2011年12月12日

東北を行く 1

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南相馬市
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雲雀ヶ原陸上競技場管理棟 避難所

先月、11月10日から12日まで、福島県南相馬市と宮城県石巻市で、避難所や宅老所などを回って、大阪のお気楽な手作り楽器や二胡などの演奏をさせていただいた。

あっと言う間に1ヶ月が経ってしまう。
忘れないために旅を記録してみる。

仙台空港に到着して、この地が繰り返し映像で見た、飛行機が流された場所か・・・と思ったが、空港はとても美しく、復興のための大変な労力があったことを感じさせられる。しかし傷跡は、あった。約2メートルほどの高さにある、空港外の屋根部分が大きくゆがんでいた。これから、出会う人、見るもの、色んな思いをいだきながら、この旅はスタートした。

レンタカーで全ての行程を動く。仲間は、私たち「けせらんパサラン」音楽チーム、手話落語家、交遊亭楽笑。整体師、介護士。その日うかがうことになっている、南相馬市の教育委員会の片平氏と、到着後連絡をとる。お昼一番に、仮設に行って欲しいとのこと。とりあえず、駐在されている避難所の雲雀ヶ原陸上競技場へ向かう。

車は、原発20K圏内に入っていく。何も見えない、臭わない、放射性物質の存在。
避難所は、現在もあり、仮説に入居できていない方々が生活をしている。
その日、白装束の若い女性がいた。今日、避難所を除染しているとのこと。
「トユが線量高くて、除染しても0.3マイクロシーベルトなんだな。」と片平さんは言っていた。

そこから、小池第3仮設の集会所に移動し、ちいさい会を開いた。演奏とお笑い、そして整体というセット。なんていうグループ名ですかと聞かれ、相方のてじょんは、おもわず「大阪底抜け脱線チーム」です。と答える。その名で、南相馬はすごす。なんのこっちゃ。けれど、大阪弁の変なグループを見て、聞いて、色んなことして一瞬気分をまぎらしてくれたならと切に思う。

それでは、と東北行きのために(電気をつかわない鍵盤を用意したいため)2ヶ月弱で、無理やり仕込んだアコーディオン。とても左手のボタンが難しいけれど、頑張って童謡や、二胡の伴奏を覚えた。てじょん持参のチンドン太鼓と連なって、仮設住宅の間を、イベント告知のために「道頓堀行進曲」「青い山脈」をアコーディオンで弾きつつ練りあるく。「今からイベントでっせ~」

多くのお年寄りが集会所に集まってくれた。
演奏などが終って交流すると、原発避難もお家を流されたのもダブルの人々も多い。
ちいさい5歳の女の子が、聞きもしないのに「お家ながされた」と教えてくれた。

この周辺にはとても、美しく柿が実っていた。冬の風景にあまりにも鮮やかな柿色。
仲間の一人が、おもわず1つ2つ、もいだ。けれど、お年寄りに言われたそうだ。
「こんなもの誰もたべないよ。食べたらいかんよ。」放射能に汚染された柿は、カラスにも食べられずにたわわに実をつけていた。 地震後、野鳥を見なくなったという。
地震でねぐらをうばわれたのでは、と友人が教えてくれた。
人も、ねぐらをうばわれたのだ。食も、職も、そして何よりも命を・・・。

海岸線を案内してもらう。
ここにも、残ったひ弱な一本の松。沢山の松林で、すてきな海岸の遊び場だったらしい。今は、基礎が残るだけで何もかもない。護岸のコンクリも隆起している。ひしゃげた消防自動車が放置され。多くの消防団が犠牲になった。

夜。避難所に戻る。
ここで暮らす人は、お弁当など外注されたものを食べていて、体調を崩す人も多いという。しばし、夕食後、同じように音楽・落語・肩もみなど整体でこころと体をほぐしてもらう。ここの人たちは、疲れがたまっているように見えた。ここから、学校や仕事に行く。心休まる、自分達だけの時間も得るのは難しいだろうに。

夜の道を宿泊先へ急いで移動する。やはり、夜は寒くなってきた。
コンビニで食事を調達し、ひたすら車を飛ばす。明日の朝は石巻でイベント。
あっという間に初日を終えた。

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南相馬市 感謝状

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2011年09月07日

さりゆく夏

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長島愛生園 美しい自然に厳しく隔離されていた

8月。暑くて、忙しくわさわさと過ぎ去った日々だったが。書かなくてはと思いながら
そのままにしていた。毎年8月はイベントがらみで忙しい。
手作りの楽器のワークショップあり、演奏あり。ありがたいことだ。

8月の頭に岡山の国立ハンセン病療養所、長島愛生園を訪問、お隣の邑久光明園のお祭りにも参加してきた。長島愛生園では、歴史資料館など学芸員さんに案内を受けながら園内を巡り、その理不尽で苦しい差別の歴史を学んだ。

今は、入所されている方々については、介護の必要な方々のケア施設であるということと生活施設である。ハンセン病という病は完治したが、その後遺症に苦しんでおられる方のための施設である。

けれど、過酷な差別状況で彼ら自らの手で学校をつくり、施設を工事し、全てこの美しい島で完結し、外へ決して出られない監獄のような隔離を受けてきた。
長い長い間。

この夏、二人の福島の原発から避難してきた女性と子供達にであった。
今、被災者と呼ばれる人々だった。難民のように、自主避難と言う過酷な名前で呼び捨てられることに、怒りを感じる。

「被災者」と言う言葉。時に差別的な言葉やないかと思うときがある。
彼女らはいつもとても申し訳なさそうに支援をうけたことに感謝の言葉を伝える。
けれど、嫌な場面をみてしまった。支援という名前で提供した人間にひどく高圧的に恩を売られている姿を目の当たりにして、たまたま居合わせて、これは被災者差別やと感じてしまった。

その人間の虚構の善意とでもいう、態度と言葉に私まで傷ついてしまいそうになった。
そもそも避難の原因をつくったのは、原発を容認していた(反対していたけど積極的に動かなかった)私たちの責任である。
私たちは加害者でもあった。

今や、東北の多くの人が難民のようになっている。
ハンセン病回復者差別・部落差別・沖縄差別・アイヌ差別・被災者差別
いつも加害者の側にいるんじゃないかと落ち込んでしまう。

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2011年06月13日

本橋成一さん写真展と講演会

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リバティ大阪

本橋監督とは、このところ縁が深い。といっても一方的な縁なのだが。

先日の映画「祝の島」は、監督は纐纈(はなぶさ)あやさんだが、プロデュースは本橋さん。「ナージャの村」「アレクセイと泉」そして、「ナミイと唄えば」は、本橋さんが監督した代表的な作品だ。

この3月14日に写真家でもある本橋さんが「屠場」という写真集を出した。
大阪の松原の屠畜場を写し取ったものである。その企画展と、ご本人と鎌田實さんとによる講演会がリバティ大阪で開かれる。

部落差別を考える機会をまた与えてくれるのだ。

企画展
「本橋成一写真展・屠場(とば)」
2011年6月21日(火)~8月28日(日)【会場】ガイダンスルーム2

以下は、リバティ大阪の企画内容を転記した。

屠場(とば)-そこは、私たちの日常生活と深く関わっている食肉生産の現場です。精肉や内臓など、私たちの食卓をいろどる肉の数々は、屠場での労働を通して加工されます。 かつて大阪の中部に位置していた松原市立屠畜場での作業に、カメラを向けた一人の写真家がいました。本橋成一です。本橋はレンズを通して、屠場で働く人びとの眼差しや細かな技を記録し続けました。 本展は、1970~80年代の屠場で、生き物の命に向きあう人びとの姿を通して、食文化の大切さと差別問題について考えようとするものです。

シンポジウム

「屠場の記憶と記録」
【日時】2011年7月23日(土)午後1時30分~4時
【会場】リバティホール
【シンポジスト】本橋成一(写真家)
【シンポジスト】鎌田慧(ルポライター)
【定員】275名(当日先着順)
【参加費】入館料のみ


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2011年04月14日

ひとつになる と 一色に染まるのは違う。

「がんばろう」があちこちで、渦巻いている。確かに、頑張っている、我慢している人々が計り知れなくらい日本という場所にいる。

海外からは、白地に赤のシンボルが応援メッセージとして届けられる。
嬉しいし、遠くの人々が想像力を働かせて、応援の仕方を考えてくれた素晴らしさはありがたく、心に響き伝わってくる。

けれど、911の後、アメリカじゅうにはためいた星条旗とものをいえない、異様なひとかたまりの人々の行動や思考を見ていて、異質なものに寛容になれない方向へ向かう危機感を感じた。

ひとつになって、異文化の人も、障がい者と言われてる人や、お年寄り、子供、大人みなが、わかりあいながら新しいものが生み出せれば素晴らしいと思う。

支援する側の人間が、おかしな方向へ、間違った方向へ引きずられないように、慎重に感情と向き合いたい。

支援とは、長期にわたり、地味につづけていくものだ。じっくり、行きたい。

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2011年02月27日

映画「祝の島」

纐纈(はなぶさ)あや監督による、ドキュメンタリー映画「祝の島」を観た。
http://www.hourinoshima.com/
祝島、上関原発計画に28年間反対している島としては、有名なところだと思う。

現況も、「祝島島民blog」で情報を発信している。鎌仲ひとも監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」でも祝島は取り上げられているが、原発というものを拒否する姿勢が至極まっとうなことを、島の人々から教えられる。

街の電気は、その街で作れば一番いい。と思う。
この祝島も電力の自給を探り「祝島 自然エネルギー100%プロジェクト」が発足した。

しかし、都会の電気エネルギーはどうやるか?沢山立ち並ぶ、ビルや家が全て発電所になればいい?原発によるエネルギー使用料は、全体の約23%らしい。
昨日の上映会では、太陽光市民発電所の計画が紹介された。自分の使う電力を自前で作る自給自足時代がそのうちやってくるのだろうか。

日本のエネルギー政策の補助金のなかで原発補助をやめるか減らすだけで、電力会社が原発を作ることが減っていくだろうと、講演で話されていた。

祝島のなごやかな、デモ行進。お互いに支えあっていくコミュニティー、自然と生きるということはそもそも、厳しい生活をしいられると自分達で痛いほどしっている島民が、その自然を選ぶ理由を考えたい。

原発のせいで、意見対立が生まれ、コミュニティーの破壊がおこって辛い思いもしている。お互いどっちも一緒なんだ。とおばあさんが言ってたな。

祝島の名産を購入もできます。http://www5d.biglobe.ne.jp/~jf-iwai/

「祝島島民の会からのお知らせ」サイトでは署名用紙がDLできる。
http://shimabito.net/yobikake.htm

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2011年01月21日

いのち

今年が始まってから、このひと月もあわただしく時が過ぎていった。
特に年末から年明けは、年が変わるという雰囲気ではなかった。連綿とつづく翌日が始まったように。

いのちについて考えることが多い。
1月17日の震災の日前後の報道やドキュメンタリーは例年と少し違う要素もあった。
震災16年のその後の人々の暮らしなど。
復興住宅借り上げ期限が切れる20年を前にして転居をせまられる高齢者の報道、震災後のケガの後遺障害に苦しむ人々を追うドキュメンタリーなど、震災の傷跡、爪の深さを思い知らせれる。

生き延びたけれど、あの日からがらっと変わった人生。

それは、病気でもいえることなのだと思う。

何故か、NHKでは「がん」に関する情報を取り上げていることが多いと思う。
民法のニュースの1コーナーでも、女性のがんは注目されていると感じる。
私のまわりが「がん」だらけなので必要以上に目や耳がそっちに反応しているのかもしれないが。

「がん」の情報を見るといのちを考えてしまう。
自分のいのちは、何事もなく維持され続けている。そう、翌日が必ず来るというような錯覚を持ちながら、今ひと時も何もしないまま過ぎ去ってしまうというように。
自分の体のなかには生命を維持するために本当にいろいろ働いているのだね。と感心もするし、たぶん体内労働者の中には、悪いものを作り出すやつも同居している。

