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2005年08月 アーカイブ

2005年08月06日

祈りの日

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夏のゆうひ

祈りの日。日付がかわった。ニュース23で、原爆ドーム前で「死んだ女の子」の歌を坂本龍一アレンジで元ちとせが歌った。案外古くから知られている歌だそうだが、わたしは、歌ったことも、習ったことも無かった。

このニュースは、7月末には流れていたが、実際に聞いてみて、不思議な感じがした。悲惨な歌なのである。7歳(訳によって6歳)の原爆で死んだ女の子ヶ、とびらをたたいて、平和を訴えていく。

あす、わたしは、「平和を祈るコンサート」に出演する。今日、そのリハーサルが行われた。
ほんの少しの時間しかないリハで、いままでの練習でなかった、本番用のハモンドB-3オルガンが舞台に置かれているのを見て、こころが踊った。

わたしたちの伴奏者であり、ゴスペル曲の作曲者である、ブッチ・ヘイワード氏は、愛すべき人であり、同時にニューヨークに帰るとプロフェッサーといわれるような、大物ゴスペルオルガニスト(!)である。その彼が、B-3を鳴らしはじめると、曲がぐっと入り込んでくるのが分かった。

祈りを歌に。この積極的な平和宣言を、日が昇り、コンサートがあくと力強く歌おう。

ただ今、「朝まで生テレビ」が始まってしまった。う~元軍人の証言だ。寝れるかな?


2005年08月11日

赤い背中 長崎原爆被害を知る

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NHKスペシャルの9日の放送で「赤い背中」という番組を見た。
長崎の原爆を16歳の時に背中に受け、76歳の現在まで、うずく背中、治療しても皮膚の再生能力を奪うまで深くやけどをしてしまったために、いまだにうすい膜しか背中にはない。
時には、したから裂けてきたり、石灰化をおこした塊が皮膚を突き破る。

けれど、この背中と16歳当時の真っ赤にただれた背中の写真を掲げ、反核を訴える、谷口さんの姿は、痛々しいが、力強い。決して許せない、核兵器による被害をこれからも命をけづるように訴えていく。

背中の熱い感覚、臭いをわすれることは無い。わたしたちが、夏になるとにわかに、広島と長崎に思いをよせるということが、谷口さんにとっては、地獄のように生きつづけていく限り、忘れたくても忘れられない今もつづく悪夢なのだ。

