カテゴリー別アーカイブ: 平和

久々観た2本のDVDは・・・

映画 「ジプシーキャラバン」
映画 「ジプシーキャラバン」
映画「カティンの森」
映画「カティンの森」

土日と、久し振りにDVDをレンタルして観た。
1本は、ず~っと気になっているロマの人たちの音楽ドキュメンタリー。「ジプシーキャラバン」アコーディオンに出会ってから知ったパリミュゼット音楽のルートになる、ロマ(一般的にはジプシーの方が知られた名前)の音楽。このジプシーキャラバンはアメリカで各地のロマの音楽家をあつめてツアーを記録した音楽ドキュメンタリー。それぞれのミュージシャンのバックグラウンドも彼らの住む場所でドキュメントしてロマの人たちの状況を補足している。

やはりインドにルーツを持つからか、ルーマニヤやマケドニア、スペイン、インドと各所から来ていても歌いまわしに似た様な部分もあり面白い。
けれど、音楽家としてロマは各地で影響を与えたが、多くの地域と同じく音曲、舞踊は最下層の賤民扱いを受け、実際に移動することの多かったロマの人たちは、盗賊団のイメージが強い。差別にさらされて生きている。けれど、その音楽は素晴らしく躍動的で、実際に色んな祭りの音楽家として生活をしている。彼らの村では、あちこちで楽器の練習をしている。演奏が始まると、歩くのがやっとの幼児も踊る。歌い踊り、生きる。この力強さは人間の生きる力そのもの。

そしてもう1本は、「カティンの森」厳しい映画だった。わかってはいたが、観た後やっぱり言葉も出ない。公開時に見る機会を逃していた。
第2次世界大戦下のポーランド。ドイツとソ連に占領された。西と東。ソ連には、ポーランド兵の中でも将校以上のクラスが集められ捕虜になり、ソ連領のカティンの森で虐殺される。ドイツは敗戦国となり、ポーランドはソ連寄りの新生ポーランドとなったが、ソ連はこのカティンの森の虐殺はドイツ軍の仕業だと発表した。
カティンの森事件の追悼式典について、ニュースは見ませんでしたか?2010年にプーチンが追悼式に参加。この映画の監督、アンジェワイダさんも参加。ソ連が現在も謝罪はしてないとwikiに解説がある。
 
引用すると、2010年4月7日、プーチン首相はポーランドのトゥスク首相と共にスモレンスク郊外の慰霊碑に揃って跪き、さらに事件を「正当化できない全体主義による残虐行為」とソ連の責任を認めた。ただし、ロシア国民に罪をかぶせるのは間違っていると主張し、謝罪はしなかった。

映画では、実際のニュース映像も含め、虐殺の現場がはっきり描かれています。
戦時の虐殺であるから許されるものではなく、だから戦争状態にならないように努力するというのが人間の知恵の有り様だと強く感じる。

この2つの映画の共通点は、ロマもナチスドイツのホロコーストの犠牲になった虐殺された民だったこと、ポーランドでは、もう1つ西側の同郷のポーランド人どおしでユダヤ人を殺害した事件もある。人があるひとつの集団を殺害する理由は、支配下で分裂統治された生き残る民と滅亡する民を役割し、お互いを憎悪させることで支配効率を上げること。

今も気をつけないといけないときがある、ある特定の人たちを憎悪する時だ。
それは、何故なのかよく考える習慣を持ちたいと思っている。
嫌う理由。好きな理由。考えたい。

戦争という暴力

今の政権は、女に大きなお世話をするわあ〜と思っていたら、一方で大阪の首長は、女性を道具にしか思っていない。

戦争下では、仕方ない。というのは許されない言葉。とりわけ米軍基地を抱える沖縄ではその暴力下に常にさらされている。

戦争という暴力は、女性にも、子供にも、あらゆる非戦闘員に対してもむけられる。
あなたや私の子供が連れ去られて慰安所に送られるかもしれない、あるいは子供が性的暴力を受けるかもしれない。人殺しマシンに洗脳された兵隊のコントロールのために、女や麻薬が使われる戦争。

性奴隷といわれている、慰安婦だったお婆さんたちを、またさらに踏みつけにした男たち。
戦争に巻き込まれている多く人々。今ある紛争戦争の状況を想像力を使って考えない人たち。
暴力は決して自分には向けられないと思ってるんだろうか。

沖縄屈辱の日 主権は誰のもの?

