旅は終わり、時は続く

あまちゃんポスター
あまちゃんポスター久慈に近い田野畑村へ向う時発見
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田野畑村 ハックの家のそばのアズビィホールにて
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ハックの家
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ハックの家 告知ポスター
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大槌町役場 跡
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献花台
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南三陸 防災センター 跡
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20130717-231824.jpg石巻千人風呂

今回の旅は、JAZZピアニスト河野康弘さんの活動に同行して、ケセランぱさらんも東北の旅をした。もう一組、AIW88という仲間も一緒。ひょんな出会いから、一緒に行くことになった二人と珍道中ともなったけど。

まず仙台からレンタカーで岩手県の田野畑村を目指す。5時間を越える道中。朝ドラの久慈はそこからさらに北の場所で東北が如何に大きいかを実感する。北上山地を登って下って登って下って…
田野畑村のハックの家は、障がいを持った方々の作業所で、織物、パンなど色んな物を作っている。コンサートは、そこから近い場所アズビィホール。震災当時は避難所になっていて、いまは隣に仮設住宅が建っている。ハックの利用者さんや仮設の皆さんの前でいつもと違い、3組でのパフォーマンス。それぞれ全く違うカラーが面白い。
田野畑村は、翌日も晴天。本当に自然に囲まれた豊かな村だ。ツキノワグマも出没、時速40kmで動けるそうで、恐ろしい~。一方、海岸線はやはり被害があり、水産物の工場も流され再建されていたりする。
ハックの代表の方は、お婆さんから「浜に家が建ち始めたら津波にきをつけろよ」と言われたという。

ここから、石巻までは海岸線をとおる45号線を走る。この海岸線は、リアス式海岸であることが走っていると如実にわかる。道には「過去浸水地域ここから」と「ここまで」の標識がしょっ中入れ替わる。その度に海抜標識を確認すると、29mという表示が平気で出てきて、あの海の壁がそびえ立った痕跡は全てをなぎ倒し、今は草木の住処となった。

途中、岩手県 山田町、大槌町、南三陸に立ち寄る。今は震災モニュメントと化した、大槌町役場。町長以下、要職が全て津波でさらわれた大槌町は、アベノミクスの高らかな声に小さくかき消されそうになる抵抗を行っている。
15mの防潮堤の無意味さ。30年に一度は、津波にやられてきた。防潮堤があったら、水が抜けなくなったり、海が見えない。日本中を巨大防潮堤で隔離する考えに、私達は同意するのか?

そういうモニュメントには、何処でも何台か車がとまり、時にガイドの方が案内している。
防災センターも地元の人には辛い、見るに耐えられない場所だろう。けれど、神戸みたいに街が変わって行った時、忘れないでいることは難しい。

原爆ドームのように、骨組みになった建物の前は、シャツ、千羽鶴、お花など供えられている。胸がぎゅっとなる。

さて、石巻千人風呂は、多くのパフォーマーが訪れるところ。スタッフや町会の皆さん、支援者の働きで、去年よりうんとステージがグレードアップしてる。もはやライブハウス状態。
街の再建には時間が要るが、人のつながりはここは、強固な印象だ。今回は色々お世話になりました。ほんまに…(^^;;

最終日は西塩釜ミニストリートライブ。雨が時たま降ったが、私達3組終了の頃にはゲストの八神純子さん目当てのお客さんが大勢!

今回は、仮設住宅に行けなかった。また、ぼちぼち行ってゆっくり交流もしたいです。
変わりゆく街を見続けること、おかしな政策が行われないか関心をもち必要な外部支援を行うこと。これは続けて行きたい。
この度、出会った方々全てに感謝いたします。おおきに有難う!!

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