2008年07月15日

夏はやってくるが

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家の玄関で羽化していたクマゼミ

梅雨も終わらないうちに、セミの声が聞こえだした。植木をばっさり夏バージョンにしたせいか、セミが玄関のコンクリートのところで羽化していた。
夏が楽しい思い出となったのはいつまでのことだろう。夏そのものの、開放的な明るさは、ラテンのような気分で嫌いではないけれど、今は、特にイベントなどの準備と消化にあっという間にバタバタ過ぎる。

私は、ライブが終わり、気が抜けているので、がんばって楽器のメンテナンスをする。
使っているNordは、シンセサイザーなのだが、鍵盤に重みがつけてあるのでデジタルピアノとしても使う。このたびのメンテナンスは、キーボードのOSのバージョンアップと音源の追加である。
この楽器のピアノの音はあまり、好みではなく、入っているGPのサンプリングがYAMAHAとSTAINWAYだったのだが、スタジオピアノとステージピアノに音が分かれていてどちらも、いまいち、抜けないしキラキラが足りないなど不満があった。それを、メーカーの日本代理店のサイトで新しいピアノの音をダウンロードし、入れ替えたり、OSそのものを入れ替えて、使える機能を増やしたり出きる。

キーボードとパソコンをUSBケーブルで接続して専用ソフトを使用すると簡単にできるのだが、購入して初めてのバージョンアップだったので、少し心配だった。けれど、もとのデータはCDがついていて、データを飛ばしても大丈夫なのだが・・・・。

無事にメンテナンスが終わり、新しいピアノ音はなかなか良い。プリセット音も増えたし、満足。
デジタル楽器はこういうところが便利だ。
アナログのピアノのよさは毎日、人様に宣伝しまくってるのであるが、でも、電子機械も好き。
かといって、電子分野が得意なわけではない。

さあて、電気を使うことは、発電のことを思うとあまりいい気分ではないが、エアコンは使っていないが(現時点)、環境のことを考えると、本当に矛盾だらけの生活をしていると反省しています。
排ガスを出し、パソコンにも楽器にも電気を使いと・・・・・

多分冒頭のセミも生きにくい世に出てきちゃうんだよね。ごめんよ。と思ってしまう。

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2008年06月26日

「族譜」を観た

原作 梶山季之 脚本・演出 ジェームス三木の「族譜」は、昭和15年の朝鮮・水原郡が舞台になっている。日本が占領していた時に、日本政府による「創氏改名」の政策が敷かれていた。

朝鮮の人々にとって、「族譜」は家計図というだけでなく、何百年もつづけて、世代から世代へその時の情勢が記されたりもしている。膨大な歴史を記録してあるという点で、歴史研究にも役立っていると聞く。そうやって守り続けてきた、朝鮮の人々の家族の名(ただ、朝鮮では男系のみが受け継がれるので
女性は、父親の姓を名乗り、「族譜」ではただ、女とかしか記されていないこともあるという。)が、日本風の名前に変えなくてはならない時に感ずる苦しみは、あまりにも重い。

日本政府は、戦況が悪化し兵隊の確保にも朝鮮の人を借り出す目的のためにも、朝鮮半島の人々を日本人並みに待遇を平等にすると嘯き、名前や言葉を奪った。

日本は、沖縄以外で植民地化したことはない。
言葉を奪われる、名前も奪われるという苦痛に対し実感が持てない。

そんな出来事を、当時の朝鮮でどのように行われていったか?どんな苦しみをあたえたか?をこの芝居は語っていく。
淡々と、しかし、強くわれわれに迫る訴えを重く感じた。
しかし、きちんと要所要所に丁寧な説明がくわえられており、理解がしやすいようになっている。

青年劇場の舞台は、「銃口」という舞台で韓国も多く公演している。そこでは、日本人がこのようなテーマを正面から取り扱って舞台を続けていることを高く評価されている。こうやって、民間ががんばって繋がりをもった人々と絆を大切にしたい。
政治ではなく、人と人としてかかわり、政治をも動かすことができればもっといいだろうけれど。

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2008年06月11日

トラウマの街

報道が、一色。血の色に一色。
これを観ると、心が痛くなる。

秋葉原の事件の影響は、おそらく多くのあそこに出かける人達、TV報道を見た人達にも深い傷を与えたように思う。
TVの報道は見ない。朝はワイドショーのチャンネルを替える。

あの事件のあと、ナイフのシーンのドラマは放送を中止したと新聞で見た。
当然だ。
私の友人もナイフで殺された。その後、ナイフの暴力シーンは見ない。観ることができない。
そのように、その場にいなくても充分に傷つく。報道は、それをもっと感染させるだろうと思う。
私も社会学を学んでいたが、センセーショナルな事件があると分析を試みる社会学者、心理学者、評論家または、無責任なTVコメンテイターがいるけれど、事が起こってからはいくらでも理由付けされるというものだ。

人は理不尽なことを理解したい。どこかで決着を付けたいという欲望をもっているのかもしれないが、どんな言葉も、聴きたくない。どこかの政治家がそれを野党のせいだとか言っているようだけれど、たまたま猟奇的な殺人事件と通り魔事件の容疑者が派遣社員だったことで、すべてを物語っているわけでもない。

教育大付属池田小学校の事件が起きた時、友人がため息をついていた。
精神障がい者のサポートをしている友人は、あの事件の報道をみてメンバーさんの心の状態が悪化したという。自分もするのではないか?という不安が襲ったというのだ。彼らは、サポートを受けていて、医者にかかっている落ち着いた人々だ。けれど、統合失調症の人達は、報道を見て落ち着かなくなったなったそうで、友人は「みんな調子悪なって、困る」といっていた。

人や事件や出来事を平たく、簡単に考えるのはやめたい。
けれど、今回のことで「死刑求刑」を求める声もまた、一層聞こえてきそうだ。

このトラウマをどれだけの人が抱えているのだろうか?
すると、戦場の地で人はどうやって生きているのか?強烈な虐待は、その痛みを脳が隠してしまうように、我々も麻痺させて生きなくてはならないのか?

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2008年05月26日

民族の音

日曜日は、雨で心配していたけれど無事に「浜街道まつり」が行われ、参加できてよかった。
昨年初めて、古い歌を歌っている「べこぼこ」で出演させていただいたが、今回は二胡のグループ「二胡じゃらし」の伴奏で2曲ピアノを弾かせていただいた。

二胡を学ぶ人は偉いなあと思う。
あんなにピッチ取りが難しいのに、弦が2本しかないのに、多くの音を表現しないといけない。
音を聞けば、癒し系のやさしい音色だが、その美しい音を出すのが難しい。(らしい・・私は弾けませんので)

メンバーの人と話をしていてふうんと思った。
固定音楽器であるピアノは、平均律調律を一般的には行っていて、和音が本当は美しくない。二胡などは、民族的に使用している音階というのが二胡奏者それぞれにあったり、西洋楽器で修正された、ピアノと近い音で演奏する音階を使う人がいたりするらしい。
三線をやっていても同じなのだが、西洋楽器の半音にない音を使用することが当然ある。
その地域固有の音の高さ、それは、そこに住む人たちが気持ちいいと感じる音の高さなのだ。

ピアノをあつかっていながら、ピアノってつくづく、植民地を作ってきた側の道具だったから・・ってなわけはないだろうが、「私は自由に音律を即座にかえられないのだから、私が正しい。あなたが合わせなさい!」といわんばかりの独善的な態度があるよな~と感じる。
その音を作ってるのは、私のような調律師なのだけど。

実際には、プロの演奏者は伴奏楽器が入るとピッチをそれにあわせていけるので、基本的にピアノ伴奏が入ってしまうと平均律で演奏される。
平均律調律って、どの和音も美しくないのだ。

音楽の世界でも、いろんな文化のいろんな民族の音が混ざり合って現代の音楽はある。古い、新しい、も含め、多様で、知らずに影響を受けたりしていて音が入ったりしている。
そうやって、人も垣根を越えることが容易ならば、も少しゆるやかに生きていけそうに思うのに。余りに自分の音を守りすぎたり、相手の音を否定したりしなければね。

いろんな音を出す楽器は、結構に通った形をしているものが多い。遠くの国で鳴らされていたものとそっくりな楽器が身近にあったりする。シルクロードに行き来があったころ、イスラムの地域も仏教の地域も通って物も人も動いたんだろうな。

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2008年05月18日

瓦礫と軍隊

中国の被害を伝える放送を聴くたびに、こころがぎしぎし痛む。
その規模の大きさは、範囲も震度そのものも、想像を絶する。

瓦礫の山を見て、阪神の震災を思い出すけれど、建物が形を成していない様はより厳しい現実を伝える。
日本からの救援、レスキューも出向いた。韓国やそのほかの国も手助けすることだろう。
阪神の時に感じた人と人のつながりは、国も越えていけるといいと思う。
被害の現場は、非日常が日常になったためなのか、他人に対する距離感が変わってしまう。同じ被害者として、共鳴しあうのか、支えあい、心を寄せ合ったことがあそこでもあるのだろうか?