主権回復。誰の?と問いたくなる。 本土7年のアメリカ占領、沖縄40年。
またもや切り捨てられる。

十九の春の歌にまつわるドキュメンタリーが、昔あった。

わたしが あなたに 惚れたのは ちょうど 19の春でした。
今さら離縁というのなら、もとの19にしておくれ。

と一番の歌詞がある。
この歌は芸者さんや女郎(ジュリ)などの女性と主といわれる常連客の叶わない恋の歌ととれるが、
これが沖縄と本土の関係と重なるというのが、ドキュメンタリーの最後で語られる。

日本に復帰を望んだけれど、結局、見捨てられた沖縄。
基地を押しつけられて植民地状態の沖縄。

主権は、誰にあるのか。
奄美、小笠原、沖縄以外の日本人なのか。

アフリカから見る

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ジンバブエの工芸を睨み合わせてみた

アフリカンアート展で、高橋朋子さんに久しぶりに会った。6月には、ジャナグルアートセンターの子供達がやってきて、日本ツアーを行う。ジンバブエの伝統音楽とダンスは、いつも素晴らしい。
高橋さんは40年以上ジンバブエに住み、音楽や芸術、子供の教育の支援を続けている。エネルギッシュな魅力的な女性でお姉さんみたいな感じ。

いろんな話をしたが、アフリカから見る西欧諸国に対する苛立ちを高橋さんは訴えていた。
マリに軍隊を派兵しているフランス、マリ政府に要請をされたとか、日本の報道では見るが、アルカイダを制圧するなんて言って、実はウランが目当てなのだと言う。かつての植民地主義はまだまだ生きていてアフリカは搾取され続けているわけだ。
ジンバブエでは今年選挙が行われるようだ。独裁者ムガペ大統領が、民主的な選挙をすると言って何年も保留されていたことが、国民投票で新しい憲法案の是非を問う。これが通ると総選挙。

高橋さんは、子供達が来日する6月頃選挙があるかもしれないが、選挙の時は人が死ぬんだよね。と言う。利権が対立する構図に、血が流れるのだ。子供達、日本にいる方がいいかも知れない。とも。

日本にいると、西側の情報、特にアメリカサイドのニュース報道。
いつまでも遠い国。というのは、知ろうとしないからだ。

週刊金曜日でウタのこと

週刊金曜日2月8日号
週刊金曜日2月8日号

昨日は、建国記念日。
定期購読している「週刊金曜日」が面白い対談を掲載していた。
写真の坂本龍一さんと一水会顧問の鈴木邦男さんとの対談。左右の論点から考えるということだけど、坂本さんは、リベラルだけど左に振り切っているとは思えない。どっちでもいいけど…

面白いのは、やはり音楽家なのであのウタの話。「君が代」についての議論。
鈴木さんいわく、国のウタを考えるとき明治政府は5つの曲を候補にもっていたそうだ。
その中でも、賛美歌っぽいものが一番好きだと、意外にもミッションスクールに行っていた鈴木さん。明治政府が日本的なモノを一掃して音楽の言語も日本語をしゃべらなくなった。と言う言い方で坂本さんが続けて語る。君が代も途中からドイツ人のエッケルトという人がつけた和音が和洋折衷的で中途半端と。そうかあ、このウタも純国産でないわけだ。

鈴木さんに至っては、右翼なのにこのウタが、他の国のように革命歌や軍歌でなく、歴史問題やら天皇制論やらワヤワヤと議論の対象になるから良いのだという。日本人が国民から募集してウタを作ったら、きっともっと危ないことになると考えてる。
実に、日本のことを考え愛してる。

日本で軍歌が多いのは、君が代が全然、勇ましい曲でなかったからだって。とても面白い。

ウタやハタを強制されるのは嫌なことだけど、初めからステレオタイプに考えないでこういうお話がどんな方々ともできるのがイイ。

ホントに何を求めているのか

さて、選挙が近い。新聞を見ていると予測の数字がでている。
うんざりする。正直、ホンマにそういう日本の行く場所をもとめてるのか…

アジアの中で、共存共栄していくことより敵に抗する方法論をまず考えるのか。
経済状況がよろしくない日本の中には、その不満のはけ口ともいえる浮遊する悪意あるいは憎悪が存在するようだ。

経済活動として戦争する国アメリカのように、戦争ビジネスしようと言うのだろうか?