広島・長崎ことしは、核不拡散のためにニューヨークに大勢の反核運動の人々が行った。
本当に伝えることは難しい。
本当に兵器を使う戦いをやめることも。


長崎原爆資料館のHP http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/

イラクに水の支援を

   ~~~~~転送・転載歓迎~~~~~~~~

★☆★バグダッドへ水を送る緊急支援にご協力ください★☆★
    ―イラク「命の水」支援プロジェクトからのお願いー

サダム政権崩壊から2年。米軍の占領政策破綻により、
イラクでは相変わらず水と電気が不足しています。
バグダッドも例外ではありません。
7月19日の浄水場爆破によりサドルシティを始めとして
市内領域の50%で給水がストップしました。
(3日後に給水が始まりましたが、
過去6週間のうち給水されなかった週が4回もありました)。
人々は常に水が来ない不安にさいなまれています。

イラクレジスタンス・レポートによると、バグダッドでは、水不足により、
重症患者が続出しています。
(以下、イラクレポートからの引用)
続く

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2005年08月15日

60歳のブルース

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SESSIONS FOR ROBERT J / セッションズ・フォー・ロバート・J

久しぶりにブルースアルバム+DVDを買った。ロバート・ジョンソンフリークのE.・クラプトンの日本では今年初めに出されたアルバムだ。

DVDだけ見た。セッションしている姿が、どのミュージシャンも楽しげだ。もちろんツアー前らしい緊張感も見せるが、違うシーンでは、ひとりでギターをもったクラプトンが弾いている姿も良い。

戦後60年。クラプトンは60歳。日本国憲法と同い年。
時々、世界の歴史ポイントと日本の歴史ポイントがずれる時がある、歴史は過去であり、机で学んだ歴史は、特に時代感覚を失っているので理解しにくい。

終戦記念日というけれど、終戦がこの日になったいきさつは残酷だ。
ポツダム宣言の受諾を引き伸ばした、日本の政府は、広島・長崎・その後も各地の空襲をもたらす攻撃
で200万人が命を落としたという。
始めたらなかなかやめられなかった、戦争。敗北をしっていても認めない罪。
だから、始めないように、できないようにするということがとても重要なことなのだと。感じる。

慰霊とか追悼とかよく言う。
過去は、現在に繋がる、その責任も重い。

60歳のブルースっていうのも、音楽だけにしておかなきゃな。憂鬱だけど。確かに。


2005年08月16日

VIGGOとシンディー・シーハンさん

久々にViggoのことを。ヴィゴ・モーテンセンは、平和について積極的なスタイルを持っている。映画俳優である以外に、詩人・絵描き・出版社の編集者と多彩に表現をする場をもっているため、ヴィゴファンはこういうところからも、情報を得る事が出来る。実際この記事は、Words of VMというファンサイトから知る事ができた。

さて、日本の夏は、戦後60年で戦争を語ることが多いが、未だ、イラクという戦場にいすわるアメリカの世論はどのようになっているのか?その一端が、シンディー・シーハンさんの運動に象徴されると思う。

CNNよりhttp://cnn.co.jp/usa/CNN200508120024.htmlテキサス州クロフォード――ブッシュ米大統領は11日、息子をイラクで失い、米軍撤退と面会を求め、クロフォードにある大統領私邸近くで6日間、キャンプを張って抗議している48歳女性の問題に触れ、同情するが、撤収は出来ない、と述べた。AP通信が伝えた。

それ以前の6月に大集会がおこなわれ、イラクにおける戦死者の家族会が家族会は、国民を誤った方向へと導いた大統領を弾劾するために全力を挙げるという宣言をしている。
阿修羅よりhttp://www.asyura2.com/0505/war71/msg/324.html

イラクへ行っている自衛隊はいったいどうなってるのか?とも思う。戦死者がどんどん増えるアメリカでは泥沼からぬけることができない状況を国民は批判して当然だ。ところが、彼女はアメリカでバッシングにもあっている。

その座り込み抗議をつづけるシンディさんのもとに、一人の男がレンタカーを自分で運転して尊敬をこめて激励にきた。この男が、ヴィゴ・モーテンセンである。さきのWords of VMのサイトでは、訪問の様子の写真を載せている。

次回作が待ち遠しい人である。世界中を魅了してやまない人。
そして何よりも、平和を積極的に愛する人。魅力あふれる・・・・

2005年08月18日

シンディー・シーハンさん続報

