2008年07月01日

「靖国」を見る人を観て見た。

そろそろ、七芸も空いてきたかな?と思ったので、上映時間が朝のうちに行ってこようと思ってでかけた。そういえば今日は、「映画の日」で1000円でした、ラッキーだった。
朝10時からの上映で、早めに9時30分ころ到着すると、5人目くらいに並んだ、その後徐々に人は増えて30~40名ほどの人数だったかと思う。

年配の人か若者が多かったと思うので、私のような中途半端の年齢はお仕事の人も多いのか平日の午前中は見当たらない。中でも多分70代くらいの女性と娘さんか妹さんかとが、体を思いやりながら一番前の席でご覧になっていたのが印象深い。
終了後、そのおばあさんが「良かったわ」と語っているのを聞いて、しみじみ嬉しい気持ちになった。

この映画を観ると8月15日の靖国神社がいかに異様であるかを思い知る。
小泉首相の参拝の問題があった時期に撮られたものなので、参拝を支持するというプラカードをもったアメリカ人が星条旗をもって立っているのに対し、好意的な普通の人や右翼の人がいるかと思えば猛烈に反発して「ここでこんな旗をあげてはならない」と抗議をし、警察までやってきて、すごすごと荷物を抱えた帰るシーンなど笑える。反米右翼も親米右翼もあれば、一般の遺族の人もいれば、騒ぎの好きな人もいれば、軍国ショーを見に来ている人もいるのだろうかしらと思いたくなる。

遺族でも、靖国に合祀を反対する人がいる。ドキュメンタリー映画「草走之歌」でとりあげられた台湾の少数民族のチワス・アリさんたち、また、映画「あんにょんサヨナラ」の韓国のイ・ヒジャさんたちが宮司に詰め寄るシーンも撮られている。

その間に、静かに監督が語りかけるのは、「靖国刀」をつくる刈谷さんだ。多くは語らない。
職人の使命で、刀を打ち続ける。90歳の方の仕事とは思えない力強さだった。多くは語りたくないというの気持ちもある。中国人の監督に聞かれることばにも答えず、宙をみすえる。
自分の生きてきた道を否定されるような感覚を味わいたくないだろうから。

「刀」は道具だが、靖国のご神体でもある。その刀が、最後のシーンでは日本兵によって多くの残虐な仕事をしてきた写真が続けて映し出される。
靖国の魂は、人斬りの道具なのだ。と思わせるシーンだった。

戦争にいかないで、行かせたものは(特に女性たちは)、軍隊でどのように厳しく、つらく鍛えられ、戦場で望まない殺戮をしなければならなかった人々のことを本当にはしらない。しかも今もなお、戦争を礼賛する神社に魂があるというならば、そんなに辛いことはないだろうに、と私は感じる。
何故、家に帰ることが許されないのだ。
そこにあったのは奇妙な器だった。

激高する人、叫ぶ人、彼らはうれしいのだろうか。国に命をとられることが。

七芸の今後の映画のラインアップもすごいお勧めです。
七芸のシネマクラブに入ろっかなとも思います。一緒に行く連れも1000円だしね。
詳しくは第七藝術劇場 HP http://www.nanagei.com/index.html

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2008年04月18日

シネ・ヌーヴォ~パレスチナ映画特集始まる!~

大阪九条のシネ・ヌーヴォで明日からパレスチナ映画の特集が始まる。
見落とした映画、みたかったけど時間が問題だった映画、まとまった作品群となっている。必見。
けど、どうしよう、みんな見たくなってしまう。通いか??

前にもエントリーで紹介した広川隆一さんの作品がいよいよ公開される。
4/19(土)~5/2(金※5/3以降はシネ・ヌーヴォXにて続映
『パレスチナ1948 NAKBA』
フォトジャーナリストの広河隆一が40年間に渡って記録しつづけた
パレスチナ難民の歴史。必見のドキュメンタリー。
12:40/15:10/17:40/20:10

シネヌーヴォには、シネヌーヴォXというスクリーンもある。

☆シネ・ヌーヴォX☆(全てデジタルDLP上映)
4/19(土)~5/16(金)
【パレスチナ映画特集~私たちはパレスチナのことを何も知らない~】
『パラダイス・ナウ』『ガーダパレスチナの詩』などする映画を12本一挙上映!
シネ・ヌーヴォ 特集タイムスケジュールはこちら
ちなみにラインアップ、上映時間や詳しい作品紹介は上記サイトで確認して欲しいが、タイトルだけ写しておきます。

〇『シャティーラ キャンプの子供たち』1998年/パレスチナ・レバノン/47分◎監督:メイ・マスリ
〇『プロミス』2001年/アメリカ/104分
 ◎監督・プロデューサー:ジャスティーン・シャピロ、B・Z・ゴールドバーグ
 ◎共同監督・編集:カルロス・ボラド
〇『夢と恐怖のはざまで』2001年/パレスチナ・アメリカ/56分
 ◎監督:メイ・マスリ
〇『 ルート181』 パレスチナ・イスラエル 旅の断章』
 2003年/ベルギー・フランス・イギリス・ドイツ/270分
 ◎監督:ミシェル・クレイフィ、エイアル・シヴァン ◎撮影:フィリップ・ビルアーイシュ 
〇『アルナの子どもたち』 2003年/イスラエル/84分
 ◎監督:ジュリアノ・メール・ハミース
〇『ノーム・チョムスキー=イラク後の世界を語る』2003年/日本 ◎製作:山上徹二郎 
 ◎インタビュー:ジャン・ユンカーマン ◎撮影:スティーブン・マッカーシー ◎出演:ノーム・チョムスキ
〇『中東レポート アラブの人々から 見た自衛隊イラク派兵』2004年/日本
 ◎取材:佐藤真、ナジーブ・エルカシュ 
 ◎編集:佐藤真、泰岳志
〇『レインボー』2004年/パレスチナ/41分 ◎監督:アブドゥッサラーム・シャハーダ
〇『ガーダ-パレスチナの詩-』 2005年/日本/106分
 ◎監督・撮影:古居みずえ ◎製作・編集:安岡卓治
〇『パラダイス・ナウ』 2005年/フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ/90分
 ◎監督・脚本:ハニ・アブ・アサド◎脚本:ベロ・ベイアー◎撮影:アントワーヌ・エベレル
 ◎出演:カイス・ネシフ、アリ・スリマン、ルブナ・アザバル
〇『エドワード・サイード OUT OF PLACE』2005年/日本/137分
 ◎監督:佐藤真 ◎企画・製作 山上徹二郎 ◎撮影:大津幸四郎、栗原朗、佐藤真
〇『As Human Beings~日本・イスラエル・パレスチナ合同学生会議の記録~』
2005年/日本/26分
 ◎監督:戸田泰雅 ◎企画:日本・イスラエル・パレスチナ学生会議、独立行政法人国際協力機構  (JICA)東京センター 、中央大学総合政策学部松野良一研究室
〇 『パレスチナ1948 NAKBA(ナクバ)』 2008年/日本/132分◎監督・撮影・写真:広河隆一 
 ◎製作:広河隆一記録映画製作委員会 『1コマ』サポーターズ 広河隆一事務所 安岡フィルムズ
 ◎プロデューサー・構成・編集:安岡卓治 ◎編集:辻井 潔 ◎音楽:飯利友季子

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2008年01月24日

「カルラのリスト」


ドキュメンタリー映画「カルラのリスト」

「カルラのリスト」と言う映画が先週から十三の七芸で公開されていることを知った。
ちょっと、うずうずしていたものが騒ぐ・・・そんな予感の映画のようだ。

国連検察官 カルラ・デル・ポンテ

この映画は、旧ユーゴ紛争の戦争犯罪人を追う国際検察官「カルラ」のドキュメンタリー映画。
国連の旧ユーゴ国際刑事法廷がどのように戦争犯罪人を追い詰めるのか?あるいは、国際正義とは?どのように描かれているのだろう?

日本もICC(国際刑事裁判所)に昨年10月に加入。

公式サイトより
ICCについて

国際刑事裁判所 ICC= International Criminal Court
国連によって設立された旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)やルワンダ国際刑事法廷(ICTR)など、地域と期間が限定された法廷に普遍性を持たせた国際刑事裁判所(ICC)が国際社会によって2002年に設立された。ICCが裁く犯罪は、ジェノサイド(集団殺害)罪や人道に対する罪(拷問、奴隷制、強姦、強制的失踪など)、戦争犯罪(武力紛争下で罪のない一般市民を殺害、平和活動の阻止など)である。ICCは批准国の領域内で犯罪が行われた場合、あるいはその国の国民が他国で犯罪を起こした場合に適応されるが、批准していなくともその国が許可した場合にも犯罪者は裁かれる。いずれの場合にも該当しない時、国連安保理が事態を国際社会の平和と安全を脅かす状況であると判断した場合にICCへ付託することができる。
なお、国際司法裁判所(ICJ)で現在も判事として活躍する大和田恆氏は日本のICC早期加入を強く訴えてきた一人。今日、中国やロシアは加入しておらず、また米国とイスラエルは9.11以降にそれまで署名していた批准を撤回した。
現在、スーダンのダルフールの人権侵害に対する責任者に対して逮捕状が出ている

日本の加入について

日本はようやく2007年10月1日、ICCに105番目の国として正式に加入。世界が望んだ国際裁判所だが、クリントン政権時にICCを作るという国家間での規定にサインしたアメリカはブッシュ大統領になり署名を撤回。