こんなことを思うのも、また「がん」患者が身辺にあらわれたからだ。
サバイバルの見通しのたたない「がん」の状態から、看取りまで。また。
当人にとっては、生も一回、死も一回。医者にとっては毎日の出来事なのだろうが、がん患者の家族には患者と同等の配慮と情報、誠意が欲しいものです。他の重篤な病気でもそうだろうけれど、がんはあまりにもポピュラーなので、医者にとっては。

カンペイさんが、大阪に帰ってきたね。前立腺がんのサバイバーとして。
がんで逝った、清志朗の姿を思い出す。生き残るものへバトンを渡した人として。

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2010年10月21日

週末イベント

10月24日は、2つの関わりのあるイベントが開催される。

1、ワンコリアフェスティバル2010
  午前11時~午後5時 於:大阪城公園太陽の広場
  盛りだくさんのプログラム、多数の模擬店が出店します。
  http://hana.wwonekorea.com/
  
毎年行われている、盛大なお祭りです。今年は、ジンバブエの高橋さんのつながりで女性会の方と知り合いになりました。

2、平和のマブイ祭り
  第14回「平和のマブイまつり」
  10/24(日)11:00~15:00 ※入場無料、小雨決行
  場所:北大阪朝鮮初中級学校(阪急上新庄駅・地下鉄今里筋線瑞光4丁目駅下車)
  主催・問合せ:平和のマブイまつり実行委員会(06-6328-5969)
  協力:北大阪朝鮮初中級学校、北大阪朝鮮初中級学校を支える会(アプロハムケ北  大阪)
  
こちらも、実行委員が知り合いばかり。毎年顔出ししています。
今年はてじょんの二胡教室の生徒さんが出演します。私は伴奏者としてでます。
今年初めて、朝鮮初級学校校庭での開催です。身近でも存在を知らないことが多い朝鮮学校に足を運ぶのもいいのではないでしょうか。

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2010年09月13日

リレー・フォー・ライフ芦屋~歩いて歩いた~

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週末、がん患者(サバイバー)、家族、支援者などが「がん」を関わる人々が互いに孤独にならずに勇気をあたえられるように、お互いを語り合ったり、「がん」に対する啓発を行うイベントに参加した。

新聞記事
神戸新聞 http://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/0003425509.shtml
毎日新聞 http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20100905ddlk28040223000c.html

どうやって参加するかといえば、参加者は土曜日の夕方からリレーで夜通し歩き続ける。もう1つは、ランナーとして夜通し走り、走った周回によって募金を受け付けている。ABCの三代澤アナウンサーも昨年に続きチーム参加していた。(私は、お会いしなかったけれど。)

私も、歩いた歩いた、チームフラッグをもって、ちいさいチンドン太鼓を鳴らしながら友人達のリコーダーに合わせて楽しく歩き、休み、休み、歩き。

昨年は車椅子で参加していた、とても強い心をもっている美しいサバイバーの女性が天国に行ったと聞かされた、追悼の会の端っこで思いを聞いて共有させてもらった。彼女との一瞬のかかわり、すれ違いのような出会いの中でさえ、「残された人生を生きる」明るい言葉に本当に末期のがんでありながら美しく生きていた姿を見て、父にこんな風な人がいるんだと伝えたことを思い出す。その父も今は同じく天国に行った。

「がん」ほど、不思議なイキモノは知らない。自分の中で毎日生まれ変わる細胞の中で生まれる変なヤツ。いつか命まで奪う。
なので、がんが自分の体にいることを見つけたら、闘うのか、共に生きるのか、負け越して命を捕られるのか。どうなるか分からない。けれど、リレー・フォー・ライフで繋がった絆は延々つづく。この場所は、多くの人にとってとても重要な、居場所なんだと。

最後まで良く生きること。死んだらあっさりと儀式から開放され、土にまみれることが私の希望です。

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2010年08月08日

初盆といわれる日々。

仏教徒ではないので、この日に先祖が帰ってきてくれているのかわからない。
まだまだ、いっぱい思い出す時があるので、盆がどうであるとか関係ない。

儀礼的な、盆の風情は好きだけれど、いままで身近にそういうことはしてこなかった。

神社も好きでなく、寺もそう。文化財や自然物のような感じでとらえるときはありなのだけれど、自分の心を入れてその場に立つことはあまりなくなった。

前にナミイおばあが、語っていた言葉に「人は頭の上にカミサマのせてるから、カミサマを喜ばせないといかん」そんな風に・・・、先祖は私を守ってくれているので、喜ばせるようにしっかりと生きなければ、沢山歌わなければならないと、思い出す。

だから、供養は歌うこと、演奏すること。
大丈夫、それはいっつもやってるから。
きっと喜んでくれてると、勝手に思っておこう。

投稿者 pianocraft : 22:01 | コメント (0)

2010年07月07日

選挙です。

選挙が近いので、選択の基準の判断材料としてひとつ上げるとすると。

民法の改正に政党がどう回答しているか?

選択性夫婦別姓 永住外国人参政権 婚外子など。
2010年参議院選挙 民法改正に関する政党アンケートで比較してみる。
http://www.ne.jp/asahi/m/net/sangiinanketo2010.pdf

これで、その政党のカラーがよく見える。

個人の権利だけの問題でなく、社会の中で見えない圧力を感じている人間の思いは中々届かない。届かないのをいいことに、さらに見えなくしようとしているのは誰だ。

いまはやたらに、日本見直しキャンペーン、みたいな・・・喪失した(させられた)自信を取り戻そうというキャンペーンが貼られているような気がする。
口先にだまされないように、選びたいけれどね。

投稿者 pianocraft : 23:13 | コメント (0)

2010年06月04日

いろいろありすぎて・・・

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香港取材写真

3月のエントリーから早、3ヶ月近く経ってしまった。何たることかとも思いつつ、むしろブログを書く意味を失いかけていた。ま、それほど大したことではないのだけど。

3月のエントリーを書いた後、どたばたその一が始まった。香港から国際電話が掛かる。
突然英語の電話は、あわてたが、どうやら手作り楽器のことを聞いているらしい、でも詳細はさっぱりわからんので、とりあえず、英語で用件を聞き取るのは大変だからe-mail下さいとお願いした。
それからだ。だまされてるのか、ホントの話なのか分からないまま、メールのやりとりそしてまた、電話で、相手の本気度が伝わってきた。用件は香港のイースターイベントに手作りの楽器を展示したい、20点ほど送ってほしい。そして、取材を受けて欲しい。
ようするに、香港の大型ショッピングモールでイベントをして集客をしたい。そのために話題つくりで取材を受けて欲しいとのこと。てじょん一人分の航空券しか負担してくれないということだったので、では、いってらっしゃ~いと送り出した。

この間のやりとりのしんどさ。送る楽器は結局は30個くらいになった。
写真を取り直し、メールで送り、説明をし、プロフィールを送り、EMSでぎりぎりに楽器を送る。香港では、私はどうすればいいんじゃ~の状態で、てじょんは、ひたすら取材を受けて楽器を説明、音を出したりした3日間。
詳しくは、ピアノクラフトワークのサイトへどうぞ。http://www.pianocraftwork.com/hongkong.htm

やれやれ。帰国したてじょんと、4月の会期が終って帰ってきた楽器たち(おおむねガラクタのようだが)を見て一段落したら、身近なバイオレンスが待っていた。
これについて、書くわけにはいかないが、同時に沖縄へのバイオレンスにも心が痛んだ。本土の多くの人が、日米同盟を必要としていると思っているらしいのに本土には米軍基地は受け入れない。矛盾と差別と。
そして、今日。総理が変わっても、変わらない差別構造。まだ、終らない・・・んだ。

そんなこんなで、4月も5月もあっという間に過ぎた。

6月になり、もう来日しているがジンバブエのこどもたち「ジャナグル」のメンバーがコンサートで関西をまわる。
昨年、ひょんなことで知り合った、パワフルな女性、高橋朋子さんがジンバブエで子供達を音楽で支援をしている活動の一環で、来日公演を行う。HPで来日公演の楽しそうな、様子が書かれている。
詳しくはジャナグルHPで http://jenaguru.blog57.fc2.com/

☆茨木、高槻の動きはスタッフ仕事もさせていただきます。お時間のある方は、是非一度会場でお聞き下さい。すでにsoldoutのとこもありますので、お出かけの際は、会場へお問い合わせ下さい。

もう1つあった、アメリカからやってくる The Young Americansのメンバーのホストファミリーを頼まれてくれないかと連絡が来ている。ええい、ままよ。仕事と掛け持ちでできることならば、やってあげたい。HPhttp://www.jibunmirai.com/ya/

一年前は、ナミイおばあと一緒によく遊んだけれど、今年はなんやら若い人と縁があるようだ。ここのところ悪いこともあったが、面白いこともあるもんだね。

そんなわけで、いろいろあった~。まだ、ありつづけますが。

ジャナグルコンサート 関西の公演

      6.5(土) 兵庫 養父市八鹿公民館 pm1:00~3:00/
          神戸 プラネットEarth  pm6:00~7:00 売り切れ
      6.6 (日)大阪 千里中央せんちゅパル広場 pm2:00~4:00
     http://www.senrichuou.com/event/janaguru.html
      6.7(月)大阪 茨木市立男女共生センターローズWAM am10:00~11:30
          高槻市春日老人福祉センターpm2:00~2:30
      6.8 (火) 兵庫 高砂市中立筋中学校 am11:00~12:20
      6.9 (水) 大阪 高槻市立西大冠小学校/
           大阪府立母子保健総合医療センターpm3:30~4:00 
      6.10 (木)大阪 大阪国際大学 pm12:00~
      6.11 (金)兵庫 神戸 正英幼稚園 am10:00~11:00 am12:00~pm1:00
      6.12 (土) 兵庫 佐用郡佐用町 上月文化会館
      6.13 (日)大阪 東成区民ホール pm2:00~3:30 

投稿者 pianocraft : 21:28 | コメント (0)

2010年02月08日

黄ちゃんの物語

韓国に住む黄ちゃんは、私たち家族の友人だ。

黄ちゃんと知り合ったのは、相方が神戸の長田区で震災後のボランティアとして、高齢者の給食サービスを仮設の施設で行っていたところで同じくボランティアとして動いていた黄ちゃんと意気投合したことが始まりだ。

神戸に来る前は東京の方で何かしていたらしい(詳しくは知らない)、けれど大きな災害があったと知って神戸に飛んできた、韓国人青年だった。長田区は、在日コリアンの多く住むところでもある。コリアボランティア協会とのかかわりで知ったボランティア先だった。

ここでのボランティアは結構長く続いていた。ところが、ある日彼は急に捕らえられた。私たちは知らなかったが、オーバーステイだったのだ。
都島の大阪入国管理局で拘留されてしまう。まわりのボランティア団体や仲間からも、彼の献身的な神戸での生活を申し入れて、情状酌量の余地はないものかと画策したが、悪い印象こそもたれなかったが、強制送還されてしまうこととなった。

その後、今までずっと彼と交流があり、韓国に行けば会うことはできる。
彼は、韓国でも高齢者のための給食サービスでボランティアをしたり、障がいを持った子供やお年寄りの施設でも働いた。韓国に私たちが行けば、そういうところを案内してもらって、小さな歌の会を持たせてもらったり、皿洗いのボランティアをしたり、街頭で募金活動をしようとストリートで歌う計画をしてくれたりと、旅では味わえないかかわりをコーディネイトしてくれる。とても優しい人間だ。

韓国は学歴社会でもある。極度な受験戦争で、よりレベルの高い大学へ入らないと、就職の口がない。最近では、大学を出ただけでは仕事がないらしい。そんな国で、大学もでていない黄ちゃんは、心優しい人間だけれど、仕事は建築労働などで不安定な暮らしをしている。また、敬虔なクリスチャンだけれど、教会のもつ閉鎖性は嫌い。
そして、私たちが韓国に行ったとき感じたのは、少し裕福で高学歴なクリスチャンの人たちは、彼を良い目でみなかったということ。寂しいことです。

その彼が、先週急に船で福岡にやってきた・・・らしい。私たちに何も知らせてなかった。
だが、留守電に入っていたくらい声。「入国拒否で帰らされました。」
何故、誰にも相談しないでたった一人、やってきたの~~!と周辺の友人達は驚いた。
ネットで調べたけれど、強制送還された人は、再入国不可の年数は5年とか年限は書かれていても、実際はかなり難しいらしいこと。私たちは、軽く「もう来れるん違うん!」と言っていたけど。実際はそうではないらしい。もう10年も過ぎたのにね。

あらためて、彼から今日連絡が来た。意外と元気そう。
本当は100万ウオンで、飛行機で日本に行こうと思ったけど、船だったら50万ウオンでいけるから、50万ウオンをハイチに寄付しようと思って・・・。
なんてやつだ!