そこに救助にいくのは、軍隊ではなかった。中国では国軍が行ったが、日本の精鋭部隊はレスキューチームだ。本当に、人のために動くのはそういう人たち。民間がいけるならそういう支援も惜しまないだろう。
軍は、国防のためというが、国の何を守るかは怪しい。国民を守るのでないことだけは判っている。

少しでも多くの命が助かりますように。

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2008年04月27日

憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」

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26日の夜、クレオ大阪中央の開場は多くの人で満席のような状態だった。私は、学童保育の時の親のつながりの仲間と、その一人で憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」に出演している友人の応援に行った。

素人100人のキャストを募集して、1月末から4月26日の初日までのハードな練習日程をこなし、舞台を駆け回り、歌い、踊った人たちは、実に輝いていた。
このミュージカルは、フィリピンの元慰安婦 トマサ・サリノグさんの人生を主軸に平和・愛とともに、いまだ「慰安婦」問題に向き合えない私たちの政治にたいするメッセージでもある。

舞台に大きくひろげられた紗の布の前で、アメリカ人とダンサーが語りかける。慰安婦について、あるいは、日本兵について、あるいは、米軍の兵士のモノローグが。その後で、紗をスクリーンに、写真が大きく投影される。フィリピンのこどもたち。
舞台は、印象的な照明効果と、100名ものキャストでコーラスもダンスもダイナミックに展開する。
主役の有馬さんは、見事なモダンダンサーで芝居もさることながら、彼女の身体表現としてのダンスが非常に効果的に使われていて感動した。
彼女の夫は、イラクで拘束されたジャーナリストの郡山総一郎さんだ。

子供たちも、時に生きる力をときには、寄り添う天使として舞台の中で重要な未来を予感させてくれて好ましかった。

同じように鑑賞した人によれば、最初の説明のイメージが(シリアスで重い感じ)ずっと続いたらどうしようかと思ったという感想を持った人がいたが、すぐに舞台が展開しほっとしたようだ。このテーマは、重く、しっかり貫かれているけれど、舞台そのものの展開は明るく、躍動的であきさせることがなかった。

憲法をまもらなければという、若い弁護士さんたちが呼びかけたこのミュージカル。本当に、この時代に責任のある世代が、ちゃんと戦争の事実と向き合い、大切な憲法を守ることが大切であると感じる。

この公演は関西ではあと3回ある。

山梨・東京では主役級以外は別キャストで行われる。
詳しくは、HPをご覧下さい。
http://music.geocities.jp/kis_hrn/index.html

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2008年04月22日

民族の離散・家族の離散

日曜日にシネヌーヴォに行き、『パレスチナ1948 NAKBA』と『ノーム・チョムスキー=イラク後の世界を語る』、『中東レポート アラブの人々から 見た自衛隊イラク派兵』を観てきた。私としては、どうしても『ガーダ-パレスチナの詩-』 を観たいのだが、上映日程をにらんでいるところ。

1948年に村を追われたパレスチナの人々を、広川さんは探してインタビューする。家族の場所から着の身着のままで追われ、豊かだった畑や泉を奪われ難民と化す。難民キャンプでも危険で劣悪な状況で暮すことを余儀なくされたパレスチナの人々。それを「大惨事=NAKUBA」と呼ぶらしいが惨事というには、あまりにも「故意」であり、災害にたとえなければやりきれないといった心境なのか?とも考えてしまう。

『 ルート181』 のときに観た、延々とイスラエルとパレスチナの人にインタビューしていった映像とちがいこの映画では、土地を追われた人を探し出してナクバの時の記憶を聞きだす。再び、昔の村を訪れた人々が「ここに何があった、あそこに何があった」と語るシーンは、胸が痛む。そこにある、いまや野生になった木の実をもいで食べる美しい顔が懐かしさとともにやりきれなさをあらわしていたように見えた。

離散した人々は、ユダヤ人もやはりそうであったわけなのに。また、チベットでもそう。

私たちの国、日本にも在日韓国・朝鮮人という離散の人たちがいる。

「奪い合うと足らず、分け合うと余る」と相田みつおが書いていたけど。

日本にずっと住んでいる、日本人としての感覚は他人よってもちろん違うのだけど、自分の住まいを根こそぎ奪われる、あるいは、どこかへ移住させられる、強制退去させられるという経験をなかなか感覚的に理解できない。1つ、似たようなことを感じるとすれば、阪神大震災で家を失った人が「失う」という喪失感を強く感じたことを目撃した時だった。けれど、それは災害であり、人為的なものでない。
ここに、奪い合う根拠となる政治的な問題が解決を絶っている。

大阪では、公開時期が未定だが「ビルマ、パゴダの影」というドキュメンタリー映画が十三の第七藝術劇場で上映される。それは、ビルマの少数民族の弾圧の証言を扱っている。ここにも、また奪われた人々、忘れられている人々がいる。
映画『ビルマ、パゴダの影で』

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2008年04月14日

大西巨人と言う人

昨夜、ETV特集をご覧になった方はいただろうか?
「神聖喜劇ふたたび~作家 大西巨人の闘い」と題された回であった。思わず見入った。
神聖喜劇」の朗読劇を織り交ぜながら、戦争での不条理な体験について語っている。

この本を私は読んでいない。けれど、きっと明日には手にしていると思う。
漫画版も賞をとっていて、そちらも魅力的だが・・・。

大西巨人さんの公式HPは 大西巨人 巨人館 http://www.asahi-net.or.jp/~HH5Y-SZK/onishi/kyojin.htm

この番組の紹介文にこのようなところがある。

俳優の西島秀俊も「神聖喜劇」に魅せられたひとりだ。70年近く前の軍隊での出来事に、今とつながるものを感じたという。 大西は現在91歳。埼玉県さいたま市に妻とふたりで暮らしている。この3月には、みずからの原点とも言える場所・対馬を再訪した。創作意欲は衰えることなく、今も新たな小説に取り組んでいる。

朗読劇の主人公「東堂」も演じた俳優の西島さんは、大西に問う。
今の仕事の現場では、表現を制限されることがある、演じるもの、表現者として規制されていくことを強く感じるというのだ。これに対し大西さんは、この今の空気は、満州事変の前に良く似ているという。
自主規制を自主規制と思わなくなるように、何かに巻き込まれていく空気に対して、自分の考えをもって生きていくことが大切だというようなことをおっしゃていたように思う。

巻き込まれずに、立ち止まって考えよう。と思い続ける。

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2008年03月28日

失われた命たち

失われたのは、命なのか人そのものなのか?結局、命というのは人の根源ではあるけれどその人を失うという、個人の場所まで近づけて考えると「存在」そのものの死という重い、かさの高いものになってくる。

今日、大阪地裁では「沖縄ノート」の裁判で大江健三郎さん側が全面勝訴した。
沖縄の集団自決に「旧日本軍が深く関わった」と認定された。
自決という言い方、客観的すぎる。これは、軍による殺人だから。

旧日本軍の精神性は生きのびることを教えなかった。強力なタテの権力構造で兵士を抑圧し、しまいには死を選ばせた。
「南京大虐殺」や「慰安婦」問題でとりあげられる、日本兵の残虐な行為をおこさせた原因の1つがこの抑圧であったとも言われている。上官からいじめられ、強烈なストレスを与えられたものは、さらに暴力で支配する対象を探す。それが、レイシズムと結びついたり、女性差別に結びつき歯止めの利かない残虐な暴力へと変化していったという考え方。共感できる。

本土の人間は、地上戦を体験しなかった。想像を絶する状況が、沖縄でも中国でもあったのだろう。
軽く、ひとまとめで、かさの低い命となって失われた命。

かとおもえば、日常のなかにも多くの命が「心中」、「無差別殺人」で毎日失われていく。
それ以上に、多くの自死を選ぶ人がこの日本にはいるのだけど。
他人の命も自分の命も奪わないで済むように、どうして人はかしこくなれないのだろう。

