« 2009年01月 | メイン | 2009年03月 »

2009年02月 アーカイブ

2009年02月01日

NHK BS1 <シリーズ パレスチナとイスラエル>放送

NHK BS1で、<シリーズ パレスチナとイスラエル>と題して放送がある。
NHK世界のドキュメンタリーのHPは http://www.nhk.or.jp/wdoc/yotei/index.html#090209

2月9日 (月) 午後9:10~10:00 
  封鎖された街に生きて ~ガザ ウンム・アシュラフ一家の闘い~ (再)

イスラエルによる経済封鎖が続く、パレスチナのガザ地区。ガスや電気・水の供給がしばしば止まる。そのガザに暮らす女性、ウンム・アシュラフ(60)さんの一家は、夫・息子たちとその家族、娘の家族、と30人を超える。息子や夫の仕事がなくなり、イライラしてささいな事で家族げんかも起きる。封鎖の中で人々は、一体どう生きているのか。外からではなかなか分からない人々の暮らしを、パレスチナ人女性の目線で描く。
‘08年10月12日にBSドキュメンタリーで放送。

2月10日 (火) 午後9:10~10:00
  ガザ ~ハマスと人々の6ヶ月~ (再) 06年8月5日にBSドキュメンタリーで放送。

2月11日 (水) 午後10:10~11:00
 ガザ地区 武器密輸トンネルのある町 (再)

パレスチナ・ガザ地区とエジプトの国境の町ラファでは、2005年9月のイスラエル軍の撤退後、地域社会内部での部族抗争が激しさを増している。かつてイスラエル軍と戦うために武器を密輸していた国境沿いの秘密トンネルが今なお存在し、今度は身内同士の戦いに武器が使われているためだ。ラファの町に潜入した取材班は、その武器密輸トンネルの内部の撮影に、初めて成功した

2月12日 (木) 午後9:10~10:00
 レインボー ~ガザ あるカメラマンの記録~ (仮)

2004年5月、イスラエル軍はパレスチナ暫定自治区のガザ地区で、パレスチナ過激派に対し大規模な掃討作戦を展開した。この軍事作戦「レインボー作戦」によって南部の町ラファを中心に住宅が破壊され、子どもを含む多数の民間人が犠牲となった。
番組は、一人のパレスチナ人カメラマンの目を通して、「レインボー作戦」によって破壊されたガザ地区を描く。イスラエルの占領を象徴する瓦礫の山をモチーフに、子どもや妻をなくした人々の悲しみに向き合い、ときに自分の半生を振り返りながら、パレスチナの人々が抱える心の痛みや苦しみに迫る。

2月13日 (金) 午後9:10~10:00
 シャロンはなぜ撤退を決意したのか ~混迷のガザ~ (仮)

不安定な情勢が続くパレスチナのガザ地区。2005年、長年占領を続けてきたガザ地区からのイスラエル軍撤退という歴史的決断を下したのは、当時のシャロン首相だった。撤退完了から数ヶ月後、シャロンは脳卒中で倒れ、現在も意識不明の状態が続いている。
対パレスチナ強硬派として知られるシャロンは、なぜ自らの信念に反してガザ撤退に踏み切ったのか。番組は、オルメルトやペレスなどの歴代首相、ライス米国務長官、元側近などへのインタビュー、そしてシャロン自身のプライベート映像を交えながら、命をかけたその行動の背景に迫る。
 

2009年02月16日

虹色とカーネーション

先日、放送していたBSドキュメンタリーでパレスチナの以前の様子を少し知ることができた。

2月9日放送「封鎖された街に生きて ~ガザ ウンム・アシュラフ一家の闘い~」
これは、古居みずえさんが、訪問していたガザの家庭の日常。お母さんの嘆き、6人の息子たちのやるせなさをひしひし感じた。経済封鎖の中で、水も出ない日があったり、ガスも無い日があったりするなかで、何時間も並んでいる人々。希望や仕事の無い日々に息子たちは、兄弟げんかをする。前は、漁師の仕事に誇りをもっていたのに、床によこたわり、気力の無い日々を送る。
彼らはずっと、高い塀の中に閉じ込められたままだ。その上、昨年末のイスラエルの攻撃は、逃げ場のない地獄だったろう・・・彼らは生き延びているのだろうか?

2月12日 放送「レインボー ~ガザ あるカメラマンの記録~」
これは、ドキュメンタリー映画として先日も上映されていたものだと思う。私は、いけなかった。岡真理さんの切実な訴えはyou tubeで見たけれど。
この映画は、衝撃的だった。たった5年前に、今と同じようなことがあった。「レインボー作戦」とイスラエルが呼ぶもので「逃げる人々の衣服が色とりどりで虹のような色だから」レインボーという残酷な作戦だ。ガザのカーネーション栽培をしている農場主が嘆いていた。色鮮やかな、真っ赤なカーネーションが
どこにも出荷されること無く、見事に咲いている。カーネーションのために持っている大きな冷蔵室には、
パレスチナ人の遺体が何人も預けられていた。

人々の悲しみは深く、鎮魂のための活動をする人、カメラマン自身が映像を撮っている自分に対して思う、自己嫌悪。人の悲しみを聞くことで、さらに積み重ねられる悲しみ。
悲しみの連鎖は止まらない。これは、憎しみの種が撒き散らされることにもなるだろうに。
これは、今のガザではないことに驚く。何度、何度、彼らは生きることをあきらめないといけないのか。

今週末、パレスチナに関する集会がある。

続きを読む "虹色とカーネーション" »

2009年02月20日

視覚障害の方々と遊ぶ

今日は、大阪府視覚障害者福祉協会高齢部の総会の余興に呼んで頂き、懐かしい歌を二胡やピアノや歌で一緒に楽しく過ごしました。

見えない方々とガイドヘルパーの方々。全盲の方が多い集まりなので、言葉を発しない限り、何をしているかわからないので、楽器の説明や衣装の説明も触ってもらって、体験してもらった。

二胡という楽器を、見える人達は初めて見てもどういったものかを大体知ることができる。説明も簡単にすれば理解していただける。けれど、見えない人たちは、それがどんな形で、どうやって音がでるものなのかさっぱりわからないだろう。

演奏中に自由に触ってもらって、少しは感じをもってもらえただろうか?

今日は、友人の交遊亭楽笑さんと一緒なので、後半は彼が勤めてくれたが、お客さんが高齢者で、音声情報しかたよることができない舞台という現場では、ゆっくりしゃべる。間をとる。という気遣いがとても重要だと教えられた。MCは、相方のてじょんがおもしろ可笑しく、ええかげんなことをしゃべるのだが、つい早口で話してしまう。

よく、見えない人を前にした舞台で感じるのは、舞台に静かに誰かがいてもさっぱりわからないので、お互いの私語がおさまらない。あたりまえだ、始めますといわなければ誰かが何かしてくれそうなんだと知ることができないからね。特に、始まりの間合いなど、私たちは実に多くのことを視覚に頼っていることを知る。

楽笑さんは、手話落語をする人だ。見えない人に、手話を教える。かたちをゆっくり、声の表現も色んな音色で笑いを誘う。この人の優れた個性は、こういうときにとても人を惹きつける。
みんなと一緒になって笑い、歌い、また新しいつながりの場を与えてもらい。今日も、感謝です。

来週2月26日も、高槻で赤大路小学校で「ふれあい早春トーク」で出演させていただきます。
高槻市人権まちづくり協会HPhttp://blog.zaq.ne.jp/jinmati/category/4/

About 2009年02月

2009年02月にブログ「毎日が日曜日blog2」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年01月です。

次のアーカイブは2009年03月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。