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関西テレビ「アンカー」の取材

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関西テレビ、アンカーの取材が7月にありました。とても暑い日でしたが、ようやく本日放送されました。2分の紹介程度です。
お友達から写メールをいただいたので、掲載しました。ありがとう!

阪神大震災から来年1月で20年となります。神戸では、仮設住宅から復興住宅へ移り住んだ人々も20年たつと高齢化してきました。その上、20年問題が起こっています。民間の復興住宅では高齢者でも20年の居住期限で追い出しが行われるかもしれません。

次から次へと起こる災害。次は自分が被災者と呼ばれるかもしれません。
結局、人は人と繋がるしか生きていく方法はないと思います。わたしたちの些細な活動でも、月に1度、賑やかにやっている私たちに何か投げかけてくれたら。と切に思います。私たちは待っています。そして、押し掛けもします。
これからもよろしくお願いします。HAT神戸のみなさんまた、行きます!!

再び神戸とともに

今日は、初めて神戸の震災支援をしている「NPO法人よろず相談室」の活動に同行させていただいた。

TVで代表の牧さんが話されてるのを何度か偶然見ていて、ぜひ一度何か一緒に活動にお役に立てないかと考えていた。
東北にも定期的に行かれているが、そもそも阪神大震災から活動を開始されたボランティア団体だ。
阪神大震災からもう少しで20年を迎えるが、復興住宅に入居している方々が高齢化し孤独になってきている状況がとても深刻であることを知る。
てじょんは、1995年から2003年まで8年独自で仮設住宅から県営住宅に移行するにいたるまで訪問ボランティアをしていた。訳あって、現場から離れたが、まだ問題があること人と人をつなぐコミュニティが失われている現状を知り、今の私たちのちんどん演奏や手作り楽器が何かのツールにならないものかと考えた。

牧さんもそういった、賑やかしの必要性を感じてくださり今日は、復興住宅でちんどん太鼓とアコーディオンで懐かしい曲や子供さんにはアンパンマンなどを演奏しておしゃべりさせてもらった。

東北ももちろん、これからも大切な関わりだが、再び神戸に関わろうと思う。
長く継続すること。神戸の人たちも孤独にさせないよいに、忘れないように、自分たちに言い聞かせまた、新しいご縁をいただいた。

よろず相談室
http://npo-yorozu.sblo.jp

想いは、カタチに

1995・1・17 この日で一度人生は変わった。
程度の差こそあれ多くのあまりにも多くの人の人生にこの日は関わった。

人との別れは、この日が特別という訳ではないが、とりわけ突然奪われた命に対して自分の無力や重責に苦しめられる。

NHK大阪で、現在の復興住宅高齢化の問題をテーマに話し合われていたことは、これからもまだまだ続く。
取材の中の阪神大震災でいまだ、子供を亡くした自責が強く、自分の幸せを求めることを拒否して、孤立した生活を続ける女性。長い長い苦しみを抱きしめてひっそりと生きているひとの存在を知り得ることはなかった。少なくとも私は知らなかった。

相方のてじょんは、長田区西代仮設住宅へ訪問ボランティアを始め、復興住宅へ引っ越したのちも続けた。8年間それは続いた。この頃の仮設では孤独死も多くでた。今では関わりが無くなってしまったけれど、あの頃奔走していた人達はどうしてるだろうか。

阪神の19年の経過を東北のこれからの工夫にして欲しい。大きく被害は違っても人は人の力で生きなくてはならないのだから。
想いは、カタチにして。
今年も多くの方々に会えますように。
私というわずか一人のココロで誰かのささやかな心の一片でも触れることができればいいなと今日の日に思った。