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2005年07月 アーカイブ

2005年07月03日

年中 平和のこと

平和・平和と一年中言ってるような気がするが、これは、戦後60年にあたって、TVドキュメンタリーや映画、イベントが身近に多くあるからだけだろうか?

確かに、常に考えつづけている材料をあたえられてるという意味では、影響を受けているとも言える。だが、それももう生活の一部になっている。けれど、そうせざるを得ない危機的な状況がそこにあるから・・・という防衛本能も働いている気がする。

世界という漠然とした概念が、自分の立つ地続きのエリアに繋がっている実感ともつかない奇妙な感覚がわたしにはある。以前には無かった、けれど自衛隊がイラクにいってから、間違いなく、侵略者側になってから、世界の見え方は変わった。

このままじゃ、だめだ。そんなあせりも加わった。知る事。少しは個人でできることをしてみること。

最近、「白いバンド」についても話題が高まっている。貧困から子供が死ぬという事はどういうことか?

「ほっとけない世界のまずしさ」を合言葉に世界で同時におこなわれている。THE WHITEBAND PROJECT 300円で白いバンドを買うこと。

ちょっとコマーシャルなイベントだけれど、世界でセレブな人たちが出来る事と言えば、自分の名声を使って、誰かのために働くということだ。

2005年07月06日

竹二胡ワークショップ

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ゆうひ(久々)

今日は、毎日文化センターで4回完結の竹二胡つくりワークショップを終えた。最終日は、演奏なのだが
初めて、二胡の弦に弓を通す、音を鳴らす・・自分だけの楽器で音楽を奏でる。これは、すてきな初めての経験。

自分が作ることの出来る楽器というのは少ない。ごくおもちゃのようなのは、出来るだろうけど、竹二胡は
結構本格的で、この製作シリーズを何回か重ねるうちに、いろんなバージョンUPが行われてきた。

これはうちのテジョン・タイティエンの苦労の賜物で、より作りやすく、いい音のでるような改良がされた。
いつものことなのだが、この楽器製作をする前にする仕事がたくさんある。
調律のように、カバン一つ、カラダ一つでどこにでも行き、出来る仕事と違い、教えるまでにすることが本当に山のようにある。

楽器のキットを作ると考えてもらえばよいと思う。
竹は、切り出しから行う場合もある、購入したとしても油抜きといって、湯煎や火にあぶって水分をとばす、あとで割れが入りにくいように行うのだが、人数分用意するのは時間がかかる。
あとの部品もあらかじめ、一定の大きさにカットしておいたり、小物を一人分ずつセットする。これで、何日も要するから、決して効率的な仕事ではない。

けれど、作る喜び、音に触れる喜び、そういう素晴らしい反応に出会うたびにこの仕事におもしろさを感じる。毎回、受講者の方々はそれぞれ違うので、クラスとしてはいろんなカラーが出るのだが、今回のひとたちは、非常にフレンドリーで、お互いを支えあい、教えあい、わきあいあいと、いいムードをかもし出してくれた。

こうして、人がものを作るのを手伝っていると、いろんな人のペースがあり、考え方もあり、どれひとつをとっても、違うものになる、手作り民族楽器の魅力を多くの人に知ってもらいたいと思っている。
みなさんお疲れ様でした。

2005年07月10日

七夕は命日

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友人の家から雲をながめた

七夕は過ぎてしまったが、この日の10年前、震災の有った年。大切な友人がひったくりにあって、もみ合い、命を失った。

裁判を傍聴するために多くの友人が連日集まった。犯人の経歴や人物が裁判であきらかにされていくと、ますます許されない気持ちが高まる。死ぬことなんてなかったのに。

よく一緒にお酒を飲んだ。一緒にバンドした。たくさん話した。
この世に彼がいなくなる少しまえ、家にぶらっと来て、いつものように延々飲み始めた。酔うと体が傾いてくる。そのときに話したことは、わたしとの出会いから、一緒に音楽できたこと、いろんな本の話をしたこと
いつになく、わたしは多くの過去のおさらいを聞いた。

何だか、さよならを言いにきたみたいじゃないか・・・。あとになって、とことん酔っ払いに付き合って話を聞いて良かったと思ったけど。

そんな彼の実家に友人が年に一度集まる。わいわいいいながら、酒を飲み、両親の健康を喜び、きっと賑やかなのが好きだった彼のために、近況を報告する。

仏壇には、マイクを掲げてシャウトしている姿の写真がいつもある。おかあさんは、「これしか写真がないの」と言うけれど、いつまでもマイクをおろさないでほしい。

レイ・チャールスもそっち行ったし、天国ではいい感じでやってると思うけれど、いつも思う。自分はちゃんと音出してるか!って。音楽をつづけることは、こころのなかで密かに彼との約束だった。(別に本当に約束したわけでなく、自分でそうすることにした)

また、一年。「ばりばりやってんで~」といえるように負けんとピアノを叩き歌うで!!Coozy!!

