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2007年03月31日

靖国・沖縄・・・歴史はまた変わっていく

国立国会図書館刊行の「新編 靖国神社問題資料集」に収録された内部文書から、BC級、A級の戦犯の合祀に当時の厚生省が主導したという記事が昨日、一昨日と連日報道されていた。
安倍首相は、これに関して、国の関与は「問題ない」としている。あくまでも、神社がしたことという。

この言い方。限定的関与。戦時性奴隷の時もそう。都合の悪い資料は、限定的、狭義のという。

しかし、この国会図書館の資料はまぎれもないものだ。与党内でも、議論を呼んでいるそうなのでこの問題を避けずに、今度こそ国として、靖国神社そのものの存在の矛盾を正して欲しいと思う。
まあ、この首相ではね。とは思うのだけど。

国会図書館は、関西にもあり、「わたしの仕事館」の並びに建っている。WEB上での資料公開は、5月以降だそうな。

歴史は、古いものから新しいものまで、どんどん新資料で塗り替えられていってるらしい。今日もTVで、昔ならった歴史が今の教科書では新資料に基づいて変わっていることを伝えていた。
その教科書から、沖縄戦のガマでの集団自決は「軍が強制」という表現が削除されることになった。

日本軍が命令したかどうかは、明らかとはいえない。らしい。教科書検定では、「集団自決においこまれたりした人がいた。」のような、一部の追い込まれた、追い詰められた人のとった行動として修正されている。けれど、以下のような報告もある。

関東学院大学の林博史教授が米国立公文書館で発見した。記録は一九四五年四月三日付の「慶良間列島作戦報告」。慶留間島の住民への尋問で「住民らは日本兵が米軍が上陸してきた時は自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されている。「集団自決」発生直後の記録として、住民への命令状況を伝える貴重な資料。林教授は「自決命令があったことは、既に三月下旬時点で島民たちによって語られていた。戦後創作されたものではない」と指摘。

どうも、あからさまにこの国は変わろうとしている。あまりにも、あからさまにだ。
安倍首相とそのお友達連中に、好き勝手発言されて。

国サイドとしては、戦争で犬死させられた人々、沖縄戦で自国の軍隊に虐殺された人々、いづれにしても、戦争しても国民は守らないばかりか殺されてしまうということが、今、またはっきりした。軍の関与のない出来事のうえで、戦争は行われていたらしい。そんなことありえないということくらい、わたしのような馬鹿な小市民だってわかる。あらたな、ナショナリズムを掲げて、一体何を守り、一体何を作ろうというのだろう。
美しいものなんて、ひとつもない。醜悪な事実が暴露されてばかりだ。

投稿者 pianocraft : 22:43 | コメント (4) | トラックバック

2007年03月26日

能登半島地震

気象庁は、石川県で起こった地震の名称を「能登半島地震」と名づけた。

能登半島は、わたしにとっては、学生の時に好きで何度も訪れた場所だった。
海岸線をあるくのが好きだった。「ランプの宿」と言う名で有名な、海岸にせまったところに建っている旅館で、ランプの灯だけですごす一夜は、オイルの臭いと柔らかい灯で静かな気分にさせてくれた。しかし、今ではかなり増築されていて、雰囲気が違っている。(HPをみたら・・)

大丈夫だったのだろうか?

テレビで映し出される映像は、阪神大震災のときのような傾いた家屋。屋根につぶされるように木造の家屋はへしゃげている。
続く余震に気持ちが休まる間もないだろう。インタビューで「ちょっとのゆれでも敏感に反応してしまう。怖い」というような言葉があったが、本当に思い出す。わずかのゆれが、前触れのようで恐ろしくて仕方ない。南海地震がおこることも間違いないのに、ふたたび思い出す、恐怖と人々のやるせない、いまの気分を思うと胸が痛む。

