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2004年03月14日

夫婦別姓などについて

昨日、「自民党で夫婦別姓の民法改正案を議論していたが、異論が相次ぎ了承をえられないまま終わった。」と言う記事を朝日新聞で読んだ。大見出しには「国家解体運動の一環だ」「認めると少子化がすすむ」といったわけのわからん理由が書いてあった。

そもそも自民党の民法改正案もたいがい非現実的な内容なのだ。以下朝日新聞から引用。
■例外的夫婦別姓案の骨子■
・夫婦は同性を原則とし、別姓は例外とする。
・職業生活上の事情、祖先の祭祀の主宰などの理由がある場合、家庭裁判所の許可を得て別姓を認める。
・別姓から同姓への転換は認めるが、同姓から別姓への転換は認めない。
・別姓夫婦は婚姻の際、子供の姓を定めなくてはならない。別姓夫婦の複数の子はすべて同じ姓を名乗る。
・別姓夫婦の子は成年に達した後、家庭裁判所の許可を得て、父か母のせいを選ぶことができる。

以上。

とてもこの内容では制限されているにも関わらず、「一部マニアだけで議論して欲しい」とのたまう。人権の問題がマニアだけの問題という認識そのものが、まったく想像力が乏しく、多くの要望を理解しようとさえしない。そんな感じを受ける。

本当に非嫡出子の問題と言い、別姓論といい。怒りがこみ上げる。
国家が姓で解体するのなら、韓国はとっくに解体している。強い儒教精神の上で、日本よりはるかに強い絆で家族が結ばれているというのに・・・見識のなさもはなはだしい。

まさに、姓の問題で言えば、戦争のときに日本人が在日の人から韓国の姓を奪って日本人にしたり、外国人にしたり、かって気ままに政治に利用してきた。一人一人、生きている。大切に生きようとするから、個人を大切にする。というのが、わたしの私的な考えだ。

人間は、人間だけでなく、生きとしいけるもの、あるいは、生きてないものだって何ひとつ同じものはない。クローンができたとしても、同じ環境で生きるのは不可能でしょ。実験室でない限り。

人は人とあらそうけれど、それは「違い」を「違い」として認めるよりも、支配したり、支配されたりする関係をすぐにつくろうとする傾向があるからなのではないかと思う。
違うから解ろうとする。わからないこともあるが、あるところまでは許容しよう。そうやって、それぞれの文化を尊重して生きていきたい。そして、それは夫婦だって同じ事。別の文化で生きてきて、同じ一つのものになるわけではない。別のなにかを創っていくことだ。ならば、違うことを違うとより間違わずにいるために、「べつの名前」を持つことは有効である。と考える。
というのが、持論。自論。すぐにわかってあたりまえと思うから・・・間違うんだと思う。

あ~あ太田知事の相撲問題まで出てきた。もう、今書くのはやめだ。ちなみに、太田知事の太田は旧姓であります。彼女の戸籍は「渡辺」だったと思う。

投稿者 pianocraft : 2004年03月14日 00:27

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何度言っても残念ですが、報道によると自民党推進議員は夫婦別姓法案を今国会から提出 [続きを読む]

トラックバック時刻: 2004年06月29日 16:33

コメント

私も夫婦別姓を切望しやきもきしている一人です。
なんとか打開をと思い、夫婦別姓に関していろいろとまとめました。参考になればとても幸いです。

投稿者 夫婦別姓を待つ身 : 2004年06月29日 16:34

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