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2004年09月 アーカイブ

2004年09月02日

亡き人

突如として亡き人になった人を偲ぶ。

人間長く生きてきたら、死と向き合う回数が多くなるのは当然のことだ。
でも、不慮の死は、なかなか複雑な思いを残す。

まして、人前で活動していた人である。まわりに及ぼす死の波紋は、えんえんと続くであろう。
その人がどんな人であったかの本質は、わたしにはわからないが・・・・

さあて音楽へ力いれようとしていて、呆然となった。でも、役割をはたし、生きよう。
より、自分に力をこめて、よく生きよう。あしたはわからない。

こんなふうに身近な死は、コタエル。だが、死は、どこにでも、塊でも、果てしなくある。

さてさて、ピアノにむかおう。

2004年09月09日

一週間がたった

先週は、悲しいことがあり、ちょっと心の中で、書きたいことがせき止められていたようだ。

あたらしく、人との出会いもあったけどね。WWBジャパンの起業セミナーに行ってみた。
豊中の蛍池に、MOMOというコミュニティービジネスの後押しをしてくれるところがあって、そのセミナーは、そこで行われた。

何をしたいか?これから起業?この不景気な世に、なにか事業を起こして成功することなんてあるのかしら?とも、思う。でも。ね。いままでいろいろな人と出会った。仕事上でも、子供関係でも、ボランティアというところでも、今度は、出会いをより広げるような事業に発展させたいと少し思う。

まあ。まだ、いろいろ模索中であるが。そうこうしている内に、今年の楽器つくりワークショップも後半もボツボツ入ってきていて、結構スケジュールは(特に土日)埋まっている。
楽器を作るということで何か新しい、音あそびを覚えてくれれば嬉しい。

ここまでは、ごく日常の中の出来事。

だが・・・アテネが終わって、アテネがヒートしている間も。イラクは、相変らず戦地で、おまけにロシアでは最悪のテロ事件がおきていた。

子供が犠牲になるのは、本当に辛い。憎しみが憎しみを生み、対立を解きほぐす難しさは増す。

チェチェンとロシア。ロシアの自爆テロは、女性が犯人であることも多い。イスラムの女性は死を捧げる必要がそんなにあるのか?生きることでなく。

テロを見ると不安になる。その上、地震と台風の来襲である。恐怖の連鎖のような、ヒステリックな感覚に陥らないようにしたいが。それは、誰かの利益になるからね。利用されてはいけない。恐怖ビジネス・恐怖政治にね。

でも、やはり不安は、あの揺れだ。神戸の震災を知るものは微弱な揺れも怖い。
この揺れの次に、大揺れがやってくるんでは?ってね。

近いところも・遠いところも。ひどいが、建設的に生きよう。と思う。

2004年09月10日

70年代

tindontai.jpg
ちんどん隊@ダイキン

今日の写真は、8月の祭りでのちんどん隊の勇姿である。人に注目されるということは、舞台ではあるが、歩いているところに人が寄ってくるてな感覚はあまり味わうことがない。至近距離で、音をかき鳴らす楽しさなんてのもあるよね。

やっぱり、ストリートとかやってみたくなったり・・・(いくつやねん!)

音楽は人をある境地に引き込む。
そんな大そうな・・・と思うかもしれないが、今日はたまたま美容院に行った。そこの有線に流れていたのが70年代Rock&Popsだった。ふつ~に、聞き流して・・・おれない。
ちょっと洗髪とかで、目をつむっていると、どんどん音楽が入ってくる。

もう、あらためて自分でコンピレーションCDなど買ってまで、70年代ロックを聴こうとしないのだが、その時期をリアルタイムで過ごしたということは、特にすきなアーチスト(今はこういうのだが、バンド達だな)でなくとも、ヒットチャートで聴いていて、いろんな曲を知らないうちに覚えている。そういうたぐいが、流れつづけると「癒される~」と思った。

いまCMの世界でも、同世代が作り手となっているせいか、やたら70年代ロック音楽を多用している。商品の購入層と併せ持って、そそりやがるのか・・・・!

まあ、やはり音楽は力強い。人のこころのなかまで、ぐっと入り込んでしまう。色んな意味で、すごいとおもうな。

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2004年09月15日

9.11からどしゃぶりの雨まで

あんまり、デスクトップのネット表示が遅いのでノートで書いている。

9.11が過ぎ、やはりニュースで「グランドゼロ」で犠牲者の名前を呼んでいるシーンを見ると胸が痛い。けれど、狂気のような星条旗一色のアメリカがまい進したもの。はなにか?

それは、個人情報よりもテロから身を守るという選択だ。アメリカはそうでなくとも銃社会だ。かねてから、いのちを危険にさらしながら、不安のために銃をもってしまう構造。また、ならずもの国家の抑止力のためにもつ、核兵器。そうして、自由の国アメリカは自由も捨てた。

テロのために。だが、もう一方でテロのために、戦争を仕掛けた。

ファルージャではまだ、一般人が女が子供が殺されている。13日のことだ。

そんなニュースを捕まえては、苦しくなるのだが、日本だって、殺人は日々重ねられている。

小さなこども、死刑囚。名前のついた人間の死。はるかに多い、無名の死。人間の命は重いのか?はかないのか?