暗い気分になってしまったけれど、朝日新聞に掲載されていた大阿闌梨の言葉が、癒しをくれる。
以前に特集したインタビュー記事の反響が大きく、多くの人の癒しの言葉になったという。
例えばこんなことば。

「無理せず、ひがまず、焦らず、慌てず、水の流れのごとく生きる。
溜まりに入ってもあわてることないよ。よどみも徐々に解かれていくから」

大阿闌梨の人生も転々と職を変わって得度は39歳の時。溜まりやよどみに何度も立ち止まってきたひとだから、言葉は優しい。

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2008年01月27日

大阪はあほやった

今日は、朝から映画を観た。「カルラのリスト」
午後から、高槻でJIM-NETの佐藤真紀さんの話を聴きに言った。
ここまでで、戦争犯罪と戦後の苦しみと考えて帰宅。

午後9時の開票を前にして、大阪府知事 「橋下徹」当確を報道で知る。
やっぱりあほなことになってしまったと、がっかり。
少しニュースショーを見た。選挙戦を闘う橋下の動きを追うカメラ・・・白けた気分で眺めていたが、そこに映る商店街でのおばちゃんたちの反応は、TVタレントを間近に見て興奮し、高揚した姿。
全ての人がそのような反応を示すとは思わないが、得票率を見れば圧倒している。
東京都知事人気もおかしいと思うが、大阪もやっぱり。

映画と、講演会の素晴らしい内容を伝えたいとおもいつつも、このエントリーはこれでおしまい。
改めてということにします。
あ~あ。

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2008年01月18日

震災メモリアル

昨朝、6時前に起きたときに、気づいた。
確かに、13年前のこの日は「どうなるんだろう?」という不安でどうしようもない長い時間を過ごした。

いつも中継される、神戸の公園。竹の中のろうそくを見て、命が数でとらえられる、あまりにも大きい災禍を思い浮かべた。今年は神戸に行っていない。忘れたわけでもない。けど。

街にはマンションが林立し、あるところは見事に美しく復興している。
けれど立ち直れなかった街もある。

経済の格差として、2重のローンなど厳しい状況も作り出してしまった。
自分がいまある生活も、浮き草の上のような、地球の上でひらひらしているだけで、根拠のない「大丈夫そうな感じ」だけで生きている。

災害の備えを特にしているわけでないけれど、昨日の報道では、これから来る災害についての耐震対策などの方向に重点が変わっていってた。これは、昨年までと少し違う感じがする。
耐震偽装問題がクローズアップされてから、従来の木造住宅も耐震対策をとる必要性を行政もいいだしはじめたから。

多くの人が木造住宅の下敷きになってなくなったという。
大阪の生野区が取材されていたが、あそこの古い町並み、狭い路地裏の人情味厚い生活圏は、裏返せば、もっとも震災に弱いところというわけだ。

行政は、民のために本当に動くというのなら、やはり、オイルを海に浮かべる船に乗せていくのはやめにして、隅々に「安心」して生きていく命の権利、「生活」「医療」を守るべきだ。

過去に学ぶことは多い。けれど、学ばないのが人間であるというのは避けたい。

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2008年01月15日

ロッカショ~2万4000年後の地球へのメッセージ

6kasyo.jpg
ロッカショ/STOP/ROKKAASHOプロジェクト

六ヶ所村の核燃リサイクルのことは、映画「六ヶ所村ラプソディー」で村の人々の苦悩。賛成派・反対派の両サイドから、この問題の深さや難しさを知ることができた。

しかし、改めて六ヶ所の問題をWEBサイトからでなく、本として出来上がったものを読んで、怒りがこみあげてきた。
グリーンピースのサイトからの説明にもあるが

六ヶ所村再処理工場は、青森県六ヶ所村の「核燃料サイクル施設」にあります。 「核燃料サイクル施設」の中には、再処理工場、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センターがあります。全国の原子力発電所から出る使用済み核燃料は、再処理工場の中の使用済み核燃料貯蔵プールに送られ始めています。「サイクル」「再処理」という名前を使っていますが、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す施設で、プルトニウム生産工場です。

そのプルトニウムを再度原子力発電所の燃料として使う、というのが日本政府の計画ですが、使用済み核燃料を棄てさせてくれる場所がないので、とりあえずの置き場所を確保したいというのが政府・電力会社の本音でしょう。

核のゴミ処理工場。としてのロッカショ。
もう、使い道のないくらい沢山作ってあまっているプルトニウム。再処理のめどが立たないのに。
そのプルトニウムを原発でつかおうとする「プルサーマル」の計画も見通しがたっていない。

本には、マインドコントロールとして、坂本龍一氏が語っているくだりがある。

 

「日本の電気の3分の1が原発」は、嘘。ピーク時は確かにそうかもしれないけれど、年間の平均にならしてみると、原発がなくてもやっていけるんです。~中略~原発がないと生きていけない、というのは
マインドコントロールです。「そこからは逃げられないんだぞ。」というマインドコントロール・・・・そこからまず変えていかないと。

そもそも、気に食わない電力会社のCM。
子供を使って、環境にやさしいとアピール。
>現在全国で稼動している商業用原発は54基。年間約1000トンの使用済み核燃料が発生する。これを再処理するときに極めて強い放射能を持つ廃液が出るが、この廃液をガラス原料とともに加工してガラス固体化にする。

それは、ロッカショの地中300メートルの深くに30年から50年貯蔵される。

おかしい。おかしい。
それが、止められないのは電力会社の経済に対する力のせいと・・・政治家の利害のせい?

サイトは、
http://stop-rokkasho.org/

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2008年01月12日

橋下徹候補の落選運動・・・

大阪知事選挙の期日前投票も始まり、いよいよ・・・である。

りんさんのブログ 「小さな花ひとつ」にも、橋下徹弁護士の悪業が記事にも、コメントにもついており参考になる。

晴天とら日和というブログが「橋下徹候補の落選運動」と銘打っており面白い。

村野瀬玲奈の秘書課広報室同じく、とらさんに同感の意思表明。この方のブログは、非常に情報量が多く、参考になる資料・記事を書いておられる。

言うまでもない。
私も、「橋下徹候補の落選運動」に大いに賛成だ。
応援するほうの勝手連ができたらしいが、反対もおおありだ!

特に気になる右翼的発言。
戦争肯定、徴兵制復活など・・・。いろんなマスコミに露出していたせいで、このような発言が多くのこさればら撒かれて残っている。

今の世の中ではやっている、集中的なバッシングというのは嫌いだが、大阪府の知事になって欲しくないという点では、知って欲しいこともある。

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2007年12月29日

今年がすぎていく

クリスマスの頃。ちいさな近所のお店でアジアのごはんと一緒にフォルクローレを聞いたり、相方とインドの料理を食べに行ったり・・・と、ちいさな「ホッ」する瞬間はいくつかあった。
けれど、クリスマスに今はピンとこない。ゴスペルをやってたころは、フルスロットルでオンシーズンを歌いまくっていたけれど。

まあいいか、大概季節感を大切に生きてる感じがしないものな。
ブログつながりのりんさんは、料理といい、生活といい、とっても忙しいのにちゃんと季節の楽しみをしっかり味わってる。自分の生活に味気なさを感じる瞬間とでもいうのかな。いい感じにしっかり生活してらっしゃる。

今年も数えるほどになったけれど、そんなときにオスカーピーターソンが亡くなった。
上原ひろみがオープニングアクトをした日本公演が最後の来日になった。そのときにコンサートホールでベーゼンドルファーピアノを弾く、オスカーを観て、聞いて、あらためて魅力を感じたものだ。
私は、ジャズのピアニストではこの人を多くは聞いてこなかった。それなのに印象深いピアノだった。
そういえばベーゼンドルファーピアノも、11月には倒産、売却先はヤマハとも言われている。
人がこの世を去るように、いろんな物事が時とともに、あるいは突然、形をかえたり、消え去る。

この間は、ブットさんが暗殺された。ビルマで長井さんが撃たれた。人の死の形は選べない。
来年、とはいえ、時は一続きに、私の生活と同じように連綿と続く。

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2007年12月17日

NHKスペシャル ワーキングプアⅢ

日曜日の夜、忘れずにNHKのワーキンブプアⅢを見た。
今回は、海外の状況、打開策など・・・と解説があったので少し期待をもって、見てみた。

内容は、さらに掘り下げていて見ごたえがあった。
番組では、海外での事情を取り上げている。非正規雇用大国のお隣韓国も、学歴競争が過激なのにもかかわらず、若い人の就職が厳しい現実がある。日本と同じようにアメリカに追随して市場原理主義の政策がもたらしたその姿は、日本と似ている。さらに良くないのが、医療保険制度が不安定なこと。
日本の誇るべき制度、健康保険制度は守らなくてはならない。
焼身自殺で雇用のない抗議をした人。日本でも自殺者は多いが、精神性はアジアでは似通っているのかな?と思ってしまった。

