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2004年03月31日

さくらと沖縄

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さくら、さくら、車で仕事に行く道すがら、満開のもの未だ時を待っているものいろいろあり。こんな晴れた日には目を楽しませてくれる。

サクラは、日本の国花?国歌とみとめてないけど、東京では卒業式の「君が代」斉唱で起立しなかったせいで180人もの教員が戒告処分を受けた。嫌がらせだな。東京都はそうでなくとも、ひどい状況である。起立しないというのは、「偏向教育」であるという。偏ってるのはそちらでないのかね~。

戦争のことで、今日NHKで「その時 歴史が動いた さとうきび畑の村の戦争 新史料が明かす沖縄戦の悲劇 」総合 午後9時15分~が放送された。
沖縄戦については、映画や特集などでたびたび取り上げられてきたものである。さとうきび畑の歌詞リンク
海のむこうからいくさがやってきた。 ある日鉄の雨にうたれ父は死んでいった。 この悲しみは消えない。

日本軍は上陸してくる米兵を即座に迎え撃つことはせず、内陸でまちかまえて戦うという戦略をとった。沖縄では、少年でさえ男は徴兵された。残された、女と子供、老人の村では、疎開を呼びかけられたが、それさえする力がないものが多くいた。

日本軍は、民間人の姿で米兵にわからないように攻撃する方針を持った。女装した兵隊を観たという。その計画の情報は、米軍にすでに知られるところとなり、上陸した米兵は民間人も含め無差別に攻撃をして、多くの犠牲者を出したという。こんな内容の放送であった。

この沖縄では、日本軍の兵隊に殺された状況が多々ある。この戦争で、本土決戦は沖縄だけ。今は、基地だらけ。こういうのが戦争というものだろう。

イラクでも民間人が殺される。イラクに行く自衛隊は、安全なところにいて、日本のNGOの支援団体はより危険なところで活動する。今すぐ、自衛隊はかえるべきだ。誰のための派兵かって?アメリカに決まってるジャン。

また戦争大好きな人間達に、自分が殺されなくてはならないなんて。そんなこと黙って見てていいの?そこら中にいるんだよ。そんな人間。気をつけなよ。Watch Your Back!

投稿者 pianocraft : 23:47 | コメント (0) | トラックバック

2004年03月30日

わたしの仕事館

本日は、私の仕事館でピアノ調律師体験の講師として仕事に行ってきた。

いやはや。学生さんたちは春休みなのである。日頃はすいている館内が、一変して親子づれが多い。ここでは、40種類の職業を体験することができる。厚生労働省管轄で、莫大なお金を投じてつくられた立派な施設で、一見の価値はある。

ピアノ調律師体験は、グランドピアノ調律、アップライト部品組み立て、アップライトタッチ調整、を実際にしていただき、いろんな構造や、調律師の仕事ないようを説明している。

本日は、体験に高校生、小学生、大人といろんなバラエティにとんだ人たちに調律ハンマーを握ってもらい、実際に音あわせをしてもらった。狂った音と合った音。その違いが何か?というのを体感すると、きっと家のピアノズレも気になってしまうのでは・・・・と思う。

他の職業体験も面白い。お隣は、声優だし、反対隣はフラワーアレンジメントである。芸術系の塊のところにある。事前予約が必要なので、WEBサイトで予約状況、開催日時をチェックしてから、行って下さい。

所要時間約1時間の体験は予約が必要だけれど、当日でもプチ体験というのはできる。体験と体験の間の時間で、その職業のブースが解放されているときは、入ってきてもらっていい。

なので、今日は間にもプチ体験者がたくさんいた。せっかく、ピアノを開けて、部品が見える状態にしているので、音楽に興味のある人は、訪ねる値打ちがありますよ~。

春休みにどこか連れて行くところにまよっている、親御サン!テーマパークの気分でどうぞいらっしゃ~い。

投稿者 pianocraft : 22:55 | コメント (7) | トラックバック

2004年03月28日

5時間ワークショップ

本日は、午後3時~8時まで、ゴスペルワークショップであった。指導はShedrick Mitchell氏と
The Greater Alle Cathedral of New Yorkの音楽Missianary Mr Stanly氏で、なかなかむずかしいコンテンポラリーのゴスペルソングを3曲学ぶことが出来た。

わがHarlem JP Choirは、そうでなくともクリスチャニティ―の高いクアイアであるが、こうして本当のゴスペルを学ぶことを重ねていくと、キリスト教を自分の人生の中でどう考えるかを迫られるのである。

本来、信仰のないものが歌うものではない、賛美である。
ひしひしと痛みを感じつつ、知らないがゆえに知りたい本当のスピリットを追求すればするほと、深く考え、自分を追い込んでいくことがある。

ときに、強く引かれたり、ときに非常に距離をおいたりと。
精神性において、脳みそのなかでおこる化学変化のことを、どう解釈するのか?あるいは、解釈をやめて、祈るのか?