多くの支援がすみやかになされるように行政に願う。
高齢者の多い地域と聞く。住宅の確保も急いで、ゆっくり体を伸ばして眠れるようにしてあげて欲しい。

美しい海辺の道は分断されている。

義援金の情報

能登半島地震 義援金受け付け NHK金沢放送局 

能登半島地震で被災した人たちを支援するため、NHK金沢放送局では、災害義援金の受け付けを始めました。9月28日まで受け付けます。27日からは郵便振替でも受け付けます。送金先は、▽社会福祉法人石川県共同募金会が「00780ー6-320」、▽日本赤十字社石川県支部が「00780-1ー3」、▽石川県災害対策本部が「00730-4-7700」です。通信欄に「能登半島地震災害義援金」と書いてください。窓口での振替手数料は無料です。詳しくはNHK金沢放送局、電話076-264-7030までお問い合わせください。
(3月26日 19時33分)

日本赤十字
平成19年能登半島地震義援金の受付について

3月25日に発生した石川県能登半島沖を震源とする地震で被害を受けられた方々を支援するため、日本赤十字社は下記のとおり義援金の受付を行います。
みなさまのご協力をお願い致します。

1. 受付期間 平成19年3月27日(火)~平成19年9月28日(金)
2. 受付方法  
郵便振替 口座名義 日本赤十字社石川県支部 
       口座番号 00780-1-3
(1)振替用紙の通信欄に「平成19年能登半島地震義援金」と明記してください。
(2)受領証の発行を希望の場合は、その旨を通信欄に記載して下さい。
(3)郵便局窓口での取扱いの場合、振替手数料は免除されます。

※寄せられた義援金の配分は、石川県、日本赤十字社石川県支部、石川県共同募金会等で構成される義援金配分委員会で決定し、被災者に配分します

YAHOOボランティア
募金テーマ 「能登半島地震」義援金
募金先団体 日本赤十字社
金額 500円~100,000円(税込)
※壁紙を購入いただくことで、購入金額全額を募金でき、団体を通じて支援活動に活用されます。購入金額に含まれる消費税は別途納税し、その消費税と同額をYahoo! JAPANが補填(ほてん)した後に団体へ送金いたします。
内容 3月25日に能登半島で発生した地震は、各地に大きな被害をもたらしました。日本赤十字社では、この地震で被害を受けられた方々を支援することを目的に、義援金の募集を実施しています。
ご協力をよろしくお願いします。

このページでの義援金受け付け期間:2007年3月26日~4月30日
(現地の状況などにより期間が変更になる場合があります)
募金の使途 義援金は、災害により生命・財産に大きな被害を受けた方々に対する慰謝激励の見舞金の性格を持つもので、受け付けた義援金は、被災された方々に迅速(じんそく)かつ公平に配分されます。
また、義援金は日本赤十字社だけでなく報道機関など多くの団体が受け付け、第三者機関である「義援金配分委員会」(被災自治体、日本赤十字社、報道機関などで構成)に拠出されます。同委員会では、各機関で受け付けた義援金をとりまとめるとともに、配分基準を作成し、被災された方々へ配分を行います。

なお「インターネット募金」の利用には、「Yahoo!ウォレット」(支払い情報保存サービス)への登録が必要となる

投稿者 pianocraft : 22:08 | コメント (0) | トラックバック

2007年03月24日

技術者というものは・・

3月、4月といえば、総会シーズン、年度初めの会議やらなんやらが、続く。

本日も、一つ総会が終わり、懇親会にも参加した。

ピアノ調律師と一口に言っても、仕事の仕方もフリーや社員や、嘱託やら色々。仕事の対象もコンサート中心から家庭回り中心など、あるいは、修理工房で各種の修理をする人やら、おもに調律ばかりの人年齢もさまざま。

けれど、会が和むと、やはりピアノの話。それも、細かい話、道具の話いろいろ。
だんだん、熱が入ってくる。けれど、学ぶことが多い雑談タイム。こういう、雑然とした時間が、いつもは一人でピアノに向かい、考え、工夫を凝らしている技術者たちにとって大切な情報交換の場となる。

