生きてるその先にある死

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「おもかげ復元師」笹原瑠以子 著 ポプラ社

8月のNHKでの放送や新聞や報道でこの方を知らないわけではなかった。
復元納棺師という、ご遺体に生前の面影をたたえさせる技術を持った方。彼女が、いままでに出会った方々のお話や震災でボランティアとして行った復元の家族の話。短いエピソードを一つ一つ噛みしめるように読んだ。今朝、舞子へ行く電車中で読んでしまい、こみ上げる涙をこらえるのを誰かに悟られないか…気にしつつも、ぐっと入り込んでしまいレッスン前に気持ちを切り替えるのに深呼吸が必要だった。海を見る。同じ海だよな。

震災の遺体安置所がいかに尋常でなかったかは、ぼんやり想像するしかなかった。けれど、笹原さんの言葉はやはり重かった。損傷がひどいご遺体が本当に多い。人の形が変わってしまうような大きな力に命は奪われていったのだ。

家族は変わり果てた姿では、直視できず、お別れもできない。笹原さんが、何時間もかけもとの笑いシワをたどってその人の生きた証を復元する時、初めて泣き、慈しむことができる。

私は、三年前にホスピスの素晴らしい看護師さんと共に、父の髪をシャンプーした。
入院した時の服をきせて、やっと痛みから開放されて帰れるね…と家族みんなで最後の時間を共に過ごした。枕元で鳴らしていたチェロの音は聞こえてた?
生きているということのほんの少し先に、続きのように死はあるものだと感じた。

しかし、笹原さんの手による数々のお別れを読んで、そういう穏やかな終わりばかりでないことも知った。特に震災で引き裂かれるように奪われた数々の命。守りきれなかった小さな命。

震災死者が膨大な数字のカウントから、笹原さんの手によって、それぞれ表情を持つ一人の人となって天国へ行くことができたと信じる。

涙を流すことは、自分のためだな。泣いた。
また、私たちは、今月東北の地に向かう。また違った気持ちを持って。

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