いつまでもテーマで。終わりがない。終わるときは、2つのうちどちらかの理由である。
ゴスペルをやめる。か、クリスチャンになるか。

素晴らしい音楽である。音楽は素晴らしいのかもしれない。それゆえに、宗教には必ず人間の深いところを刺激する、音楽が存在する。
音楽なくして人は生きられないのでないかとさえ思うのだが・・・・・・。そもそも西洋音楽は教会から始まる。アジアの人間は、どうなのさ?

でも、個人的には、沖縄の神様に会いに行きたいなあ~。ッて思う。どこの神様でも魅力的なのだけど。すくなくとも、無神論者からは脱却した。つまらないから、人間の心理の奥深くになんにもないということを信じる神様をつくることもまたしんどいからね。幻影であれなんであれ、人間の免疫能力を高めるであろう、究極のプラス思考をすておく手はないものね。

だが、わたしはいつまで歌えるのだろう。ゴスペルを・・・・・

投稿者 pianocraft : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2004年03月27日

おそるべし床暖

久しぶりにピアノと環境変化の話など。

その1・雨の多い日が続いたある日。少し調律の間隔があいたお宅から朝電話があった。
「今日は雨ですので、調律の日程を変更してもらえませんか?」・・・・雨でも雪でも嵐でもたどり着けるのであれば、出かけていくのがわたくしたちの仕事でス。

つまり、ピアノは湿気に弱いので、雨の日にピアノを開けて調律するのは良くないのでは?というふうに考えておられる方は、少なからずおられる。

答え:それは間違い。湿気によるトラブルのあるピアノは、湿気の多いときに問題を起こす。そのときにきちんと対処しておけば、年間をつうじて良いコンディションを保つことができる。湿気のすくないときに、トラブルは発見しにくい。調律に適した時期でもある。

その2・床暖房
ピアノの下に床暖房が入ると、その年、えらいことになってしまう。乾燥気味になるため、音がガク~ンと落ちたり、部品ががたがたになってしまう。ピアノ部品は主に木で出来ているために
湿気を含んでいる状態から乾燥へ向かうとちぢんで、ネジなどが緩んでしまう。そのときは、特にメンテナンスを丁寧にして下さい。決してほったらかしにしないように。ネジがゆるゆるのまま弾いてると、部品が片べりしたり、いたんだりします。お気をつけください。

投稿者 pianocraft : 22:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年03月26日

デボラ・ウィンガーを探して

DVDを久しぶりに借りた。新作で。それが、ロードショーでは観れてなかった「デボラ・ウィンガ―を探して」であった。ハリウッド女優がハリウッド女優にインタビューして、女優・子育て・家庭と仕事の両立・40代を語る。35人の女優の言葉のドキュメンタリーだ。

仕事と家庭の両立という古くていつまでも続くテーマは、あのきらびやかなショービジネスの世界でもまったく同じで、彼らの仕事の質を高めたり、求めたりというのと、家庭をもって生きることの葛藤ややりくりの仕方などが、赤裸々に語られる。

アメリカは女性解放運動の盛んな国であった。が、保守勢力も強いのであろう。案外自由で奔放な人などこの中には、いなかった。

加齢という問題もある。女優というのは、自分の外見をかなりのパーセンテージにおいて売り物にしているので、このことについての評価が、年齢とともに落ちてきて、仕事が減ることについても随分、反感を持っていた。当たり前なのだけどね。世の中には、あらゆる世代がいるから、映画のなかにもあるはずなのだが、興業するほうの意識がね~やはり粗末で・・・・

古い問題で、個人的なさまざまなケースがあり、いちがいにこうといえない問題だとは思う。でも、ハリウッド女優というきわめて特殊な職業の彼女達、セレブであり特殊な生活を強いられている女達だが・・・問題は案外、身近なものであった。

女の問題は男の問題ともいえる。障害者の問題は、障害をもっていないものの問題。つまりどう共生するかは、片一方の問題ではないということでしょ?

