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2010年01月24日

牛の鈴音

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韓国のドキュメンタリー映画「牛の鈴音」をやっと観た。
十三の第七藝術劇場は、結構長くこの映画の上映をやっていて助かった。

普通は15年くらいが寿命の牛が、おじいさんと一緒に40年生きていた。
おじいさんのその牛に対する愛情は並大抵ではない。自分の体調がすぐれなくとも、牛の声や鈴音がするとそちらに目をやる。

この映画は、そんなおじいさんと連れ添ったために、一生こきつかわれると愚痴るおばあさんと、牛の淡々とした暮らしを追いかけている。

隣の田んぼは農耕機械を入れ、農薬をまいて楽に仕事をしているのに、おじいさんは、「農薬を撒いたら」と言うおばあさんの言葉に「牛に毒を食わせるのか」という。
牛の草のためであって、ヒトの食う米のためではないらしい。悪い足を引きずりながらも、「休むのは死んでから」というおじいさん。そんなにして毎日働く以外に、何もない生活。

老牛は、車も持たないおじいさんとおばあさんの生活に欠かせない。病院にいくにも牛に引かせた荷車で街に行く。折りしも韓国の狂牛病が問題になっていた時期で、牛肉の輸入反対のデモをする人たちの前を、のんびり牛に引かれたおじいさんたちが通りかかるシーンは笑いを誘う。牛は、しばし立ち止まり、デモを一瞥するがきっと「それもヒトの都合でしょ」とでもいいそうな感じがしたな。

映画を観ているとゆっくりした時間をいっしょに過ごしているような感じがする。
ヒトは、本当はこんな風に毎日同じように時間を積み重ねて生きているんだなとあらためて思う。
街で色んな刺激をもとめて、文化という名前のありとあらゆるものをむさぼる生き方が本当に充実しているかどうか・・・。そんなことはそれぞれのことだけれど。
ゆっくり、あせらないでささやかに、けれど深い愛情があるから生きているのかもしれない。おじいさん、牛が死んじゃって立ち直っているかなと心配もするが、おそらく何事もなく、また毎日が過ぎているんだろうな。

投稿者 pianocraft : 2010年01月24日 17:23

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