本来、変わり者の多いという感じのピアノ調律師なのだけれど、それは、それぞれのこだわりのせいなのだろう。この職業について、このように多くの同業者と交流することはかつてはなかったのだが、何らかの役にあたったせいで、本当に個性的な人々のありように気づかされる。

やはり、人は面白い。
ピアノを弾く人のためだけにある職業。これだけで充分変わってるけどね。

投稿者 pianocraft : 23:51 | コメント (0) | トラックバック

2007年03月18日

今もなお、傷つける「安倍発言」

米下院議員から、提出された決議案をめぐって、また「あらわにされた」安倍発言の醜悪さ。

性奴隷とされた女性たちが、軍の強制であったことをいまだに言葉としての「狭義・広義」論に矮小化していまうおろかさ。

人として、性奴隷にした女性を思う気持ちが微塵も感じられない。国を戦争に導いた政治のように、ここでも人を一人の命ある、尊厳ある存在として扱わない姿勢。

「ガイサンシーとその姉妹たち」で、中国の山西省に駐留していた旧日本兵の言葉を思い出す。
年少兵であったその人は、年長の兵隊から順番に侮辱されていく女性に、お前もしろといわれて何も考えずに、自分も加わったことを本当に今は後悔している。今は、家族がいて、子供や孫がいて、この子たちが同じような目にあうと考えたら、悔いが晴れることはないと。

戦争という強大な暴力の元では、最後にふみつけにされるのは、差別の底辺にある、他民族の女性だった。明日死ぬかもしれない暴力にさらされた兵隊は、まず人殺しを叩き込まれ、暴力に対する抵抗を失う。性暴力も同じ感覚だったのだろう。

戦後も、同じ国の人間にも差別され、貧しい生活を強いられたおばあさんも多い。
さらに、日本政府は、もういちどおばあさんたちを侮辱しようというのか?

河野談話と矛盾しようが、つじつまが合わない発言。
とっとと、やめて欲しい。

詳しく、低気温のエクスタシーのブログでも取り上げてありました。

投稿者 pianocraft : 22:58 | コメント (4) | トラックバック

2007年03月13日

人間は捨てたものか?捨てたものじゃないか?どっち

やっと観て来た。「善き人のためのソナタ」「グァンタナモ 僕達が見た真実
実は、2ヶ所の劇場をはしごしてみた。

よくも、まあ、人の良心と悪意とが両方際立った映画を選んだものだと・・・自分でも苦笑している。

「グアンタナモ 僕達の見た真実」は、アメリカが今現在もキューバのグアンタナモに500人も収容していて、起訴された人は10人という、ばかげた「テロリスト収容所」に偶然放り込まれることになってしまった、3人のイギリスの若者の実話に基づく映画だった。

ドキュメンタリーのような描写で、外からは見えない収容所、尋問、暴力を知らせてくれる。「テロリストに決め付けられる」た人々が米軍によってどれだけ捕らえられたのであろうか?アルグレイブの写真にあったような、感じとは少し違ったが、誰でも一度疑われたら逃れられないという恐怖に救われない気分となった。拷問は、強烈な轟音のロックがならされて、ストロボライトが点滅する部屋で足を縛られて、何時間も置かれる。耳元では、尋問が繰り返されたり、数多く。ラムズフェルドがうそぶく「人道的な取り扱い」が、この有様だ。

けれど、この20そこそこの若者たちは、なかなか意思が強かった。よくやった。けれど、彼らはイギリス国籍であったから、今、帰れたのだろうなと思う。多くの収容所の人たちは、イギリスでのアリバイを持っているはずがないから。

こうして、救いようのない、腐った米軍を見て、思った。米軍という組織、アメリカという国は、救いがたいけれど、人として完全な悪などなく、戦争をきっかけにして「人らしい感情」を封印してしまってる。善と悪の2つに、人は色分けされるものではないはずだ・・・と、「善き人のためのソナタ」を見てからみた、この映画。人として。兵士をやめて、もういちど生きて欲しいと思った。