2005年07月17日

スーパーナチュラルな生き方

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ハーレムJPクアイア夏のコンサート<詳細は、コチラコチラまで>

昨日は、「ブルックリン・タバナクル・シンガース」というグラミー賞を6回も取ったゴスペルグループのコンサートに行った。わが、Harlem JP Choirの仲間たちと一緒に・・。

確かに素晴らしい歌声で、彼らは一人一人がソロシンガーといっていいようなメンバー達だった。
本当のゴスペル・・・これは、クリスチャンのイエスキリストへの賛美のための福音なので、彼らは本物である。偽のゴスペルがあるのか?といわれれば、「ニセモノ」という言い方は御幣があるが、ゴスペルというものを音楽スタイルと捉えられている時もある。ことに日本では。

純粋に教会音楽としてだけならば、こんなに流行し、どこのカルチャーセンターや、公立の文化教室でもゴスペル教室があるってなことにならなかっただろう。ブラックミュージックのルーツミュージックとして、注目され、その合唱のパワーに圧倒された。リズムあり、ごきげんなメロディーとハーモニーというわけで、今日、どこでも聞くことのできるものとなった。

最近、車のCMで3列シートの最後尾に3人のローブ(聖歌隊が着る、法衣)を着た大きいお姉さんも誕生日だから、一緒に積んで、お祝いに行こう!なんてのがあるが、実にナンセンスな話で、これは、クリスチャンじゃない(たぶん日本人の)ゴスペルを知らん人がイメージだけで、作ったシロモノでしょうな。

そんな風に、日本では、とても不自然にゴスペルが存在する。だけれど、日本古来、固有の、一神教でないこだわりが、ええやんか~とすなおに受け入れたためだと思うのだけどね。
一方で、本格的なゴスペルがどんどん力をつけ始めた。本来の賛美のためのクアイアが生まれている。

そういうなかで、教会関係者が輝かしいミッションを持つ、ブルックリンのようなゴスペルグループを呼ぶようになった、いろんな形で、数多く、アメリカから宣教にやってきている。こう言うコンサートには、必ず、牧師のメッセージが有る。

昨日の牧師のメッセージの中で、今の「生」は本物の「生」ではない、イエスキリストを受け入れて、生まれ変わり、永遠の「生」それは、肉体の永遠性でなく、「スーパーナチュラル」な「生」を手に入れようという良く聞くメッセージの中の一つだった。

supernatural  
sùper・nátural
━━ a., n. 超自然的な, 不可思議な; (the ~) 超自然的な力[現象,経験].(EXCEED 英和辞典から)

妙に、英語の「スーパーナチュラル」と言う言葉にひきつけられた、通訳が翻訳した「超自然的な」でなくふ~んと反応してしまった。前も、書いた事なのだが、「飛躍」がなければ信仰は成立しない、そう、スーパーナチュラルじゃなくっちゃ。

わたしは、いつも「諸行無常」に生きてきた。実にナチュラルにーしかし、時には抵抗する。戦時のようになってきた日本や、憲法改正案などにはね。かといって仏教徒でもないが。

諸行無常 (仏)仏教の基本的教義である三法印の一。この世の中のあらゆるものは変化・生滅してとどまらないこと。この世のすべてがはかないこと(大辞林 国語辞典から)

いやはや、自己矛盾に富んでますね。なんでゴスペル唄うんや~と人に言われます。こんなに世界で宗教国家が戦争してるってのにね。

日本にいるから、歌ってるんだと思ってます。アメリカでなら、歌えない。

2005年07月19日

見逃しそうだった映画~見逃しそうな映画

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これは、ホワイトバンド(シリコン製・中国産)賛否いろいろあり。