この秋には彼に会う。それまで友人たちと色んな音楽を仕込んで、韓国のまだ見ぬ方々に披露する準備をしている。ハングルの歌、日本の歌、二胡、三線。ゴスペルもね。
本当に、待っていてね。

投稿者 pianocraft : 21:46 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月02日

沖縄の昔・今

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高等学校の教科書 1997年版

ウチにあった、「高等学校 琉球・沖縄史 1997年版」実は、長いこと読まずに持っていただけのものであった。沖縄が急激に自分の中で大きな魅力となったのは、さんざん書いているナミイおばあのおかげなのだが、知れば知るほど魅力のある場所である。

この本は、沖縄・八重山・宮古の歴史を所謂歴史教科書として書かれている本なのだが、とても面白い。黒船時代にやってきたイギリス人の見た沖縄の人々の記述など、最高に面白い読み物になっている。私は日本史も世界史も高校のときはさほど興味がなかったのだけれど、大人になれば面白みが増える。

例えば、イギリス人バジル・ホールは、ティッシュペーパーについて沖縄のヒトとのやり取りをこう書いている。
 

アンニヤは、ときどき私に向かって、このハンカチを幾度も使って、それを一日中持ち歩くことは気持ちの悪い習慣だ。わたしたちのように、数枚の四角な懐紙をポケットに入れて、使用したら捨て去る習慣のほうがよいと思うと言うのだ。
 
日常生活のことや、英語の発音でできない音があるなど指摘しているが、それは現代日本人も一緒の「LとR」の問題だったようだ。人々に対しては好印象を持っていた。

この本は、歴史の本なので、神話のような創世記から現代に至るまでの流れが注釈とともに詳しく示されていて読みすすむのが楽しかった。こんな風に教科書を楽しんだことはかつてなかったけれど。

そして、現在。日米同盟に振り回される政府。振り回される政府のとばっちりを受けている沖縄の人々。普天間の海兵隊も辺野古の基地も要らない。
アメリカにそんなにも、反対を論じることもできないなんて、ドレイのような同盟。

ネオキの会 http://neokinokai.ti-da.net/ の「海兵隊はいらない」という例会の長~いレポートを読んでうなずきました。

投稿者 pianocraft : 21:26 | コメント (0) | トラックバック

2010年01月11日

故郷とは・・・

招待状を手に入れたので、大阪女学院の講演と映画のイベントに行ってきた。
講演のスピーカーは、今をときめく姜尚中氏と、大貫隆氏。そして、映画は「ガイサンシーと姉妹たち」を撮った班忠義監督の「チョンおばさんのクニ」。

午後1時に始まり、6時半まであった長丁場のイベントは、『和解への対話―東アジアに聴く・視る・識る』と題されたテーマで4年にわたり行われてきた連続講座の最終回だった。私は今回が始めての参加だったが、さすがに姜サマ人気で、大女のへールチャペルは満員だった。

今回は、「故郷」について姜さんは語る。
在日としての自分にとってのふるさとはどこにあるのか?という姜さんの自問。
今年出版される初のフィクション作品は自分の母を描いている。その母の生まれ故郷を30年ぶりに訪ねたときの驚きを語っていた。近代的に様変わりした母の故郷。その風景をみていて、本当の故郷と言うのは種をまいて、根をおろしたところにあるのではないか。という。不幸なことも幸せなこともあった日本での郷里がそうだという。
国家と言う宗教のような概念を超えて、ふるさとはあり、厳しい状況で強制連行された場所であっても、そこに根付いた時、そこが人のふるさとになるのではという話は納得がいった。そこに自分との和解があると。

私には、家族離散の経験がない、身近では在日の人以外にはそういう人を知らない。けれど、世界には色々な流浪の民がおり、古くはユダヤ人もそうだ。
私などのノーテンキな平和主義者が、国境なんて意味がないと言っていても、いつも少し気が引けていた。けれど、離散の経験を持つ家族がやはりそのように思うということを姜さんの思いを聴いて初めて知った。人は結局自分の居た場所を故郷・ふるさとと思うということ。

そして、もう一人のスピーカーは、「神の国」についての講義。久し振りに聖書勉強をした気分。でも、ある意味面白かった。ユダヤ人の当時のありようも。
ひとつだけ、あげるとユダヤ人はイエスキリストを死に追いやったけれど、その時に処刑する自らの法も権利もあたえられていなかったので、ローマ人のピラトに処刑を依頼するという形で十字架にかけたという。神に選ばれたユダヤ人は貧しく、何ももっていない、そんなものたちだから選ばれたというわけだ。

最後に観た映画。「チョンおばさんのクニ」は、まさに姜さんの言ったふるさとはどこか?といったテーマにばっちりあったドキュメンタリー作品だった。
日本の従軍慰安婦にされた韓国人のチョンおばさんは、中国に強制連行されていた。
そこで、ずっと後の人生を送り、子供も3人、孫も沢山に恵まれ中国で貧しく、苦しい生活だったけれどかけがえのない家族を得た。そのおばさんが、故郷の韓国を訪れたいと行って、肺がんで余命が5ヶ月とわかっていたが韓国の支援者のおかげで帰国する。
結局、そこで亡くなるのだが、遺言を中国の家族に残した。
私の遺骨はお父さんと一緒にしてほしい。と。
けれど、韓国の支援者は、遺骨を返さなかった。家族の切実な訴えにも韓国人として帰ったから、「遺骨に何の意味がある」と言い返されたりして・・・。
おばさんは、きっと中国に帰りたかったろうな。種をまいたところに。

いろいろ考えさせられた。
自分の立ち位置。クニという宗教あるいは、形のない概念。

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2009年09月26日

私の人生 何色だっけ?

またまた、知り合いのカラーセラピスト ただみよこさんのお宅にお邪魔した。

ホスピタリティ最高に豊かな、癒し空間のお宅でゆったり、まったりさせてもらってる上に、カラーのクリスタルキューブを使って「色んな時の自分」を探るたびに連れていってもらった。

幼稚園時代の自分、小学校低学年、高学年、中学生、高校生、大学生以降は、年齢によって10年ずつ区切ってキューブを積み上げた。
今まで、長く振り返ったことのない時代をもう一度思い起こすと、一番その時代に印象的だったことが何かを思い出してくる。結構、色んな気持ちで周りの社会と関わってきたな~と、割と変化している自分を発見する。

なるほど、このキューブ、私の人生なんだ。自分が感じる、自分の人生。

次に、多田さんはこう言った、これからの人生も選んでみて・・と。
今から先のほうが、低くなるキューブの積み上げも、選んだ色は、いままでにない傾向の色だった。それって、さらに楽しく生きたいという思いが丸出しだったのだ。

明日、どうなるかわからん。からね。
いい色選びましょ。

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2009年09月05日

リレーフォーライフ 2009 芦屋

去年は、友人の報告だけ聞いていた、リレー・フォー・ライフ
がんを闘う人や家族、支援者が、夜を越えて歩きつづける。チャリティーが目的だが、
がんを闘うための連帯を呼びかけるものでもある。

私もがん家系とはいえ、今年の初めに身近な人間をがんで奪われた。
今年は、一緒に参加して、友人やいろんな人と交流したいと思う。

本当に、身近に多くの女性のがん患者がいる。サバイバーとしてがんばっているが、でも治療に苦しんでいる人もいる。いつ、わが身かもわからない。
思いを込めて。歩いてみよう。

開催日時は以下のとおり。
リレー・フォー・ライフ 2009 芦屋のHPは、
http://ashiya.rfl-jp.net/top.php

● 日時:2009年9月12日(土)17時~13日(日)10時
● 場所:芦屋市総合公園(陸上競技場周辺)→会場地図/交通案内
● 主催:リレー・フォー・ライフ関西実行委員会/日本対がん協会
● 後援: 厚生労働省/ 兵庫県/ 芦屋市/ 姫路市
      / 兵庫県医師会/ 芦屋市医師会/ 芦屋市教育委員会
      / 特定非営利法人芦屋市体育協会
● 支援:アメリカ対がん協会
● 協力:特定非営利法人芦屋市民まつり協議会/市立芦屋病院
      /特定非営利法人芦屋サッカークラブ/芦屋市商工会
      /芦屋市サッカー協会、ほか芦屋市各種団体

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2009年08月21日

方言

八重山に行ってから、googleリーダーに「八重山毎日新聞」を登録している。
大阪ではまったく報道されない、島の生活が垣間見れて楽しかったり、心配したりしてる。

八重山方言の記事を2つご紹介

8月1日八重山毎日新聞 オンラインから
「スマムニ」でラジオ体操 方言継承で新川字会が取り入れ

「ウディ ユ マイカラ ウヤァービカイ アギィ ヌバショーリ ハイ!(腕を前から上にあげて、大きく背伸びの運動)」。今年の夏、スマムニ(島言葉)の掛け声を使ったラジオ体操が石垣中運動場で行われている。標準語の掛け声を新川字会(上唐利夫会長)が島言葉に翻訳したもので、新川地区の2町内と5町内の子どもたちが毎朝元気に体操している。
 以下省略

ラジオ体操の掛け声も方言だ。

八重山の人々は、言葉の継承を大切にしてる。こんな記事もあった~~。

八重山毎日新聞オンラインから引用
8月19日 「新聞記事に載った言葉のことで、読者から」

新聞記事に載った方言のことで、読者からよく指摘の声がある。先日も、男性の読者から「あれは沖縄方言だから、八重山方言にしたほうがいいのでは」という意見が寄せられた▼この男性が言うには、くいしんぼうを意味する「ガチマヤー」や「シーサー」(獅子)は沖縄方言なので、地元新聞では八重山方言の「ファイダマ」や「シィーシィ」とした方が適切ではないですかという指摘。(中略)このように八重山ではなぜか、沖縄方言が先行して一般的に使われていることが多い。沖縄八重山文化研究会顧問で八重山方言辞典の著者、宮城信勇さんにこういう傾向についてお話すると、「新聞社が正しい八重山方言を使用しないと、八重山方言が乱れてしまう。新聞が模範を示すべきだ」と叱咤(しった)された▼習慣とは怖いもので、誰も異論を唱えずに使えば、当然のことのようになってしまう▼スマムニという立派な八重山方言があるのだから、誤りは正さなければと思う。(南風原英和)

9月の石垣市議会も方言で発言するらしい。9月18日が「しまくとぅばの日」というのにあわせて。

私は、沖縄の那覇で、ナミイおばあのコンサートを聞いたけど、MCが方言でまったくわからなくて悔しい思いをした。大阪に帰って、少しは言葉のわかる沖縄出身の友人にMDを聞いてもらったら、やっぱりわからなかった~~~。
けれど、そういう言葉だからこそTVから流れる、「標準語」という言葉で変容しないようにおじい、おばあが頑張ってほしいと思う。