そして、美しかった映画「善き人のためのソナタ」

1989年にベルリンの壁は崩壊した。今、高校生の子供たちが生まれたころだ。
その少し前の東ドイツを舞台に、この映画は、敵対する関係にある人間たちの中から生まれた、人間らしい「情」「愛」を描いた。実にしっとりと、心に染みる映画だった。

劇作家と女優の恋人の同棲するアパートを盗聴するシュタージ(秘密警察)。西側に情報を流さないか監視している。国家の社会主義にそわない演劇は、抹殺され、作家は職をうばわれる。
そういう意味では、主人公のドライマンは、東側と折り合いをつけた形で、演劇を創作していた。けれど、職を追われた演出家の友人が自殺をはかったことで、東側に反発をつよめる。そうして、西側に秘密裏に東側の自殺率の高さなどをレポートした記事を送ることになる。

これを監視していた、シュタージのヴィースラーがいい。本来の任務から離れて、盗聴するに従い、親しみを感じてしまう。ブレヒトをこっそり、書斎から持ち出して読んだり、タイトルになっている「善き人のためのソナタ」を演奏を聴いて、盗聴しながら涙を流す。

敵対していながらも、彼らを結局守る、ヴィースラー。しかし、その姿は、盗聴されている本人に知られることはなかった。影で彼らの危機を救った。その後、ベルリンの壁は崩壊。
ドライマンは、後に盗聴の事実を知り、シュタージ資料館(ここはすごい!調べ上げられた個人の情報の資料館で、こうして人はリストにされてしまうのかと思う。)を訪れる。自分の資料を請求すると、山積みされた資料がでてきた。それが、ヴィースラーの報告書であり、自分たちが、誰かに盗聴されていたが、救われたということを知る。

この映画では、冷たく、人間味のない「尋問官」が人間の良心で動いていく、変貌していく様を描いているのだが、国の政治が狂っていても、人は良心をもういちど取り戻すことができる。そのような、救いのある「捨てたもんじゃない」派のストーリー。
観ていて美しく、シュタージのヴィースラーのくそまじめさが、良いほうにも悪いほうにもころぶ。はかない人のこころ、弱さも感じた。けれど、ラストにヴィースラー自身が救われるところがとても素晴らしい。

投稿者 pianocraft : 23:19 | コメント (4) | トラックバック

2007年03月06日

生姜はすごい

このところ、花粉の影響と気温変化のせいで、朝はくしゃみを連発する。それでも今年は、アレルギー剤と抗ヒスタミン剤に頼らず、なんとかやりすごしている。

私のアレルギー性鼻炎は、どちらかといえば、通年性のもので年中、草に悩まされていて、杉やひのきより草のほうがひどい症状を引き起こす。
そうやって、調子の悪い状態は、のどまで及び、風邪だかなんだかわけがわからなくなってしまう。

のどがつらいとき、生姜湯の市販のものを以前はたま~にのんでいたのだけれど、最近、なんでいままでそれを生で作らなかったのか???と思うくらい、生の生姜でつくっては飲んでいる。
それは、知り合いの一言だった「わたしは、風邪気のときは生姜をすって、黒糖をいれてお湯で飲んでる」そうか~。それって、生姜湯や。

ためしに、わたしは生姜のすりおろしたもの、はちみつ、熱湯で作ってみた。飲んでびっくり。
生姜がのどをとおるときに、「か~~っ」と熱くなる。体ものどもあたたまり、いかにもよさげ。

生姜好きは、前からだけど、味噌汁にすりおろした生姜をあとで入れたり、うどんに入れたり、なんでも入れてみると、自然に出汁の甘みが引き立てられてとてもおいしい。しかも、のどにぐっとくる。

なので、一度試しに、生の生姜をすりおろして、あれこれに入れてみてください。のどのケアにどうぞ。
もう、知ってるよという人もいるかもね。のどケアのいい方法しっているかたは、また教えてくださいね。

