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2004年10月 アーカイブ

2004年10月02日

秋・日本

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ここのところ、色んなことがあった。その中でも、イタリア人女性の解放のニュースは、ひところの日本の人質事件とダブって政府やイタリア国内の反応が興味深かった。そんななか、昨日
新聞記事では政権の右派が「政府に感謝足りぬない、帰国費用を負担せよ」という日本と同じような批判を浴びせている。

解放当初、報道などでは、とてもイタリアの人々がこころからよろこんでいる・・・そんな印象だった。イタリアからの軍隊の撤退も野党が訴えている。日本人で人質になった高遠さんも応援にいっていた。同じく人質になっていた郡山さんの話を思い出す。「お互いに理解しあおうと、活動を伝え、イラク人はイスラム教について教えてくれた。」また、日本人の人質となった彼らが自分の宗教を持っていないことについて「宗教をもっていないから、だめなんだ。いや、宗教がないから色んなところで活動できる。などと議論を交わした。」という内容の話もあった。

そこは、理解しようとする。人間と人間の場だったということ。これも共通している。でも、残酷に殺される外国人もいた。それは、どんなにアラーの後ろ盾があるといっても、筋がとおらない。

まだまだ、混迷を極める。人殺しのつづく日々をどうか止めたい。

こういうことを書いていると、無力感を感じる。というのは、どうやらわたしだけでないらしい。
ほんとうにつぶやくだけでは、仕方ないと思う。だから、何かひとつでもできることを考えようとしている。


ここ何日かはまアメリカと日本だけで、イチローが大注目を浴びた。その、瞬間をみようとBSにチャンネルをあわせていたことは白状するけど。

命の重さまで差別されている世界の不均衡をどうすればいいんだろう。

2004年10月13日

Blues Piano

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ゴスペルを通じた友人から念願のWOWOWオンエアのみのクリントイーストウッド監督の”PIANO BLUES"のDVD録画をもらい、感涙!泣けてくるさ!この中にあるのは、ピアノがブルースのためにあるとでも思わせるような、技巧であり、グルーブであり、88の鍵盤がいかに饒舌かということの証明でもあった。

この友人とは、先日のオスカーピーターソン公演(オープニングアクト上原ひろみ)に行っている。実物のオスカーピーターソンはもう、80にもなる高齢で、さすがに技巧派のきらびやかさからは遠ざかっていたものの、バラードではいつも好んで演奏するというベーゼンドルファーに向い、実に叙情的な、こころに響く演奏を聞かせてくれた。その一曲は「レクイエム」というタイトルで、先日亡くなったレイチャールズやレイブラウン(その他の名前も言ったけど聞き取れなかった)、の追悼のための曲であった。

このオスカー・ピーターソンも映画の中では元気にバリバリバリバリ弾きまくっている。亡きレイ・チャールズもイーストウッド本人からのロングインタビューで「That's right !]などと、合いの手をいれながら、いい顔しておしゃべりしていた。こんな、姿は、初めて目にする。

この映画には、わたしが初めて若い時にきいてブルースをコピーした、オーティス・スパンやニューオリンズのプロフェッサーロングヘアー・・・へろへろ声で歌う姿をこれまた初めて見た。大好きなDr.Jhon。そうそうファッツドミノのベースラインも一生懸命練習した。ナットキングコールがあんなにピアノが上手だとは知らなかったし、アンドレ・プレビンとオスカー・ピーターソンのデュエットピアノも良かった。

教会にはゴスペルがあったが、日常にはブルースがあふれていた。そんな昔の光景をいろんなピアニストが明かす。最初にレアなブルースを聞いたときの「違和感」を懐かしく思う。今は私のルーツミュージックの如くになっていて、長い間聞くのをわすれていたけど、久しぶりに映画の中から映像ともに流れ出るブルースを聴いて「ああ~これやんか!」と思ってしまった。こんな時が至福の時である。

オスカー・ピーターソンの公演の話に戻るが、オープニングの上原ひろみはやはりすごかった。ぐっちゃ~と不協和音がはいったり、むちゃくちゃ早弾きしたりするのは、若く元気でとてもよい。まるでギタリストのような早弾きをする。指がまわるまわる。わくわくするスリリングさでやはり、CDよりも好きになった。上原ひろみは、オスカー・ピーターソンが好きでジャズを始めている。

世界と世代をまたぎ、めぐる、ブルース。ジャズ。いつもその人のものであり、どこにもありそうでないサウンド。リズム。わたしはどうも、この種の音楽は腹や臓器にぐんと響くが、クラッシック曲は頭で上滑りする。それぞれ好みなのだけど、若い時にしびれたものは、永遠に自分に抗体反応を残していく。何かを刷り込んでしまうのだね。きっと。

2004年10月17日

季節の変化

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季節の変化を日々感じる。とくに、仕事の帰りに見る夕日など。冷たい空気も、肌に感じる乾燥した風も。あんなに暑く、長い夏だったのに、気が付けば、長袖をたんすから引っ張り出さなくてはならない。

そろそろ、12月のイベントの予定も明確になってくる。ありゃ~今年もこんなにきてしもた。
ちょっと、イラクや憲法9条のことなどから遠ざかっていた。決して、忘れてはいないけれど、気温の変化と共に何年もたってしまったような気がするのは、単に気のせいか?