現在ICCにはロシア、中国、イスラエル、そしてダルフールの虐殺(アラブ系民兵による非アラブ系の虐殺)を起こしているスーダンは加入していない。


紛争下のジェノサイドや人道に対する罪に対して、誰が裁くか?
戦争は犯罪だ。国や、部族や、武装組織が何のために始めようが、被害者は深く傷つき、その多くは一般市民だ。国の利害を超えて、裁かれるために国際法廷はどのような力になるのか、カルラの目線から知ってみたいと思う。
もう終わった紛争でも傷跡は世代を超えて引きずられる。決して癒えることのない深手を人は負う。

本で読んでしっているだけの国際法廷。
駆けつけたい映画だ。

大阪の公開は十三 第七藝術劇場にて
1/26~2/1
モーニングショーのみ公開 午前10:45 ~ 12:30まで

公式サイトは、こちら http://www.uplink.co.jp/carla/

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2007年09月01日

夕凪の街 桜の国

もうすぐ、各地での公開が終了してしまう!
あせりながら、やっと映画館へ足を運びました。

tamyさんから、ご紹介いただき、コミックを何度も読み返した作品です。
映画は、原作に忠実でコミックで描かれた風景がおおきく、はっきりと目の前に現れたという印象。

「夕凪の街 桜の国」 二つの時代が、ひとつづきで今もなお続いている、ヒロシマでの被害を静かに訴えます。

今年は、ドキュメンタリー「ヒロシマ ナガサキ」も見たけれど、こちらは怒りが先にたった。アメリカに対してというよりも、いまだに核兵器が存在するということに。
こういう現実を踏まえたうえで、フィクションである「夕凪の街 桜の国」を見た私は、涙を止めることができなかった。

2世代のヒバクシャ家族の伝えたもの、伝えなかったものをつむぎ出していく。
「おまえの住む世界はそっちじゃない」とつぶやく声を思いつづける悲しさ。わけがわからない恐怖と背中合わせに、前向きに生きることの尊さ。

核の被害は延々と苦しみを与える手をゆるめない。
この映画は、悲しみとともに未来へつなぐ力も与えてくれる。これからも、映画の先の時代は現実の中で進んでいく。そこに、居る人間としてできることは、まず、この映画を見てもらいたいと勧めることかもしれない。

あまりないことなのだけれど、映画館を出てしばらくは呆然と、ただぼんやりと抜け殻のように歩いていた。そんな映画だった。

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2007年08月02日

原爆を語り継ぐ映画

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梅雨が明けると、アスファルトから反射する熱い空気で、道をあるくのも苦しくなるときがある。
この暑さを体感すると、ああ原爆の日が近いとも感じる。

今年は、久間発言、アメリカからも正当化の言葉が投げつけられた。

そんな折、ヒバクシャをテーマにした映画が話題になっている。
是非、劇場で大きなスクリーンで、集中して観て見たい。

一つ目 私もtamyさんのブログで紹介されていて知った「夕凪の街 桜の国」のコミックを読んでこころ動かされたが、これが映画化された。(tamyさんは、3年前から機会があればとりあげておられた)

映画「夕凪の街 桜の国」 公式サイト http://www.yunagi-sakura.jp/

大阪では公開中 
シネリーブル梅田
なんばパークスシネマ

二つの時代を通じて描かれる、ヒバクシャの人生。叫びではなく、静かだけれど強烈な抗議。
この題材を映像の中でどうしらせてくれるのだろう。

2つ目 「ヒロシマナガサキ」 公式サイト http://www.zaziefilms.com/hiroshimanagasaki/

大阪では、テアトル梅田
タイムテーブル
7/28(土)~8/10(金)>朝10:55/12:55/14:55/16:55/18:55(~20:35終)
8/11(土)~8/17(金)>朝10:30(~12:10終)

スティーヴン・オカザキ監督が、25年の歳月をかけて完成させた渾身のドキュメンタリー映画。と紹介されている。

紛争や、人質。いまも毎日続いている。
韓国の青年たちが早く解放されますように。一人の命ももう、奪われませんように。
怒りを胸に抱いている人も、一人の命も奪いませんように。

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2007年07月21日

映画「ウリハッキョ」を観た!

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映画「ウリハッキョ」公式ブログはhttp://urihakkyo.blog105.fc2.com/
韓国の公式サイトは、http://www.urischool.co.kr/

5月にこの映画の存在をしったのだけど、結局そのときの上映会にいけなかった。すごく残念な思いをしていたら、全国で自主上映が続々とされることになった。今日、私はごく近所で行われた上映会でこの映画とやっと出会うことができた。

今日の上映会はの主催は近所の北大阪朝鮮初中級学校父母会や支える会として運動している「アプロハムケ北大阪(北大阪朝鮮初中級学校を支える会)」なので、朝の上映には多くの朝鮮学校の生徒さんが小さい子から、大きい子まで参加していた。

朝鮮学校と一般に呼ばれる学校がどんなところか、日本人としてずっと生きてきた私には知らない世界だった。おんなじ世代だったころも、チョゴリを着て通学する女生徒は知っていたし、朝鮮学校の男子生徒が喧嘩に強いというイメージを持っていた。少し距離を置いた感じで知ってるというだけだった。

もちろん、大人になってから多くの在日の人と活動したり、韓国の友人がいたりと仲良くやってるとおもうけど。
それでも今日見た学校は全く私の想像していたものとは違っていた。

そこは、もう一つの学校。まるで「家族」のような生徒たち。北海道の朝鮮初中高級学校では、年の違う生徒たちもお互いを、支えあい、守りあう。彼らにとって学校の塀の外の世界は、いつも脅威だ。
緊張を強いられ、異なる文化に対する無理解・非寛容が渦巻いている。特に、拉致問題がクローズアップされると脅迫はより現実的な脅威になる。それだからこそ、自分たちのアイデンティティーを守るためこの学校は存在する。

日常生活の中にある、朝鮮語も日本語とちゃんんぽんになっていて面白い。監督のキム・ミョンジュン
さんも撮影期間の3年を朝鮮学校で過ごしたが、最初は先生の言葉はわかっても、生徒たちの日本語交じりの言葉が理解できなかったという。けれど、しまいに「へんな訛」のハングルを話すと友人に指摘されるが、本人はそれがとても嬉しいという。一緒に過ごした人々への愛情があふれている。

登場する生徒たちは実に明るく元気だ。だが、それぞれの事情で日本社会の中で葛藤や困難、差別にあっている。そのために、早くから自分が何であるか?ということを考えている。誰のために生きるか?
自分のためにだけでなく同胞のため、仲間のため。強い絆がそこにあった。

映画の中には万景峰号に乗船しての修学旅行のシーンもある。監督は、舟に乗って北朝鮮に入ることは許されていない。韓国から入ることはできても。そこに深い分断を初めて感じたという。
この映画は、昨年の釜山国際映画祭のドキュメンタリー部門で最優秀賞を取っている。韓国の人にとって彼らの存在は忘れられたような存在であったに違いない。

面白いのは、ソウルでの感想に「今まで民族や国のことなんて考えたこともなかった」というのである。
これって、けっこう日本人もおなじじゃない?
私にとって、日本は住んでるエリアにすぎないと考えるのだけれど、それは、同じ国に住んでる他のアイデンティティーを持つ人から脅威を受けたことがないからだと思う。そう、私たちはこの国の多数派で脅威をあたえても与えられることのない存在だからだ。
本当に彼らが安心して自国の言葉や文化をおおっぴらに語れるには?
日本人の側に大きな責任があると、また、改めて思った。

この映画は、まだまだ上映が広がっている。どこかで、是非出かけて欲しい。
詳しい情報は、映画『ウリハッキョ』日本公式ブログ http://urihakkyo.blog105.fc2.com/で更新される情報をチェックして欲しい。

もう一つ追加。
明日、22日東淀川の瑞光寺公園で「平和のマブイ祭り」が開かれます。午前11時から4時まで。
その会場でウリハッキョのTシャツ(他にもいるかもしれないけど)着ているのが私です。

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2007年06月04日

パラダイス・ナウ

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映画 パラダイス・ナウ
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自爆宣誓のビデオを撮るシーン

映画「パラダイス・ナウ」を観た。
以前から、いろんなところで紹介されてきた、この映画が大阪シネ・ヌーボで公開されている。6月8日までは一日、4回、それ以降22日までは、10時20分からのモーニングショーのみの上映となる。

この映画が、自爆攻撃に向かう、2人の青年の48時間を描いたものであるということは事前にしっており、少々重い気分も背負いながら観にいった。ところが良い意味で、予想を裏切り、この映画はとても静かな映画で、こころに深く浸みわたっていく映像だった。

実際は、爆弾の音、銃撃の音が日常的な音であるだろう、パレスチナのナブルスの町を音楽で感傷をあおることも、観客を先導することもなく淡々と静かに描いているところに好感を持てた。

この映画は、イスラエル人にとっても衝撃をあたえたらしい。自分たちが標的になる自爆攻撃をする側の人間と映画の中で初めて対面するわけだ。私たちも一緒だ。初めて、自爆に向かう若者の心理や組織の準備を目の当たりにする。

