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2006年05月04日

DVDで「マラソン」を観て癒される。

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韓国版チラシ

私は、この映画が好きになった。主人公チョウォンが走る時に感じる、光・風・雨の美しさ。立ち止まって惹かれていくシマウマの模様。好きなものに引き寄せられて、好きなものの中にいる嬉しさ。
そんなものを共感した気がした。

チョウォンの物語には、こころから愛してくれる母がいる。いつも自分のせいで放ったらかしにされてる弟がいる。自分が原因で気まずくなった父がいる。その、ちょっと力の入りすぎて息も絶え絶えの家族がチョウォンのお陰で再生していく様は、美しかった。

私の知っている範囲では実際、自閉症の子どもを持つ家族は大変で、軽度・重度の差もあるけれど、夜寝ない、起きていて勝手に外に出て行ってしまう。走り回る。母がやはりストレス性の病気になり、離婚して片親の家庭も数多く。その場合、ほぼ母子家庭となる。母はやはり子を守ろうとするからか?
なのだが、母はいろんな世間の目にさらされ、実に強くたくましく、時には学校に交渉し、子どもの生きる道を支えていく。けれど、自分は先に死ぬだろうから、子どもが自立して生きていけるようにヘルパーを使い、グループホームで生活できるようにしたり、就労を保証するために作業所を立ち上げたり、一般就職に働きかけたりととてもタフだ。

映画の最後に1999年に自閉症が障害と認められたというのは、韓国の事情なのだろう。随分遅い措置だと思った。実際、生活倫理が儒教に支えられている韓国では、障害者というのが長く隠すべき存在だったのではないか?と推測される。バリアフリーの観点から見たら、韓国で車椅子生活をするのは大変なことが多い(日本でももちろん、まだまだ)と思う。

というような、現実は置いといて・・・。この映画は、実在のモデルがいる。朝鮮日報で記事を見つけた。今、楽器工場で働いているのが興味深いな・・・。
自閉症の人、当事者の書いた本「自閉症だったわたしへ」をだいぶまえに読んだけれど、光がキラキラすることや色が違った感性で感じられる事を確か書いてあったと思う。それを読んでいて、「マラソン」を見たときに、一緒にうっとりすることが出来た感じがする。この映画は、涙というより、こころ安らかになる映画だった。
障害を持った人は、時に健常者のボランティアをしてくれる。知らない楽しさや、どうしてその人に寄り添ったらいいかとても考えさせてくれるから。
是非、障害を持った人がお家にいたら、多くの人の中で生活させてあげて欲しい。世の中の、健常といわれる人間に、私達のモノサシが勝手で数の論理で偉そうにしてることをもっと教えて欲しいから。

町で障害を持った人と出会うと、見つめてしまう。もちろん興味津々。でも愛情を持って観ているつもり。
上手く出会えば会話を交わす。わたしの相方なんて、白杖の人を手引きしようと声かけて、、そこの地理にうとくて逆に自分の行きたいところまで連れて行ってもらったというエピソードも持っている。
また、白杖の人に自宅近くの駅で降りたとき「手引きしましょうか?」と夫婦そろって声掛けて、1杯入ってゴキゲンなまま、おしゃべりして見送ったこととか。私らの方がヘンでしょうね。

障害を持った人の映画も魅力的なのがあって私のお気に入りを2つ書いておきます。
「ギルバート・グレイプ」・・・ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオのファンの人は知ってると思う。
レオが18くらいのころ、とてもキュートな自閉症の少年を演じている。
「サイモン・バーチ」・・・これは小人症の子供の物語。神様に深遠な問いかけをするのが好き。

そういえば、大阪の鶴見緑地で28日「8時間共生・共走リレーマラソン」が開かれる。
何回か参加して障害をもったこどもと走ったり、応援したりしていた。この日、鶴見緑地では多くの障害者団体やボランティア団体が模擬店を出したり、楽しい祭りになっている。
8時間を誰かがリレーして走っているという状況の一日。「マラソン」応援にあるいは、走りに行きませんか?

投稿者 pianocraft : 2006年05月04日 23:45

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