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2010年11月06日

大阪ラブ&ソウル

NHK大阪放送局の「大阪ラブ&ソウル」を観た。

ドラマとしては、いろいろ大甘なところもあった。やっぱりこんな感じの設定やねんなとか、思うところは多いが、見慣れた鶴橋の風景や「在日」の立場を現すシーンは今までこんな風な描き方はされたことあったかなと思えるような場面もあった。

それは、親の世代が4・3事件から逃れるために日本にやってきたというシチュエーションで、2世の父、3世の息子の二人が済州島に初めて訪れる時の親戚縁者の宴会に呼ばれるシーン。

「4・3で済州に残された親子はどんな苦労したか知らない。日本でのうのうと暮している。」と親戚筋の誰かに言われ「今まで墓の守もしていないくせに」など批判の的になっていく2世の父。いたたまれなくなりその場をさるが、その後の言葉は、印象的だ。
「今まで自分のことを韓国人と思って、日本でがんばってきたのに、韓国にきたら自分が何人かわからんようになった。」と。在日韓国人という特殊な環境の人々は、日本での差別や苦労は現地韓国人には理解されず、韓国人からは日本なんかで稼いで・・などと良い目で見られないという、同胞でありながら理解されない事情が、彼らを苦しめる。

同じ国というキーワード、アイデンティティを持っていても、今住んでいる国にいる自分が自分である以外に答えはない。離れた故郷でも、国として愛着をもって暮していても同じなのだろう。
国がなくなってしまった人々もいるが、ドラマの中ではもう一人の外国人。ビルマの難民女性を登場させている。軍事政権の国に帰る事ができない難民。国があっても、望む国ではなく、もどっても捕らえられる国。その喪失感が切ない。

色んな、理由でこの国にいる人々と、このローカルな場所で一緒に生きているということを大切に付き合っていければよいなと思うのだけど・・・

投稿者 pianocraft : 2010年11月06日 23:26

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