さらにワーキングプアの現実はアメリカでも。日本の先を行く雇用不安を知る。
IT関連の仕事から職を失った人は、インドへ外注されるグローバル経済の被害者となっている。

後半は、対策を取っている実例を紹介している。
アメリカで、日本で、イギリスで。生活を支えるための労働をちゃんと受け継いでいくため、公的資金を投入して、職業訓練を行う。自分の努力でもう、どうにもならないということが明かされている。
貧困の連鎖を断ち切るために、子供のうちから教育の場でも、街でも、多くの支援の手が用意されている。日本も、自己責任論をもういい加減にやめて、誰の身にも起こりうること、根本的支援の方法。
教育の機会の格差を無くす方法など、いくらでもやれることがあるだろうし、やらなくてはならない状況だと思った。

最後に、ワーキンブプアⅡで、親の貧困のために30代でホームレスの生活をし、コンビニで漫画雑誌を拾い、換金して、一日600円ほどで生活をしている岩井さんという青年が再登場している。
今は、ホームレスの人を支援する請負仕事をして収入を得ており、路上生活ながらも食事もとれ、お風呂屋さんにも行くといった生活ができていた。
最後に、インタビューで涙で言葉が詰まってしまった岩井さん。
「生まれてこなければ良かった」と思っていた、今もそんなときはあるのだけど、「人を信じられるようになった。」といい目頭を拭いていた。
生きていても死んでいるような、人間らしい感情をもつことさえ許されない厳しい生活に追い込まれる状況を作っているのは、私たちの社会だと思うと、とても痛い気持ちになった。

この放送の感想をとても丁寧に書いておられるサイトを紹介しておきます。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/workingpoor5.html

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2007年12月12日

NHKスペシャル「ワーキンブプア ⅠⅡ」再放送

NHKスペシャル「ワーキンブプア ⅠⅡ」。また。再放送を見てしまった。
みると、ひしひしと辛さが痛い。以前にも増して、痛い感じがするのは何故だろう。

「ワーキングプア」という言葉が新しい響きを持って、耳に入ってきてから時間がたつ。
このドキュメントも最初の放送から一年が経過している。その後の母子家庭の様子、プレスの仕事のおじさんの今。少しだけ紹介されていたが、それを知るとなお、状況は悪くなっていると感じる。

抜け出せない生活レベルを傍観するのは辛い。
私は、娘と見ていたのだが、彼女のようにこれからの人生を歩いていく若者がこういう現実を知るのは必要でありながら恐怖でもある。
大学生の新卒の就職率が上がっていると聞くが、そういう人生をウチの家族は歩かない。

したがって、一歩違えば、格差社会の底辺へ転落する。
組織に所属しない生き方を選ぶ多くの人も同じだけれど、その自己責任という塀のさらに向こう側から
も敵に攻めやられているという感触でもある。
ドキュメンタリーにでてくる人たちが努力していないのではない。

雨宮処凛が洋泉社刊「プレカリアート」で座談会をしていて世の中がプレカリアートをどう見ているかの片鱗を知ることができる。
出席者は、1、フリーター 2、フリーターを正社員に就職させた母 3、大企業の就職成功者 4、水から選んでフリーターになった人(舞踏家)
やはり、最初は「自己責任」と言われて、2や3の人には叩かれるが、徐々に状況の理解は進んでいく。

結局、例えばお隣の一人親の人がどんなに働いているか知らなかったのは私たちで、それについて関心も持っていなかったに違いない。

我が家にはまだ、人生の浪人がいる。この世の中を効率的に泳いで行こうという気はさらさらないらしく、かなりのおおまわりをやってみようとしている。
人のことは言えないと今は思うのだけど。親としてはそうすんなり、腹をくくってるわけでもなし。
ああ・・。また、誰かが私を試してるんだ。不出来なもので、自分でもでこぼこと思ってるけど。

今度の日曜日16日には「ワーキングプアⅢ」が放映される。
世界に目を移し、ワーキンブプアから脱出する希望のようなお話もあるらしい・・・。

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2007年10月19日

アレルギーと決別か?

長年、引きずってる「アレルギー性鼻炎」季節はオールシーズン
(こんなことかくと、トラックバックスパムがバンバンくる)
久しぶりに血液検査をすると、特異なパターン。住居環境のせいで曝露してきた「カヤ系花粉」の抗体数値が高~い。

友人のボーカリストMIKIとも、よく話をしていたのだが。ついに、レーザーを使った手術に挑戦した。
「あんたが先にしな~」とお互いに譲り合ってたのだが、秋口になってまた、ヒドイ日がちょこちょこでてきたので、ネットを調べてみた。
前には見つからなかった・・・見つけられなかったのか、良さげな耳鼻科を発見した。

なぜかそのとき、勢いづいていて、その日の夕方の診察を受けた。
医師に事情を言うと、簡単に「手術できるか検査して、予約とってね」といわれ、なすがままに血液検査そして、今週の手術と相成った。

当日、血液検査を見て、「こんな人は手術にむいてるね~」とお墨付きをもらい、朝にでかけて、お昼前にはすべて終了。

鼻にごろっと、焼いたあとに違和感がのこるが、まあ、順調。仕事もすぐ翌日にしたし、熱もでなかった。
レーザーで焼いてるときは「ジュッ」とかいって、焦げ臭い臭いもする。「あ、自分が焼けてる臭い」不思議な感覚だ。

一般的な人の70%しか、鼻が通ってなかったらしい。全く自覚なし。他人様がすーすーしてたなんて。
ほな、唄うときもちょっと楽になるのか???鼻に抜ける音をだすときに「スカッと」するのだろうか??
いい感じになればいいのにな。
と、いまは、3,4週間で生れかわる、鼻の粘膜に少し期待をしている。

アレルギー剤とおさらば。薬の眠気で本が読めなくなる日々がおさらば・・すればいいのだが。

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2007年10月14日

ヒールとヒーロー

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沖縄の教科書表記について、文部科学大臣が検定意見の撤回を拒否し、元通りに記述回復することは難しいとの認識しており、「政治不介入」を理由としていることは、おかしな話だとおもう。
本来、根拠としている教科書用図書検定審議会が中立であるということが間違っているから。

そっちが先に「政治介入」したんでしょ?っていうこと。

沖縄のマスコミ
沖縄タイムス琉球新報は、継続して成り行きを報道している。
けれど、全国ではそうではない。

こんな風に、マスコミの露出が人の関心をさらい、そして次から次へと忘れさせる。

そんな中、先週の「亀田×内藤」のWBC世界戦では、亀田一家がTBSに担ぎ上げられ、いちやくヒーローになり、一夜で蹴落とされるという姿を目の当たりにしてマスコミのありかたに不信をを感じた。

確かに内藤選手の話っぷりは、TV受けする。苦労がむくわれたことも祝福するし、亀田一家を弁護する気もさらさらないが。
彼らがヒーローになろうがそうでなかろうが、関心はない。

今時は、けっこう「バッシング」が簡単に行われる。結局、マスコミの強大な力の上で個人はもてあそばれ、それを消費する多くの人間が同調して、興奮するすがたは好きではない。
沢尻エリカに関しても同じく。

ヒール役もヒーロー役も虚像だと、それを知った上でTVの向こう側からやってくる映像をとらえなくてはなと自分に言う。

肝心な情報は、受像機からうかがいしれないことが多いのでね。

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2007年08月27日

運命共同体

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だんだん、日が短くなっていく

今月は、私たちのワークショップ仕事が多い月だった。例年そうだが、夏休みに子供向け、大人向けの手作りの楽器教室を開催したり、呼ばれたりいろいろで、そのつど、知らない人たちとであう。
新しい教室を始めると、初めは緊張感のある、何を話しても反応がいまひとつわからないというような大人の人たちが、モノを作り始めると、いろんな性格が現れて、お互いが刺激しあい、一体感のあるいい雰囲気になる。すべてがそうなるとは限らないけれど、今年の夏の大人教室はとても明るく、個性溢れるいいクラスだった。

そんな風に、人は一歩、他人の守備範囲という距離に入れてもらうと打ちとけ合っていく。

この間、電車でもおもしろいことがあった。
阪急電車に梅田から乗っており座っていたら、十三くらいで向かいの若いお兄ちゃんが自分のあしもとをきょろきょろしている。何かと思ったら、なんとゴキブリがうろついてる。一緒に乗車してるごきぶりの行方を自分のほうに来ないか、気になってながめているのだった。