他に借りたビデオはマイケルムーアのTV番組のものだ。これについてはまた今度。

投稿者 pianocraft : 22:15 | コメント (5) | トラックバック

2004年03月22日

でまえ音楽屋

昨日といっているうちに日付が変わった・・・こんなんばっかりや~
なので、一昨日20日の祝日に高槻生活支援センターというところで、演芸、落語、マジック、漫才にまじって、テジョンタイティエン+女子3楽坊(二胡4人組)というチーム、そして管理人+M’sWork管理人のギター・ボーカル・ピアノユニットも参加させてもらった。

高槻生活支援センターというのは、精神障害を持った人たちの入所していたり、通所していたりするところだ。心のちょっとしんどい人なんかが、来ていて、わいわいとやれせてもらった。

音楽を通じて、色んな人と出会えるのは楽しい。わたしたちの友人、交遊亭楽笑さんと一緒にいろんなところで、テジョンは出会いを経験した。

あるときは、ちんどんや今回は二胡弾き。
音楽は本来、路上などで踊ったり、歌ったり、そんなありようの似合うものでもある。もちろんコンサートホールの音楽も良いが、人にじかに触れることが出来、どんな人もそうストリートミュージシャンみたく、訴えかけられる。

我が、韓国の友人も募金活動をおこなっており、定期的に公園や路上で音楽を奏で集めている。

出前をご希望の方はご一報を!

投稿者 pianocraft : 00:37 | コメント (0) | トラックバック

2004年03月21日

本人だけ知らない

このブログをはじめてから・・・らしいのだけれど。トップページの表示がおかしくなってしまっていたのでした。

知らぬは本人ばかりなり・・・・ってことで。変やで~と聞いてびっくりでした。気になるところはあったのだけど、画像がみんなだめになっていてすいませんでした。うちのHPを見た人はわけがわからんかったでしょうね~

修正を試みました。また不思議なところをはっけんしたら、ご一報ください、。

というわけで、ご報告日記終了。

投稿者 pianocraft : 02:31 | コメント (1) | トラックバック

2004年03月17日

生れてはみたけれど

昨夜、思わずのめりこんだ映画を観た。のめりこむといっても、真剣に見入るというよりも、あまりにもはまってしまった。というほうが確かだけれど。

小津安二郎の作品といっても、映画通やマニアの方々と違い、BSで放送されたものをチェックする程度の認識しかない私にとって、衝撃の作品だった。

大人の絵本~生まれてはみたけれど」という作品を知る人は多いのか少ないのか一般的には解らないが、すくなくとも私には未知のものであった。これは1932年に公開されている。

2人兄弟(小学生)と父の関係。郊外に引っ越してきて、子供の仲間に入れずケンカをしたりする毎日。ふてくされる姿、遊ぶすがた、街の風景。すべて良く出来ていて、子役がすごすぎて
のめりこんだのだった。コメディでもあり、ホームドラマでもある。この、すぐれた子役の青木富夫さんという方が、今年1月になくなられた。80歳の姿を私はしらないが、最近の出演作もあり機会があればチェックしてみたい。

こんなことを言うのは、日本映画を知らないせいだろうが、この頃の映画のクオリティはすばらしく高いことに驚かされた。無声映画なのだが、場面の音のなさ、口がパクパクしているなかに言葉を読み取ろうとするのも楽しいものだと思った。

ついこの間、アメリカの現在のヒット映画のランキングと簡単な紹介のあるTV番組をみてしまったが(というのは後悔してるということ)、どうなってるのかねエ、下らん映画ばっかりやってて(本編をみたわけではないが)、ランクの多くはコメディ+エロチック路線。この中で日本に公開されるのはあるんかね?と思ったところだった。

実に新鮮な映画。そして、1930年代の父は暴君ではなく非常に、穏やかに、子供に語り掛ける。女性も権利や社会進出は今のようではなかったろうが、母も父にちゃんと話し合いをする
ポジションがあった。古く、しかしモダンで実に自由な生活があって、ほのぼのとして。日本の軍隊が力を持つようになるまでは、平和でおだやかな人の心があったことを想像させる。
機会があれば、見る価値あり。です。

