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2005年02月 アーカイブ

2005年02月03日

トラックバックスパム

どこのブログでも、困っていることは、同時期大体いっしょらしく、スパムコメントをはじく対策をほどこしてはいるものの、今度は、同じonline casinoからトラックバックスパムというのが、連日流れ込んできた。

削除は、一括でできて簡単だが、不愉快だ。早速、検索すると対策はあった。

とてもわかりやすい方法。
BiancaさんのBlogで公開されている。
「概要が半角英数字のみのTrackBackは拒否する」という形のものになります。これで、何とかなりそうだ。感謝。

しかし、ネット助け合いというのでしょうか、実に助かりました。

2005年02月05日

ピアノパラリンピック

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今日、「NHKの関西クローズアップ」という番組で">ピアノパラリンピックのことを取り上げていた。

実は、そのようなピアノコンクールはいままで、知らなかった。音楽に関わり、障害をもった人達とも関わりがあったが、ピアノを弾く障害を持った人というのが、あまりまわりに見当たらなかったからか?(実は、お客さんでLDの青年がいて上手にピアノを弾いている)

身体的ハンディキャップや視覚障害、知的障害の人もちょっと違うけどサバン症候群(サバンとは、はてなダイアリ-)の人やいろんな人が障害があってもピアノに向かう。

時々、人間がピアノを弾く姿をみて、挑んでるように見えるのは、単に聞くものの印象かもしれないが、彼らの姿はまさにそのように見えた。身体的にハンディのある人は、例えば手にマヒがあったり、片腕を切断していたりする。非常な努力で、「弾く」という行為を連綿とつづけていく。

弾くことそのものが、自分にとっての努力目標であり、かなでることによって自己を表現できる。そして、充実感を得る。楽器とはつくづく、不思議な道具だと思う。そもそも音楽の存在だってそうだ。きっと人間の根源的な欲求に音楽が位置付けられるのだろう。

そう言う姿を見ると、すぐ鍵盤をさわりたくなる。ここのところ、相棒が名誉の負傷でギターが弾けないのでピアノ練習をさぼったりしてた。だめだなあ~。根性いれてやらなあかんな。

2005年02月06日

この地にある楽しみとは?

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ショッキングな言動である。「人間を撃つのは楽しみ」と米海兵隊中尉が述べた。それを聞いた聴衆は笑ったという。最低な言葉だ。

「毎日新聞」の記事
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20050205k0000m030042000c.html
「低気温のエクスタシー」の記事
http://blog.melma.com/00111843/20050205072827
「壊れる前に・・・」の記事
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_5.html

これを読んで、「華氏911」の米兵のインタビューを思い出した。戦車に乗って、イラクで人を撃つときに最適なロックを聴いて若い兵士は「人を撃つと気分がいい」というようなことを言っていたシーン。
あんな頑丈な戦車で自分の身が、鋼鉄で固められていて、その中から人を撃つことは、ゲームさながらに興奮することなのか?実際にヤッテイルのに実感のない戦争。死体なれした、心の停止した人間。

そのようにつくられた人の姿を辛く思う。もう人間じゃなくなったヒト科の生物。

一方で、現実のわたしたちの生活は、いろんな事件を引き起こしながらも連綿と続く。誰かが何かをしているときに他の誰かはまた違うところで何かをしている、同時刻に別々のところで別々の世界が動いている。

そう、わたしの今日は、いきいき音楽とともに生きる70歳の女性とともにあった。たった1時間そこそこ仕事で行った時間だけど。音楽を演奏して楽しむのにレベルがすべてでないということは、その人をみるとわかかる。挑むための楽器ではなく。征するためのものでもない。

人は、勝手に楽器を自分のものとしようとする。だけれど、この道具、一筋縄ではいかない。弾き手の求めるものに応じて変幻自在。そういうところが、楽器のひきつけられる魅力だろう。

今夜はWOWOWの無料放送とかで、映画「シャイン」をやっていた。久方ぶりに最後の1時間だけ観てしまった。精神のバランスのわるい天才ピアニスト、デビット・ヘルフゴットにとって、ピアノとは何なのだろうか?音が自分の中に渦巻いているってどんなだろうか?と考えてしまった。

幸せであり、苦しみでも有り、楽しみでもあったと。
わたしの楽しみ?人の心の音を知ること・・・。

2005年02月15日

Geogia On My Mind 

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グラミー賞は、FMココロで聞いていた。WOWOWには加入していないから見れないし、音だけで想像するのも楽しかった。多分見ていたら、途中でいろいろ用事をしていて集中できないけれど、音を聞きながら事務しごとをするのはなかなかよかった。