歌の中にも沢山古くから使われてる言葉ある。辞書が欲しいな。八重山方言の。
沖縄方言の辞典のなかには載ってるらしいけど・・・・・。

また、追加記事が載っていた。

八重山毎日新聞 「八重山言葉音ライブラリーを」
>たたかわねば言語は死んでいく

この気持ち。切実だ。
ライブラリーは、あれば嬉しい。

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2009年06月09日

アシリ・レラさんの「カムイ・ユーカラ」

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高槻で語る アシリ・レラさん

先日の土曜日、6月6日、高槻市でアシリ・レラさんの講演会があった。
昨年、相方のてじょんが友人達と訪れた二風谷のレラさんのフリースクール。そこで、交流をして、それがきっかけで高槻市の講演会が実現した。

講演といっても、静かに、落とされた照明の中で「カムイユーカラ」神謡をいくつも語ってくれた。
アイヌの文化は口承で伝えられてきた、動物が主人公であったり、人であったり、色んな教訓や、アイヌの人たちの歴史をユーカラで語っていく。

目を閉じて聞いて欲しい。レラさんは言った。
もうずいぶん長いこと、誰かにお話を語ってもらって、静かに聞き入った時間を忘れていた。
自分が、絵本を読み聞かせた記憶はあるのだけど、でも、レラさんの声を聞いていると、安らかになる。
こんなに静かに声を感じることが新鮮だった。

神の話。アイヌの人々は、自然のもの、生きているものの命をいただいている人間が自然からモノを奪いすぎないように教訓も語る。謙虚に自然と生きている。私達の傲慢をふりかえることができる。

命をいただくときは、感謝する。
さっきまで、生きておったのだよ。そのイキモノにも、親があり子がある。
大切にいただき、感謝しよう。

もっと沢山のお話を聞きたいとも思った。
「アイヌ神謡集」知里幸恵さんの著書もある。読んでみようか・・・

でも、聖地 二風谷へ行くのが一番なのだけど。

南の島のカミサマと北の大地のカミサマ。
色んなカミサマを知ることになったが、人は他の命を奪わないと生きていけないのだから、祈りをささげて命のあったものに感謝しなくてはならないだろう。

映画「おくりびと」でもでてくる、山崎努のセリフもそうだった。命を奪って生きる人間。植物は別だけどね。とおいしそうに、白子を食べるシーン。死者を扱うから、汚らわしいという身勝手な人間。
命に感謝することは、生きている残されたもののための大事な儀式でもある。

単に、スピリチャル的な、わけのわからん予言のような、うわついた感覚だけが好まれることも多いけれど、本当はカミサマや神聖さというのは、生々しい「生」の中にあるというように思う。
もっと、じかに生き死にかかわっていること。

人が、宗教を選んだために、寛容をわすれることだけはして欲しくない。自分の生を戒めるならばなおのこと。


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2009年05月22日

ナミイに出会う旅 2

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八重山平和祈念館

さて、石垣島で訪ねたかったところ。
沖縄本島には米軍基地がありすぎ、その辺を今回は巡ることはできなかったが、浪さんの住む八重山、素晴らしい海の色と、芸能の島。ここでは、映画から知った、戦争で苦しんだ八重山の人々の思いを知ることができるところを訪れたい。と思った。

八重山の人々は、沖縄戦の頃、日本から兵隊がやってきて強制疎開をさせられた。
その場所は、マラリアが蔓延する山だったので、爆撃などで亡くなった方々よりも、マラリアで亡くなった方々が圧倒的に多い。薬のキニーネも手に入らず、高熱、衰弱して亡くなっていった。
軍隊は、やっぱり国民を守らなかった。国体をまもるだけ。

史跡や戦跡や碑を調べていたのだが、中々そこがどこか?はネットでも分からない。
島についた翌朝、市役所に行って、観光課などがそういう資料をもっていないか聞いてみた。
そうすると、教育委員会の文化課へ行ってくださいといわれた。
そこは映画に出てくるおばあのカレシ、八重山の唄の名人でもあり、沖縄の郷土史、戦史に詳しい大田さんが勤務する場所である。

私は、この旅行のために「八重山の戦後史」という大田さん著の本を読んでいた。が、もう一冊、「八重山の戦争」という、戦跡をガイドした本を書いておられるのを知っていたが、大阪では手に入らず、図書館検索でもなし。石垣市の図書館にはあるのだが、来たら買おうと思っていた。この当たりの件で、実は思い切って、大田さんに4月に手紙を書いていた。お返事ももらっていて、ちょうど私達の旅の日程の間石垣を離れておられるということだった。

だが、職場を思いがけず訪問することになり、なんだか申し訳なかったのだけれど、文化課の人には親切にしていただき、年に1回大田さんが案内する「戦跡めぐり」という教育委員会主催の行事の資料をいくつか頂くことができた。でも、場所はわかりにくいのでいけるところではないとは、伺った。

そこでも、人の縁をひとつ結びつつ、車を動かして石垣島を一周した。
旅は、まだ続いたし、順調だった。

石垣島で私がもっとも心を動かされたのは、御嶽を見たこと、感じたこと。
小さい、木がこんもりした、ひっそりとした場所がそこだ。深い信仰と神聖な、空間。
祈りの場所。入り口には鳥居がたてられているが、それは日本の皇民化政策によって行われたものだ。けれど、それも取り外すことなく、だけど神道でもない。
まだまだ、知らないことばかりだ。けれど、沖縄病というのがあるらしい。私の人生これから、何度か足を踏み入れることになるかもしれない、南の国。

投稿者 pianocraft : 22:39 | コメント (0)

ナミイに出会う旅 1

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大阪・京都での浪さんのコンサートチラシ

気がつけば、5月はもう終わりに近づこうとしている。インフルエンザのおかげで、ヒステリックな空気がニュースからただよう。

5月はどどっと、連休から始まった。その頃、私は連休明けからの旅の準備をしており、心の中は旅のことでいっぱいだった。

そして、5月9日から、那覇~石垣島へと旅にでた。
そもそも、この旅には大きなテーマがあった。5月10日母の日、那覇の桜坂劇場でナミイさんの映画・ライブとお話の会があることを知り、4月に行くことを決意した。ナミイさんのことは、映画「ナミイと唄えば」で、おばあの魅力にとりつかれ、本、DVDは、もちろんのこと、CD、プライベート録音の私宛のカセットテープ録音(おばあ自身による宅録)と手に入れ、ホントのお座敷を見たいな~~、一緒に遊びたいな~とずっと思いがつのり、ようやくたどり着いた旅だった。

初めての沖縄だけれど、行くならばナミイの人生に触れた場所(映画に登場する)を訪れてみようと思った。
那覇では、9歳で辻に売られ、三線をたたきこまれた辛い日々から逃げたいと、崖に行き、そのままころんと落ちて死ねたらと思ったその場所。波の上宮。崖に立っている大きな神社だった。となりには、対馬丸記念館がある。そこで、カミサマに助けられた小さいナミイ。私と友人の二人も「よくぞ、ナミイを助けてくださいました」とお礼のお参りをしてこの旅はスタートした。

波の上神社の裾野に広がるラブホテル街、辻の町に程近いという。
その後時間の許す限り、レンタカーを飛ばして(沖縄では、飛ばしてはイケマセン。ゆっくり走ってる車もちょくちょくあるので、流れにまかせます。)平和祈念公園へ行き、祈る。

午後、国際通りから一本入ったところにある桜坂劇場。何だか、開演前なのに人がたむろしてる。
凄いな~おばあは有名人だ。この映画が公開されて、二年ほどたつのでおばあは89歳になっている。
さて、どんな声を聞かせてくれるのか、楽しみでしかたなかった。

映画が先に上映され、新城浪さんが登場!! 一番前のかぶりつきに陣取れた私達は幸せ。
表情、カタカナの歌詞ノート、声、三線の手。すべて見える。
映画でみたときと、全く変わらない艶のある声と、するどい三線さばきに感動した。来てよかった~

ライブ後のインタビューコーナーで聞いてみた。「大阪にきてくださいとお願いしたら、来ていただけますか?」「・・・・来月、行くことになってたんじゃないかな~、そういうのは娘がみんなしてるんで」

「えっ!!来月、いつ、いつ、どこ?」と聞くと、娘さん「あ~今、予定を持ってないので」とのこと。
終演後、浪さんの娘さんに聞いてみた。分からないから、私まで連絡します。と・・・。嬉しい、連絡くれるんだ。板三線にサインをしっかりもらい、また来月お会いしましょうと言って分かれた。
私達は、夕方の便で石垣島へ飛ぶ。

その時、ある男性から声をかけられた。
「大阪の学校のときの・・・」「えっ~!調律学校の同期の〇〇君!?」
何でこんなとこに・・・。彼は、大阪で調律を学び、地元へ帰り、その後ドイツでピアノの修行をしてその後石垣島で5年暮らし、今は那覇で陶芸作家になっていた。これまた数奇な人生だが、その奥様が浪さんが石垣で通うデイサービスの元職員さんで、浪さんのお友達だった。ステージで被る花帽子は、彼女が作ったものだったし。

1つの縁が、もう1つの縁に次々繋がっていく不思議を感じて、大急ぎで挨拶をすませ、那覇空港へ向かった。(続く)

投稿者 pianocraft : 21:53 | コメント (2) | トラックバック

2009年03月23日

コミックに見た、食と命

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五十嵐大介 作 「リトルフォレスト」

音楽繋がりの友人にふと借りたコミックは、五十嵐大介という漫画家のものだった。私は、コミックには疎く、この人がとても評価の高い作家と知ったのは、借りた本をみんな読んでから、「どういう人なんや?」と疑問をもって、ネットでチェックしてから・・・。

これは、田舎暮らしの中で自給自足をする主人公の生活ぶりを描いているものなのだが、そこに毎回登場する食べ物、季節ごとのその土地で食べられている料理や保存食のレシピも見事だが、農業と言うのがどういう苦労を連綿とつづけられた上に成り立ち、私達の食を担っているのかといった部分をしっかりと描いていることにも驚いた。作者は、3年ほど岩手県に実際に田舎暮らしの自給自足を行っていて、自分で実際につくっているらしい食べ物の写真を載せている。

この物語では、田舎の生活というものが、人間の都合ではなく自然の都合に合わせて成り立っていることを感じさせてくれる。けれど、農業そのものは、人間が自然の中に入って行っている、不自然な作業であるともいえる。耕作しない状態が自然なのだから。

中でも、命を頂くという行為についてもちゃんと描かれていて感心した。例えば、アイガモ農法について。これが、農薬を使わない農法として行われていることは、私も実体験でしってる。丹波篠山で畑遊びをしていたころ、有機農法を行う知り合いの田んぼでよく子供と見てた。アイガモが行ったりきたりして、子供達はそれを見て喜んでたもの。けれど、そのアイガモはいつかは、フレンチのお店に行くのもしってた。

「リトルフォレスト」では、そのアイガモをつぶすところも描いている。つぶして、ちゃんと美味しく食べる。
命を奪うことが、私達の命をつないでいる。私達は見えないところで誰かが代わりをしてくれているから、見ないでいるだけだ。農家の生活は、命を育てるのにとても労力をかけている分、もったいないところがないようにちゃんと最後まで使いこなす。

分かっているけれど、街の暮らしでは見えないことが多い、というか、自分の身の回りだってみえてないだろうけど、日本の国で酷い目にあってる例えば岩国の人とか、沖縄の人とか、六ヶ所の人とかその土地のこともできるだけ、知ろうとしたい。

さて、私はというと昨夜、漬けておいた大豆を煮て、つぶし、去年仕込んだみそが簡単な上になかなか良い仕上がりだったので今年も仕込んだ。夏を経て、秋口にようやく食卓に上げることができるみそ。
大豆と塩とこうじ。コレだけ。不思議なもんだ。