ハニ・アブ・アサド監督は、多くのリサーチを通じて、自爆攻撃者の実像に迫る。自爆失敗者の弁護士から、遺族から、また、自爆攻撃者を募る組織から聞き取りをし、時には、その組織から台本を見せろと迫られ、本当のことが描かれているということで協力を得たりしている。写真にある、自爆宣誓のシーンの映像も実際に組織がそこでビデオを撮影したところで撮影している。(写真下)

自爆攻撃者に選ばれた、サイードとハーレドは、生まれてから壁の外に行ったことがなく、貧しく、閉塞感と絶望の日々を送る若者だった。彼らは、突然自爆攻撃者に指名されて、粛々と準備の時間を過ごす。サイードには、父親がイスラエル側の密告者であり、パレスチナで処刑されたという家族という負い目を持っている。ハーレドも父には弱さを感じており、イスラエルの占領に対して自爆攻撃の方法に迷いはない。

彼らを、自爆に駆り立てるもの。「この世の地獄より、頭の中の天国を選ぶさ」というハーレドの言葉。
自爆は、イスラエルに対する抵抗ではなく、単なる復讐だ。とスーハという平和運動をする女性に言われて、葛藤する。体に巻きつけれれた爆弾。追い詰められる心理。
彼らには理由があった。けれど、自爆ではない方法を考えられる状況に、彼らが置かれるということがこの先もあるのだろうか。あの、閉じ込められた空間の中で。

イスラエルのテルアビブの町は、美しく、沢山の韓国製の車がはしり、ビルが立ち並ぶ。空爆で攻撃された後がそのままのパレスチナのナブルスとの対比はすさまじい。イスラエルの巨大な軍事力に自爆攻撃で対抗することが、いかに不毛か。しかし、民族浄化を意図するイスラエルに抵抗しないわけには
いかない。

自爆攻撃者は、狂信的な信者であるというわけではなかった。普通に葛藤し、けれど、どこへも抜け出すことのない生き地獄、「不平等な生よりは、平等な死を」というサイードの言葉に表される、絶望を知ることになった。

是非、観て欲しいと思う。

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2007年03月13日

人間は捨てたものか?捨てたものじゃないか?どっち

やっと観て来た。「善き人のためのソナタ」「グァンタナモ 僕達が見た真実
実は、2ヶ所の劇場をはしごしてみた。

よくも、まあ、人の良心と悪意とが両方際立った映画を選んだものだと・・・自分でも苦笑している。

「グアンタナモ 僕達の見た真実」は、アメリカが今現在もキューバのグアンタナモに500人も収容していて、起訴された人は10人という、ばかげた「テロリスト収容所」に偶然放り込まれることになってしまった、3人のイギリスの若者の実話に基づく映画だった。

ドキュメンタリーのような描写で、外からは見えない収容所、尋問、暴力を知らせてくれる。「テロリストに決め付けられる」た人々が米軍によってどれだけ捕らえられたのであろうか?アルグレイブの写真にあったような、感じとは少し違ったが、誰でも一度疑われたら逃れられないという恐怖に救われない気分となった。拷問は、強烈な轟音のロックがならされて、ストロボライトが点滅する部屋で足を縛られて、何時間も置かれる。耳元では、尋問が繰り返されたり、数多く。ラムズフェルドがうそぶく「人道的な取り扱い」が、この有様だ。

けれど、この20そこそこの若者たちは、なかなか意思が強かった。よくやった。けれど、彼らはイギリス国籍であったから、今、帰れたのだろうなと思う。多くの収容所の人たちは、イギリスでのアリバイを持っているはずがないから。

こうして、救いようのない、腐った米軍を見て、思った。米軍という組織、アメリカという国は、救いがたいけれど、人として完全な悪などなく、戦争をきっかけにして「人らしい感情」を封印してしまってる。善と悪の2つに、人は色分けされるものではないはずだ・・・と、「善き人のためのソナタ」を見てからみた、この映画。人として。兵士をやめて、もういちど生きて欲しいと思った。

そして、美しかった映画「善き人のためのソナタ」

1989年にベルリンの壁は崩壊した。今、高校生の子供たちが生まれたころだ。
その少し前の東ドイツを舞台に、この映画は、敵対する関係にある人間たちの中から生まれた、人間らしい「情」「愛」を描いた。実にしっとりと、心に染みる映画だった。

劇作家と女優の恋人の同棲するアパートを盗聴するシュタージ(秘密警察)。西側に情報を流さないか監視している。国家の社会主義にそわない演劇は、抹殺され、作家は職をうばわれる。
そういう意味では、主人公のドライマンは、東側と折り合いをつけた形で、演劇を創作していた。けれど、職を追われた演出家の友人が自殺をはかったことで、東側に反発をつよめる。そうして、西側に秘密裏に東側の自殺率の高さなどをレポートした記事を送ることになる。

これを監視していた、シュタージのヴィースラーがいい。本来の任務から離れて、盗聴するに従い、親しみを感じてしまう。ブレヒトをこっそり、書斎から持ち出して読んだり、タイトルになっている「善き人のためのソナタ」を演奏を聴いて、盗聴しながら涙を流す。

敵対していながらも、彼らを結局守る、ヴィースラー。しかし、その姿は、盗聴されている本人に知られることはなかった。影で彼らの危機を救った。その後、ベルリンの壁は崩壊。
ドライマンは、後に盗聴の事実を知り、シュタージ資料館(ここはすごい!調べ上げられた個人の情報の資料館で、こうして人はリストにされてしまうのかと思う。)を訪れる。自分の資料を請求すると、山積みされた資料がでてきた。それが、ヴィースラーの報告書であり、自分たちが、誰かに盗聴されていたが、救われたということを知る。

この映画では、冷たく、人間味のない「尋問官」が人間の良心で動いていく、変貌していく様を描いているのだが、国の政治が狂っていても、人は良心をもういちど取り戻すことができる。そのような、救いのある「捨てたもんじゃない」派のストーリー。
観ていて美しく、シュタージのヴィースラーのくそまじめさが、良いほうにも悪いほうにもころぶ。はかない人のこころ、弱さも感じた。けれど、ラストにヴィースラー自身が救われるところがとても素晴らしい。

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2007年03月04日

舞台のあちら側とこちら側。「ガイサンシーとその姉妹たち」を見た

自分の立ち位置というものを意識せざるを得ない時がある。それが、昨日であり、今日もまたそうだった。

まったく違うシチュエーション。けれど、物事にはこうやって、つくづく、いつもあちら側とこちら側があると改めて感じた。
実は、昨夜はライブだった。舞台の演奏者としての立ち位置と、客席の場所。世界はえらく違うのだ。
一瞬で過ぎ去る音の世界を聞く側は、その時間の流れで聞き、次から次へと新しい音と出会い、過ぎ去っていく。音を作り出すほうは、同じ一瞬の音なのだけれど、生み出す自分自身という主体がある。生身の人から出る音。

そのことをうんと感じていて、今日は、班忠義監督のトークショーと映画「ガイサンシーとその姉妹たち」を見たとき、今度は舞台の客席にいる自分を感じるのだった。

この映画のあちら側、つまりスクリーンの側の世界は、中国のひどくへんぴな、4WDの車で川を渡っていかなければたどり着けないようなところで取材された。自分がそちら側にいくことは、ないのだろうという感じは、地理的なモノだけでなく、そこでひっそり暮らす、日本軍の性奴隷として強制連行された深く傷つき、いまだに救済されないおばあさん達の気持ちをわかることだった。
簡単にわかったり、共感できないほど深い傷。おばあさんたちは、班監督が10年かけてようやく、語ることを許した。それを、映画という形で、見て、心を痛めてはいるが、こちら側に居る自分に深い溝を作っている。

今日、班監督の語った言葉には、知らないことがたくさんあった。

日中戦争で、日本は華北一体を占領下に置いた。けれど、それ以前の中国は、中国軍(国民政府軍)と共産党勢力が混然一体となって、勢力争いをしていた。けれど、日本軍に占領されて、中国共産党がゲリラ化して、勢力を増した。自分の財産を守りたい国民軍サイドの人間は傀儡となり、ガイサンシーなどの性奴隷を強制連行する手先となった。特に、共産党の幹部の娘や美しい娘を狙い撃ちにするように連行した。連行された女性の家族が、羊を売ったりしてお金をつくって、解放してもらうように願い出たそうだ。

そういったゲリラ戦に対抗するため、へんぴな山村まで日本軍は砲台を築いて駐留した。

この村の話は、よく「従軍慰安婦問題」としてとりあげられてる、慰安所にいる女性の話ではない、山奥の村に日本兵がいるために、強制的に連れ去られた女性たちの被害の話だ。こんな状況で、被害は作り出されてきたということは、初めて知ったことだった。

映画では、旧日本兵もインタビューに登場する。ある人は、占領地でも町には、慰安所があったが、そんなへんぴな場所にはないから、そんな風なことをすることもあったなどと語っている。
この映画では、淡々と決して相手を追及しないで監督はインタビューをし事実を語ってもらおうとしている。この映画は、抗日キャンペーン映画などではなく、丁寧にガイサンシーという人物を中心にいろんな立場の人たちから証言を得ている。

旧日本兵の言葉を聞いていると、本当に後悔をしている人であっても、その時は、女性に対して順番にレイプしていくことがどれほどひどいことであるかというのは、わからなかったと言っている。若い兵隊が上官に次お前いけ、という言葉に疑いもなく従ったことに、今やっと家族を得て、子供、孫を得て本当にどういうことをしたかがわかったという。