なんといっても懐かしい人々も豪華に競演をしていたしね。とは言え、アリシアキーズとジェイミーフォックスのGeogia On My Mind は、素晴らしかった。

この曲は、わたしにとっては、並みの曲ではない。
10年前に亡くなった友人との思い出の曲である。数々、演奏し、歌った曲。いつもこの曲を歌うと、友人があらわれる。そんな日々があった。

今も、歌い続けている曲である。わたしなりにアレンジを少し変えた。でも、グラミーの2人のデュエットは素晴らしいコラボレーションで、いやあよかった。ふたりともまた、ピアノがうまいのよね。
ラジオでは知らなかったけど、これはツインピアノでのデュエットで、多分楽団はクインシージョーンズが仕切ったのでは?これは見てないのでくやしいけどわからん。

明日はついに「RAY」を見る。

グラミーではボニーレイットも、今は亡き映像と音のレイと競演した。彼女のスライドギターは大好き。
ボニーは、ブルースプロジェクトでもライトニング イン ア ボトルでも姿を見せているが、また、日本に来てほしいな~いいおばさんになっていて・・・

ブルース演るんやったら、エエ年になって、より、コクと深みの人生で色付けしてやろやないの!

と思っている今日この頃。。

2005年02月17日

映画「RAY」

ついに、今日映画を観た。わたしがRay Charlsについて知ってた事ってなんだったんだろうか?と思った。そりゃ、数々のヒット曲を知っている。レコードも持ってる、CDもある。けれど、リアルタイムでヒット曲を知ってるわけではない。

そりゃ、日本に来てコンサートで聞いた時も、いつも変わりないヒット曲のオンパレードでごきげんだったけど。その曲は、もう、スタンダードなものたちだった。

目が見えない音楽の巨人。目が見えないことが、RAYそのもので、その苦しみを知ることもまたなかった。
アメリカ南部で生まれ、バスの座席もトイレも白人と差別されていた頃のジョージア州に生れ、盲目であることで、数々だまされたり、放っておかれたり孤独になった時もあった。

目がみえないことも中途障害であることも知らなかった。9歳で視力を失う。弟を自分の目前で亡くしたトラウマをかかえ、当時の多くのミュージシャンが陥った麻薬中毒にもなる。どうして一人で生きてきたか?その物語は、数奇な運命でいろどられ、数々の女性を愛した。この時代。1950年代。

この映画は、ブラックムービーでもあるとも思う。ちょうど、「マーチン・ルーサー・キングJr.牧師 誕生の日」の記事を書いたときに紹介した、バスボイコット事件を扱った映画「ロングウォ-ク ホーム」のプロデューサーであるTaylor Hackfordが監督をしている。同時代のアメリカ黒人の歴史の一片でもあるRAYの生き様は15年間企画を暖めたという、監督のRAYに対しのて真摯なそして熱き思いが込められている。

ゴールデングローブ賞を取ったとき、Jamy Foxは、スピーチですべての黒人に捧げるというようなことを言っていたと思う。記憶が定かでない・・が。そう偉大な彼らの誇り。

そして、数々のヒット曲が愛人にインスパイアされた曲であったり、歌詞の意味と映像のシチュエーションが示されると「そ~なんか~」と妙に納得であった。そんな風にして歌は生れた。

アトランタレーベルとRAYとの出会い。ロウエル・フルソンのバンドメンバーだったことなど、知らなかった彼の人生をなぞって魅力あるそして、重みもある、素晴らしい存在であったことを知れることができて幸せだった。

このことは、1978年に出版され、映画公開と同時に日本語訳版が出版された「わが心のジョージア~レイチャールズ物語」に詳しいようだ。また、手に入れようと思っている。

最後にGeogia On My Mindについてだけ・・・。この曲がヒットした頃、全米盛んにツアーをまわっていた頃、ジョージア州に訪れた。このとき、まさにアメリカ南部の公民権運動も盛り上がっていた。だが、レイチャールズのコンサートで黒人たちは、決められた後の席でしか、レイを聞くことが出来なかった。
このことを受けて、レイはジョージア州のコンサートをキャンセルした、多大な賠償金を払って。そして、ジョージア州からは、この生誕の地を訪れてはいけないと、通告された。

この歌が、ジョージア州の州歌であることは、有名だが、それは、70年代になって、ジョージア州がレイに謝罪し制定されたものだったというストーリー。公民権運動。南部のアメリカ。黒人の音楽は、聞いても生活をともにしようとしなかったアメリカの差別。

それが、ジョージアのストーリー。わたしのジョージアのストーリーはもっと個人的だけれど。エンドロールで、随分、音間をためて、歌い始めるこのジョージア・・を聞いて、涙がとまらなかった。亡くなったレイにたいしての哀悼と、わが友人への哀悼がだぶついて。

でも、きっと天国で生演奏きいてるんじゃないかな。ジョージアをね。

2005年02月21日

二胡は難しい!