そうそう、借りたコミックのもう1つは、同じ作家の「魔女」というやつだった。
こちらは、不思議な話なのだけれど、人の作った身勝手な「信仰」というとらえかたが、なかなかのものだった。しかし、「自然」というものに繋がる世界観は共通テーマか・・・とも思った。
食べ物の好きな人は、「リトルフォレスト」は面白いと思います。


投稿者 pianocraft : 01:18 | コメント (2) | トラックバック

2009年01月26日

「カムイ伝講義」を読んだ

kamui.jpg「カムイ伝講義」田中優子 著

在日韓国・朝鮮人の歴史、韓国の現代史、アイヌの歴史、そして、部落問題については、ずっと気にかけているテーマ。そして、人の中にある宗教・信仰の問題なども私のアンテナは強力に反応する。

そんな中、「カムイ伝講義」という本があることを、著者の田中優子さんがラジオでしゃべっているのを聞いて知った。そもそも「カムイ伝」すら、名前はしっていてもどんな劇画かは知らなかったので、その話を聞いているととても読みたくなった。

江戸研究の田中さんは、テレビでも和装のコメンテイターとしてよくお見かけする。
法政大学で、「カムイ伝」を題材にいろんな江戸の下層の人々の観点からテーマを抽出し分析し、補完した講義をされていて、それを編集したものがこの本だった。
WEBでも読むことができる。 小学館のサイトhttp://kamui.shogakukan.co.jp/kamui/2005/09/post_2.html

江戸時代の身分制度がいかなるものであったかというのは、最近ではいろんな本もでていて、時代劇と実際がずいぶん違うものであることを感じはしていたが、カムイ伝を通した分析では、農民の生きる力、技術、知識、権力に抗するパワーなど圧倒的で、武士は刀をもって人を切ったりすることはまれであったり、下層身分の人達が実は重要な働きで江戸時代の合理的な経済システムを支えていたことなどがあきらかにされ驚く。武士の姿は藤沢周平さんの小説にでてくるような下級武士の苦しい生活が多くの武士の生活であることなどもようやく、知るようになった。

だから、現代日本人が「サムライ」といきまくのは、何だかこっけいだ。

江戸時代の職業について詳しく書かれているところも、とても面白かった。
知らなかった、山丈は、絵本にでてくる「山男」のことだったり、いろんな職能をもった人物が紹介されている。医者になった人物は、もともと処刑の仕事にいた人間だったり、動物をさばくのが上手だったりで勉強のすえ、外科手術をし、人を助け、一揆を率いていくなどダイナミックだ。

是非、「カムイ伝」「カムイ外伝」を読んでみよう。

現代では、自分の生活は、他人がすべてしてくれていた上で、お金と交換に手に入れているにすぎない。買ったものが作られて、あるいは、さばかれて、自分の口にはいったり、生活を彩ってくれるその結果の部分だけを享受している。しかも、それは、今では多くは日本の外からやってくる。
そんな生活の危うさ、生の弱々しさを江戸の時代のダイナミックな生き方を知ることで、考えるヒントをもらえる。グローバル経済のままでよいのか?すでに破綻した世界を一から見直すときに、それぞれが自立して生きる力を持つということが重要に思えてきた。

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2009年01月15日

グローバル企業はどうかと思うけど・・・

年末は、最後まで仕事が入ったりして、大ぶ手抜きの大掃除だったが、ある事情で部屋の模様替えを余儀なくされた。
特に家具は増やしたくないと思っていたが、収納の問題があり思い切ってワードローブを購入した。

IKEAで、買った組み立て家具だ。IKEAで実物を見てなんとかなるだろうと、最後の商品棚でピックアップするのだが、その時にその重さと大きさに驚いた。
確かにワードローブは大きい、191cmのたっぱがあるから、パーツも大きいと思ってはいたが、梱包2つの合計の重さは93kgもあった。もちろん、配送を頼んだのだが、設置する場所は2階だし、配送の人がちゃんと運んでくれるかも心配したが、ちゃんと2階の和室に届けてくれた。

IKEAは、グローバル企業だ。日本のイオングループだって、世界のグローバル企業のstoresのランキングでも21位だし、ヤマダ電機しかり、Amazonも、イズミヤも、ダイエーもそう。コストコももちろん。
そういうところでお買い物を全くしないという生活は、なかなか考えにくい。けれど、一方で地産地消や
輸入ならば、フェアトレードでと自分の生活の中のほんの少しは、意識して買い物する。
そんな思いを常にはおもいながら、今、イスラエル支援企業をボイコットしようという声も聞こえてくる。

それは、マクドナルドやスタバなどなので、なくても全然差し支えない。むしろ、必要としてない。
ボイコットも個人ができる意思表示だが、逆にパレスチナオリーブなどのフェアトレードを盛んにアピールしたり、積極的に買うという意思表示も大事なように思う。

例のワードローブの組み立てについて、話をもどすと。
和室一杯に、梱包を解いた板を並べる。組み立ての説明は、注意書き以外は全て、絵のみの表示となっている。ユニバーサルデザインらしく、全世界で共通の絵。ただし、もう少し、ねじや金具のところなど、絵の拡大が欲しいか。私は、木工が好きだし、以前も机もイスも自作しているので、パーツの組み立て自体は簡単だった。安いものを購入したので、それなりの材であったが、この際本当に大掃除して、ついでに家具を地震対策のためにすべてL型金具でとめた。久し振りに工作をしていて楽しかった。
気分転換になった。

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2008年12月24日

寒空のクリスマス

クリスマスイブだというのに・・・・と言っても、特別に、ことさらに、例年過ごすわけではないのだが。
かつて、ゴスペルクアイアに所属していたときは、シーズン真っ只中で、歌うことに忙しかった。
昨日は、そんなかつての仲間のコンサートにも行ってみた。

けれど、クリスマスは職を得ている人達だけのもののようだ。

報道ステーションの「貧困ネットワーク」電話無料相談の取材を見ていて、そう思った。
毎日、このテーマは、朝も昼も夜も繰り返し報道されている。けれど、実際に寝る場所を追い出された人達が苦しんでいるのを救う手立ては私には今ない。

企業の残酷な雇い止めで、かつての膨大な会社の利益に貢献した人々を捨ててしまった。
寒空に、安らぎを得る、住まいを、人から奪うな!

夕方、自転車に乗った若い父親が、タオルの鉢巻で一生懸命自転車をこいでいた。
右には、クリスマスケーキが、左には幼児が押す車のおもちゃの箱がぶら下がっていた。
そんな、小さな家庭の、温かい、愛情のあるお家にみんなが何で帰ることができないんだ。

この国の、資本家と政治家が言い放った「自己責任」は、あなたたちの方にある。業績悪化の責任を自分で取りなさい。

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2008年12月12日

がんという病気

周りで、たくさん「がん」と闘っている人がいる。
そう知ったのは、確かに多くの人が闘病していることをしっているからだし、がんリレーウオークをがんばった友人がいるせいでもあるが。

しかし、また、身内の一人が、最近、その病との闘いに挑み始めた。

がん細胞というのは、増殖が速いという。しかも、正常細胞を壊しながら増殖するので、生命を維持する働きを奪っていく。

多くの情報を目にした。
目を通しても、治療の副作用の痛みは想像できない。
けれど、治療が安定したら、きっと自分の人生を大切に生きることを、時をいつくしむことを知るのだろう。

期限付きの人生を私も考える。
死ぬまで、いかに生きるか。
しばらく死闘を繰り返さないといけないけれど・・・生存者となって、満足のいく人生を再スタートさせて欲しい。

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2008年11月20日

痛みの記憶

昨夜、NHKTVの「ためしてがってん」で、「痛み」についての新しい情報を知った。

私も、あちこち痛みを抱える父を見ていたので、「どういうこと?」と興味をもった。

人間の体の「痛み」は、サインであると、感じないととても大変なことである。という前振りがあった。
ある少女は子供のときから「痛み」を感じることができず、不自然に腕や足を曲げてしまい、何度も骨折を経験している。今もなお、その病に苦しんでいる。けれど、痛みは、つらい。
原因がわかっていても辛いが、わけがわからない痛みに苦しむ人もいる。

今回は、傷などが完治していたり、直接原因がないという「痛み」についてだった。
その痛みは、脳に記憶されていることから、過剰に反応しておこるという。
脳の錯覚というか、間違った指令なのだが、人間は強い痛みの記憶があると、記憶が蓄積され防衛のために「痛い」という信号を送ってしまうという。

人間は、やっぱり「まどわされて」生きているのだな。と思ってしまう。
PTSDなども最たるものだろう。
イラク帰還兵たちの苦しさもまた、「悲鳴」をあげつづける心との闘いをつづけること。アメリカ政府がどんどん足らない兵を増やすとともに、彼らの「壊れた信号」が渦巻いていく。
アメリカだけではない。
日本の自衛隊の中でも、戦地に行かなくても自殺する人の多さ。人を人が傷つけたり、殺す訓練は、敵も味方もなく、人と人の関係を壊していくようにしか思えない。

私が見ているものも、「脳」が見せているもの。信仰も「脳」が作り出すカリスマ。
自分がありもしない痛みに悩んでるなら、お化け退治をしようと思うけれど、ありもしない歴史や、だまそうとする政治には、疑り深くなくちゃな。とは思っている。

投稿者 pianocraft : 22:47 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月08日

がんサバイバーと筑紫哲也さん

昨夜、NHKの番組で「輝け 命のリレー」と題した番組が放送された。
実は、友人もこのリレーウオークに関わっていて放送を教えてもらったのだった。

「がん」とういう病気は、いつも死をイメージさせる、私の血縁者だって2人がんに侵された。私もいずれはそうなるかもしれないと、ずっと思ってきた。最近になって、私も年を重ねてきたせいか、がんと闘う人が近しい人で何人もいる。とても多い病気なのだ、しかも今では、サバイバーの方も沢山いらっしゃる。

直る病気として「がん」は、捉えられるようになった。けれど、闘病生活は、辛く、ご本人とごく近くにいない限りその苦しみがどういうものであるのか、理解はしずらい。「がん」に対する理解を広め、当事者には、生きる希望を持てる社会をつくるために、支援をしていこうというのが「リレーフォーライフ」だ。
実は、「リレーフォーライフ」もよくは知らなかったのだけれど、この番組がよく紹介している。
NHK大阪放送局のリンクから、放送した日本各地のリレーフォーライフのビデオ映像、HPをたどれるようになっている。

がんは、24時間眠らない、だから24時間リレーをしながら、歩きつないでいこう。
リレーフォーライフは、がん患者だけでなく、がんに取り組むお医者さんの支援も行っている。
みんなで、がんを考える。医者もよりよい医療でがんと闘う助けとなるように一緒になって取り組むという姿勢には、とても強い絆を感じた。来年は、是非一緒に歩いてみよう。

関西のリレーフォーライフは、芦屋で行われている。
リレーフォーライフ 2008芦屋 
http://rfljp.net/hp/ashiya/2008/

この番組をみながら、筑紫哲也さんのことを考えた。
私は、朝日ジャーナルから、筑紫さんの存在を良く知るようになった。その後、週刊金曜日の編集委員となっているが、新聞では、金曜日のことは触れられてないな。
忌野清志郎もがんと闘っている。筑紫さんとも交流がありショックだったとコメントが載っていた。

ブログ友達のりんさんの、コメントを思い出す。「よく生き。よく死ぬ。」とは・・・と。

一緒にやってるバンドのギタリストが、がんではないが、リューマチと闘う友人にかけた言葉を私は、忘れない。
「俺らこの年になってな、好きなことせんで何すんねん?」
リハビリもかねてギターをいつか手にしてほしい、そしたら一緒に音楽しようよ。と私も思う。

