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2007年03月04日

舞台のあちら側とこちら側。「ガイサンシーとその姉妹たち」を見た

自分の立ち位置というものを意識せざるを得ない時がある。それが、昨日であり、今日もまたそうだった。

まったく違うシチュエーション。けれど、物事にはこうやって、つくづく、いつもあちら側とこちら側があると改めて感じた。
実は、昨夜はライブだった。舞台の演奏者としての立ち位置と、客席の場所。世界はえらく違うのだ。
一瞬で過ぎ去る音の世界を聞く側は、その時間の流れで聞き、次から次へと新しい音と出会い、過ぎ去っていく。音を作り出すほうは、同じ一瞬の音なのだけれど、生み出す自分自身という主体がある。生身の人から出る音。

そのことをうんと感じていて、今日は、班忠義監督のトークショーと映画「ガイサンシーとその姉妹たち」を見たとき、今度は舞台の客席にいる自分を感じるのだった。

この映画のあちら側、つまりスクリーンの側の世界は、中国のひどくへんぴな、4WDの車で川を渡っていかなければたどり着けないようなところで取材された。自分がそちら側にいくことは、ないのだろうという感じは、地理的なモノだけでなく、そこでひっそり暮らす、日本軍の性奴隷として強制連行された深く傷つき、いまだに救済されないおばあさん達の気持ちをわかることだった。
簡単にわかったり、共感できないほど深い傷。おばあさんたちは、班監督が10年かけてようやく、語ることを許した。それを、映画という形で、見て、心を痛めてはいるが、こちら側に居る自分に深い溝を作っている。

今日、班監督の語った言葉には、知らないことがたくさんあった。

日中戦争で、日本は華北一体を占領下に置いた。けれど、それ以前の中国は、中国軍(国民政府軍)と共産党勢力が混然一体となって、勢力争いをしていた。けれど、日本軍に占領されて、中国共産党がゲリラ化して、勢力を増した。自分の財産を守りたい国民軍サイドの人間は傀儡となり、ガイサンシーなどの性奴隷を強制連行する手先となった。特に、共産党の幹部の娘や美しい娘を狙い撃ちにするように連行した。連行された女性の家族が、羊を売ったりしてお金をつくって、解放してもらうように願い出たそうだ。

そういったゲリラ戦に対抗するため、へんぴな山村まで日本軍は砲台を築いて駐留した。

この村の話は、よく「従軍慰安婦問題」としてとりあげられてる、慰安所にいる女性の話ではない、山奥の村に日本兵がいるために、強制的に連れ去られた女性たちの被害の話だ。こんな状況で、被害は作り出されてきたということは、初めて知ったことだった。

映画では、旧日本兵もインタビューに登場する。ある人は、占領地でも町には、慰安所があったが、そんなへんぴな場所にはないから、そんな風なことをすることもあったなどと語っている。
この映画では、淡々と決して相手を追及しないで監督はインタビューをし事実を語ってもらおうとしている。この映画は、抗日キャンペーン映画などではなく、丁寧にガイサンシーという人物を中心にいろんな立場の人たちから証言を得ている。

旧日本兵の言葉を聞いていると、本当に後悔をしている人であっても、その時は、女性に対して順番にレイプしていくことがどれほどひどいことであるかというのは、わからなかったと言っている。若い兵隊が上官に次お前いけ、という言葉に疑いもなく従ったことに、今やっと家族を得て、子供、孫を得て本当にどういうことをしたかがわかったという。

おばあさんたちは、自分たちの村でも差別されていたのだろう。村のおじいさんが、当時のことを語るとき、笑いながら語る姿は、見ていて苦しかった。

せめて、本当のおばあさんたちの苦しみを知りたい。足を踏んでいるものは踏まれた足の痛さを知ることがない。健康なときは、病気の苦しさはわからない。だからこそ、そちらへ近づいていこう。

映画が終わって、10年間の取材を映画より、詳細に書かれていると紹介された、班監督の本を買った。見開きにサインをもらった。ここで、わたしは、あっち側とこっち側の間に放り込まれたように気がする。

投稿者 pianocraft : 2007年03月04日 22:30

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