常といわれる人間は無力で、子供にその舵の行方をゆだねる他なすすべがないのである。なるほど、これはとてもすてきな乗り物だ!とそのときに感じた覚えがある。
身体に障害があっても、多くの人がチャレンジしている。ちいさい、かわいいヨットなのだ。

そんな、アクセスディンギーはセーラビリティ大阪によって、運営されている。
ところが、最近になって問題が浮上した。大阪市のやることによって。
<このヨットハーバーは開設以来大阪市および市の外郭団体である財団法人大阪港開発技術協会によって管理運営されていたが、本年3月1日よりの市議会で株式会杜ジェイ・オー・ビーが指定管理者に選定された。>とある。この会社はヤマハ発動機の関連会社で、琵琶湖などでマリーナ関連の運営販売を行っている。
<説明会開催の要請をする中で、指定管理者に選定された株式会杜ジェイ・オー・ビーが当ハーバーでモーターボートの展示・販売・運用をすることが判明して来ました。>とあり、狭い北港で、モーターボートとヨットの共存によって非常に危険な状態となる。琵琶湖でもモーターボートによる事故は多いと聞く。
せっかく子供や障害を持った人に開かれた北港を危険な状態にしないで欲しいという要望を、有志が起こしている。
詳しくは、 大阪北港ヨットハーバー利用者協議会設立の趣意書
セーラビリティ大阪 HP


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2006年03月12日

ことば・言葉

言葉を使う。blogを書く。しゃべる。読む。生きるためにとても役立つ言葉達。
しかし最近ブログのコメント機能を迷惑コメントに厳しい設定に変えた。もちろん、管理する人間がこのブログをどうしようが勝手なのだが、いろんな反論に丁寧に答えていた時もあった。
けれど、概して反論をする人たちは、「対話」をもとめていない。「批判」は結構だが、匿名製の高いインターネット上の言葉達は、時に攻撃的だ。そして、答えた言葉は投げたボールが相手からまた投げ返されることはなく、「いいっぱなし」の「攻撃しっぱなし」となる。

ある人から、「ようあんなんに答えてるな~」といわれた。実生活で知ってる人だけど。そう、なるべく自分が逃げないようにと思っていたのだけど。

今日、いつも読む、KATEKさんの「風を感じて話しませんか」に紹介されていた、ブログ記事を読んで、痛みを感じた。生の状況で、人間不信な場面にであうと、苦しいだろうと。人は残酷だ。人を簡単に傷つける。

言葉もそう。人間が使うものだから。
言葉・ことば。書きながらも、どうとらえられているか分からない言葉。
そんな不確実な表現の中で、わたしはどんな実を得るのだろう。
自分自身は矛盾もあり、弱さも、苦しさもある。もちろん、エネルギーに満ちているときもあるが、まあ。時には、書きっぱなしの自分に反省してみるか・・・てな感じです。

投稿者 pianocraft : 23:40 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月08日

辺見庸の記事を読む

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学校調律@体育館

今朝の朝日新聞に「漂流する風景の中で」というシリーズで、作家の辺見庸が「小泉時代とは」という一文を書いている。この文章の冒頭で「一犬に吠ゆれば万犬実を伝う」後漢のたとえだという言葉を取り上げている。<一人がでたらめを語ると、多くの人々がそれを真実だとして広めてしまうもの。>という意味らしい。その言葉のなかの「万犬」が群集で、「一犬」が小泉というわけだ。そして重要な事はそれをつないでいるメディアの功罪について、マス・メディア批判を展開している。

本文によると、かつて小泉首相が人気絶頂のころ「支持率80%の首相に批判的な番組をつくるのは不可能に近い」と民放TVディレクター氏は言ったらしい。
確かにTVのニュースショーは、先日からメール問題一色。その前はホリエモンバッシング一色。どこのチャンネルもトップニュースは同じ顔でうんざりした。しかも、どんどんその関心は次から次へとあきられると捨てられ、移り気に、熱狂的に過ぎ去っていく。
この熱狂に恐ろしさを感じないだろうか?
この空気感を辺見庸は「ファシズム」に例えた。ファシズムとは「いかなる精髄も単独の本質もない」ものらしい。本当は、芯のない漠然としたよどんだ空気の塊のようなものなのだろうか?
たぶん、そういった空気にとりこまれて戦争は現実のものとなったのだろうと想像できる。
寒寒とした気分。