どんな病気になっても、サバイバーでいよう。そして、よく生きよう。時間が来るまで。

苦しみは、広く・薄く大きく広げて、いろんな人に持っていってもらおう。楽しいことは、うんと濃く、とことんやろう。

投稿者 pianocraft : 10:25 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月03日

音を通じて出会う。

私や相方の音楽とのかかわりは、以前と比べてウエートが大きくなってきている。

もちろん、仕事で関わる以外のことだ。けれど、相方の手作り楽器作りや演奏の教室は仕事になってしまったけれど。そうして、色んな形で、いろんなところで、音楽を披露させていただく場面で新しくしりあったり、出会う人が増えてきた。

ブログをかけていない時は、大概、楽器を練習しなくてはならない時間が多い時や、事務処理の用事がたまっているとき。10月も何だかあっというまに過ぎてしまった。
楽しく、障がいをもった人達と、音楽で遊ぶことができたし・・・。

我が友人でバンドのボーカル、MIKIは、木工職人でもあり、障がい者の人達のクラフト作業を手伝う仕事もしている。彼女の仕事場の施設でのライブが先月26日にあり、私は2回目の参加となった。
演奏したのは、70年代のロックのなかでも、歌詞の素晴らしいもの、ノリのいいものいろいろ取り混ぜた。施設の知的障がい者といわれる人達と一緒に楽しみ、Oh happy day という有名なゴスペル曲を一緒に歌ったりもした。
ごく一般的には、障がいを持った人たちに向けて演奏する時は、彼らの好みのアニメの曲や一般的な日本の有名曲を演奏することが多いとおもうけれど、私たちは違う。

彼らがMIKIの歌がすきなのだ。それが、70年代ロックであろうがなんであろうが、彼女の歌声にマッチした曲は、彼女のパフォーマンスそのものなので、きっと歌詞が英語でも音に込めた気持ちは届くのだろうと信じている。彼らは、ライブハウスに出演する時にも出向いてきてくれる。

例えば、老人施設で演奏に行く時も、いつも童謡やおんなじような音楽でも楽しいのだろうか?と考えるときがある。私は相方と一緒にいくときは、古いながらも好きな歌、笠木シズコやアレンジ替えしてしまった昔の歌謡曲など、自分たちが歌いたいもの、気持ちを込めて楽しめるものをしている。

そうやって、今年もいろんな人とであった。
ローカルエフエムにも出たし。
音楽をしていると、そうやってどんどん色んな世界の人とコミュニケーションをとる機会が増える。
アマチュアであるからこそ、人の間に気楽に入っていける音楽を、やれていることが、今はとても楽しい。

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2008年10月13日

色・いろいろ

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きれいなキューブ

このところ、コンサートに立て続けに行ったりする日が続いている。楽しい日々。
でも、昨夜は、久し振りにカラーカウンセリングをしてくれるただみよこさんのお宅におじゃまして、音楽つながりの仲間とカラーでいまの自分を見つめなおしてみた。

今回使用の道具は、写真のきれいな色のキューブ。
自分が選ぶ、今の自分自身の色、社会で使っている色、友達の色、家族の色など、いろんなイメージを色に変えて、並べてみる。キューブ独特の立体空間を使った並べ方は、仲間と一緒に体験するとそれぞれに相当異なった使い方ができるとわかる。

この時間は、悩みをカウンセリングしてもらうというよりは、あらためて人は、一人では生きていないということがつくづく判る時間だ。仲間や、家族に支えられ、自分にないものを補ってもらったり、自分では知らない働きをしていたりと、言葉以上に色が語るときがある。

人間は視覚情報に頼っている部分が大きいと聞く。確かに、音の刺激はダイレクトに脳に影響するので
記憶にとどまるけれど、日常の多くは「見る」ことから感じていくこと、考えること多いわけで、日常に何らかの色を加えたりすることで、気持ちが動くことも確かにあるなあと思ったりする。
この辺が、たださんを信頼するゆえん。たださんは、交流分析を基本にされているので、エゴグラムもみつつ、カラーで自分の潜在的な感覚もあわせてみて、しんどそうなところにアドバイスをくれたり、もう少し、自分が変化すればまわりとやりやすくなるよと、必ずプラスに転じる励ましをもらえる。

そして、何よりも素晴らしいのが、癒されるお部屋作りと人を迎えてくれる温かさを存分に感じさせてくれる心遣い。お料理もすごく美味しい。昨日は、がっつりとみんなで芋鍋と蒸し野菜(あ~~写真にとっておけばよかった)、栗ご飯をいただいた。食べて癒され、考えて、楽しむ。いい時間だったあ。

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2008年10月05日

リバティ大阪へいった。

「在日100年の歴史を後世へ」という企画で、集められた資料が展示されていたリバティ大阪へ、先日行ってきた。リバティ大阪には、久し振りに行ったのだが、以前行ったときと、常設展示も展示方法が変わっており、学生が学ぶために工夫を凝らしてあった。

今回の特別企画で、在日韓国朝鮮人と呼ばれる人々が、さまざまな理由で日本で、大阪で暮すことになったことを改めて知ったり、戦時中に差別、虐殺があったことなども当時の資料と共に知ることができた。

人が、人として生きていく中で、生き難さを感じさせる「差別」という壁を人が人に作ること。その原因となる小さな「芽」のように巣食う慣習・伝統・性や病気に対する感覚を知ることが大切と、展示ではたびたび啓発のアプローチを私たちに向かって行っている。

その中には、エイズやゲイについても同じようにコーナーが設けられており、おそらくうんと前にここを訪れたときには、気がつかなかった。いつも、気をつけて自分が「人の足を踏んでいないか?」と考えたり自分の感覚が「ぶれ」て、差別的になっていないかと考えてはいるけれど、「足を踏まれた」側の苦しさを思うときは、想像力を総動員してもなかなか自分には及ばないのではないかと感じる。

それでも、想像することをやめると感覚が麻痺することが恐ろしい。

「女人結界」の石碑が展示してあるのだが、それを前にすると力んでしまう。
怒りや悔しさが「ずしん」とおなかの中に塊を作り、しばらくそこにたたずんでしまう。そういう、拒否されるという感覚。自分の存在があからさまにはじかれるという感覚が自分にとっては痛みのセンサーだと思って、大切にとっておこう。
それを知っているだけで、想像の助けになる。実際は、生活に何の痛みもないのだけど、心にぽつんと
暗い影を感じる時の感覚は、多分わすれることはない。

「血」に対する恐怖がそうさせるとか・・いろいろ勝手な理屈があるが、人間は血の通ったものを頂いて(命をいただいて)生を継続させている。それを見ないように生きるという勝手な一方の人間のやり方。
そういうえば、膨らんだ市場原理主義も経済至上という、現実に人が人として営む生を感じさせない力で政治が動かされている現実を見ると、人は道をあやまっているとつくづく感じるな。

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2008年08月31日

相方の旅~二風谷~

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相方のてじょんが旅をしてきた。手話落語の楽笑さん、ピエロののりぴー、ネイティブアメリカンと7年間暮らしていた環境教育プランナーの岡本さんの4人で、二風谷のアシリ・レラさんのアイヌの子供たちのフリースクールへ訪問にいった。
この仲間は、よくつるんで、いろんな場所で芸を披露して喜んでもらいながら交流をしている。

私は残念ながら行けなかったけれど、いつかは訪れたい。また、彼女たちを大阪へ呼ぼうとたくらんでいる。

洞爺湖サミットにちなんで、7月には先住民族サミットを取りまとめたのもアイヌの人達だ。今年の6月に日本の議会でやっとのことで「日本の先住民族」と認められた。遅すぎる。しかも、今までの搾取してきたことに対する謝罪(オーストラリアの首相がアボリジニの人々に謝罪したように)もない。

環境問題もどこもかしこも取り上げているが、多くの先住民の人達は生活の糧として自然のめぐみと真正面から向かい合っている。そのために真の環境問題の重さを知っている。多くの生活を和人に奪われてきて、そのたびに自然を失ってきた。聖地とよばれる「二風谷」もダムの建設で大きく環境を変えられてしまった。

二風谷のアイヌの人達の村で、彼らは多くの旅人やヒッピーのように放浪する若者を共同生活の中に受け入れていると知った。アイヌモシリ1万年祭というものも毎年開かれていて、若い人達が1000人もテントを張って参加するという。
彼らのコミューンは解放的で、とても面白かったようだ。

そして最大のトピックスは、トラックで跳ね飛ばしてしまった子鹿をもらいうけたアイヌの青年が、レラさんたちのところに持ち込んで、宝物のように、解体し、みんなで恵みを喜んで、いのちをいただく祭礼にも
参加できたことだったようだ。
そこには、祈りがあり、命がある。
生まれてから死ぬまで、ちゃんと理にかなったやり過ごし方・・・というのも変だが。自然のサイクルの1つとして、人は時間の中にいることを知らせてくれるような生き方をしてみたいものだ。

いいなあ~と話を聞いていて思った。
旅をしたいところは、沢山あるけど、また1つ増えたな。
りんさんやKATEKさんが読んだ、「コタンの笛」きっと、行ってみたいと思うだろうなと思い書いてみました。

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2008年07月15日

夏はやってくるが

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家の玄関で羽化していたクマゼミ

梅雨も終わらないうちに、セミの声が聞こえだした。植木をばっさり夏バージョンにしたせいか、セミが玄関のコンクリートのところで羽化していた。
夏が楽しい思い出となったのはいつまでのことだろう。夏そのものの、開放的な明るさは、ラテンのような気分で嫌いではないけれど、今は、特にイベントなどの準備と消化にあっという間にバタバタ過ぎる。

私は、ライブが終わり、気が抜けているので、がんばって楽器のメンテナンスをする。
使っているNordは、シンセサイザーなのだが、鍵盤に重みがつけてあるのでデジタルピアノとしても使う。このたびのメンテナンスは、キーボードのOSのバージョンアップと音源の追加である。
この楽器のピアノの音はあまり、好みではなく、入っているGPのサンプリングがYAMAHAとSTAINWAYだったのだが、スタジオピアノとステージピアノに音が分かれていてどちらも、いまいち、抜けないしキラキラが足りないなど不満があった。それを、メーカーの日本代理店のサイトで新しいピアノの音をダウンロードし、入れ替えたり、OSそのものを入れ替えて、使える機能を増やしたり出きる。

キーボードとパソコンをUSBケーブルで接続して専用ソフトを使用すると簡単にできるのだが、購入して初めてのバージョンアップだったので、少し心配だった。けれど、もとのデータはCDがついていて、データを飛ばしても大丈夫なのだが・・・・。

無事にメンテナンスが終わり、新しいピアノ音はなかなか良い。プリセット音も増えたし、満足。
デジタル楽器はこういうところが便利だ。
アナログのピアノのよさは毎日、人様に宣伝しまくってるのであるが、でも、電子機械も好き。
かといって、電子分野が得意なわけではない。

さあて、電気を使うことは、発電のことを思うとあまりいい気分ではないが、エアコンは使っていないが(現時点)、環境のことを考えると、本当に矛盾だらけの生活をしていると反省しています。
排ガスを出し、パソコンにも楽器にも電気を使いと・・・・・

多分冒頭のセミも生きにくい世に出てきちゃうんだよね。ごめんよ。と思ってしまう。

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2008年06月26日

「族譜」を観た

原作 梶山季之 脚本・演出 ジェームス三木の「族譜」は、昭和15年の朝鮮・水原郡が舞台になっている。日本が占領していた時に、日本政府による「創氏改名」の政策が敷かれていた。

朝鮮の人々にとって、「族譜」は家計図というだけでなく、何百年もつづけて、世代から世代へその時の情勢が記されたりもしている。膨大な歴史を記録してあるという点で、歴史研究にも役立っていると聞く。そうやって守り続けてきた、朝鮮の人々の家族の名(ただ、朝鮮では男系のみが受け継がれるので
女性は、父親の姓を名乗り、「族譜」ではただ、女とかしか記されていないこともあるという。)が、日本風の名前に変えなくてはならない時に感ずる苦しみは、あまりにも重い。