おばあさんたちは、自分たちの村でも差別されていたのだろう。村のおじいさんが、当時のことを語るとき、笑いながら語る姿は、見ていて苦しかった。

せめて、本当のおばあさんたちの苦しみを知りたい。足を踏んでいるものは踏まれた足の痛さを知ることがない。健康なときは、病気の苦しさはわからない。だからこそ、そちらへ近づいていこう。

映画が終わって、10年間の取材を映画より、詳細に書かれていると紹介された、班監督の本を買った。見開きにサインをもらった。ここで、わたしは、あっち側とこっち側の間に放り込まれたように気がする。

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2007年02月17日

「ガイサンシーとその姉妹たち」

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ガイサンシー 単行本 班忠義 著

班忠義監督の作品「ガイサンシーとその姉妹たち」が公開される。
週刊金曜日、マガジン9条でも監督のインタビュー記事が載っているが、従軍慰安婦問題を改めて、中国の田舎を丹念に取材して、作られたドキュメンタリー

「ナヌムの家」も観た事がある。おばあさんになっても、痛みも恨みも消えないだろう彼女たちの言葉を聴いた見たいとおもう。中国人を差別意識をもって、残酷に殺した日本兵。
きっと、心が痛むだろうけれど、観なくてはと思っている。

3月4日に大阪に監督がやってきて、トークと上映が企画されている。

大阪 日程 2007年3月4日(日) 会場 大阪市立西区民センター 上映スケジュール 11:30〜映画上映1/13:15〜トークイベント/14:40〜映画上映2 ※トークゲスト: 石高健次さん(朝日放送プロデューサー)+班忠義監督 料金 前売鑑賞券1,400円当日一般1,700円/学生1,400円/高・中・シニア1,000円 お問い合せ シネ・ヌーヴォ:06-6582-1416

大阪
日程 2007年3月31日(土)〜
※「チョンおばさんのクニ」との併映
会場 シネ・ヌーヴォX (地下鉄中央線「九条駅」6番出口徒歩3分)
上映スケジュール 『ガイサンシーとその姉妹たち』
連日 10:50 / 12:40〜 / 16:20

同時上映:『チョンおばさんのクニ』 (班忠義監督作品/2000年/90分)
連日 14:30〜(1回上映)
料金 『ガイサンシーとその姉妹たち』
前売鑑賞券1,400円 (シネ・ピピアと共通前売券)
当日一般1,700円/学生1,400円/高・中・シニア1,000円

『チョンおばさんのクニ』
当日券:1,200円均一
(『ガイサンシーとその姉妹たち』と連続鑑賞割引あり)
シニア・会員1,000円
お問い合せ シネ・ヌーヴォ:06-6582-1416

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2007年02月02日

映画「あんにょんサヨナラ」を再び

なかなか、今年に入ってから映画にいけていないのだけれど、世の中はドキュメンタリー映画にも関心が高いということで、再び、「あんにょんサヨナラ」の上映のご案内。

2月12日(月・祝)にクレオ大阪中央で、映画の主人公イ・ヒジャさんのキムチつくり教室と映画「あんにょんサヨナラ」上映会、そして、2月26日に「靖国合祀取り消し」訴訟の話もしてくれる。

昨年の私のエントリーで、映画の内容については書いているが、これはもう一度観てもいいと思う映画であり、現在も続く訴訟を見守りたいという気持ちもあり、他の予定があったけれど参加しようと思っている。まだごらんになっていない方は、是非一度、見てみてほしい。

今回は、昨年は参加しなかったキムチつくり教室から参加したいと思っている。
詳細は以下の通り また、参加チラシのPDFはこちら

映画の最後の方で、主人公の李熙子(イ・ヒジャ)さんの日本への憎しみの心を開いた日本人との交流が描写されます。その中でキムチづくりのシーンが10秒ほど出てきますが、 そのキムチづくりを今年も開催します。

李熙子さんがソウルから本場の材料を持ってきて
教えてくれる、恒例(4回目)のキムチづくり教室。

映画上映のみの参加も大歓迎!
李熙子さんと古川雅基のトークつきです。
2月末提訴予定の「韓国人靖国合祀取り消し訴訟」への思いも
語っていただきます。ご期待ください。

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ヤスクニ ノー!ハプサ(合祀)
「あんにょん・サヨナラ」協賛企画

李熙子(イ・ヒジャ)さんが教えるキムチづくり教室
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2月12日(休)9時30分 

クレオ大阪中央
(地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅徒歩3分)
4階調理室 http://www.creo-osaka.or.jp/chuou/index.html

参加費 2000円(キムチのおみやげつき)

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14時 日韓共同ドキュメンタリー「あんにょん・サヨナラ」上映

参加費 1000円(キムチ教室参加者は500円)

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キムチづくり参加は事前にお申し込みください。
下記をコピーして、gun2@r9.dion.ne.jp までお送りください。

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キムチづくり教室参加申込書

氏名 

連絡先(あれば携帯)

参加者数

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昨年、GUNGUN裁判一審で、東京地裁は
「靖国合祀は靖国神社の判断」と
国の責任を免罪する不当判決を下しました。
それならばということで、原告のイ・ヒジャさんたちが
新たな訴訟を起こします。

ノー! ハプサ(合祀)

判決のとおり靖国が独自に判断したのであれば、
靖国の責任を問うしかないということで、いよいよ
靖国神社を相手に、
「合祀取り消し=霊璽簿からの氏名抹消」を
要求し、2月26日、東京地裁に提訴します。
ぜひご支援ください。

提訴を前に、毎年行っているキムチづくり教室のために
イ・ヒジャさんが来阪します。
また翌日には大阪地裁で行われる
「合祀イヤです!訴訟」の口頭弁論に参加されます。

◇『あんにょん・サヨナラ』
(107分2005年 監督 キム・テイル 共同監督 加藤久美子)
イ・ヒジャの父はアジア太平洋戦争中に日本軍に徴用され、
中国で戦死した。日本政府から、父について何の通知もなく、
彼女が父の死の詳細を知るのは90年代に入ってからのこと。
その上、父は遺族の知らないうちに靖国神社に合祀されていた。
父の命日に、父が死んだ場所へと旅するイ・ヒジャを追い、
在韓遺族にとっての合祀の意味を問う。
墓石にアボジの名前を彫れるその日まで―
イ・ヒジャの願いを共に叶えようとする日本の友人の姿は、
イ・ヒジャの旅に新たな意味をもたらした。


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2007年01月24日

映画の話題

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映画「グアンタナモ 僕たちの見た真実」より

一つ目は、今朝の朝日新聞にも載っていた、パキスタン系の英国青年2人。友人の結婚式にパキスタンに行ったので、隣の国のアフガニスタンに人道支援ができないかと立ち寄ったとき、アメリカの空爆がおき、北部同盟に捕らえられ、アメリカに引き渡されて、グアンタナモ収容所におくられて、2年間をすごした。その間の虐待などを映画化した、「グアンタナモ 僕達の見た真実」ドキュメンタリーではないが、評価が高い。

彼ら本人は、日本でヒューマンライツ・ナウアムネスティでも報告会があったようだ。

アメリカが戦争によって何をしてきたかを、また映像で知らされることになりそうな、映画だ。
大阪では3月3日より、ナビオTOHOプレックスで

公式サイトは、http://www.guantanamo.jp/weblog/index.html

もう一つ、週刊金曜日で知った映画。

善き人のためのソナタ」2006年ドイツ 監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

東ドイツの秘密警察の国家保安省のシュタージという人物が、盗聴をする任務についている中で心が変化していく様子を描いているようだ。金曜日に載っていた監督のインタビューでは、悪いことをする人が「モンスター」と決め付けるのは良くないといっている。普通の人間も間違った道を歩くときがある。
迫害する側とされる側。そんな微妙な関係もこの映画で見てみたいと思っている。

大阪は2月17日から シネリーブル、京都は、3月3日から 京都シネマ

もう一つ気になっている。
みえない雲」2006年ドイツ グレゴール・シュニッツラー監督
原作 グールドン・パウゼヴァング 「みえない雲」小学館文庫刊

これは、原発事故のベストセラー小説の映画化。チェルノブイリを思い出す。これは、他人事ではないです。
大阪での公開は、時期未定 第七藝術劇場

さて、忘れないために書いたけれど、3つともドキュメンタリーではない。けれど、重みがありそうだ。

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2007年01月15日

かもめ食堂の中の人々

気がつけば、エントリーをあげていない。実は気がついていたのだけど。DVDも借りたりして、ドキュメンタリー「ザ・コーポレーション」を見たり、「ナビイの恋」の登川誠仁さんたちの「十九の春」を聴いて心に染みてまた、歌い始めたり。

今、準備している演奏の場があって、三線を弾いたり、二胡の伴奏をしたり、ピアノで歌ったり、もう一つは、バンドのリハの準備のために、新曲をあたったりと、楽器を触っている時間が多いので、パソコンはもっぱらチェックにとどまっていた。

でもふと、「かもめ食堂」を見たくなり借りてみて、やはり良かった~。ので書くことにした。
この中に出てくる人たちは、実は、さりげない人物たちでなく、結構訳アリの人たちばかりだ。けれど、物語は、淡々とすぎていき、こちらの時間もまきこまれるようにゆったりと進んでいく。
また、食を美しく撮っており、調理シーンも本当においしそうだ。舞台となる「フィンランド」という国を本当は知らないけれど、いやがおうにも魅力を感じてしまう。そこに暮らし、生きている人にとって、特別に素晴らしい国などありはしないだろうが、ことさらに「美しい国」と自ら言い続ける首相のいる国にいるとうんざりして、さりげない国にあこがれさえ感じてしまう。

