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2006年05月14日

生野フィールドワーク

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日本一古い橋の跡

昨日は雨の中、「在日コリアンの歴史を学ぶフィールドワーク」をコリアボランティア協会の金君、鄭さん、杉山君に案内、レクチャーしてもらい楽しい時間をすごした。
この企画は、私のゴスペル仲間の数人の要望で、在日韓国・朝鮮人の歴史を学びたいという熱い気持ちに答えるためにコリアボランティア協会にお願いしたものだ。
生野区を在日韓国・朝鮮の歴史を感じながら、歩き、史跡を訪ねる。コリボラは普段からこういう活動を行っており、希望に応じて案内してくれる。

コリボラのある生野区桃谷駅~鶴橋駅周辺は猪飼野のと呼ばれていた。いまではほかの地名になっているが古くから韓国・朝鮮の人がすんでいる。
戦争で強制労働のために連れてこられた韓国・朝鮮の人々は疎開道路といまでも呼ばれる大きな、かつての軍用道路をもとあった百済川を埋め立て工事し、新たに平野川を作った。
平野川にたたずむと、細い生活のための橋がいくつも架かっている。多くの人が朝鮮市場に食材をもとめていききしていたのだろうな・・・と思うと活気のある風景がこころに浮かんだ。

今の韓国の若者たちは、在日韓国・朝鮮の人たちの独特の苦しみをしらないことが多い。それは日本にいたからこそ、アイデンティティーを強く求める。祖国を離れざるを得なかった人と今の韓国の人との間では違った感性をもっている。お互いを理解することも、十分に交流していかないとうまくいかないこともあると思う。日本人としては、そもそもその苦しみの原因を作ってしまったわけだが、どちらの状況も知るほうがいいと思う。確かに、後年仕事をもとめて日本にやってきた人たちも少なからずいて、この生野という地域は独特の活気を持っているが。

せまい路地裏の人情。肩を寄せ合っていきている街。
ここには、そういう空気が日本人の貧しい人や障害者も引き付けて、今ではもっともバリアフリーのこころを持つ街となったと私は感じている。
雨の中、いい街めぐりをしました。
でも、コリアンタウンは本当に観光地に変わっていてびっくり。

投稿者 pianocraft : 2006年05月14日 22:15

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