そのゴキブリ、横へ移動を始めた。私はその向かいに座っているので、ゴキブリの行動は一目瞭然。お姉さんの足元当たりで見失ったので、気になりつつ様子をみていた。となりのおばさんとも、「いやだね。ゴキブリなんて・・」と言い合ったりして、共通の運命にさらされた連帯感がうまれつつあった。
その次の駅で、人が入れ替わったとたんに、ゴキブリはやっぱり動きだした。
舟をこいで、居眠りしてる若いおねえさんの、あろうことか足元から、かばんにかけて、さらには上半身へと移っていこうとするゴキブリ、思い余っておばさんが、払い落とす。

今度は、よそに逃げていくゴキブリ、ゴキブリの移動する場所場所に居る人が、びっくりして立ち上がっていく、ちょっとコメディのようになってきた。若い子はキャーキャー言うし。ついに、ドアの隙間に逃げていったのを見届けて、まだ騒ぐ女の子に、「あっちに逃げて行ったよ」といってあげると、ほっとして座席についた。それを見ていた、おにいさんが、おもわず吹き出した。

あ~面白かった。ゴキブリに這われたおねえさんと同じ駅で降りたが、「ぜ~んぜ~ん気づかへんかったわ~」とつぶやきながら去っていった。その間の車両の関心は一点「ゴキブリ」それだけだ。
ゴキブリのおかげでおもしろい運命共同体となった、その車両の乗客。
なんだ、簡単に人は人と打ち解けることもできるんだな。と思い、でもそれが、恐怖の共同体でなくよかったと胸をなでおろす。人と人の距離感、寛容さ、ってごく小さい感情の積み重ねかもしれないな。

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2007年07月01日

おめでとう! ももちゃん

土曜日に、友人の結婚式に行ってきた。
ジャズピアニストであり、いまやゴスペルも指導もする多才な女性でとても魅力的で、エネルギーにあふれている人。であるももちゃんの結婚式だった。

私は、ゴスペル仲間(かつてのクアイア仲間)とキリスト教式結婚式のときと披露宴で数曲、歌わせてもらった。ももちゃんの結婚を歌で祝福できてとても素敵な気分だった。
教会で歌い上げるタイプのゴスペル曲と言うのは本当にぴったりマッチして、良く響く教会内の空気を強く震わせることができるようで、心の中に音が入ってくる感じがする。聞いている人は、より強く感じるだろうと思うけれど。

その感動の挙式もすばらしかったのだが、披露宴が、これまた私も経験したことないような「楽しい」パーティだった。言うならば、音楽ライブパーティ。
もちろん新婦もピアノを弾くけれど、お客の多くにジャズミュージシャンがいるので、順々に素敵な音楽が披露される。新郎まで、歌がうまくびっくりしたけれど、約90名の前での見事な熱唱は、堂々たるものだった。

ももちゃんは、早くに両親を亡くしているので、何でも一人で物事を決めてしっかり生きてきた。結構波乱万丈の人生を今までやってきたけれど、キリスト教の洗礼を受けてからとてもいろんな人の支えをもらったのだろうと思う。・・・なによりも神様を味方につけてしまったのだから、怖いものはないだろう。

これから、二人という単位に慣れないとね。
また、それもいいもんよ。と

若々しいカップルもいいけれど、人生をそこそこやってきた人の結婚式はとても人間関係が充実していて、顔ぶれをみても楽しい。豊かな人間関係が倍増することは大きな喜びだと思う。幸せにね!

投稿者 pianocraft : 22:30 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月13日

自分の人生の歩き方

たいそうな、タイトルをつけてしまったが、これは私の人生について語るために付けたわけではない。

まだ、我が家には自由な高校生が一人生活してるので、所属している学校の保護者会にたまに顔をだす。大概は、仕事で出られないけれど、最低一年に一度は(大体毎月開かれている)でたいと思っている。そうして、先週はそのチャンスがあり、あらためて彼らの学校の教師・カウンセラー・親たちのこころを聞くと、ああ、また来たいと思うのだ。

この学校は、サポート校という名前の学校だ。通信制単位制高校に在籍する生徒たちに、学習以外でも、精神的なサポート、生活のためのサポートをしていこうとする学校で本当にさまざま、いろんな理由でここにたどり着いた子供たちを支えてくれようとしている。

いままで不登校だった子、引きこもりがちな子、通常の学校に合わない子、他にすることがあってそっちにウエートをおきたい子。さまざま。超社交的な子から、人間関係が非常に難しいこまで、子供と先生は同じ目線で向き合う。

こういう子供を抱える、親たちも保護者会という場をあたえられ、子供に対する難しさを話すうち、多くの人が涙ぐむ。本当に愛する子たちへの、つかえるような思いがそこで話される。話すことを許されるような感覚で、あるいは理解者を求めるように、親たちは日ごろ、まわりのものにも話さないような苦しさまで話していく。わたしも、思い出すことを、あらためて思い当たることなど・・話す機会のないことを語った。

以前から学校にはいろんな思いがあり、私も、いろんな学校を調べたりした。サドベリーバレースクールという面白い学校がある。学びたいことがあれば、仲間をつのり、教師にクラスを作って欲しいと申請する。「人間のうまれつきの好奇心」にまかせて勉強していく。3年間つりばっかりしてた子もいると聞いたことがある。学校は、こどもを支配しない形で教育の場を提供している。そこで生活する子たちは、自分のちからで自分の興味を探し、追求しなくてはならない。ここでは、イスにすわっていても何も与えられない。その、すごさに共感したりした。

多くの人は、大勢イスにすわったクラスで授業を受けるというあるいみ特殊な社会(と私は思う)を経験するが、人生の海に泳ぎ出たときは、自分ひとりでえさをとりにいかなくてはならないわけだ。
サポート校を選んだ子たちは、一足先に、あるいは、もう一つの自由学校とおして自分で学び、人生をまず、普通高校よりたっぷりある「考える時間」を使って考え、生きなくてはならない。なかなか過酷な課題だ。ウチの高校生も、そういう意味ではよくやっていると思う。

教育といえば、今、フィンランドの教育について書かれた本を読んでいる。
競争をしない教育というのがどういうものなのか、それが、大勢の子が一緒にすごすクラスで成立するのはなぜか?を知りたい。
以前、シュタイナー教育に関する本も読んだが、この教育方法のなかでもっとも好きな点は、シュタイナーの先生たちは詩でひとりひとりの成績を書くというところ。詩ならずっと大切にしていられるしね。
こういうことを知れば知るほど、学校は、場でしかない。大切なのは、そこにいる大人。

さて、自分も人生をまだ続けているわけで・・・高校生たちが奮闘しているのでこちらもマジメに人生考えなきゃな。政治をどうにかしなきゃだめだわ。

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2007年05月22日

結局、誰を救うのか?

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仕事でであったピアノ猫

全然関係ない、写真をのっけてしまったが。うんざりするような、出来事がつづくなか、猫のほうが幸せに生きてるかも・・とか思って。

ところで、民法改正で、300日規定が変わった。でも、救われない母子を多く取り残している。
この300日規定については、たんぽぽさんのブログに経緯が詳しく書かれていて参考になる。

たんぽぽの涙~運営日誌 http://taraxacum.seesaa.net/

民法改正をして欲しいのは、こればかりではなく、夫婦別姓という問題もある。
これまた、夫婦別姓を待つ身さんのサイトが、追い続けている。知らない方は一読して欲しい。
資料も充実している。
夫婦別姓資料館 http://fb-hint.hp.infoseek.co.jp/index.html

憲法の改定の問題が、暗雲のように立ち込めていて、あまりにも大きく圧迫されてる感じがするなかで、私たちの身近な法律でさえ、救いを求めるものにやさしくない。そもそも、安倍内閣の美しい国キャンペーンが、古い「家」制度を復活させるような精神性の上になりたっており、その中には、女性の自由を奪うという意図があからさまに見えている。

家族は、家という単位のもとに強固に成り立っていると本気で思っているのだろうか?
そのほうが、国民を戦争にかりたてるのに便利だからか?個々人をまとめることが難しいなら、家単位、学校単位、地域単位と強制力を発揮していけばいいと考えているのだろうか?