この映画は女性たちの映画でもあった。その女たちのお互いの距離感が、干渉せず、お互いに特別相手を求めるわけではないけれど、何かあれば臆せずに手を貸す。こういう人間関係というのは、あんまり描かれるのを見たことないけど、異国にいるからなのか、連帯感を持った、やさしい関係がここちよく面白く思った。

書きたい方向が実は別にあったのだけど、なんとなく、映画に導かれるように、こんな文章を書いてしまった。今日眠るまでは、ちょっとゆっくり、ほっとした気分でいようっと。

また、近いうちには、厳しいドキュメンタリーを映画館まで見に行くのだから。

投稿者 pianocraft : 00:37 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月05日

トンマッコルへようこそ~暖かいけど反戦

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トンマッコルへようこそ

映画「トンマッコルへようこそ」を知ったのは、新聞での映画宣伝だった。韓国映画でファンタジー映画であり、ストーリーを軽く書いてあるのを読むと、朝鮮戦争のときに偶然村に迷い込んだ、韓国軍・北朝鮮人民軍・連合軍の奇妙な確執と連帯への道が描かれているらしい・・・。その情報を知った上で、TVコマーシャルが始まったら、魅力をとても感じた。宮崎駿の世界観とも重なる美しい村の風景、平和しかしらない村人。

この映画は、観てみるとファンタジーだけでない、芯のある反戦メッセージがちりばめられている。
もちろん、ストーリーに「なんでやねん!」とつっこみをいれたいところは各所あるけれど、そんなことはどうでもよくなるような、美しく、切なく、残酷な映画だった。コメディなところもうんとあり、大笑いさせてくれるのだけれど、よくできた作品で人の心の揺さぶりをかける映画だった。

詳しいストーリーは公式サイト www.youkoso-movie.jpや、yahooの特集サイト http://event.movies.yahoo.co.jp/theater/youkoso/index.htmlを見てもらえればわかる。

トンマッコルの人々は戦争そのものを知らない。そんな設定はありえないのかもしれないが、迷い込んできた兵士の鉄兜を「洗面器をかぶった人がやってきたよ。」と歓迎し、迷い込んだ南と北の兵士がにらみ合いをする中、村人が集められ人質のように銃をむけられているにも関わらず、トイレに行くからとか、夜が明けて蜂の巣を見に行かないと心配だからとかいう、日常的な理由でやすやすと緊張している空気をぶっ飛ばして日常生活に帰っていく。

拍子抜けする兵士たち、なぜ、戦わなければならないか?という理由そのものがこの村に来て消失する。兵士は戦いによって、それぞれに心に傷をもっている。敵ではなく同志の命を救えなかったこと、病むを得ず、難民を殺したこと・・国のために戦っているとはいえ、本当にまもるべきものは何なのか、戦争は人を守らないことを十分に知っている。この映画は、ずしんとくる。こんなに笑ったのに・・・。

これは、今、日本の政治家が軍隊を持つ国に導こうとする意図に反する気持ちに痛烈に重なる。
多くの人にトンマッコルを見て欲しい。無防備で無垢な村、トンマッコル。
この映画は、とても反米的な描き方をしている。これは、韓国軍が米軍と連帯していることに対する批判としても受け取れる。人と人は、本当は境界線をもっていない、けれど文化がそうさせると、昨日のTV番組でどこかの先生が言ってた。

映像も本当に美しい。宮崎アニメを実写にしたらこんな風なのかなと思うような幻想的な美しさだ。
音楽も久石譲。

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2006年10月25日

DVD「男たちの大和」をみた

この映画が公開される前に、週間金曜日で監督が、対談をしていたのを読んでいた。この映画のCMが流れていたときは、好戦的な印象を主役級の二人、中村獅童、反町隆史に抱いていたのだが、対談では結局「無駄死に」「捨石」とされた戦艦大和をどちらかといえば、反戦的にとらえているといった印象を受けた。

それを読んでいたので、DVDで見てみようと思ったわけだけど。
結果として、好戦的ではないけれど、反戦メッセージも感じられないといった感じだった。
ただ、CMでのイメージとは違った。年少兵たちが死出の旅にでる葛藤。生きたいけど、多くの死んでいった日本人のために戦うという気持ち、それは死と引き換えだ。その辛さは、戦闘シーンよりも多くの時間をさかれる、少年兵たちのシーンにあらわされる。

この大和のひどい戦略は、いかにして上層部によって決められたかをもっと描いてほしかった。国のために死ぬことを美化するようなこともなかったけれど、何も守らないんだよ。戦争って、人のことなんて。
というのをもっと、もっと伝えて欲しい。生き残った人の使命は、それだということを最後のほうで、仲代達也がつぶやくけれど、あいまいだ。

戦艦大和がことごとく、攻撃されぼろぼろになって沈んでいくのを映像でみて、本当に無駄死にを強いたことに怒りを覚える。
多くを失った遺族はこころのよりどころのために、慰霊を国に望んだのだろうが、靖国なんかでごまかされないで欲しい。結局国のつごうのよい、ごまかしの慰霊をさせないために。

クリント・イーストウッド監督の硫黄島の映画が公開されるようだ。アメリカ側からと日本側から描く、硫黄島の戦闘。
まだ、ちゃんと整理されない60年前の戦争。日本が国民に戦後しなかったこと。戦争の反省。

投稿者 pianocraft : 23:17 | コメント (0) | トラックバック

2006年06月27日

たまには、アメリカ映画をDVDで

たまには、映画館では選択肢から外れるけれど、ちょっと観たかった映画をDVDでみる。
今は、映画館で見逃せないものを選んでみているから、すぐにDVDでレンタルされるものは後回しになっている。でも、映画館で集中してみればもっと良かっただろうに・・・と思うこともあるけど。

今回は女性がテーマ。
「スタンド・アップ」と「イン・ハー・シューズ」どちらも女性の恐怖や共感や哀しさや情けなさや怒りや・・・そんなものをあふれさせる作品だった。
まったくタイプの違う作品。

「スタンド・アップ」は、シャーリーズ・セロン演じる主人公が鉱山労働についたときに壮絶なセクハラにさらされ、アメリカで初めてのセクハラ訴訟になったという実話に基づいている。DVDでは、モデルになった女性がインタビューに応じており、そちらも見ごたえがあった。しかし、この訴訟は1984年に起こされ女性側の勝利という形で結審したのが1989年。こんな露骨なセクハラが、20年ほど前に平気であったの??と私は愕然とした。アメリカのミネソタ州は、私もいったことがある田舎街だ。
男の職場を荒らすという反感で、繰り返されるセクハラは、女性が見ていたら恐怖に感じるだろう。

確かに、実話に基づくということは、エピソードの中にはオーバーに描かれていることも多くあるかもしれrない。無力であばずれと思われてる、味方のいない女性が、闘うということ。ここに意味がある。

「イン・ハー・シューズ」でも本当にどうしようもなく、だらしなく、学習障害で、自己肯定力の低い、したがって仕事もうまくつけないけれど、とてもセクシーで美しい妹とできがいいけどいまいちさえない姉がでてくる。実にどうしようもなく、ええかげんな妹を、しょうがないけど、何とかしなさいよ!とおもいつつ観ていると、相方は「こんな女」てな感じで、この映画を「何がおもしろいねん」と途中で投げた。

たぶんこの妹がさんざんに描かれているのは、新たな自分の道を選ぶまでのストーリーを際立たせようという意図がある。ひどかった女が成長する姿を見せるために、よりひどく、描いているとわたしは思うのだけど、わたしが同性だからなのか、あばずれだった、その過去だけで女のすべてを否定されなきゃならないのか?と反感をいだいた。相方に。
姉とも和解し、自分の足にあった靴を得た妹は、新たな人生をゆっくり歩みそうなエンディング。
努力をして読むことができるようになった妹が姉の結婚式で朗読した詩が美しかった。

E E カミングスの詩だそうだ コチラで紹介されているもの。
とちゅうで読まれる詩は、E ビショップのもの。 コチラで紹介されている。

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2006年06月05日

ナミイ サイコ-!

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映画「ナミイと唄えば」

やられた~。三線をまじめに習おうと、三線サークルに初めて行った先週。その矢先にすごい映画を見てしまった。かねてから、噂の高い「ナミイおばあ」の映画「ナミイと唄えば」を七芸のモーニングショーで観た。

100はたち(120歳のこと)まで、神さま生きさせてくださいね。と毎朝神さまにお祈りするおばあ。
半ば、脅迫するように生きることを神さまに願う。ナミイおばあは、唄う唄う。ヒットゥイヒットゥイして生きていく。人と情や歌を交わし、ときには伴奏しあい、掛け合って唄う。
その歌の力は、生きるエネルギーにみちていて、その魅力に「はまらざるを得ない」
その姿をおばあの歴史をたどりながら、楽しく、歌い踊り、魅せる映画だった。

監督は「ナージャの村」「アレクセイの泉」をとった本橋成一さん。
原案は、姜信子さん。この人が、おばあのとりこになって書いた本、「ナミイ!」もある。
ちなみにCDも買ってしまった。
CDには、映画にはなかったカレシの大田さんとの出会いの「とぅらばーま」も収録されている。掛け合いで即興で歌う、ブルースやコールアンドレスポンスのような、形式のこの歌は非常に魅力的だ。

見終って、唄い踊りたくなる。人生も「またいっしょに遊ぼうね」と別れ際に言うおばあの言葉どおり、おおらかさの中にあってこそ、活き活きとしたエネルギーが沸いてくるのと感じる。じわじわと、あたたかくなり時間がたてばたつほど、こころに染み込んでくる。
歌三線という、ナミイの唄には、本土の流行り歌も多い。こんな風に、みんなを楽しませるために唄ううたを、あと40年くらいかかってやってみたいな。

元気になるには、観るしかない!!ナミイサイコー!