投稿者 pianocraft : 23:54 | コメント (2) | トラックバック

2007年03月04日

舞台のあちら側とこちら側。「ガイサンシーとその姉妹たち」を見た

自分の立ち位置というものを意識せざるを得ない時がある。それが、昨日であり、今日もまたそうだった。

まったく違うシチュエーション。けれど、物事にはこうやって、つくづく、いつもあちら側とこちら側があると改めて感じた。
実は、昨夜はライブだった。舞台の演奏者としての立ち位置と、客席の場所。世界はえらく違うのだ。
一瞬で過ぎ去る音の世界を聞く側は、その時間の流れで聞き、次から次へと新しい音と出会い、過ぎ去っていく。音を作り出すほうは、同じ一瞬の音なのだけれど、生み出す自分自身という主体がある。生身の人から出る音。

そのことをうんと感じていて、今日は、班忠義監督のトークショーと映画「ガイサンシーとその姉妹たち」を見たとき、今度は舞台の客席にいる自分を感じるのだった。

この映画のあちら側、つまりスクリーンの側の世界は、中国のひどくへんぴな、4WDの車で川を渡っていかなければたどり着けないようなところで取材された。自分がそちら側にいくことは、ないのだろうという感じは、地理的なモノだけでなく、そこでひっそり暮らす、日本軍の性奴隷として強制連行された深く傷つき、いまだに救済されないおばあさん達の気持ちをわかることだった。
簡単にわかったり、共感できないほど深い傷。おばあさんたちは、班監督が10年かけてようやく、語ることを許した。それを、映画という形で、見て、心を痛めてはいるが、こちら側に居る自分に深い溝を作っている。

今日、班監督の語った言葉には、知らないことがたくさんあった。

日中戦争で、日本は華北一体を占領下に置いた。けれど、それ以前の中国は、中国軍(国民政府軍)と共産党勢力が混然一体となって、勢力争いをしていた。けれど、日本軍に占領されて、中国共産党がゲリラ化して、勢力を増した。自分の財産を守りたい国民軍サイドの人間は傀儡となり、ガイサンシーなどの性奴隷を強制連行する手先となった。特に、共産党の幹部の娘や美しい娘を狙い撃ちにするように連行した。連行された女性の家族が、羊を売ったりしてお金をつくって、解放してもらうように願い出たそうだ。

そういったゲリラ戦に対抗するため、へんぴな山村まで日本軍は砲台を築いて駐留した。

この村の話は、よく「従軍慰安婦問題」としてとりあげられてる、慰安所にいる女性の話ではない、山奥の村に日本兵がいるために、強制的に連れ去られた女性たちの被害の話だ。こんな状況で、被害は作り出されてきたということは、初めて知ったことだった。

映画では、旧日本兵もインタビューに登場する。ある人は、占領地でも町には、慰安所があったが、そんなへんぴな場所にはないから、そんな風なことをすることもあったなどと語っている。
この映画では、淡々と決して相手を追及しないで監督はインタビューをし事実を語ってもらおうとしている。この映画は、抗日キャンペーン映画などではなく、丁寧にガイサンシーという人物を中心にいろんな立場の人たちから証言を得ている。

旧日本兵の言葉を聞いていると、本当に後悔をしている人であっても、その時は、女性に対して順番にレイプしていくことがどれほどひどいことであるかというのは、わからなかったと言っている。若い兵隊が上官に次お前いけ、という言葉に疑いもなく従ったことに、今やっと家族を得て、子供、孫を得て本当にどういうことをしたかがわかったという。

おばあさんたちは、自分たちの村でも差別されていたのだろう。村のおじいさんが、当時のことを語るとき、笑いながら語る姿は、見ていて苦しかった。

せめて、本当のおばあさんたちの苦しみを知りたい。足を踏んでいるものは踏まれた足の痛さを知ることがない。健康なときは、病気の苦しさはわからない。だからこそ、そちらへ近づいていこう。

映画が終わって、10年間の取材を映画より、詳細に書かれていると紹介された、班監督の本を買った。見開きにサインをもらった。ここで、わたしは、あっち側とこっち側の間に放り込まれたように気がする。

投稿者 pianocraft : 22:30 | コメント (0) | トラックバック