After 7/16 1945

2014・2・2

今日の午後は、ラジオフォーラムイベントで西谷文和さんのシリア・アフガン報告と小出裕章さん(先生と呼ばれるのはお嫌い)の「原発と戦争はつながっている」のタイトルでの基調講演を聞きにでかける。

1945年7月16日ポツダム会談の日、人類初の原爆 トリニティがニューメキシコ州で実験された。という事実を知った。
その後、8月6日、9日と日本には違うタイプの原爆を投下される。

そもそも原発の成り立ちは兵器の技術というのは知っていても、原発は核の平和利用などという言葉のごまかしを真に受けてはいけない。
小出さんの紹介したNHKの番組「核を求めた日本」は2010年10月に放送された。その時も大きな話題になっていたのに、なぜかすっかり記憶から抜け落ちていた。
改めてネットで見た(見てみてください)。 よく考えるとそれから半年しないうちに3・11を迎える。after 3.11。確かに変わった。実際にリアルタイムで核にさらされた経験は、見方をかえてしまった。
日本の核に対する政治的スタンスを生々しく語り、1969年の蜜会談の中身があかされるこの番組を再び見ると、佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞するナンセンスに怒り、今だに続く核兵器保持の公式見解に戦慄する。

今まで浅い思考の私は、核兵器が被爆国日本にとって絶対悪であるということが明白なため、原発とは離して考えていた。だが、今日の講演はそれを覆す内容だった。
原発を平和利用という言葉で、稼働させたいのは核兵器をいつでも作れる状態を維持するため。ということで、西谷さんの言葉をかりれば、「平和利用」でなく「平時利用」というべき状態。「戦時利用、有事利用」とは核兵器製造となる。

六ケ所村の再処理工場の再処理の仕組みの解説もわかり易かった。
使用済み燃料のペレットという瀬戸物は2800度で溶けるそうだが、その中のウランを取り出しプルトニウムを製造するのだが、取り出しには強い酸を用いるそうだ。そのプロセスは余りにも危険。施設そのものも危険すぎるシロモノである。

辺境だった青森県へお金を入れる。沖縄も同じ。辺野古移設のためにお金。
その根底には差別が隠れている。という小出さんの言葉は、重く私に届けられた。

そしてアベ政治の流れがもう動いている現実に、さらなる抵抗を続けなければ多分後悔するだろう。

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