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2006年05月15日

ヴィゴが見せた、暴力と冷静

ヒストリー・オブ・バイオレンス」を見た。ヴィゴ・モーテンセンを見るために観た映画というのが正直な動機だ。

デビット・クローネンバーグ監督といえば、暗い、どろっとした表現がイメージされるけれど、この作品もそのような、暴力を受けた人間をえげつなく描いている。しかし、ヴィゴは、あいかわらず魅力的だ。
穏やかなアメリカ中西部の田舎町の食堂の主人が強盗が店に現れたときにあまりにも鮮やかに、銃を持って抵抗し、殺してしまう。その手際の良さは、彼の隠された「History of violence」を徐々に明らかにしてしまう。
家族の平安が疑惑で脅かされる。すばらしく魅力的な夫がかつてギャングで多くの人間に残虐な暴力をふるっていたことを知るという失意。思春期の息子の暴力をしかる父はその信用を失っていく。

愛と暴力の対立というサブタイトルがついているが、ラストシーンは、ギャングを殺してきた父が朝食時に家に戻り、食卓をかこむ家族の前で呆然としている。ちいさい末娘が皿を差し出す。息子も食事をすすめる。母はちいさく、音もなくくちびるで言葉を告げる。多分、彼女は、この夫を受け入れて、この先も生きていくのだろう。この家族の物語は架空の時間の中でつづいていくのだろう。というラストであった。

それが妻の愛だというのならば。暴力は避けることのできない現実として、肯定されるのか。
わたしには、解せない。もちろん、憔悴しきったヴィゴの表情は、ぐっときてしまうが・・・。それは、ストーリーとは関係ない。

最近そういう感じをもつことはなかったのだが、映画の中に好きな俳優がでていると、映画の登場人物としてでなく、時々俳優そのものを感じているときがある。これは、この人の映画意外はありえないのだが、「あっ。この顔いいやん」というような、それは、作品を鑑賞するためにじゃまになるのかもしれないし、正しい観方であるとはいえないだろうが、でもね~。これも楽しみなんだよね。

映画全体としては、釈然としない。暴力は必然であると思えないから。
しかし、ヴィゴはインタビューでも「他者への暴力は自己破壊につながる」といっているように、一見妻や家族の愛によって、うそで固められた生活に主人公がエンドロールのあと戻るとしても、破壊されたものは戻らないだろう。このことを、イラク戦争にたとえて、アメリカ政府を批判するのが、ヴィゴその人なのだ。

美しい静的表情が暴力的な表情に変わるとき、ヴィゴはすばらしい。困惑する、悩む表情も。
クローネンバーグとの次回作も決まったらしい。また、どろどろかいな。
その前に出演したスペイン映画を早くみたいけど。
私は、ファンといいながらも公開から、うんと時間がたってから鑑賞しました。いつもほんとに出足がわるい。だって、観たい映画が多すぎるのだから・・・・

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2006年05月04日

DVDで「マラソン」を観て癒される。

marathon.jpg
韓国版チラシ

私は、この映画が好きになった。主人公チョウォンが走る時に感じる、光・風・雨の美しさ。立ち止まって惹かれていくシマウマの模様。好きなものに引き寄せられて、好きなものの中にいる嬉しさ。
そんなものを共感した気がした。

チョウォンの物語には、こころから愛してくれる母がいる。いつも自分のせいで放ったらかしにされてる弟がいる。自分が原因で気まずくなった父がいる。その、ちょっと力の入りすぎて息も絶え絶えの家族がチョウォンのお陰で再生していく様は、美しかった。

私の知っている範囲では実際、自閉症の子どもを持つ家族は大変で、軽度・重度の差もあるけれど、夜寝ない、起きていて勝手に外に出て行ってしまう。走り回る。母がやはりストレス性の病気になり、離婚して片親の家庭も数多く。その場合、ほぼ母子家庭となる。母はやはり子を守ろうとするからか?
なのだが、母はいろんな世間の目にさらされ、実に強くたくましく、時には学校に交渉し、子どもの生きる道を支えていく。けれど、自分は先に死ぬだろうから、子どもが自立して生きていけるようにヘルパーを使い、グループホームで生活できるようにしたり、就労を保証するために作業所を立ち上げたり、一般就職に働きかけたりととてもタフだ。

映画の最後に1999年に自閉症が障害と認められたというのは、韓国の事情なのだろう。随分遅い措置だと思った。実際、生活倫理が儒教に支えられている韓国では、障害者というのが長く隠すべき存在だったのではないか?と推測される。バリアフリーの観点から見たら、韓国で車椅子生活をするのは大変なことが多い(日本でももちろん、まだまだ)と思う。

というような、現実は置いといて・・・。この映画は、実在のモデルがいる。朝鮮日報で記事を見つけた。今、楽器工場で働いているのが興味深いな・・・。
自閉症の人、当事者の書いた本「自閉症だったわたしへ」をだいぶまえに読んだけれど、光がキラキラすることや色が違った感性で感じられる事を確か書いてあったと思う。それを読んでいて、「マラソン」を見たときに、一緒にうっとりすることが出来た感じがする。この映画は、涙というより、こころ安らかになる映画だった。
障害を持った人は、時に健常者のボランティアをしてくれる。知らない楽しさや、どうしてその人に寄り添ったらいいかとても考えさせてくれるから。
是非、障害を持った人がお家にいたら、多くの人の中で生活させてあげて欲しい。世の中の、健常といわれる人間に、私達のモノサシが勝手で数の論理で偉そうにしてることをもっと教えて欲しいから。

町で障害を持った人と出会うと、見つめてしまう。もちろん興味津々。でも愛情を持って観ているつもり。
上手く出会えば会話を交わす。わたしの相方なんて、白杖の人を手引きしようと声かけて、、そこの地理にうとくて逆に自分の行きたいところまで連れて行ってもらったというエピソードも持っている。
また、白杖の人に自宅近くの駅で降りたとき「手引きしましょうか?」と夫婦そろって声掛けて、1杯入ってゴキゲンなまま、おしゃべりして見送ったこととか。私らの方がヘンでしょうね。

障害を持った人の映画も魅力的なのがあって私のお気に入りを2つ書いておきます。
「ギルバート・グレイプ」・・・ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオのファンの人は知ってると思う。
レオが18くらいのころ、とてもキュートな自閉症の少年を演じている。
「サイモン・バーチ」・・・これは小人症の子供の物語。神様に深遠な問いかけをするのが好き。

そういえば、大阪の鶴見緑地で28日「8時間共生・共走リレーマラソン」が開かれる。
何回か参加して障害をもったこどもと走ったり、応援したりしていた。この日、鶴見緑地では多くの障害者団体やボランティア団体が模擬店を出したり、楽しい祭りになっている。
8時間を誰かがリレーして走っているという状況の一日。「マラソン」応援にあるいは、走りに行きませんか?

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2006年05月03日

二つの映画 

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Marines Go Home/監督 藤本幸久  映画「日本国憲法」

5月2日朝刊で「在日米軍再編最終合意」が一面トップ。その日、モーニングショーだけやっている十三の第七芸術劇場で「Marines Go Home 辺野古・梅香利・矢臼別」を観た。上映前に、藤本幸久監督がスピーチしてくれた。「今日という歴史に残る日にこの映画を朝から観に来ていただいた皆さんに感謝します。」すなわち、自衛隊と米軍が手を組んで、戦争できるようにする一歩を両政府が合意した記念日ということか。日米の「新たな段階」とは、なんなのか?
映画は、3つの場所での闘いを描いている。
辺野古・・沖縄返還後初めて、新たな基地を作ろうとしている、ジュゴンの海に日々、からだを張った阻止行動をとる人達を見つめる。映画の撮影が終わってから、この前の名護市長の裏切りによって、彼らの怒りの行動は続いている。
梅香利(メヒャンニ)・・韓国の米軍射爆場の地を映す。島を2つも演習で無くしてしまった米軍。此処での演習で、劣化ウラン弾攻撃の演習など、島に置いたトラックなどを目標にヘリから爆撃する。騒音はひどく、難聴の被害を被る。
矢臼別・・北海道での演習地。演習場のまん中で、立ち退きを拒否して闘い続ける農民2人の現実。沖縄からの海兵隊が、ここで演習する。
今まで、知らなかった現実を知る。自分の住んでいるところに基地がないから、米軍の姿なんて見ないから・・・けれど犠牲になっているところが、戦場のような場所があるということ。イラクのこどもたちやアフリカの飢餓に思いを馳せていても、ここにある苦しさを理解しようとしなかったことに反省する。