もう、ほぼあきらめていた「映画 日本国憲法」もうDVD買うしかないな~と思っていた矢先、大阪で1日だけ公開されることを知った。

7/31
開場12:30/開映13:00 大阪 福島区民ホールTel 06-6468-1771
日高六郎さんの講演会もある

なんとしても、駆けつけたい。
つい、小さい映画は、上映スケジュールをチェックしていても、行けない場合が多い。ブルース映画のように執念を持って、みようとしなくては、見られない。
夏休みモードで、ハリウッド大作もがんがん上映されているが、たまに、現実逃避のためにそういうのを観るのも手だけれど、シネコンなんて、そんなの一色でちょっとね。

その中に気がかりな映画がある。「ホテルルワンダ」だ。このblogでも取り上げた。「気になる映画」参照。
アフリカについては、冒頭の写真の「WHITE BAND」運動。このようなミュージシャンによる、飢餓に対するキャンペーンは、実際、有効であるのか?という意味で、批判があるが、サミットとLIVE8で久しぶりにアフリカを思い出したって感じもする。世の中が・・・世の中の感心が・・・マスコミが・・・

もう、何年も前の写真が記憶にある。「バングラデシュ・コンサート」である。ジョージハリスンが中心になって行った。こうして、関心は一時的に吸い寄せられ、また、忘れられていく。

そんななか、忘れる前に「ホテル・ルワンダ」はどうなってるのか?
単純に公開されないな~と思っていたら、なんと日本では本当に公開予定なし。
公開して欲しいという人は他にもいた、なんと署名運動が起きている。それは、「ホテル・ルワンダ日本公開を求める会」

DVDはすでに出ていて、英語版を観た人も、この映画の良い評価を行っている。
anemoneさんという方のblogがするどく深く突っ込んでいる。

映画館で観てみたい。

2005年07月27日

天国へ行った 岡八朗さん

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川のゆうひ

先月から、身近の人の親、おとうさんだったり、おかあさんだったりが亡くなることが続いている。その中でも、昨日なくなった、遠い人のようで、近い人でもあった岡八朗さんのご冥福をお祈りします。

検索エンジンで「岡八朗」さんを検索すると、どれほどの情報があふれてくるか、やってみると一目でわかる。

愛されていた。わたしたちの世代は、学校から帰って、土曜日のお昼にご飯を食べながら、吉本新喜劇をみるのがいつものことだった。花紀京さんと岡八朗さんのからみは、実によく覚えている。
ギャグというものが、初めてコメディにおいて、キャラクターとともにむすびついて、いつも定番のおもしろさをこの方は始めた・・・といわれている。吉本の喜劇役者はトレードマークのギャグを必ず持っている。

この創始者であったというわけだ。

わたしは、自分の所属するハーレムJPクアイアというゴスペルグループで岡八朗さんの娘さんがNYで尽力してこのグループを立ち上げた事を、参加してから知った。娘さんが帰国し、岡八朗さんの「芸暦45周年」の舞台では、吉本の舞台でわたしたちが「ゴスペルを歌う」という機会をあたえてもらった。

貴重な再起をかかえた舞台。細く、アルコール依存症の克服という厳しい試練を乗り越えようとして、凛とたつ舞台に心は動かされた。

今日。通夜があり、明日、お葬式。メンバーの多くは式に出向いて、娘の裕子さんを支えるだろう。
わたしは、式場にいかないことにした。

わたしは、多くの岡さんの人生のなかで、出会い、あこがれのまととなり、時にはささえたであろう、芸能の世界の人々の中に身をおくことに距離をおきたかった。
裕子さんの心は、めまぐるしかった父の人生のように、今、たいへんな状況であろう。静かに、静かに、こころから遠くから、祈る事を許していただきたいと思う。

一人の命の重みは、どんなことがあっても、どんなに偉い人、ヨハネパウロ2世であっても同じである。
常に、はかなく、アフリカでもイラクでもアフガンでも日本でも中国でもアメリカでも、もちろん同じ。
おとなでも、こどもでも、軍人でも、一般人でも、貧しくても、富んでいても。

命は平等に一人にひとつ。

だから、大切に守って欲しい。テロでカウントされる死亡者は、数でなく、ひとつひとつであることを、スーサイズボンブで自分のいのちも引き裂かないで。

2005年07月29日

電車で行くと 

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いつもの夕日

仕事に行くのに、車で移動が多いのだが、大阪市内の仕事だったりすると訪問先が路地裏であったり、駐車スペースのない場合もあり、電車で仕事の道具を担いでいく。

そういう時に限って、人を見ていると面白い。(睡魔でとろとろしているときも多いけど)