今日、本を買った。雑誌世界の別冊「もしも憲法9条が変えられてしまったら」と言う本。
このまま、今の内閣で郵政、郵政とさわぎながら、大事なことを短時間で変えられてしまう恐怖を感じる。まだ、未読なので詳細はまた・・・

今度の内閣は郵政民営化内閣らしいが、そんなことが最優先されていいのか?と思う。
郵政では、民営化への第一歩で無駄をなくすとかいうことで、過酷な労働を強いられている人々。死ななくてはならない、過労死でね。サービスだって低下する。人間が人間らしく働けない職場でいい仕事、機能的な動きができるはずがない。これは、週刊金曜日の特集記事から。

やはり、自殺や殺人もふくめて、いろんなところからこの国の人は殺されている。と感じる。
恐怖をあおるのは、どこかの国みたく嫌だが、本当に怖いことというのは、目に見えて字や画像で簡単に見えるところにはないという気がする。

真綿で首をしめるとかいうが、そんな風にはなりたくない。と。

2004年10月23日

ごく私的な日常

台風が去った。ごく私的な日常は連綿と続くが、非日常な日常を余儀なくされている人々もこの天災のせいで多くあるだろう。

風と雨は、ようしゃなく建物にぶつかって、くだけちったが、小さい頃の台風はもっとおそろしかった記憶がある。

その日は、ひどい風が吹いていて、奥の間でろうそくをともして息をひそめていた。暗かった。きっと停電してたのだろう。電柱が嵐でやられたのか?裏の住宅の人も非難して一緒にいた。
とりわけ、家が大丈夫なわけではないが、少し裏のうちは傾斜しており、水がでたらひとたまりもなく水没するであろうから。

その当時はそんなことは考えていなかった。特別な日、特別な時間と空気。ただ、自分達をみつけられないように、息をひそめて隠れている。そんな感じだった。はやく恐ろしいものが立ち去ってくれるように。

このところ、停電も断水もしないので、生活の便利さを奪われたら現代人はとっても非力だろうね。

バスの上に取り残された人たちのドラマも、60代の人たちの結束の強さからうまれた。命を大事にするということ。ここでも感じた。災害のとき、みな生きようとふんばる。命がつきないように。神戸でもそうだった。

でも地球の裏側では、殺戮がまだ行われていることを何があっても思い出してしまうわたしは偏執的?


ごく私的なところでは・・・・・
Happy Birthday VIGGO 1958.10.20
わがアイドル。ヴィゴは46歳。こんな俳優はみたことない。こんなに影響をあたえる詩人もあまりしらない。人の生と死と考えることの多い日々がわたしにはあるが、そんなときふと、あたらしいこの人の記事にであい。癒される。このサイトに感謝ありがとうMISAさん

2004年10月31日

地球が動く

この一週間は、天災・・・とは言うが天から降ってくる災害というより、足元、地球の中心から悲鳴をあげたかのような叫びを聞いた気がする。

神戸から10年。もうすぐその10年を迎える前に、あらたな震災被害が生れてしまった。

その報道を見るにつけ、ため息をついて、いつ、どういうタイミングに何ができるか?をあらためて考える。神戸は近かったので、炊き出しも出来た。電車も分断されてはいたが、比較的近づくことができた。みちがぼこぼこになっていたのも覚えているが、新潟の山間部のように隆起したり、完全に崩壊した道にはであった事はなかったが。

仮設住宅ができてからの支援もあるし、かといって、新潟は豪雪地帯である。仮設がたつころには本当に雪で覆われているのではないだろうか?

新潟のNPOのHPもある。にいがたNPO情報ネットでは、ボランティアのニーズなどの情報を掲載している。何かをいつかしようと思っている人は日々かわっていく状況をキャッチして欲しい。

兵庫の水害については、外部からのボランティア募集を終了しているところもあるが、HPでは
ひょうごボランタリープラザで募集の概要、募金、物資の援助などの情報を提供している。

土日のボランティアとして参加するという、調律のお客さんがいた。現地にいくということは、やはり得るものがある。ささいなことしかできなくても、少なくとも、人々が疲れ、傷ついている現実に直面することで、TVの他人事が、他人事ではないことを知るから。

わたしもむずむずしている。この1週間様子をみたが。情報をみて、考えたいと思っている。
共感というのは、とてもむずかしい心の動きだ。失う。つらさ。恐怖。すこしでも、人間が他の人間がいてよかった。と思える。生きていてよかったと思えるような支援ができたら・・・と考える。

今日のニュースでは、イラクの人質事件についても悪いニュースがあった。災害で傷つき、家や町や道路を破壊された日本の地域とイラクで今日もまたザルカウィ探しのため米軍爆撃。果てしなく失うものを積み重ねていく。

人の死の重さ。自衛隊の撤退は必須である。イラクでは、日本は星条旗をまかれた遺体に象徴される、米軍の手下以外になんと見られることがあるのか?

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