結局、日本の演習地はイラクまで続いている。戦場の入り口がここに口をあけていることに気がつかなかったというか、知らないフリをしていたんだと思う自分。

こんな憂鬱な気分のまま、憲法記念日はやってきた。その日、日本に関する2つ目の映画を観る。

これは、以前にも紹介した。エントリーは<2005年07月31日「映画 日本国憲法」と日高六郎さん>
ジャン・ユンカーマン監督のドキュメンタリー映画だが、3日だけに限って製作会社の㈱シグロが2回、ネット上映をしていた。たまたま、夜にMLをチェックしていて、23時からアンコール放送があったものを見ることが出来た。

これは、改めて観るに価する作品だ。DVD発売も、2800円と手ごろで、こちらも注文した。
シグロとしてはネット配信という初めての試みでこの映画は上映されたが、英語の部分の字幕だけではなく、日本語にもすべて字幕が入っており、この種のインタビュー形式のドキュメントでは、発言者の言っている内容がそのときにつかみにくかったりするのだが、これが文字になっており明確にわかるので良かった。バリアフリーを目指した、配信を考えているということかららしいが、これは、聴覚障害でなくとも便利。

上映後、監督がメールでの視聴者からの質問に丁寧に答えていて、多くの時間を費やしていた、コチラは、眠気が生じてしまい、途中で断念。
この映画で、憲法9条の存在意義をあらためて感じる。さまざまな論議があるけれど、この9条がいかなる役割をになっているのか、この国の平和だけでなく、アジアや世界に向けた、日本国民が政府に要求する憲法であるということを思い出したい。

シグロでは、今後もネット配信で「チョムスキー9.11」などを上映する予定。
詳細は SIGLO theather[シグロシアター]http://www.cine.jp/(視聴には登録が必要)

沖縄の辺野古関連の情報も書いておく。
ジュゴンの家 http://www47.tok2.com/home/dugong/index.html
ちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古で座り込み中! http://blog.livedoor.jp/kitihantai555/
シンさんの辺野古日記(映画にも出演しておられます) http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/

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2006年04月25日

映画「ナイロビの蜂」試写会

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ナイロビの蜂〈上・下〉 集英社文庫
ジョン ル・カレ (著), John Le Carr´e (原著), 加賀山 卓朗 (翻訳)

この前、小説を読んだ印象をエントリーした。
http://www.pianocraftwork.com/mt/archives/000244.htmlなので映画の試写会を応募したら当選し、一足先に映画を観ることができた。

いつも思うのだが、映画の原作って「読んでから見るか見てから読むか?」映画を観てから悩む。
今回も上下巻ある長編なので、サスペンスの密度も濃く、先を読ませる気にさせる面白い作品だった。
それを映像でみるにあたり、、監督の意図で思いきり違うものになっているか、小説に忠実かというところから入る。今回は、原作に沿っているが、読んでいなかったら、もう少し流れを自然に観ることができたのかもしれない。と思えた作品だった。ということは、この原作を読んでいない人は、まず映画観たほうがいいかも・・・という感想だ。けれど、人物関係はわかりやすいか謎だ。

ケニアの風景は、予想以上に乾いていて、物語の重要なポイントとなる湖も殺された現場も想像した風景ではなかった、ほんとうに大きな荒地が多く、貧困の原因となる干ばつになってしまうのも納得できる。気温は映画からは伝わりにくいが、相当暑いはずだ。
小説のように、製薬会社や外交官、政府の腐敗を描いているが、こちらは映画のほうがトーンダウンしている。テッサとジャスティンの愛の軌跡にウエートが置かれているからかとも思うけど。

けれど映画のセリフで私のこころにひっかかって離れないものがあった。最後の教会のシーンでスピーチされる言葉。
「アフリカの命は安い」
よく、紛争でカウントされる死者の数のことを命なのにと思うけれど、アフリカでは違う。
生きている命すら安いのだ。製薬会社によって治験され、亡くなったアフリカ人は、死んだことも、薬を投与されたことも、生きていたことも記録から消され隠されていた。これは、映画の中でのことだけれど、ル・カレ(原作者)の書いたように製薬業界はもっと闇であるという言葉からも、これは事実から離れた事ではないように思う。
「安い命」利用され、捨てられ、忘れられる。このことで潤う多国籍企業がある。これは現実だ。

主人公のジャスティンは妻の死を「安い命」で終わらせたくなかったから、彼女のたどった道をもう一度生きて、告発を現実に投げかけようとした。

エイズも貧困が原因だ。それを止めることができないのは、誰のせいか本当はみんな知ってる。
製薬会社は、武器商人と一緒だ。と映画で誰かが言っていた。
矛盾だらけ。援助のふりをしながら命を奪う。

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2006年04月15日

ナイロビの蜂 

honey.jpg
ナイロビの蜂(C)2005 Focus Features,LLC

風邪をひいていた。久しぶりに熱まで出して、ぼんやりしている間にジョン・ル・カレの「ナイロビの蜂」を読んだ。

映画のほうも5月に上映される。今年のアカデミー賞でレイチェル・ワイズが助演女優賞を獲った。
物語はざっとこんな風だ。ナイロビで英国高等弁務官事務所に勤める外交官のジャスティンは、突然妻のテッサを殺害されるという形で失う。
テッサは、ケニアで医療援助をするNGOや世界食料計画と連携して積極的に活動していた、強い女性だった。彼女は、巨大製薬会社がアフリカの人々を実験台にして危険な治験を繰り返し死に至らせたことを告発しようとして、その道半ばで殺された。この国の官僚、外交官、多国籍企業の癒着の構図を描きながら、妻が死にいたった真相をしるために夫のジャスティンはテッサのたどった道を行くというものだ。

これは、サスペンス小説だ。架空の外交官、官僚、製薬会社も問題の薬もフィクションだ。
作者のジョン・ル・カレはあとがきで、多くのアフリカでの専門知識を与えてくれた国境なき医師団の医師や製薬会社が第三世界と取引するうえでの不正を暴く活動をしている団体の存在に感謝している。
いろんなことが架空であるけれど、製薬業界の闇はこの小説より深いということらしい。
実際に映画化するにあたっても、英国外交団体から批判を受けていた小説だったが、実際の英国の高等弁務官が映画の製作に協力したと言う。ケニア政府もしかり。

ケニアは、本当に貧困の中にある。この小説が映画という映像になるにあたって、きっと圧倒的な美しい自然と圧倒的な貧困を見るに違いないと思っている。
テッサにはモデルの女性がいるという。
貧困への援助の必要はまぎれもなく、本当に必要なことだから。

映画を楽しみにしている。テッサのいるケニアに連れて行ってほしいから。

投稿者 pianocraft : 00:22 | コメント (4) | トラックバック

2006年04月03日

白バラとJesus Rose

この映画についは多くのblogで取り上げられている。身近なblogでも書いておられる、KATEKさん、hanaさん、Tamyさんなどの「白バラの祈り」の映画感想を読んでいていまさらなのだが、少しこの映画について書いてみたいと思った。
今日、この映画を観た。ナチスドイツ下で抵抗運動をして逮捕から5日で処刑される大学生の活動グループ「白バラ」の中で唯一女性で処刑されたゾフィーの史実に忠実とされるストーリー。戦時において、言論が抹殺され、戦況の悪化の事実も封じ込められても真実を語り「大逆罪」に問われた「白バラ」たち。

戦争とは多分このようなものなのだろう。個人の「自由」が国の大儀に押しつぶされる時とは。

ゾフィーがいかに強く、高潔な信念を持って、理不尽な「人民裁判」に挑んだか。その姿に感動する。けれど、時折垣間見せる、心のよりどころは「キリスト教信仰」なのであった。
人民裁判のその日の午後5時には、ギロチンに賭けられたゾフィー。直前に現れる牧師に「祝福してください」と願い出る。ゾフィーは磔にされるイエスキリストのように、「もうひとつのドイツの信念」を背負って死に追われたように感じた。

4月16日は今年のイースターである。イエスキリストが磔刑にあい、3日後に復活したお祝いの日。
イエスのことはJesus Roseとも呼ぶ。
私はこのバラとRoseが妙に重なってしまった。死に恐怖を感じていたであろうゾフィーを、本当に信仰は助けたのかもしれない。

クリスチャンでないわたしがこういうことを書くのはどうかと思うのだけれど、今度の16日の日曜日はイースター賛美に参加する。この日にゾフィーのことを想って歌おうかと思う。
まさに私達は「Jesus rose」という曲を歌うのであるが。
「太陽はまだ輝いている」と言うゾフィーの言葉は、自分は滅んでもその信念は生き続けるということをも現わしているのだろう。イエスの意志も弟子によって引き継がれた。

決して、キリスト教そのものを肯定も否定もしないが、信仰、信念が貫かれる時は存在する。
私達が今の政治のもとで生きていく限り、いろんな価値観と共闘して、守らなくてはならない「信念」は貫きとうさねばならないだろう。
ゾフィーの勇気に敬意を表して。

多くのクリスチャンの人にも見てもらいたい映画です。

投稿者 pianocraft : 22:32 | コメント (4) | トラックバック

2006年02月27日

映画「あんにょん・サヨナラ」

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日本版と英語版フライヤー

26日朝からひどく雨の降る日曜日、ドーンセンターで映画「あんにょん・サヨナラ」を観て、主役のイ・ヒジャさんと古川雅基さんのお話を聞くことができた。この映画は前から観たかったものだが、私の認識では、韓国の戦死者が靖国神社に合祀されているということに対して、分祀を要求する訴訟を起こした韓国の人の話だという、ぼんやりとしたものだった。どのように靖国は描かれているのか?興味があった。