投稿者 pianocraft : 10:30 | コメント (0) | トラックバック

2004年03月14日

夫婦別姓などについて

昨日、「自民党で夫婦別姓の民法改正案を議論していたが、異論が相次ぎ了承をえられないまま終わった。」と言う記事を朝日新聞で読んだ。大見出しには「国家解体運動の一環だ」「認めると少子化がすすむ」といったわけのわからん理由が書いてあった。

そもそも自民党の民法改正案もたいがい非現実的な内容なのだ。以下朝日新聞から引用。
■例外的夫婦別姓案の骨子■
・夫婦は同性を原則とし、別姓は例外とする。
・職業生活上の事情、祖先の祭祀の主宰などの理由がある場合、家庭裁判所の許可を得て別姓を認める。
・別姓から同姓への転換は認めるが、同姓から別姓への転換は認めない。
・別姓夫婦は婚姻の際、子供の姓を定めなくてはならない。別姓夫婦の複数の子はすべて同じ姓を名乗る。
・別姓夫婦の子は成年に達した後、家庭裁判所の許可を得て、父か母のせいを選ぶことができる。

以上。

とてもこの内容では制限されているにも関わらず、「一部マニアだけで議論して欲しい」とのたまう。人権の問題がマニアだけの問題という認識そのものが、まったく想像力が乏しく、多くの要望を理解しようとさえしない。そんな感じを受ける。

本当に非嫡出子の問題と言い、別姓論といい。怒りがこみ上げる。
国家が姓で解体するのなら、韓国はとっくに解体している。強い儒教精神の上で、日本よりはるかに強い絆で家族が結ばれているというのに・・・見識のなさもはなはだしい。

まさに、姓の問題で言えば、戦争のときに日本人が在日の人から韓国の姓を奪って日本人にしたり、外国人にしたり、かって気ままに政治に利用してきた。一人一人、生きている。大切に生きようとするから、個人を大切にする。というのが、わたしの私的な考えだ。

人間は、人間だけでなく、生きとしいけるもの、あるいは、生きてないものだって何ひとつ同じものはない。クローンができたとしても、同じ環境で生きるのは不可能でしょ。実験室でない限り。

人は人とあらそうけれど、それは「違い」を「違い」として認めるよりも、支配したり、支配されたりする関係をすぐにつくろうとする傾向があるからなのではないかと思う。
違うから解ろうとする。わからないこともあるが、あるところまでは許容しよう。そうやって、それぞれの文化を尊重して生きていきたい。そして、それは夫婦だって同じ事。別の文化で生きてきて、同じ一つのものになるわけではない。別のなにかを創っていくことだ。ならば、違うことを違うとより間違わずにいるために、「べつの名前」を持つことは有効である。と考える。
というのが、持論。自論。すぐにわかってあたりまえと思うから・・・間違うんだと思う。

あ~あ太田知事の相撲問題まで出てきた。もう、今書くのはやめだ。ちなみに、太田知事の太田は旧姓であります。彼女の戸籍は「渡辺」だったと思う。

投稿者 pianocraft : 00:27 | コメント (1) | トラックバック

2004年03月11日

非嫡出子差別

ここのところ、戸籍の記載方法の動向が気になっていた。2日の裁判で表記が改正された。関連記事はこちら
婚外子について、男・女で記載されていて、戸籍では、長女・次女・・・等の表現だったのにあわせた表記になるということだが・・・・

そもそも子供の産まれる順番で、長だとか次だとか順番をつけてるのは、家制度の名残でそのものがもう不用のものだと感じている。また、遺産の相続が結局、嫡出子の2分の1であるという民法上の区別があるために、根本的にまだ問題があるのだけれど。

朝日新聞でも、韓国の女性からのコメントもあり面白かった。韓国では、夫婦は別姓なのだ。夫の姓つまり家系に女性は入れないといういみで、父系社会、儒教の制度を引き継いでいる。だが、婚外子については戸籍上の差別はなく(うがった見方をすれば、男性の血統を引き継ぐ子については、同等の権利ということか?)、「戸主制」というものがあり、父が認知すれば父の子という制度だそうだ。

だが、韓国も今は女性運動が盛んになっていて、この「戸主制」に対し反対が起こっており、ただ今審議中とのことだ。戸主制以降は、個人籍か家族籍かでまだ、議論の最中というが・・・

日本の現状をみれば、それ以前の段階だな。いつも、春になると新学期になり、家族構成とかいえの地図とか学校に提出するけど、我が子はいつも1子、2子である。1番2番もひつようないのだけどネ。