今日の昼ころ、宝塚を車で走っていた。土砂降りの雨で、前方が見えない。稲光は目の前にあらわれるし、一時信号も停電し、濁流のような雨の流れる道路を舟をこぐような気分で・・・・
実際、水しぶきは船がすすんでいるかのようだった。

でも、1時間もしたら、すっかりくもは姿をかえて、日が差し込んできた。

一時、台風で水害にあった地域のことを想像した。やはり、自分の想像力などしれている。
たいへな被害のあと。みんな、気を取り直して、大地に足をふんばっているんだろうか?
こころからお祈りする。

2004年09月18日

スパム

昨夜は、このblog日記にスパム対策を打つのに夜更かしして、肩をこらせてしまったのだが、今日(といっても日付は変った)は、仕事から自転車で戻り、すぐに体育館で、ひとっぱしりして、マシンで汗をかいて楽になった。

MTのこのバージョンはスパム対策が必要だ。日記に海外からのメッセージでコメントが入る。はじめは、本文もちゃんとあって、つまらん社交辞令で、あなたのサイトは有益だとか、好きだとか、一行くらいの英文で書いてあり、サイトのアドレスがかかれているといった類だった。
数もぼちぼち消していくので間に合っていた。

だが、徐々に増えていったために、IP禁止という最初の行動にでたが、その後に入ったものが
今度は、HPアドレスとやたらと列記する。一つの題にいくつも同じコメントを入れる。数も二桁になって、嫌気がさしてきた。

ので、昨夜、ほかのブログサイトを参考にいちおう手を打った。いまのところ着てないけど。昨日は、それをやってる最中もあたらしいのがきてたり、当たり前だがIPアドレスを変えてやってくる。

とりあえず、電脳の海に泳いでいる(いや漂流かも・・)端くれとしては、いろいろもいらいらもあるね。

2004年09月21日

リバーベンドの911

Baghdad Burningというブログがあって、リバーベンドというイラク人女性が、バクダッドから、送る、日記がかかれている。というのは、以前も、このブログで紹介したが、また、あたらしい投稿があった。

テーマは、9.11。イラクで彼女は9月11日何をしていたか?というと、マイケルムーアの華氏911の海賊CD(映画館でコピーされたもの。イラクではこんな形でしかこの映画を見ることはできないらしい。)を見ていた。

その感想がつづられている。

その怒りは、登場する軍隊に息子を送り出すことを喜々と話す母が、その後息子を失い、悲嘆に暮れることを他のアメリカ人に街で訴えるが誰も、聞き入ることがない。というシーンで、まず、母親に怒り、しかし、憎い米兵が死んだことなのに、同情して一緒に涙してしまう自分にとまどいを感じていた。

また、イラクで攻撃され、殺戮される映像がはさまれているが、それを目の当たりにして、彼女にとっては、映像ではなく、現実に目の前でおこっていることを、映像の中に再び見ることで、ひどく傷つけられたこと。これは、わたしたちが見る、同じ映像に対する感覚と、うんと違う辛さを感じるのだろうと、読んでいて辛くなった。

もうすでに、自衛隊がイラクにいることすらどうでもいいくらい、日常では忘れ去られている。
でも、小泉首相がアメリカに行き、イラク暫定政府のアラウィ首相が要請したように、自衛隊のイラク派遣期間の延長を決めた。

まだまだ、地獄のようなイラク。

スパム対策に奔走し、しょうもないCGIの設定ミスでうろついているわたしは、何なんだ。
ちょっと愕然とした。

2004年09月26日

Rokko Jazz Festival

rokko.jpg

今日は秋の空気を六甲山で吸い込むことができた。Jazzと共に・・
今年初めての試みの六甲山での野外Jazzコンサートに行ってきた。ビッグバンドが聞けるとあって気持ちいい一日を期待して、ケーブルに乗って、バスに乗り継ぎ、六甲カンツリーハウス
の会場にたどりつく。

オープニングは、映画「スイングガールズ」のモデルとなった、高砂高校のビッグバンド。ソリストは固いものの、なかなかのフレッシュなサウンドを聞かせてくれて好スタートを切った。
ジャズでソロとなれば、アドリブの見せ所なのだが、多分、一生懸命覚えたフレージングを演奏して見せてくれた。

なかなかナイスな演奏が続いて、ゴキゲンにビールを片手に楽しんでいたのだが・・・唯一、ありゃ~と思ったのは、あるJAZZボーカリストの歌声だった。一緒にいった相方は、わが友人でボーカリストである。「こら、JAZZバーで手なれた歌いまわしで何でも歌う。プロの歌声やな。」悪い意味でプロ。こころに響かない歌。これには、悪いけど、昼ねの時間を頂いた。昼寝は気持ちよかったけどね。

歌は難しい。下手すぎるとちと勘弁願いたいが、歌いまわしやテクニックがうまくても「歌」の何をつたえてるかわからんのも辛い。

JAZZ的歌い方というのもあるが、「歌」は「歌」に違いはない。歌詞があり、声があり、その人そのものがある。

そういう中身の、しみてない、味のうすいおでんのようなのは、体裁がよくてもまずい。
じわ~としみた大根のような。いやいや・・・食欲の秋ももうスグということで。

来月には、オスカーピーターソンにも行く。オープニングアクトは上原ひろみである。元気なピアノと枯れた・・・どんなサウンドになってるのかしら?ピアノをとても楽しみにしている。

JAZZはええね。

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