同じ論理で、沖縄の米軍基地を支援し、原発を存続すると。

気持ちが凹むので、マガジン9条のブログパーツをサイドバー下にはりつけました!

「dear hiroshima ワンピースの写真が北米市民に投げかけた波紋」をみた

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石内都さんの写真集「ひろしま」

2008年。石内さんのこの写真展に行かれた、ブログで繋がった方の記事を読んでどうしても、写真が見たくてこの本を買った。

今年、67年経った敗戦の八月。NHK BSでカナダで開かれた「ひろしま」写真展のドキュメンタリーが放送された。
写真展は、カナダ、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学人類学博物館(MOA)で開催。この博物館は、展示されているカナダの先住民の巨大なトーテムポールの大きさに合わせて建築されており、数多くの先住民の収蔵品をもつという。アイヌの文化ととても似ている。自然の生き物が神の使い。「ひろしま」の写真たちは、ここで神々に癒されたのかもしれない。石内都さんと共に、世界を旅して欲しいと思う。

どんな人にも、この写真に触れてもらいたいと感じる。
本当に美しい色やデザインの被曝遺品のワンピースや、スカート。戦争が日本の降伏で終わろうとしてたあの夏。重苦しく、華美を諦めていた暑い夏。女性たちがこんな鮮やかなワンピースを着てたなんて、知らなかった。今回の放送で、広島平和祈念資料館の学芸員の方が言っていたが、女性たちは華美な装いが禁じられていたので、地味な着物の下に着ていたという。
丁寧に手縫いされた、可愛い柄の生地。

これを着ていたひとの姿が容易に想像できる。今までに無い、感覚。
生きた人がそこに居た。石内さんは、今まで広島の写真はモノクロばっかりだった。本当は、色があるのが当たり前なのだ。と語る。
鮮明になる。人の生きた証。このような遺品は、資料館に展示はされていないが収蔵されており、毎年増えるという。亡くなったヒバクシャの遺族が持ってくるから。

この放送でしらなかったことが他にもあった。
カナダは、アメリカと共にマンハッタン計画をすすめ、その開発はカナダのウランが使用された。その目的を知らないまま、採掘に従事させられたのはカナダの先住民(ナ・デネ族)だった。先住民の人たちは、そのことに深い罪の気持ちをもっていて、1998年彼らは広島と長崎に謝罪した。原爆に関して謝罪は彼らだけ。

でも、ウラン採掘も被曝する。今も、カナダやオーストラリアの先住民たちは、採掘のために被曝し続けている。原発を動かすウランは、一番初めからヒバクシャを生み出す仕組みなのだ。

この写真集と出会った2008年から変わったこと。新たな被曝が日本を襲ったこと。
ヒバクシャがまた増えたこと。

世界報道写真展2012 

今年も、ハービス大阪へ足を運ぶ。
世界報道写真展には、毎年行っている。去年世界で何があったか、という報道の写真。
自然の写真、恒常的な社会問題の写真、スポーツや日常を切り取った写真。

分野は、いろいろ。
けれど、今年の写真展には数多くの日本を写した写真が展示されていることはわかっていた。何よりも昨年の3.11は、世界にも悲しみを痛いほど伝えたから。

でも震災だけではなかった。アラブでは革命が吹き荒れていた。
今にも飛び出しそうな、リビアの反政府戦士たち、他の写真にもカダフィのなきがらが写されていた。エジプトでもムバラク政権に対する抗議の人々の怒りの姿。

ときに、これが人か?と思わせるような死の姿に深い溜息がでた。
かと思えば圧倒的に大きく美しいベトナムの洞窟。
ケニアでは、サイの角の乱獲。あるいは、一面のフカヒレ。ひれのためだけに捕獲されるサメたち。人間の贅沢な嗜好のために命を奪われる。人は、生きるために自然を分けてもらわないといけないけれど、必要のないものまで奪っている。

