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石垣で沖縄でご縁をつなぐ

7・9 CITY JACK
シティジャックにて
太陽の里
太陽の里にて
沖縄愛楽園
沖縄愛楽園
ガマ
愛楽園 ガマ
辺野古テント
辺野古テント村

7月沖縄に行くのは、久しぶり。観光客が多いのと暑いのを避けて冬に行くことが多かったけれど、本当は沖縄慰霊の日に行きたかった。が、予定が立たなかったのだった。

今回は、石垣島で多くの方々のお力添えで、ライブハウスでナミイおばあを共演できました。
その前に、7月9日の出発前日、沖縄には台風8号がやってきており沖縄本島では停電や冠水など被害がでていると情報が入っていた。当然8日は、全便 飛行機は欠航。石垣に電話を入れると、「大丈夫さ~」とのこと9日に飛ぶことを祈り、それとともに留守中に大阪へ台風の直撃をくらわないことを祈りつつ旅じたく。

無事、飛行機は飛んだが、25分遅れ。到着も当然遅れ、着いてすぐレンタカーやに行き、そのまま「聖紫花の杜」のお年寄りと遊ぼうと準備していた時刻を過ぎて、到着。介護職員さんに時間つなぎをしていただいて、大急ぎで準備。
わけのわからんままに、キーボード(宅配で送っていた)の梱包を解き、PAにつなぐ。

テンションはあがっているけど、ナミさんを呼びこみ歌ってもらったら、またまたすごく声がでる。なんていう93歳。
どんどん曲を繰り出し、お年寄りたちや職員さんたち、集団で安来節を踊りだす。おお~すごいすごい。その辺のプラスチックかごを頭に、若い職員から、そこそこの人まで見事に踊ってくれた。ナミサンも、調子を上げていく。
最後は六調! いやはや。夜もあるんだよライブ。

夜は夜で。やはり夜に強いナミイおばあ。私たちが歌って半ば過ぎ、ゲストで呼びこんだ。
ここでも、「ストトン節」「安来節」「ラッパ節」その他色々、ぞくぞくと飛び出る。踊りのヒコチャンも絶好調で踊りまくる。踊りが先に終わるか、ナミさんの三味線が先かわからないまま、延々と続く、歌と踊りの宴!
面白かった~。

このCITY JACKさん。すてきなライブハウスで、いろんな楽器もあるが、PAもすごい。PAのオペレーターにBIGINで有名な根間楽器さんの根間さんがついてくれた。細やかに調整していただきとてもやり良かったです。感謝。

そうこうして、石垣の1日目が怒涛のように過ぎていく。まだまだ夜は続く。

翌日は、「太陽の里」でまたまた、盛り上がる。沖縄のお年寄りたちは、民謡が好き。ナミイおばあの唄三線でおどり、私たちの音楽でもいろんな楽器で遊んでもらう。
これまた、楽しい時間が過ぎた。
その夜もまたナミイと遊びます。「あお」さんで歌いだすと元気がでる。声に艶もあり、絶好調。てじょんが「うとうと」してもまったく動じず、歌い、弾く。降参です。「このへんで終わるか?」と解散。

石垣では、いろんな方とお会いし、お話し、食べ、飲んで楽しい時間があっという間。どこの海も展望台も、行かなかった。
人に会う旅、続きます。

そして、3日目は沖縄へ。本島でも移動しました。
アブチラガマでは案内をお願いする。 2~3年前にも私は入ったが、てじょんは初めて。深い慰霊の気持ち。沖縄本島の方々は親せきを沖縄戦で失っている方が本当に多い。生き残ったおじいやおばあの言葉は、「戦争はだれにとっても地獄」
敵も味方もない。地獄はみんなを飲み込むのだ。
平和祈念公園にも立ち寄ったけれど、ここの慰霊碑「平和の礎」は、沖縄戦で亡くなったすべての人を対象に慰霊している。
米軍もだ。こうして、靖国とは違う、魂の静め方があることを知るべきだ。

翌日は、ハンセン病療養所へ「沖縄愛楽園」を訪問。丁寧なガイドボランティアさんに感激する。
他の療養所と違い、ここは米軍の爆撃を受けている。上空から見ると基地のように整然と施設があるのでねらわれた。
入所者は、自らガマを掘り、避難場所を作った。その作業で傷ついたり、病気を悪化させたりする人も多く、ひどい状況だったそうだ。退所者も多かったが、なかなか社会が迎えてくれず差別に苦しむ人は今も多い。世代を越えて、それは今も続く。
終わった問題ではない。まだ、続く差別は根が深い。

そして、辺野古へ。今まさに集団的自衛権という交戦権をこの政府は手に入れた。まだ。まだ抵抗は続けないといけない。
国民を守るという詭弁に騙されない。辺野古を見ればわかる。米軍にとってつごうのよいように動いていくことの恐怖を知らないといけない。誰が得してるのか?非暴力抵抗が続く、辺野古のテント村。
私たちが見たもの、聞いたこと、出会った人の思いをあちこちへばらまくという役割を果たさなくてはならない。

是非沖縄へ行ったら、名護市の辺野古へ。さらにその先にある東村へ高江のヘリパッド建設に抵抗する場所へ、出かけて下さい。内地で知ることができない、その問題の本質を知ってほしいと思います。