一方、今、沖縄では、辺野古の米軍へリポート建設のたまの調査を阻止しようと、市民グループがずっとカヌーをだして調査に抗議をつづけている。そこへ、海自まで乗り出して、調査を支援するということに
大きな抗議が起こっている。自衛隊まで出して、市民運動を威圧するつもりか?ということ。これは、国の姿勢をあらわすものだ。今日の国会でも質問がでていたが、安倍総理の答弁は、実にまとをはずれたものであった。本心を隠してるからさ。

ちゅら海をまもれ! 沖縄・辺野古で座り込み中! http://blog.livedoor.jp/kitihantai555/ のブログで日々をつづっている。

命をまもる。安心して暮らす。希望をもって生きる。そんな、本当にささかやな私の生きる望みを今の日本は奪っている。

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2007年05月06日

「癒しの島、沖縄の真実」

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癒しの島、沖縄の真実 
著:野里 洋 ソフトバンク新書

この本の存在は、友人から教えてもらった。私が、沖縄に行ったことないくせに三線と沖縄や八重山の島々に思いを馳せているのを知っているからだ。

そういえば、ちょうど連休の間のTV番組で、石垣島に移住するヤマトの人がとても増えているという話題が放送されていた。けれど、そのうちの80%が島を離れるそうで定着率が悪い。理由は、やはり住んでみたけど、村に馴染めないとうことらしい。(歌ったり踊ったりをうるさいと思う人もいるようで。)

この本は、沖縄の特異性を石川県出身であり、琉球新報の記者として40年にわたって沖縄に住み続けている著者の視点から書いている。それを読んでみて、「癒しの島」だけではない沖縄の生活・歴史・戦後の真実を知ると、移住するには本当に沖縄にほれ込み、そこの人と一緒に生きる覚悟のある人たちしか無理だろうな・・と感じさせる。

沖縄の政治的問題、基地におびやかされながらも、依存を余儀なくさせられている現実。返還されたときの「本土並み」「同化」への強く本土に焦がれる思いから、今の独立したアイデンティティーをもつ、魅力ある沖縄の自立に向う変化へ、著者は愛する沖縄に厳しい目も、暖かい目も持ってみている。

移民県として知られ、世界に散らばる沖縄出身の人たちが、やはり各地で三線をかき鳴らし、歌い踊っている姿を知ると、歌で厳しいときも乗り越えてきた人々のたくましさに感動する。

この本で、あらためて占領時代の沖縄、復帰前後の沖縄、基地問題を抱える沖縄、古い習慣で問題をもつ沖縄。そして、すばらしい沖縄の人々、日本でありながら日本でない文化として紹介しているこの本を読む価値はあった。

私は、沖縄でよく歌われる「十九の春」を歌うのが好きだ。これは、もともとヤマトのはやり歌だった。
この歌の歌詞は、言葉通り、不倫の(おそらく商売の女性とお客)男女の歌なのではなく、私にとってその男女は沖縄と本土の悲恋の物語であると思っている。

 主さん主さんと呼んだとて、主さんにゃ 立派なかたがいる
 いくら主さんと呼んだとて、 一生添えない片思い

本土にはアメリカという本妻がいる。基地にはばまれ、添えない思い。というような具合に・・・・


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2007年04月26日

子供から奪われる「生きる意味」

先日、全国学力テストが43年ぶりに実施された。ふ~ん、それを分析して、何を得ようとしてるのか?
効率的なエリート教育?格差教育?わからない子供はそれなりに、わかるこだけに最先端を教えたいって?

このことが報道されて、それに参加しないという犬山市に興味をもった。
ちょうど、週刊金曜日4/20の記事に「これでも受ける?43年ぶりに復活した全国学力テスト」があり、犬山市の教育委員会の取り組みが紹介されていた。

「豊かな人間関係を育む土壌をなくし、子供同士や学校間、地域間に格差を生み、拡大させる競争原理の導入は犬山の教育理念に合わない」

きっぱり!!である。
犬山では、1997年以来「通いたい学校」を追い求めてきた。それを紹介する本も書いてあった。
「全国学力テスト、参加しません。犬山市教育委員会の選択」 編:犬山市教育委員会 
明石書店 1200円

特徴は、「学びあい」 少人数制。約30人の学級、4~5人の班学習。
勉強面では、友達に教えてもらったからできる。という自信を生み、生活面では誰かが暴力をふるっても
他の子の注意があり、それを受け入れる、子供のこころが育っている。という。

安心、信頼、自信など、競争の緊張感からは得にくいものだろうなと私も感じる。

記事では、犬山の中学校の5教科平均の5段階分布の表が示されていたが、全国の分布に比べて3と4の分布が多い。上と下の子供は少なく、全体的な理解を得ているようだ。日本は、以前フィンランドの教育成果について、興味津々だった。
フィンランドの教育も競争をしない教育といわれていた。

日本の犬山以外の子供たちは、大切にされているのだろうか?

この国でこのまま育った高校生たちは?ブログ「ささやかな思考の足跡」さんから提示されている、高校生の意識調査の結果が、これまたがっかりする。

夢を持てない、意欲の力を感じないその姿。
私は、早くから、そがれた自己肯定感がその根っこにあるように思えてならない。大切にされ、信頼され、人間同士の対話を学んできた犬山の子達は、自信をもって、日本の屈折した状況に元気にでていって、改革してほしいと思ってみたりする。

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2007年04月11日

やっと自分のために文章を書く。

事務仕事で忙しくしていた、毎日毎日、実はまだ終わっていないのだけど。
新年度になって、いらん役がまたあたってしまい、その引継ぎと実務が始まりゲンナリしていたところだ。主にパソコンキーをずっとたたいていたのだが、データやら、事務文書やら、アンケート集計やらと心は文字にのっかってない。ので、エントリーも書く気がうせていたのだった。

そうそう、日曜に選挙もあった。東京をみていて本当にがっかりしたのだが・・・。相方など、勝利した石原知事が映るたびに、TVのチャンネルをかえていたら、子供に「現実はかわらん」といわれてしまっていた。なまいきなやつめ。

本当に、このまま「日本国憲法改悪」の汚点を残さないように、踏ん張らなければならないところだが、どうなんだ。と自分につっこんでみる。

桜もいっぺんに開き、舞い散っている。前にも書いたけど、狂気の花のように感じる桜。桜に罪はないけれど黒い枝に直接花がついている。花が終わってようやく葉が見えるけれど、「木の花」だ。草花のように緑色の茎や葉にささえられていない、唐突な花に、あのまぶしい薄ピンクに、どうもなじめない。

車で通り過ぎる道すがら、見事に花をみせつける桜。見るたび「あ~狂い咲いてる」と思い、この日本の政治とダブって嫌な気分を思い出す。
ちょっと、沈み気味だな。たぶん、嫌な仕事をしてるせいだ。事務処理ができても、好きな人っているのかね?

音のでる鍵盤も触ってないのだ。仕事以外では。明日から、変わろっと!

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2007年04月01日

土鍋でごはん

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いっとき「土鍋ごはん」がはやっていたが、その時は気になりつつも手を出さなかった。
ご飯を鍋で炊くのは、海外に旅行のとき(安い旅のため自炊)くらいだったけれど、今年に入って初めころホームセンターで安売りされてる、ご飯炊き用の土鍋を見つけた。それが、写真のもの3合まで炊ける小さ目のもの。980円なり。

家は、あまりご飯を食べない人が多かったのだが、これに変えてから「ご飯がかなり主役」の食事に代わっていった。精米から自分ですると、格段においしいと、TVで山瀬まみが言っていたけど、ごはんってこんなに魅力的だったんだと再発見したのが嬉しかった。

忙しい夕方でも、15分で炊ける。ホントに忙しくて、米を磨いで、水につける時間があまりなくてもいい感じにいける。

いまさら、毎日のあたりまえのことなのだけれど、我が家に定着したこの形を書いてみようと思った。

今日も町に選挙カーが走り回っていた、仕事であちこちを走っていても同じ。

ご飯のことと政治は関係ないって?
平和を表現するのも主張するのも難しいけど、おいしいご飯がずーっと食べられること、好きなやり方で生きていける自由、そんな当たり前の日常がとても重要と思う。

若い人も、年上の人たちも、美味しいご飯が食べられる生活ができるように、国政だけでなく、地方政治もちゃんと見据えないとね。

投稿者 pianocraft : 22:13 | コメント (6) | トラックバック

2007年03月26日

能登半島地震

気象庁は、石川県で起こった地震の名称を「能登半島地震」と名づけた。

能登半島は、わたしにとっては、学生の時に好きで何度も訪れた場所だった。
海岸線をあるくのが好きだった。「ランプの宿」と言う名で有名な、海岸にせまったところに建っている旅館で、ランプの灯だけですごす一夜は、オイルの臭いと柔らかい灯で静かな気分にさせてくれた。しかし、今ではかなり増築されていて、雰囲気が違っている。(HPをみたら・・)

大丈夫だったのだろうか?