日本政府は、戦況が悪化し兵隊の確保にも朝鮮の人を借り出す目的のためにも、朝鮮半島の人々を日本人並みに待遇を平等にすると嘯き、名前や言葉を奪った。

日本は、沖縄以外で植民地化したことはない。
言葉を奪われる、名前も奪われるという苦痛に対し実感が持てない。

そんな出来事を、当時の朝鮮でどのように行われていったか?どんな苦しみをあたえたか?をこの芝居は語っていく。
淡々と、しかし、強くわれわれに迫る訴えを重く感じた。
しかし、きちんと要所要所に丁寧な説明がくわえられており、理解がしやすいようになっている。

青年劇場の舞台は、「銃口」という舞台で韓国も多く公演している。そこでは、日本人がこのようなテーマを正面から取り扱って舞台を続けていることを高く評価されている。こうやって、民間ががんばって繋がりをもった人々と絆を大切にしたい。
政治ではなく、人と人としてかかわり、政治をも動かすことができればもっといいだろうけれど。

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2008年06月11日

トラウマの街

報道が、一色。血の色に一色。
これを観ると、心が痛くなる。

秋葉原の事件の影響は、おそらく多くのあそこに出かける人達、TV報道を見た人達にも深い傷を与えたように思う。
TVの報道は見ない。朝はワイドショーのチャンネルを替える。

あの事件のあと、ナイフのシーンのドラマは放送を中止したと新聞で見た。
当然だ。
私の友人もナイフで殺された。その後、ナイフの暴力シーンは見ない。観ることができない。
そのように、その場にいなくても充分に傷つく。報道は、それをもっと感染させるだろうと思う。
私も社会学を学んでいたが、センセーショナルな事件があると分析を試みる社会学者、心理学者、評論家または、無責任なTVコメンテイターがいるけれど、事が起こってからはいくらでも理由付けされるというものだ。

人は理不尽なことを理解したい。どこかで決着を付けたいという欲望をもっているのかもしれないが、どんな言葉も、聴きたくない。どこかの政治家がそれを野党のせいだとか言っているようだけれど、たまたま猟奇的な殺人事件と通り魔事件の容疑者が派遣社員だったことで、すべてを物語っているわけでもない。

教育大付属池田小学校の事件が起きた時、友人がため息をついていた。
精神障がい者のサポートをしている友人は、あの事件の報道をみてメンバーさんの心の状態が悪化したという。自分もするのではないか?という不安が襲ったというのだ。彼らは、サポートを受けていて、医者にかかっている落ち着いた人々だ。けれど、統合失調症の人達は、報道を見て落ち着かなくなったなったそうで、友人は「みんな調子悪なって、困る」といっていた。

人や事件や出来事を平たく、簡単に考えるのはやめたい。
けれど、今回のことで「死刑求刑」を求める声もまた、一層聞こえてきそうだ。

このトラウマをどれだけの人が抱えているのだろうか?
すると、戦場の地で人はどうやって生きているのか?強烈な虐待は、その痛みを脳が隠してしまうように、我々も麻痺させて生きなくてはならないのか?

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2008年05月26日

民族の音

日曜日は、雨で心配していたけれど無事に「浜街道まつり」が行われ、参加できてよかった。
昨年初めて、古い歌を歌っている「べこぼこ」で出演させていただいたが、今回は二胡のグループ「二胡じゃらし」の伴奏で2曲ピアノを弾かせていただいた。

二胡を学ぶ人は偉いなあと思う。
あんなにピッチ取りが難しいのに、弦が2本しかないのに、多くの音を表現しないといけない。
音を聞けば、癒し系のやさしい音色だが、その美しい音を出すのが難しい。(らしい・・私は弾けませんので)

メンバーの人と話をしていてふうんと思った。
固定音楽器であるピアノは、平均律調律を一般的には行っていて、和音が本当は美しくない。二胡などは、民族的に使用している音階というのが二胡奏者それぞれにあったり、西洋楽器で修正された、ピアノと近い音で演奏する音階を使う人がいたりするらしい。
三線をやっていても同じなのだが、西洋楽器の半音にない音を使用することが当然ある。
その地域固有の音の高さ、それは、そこに住む人たちが気持ちいいと感じる音の高さなのだ。

ピアノをあつかっていながら、ピアノってつくづく、植民地を作ってきた側の道具だったから・・ってなわけはないだろうが、「私は自由に音律を即座にかえられないのだから、私が正しい。あなたが合わせなさい!」といわんばかりの独善的な態度があるよな~と感じる。
その音を作ってるのは、私のような調律師なのだけど。

実際には、プロの演奏者は伴奏楽器が入るとピッチをそれにあわせていけるので、基本的にピアノ伴奏が入ってしまうと平均律で演奏される。
平均律調律って、どの和音も美しくないのだ。

音楽の世界でも、いろんな文化のいろんな民族の音が混ざり合って現代の音楽はある。古い、新しい、も含め、多様で、知らずに影響を受けたりしていて音が入ったりしている。
そうやって、人も垣根を越えることが容易ならば、も少しゆるやかに生きていけそうに思うのに。余りに自分の音を守りすぎたり、相手の音を否定したりしなければね。

いろんな音を出す楽器は、結構に通った形をしているものが多い。遠くの国で鳴らされていたものとそっくりな楽器が身近にあったりする。シルクロードに行き来があったころ、イスラムの地域も仏教の地域も通って物も人も動いたんだろうな。

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2008年05月18日

瓦礫と軍隊

中国の被害を伝える放送を聴くたびに、こころがぎしぎし痛む。
その規模の大きさは、範囲も震度そのものも、想像を絶する。

瓦礫の山を見て、阪神の震災を思い出すけれど、建物が形を成していない様はより厳しい現実を伝える。
日本からの救援、レスキューも出向いた。韓国やそのほかの国も手助けすることだろう。
阪神の時に感じた人と人のつながりは、国も越えていけるといいと思う。
被害の現場は、非日常が日常になったためなのか、他人に対する距離感が変わってしまう。同じ被害者として、共鳴しあうのか、支えあい、心を寄せ合ったことがあそこでもあるのだろうか?

そこに救助にいくのは、軍隊ではなかった。中国では国軍が行ったが、日本の精鋭部隊はレスキューチームだ。本当に、人のために動くのはそういう人たち。民間がいけるならそういう支援も惜しまないだろう。
軍は、国防のためというが、国の何を守るかは怪しい。国民を守るのでないことだけは判っている。

少しでも多くの命が助かりますように。

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2008年04月27日

憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」

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26日の夜、クレオ大阪中央の開場は多くの人で満席のような状態だった。私は、学童保育の時の親のつながりの仲間と、その一人で憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」に出演している友人の応援に行った。

素人100人のキャストを募集して、1月末から4月26日の初日までのハードな練習日程をこなし、舞台を駆け回り、歌い、踊った人たちは、実に輝いていた。
このミュージカルは、フィリピンの元慰安婦 トマサ・サリノグさんの人生を主軸に平和・愛とともに、いまだ「慰安婦」問題に向き合えない私たちの政治にたいするメッセージでもある。

舞台に大きくひろげられた紗の布の前で、アメリカ人とダンサーが語りかける。慰安婦について、あるいは、日本兵について、あるいは、米軍の兵士のモノローグが。その後で、紗をスクリーンに、写真が大きく投影される。フィリピンのこどもたち。
舞台は、印象的な照明効果と、100名ものキャストでコーラスもダンスもダイナミックに展開する。
主役の有馬さんは、見事なモダンダンサーで芝居もさることながら、彼女の身体表現としてのダンスが非常に効果的に使われていて感動した。
彼女の夫は、イラクで拘束されたジャーナリストの郡山総一郎さんだ。

子供たちも、時に生きる力をときには、寄り添う天使として舞台の中で重要な未来を予感させてくれて好ましかった。

同じように鑑賞した人によれば、最初の説明のイメージが(シリアスで重い感じ)ずっと続いたらどうしようかと思ったという感想を持った人がいたが、すぐに舞台が展開しほっとしたようだ。このテーマは、重く、しっかり貫かれているけれど、舞台そのものの展開は明るく、躍動的であきさせることがなかった。

憲法をまもらなければという、若い弁護士さんたちが呼びかけたこのミュージカル。本当に、この時代に責任のある世代が、ちゃんと戦争の事実と向き合い、大切な憲法を守ることが大切であると感じる。

この公演は関西ではあと3回ある。

山梨・東京では主役級以外は別キャストで行われる。
詳しくは、HPをご覧下さい。
http://music.geocities.jp/kis_hrn/index.html

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2008年04月22日

民族の離散・家族の離散

日曜日にシネヌーヴォに行き、『パレスチナ1948 NAKBA』と『ノーム・チョムスキー=イラク後の世界を語る』、『中東レポート アラブの人々から 見た自衛隊イラク派兵』を観てきた。私としては、どうしても『ガーダ-パレスチナの詩-』 を観たいのだが、上映日程をにらんでいるところ。

1948年に村を追われたパレスチナの人々を、広川さんは探してインタビューする。家族の場所から着の身着のままで追われ、豊かだった畑や泉を奪われ難民と化す。難民キャンプでも危険で劣悪な状況で暮すことを余儀なくされたパレスチナの人々。それを「大惨事=NAKUBA」と呼ぶらしいが惨事というには、あまりにも「故意」であり、災害にたとえなければやりきれないといった心境なのか?とも考えてしまう。

『 ルート181』 のときに観た、延々とイスラエルとパレスチナの人にインタビューしていった映像とちがいこの映画では、土地を追われた人を探し出してナクバの時の記憶を聞きだす。再び、昔の村を訪れた人々が「ここに何があった、あそこに何があった」と語るシーンは、胸が痛む。そこにある、いまや野生になった木の実をもいで食べる美しい顔が懐かしさとともにやりきれなさをあらわしていたように見えた。

離散した人々は、ユダヤ人もやはりそうであったわけなのに。また、チベットでもそう。

私たちの国、日本にも在日韓国・朝鮮人という離散の人たちがいる。

「奪い合うと足らず、分け合うと余る」と相田みつおが書いていたけど。

日本にずっと住んでいる、日本人としての感覚は他人よってもちろん違うのだけど、自分の住まいを根こそぎ奪われる、あるいは、どこかへ移住させられる、強制退去させられるという経験をなかなか感覚的に理解できない。1つ、似たようなことを感じるとすれば、阪神大震災で家を失った人が「失う」という喪失感を強く感じたことを目撃した時だった。けれど、それは災害であり、人為的なものでない。
ここに、奪い合う根拠となる政治的な問題が解決を絶っている。

大阪では、公開時期が未定だが「ビルマ、パゴダの影」というドキュメンタリー映画が十三の第七藝術劇場で上映される。それは、ビルマの少数民族の弾圧の証言を扱っている。ここにも、また奪われた人々、忘れられている人々がいる。
映画『ビルマ、パゴダの影で』

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2008年04月14日

大西巨人と言う人

昨夜、ETV特集をご覧になった方はいただろうか?
「神聖喜劇ふたたび~作家 大西巨人の闘い」と題された回であった。思わず見入った。
神聖喜劇」の朗読劇を織り交ぜながら、戦争での不条理な体験について語っている。

この本を私は読んでいない。けれど、きっと明日には手にしていると思う。
漫画版も賞をとっていて、そちらも魅力的だが・・・。

大西巨人さんの公式HPは 大西巨人 巨人館 http://www.asahi-net.or.jp/~HH5Y-SZK/onishi/kyojin.htm

この番組の紹介文にこのようなところがある。

俳優の西島秀俊も「神聖喜劇」に魅せられたひとりだ。70年近く前の軍隊での出来事に、今とつながるものを感じたという。 大西は現在91歳。埼玉県さいたま市に妻とふたりで暮らしている。この3月には、みずからの原点とも言える場所・対馬を再訪した。創作意欲は衰えることなく、今も新たな小説に取り組んでいる。