浪さんの記事が掲載

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PHP紙 7月号

ナミイ台風が大阪を過ぎ去り、忙しさも懐かしくなり、また会いたくなる不思議なオバア。
若い人も、それなりの人も惹きつけられるオバアの魅力って何だろう。

今月号のPHP紙7月号には浪さんを取材した記事が掲載されている。京都に記者さんが来ていた。
実は、この手の雑誌はあまり好きな方ではない、が… 今回は8ページも「八重山のおばあ」として紹介されており、沖縄に芸者として売られた時からの人生を丁寧に取材しているので、見つけたら買っている。

オバアは、ワタシャ3回死にかけた。と言っていたけど、その時々でカミサマに助けられた。
よく、生かしてくださいました。オバアの見事な人生を、哀しいナミイのデンサー節に私が巡る会えた幸せをかんじます。

身近でこの雑誌を見かけたら手にとってみてください。200円だしね。

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歌詞を書いてくれている、浪さん

ナミイ&正人 関西ツアー 家来の日記 最終回

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京都 ネガポジ

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滋賀 どない屋

一日目は、大成功! アンコールの”You are my sunshine”が何度も大合唱され、九州からきた方、石垣旅行中にこのイベントを知った神戸の方など、数々のナミイファンがやってきてくれた。感謝。

このツアーは2人の女性アーチストの思いで企画された。一人は、滋賀のシンガー Akiraさん、石垣でおばあと出会い大阪に呼ぶことを約束。もう一人の熱い女性、清水あきよさんは、神戸出身だが岩手県大槌へボランティアで入り、住み着いた。そこで出会った三浦オジイを是非関西に紹介しようと、自分も民謡を習い、ダンスパフォーマンスも披露。素晴らしいコラボだった。

この企画がまだ曖昧だった2月に、私が石垣の浪さんを訪ねて行って、それじゃあお手伝いするね~~と家来参加を決める。そして2009年のナミイ関西ツアーをやった京都の清水彩月さんも加わり、勢いづく。
今回は、京都のネガポジで太鼓に元新世界の夢ミノルさんも参加。我が相方、てじょんと花ちゃんも踊らされる。賑やかで楽しい舞台。

本当にお客さんたちは、お二人の力強さに圧倒されたはずだ。それに絡む彩月さんの見事な民謡の歌声。あきよさんの素敵な舞い。Akiraちゃんの口上。どれをとっても一体感のあるものだった。

おばあもオジイも、連日打ち上げもこなし、帰宅する時は日付が変わっていても良く頑張ってくれました。お客さんの誰かが、アンコールで「老人虐待や~」と叫んでおられました。
そうかもしれません、けれどお二人はこうして多くのお人と縁を結び、関わった私たちすべてを縁で繋ぎさらなる縁を生み出してくれました。お年寄りを隠居させておくのはモッタイナイことだとつくづく思った。

もう一つ私が感動したトピック。大阪の公演の後に一人の可愛い女性がおばあを訪ねてくれた。その方は、映画「ナミイと唄えば」のプロデューサーで、「祝の島」の監督でもある、纐纈(はなぶさ)あやさんだった。おばあも再会を喜んでいた。
今、大阪の貝塚市で映画を製作中とか。次回作が楽しみ!

こんな風にご縁をいただく。おばあがいつも、カミサマに縁のあった方々の事を思い、祈ってくれていること、私は知っている。私も自分の上に居るカミサマを喜ばせるように精進いたしますっ!!

ナミイ&正人関西ツアー!家来の日記 その1

いやあ~~凄かった!91歳と88歳の強力なパフォーマンスと情熱に、関西の老若男女は打ちのめされました。

浪さんの家来としてこのツアーに参加した報告をお伝えいたします。

本当にお座敷のプロ ナミさんは、自分の声の調子を四六時中きにしていて、龍角散にまぶしたのど飴、スプレー式の喉ケア、マスクにヴェポラップと有りとあらゆる手段でケアをしておられました。今回はスペシャルドリンクの泡盛入り栄養ドリンク剤は、控えめだったね。

この度のツアー用にいつものカタカナ歌本を用意。そのタイトルは、「オオサカユキ」
関西ツアー用選曲
①安里屋ゆんた(八重山本歌)
②まみどうま
③ラッパ節
④ストトン節
⑤浜千鳥
⑥竹富島で会いましょう
⑦六調
⑧You are my sunshine

リクエストも有り追加曲

サヨンの鐘
ナミイのデンサー節
酋長の娘

踊りもお座敷のように男性が女性踊りしたりとオモシロ可笑しいものも演目に入れました。さすが、付き人、マネージャー、プロデュースも兼ねて、日本全国あちこち、ハワイや台湾までも一緒に旅している娘の初枝さんのアイデアは、バッチリ。
でも、絶頂期の浪さんの素晴らしい声、演奏を間のあたりにしてる初枝さん。三線やノドをとても心配してました。

浪さん、あんまり歌ってない歌は迷います。けど歌の出だしは忘れても一度思い出すと、三線の手は自然と動き、バッチリとひきこなします。

三線を持ち「これはワタシの命だからよ」といいます。
養ってくれた三線、年取ってからは、多くの人と縁を結んでくれる三線
この度も多くの人が、元気をもらって帰りました。

新聞記事を紹介しておきます。
京都新聞 6月1日
kyotoshinbun

神戸新聞 6月3日
kobeshinbun