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賈鵬芳(ジャーパンファン)ベストアルバム「二胡Ⅱ LOVERS」

実は、テジョンは賈鵬芳先生の弟子である。最近では、映画「Lovers」でもつかわれた二胡奏者で、日本では、かずかずの仕事をしている。たいへんな先生なのだ。

今日はお弟子さん約120名の発表会であった。これを前半だけ聞かせていただいた。
二胡は、日本でブームなって世に知られたのが新しい楽器の一つだがブームになって、今は女子12楽坊のおかげで、ようやく、一般の人にもわかってもらいやすい楽器となった。

でも、これは難物だ。ピアノのように固定音楽器では、悩む事がない、ピッチ取りがたいへん難しい。バイオリンやチェロだってそうじゃない?といわれれば、そうなのだが、この楽器が西洋の楽器と大きく違う点は、
弦を指板に押し付けてピッチをつくる西洋楽器に対し、二胡は、弦はつねに浮いているのだ。ちょっと圧の掛け方が違えば、ピッチは変わる。

これを、ブームによって大勢の中高年層も含む人々が初めて手にする。調律師のテジョンだって、音つくりのプロなのに、二胡のピッチをコントロールするのは至難の業だ。そして、発表会では、主に5人以上のグループで演奏し、中には、果敢にソロをする人もいるといった様子だった。

ようするに大勢で演奏する方がピッチのばらつきは、おとの幅となり、違和感を吸収しやすい。しかし、大変そうだね。いっそ、元気に、開き直って明るく、演奏すればもっと、聞くほうも気楽に楽しめたかもしれない。
でも、たいへんな検討振りだった。大人が必死になる姿は、嫌いじゃない。みなさんお疲れさま~!!!

ブルースギタリストが、なんかフレーズがえらくフラットしていて気になるときがあるけど、それは、モード的な問題かね?ブルースギタリストがいたら教えてください。

それはともかく、賈鵬芳先生が白いスーツで初めにあいさつしたとき、ジョンレノンみたく、背が高く、なかなかイケておりました。

賈鵬芳ホームページに、詳しいプロフィール、ディスコグラフィーが有ります。
アドレスは、http://www.jiapengfang.com/jindex.html

2005年02月28日

歌う自由、歌わない自由

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22日の朝日新聞で見た記事で初めて、幻の国歌「われら愛す」を知った。
同記事より引用 「1953年現サントリーが「国民の誰もが愛唱し、勇気づけられる歌を」と新聞広告で「新国民歌」を全国公募した。」

そして生れた、「われら愛す」芳賀次郎作詞 西崎嘉太郎作曲。当時は、ラジオ、歌声運動で拡がりうたわれたが、いつしか人々の記憶から消えた。しかし、一部の学校で歌われていたり、千葉県の幼稚園で
湾岸戦争が始まった90年から10年間合唱していたというから、驚きだ。

この歌をみなおそうという動きがでていて、「われら愛す-憲法の心をうたった“幻の国歌”」(かもがわ出版)がCD付きで発売された。

歌詞は次のとおり

1、 われら愛す
   胸せまるあつきおもひに
   この国をわれら愛す
   しらぬ火筑紫のうみべ
   みすずかる信濃のやまべ
   われら愛す涙あふれて 
   この国の空の清さよ
   この国の水の清さよ

2、 われら歌ふ
   かなしみのふかければこそ
   この国のとほき青春
   詩ありき雲白かりき
   愛ありきひと直かりき
   われら歌ふをさなごのこと
   この国のたかきロマンを
   この国のひとのまことを

3、 われら進む
   かがやける明日を信じて
   たじろがずわれら進む
   空に満つ平和の祈り
   地にひびく自由の誓い
   われら進むかたうでくみ
   日本のきよき未来を
   かぐわしき夜明けの風を

3月卒業式・4月入学式。この時期にこころがざわざわと騒ぐ。
自分の住んでいるところのことを、日本というエリアとよぶ。そこに住んでいるから、日本人というだけ。
このエリアで、魅力ある文化がそだったりしたならば、伝えればよい。間違いをおかしたなら、誠実にあやまり許しをこえばよい。と思っている。

誰かに、強制されて、音楽を押し付けられるのは嫌だ。なによりも、小学校の時に我が子が言い放った。
「歌いたいと思わない歌は歌わへんだけやん」そのときの多くの仲間とともに歌わなかった。「歌」としては勝手に「国歌」に決め付けられた。例の君が代である。

「われら愛す」が聞いてみてどうなのか?それは、この本を手に入れてから、また、書くことにしましょう。

人は歌をうたいたいときに歌うものです。義務感で歌うものでなく。
そんなこころの奥底のことまで指図されるようになったら、恐ろしいって思いませんか?

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