今日は、座席に座って向かいを見ると、サングラスのみょうに落ち着きの無い、アロハシャツをはおった若くはない男が、携帯でなんやら申し訳なさそうに電話の相手に向かって喋っている。

なんか、困ってるんかな~とか思っていたら、となりに、小太りの若者が座った、なんだかその男ももうしわけなさそうに見える。「なんや今日は~」と思って考えたが、その若者は、髪が少ないがゆえかなんとなく所作が、しっかりしない。なにも、本人はそういうつもりでないのだろうけど。

その隣を見てみると、みょうに毅然とした若者、男の子である。でも、よく見ると、顔にいっぱいピアスがついている。

ふ~ん、街中には確かにうざうざ、おもしろい人がいるけれど、普通だけどなんで、目を引くのだろう??と思ってしまう。

電車男?みんなこころのなかに、電車男がいるんじゃないか?って思うね。

辺見庸さんが週刊金曜日の7/29号で「永遠の不服従とは」第4回で、書いている事で気になることがあった。「見られる側」と「見る側」の視点についてだ。
「する側」「される側」「被害者」「加害者」ものの表裏には、意図がある。
わたしは、見る側の人間であるとともに、見られる側の人間でもある。

一方的にどっちか側だと思うことは、間違いを招く。
つまり、わたしが気になった理由というのは、自分の中にある「何か」「見られる要素」なのかも・・・・


2005年07月31日

「映画 日本国憲法」と日高六郎さん

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映画 日本国憲法読本

7/31雨の激しく振る中、福島区民ホールで行われた「映画 日本国憲法」上映会と出演者でもある日高六郎さんの講演会に行ってきた。

ジョン・ユンカーマン監督による、世界の知識人からみた「日本国憲法」とその成り立ちについての証言をインタビューでつづってある。

9条というのは、いったいどういう経緯で生まれたか?9条を何故守らなくてはいけないのか?その成り立ちを、日高さんやジョン・ダワ-さんたちが映画で語る言葉は、興味深い。
敗戦してもなお、明治憲法をなかなか捨てられなかった政府に対し、民間の憲法研究会やさまざまな団体が民間憲法として考えた案をGHQはよく検討したという。

わずかな期間でまとめあげられた、日本国憲法は、アメリカから押し付けれれたものというより、民間人の願いからうまれた、「非戦の誓い」という9条にこそ、その真価を認めることが出来る。

映画は、アジアから見た、日本の姿も見せる。まだ、終わっていない戦後。次を踏み出せないでいるアジアは、日本にその多くの原因があるという自覚を、持とうとしなかったためである。取り残された人々がまだ多くいる。

その中でも9条を書き改めて、軍隊を正式に認めるという動きを世界がどう捉えるか?アメリカのみがそれを大いに賛成する。アメリカは、GHQによって憲法をあたえもしたが、その後、改憲も迫る。要するに、アメリカ政府によってつごうのいい日本を求めつづけた。

映画の後も憲法の話は続く。日高六郎さんの講演はたいへんな熱弁であった。連日のハードスケジュールで疲れているとおっしゃっていたが、聞いているものにそんなことは感じさせ無い、伝えなくてはならない使命感をもっておられるといった雄弁さだった。

その話のなかで、こころにとまった言葉がある。だいたいこういう内容だったと思うが、「世界では、戦争がいつおこってもおかしくないというのが、平時の状況であるのに対し、日本では、平和であるということが、あたりまえの平時の状況である。」それは、平和憲法があったから。絶対、戦争はしない。と誓ったから。である。

では、いま改憲の論議が生まれている状況というのは、「平時が平和」というのを捨て去る事だ。アメリカに屈せず、平和を守り抜けるのだろうか?「日本国憲法」なしで?

9条問題か~といろいろ、よく聞く話題だけれど、今ひとつ、改憲か護憲かわかりずらい~という人は、一度ご覧になってはどうでしょう。

読本も出ています。DVDもすでに販売されている。
もう、平和という感覚は、少し日本でもスタンダードでなくった。自衛隊がイラクに行っているし。
何をすべきか。考えるべきか。

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