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Cindy の座り込み公式サイト

前回の記事でVIGGOが激励に訪れた、シンディさんの「ブッシュと話をさせろ~!」という運動は、拡がりを見せている。

TUP速報から
オーストラリアのジャーナリスト、ドナさんのレポートより

シーハンが言うには、彼女の行動は、まさに先週ブッシュ大統領が述べた以下のよう
な発言に刺激されたものなのです――「イラク、アフガニスタン、およびテロとの戦
争で命を無くした我が国の男女は、崇高な使命、無私の使命のもと死亡したのであ
る」

息子の死から1年以上たち、無数の公式報告書が侵略へのブッシュの言い訳を大量の
テキサスの砂ぼこりに変えてしまった今、当然にもシンディはブッシュに異を唱えて
います。

「今では私たち皆がそれは本当ではないと知っています、だから私はジョージ・ブッ
シュに聞きたいのです。
「私の息子はなぜ死んだのですか? 息子がそのために死んだという崇高な使命とは
何なのですか?」

「私は、ブッシュ大統領に息子の名前や家族の名前を更なる人殺しの正当化のために
使って欲しくないのです、息子の名前や犠牲や名誉を更なる殺人の正当化に利用しな
いで欲しいのです。一人の母親として、どうして私が今経験していることを、イラク
人であれアメリカ人であれ、他の母親もう一人にも経験して欲しいと望みますか?」

「それに、私が彼に言いたいのは、息子の犠牲を讃える唯一の方法は、今すぐ部隊を
帰還させることだということです」

また、シンディを応援する次のような呼びかけも行っている。

シンディ・シーハンを援助してブッシュに圧力をかけ続けてください。

1 ホワイトハウス comments@whitehouse.gov 宛てに、ただの3単語"Talk to
Cindy!"(シンディと話せ!)と書いて、イーメールを送ってください。

2 ホワイトハウス意見電話(202)456-1111に電話し、またはジョージ・ブッシュ
(George Bush, The White House, 1600 Pennsylvania Avenue NW, Washington, DC
20500)にはがきを出して、同じ3単語を伝えてください。

3 言葉を広げよう! このアピールを友人たちに、メーリングリストに、ブログに
送ってください。ウェブサイトに載せてください。私たちのこの簡単な3単語の要求
でホワイトハウスを圧倒しよう――シンディと話せ!

:「フロドは失敗した。ブッシュは指輪を持っている」
――テキサス州クロフォードにある看板

引用終わり。(詳細はTUPをご覧下さい。)

そう指輪の旅は、現在も続いていて、アイゼンガルドではなくホワイトハウスにそれはあるらしい。フロドのかわりに誰が行うのか?

ブッシュの言う、「崇高な使命・無私の使命」というのは、60年前の日本の戦死者にも、今も与えられている言葉と同じだ。「靖国」というところで。
本人の意思と関係なく、死んでも政治利用されるのはごめんだ。

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2005年08月21日

世界報道写真展 2005 

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世界報道写真展 2005 

盆のシーズンは、ぼちぼち仕事に行ったりしていたので、出かけたのはこの写真展だけだった。昨年に続いて2度目となる。最終日の18日に夕方駆けつけた。
昨年の記事は、こちら

昨年は、池上宗徳さんのDVD「IRAQ WAR」が、写真展の順路の最後に上映されていて、家ではなく、大きな画面であらためて見た、映像に胸が熱くなったのを覚えている。

今回の、受賞の「2005世界報道写真大賞」アルコ・ダッタ(インド)ロイター
「インド・タルミナドゥ州カッダロールで、スマトラ沖地震による津波で親族を亡くし嘆き悲しむ女性」(2004年12月28日撮影)がフライヤーの表紙となっている。

昨年は、さすがにイラク戦争真っ最中の写真が圧倒的だったが、今回は、こうした災害や貧困、内戦などの状況を切り取ったものが多かった。大賞の作品は、やはり迫力があり「悲しみ」が迫るような写真だった。

報道される側になる人々、受賞の対象となる写真の被写体の人々というのは、見られる側の人間なのではなく、いやでも世界から注目を受ける状況の「ところ」に住み、ある種の非日常な状況下に生きているということだ。全体量から言って。

ああ。こんなにひどい・・・と感じることが正しいのか?と写真をみたら思う。でも息をつめてしまう。写真論は、スーザン・ソンタグも書いている。写真というのは、研究に値する、人に作用する不思議なモノだ。

ある現実を切り取る行為。写真。ことに、ひどい状況では、知る事を必要とすることもあり、中には、それで心をあおることも出来る。