パリに住んでいる人のコメントでは(朝日新聞)、フランスでは4割が婚外子なので、戸籍による相続の差別条項は撤廃されたということだ。そもそも、戸籍のある国のほうが少ないのだ。
国によって、個人が実に把握されやすい国なのだよ、日本って。

アメリカでのゲイ婚にせよ、結婚そのものの枠組みがもう形骸化してるように思うのだけど、日本ではまだまだですが・・・個人単位でモノを考え、行動し、選択しというように、生きていかねばね~。これは、自分にも科していることですが。

結婚しててね、子供もいてね・・・両親もいるのに子供が虐待されて死んでるんだよ。心豊かに愛情をもって生きるというのは、他人だっていいのにと思う。子供のない夫婦には、里子をそだてられないそうだ。

養子でも、肌の色が違っても、男でも女でも障害があっても、愛情をもって育てていくことは育てるものにとっても幸せなのに。親にさせてもらってありがたいと思う。生きていくうえでエポックメイキングなこと。

エポック-メーキング 5 [epoch-making]
(形動)
ある分野に新しい時代を開くほどであるさま。画期的。
「科学史上―な発見」

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2004年03月09日

mi-ha-

ミーハーやってると楽しいね。特にインターネットが普及して、国を越えてファンは宇宙を飛ぶ。

ロードオブザリングで好きな役者は・・・といえば、いろいろ分かれるところだろうが・・・アラゴルン役のviggo mortensen好きは数知れず。新しいファンもウン万と生み出したことだろう。

ということで、彼のフォトギャラリーの中にムチャ魅力的なのがあるのでリンクから探してみてください。

また、この人の仕事には、美術・詩作があるが、絵を見ることができる。このサイト

なかばファンサイト並。ちなみに誕生日は1958.10.20なり。
我々の世代ジャン!

私は、G.Iジェーン観てたのにな。イヤ~な上官だったよな。いやはや。また、楽しみ増えたっと。

私だけ?楽しいの?

投稿者 pianocraft : 22:59 | コメント (0) | トラックバック

ロードオブザリング

ついに!観ることが出来た。この映画だった。なんと一番前の席しかあいてなく(そりゃそうだね~上映5分前滑り込みだから・・・)、エルフ語は英語字幕で間に合わせた。なぜかって?
スクリーンの右端に日本語訳がでるから、顔をうんと右に振らねばならない。・・・そうするといいシーンを見逃してしまう!!!

2000年の公開で観に行ってから、文庫の9巻を読み終わるまで、ファンタジーに浸り、旅の仲間の行く末をあんじながら、本を読み進んだ。関連書もたくさんでていてまだまだ、はまれるので末永く楽しめるのだ。

原作を読んだ人はわかるだろうけど、物語はもっといろんな出来事や登場する人物(正確には~族)がでてきて、セオデン王やデネソール候の人物像。アラゴルンやホビットたちの心の動きが現れている。

3部作最後の「王の帰還」は、いうまでもなくアラゴルンがゴンドールの真の王であり、指輪をフロドが破壊した後に王座につくということをあらわしているが、本での描写のなかでわたしが好きな場面がある。

アラゴルンは真の王であることの証に、むかしから伝えられている歌に、王は癒し主である。というくだりがあるという。私は、アラゴルンが傷ついたファラミアやエオウィン、メリーを静かに癒し、真の王であることを回りのものにも知らしめる。というシーンがすごく好きで、これは、キリストが病の人を癒したこと、王の王であるといわれるそういうイメージを持ったことでもある。

アラゴルンは実際の外傷を治したというのでなく、魂やモルドールの暗黒のサウロンの黒い意志というでもいうのか、そういったことが原因の病から、救い出した。と考えられる。

そういう偉大さをアラゴルンはもっている、非常に高潔な王である。

その魅力を、十分に感じるシーンがなく、指輪が投げ入れられた後、あっという間に王に即位した姿は、あっけない。

このアラゴルンを演じるヴィゴ・モーテンセンはインタビューで監督のピータージャクソンが戦闘シーンが好きで、そのスケールが大きいほど戦闘者が多いほど喜ぶ・・・・と語っている。そう、映画であるがゆえに、見せ場はやはり大戦闘シーンなのか・・・。いいけどね。映画だから。

そうこの戦闘シーンも一番前でみたわたしが不運だった製か知らんが、ちょっと動きが速すぎて戦いの映像が流れてしまったように見えたのはなんでかな?大戦闘なので誰がどこぞで誰かと戦っているなんてのは、実際にはわからないだろうけど。もう一回観るしかないのかな?