人は、おろか。毎年、どこかで紛争があり、同じ国で命の奪い合いをしている。
でもそういうことがあるということさえ、見ぬふりをするのをやめたいと思う。

世界報道写真展の受賞作は、以下のサイトで見れます。

世界報道写真展2012
http://www.asahi.com/event/wpph/about.html

Love沖縄@辺野古@高江

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十三 シアターセブンにて公開中

先週に引き続き、米軍基地を扱ったドキュメンタリー映画を観た。

こちらは、辺野古、高江の座り込みの人々の工事阻止の闘いを撮っている。
イタリア系の若い監督が、俯瞰で見せてくれた基地問題を、こんどは地べたの目線で追っている。
泥臭い、生々しい現場の情景をみていると、悔しく、悲しい感情が込み上げてくる。

特に高江は深刻だ。オスプレイはまさに、日本に向かってやって来る。
高江にオスプレイ用とされる、ヘリパッドの建設計画が複数あるが、ここにやってくるということは、拠点にして沖縄の空、日本の空に強力な危険物が浮遊することになる。

高江には、今も夜の10時を過ぎてもヘリが飛ぶという。その轟音に住民は恐怖を覚える。
もともと、ジャングルの訓練のために北部訓練所はある。ここで訓練し、ベトナム戦争へむかっていった。今も顔に迷彩の泥化粧をした米兵の行軍に遭遇し恐怖すると女性の住民が語っていた。

映画は、もみ合いのあるいは、抗議の声をおもに映像に捉えているが、何かが起こらない日の日常的な実際の24時間座り込みはもっと、淡々として、それゆえに辛いと聞いたことがある。
急に工事が入るのを阻止する為に座り込むが、持久戦そのもの。非暴力の闘いは地味で、忍耐のいることだと思う。

高江に去年行き損なった。辺野古まで行ったのだけど。
高江の日々はこちらに記録されている。支援の情報も。
やんばる東村 高江の現状

「誰も知らない基地のこと」を見てきた。

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昨日から、十三の第七藝術劇場で公開されている、イタリア系の若い二人の監督さんが撮ったドキュメンタリー映画「誰も知らない基地のこと」を見てきた。

沖縄以外の米軍基地については、あまり知ることがなかった。イタリアのピチェンツア、インド洋の島ディエゴ・ガルシア島、沖縄の普天間、辺野古、高江の米軍基地を取材し、アメリカが世界に基地を増やし続ける理由をチョムスキーなどの識者達へのインタビューし、また基地がある場所の人々の言葉を通じて問題を問いかける。

ガルシア島に至っては、米軍基地ができるので危険なためという理由で島民を全員移住させてしまった。ところが、基地ができたらそこは、軍の広報ビデオでは、釣りを始め、数々のマリンスポーツが楽しめ、美しい島の基地であるとアピールしている。ガルシアの人々は帰島を願い訴訟を起こしている。

基地は、第二次世界大戦の敗戦国に多い。それと同様に、数々の紛争に出張って行った米軍は新たにそこに基地をつくり増殖させてきた。まるでガン細胞だと、今は亡き元ベトナム帰還兵で平和運動家のアラン・ネルソンさんが映画で言っていた。

はっとしたのは、「戦争のためにあったはずの軍事基地が軍事基地を維持するために戦争をするようになった」という言葉。軍産複合体という金ヅルを離さないアメリカはとても危険な国だ。

東西冷戦以降、敵を見つけては膨らむ米軍基地。これがアメリカ帝国主義の植民地政策。

基地というものがどんなに違和感のある存在であるかを私たちはもっと知らなければならない。

普天間から米兵がアメリカに帰国するために輸送機が飛び立つのは、午前3時頃だという。
それは、到着するのが明るい安全な時間に着陸できるための配慮らしい。当然、普天間の人々は叩き起こされる。それが、占領ということなのか。

それでも、各地の人々は抵抗しつづける。
この映画と、来週から公開シアターセブンで公開の藤本幸久・影山あさ子監督作品ラブ沖縄@辺野古@高江は、もう一度基地を考える機会になると思う。

「誰も知らない基地のこと」HP http://kichimondai.com

予告編

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=XW7HxXdkAYU&feature=youtube_gdata_player[/youtube]