右翼的な気分が今は流行で、情熱的で、自分のうさもはらせるし、「いっとけ!」なんて思わないで欲しい。
この集団的な高揚は陶酔できるシロモノかもしれない。でも、脳みそをうんとこき使って欲しい。誰が得してるのか。自分を守ってくれるものは、そんな社会じゃない。

学校を仕事でまわっていると、小学校や中学校では卒業式の準備をしているのがわかる。そんな体育館のピアノを手入れする。ここではどんな卒業式が行われるのだろう?といつも思う。今日の小学校では、子供がチーム分けをして描いた大きな絵が掲げられていた。そう、卒業するのは子供が一緒に過ごした人と場所と思い出。ひとりひとりの違った思い、こころを大切にして巣立って欲しい。
大人は、踊らされちゃだめなんだよね。ホントに。情けない。

投稿者 pianocraft : 22:37 | コメント (2) | トラックバック

2006年03月07日

ピアノコンサート

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5/19カプースチンコンサート

ピアノ中心のコンサートが2つ控えている。どちらもスタッフかスタッフサイドに近いところにあるコンサートだ。
●4月4日 よんよんコンサート(日本ピアノ調律師協会関西支部主催
開催日: 4月4日(火)開演時間:18:00会場:いずみホール
(内容)
ピアノ演奏:関西9大学からご推薦頂いた平成17年度卒業生
チケット入用のかたはメールにて。
新人演奏会として新卒の音大生を招いて毎年、いずみホールで行っている。4月4日は・・調律の日なのだ。なぜかって?ピアノの国際基準ピッチはA=440HZなので、よんよん。語呂合わせだ。こちらは、いろんな意味で2年関わった。当日はチケット交換に当たっているとおもう。

●川上昌裕 PLAYS カプ-スチン
オ-ル カプ-スチン プログラム 関西初登場!
2006年5月19日(金)19:00開演
兵庫県立芸術文化センタ-小ホ-ル 0798-68-0255
A席4000円、B席3500円 (全席指定)
主催:M'S M
後援:㈱全音楽譜出版社、 ㈱ヤマハミュ-ジック大阪 心斎橋店、 ㈱ヤマハミュ-ジック大阪 千里店、 ㈱ヤマハミュ-ジック神戸 神戸店、FM CO・CO・LO
協力 ㈲日本アコ-スティックレコ-ズ
ご予約・お問い合わせは M'S Mまで; TEL 0797-34-5344 10:00~18:00   
e-mail; funnymomocat@yahoo.co.jp

以前記事にした、ニコライ・カプースチンを弾く川上先生のコンサートだ。主催者のMOMOちゃんと知り合いで、この企画のために奔走している。クラッシックのピアニストが挑む、カプースチンプログラムすごく楽しみ。ジャズのフレーズを使う、現代作曲家としのカプースチンもおもしろいが、カプースチンそのものはロシアでジャズ演奏をしており、譜面化されたジャズという趣のものが多い。
・企画の詳細はMOMOちゃんのブログのコンサート情報サイトへ,MOMOちゃんは、毎日、ベジタリアン生活、音楽活動など精力的にブログを書いている。彼女もジャズピアニストである。
・川上昌裕 先生のホームページは http://www.cam.hi-ho.ne.jp/pianistas/ショパンコンクールの裏話なども書いてある。なかなかおもしろい。


このブログの関連記事
カプースチンを聴く 「青井彰 ピアノリサイタル2005」

ピアノオタクのブーム

投稿者 pianocraft : 23:38 | コメント (2) | トラックバック

2006年03月03日

私のしごと館

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しごと館「フラワーアレンジ」の体験(作 自由人)

私のしごと館については、以前も書いている。というのもここに、ピアノ調律師の職業体験のブースがあり
月に2回程度は講師をしているからだ。大勢の全国の小・中・高生や一般の方たちと一緒に、体験を進めていく。今日は、そんななか体験講師としてではなく、ピアノのメンテナンスにしごと館に出向いた。
この日はわたしは時間的に自由に仕事ができるので、我が家の自由人を一人連れて行って体験に参加させた。