この映画は、日本では山形国際ドキュメンタリー映画際特別招待作品として上映され、韓国では第10回釜山国際映画祭優秀ドキュメンタリー賞を受賞。ソウル独立映画祭の大賞も受賞している。

このところ、戦争にまつわる映画は良く観ている。でも、これはその中でもいちばん「こたえた」作品だった。イラクやパレスチナ今ある、戦争を扱ったテーマの映画には、想像力を駆使して、本で知識をおぎなって考えることにしているが、今回は違った。わたしにとって靖国神社は、常にその存在そのものに違和感があり、日本人の戦没者であっても、神道でいう神さまにされることも、魂を勝手にもっていかれることも反対だと思っている。けれど、今回はこの映画で問題を「つきつけ」られた感がある。何してんねん。自分は~。と思うような苦しさ。日本にいて、この国の戦争の後始末がまだすんでへんやないか。その当事者である自分は何をしているのか?と。

主人公のイ・ヒジャさんは、お父さんを戦争で亡くした。そのことは戦後ずっと家族に知らされることはなかった。それを知ったのは、1995年防衛庁からだったが、日本政府は、遺族に何のことわりもなく靖国神社にお父さんの名簿を合祀していたのだった。その合祀を取り下げてもらう訴訟を起こした。
ヒジャさんを支える日本の在韓軍人軍属裁判を支援する会の古川さんは、彼女に出会い、日本の戦没者の遺族も同じように、靖国合祀や忠魂碑反対などを訴えていることを追っていく。

ヒジャさんは、この活動について「お父さんの子どもとして運命」として捉えている。
この映画では、右翼活動家の靖国に対する考えを語るシーンがある。わたしとしては、その言葉を聞くのがとても辛かった。相容れない考えに向かい合う時。けれど、右翼の中には鈴木邦夫氏のように、祀って欲しくないものは、合祀しなくていい。とか、8月15日に軍服を着て参拝する必要はない。など、対話のできる部分もあったという。(これは映画では使われていない)
ヒジャさんは、これからもソフトな右翼であれ、ハードな右翼であれ対話を重ねたいと言っていた。大変なエネルギーを要するだろうに・・・・。

靖国神社前で争うシーン。未だに心無い言葉をはく「日本人」。
「靖国神社」について何も感じない、何も知らないで存在を容認し賛美しつづける、その無知は罪深い。
神を分祀できないといって、紙の名簿で祀るという矛盾。人の手で作られた宗教で、人を引き裂くのはやめて欲しい。
何故か、戦争のにおいは宗教の周辺でぷんぷんする。宗教を利用した、天皇を神と言った過ちを、私は知らなくてはいけない。

本当に感動というよりも、若い人に沢山観て欲しい映画である。
大阪ではシネ・ヌーヴォで7月公開。それ以外でも自主上映が各地で開かれる。
詳細はHPで http://www.gun-gun.jp

投稿者 pianocraft : 01:23 | コメント (6) | トラックバック

2006年02月25日

ヴィゴ来日!「ヒストリー・オブ・バイオレンス」

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ヒストリー・オブ・バイオレンス」2005年アメリカ/ カナダ

ヴィゴ・モーテンセンについて書くと、少々冷静さに欠くかもしれないことをお許しいただきたい。
ヴィゴは、この「ヒストリー・オブ・バイオレンス」デビット・クローネンバーグ監督の作品のプロモーションのために来日している。カナダ大使館でプレミアがおこなわれたらしいが、配給会社のファンへの対応は失望させるものであったようだ。

この日本の地にヴィゴがいることについて、どう思うか?と聞かれたら、どうとも思わないというのが正直な感想だ。なにせ、プレミアは東京で開かれるし、実感がわかないからね。そりゃ、たまたまパブで隣にすわって飲んでいたなんて状況があれば別だけど。(きっと、別の自分になるかもしれないな)

ところで、この映画に関して「暴力」に対してヴィゴはどう思うか?というインタビューで、「暴力は本質的には自己破壊であり、他者にたいする攻撃は結局、自分自身への攻撃となる」というようなことを言っている。これは、彼がアメリカ政府のイラク攻撃を批判したりする活動にも通じるように思われる。自身で詩を書き、絵を描き、写真を撮る表現活動をする、変わり者の俳優であるから、繊細な表現者の感性というべきか。

ヴィゴは、息子をイラク戦争で失い、ブッシュに息子の戦争での犬死の謝罪をもとめる運動を展開している「シンディー・シーハン」さんをキャンプに訪問した事は、blogでも書いたが、そのときのシンディの様子をヴィゴファンのmisaさんのインタビュー翻訳で知った。以下、引用させて頂きます。(全文はhttp://viggowords.exblog.jp/i3

<モーテンセンを見てシーハンの精神が高揚したとあなたは思うかもしれない。彼の生気に満ちた青い瞳、くぼみのある顎、2x4の切り口のようにスクエアな所、彼のビーフジャーキーのように無駄のない体格に。いや、彼女は青ざめたのだ。

「彼女には奇妙なことだったんだ」ヴィゴは彼女の打ちひしがれた顔を思い起こしながら言う。何が彼女を動揺させたのかを知ったのは後になってからだった。シンディと息子が最後に一緒にしたことの一つが、モーテンセンを脇役からスターへと変えた『ロード・オブ・ザ・リング』3部作の最終作『王の帰還』を見ることだった。だからヴィゴが自分に向かって歩いてくるのを見たとき、一瞬ゴンドールの王冠への流浪の後継者、アラゴルンだけを見たのだ。そしてその同じ瞬間、彼女は死んだ息子の存在を感じた。>

アラゴルンの姿を見たというのは、胸に詰まる思いだっただろう。息子との大切な思い出。
あの「ロード・オブ・ザ・リング」は、確かに壮大で大好きなのだけれど、いろんな種が争う戦争映画だ。
どう考えても暴力はどこにも満ちている。現実にも映画にも。ごく近くの暴力と国の振るう暴力。これは、サイズが違うだけで、攻撃と報復の繰り返しで生まれるものはなく、失う命とカウントされる死者のみだ。
この映画を冷静に、見られるだろうか?リアルな映画をうんと観てきた今のわたしに。ヴィゴに見とれてしまうだけの映画にならないことを期待している。

関連記事
http://www.pianocraftwork.com/mt/archives/000175.html

投稿者 pianocraft : 23:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月19日

ついに「ホテル・ルワンダ」を観た

この「ホテル・ルワンダ」は公開までの「思い」がとても強い映画だった。昨年のアカデミー賞授賞式「Ray」のジェイミー・フォックスが賞をとるか見ていて、他に主演男優賞にノミネートされていた「ホテル・ルワンダ」のドン・チードルを解説していてこの映画の内容を知った。その後のこの映画公開までの道のりは、「ホテル・ルワンダ日本公開を応援する会」のHPを観て欲しい。

何度も、ルワンダの大虐殺についての情報を読んでいるし、この映画の主役の行動についても、映画のストーリーもすべて知っていたけれど、映画をみることで、文字で知っている事では得られない人間の息遣いや風景を突きつけられた感がする。
もっとも強烈に揺り動かされたのは、国連のベルギー軍がやっとやってきて、これでツチの人たちも救われると思ったとたんに、裏切られるシーンだ。救われたのは外国人だけだった。世界は自分達を見捨てたと知ったとき。このシーンをみていて、自分はどちら側から今見ているのだろう?と思った。
残された人の絶望感か去っていく外国人が感じている不甲斐なさ、無力さだろうか?傍観者として映画に立ち会ってしまった私は、どこにいたのか?

たぶん、無力である自分だろう。
しかも、これは映画ではあっても、事実だったから。
主人公のポールに焦点をあててこの映画はつくられている、虐殺全体を映し出そうとしたのではなく。それには、この映画の監督の意思があった。アイルランド紛争の只中にいたテリー・ジョージ監督の目線。祖国が同じ民族で引き裂かれる苦痛を知っている。
自分達の身近で、隣人や身近な友人が2つに引き裂かれたら?どうだろう?
この映画のメッセージは、そういうことを考えることなのだと<ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記>で町山さんが書いていた。

1994年あなたは何をしてました?阪神大震災の前年。何も心配の要らない普通の生活をして、国際情勢に強く批判をもつことも、関心をもつこともしていなかった。今日は心が強烈にしめつけられました。
大阪のシネ・ヌーヴォは、たぶんこんなミニ・シアターではあまりない、補助席も出した満員の上映だった。
これは、新聞・雑誌でたびたびとりあげられた結果だろう。でも本当に多くの人が見て欲しい。
ロビーにはルワンダに当時、緊急支援に駆けつけたAMDAの活動の写真展示があった。
AMDAのサイトで、当時の支援の様子が報告されている。
現在は、先日起こったフィリピン、レイテ島の地すべりの緊急支援の呼びかけを行っている。

今もアフリカはさまざまな問題を抱えている。
アフリカだけはないけれど。

投稿者 pianocraft : 23:00 | コメント (2) | トラックバック

2006年02月03日

アメリカサイドから見た湾岸戦争

久しぶりに映画で消化不良。試写会に当たったので、「ジャーヘッド」という映画を見ることになった。<湾岸戦争を米軍の一海兵隊員の目で見たもの>という触れ込みだったので、どうせアメ