写真展には、他にも、うつくしい義足の水泳選手の泳ぎや、南米ペルーの女子サッカーチームの活き活きとしたはだしでサッカーボールをける姿、レスリング大会で4位になった少年の涙やほっとする写真も、あまりにも美しい写真も在った。そういうものを見て、深呼吸をして写真展を後にした。

今年のDVDは、豊田直己さんのスマトラ地震の被害の状況を映し出したものだった。

この写真展は昨年もそうだったが、大勢の人がやってくる。若いひとも、年配の人も。混雑した中、一所懸命に解説の文字を読んでいる。一体、ここには何が写っているのか?みんな、知りたい。
多くの知りたい人が、何をつかんで帰ったのだろう。

重い溜息?それとも、自分は関係ないという感覚?みんな地続きなのだ。

2005年08月23日

La manga Video and Dance Company 大阪公演

la manga.jpg 「The doll on the cake」から

動物園前のArt Theater dBでダンスと映像をつかった、コンテンポラリーダンスという分野の舞台を観た。彼らとは、京都で一度会っていて、京都の洛風中学でワークショップを行っていた。そのときのことは、こちらで。

今回の作品のタイトルは、「Articulating Cake and Guns」(ケーキと拳銃を連結する)というものだった。
2部構成になっており、1部は「The doll on the cake」(写真の作品)で、メキシコでは女の子は15歳になると誕生日に特別なパ-ティを開いてもらうという習慣がある。女性になるための祝賀会なのだけれど
「最後のおもちゃ」「ハイヒール」「招待された男性とのオフィシャルダンス」その女の子の内面の不安やあこがれ、叫び・・・を表現している。大人の女になるということを男性社会が認める式のような様相である。

人の性はいつ、決まるのか?ジェンダーとしての女。単なる人ではいけない何か?が求められてるのか?

この迷いの気持ちは、わかるなー。わかりやすい。

2部の作品「Outrage」怒り、無関心、9.11からの暴力について、2人のダンサーによって表現された。
ビデオでは、86歳の反戦主義の女性が語り、言葉が日本語で、強調されて映し出される。
2人は、一人の影のように、自分の意志の裏側として描かれているようだ。非常に激しい動きと暴力的な表現で、怖い感覚を私たちにもたせるということだろうか。

2つは、まったく違っていて、具体的な表現法と抽象的な表現法を両方の作品でみることが出来る。

ここに現わされているのは、非日常であるけれど、この中にある、不安や怒りや恐怖は、日常にあふれている。この日本は、彼らの住む、メキシコとちがって極端な貧困でストリートに生活をおいやられた子供もいない。一見豊かで、安全なようなのだけど、深くこころに不安を抱えた人は多い。

彼らは、動物園前にほどちかい、西成のあいりん地区にも足を運び、たのしく路上生活のおっちゃんらと写真におさまっている。日本の貧困や、経済の格差をそこに見出したのかもしれないけど、そのおちゃんらも彼らの公演に来ていた。そんな様子をみるとほっとするのだけど、そのおっちゃんたちには、どう映ったのだろう、このパフォーマンス。聞いてみたい。

2005年08月30日

With Cindy!

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Tシャツを作ってみた

Cindyさんの活動が広く知られるようになってきたのだろうか?TBを頂いた、ヤメ蚊さんのブログ「情報流通促進計画」をみてその気になって、Tシャツを作ってみた。

Cindyさんのテキサス・クロフォードの活動に多くの人が激励や一緒にキャンプをはったりして行動している。ブッシュに対して「なぜ息子が無駄死にをしないといけなかったのか?」と素朴に問うという行動が、共感を呼んだのだろう。

もちろん、このイラク戦争で死んだのはアメリカ兵よりもイラクの人々が圧倒的に多い。
2005年7月現在のイラク人死者数は約3万9000人(イラクボディカウントによれば7月11日現在で民間人犠牲者2万2787~2万5814人)(ロイターによる)
アメリカ兵の死者数は3月で1500人を越えた。
参照サイトはこちら

ブッシュが無駄死にさせた人々は、ゆうに4万人を超えるというわけだ。なんとういう殺人鬼。
9.11があり、心情的にテロ攻撃に対して、アメリカ国民は過剰にアメリカ国旗を振ったが、今、たとえ自分の「息子の死」のことから発想してもいいから、他国で殺した「誰かの息子達、娘達、夫や妻や父や母の死」のことを考えてほしい。

でも、ブッシュに抗議するのは米国民であってほしい。その方が効果的だからだ。
じゃあ、わたしたちが、koizumiに問うものって何だ? 9.11は日本は選挙日。投票はしなくちゃね。


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