この3部作ロードショーが終わったら、一気に一日三本立て上映なんてしないのかな?
一日掛けて1部から3部まで観るのにな~誰か企画してください。
こんなに、物語に浸れるなんて、幸せ~と思う。

そういえば、指輪を投げ入れて帰ってきたホビット庄でなにげにビールを傾ける仲間たちの描写はなんだか寂しかった。村人が功績を称えるでもなく、全くなにもなかったかのようなホビット庄だが、実際は違ったんだよね。(原作を読んでください。)彼らの成長というのも今ひとつ評価されてなくてかわいそうな感じだった。フロドも寂しいし。

冒険のお話の終わりはあたりまえだけれど、静かだ。その静かさが、癒された、こころの平安を得るような静けさであればいいけれど、すこしこの映画が終わって物悲しさを感じた。
その点でも原作は優れている。

映画の夢に酔った人は是非原作で、もう一度旅に出て欲しい。長い、長いたびだけれど、文章の中に文字の中に、そうたくさんでてくる歌の中に希望が見出せる。

次に観たい映画No.1は「ホテルビーナス」か?今日スマスマの剛特集を見てしまった・・・・から。み~は~やねエ!

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2004年03月03日

池澤夏樹さん

以前友人から教えてもらい、池澤夏樹さんのメルマガを送ってもらっている。イラクの問題、日本の問題、アメリカの問題。いろんな問題があるが、この人の言葉には確かに、強い憂いがあり、日本という国をみつめなおすヒントをたくさん与えてくれる。

本日「パンドラの時代 006」が届いた。「路線を変える」というタイトルで、リンクをクリックしてもらうと本文を読むことができるが、日本国憲法、非戦の憲法についてや、アメリカに追随しない独自の日本のあり方の提言などがかかれている。

911以降のアメリカ→イラク→日本自衛隊にいたるまで、その時々の考えを書き記されている。私も、状況の判断材料にも使った。
ともかく、まともな目で見ている。そんな文章を読むと。新聞に踊っている、煽情的な文字に気分を悪くしている時など、清浄剤のよな気がするときがある。

とても気になる。自分のいるところ。住んでいるエリア。どんな考えにどんな政治に支配されているのか?国が、民族の象徴でもなく、ましてや宗教の象徴でもない。と考えたい。そうでない国もあるのだけど、最大の相違を最大の努力で理解して。たまたま自分のいるところが、日本という地球の1エリアに過ぎないと考えたい。

そう、地球の1地方かな。だから、日本弁しゃべるねん。

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2004年03月02日

フィラデルフィア

また、今日もBSで映画を観てしまった。暇やな~って。つい魅入ってしまう。10年ほど前にやはりBSで観たのだったが、あらためてまた、観てしまう。
タイトルは「フィラデルフィア」1993年。トムハンクスがガリガリのエイズの患者になって、話題を呼び(10年経ったいまのぶくぶくが信じられない。)オスカーを取った映画である。
共演は、デンゼルワシントン。トムハンクスのゲイのつれあいがアントニオバンデラスと豪華。

根っこの問題は、トムハンクスふんする弁護士が解雇された理由はエイズであり、同性愛の差別による不当なものである。という裁判を描く。エイズを発症してしまい、もう命も尽きようとしている弁護士をゲイは大嫌いだが、法に反するということに敢然とたちむかうもうひとりの弁護士、デンゼルワシントン。同性愛にたいする偏見からじょじょに解放されていく。

これを今、みていてカリフォルニア州の同性愛結婚の承認とそれに伴う、2/24ホワイトハウス記者会見でのブッシュの大反対の論争をリアルに感じた。
キリスト教右派。保守派の考えがあってのことだが、この映画ではそのもっともっと原点ともいわれるような人間への恐怖心・・・異なるものへの(邪教ととらえることもできるだろう。)が嫌悪感になり差別へと繋がっていく。そういう点を裁判で突いてみせる。

アメリカは多様な人種と自由な志向・思考の国であるという反面、大きな、軋轢をかかえながらいつも、大陸プレートがじわじわ迫るように、いつか大地震を起こすのではという危険をはらんだ国だな~と思わずにいられない。

ステレオタイプに考えるのは、嫌だし、間違いに陥るので気をつけなければならないが、日本にはないマグマだね。と思ってしまう。

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