テレビで映し出される映像は、阪神大震災のときのような傾いた家屋。屋根につぶされるように木造の家屋はへしゃげている。
続く余震に気持ちが休まる間もないだろう。インタビューで「ちょっとのゆれでも敏感に反応してしまう。怖い」というような言葉があったが、本当に思い出す。わずかのゆれが、前触れのようで恐ろしくて仕方ない。南海地震がおこることも間違いないのに、ふたたび思い出す、恐怖と人々のやるせない、いまの気分を思うと胸が痛む。

多くの支援がすみやかになされるように行政に願う。
高齢者の多い地域と聞く。住宅の確保も急いで、ゆっくり体を伸ばして眠れるようにしてあげて欲しい。

美しい海辺の道は分断されている。

義援金の情報

能登半島地震 義援金受け付け NHK金沢放送局 

能登半島地震で被災した人たちを支援するため、NHK金沢放送局では、災害義援金の受け付けを始めました。9月28日まで受け付けます。27日からは郵便振替でも受け付けます。送金先は、▽社会福祉法人石川県共同募金会が「00780ー6-320」、▽日本赤十字社石川県支部が「00780-1ー3」、▽石川県災害対策本部が「00730-4-7700」です。通信欄に「能登半島地震災害義援金」と書いてください。窓口での振替手数料は無料です。詳しくはNHK金沢放送局、電話076-264-7030までお問い合わせください。
(3月26日 19時33分)

日本赤十字
平成19年能登半島地震義援金の受付について

3月25日に発生した石川県能登半島沖を震源とする地震で被害を受けられた方々を支援するため、日本赤十字社は下記のとおり義援金の受付を行います。
みなさまのご協力をお願い致します。

1. 受付期間 平成19年3月27日(火)~平成19年9月28日(金)
2. 受付方法  
郵便振替 口座名義 日本赤十字社石川県支部 
       口座番号 00780-1-3
(1)振替用紙の通信欄に「平成19年能登半島地震義援金」と明記してください。
(2)受領証の発行を希望の場合は、その旨を通信欄に記載して下さい。
(3)郵便局窓口での取扱いの場合、振替手数料は免除されます。

※寄せられた義援金の配分は、石川県、日本赤十字社石川県支部、石川県共同募金会等で構成される義援金配分委員会で決定し、被災者に配分します

YAHOOボランティア
募金テーマ 「能登半島地震」義援金
募金先団体 日本赤十字社
金額 500円~100,000円(税込)
※壁紙を購入いただくことで、購入金額全額を募金でき、団体を通じて支援活動に活用されます。購入金額に含まれる消費税は別途納税し、その消費税と同額をYahoo! JAPANが補填(ほてん)した後に団体へ送金いたします。
内容 3月25日に能登半島で発生した地震は、各地に大きな被害をもたらしました。日本赤十字社では、この地震で被害を受けられた方々を支援することを目的に、義援金の募集を実施しています。
ご協力をよろしくお願いします。

このページでの義援金受け付け期間:2007年3月26日~4月30日
(現地の状況などにより期間が変更になる場合があります)
募金の使途 義援金は、災害により生命・財産に大きな被害を受けた方々に対する慰謝激励の見舞金の性格を持つもので、受け付けた義援金は、被災された方々に迅速(じんそく)かつ公平に配分されます。
また、義援金は日本赤十字社だけでなく報道機関など多くの団体が受け付け、第三者機関である「義援金配分委員会」(被災自治体、日本赤十字社、報道機関などで構成)に拠出されます。同委員会では、各機関で受け付けた義援金をとりまとめるとともに、配分基準を作成し、被災された方々へ配分を行います。

なお「インターネット募金」の利用には、「Yahoo!ウォレット」(支払い情報保存サービス)への登録が必要となる

投稿者 pianocraft : 22:08 | コメント (0) | トラックバック

2007年03月24日

技術者というものは・・

3月、4月といえば、総会シーズン、年度初めの会議やらなんやらが、続く。

本日も、一つ総会が終わり、懇親会にも参加した。

ピアノ調律師と一口に言っても、仕事の仕方もフリーや社員や、嘱託やら色々。仕事の対象もコンサート中心から家庭回り中心など、あるいは、修理工房で各種の修理をする人やら、おもに調律ばかりの人年齢もさまざま。

けれど、会が和むと、やはりピアノの話。それも、細かい話、道具の話いろいろ。
だんだん、熱が入ってくる。けれど、学ぶことが多い雑談タイム。こういう、雑然とした時間が、いつもは一人でピアノに向かい、考え、工夫を凝らしている技術者たちにとって大切な情報交換の場となる。

本来、変わり者の多いという感じのピアノ調律師なのだけれど、それは、それぞれのこだわりのせいなのだろう。この職業について、このように多くの同業者と交流することはかつてはなかったのだが、何らかの役にあたったせいで、本当に個性的な人々のありように気づかされる。

やはり、人は面白い。
ピアノを弾く人のためだけにある職業。これだけで充分変わってるけどね。

投稿者 pianocraft : 23:51 | コメント (0) | トラックバック

2007年03月06日

生姜はすごい

このところ、花粉の影響と気温変化のせいで、朝はくしゃみを連発する。それでも今年は、アレルギー剤と抗ヒスタミン剤に頼らず、なんとかやりすごしている。

私のアレルギー性鼻炎は、どちらかといえば、通年性のもので年中、草に悩まされていて、杉やひのきより草のほうがひどい症状を引き起こす。
そうやって、調子の悪い状態は、のどまで及び、風邪だかなんだかわけがわからなくなってしまう。

のどがつらいとき、生姜湯の市販のものを以前はたま~にのんでいたのだけれど、最近、なんでいままでそれを生で作らなかったのか???と思うくらい、生の生姜でつくっては飲んでいる。
それは、知り合いの一言だった「わたしは、風邪気のときは生姜をすって、黒糖をいれてお湯で飲んでる」そうか~。それって、生姜湯や。

ためしに、わたしは生姜のすりおろしたもの、はちみつ、熱湯で作ってみた。飲んでびっくり。
生姜がのどをとおるときに、「か~~っ」と熱くなる。体ものどもあたたまり、いかにもよさげ。

生姜好きは、前からだけど、味噌汁にすりおろした生姜をあとで入れたり、うどんに入れたり、なんでも入れてみると、自然に出汁の甘みが引き立てられてとてもおいしい。しかも、のどにぐっとくる。

なので、一度試しに、生の生姜をすりおろして、あれこれに入れてみてください。のどのケアにどうぞ。
もう、知ってるよという人もいるかもね。のどケアのいい方法しっているかたは、また教えてくださいね。

投稿者 pianocraft : 23:54 | コメント (2) | トラックバック

2007年02月07日

おじさんと犬

ふと街でみかける風景。
ちょっと足が痛そうに歩くおじさんが、犬の散歩をしている。そういうときに連れている犬は、とても配慮ができている。ひょっとしたら老犬なのかもしれないが、遠目からははっきりしない。
寄り添うように、決して付けられたリードを引っ張って、先走ろうとしない。
信号であくびをひとつしたりして、ぼちぼち歩いている。そのような犬を見ると、こころやさしい人生のパートナーをこのおじさんは持っているなとほっとする。

街のあちこち、公園のブルーシートの家、非情にも大阪の長居公園で強制代執行が行われた。そんなおじさんたちも、よく犬を連れている。おじさんの連れの犬は、やはり大人しい。決して、敵意をむき出しにするようなことはしない。寄り添う犬。

人は人にこんなにやさしく寄り添うことができるのか?共生よりも排除を選んだ大阪市。
ずっと、ずっと、おじさんたちはあちこちの住処をもとめてきた。対話をして、解決をしてこなかった行政は、やはり人を切り捨てていく。ひょっとしたら捨てられた、犬も肩を寄せておじさんと暮らしているのかもしれない。

住処を私は持っているけれど、なんだかそれも、ふわふわはかないことのように思えてきた。誰もがいつ切り捨てられるかわからない世の中。国会は、予算を審議しているが、軍事費も引き上げられている。
中国が宇宙を汚染する衛星爆撃を成功させ、人は自らを汚し、自滅の道を歩む。
対話をすることは、本当にできないことなのか。
犬とおじさんのように、お互いのペースでどちらの存在も認め合って生きていくことがそんなにもむずかしいなんて、私たちは浅はかだ。

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2007年01月17日

いつまでわすれずにいれる?