これは私が体験したものではないが、一つ目は「精密機械 時計」の組み立て。これには1000円の料金(現在)が必要だが、3種類のデザインからすきな一つを選んで、細かい部品を組み立て、仕上げる。
なかなか細かい作業で、大変なのだが、サポートについてくれている技術者さんが、大いにヘルプをしてくれたようだ。体験終了後、自分の腕時計のメタルバンドが大きすぎて調整できないので、相談したらしい。気持ちよく、ぴったりに調整してもらったおまけつきだった。満足して戻ってきた。

二つ目、フラワーアレンジ。体験料300円(現在)。これは、アートフラワーを使い、オアシスにいかにして美しく活けるかということを学べ、これは即、現実に役立つ。職業としてでなくても、実際につかえる技術である。お花も器もなかなか美しい。季節によってデザインが変えられていくので、近い人などは、お正月やクリスマスのシーズンのアレンジを狙ってくる方もいそうだ。自由人も上手い。なかなかのものだ。

この施設は、ハコモノ行政の典型的な施設として、グリーンピアなどにならんで、オープン時(2003年)より槍玉に挙げられてきた。確かに創りは贅沢だ。広すぎるほど広い。けれど、上手くテコ入れをして、あきらかにおかしいところを直していけば、施設の意義としては、悪くないと思う。
学生達に職業観を考えさせるのに、手に道具をもって実際に体験して、得ていくというのも、たとえさわりだけのものだろうが本で字面を追うよりはわかりよいだろう。また、本など読む気のない子だって、得意分野があるかもしれない。

わが自由人は、なかなか楽しい時間を過ごした。
さて、今月も講師でみなさんとお会いします。

私のしごと館 HPで体験が予約できます。
URLは http://www.shigotokan.ehdo.go.jp/

以前の関連記事は コチラ

投稿者 pianocraft : 23:49 | コメント (6) | トラックバック

日本のブルースマン

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今日、NHKBSで「木村充揮スペシャルライブ~憂歌団から30年~」を見た。NHKホールで2日間、音楽仲間に囲まれてしあわせな木村充揮であった。

ホールの熱気がうんと伝わる放送だったが、そこに出てくるミュージシャンの顔が懐かしく、フルネームで呼べるそんな人たちばかりだった。

上田正樹、有山じゅんじ、正木五郎、藤井裕はベースマンで、いつも黙って(あたりまえなのだが)演奏する姿が好きでファンだった。これは、上田正樹とサウストゥサウスのメンバー。ウエストロードブルースバンドからは、永井隆、塩次伸二、ブレイクダウンから近藤房之助(ちびまるこちゃんのぴーひゃらもやっていた)
ドラマでなくフォークシンガーとしての泉谷しげるや懐かしい名前加川良。
若い人も木村を尊敬する。大西ユカリ、Leyona(この人はこんなにブルースハープがうまかったんや~)
ブルーハーツの甲本ヒロト、BEGIN。

幸せな人やな。と思う。まず30年音楽をやっていけたこと。そしてこんなに大勢のミュージシャンから愛されている事。憂歌団が全盛のころ、関西はブルースで評判だった。大阪のバンド、京都のバンドと多くのブルースバンドが生まれ、ライブハウスがあちこちにできた。
アメリカのブルースマンを日本に呼んでコンサートも開かれたりした。
ジョンリー・フッカーは、結構後になって日本に来たが(たぶん20年くらい前)京都の磔磔でのライブで帽子を観客に投げ、それを手にいれてしまった。
ともかく、関西ブルースシーンは豊かで、東京にはない音楽のある風景が1970年代の独特のものだったと思う。

今は、体のサイズが一回りもニ回りも大きくなった、50代のミュージシャン達が、わたしのあこがれの人たちであったことは言うまでもない。これからもライブで楽しそうな顔をみせてほしい。
じじばばになっても音楽やろう!というのが私や友人との約束なのだがけっこうその日が来るのは早いのかもな・・・と最近はつくづく日々の過ぎ去る速さと共に思う・・・。

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