1.17。震災があって12年の歳月が経った。報道の中心は、12年たったということで、小学生は1年から6年まで震災をしらないということだった。もっとも記憶がある年齢以上とするならば、高校生以上ということになる。神戸方面の学校では、このことを語り継ぐ学習をしている。

原爆の投下地である、広島や長崎でも、原爆の犠牲者追悼や学習を重点的に行い、引き継いでいることかと思う。けれど、よその地域では、全然違ってたりするけれど、これと同じように、震災も色あせていくのかもしれない。犠牲者の家族の心理、残されたものの悔いを少しでも、癒すことができるならば、震災を忘れず、その日だけは少なくとも思いを馳せる。壊れた街をあるいて、胸が締め付けられた。けれど、記憶は遠く、宙にういたように心に残っている。

でも、この日を境に私は生きていく道を方向修正した。見知らぬ多くの人とかかわりを持つことができるようになり、被災地では誰もが知り合いのようだった。手助けはいりませんか?と自分が知らない人に対して何かを手伝うということなど、できなかったのにだ。

今日この日が、無事に過ごせたこと、明日はわからないけれどささやかに生きられることに感謝して、地球に押しつぶされた6000人以上の人たちに、わすれてないよ、それなりにしっかり生きているよ、あのときみたいに助け合っていくよ、と、心の中でつぶやく。


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2007年01月01日

今年見る世界はどんな風だろう?

年が明けた。年賀状をいつもながら、ようやく元日に出す。元日の午後の街を自転車で走ってポストまで行った。
明け方の眠った街とも違う、静かな街だった。物干しに洗濯物があり、子供もたまに見かける。けれども静かな街。車もまばらに、自転車もすいすい。モノや人や車にあたらないように気を使わなくても、スペースはゆったり。店はしまっており、そのためか喧騒も感じない。

自転車でDVDも借りに行った。そこで、去年みた映画はどんなだったのか?エントリーしたものだけを並べた。
2006年
1月「ロード・オブ・ウォー」、DVD「パッチギ」、「ルート181
2月「ジャーヘッド」、「ホテル ルワンダ」、「あんにょんサヨナラ
4月「白バラの祈り」、「ナイロビの蜂
5月「ヒストリー・オブ・バイオレンス」、「Marines go home」、DVD「マラソン
6月「ナミイ!と唄えば」「六ヶ所村ラプソディ」DVD「スタンド・アップ」、「イン・ハー・シューズ
9月「出草の歌
10月「男たちのヤマト
11月「トンマッコルへようこそ

案外すくないな。といっても映画を見るには時間が要る。ともかく、昨年は、しょっぱなの正月のうちに「ロード・オブ・ウォー」を見てしまったので、こういう作品に偏ることは、はっきりしていた。私が映画をなぜ見るか?の答えがここにはあって、映画から得られる、映像から得られる、けれどなかなか知りえない真実を見つけるためだ。
ブログ友達hanaさんから、刺激されて行った映画もある。hanaさんがブログを閉鎖されるのはさびしかったが、きっとそのうち言葉の感性がどこかであふれ出すのではないだろうか・・・と期待している。

一番印象的だったのは、ドキュメンタリー超大作の「ルート181」パレスチナ問題をイスラエルとパレスチナ両側から、人々の言葉から探っていった。ファンタジーでは、「トンマッコルへようこそ」さあて、今年も楽しみ。そうそう、音楽もたっぷり楽しみますよ。

投稿者 pianocraft : 16:52 | コメント (2) | トラックバック

2006年12月22日

NHKスペシャル「ワーキングプアⅡ」

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NHKスペシャル「ワーキングプアⅡ」~努力すれば抜け出せますか?~の再放送を19日の深夜に見た。母子家庭で、小学生の子供2人を支える母は、2つの職を掛け持ちしないと生活ができない。母子手当ても今後削減される。生活保護以下の生活を強いられても働く貧困層。

正社員で雇用されず、安い派遣やパート労働で生活は支えられない。この母子家庭の母は、ともかく子供が自立できるあと十年は、朝からの労働と夜八時から深夜までの労働を続けざるを得ないと言う。
「十年はなんとしても」子供たちは、早く寝かしつけられているけれど、本当は眠れない日もあるし、母にうんと甘えたいときもある。母の時間も切り売りのように、細切れにされる。虐待やひどい子供の状況もニュースで聞くけれど、この母は本当に心を掛けて、手を掛けて、育てようとしている。安心して、生きていけるような経済がこの国にはないのか?と気分が落ち込んだ。なんて国だ。

アジアからの研修と称する、労働者を工場で雇用し、うんと安い賃金で仕事をさせている会社。周りの地場産業を支えてきた零細の会社は、競争できない。結局、安い賃金で雇うと言うことは、日本の人の労働も安くすることにつながる。水は低きに流れる。労働するのは人間だ。人間を安く叩きのめす日本の会社が貧困を生み出している。

このドキュメンタリーでの紹介は、老人人も及んだ。無年金のお年寄り。空き缶を拾い生計をたてる。
このような状況について、経済学者、福祉問題の専門家などそれぞれの立場で意見を述べる。
でも、政府の考え方は真逆。セーフティーネットとまだ言う。母子に関しては、技能訓練のための学校へいく資金の援助をするなど・・・。その間の生活費はどうするの?学校へ行ったら雇用の保証はあるの?番組に出てきた、若い女の子は、調理師免許まで取ったのに、病院の給食センターで、時給600円台で朝5時から働いている。個人の努力?彼らは、充分に努力を重ねている。でも、タイトルどおり。「抜け出せますか?」

経済格差。地域格差。と呼ばれて久しいけれど、胸が痛い。他人事ではない。いつ自分がそういう状況に立たされるかわからない。自分の子供たちも、同じ立場だ。
派遣で働く、30代の独身女性もまわりには多くいる。本当によくやっているのに・・・。この国は実に暗い。

投稿者 pianocraft : 22:28 | コメント (2) | トラックバック

2006年11月10日

「死ぬこと」と引き換えること

学校が行きにくい場所だなと思ったのは、自分のすごしてきた学校時代の中にはなかった。それは、単にそういう巡り会わせだったからなのだろう。私の友人も決して幸せな学生時代を送ったわけではなかったから。どの時代だから、ということはなく、いつもそうなのだろう。

けれど、今連鎖して起こる子供たちの自死は、何を訴えてるのだろうと考えてしまう。逃げ場がない行き止まりに彼らはいて、誰にも救いを求めることができなかったなんて残酷だ。

私も子供を育てたおかげで親というものにさせてもらっている。「育てた」なんて偉そうに書いてるけど実は、一緒に生きてきた連中だ。ちいさくても、力がなくても、ただ寝てるだけの赤ん坊でも、あるいは、手が付けられない動きまわり、わめく幼児でも、こちらが精魂尽き果てても、次の朝にくっついてくる連中。
大きくなったら、いろんな世界で勝手にいろんなことして、振り回してくれる愛すべき連中。

彼らも学校を拒否した。いろんな違う理由であるけれど、でも、大人としては折り合いつけてなんとかならんのか??と思うこともある。その上で、もう少し時間を与えた。考える時間は、学校に行かなくていい。自分のためだけに、自分に向き合い、考えてみる、ちょっと休み時間をあげた。大人だって休憩する。朝から晩まで、ずっと学校に通ってられるって偉いことだとつくづく思う。

そして違う学び方で、生きている。第2の学校やドイツのシュタイナーのようなまったく違った教育観を持つ学校ももっとあっていいと思う。教育基本法の改悪で、もっともっと窮屈に国の型枠にはめていくようなものは、絶対反対だ。軍隊を持つために、まず教育から。口当たりのいい、美しい国とかいうおかしな台詞を振り回して。

子供たちがもう自分で死ぬことを選ばないで欲しい。大人ももちろん、死ぬことで闇にほうむらないで!
死がひとつの「完結」というものにはならないこと。愛するものほど傷つける。にくくて仕返ししてやりたいようなものは、すぐ忘れて自分の別の人生に出かけるだけ。死ぬことは終わらない。悲しみを新たに生み出し、憎悪を増殖させる。
「死ぬこと」と引き換えるほど大切なものなんてない。病で苦しみを持つ人もいると思う。生きることがとてもとても大変な人もいると思う。けれども、それでも、自分から引換券を持っていってはいけないんだ。

投稿者 pianocraft : 21:29 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月29日

脱力の日々