朗読劇の主人公「東堂」も演じた俳優の西島さんは、大西に問う。
今の仕事の現場では、表現を制限されることがある、演じるもの、表現者として規制されていくことを強く感じるというのだ。これに対し大西さんは、この今の空気は、満州事変の前に良く似ているという。
自主規制を自主規制と思わなくなるように、何かに巻き込まれていく空気に対して、自分の考えをもって生きていくことが大切だというようなことをおっしゃていたように思う。

巻き込まれずに、立ち止まって考えよう。と思い続ける。

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2008年03月28日

失われた命たち

失われたのは、命なのか人そのものなのか?結局、命というのは人の根源ではあるけれどその人を失うという、個人の場所まで近づけて考えると「存在」そのものの死という重い、かさの高いものになってくる。

今日、大阪地裁では「沖縄ノート」の裁判で大江健三郎さん側が全面勝訴した。
沖縄の集団自決に「旧日本軍が深く関わった」と認定された。
自決という言い方、客観的すぎる。これは、軍による殺人だから。

旧日本軍の精神性は生きのびることを教えなかった。強力なタテの権力構造で兵士を抑圧し、しまいには死を選ばせた。
「南京大虐殺」や「慰安婦」問題でとりあげられる、日本兵の残虐な行為をおこさせた原因の1つがこの抑圧であったとも言われている。上官からいじめられ、強烈なストレスを与えられたものは、さらに暴力で支配する対象を探す。それが、レイシズムと結びついたり、女性差別に結びつき歯止めの利かない残虐な暴力へと変化していったという考え方。共感できる。

本土の人間は、地上戦を体験しなかった。想像を絶する状況が、沖縄でも中国でもあったのだろう。
軽く、ひとまとめで、かさの低い命となって失われた命。

かとおもえば、日常のなかにも多くの命が「心中」、「無差別殺人」で毎日失われていく。
それ以上に、多くの自死を選ぶ人がこの日本にはいるのだけど。
他人の命も自分の命も奪わないで済むように、どうして人はかしこくなれないのだろう。

暗い気分になってしまったけれど、朝日新聞に掲載されていた大阿闌梨の言葉が、癒しをくれる。
以前に特集したインタビュー記事の反響が大きく、多くの人の癒しの言葉になったという。
例えばこんなことば。

「無理せず、ひがまず、焦らず、慌てず、水の流れのごとく生きる。
溜まりに入ってもあわてることないよ。よどみも徐々に解かれていくから」

大阿闌梨の人生も転々と職を変わって得度は39歳の時。溜まりやよどみに何度も立ち止まってきたひとだから、言葉は優しい。

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2008年01月27日

大阪はあほやった

今日は、朝から映画を観た。「カルラのリスト」
午後から、高槻でJIM-NETの佐藤真紀さんの話を聴きに言った。
ここまでで、戦争犯罪と戦後の苦しみと考えて帰宅。

午後9時の開票を前にして、大阪府知事 「橋下徹」当確を報道で知る。
やっぱりあほなことになってしまったと、がっかり。
少しニュースショーを見た。選挙戦を闘う橋下の動きを追うカメラ・・・白けた気分で眺めていたが、そこに映る商店街でのおばちゃんたちの反応は、TVタレントを間近に見て興奮し、高揚した姿。
全ての人がそのような反応を示すとは思わないが、得票率を見れば圧倒している。
東京都知事人気もおかしいと思うが、大阪もやっぱり。

映画と、講演会の素晴らしい内容を伝えたいとおもいつつも、このエントリーはこれでおしまい。
改めてということにします。
あ~あ。

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2008年01月18日

震災メモリアル

昨朝、6時前に起きたときに、気づいた。
確かに、13年前のこの日は「どうなるんだろう?」という不安でどうしようもない長い時間を過ごした。

いつも中継される、神戸の公園。竹の中のろうそくを見て、命が数でとらえられる、あまりにも大きい災禍を思い浮かべた。今年は神戸に行っていない。忘れたわけでもない。けど。

街にはマンションが林立し、あるところは見事に美しく復興している。
けれど立ち直れなかった街もある。

経済の格差として、2重のローンなど厳しい状況も作り出してしまった。
自分がいまある生活も、浮き草の上のような、地球の上でひらひらしているだけで、根拠のない「大丈夫そうな感じ」だけで生きている。

災害の備えを特にしているわけでないけれど、昨日の報道では、これから来る災害についての耐震対策などの方向に重点が変わっていってた。これは、昨年までと少し違う感じがする。
耐震偽装問題がクローズアップされてから、従来の木造住宅も耐震対策をとる必要性を行政もいいだしはじめたから。

多くの人が木造住宅の下敷きになってなくなったという。
大阪の生野区が取材されていたが、あそこの古い町並み、狭い路地裏の人情味厚い生活圏は、裏返せば、もっとも震災に弱いところというわけだ。

行政は、民のために本当に動くというのなら、やはり、オイルを海に浮かべる船に乗せていくのはやめにして、隅々に「安心」して生きていく命の権利、「生活」「医療」を守るべきだ。

過去に学ぶことは多い。けれど、学ばないのが人間であるというのは避けたい。

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2008年01月15日

ロッカショ~2万4000年後の地球へのメッセージ

6kasyo.jpg
ロッカショ/STOP/ROKKAASHOプロジェクト

六ヶ所村の核燃リサイクルのことは、映画「六ヶ所村ラプソディー」で村の人々の苦悩。賛成派・反対派の両サイドから、この問題の深さや難しさを知ることができた。

しかし、改めて六ヶ所の問題をWEBサイトからでなく、本として出来上がったものを読んで、怒りがこみあげてきた。
グリーンピースのサイトからの説明にもあるが

六ヶ所村再処理工場は、青森県六ヶ所村の「核燃料サイクル施設」にあります。 「核燃料サイクル施設」の中には、再処理工場、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センターがあります。全国の原子力発電所から出る使用済み核燃料は、再処理工場の中の使用済み核燃料貯蔵プールに送られ始めています。「サイクル」「再処理」という名前を使っていますが、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す施設で、プルトニウム生産工場です。

そのプルトニウムを再度原子力発電所の燃料として使う、というのが日本政府の計画ですが、使用済み核燃料を棄てさせてくれる場所がないので、とりあえずの置き場所を確保したいというのが政府・電力会社の本音でしょう。

核のゴミ処理工場。としてのロッカショ。
もう、使い道のないくらい沢山作ってあまっているプルトニウム。再処理のめどが立たないのに。
そのプルトニウムを原発でつかおうとする「プルサーマル」の計画も見通しがたっていない。

本には、マインドコントロールとして、坂本龍一氏が語っているくだりがある。

 

「日本の電気の3分の1が原発」は、嘘。ピーク時は確かにそうかもしれないけれど、年間の平均にならしてみると、原発がなくてもやっていけるんです。~中略~原発がないと生きていけない、というのは
マインドコントロールです。「そこからは逃げられないんだぞ。」というマインドコントロール・・・・そこからまず変えていかないと。

そもそも、気に食わない電力会社のCM。
子供を使って、環境にやさしいとアピール。
>現在全国で稼動している商業用原発は54基。年間約1000トンの使用済み核燃料が発生する。これを再処理するときに極めて強い放射能を持つ廃液が出るが、この廃液をガラス原料とともに加工してガラス固体化にする。

それは、ロッカショの地中300メートルの深くに30年から50年貯蔵される。

おかしい。おかしい。
それが、止められないのは電力会社の経済に対する力のせいと・・・政治家の利害のせい?

サイトは、
http://stop-rokkasho.org/

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2008年01月12日

橋下徹候補の落選運動・・・

大阪知事選挙の期日前投票も始まり、いよいよ・・・である。

りんさんのブログ 「小さな花ひとつ」にも、橋下徹弁護士の悪業が記事にも、コメントにもついており参考になる。

晴天とら日和というブログが「橋下徹候補の落選運動」と銘打っており面白い。

村野瀬玲奈の秘書課広報室同じく、とらさんに同感の意思表明。この方のブログは、非常に情報量が多く、参考になる資料・記事を書いておられる。

言うまでもない。
私も、「橋下徹候補の落選運動」に大いに賛成だ。
応援するほうの勝手連ができたらしいが、反対もおおありだ!

特に気になる右翼的発言。
戦争肯定、徴兵制復活など・・・。いろんなマスコミに露出していたせいで、このような発言が多くのこさればら撒かれて残っている。

今の世の中ではやっている、集中的なバッシングというのは嫌いだが、大阪府の知事になって欲しくないという点では、知って欲しいこともある。

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2007年12月29日

今年がすぎていく

クリスマスの頃。ちいさな近所のお店でアジアのごはんと一緒にフォルクローレを聞いたり、相方とインドの料理を食べに行ったり・・・と、ちいさな「ホッ」する瞬間はいくつかあった。
けれど、クリスマスに今はピンとこない。ゴスペルをやってたころは、フルスロットルでオンシーズンを歌いまくっていたけれど。

まあいいか、大概季節感を大切に生きてる感じがしないものな。
ブログつながりのりんさんは、料理といい、生活といい、とっても忙しいのにちゃんと季節の楽しみをしっかり味わってる。自分の生活に味気なさを感じる瞬間とでもいうのかな。いい感じにしっかり生活してらっしゃる。

今年も数えるほどになったけれど、そんなときにオスカーピーターソンが亡くなった。
上原ひろみがオープニングアクトをした日本公演が最後の来日になった。そのときにコンサートホールでベーゼンドルファーピアノを弾く、オスカーを観て、聞いて、あらためて魅力を感じたものだ。
私は、ジャズのピアニストではこの人を多くは聞いてこなかった。それなのに印象深いピアノだった。
そういえばベーゼンドルファーピアノも、11月には倒産、売却先はヤマハとも言われている。
人がこの世を去るように、いろんな物事が時とともに、あるいは突然、形をかえたり、消え去る。

この間は、ブットさんが暗殺された。ビルマで長井さんが撃たれた。人の死の形は選べない。
来年、とはいえ、時は一続きに、私の生活と同じように連綿と続く。

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2007年12月17日

NHKスペシャル ワーキングプアⅢ

日曜日の夜、忘れずにNHKのワーキンブプアⅢを見た。
今回は、海外の状況、打開策など・・・と解説があったので少し期待をもって、見てみた。

内容は、さらに掘り下げていて見ごたえがあった。
番組では、海外での事情を取り上げている。非正規雇用大国のお隣韓国も、学歴競争が過激なのにもかかわらず、若い人の就職が厳しい現実がある。日本と同じようにアメリカに追随して市場原理主義の政策がもたらしたその姿は、日本と似ている。さらに良くないのが、医療保険制度が不安定なこと。
日本の誇るべき制度、健康保険制度は守らなくてはならない。
焼身自殺で雇用のない抗議をした人。日本でも自殺者は多いが、精神性はアジアでは似通っているのかな?と思ってしまった。

さらにワーキングプアの現実はアメリカでも。日本の先を行く雇用不安を知る。
IT関連の仕事から職を失った人は、インドへ外注されるグローバル経済の被害者となっている。

後半は、対策を取っている実例を紹介している。
アメリカで、日本で、イギリスで。生活を支えるための労働をちゃんと受け継いでいくため、公的資金を投入して、職業訓練を行う。自分の努力でもう、どうにもならないということが明かされている。
貧困の連鎖を断ち切るために、子供のうちから教育の場でも、街でも、多くの支援の手が用意されている。日本も、自己責任論をもういい加減にやめて、誰の身にも起こりうること、根本的支援の方法。
教育の機会の格差を無くす方法など、いくらでもやれることがあるだろうし、やらなくてはならない状況だと思った。

最後に、ワーキンブプアⅡで、親の貧困のために30代でホームレスの生活をし、コンビニで漫画雑誌を拾い、換金して、一日600円ほどで生活をしている岩井さんという青年が再登場している。
今は、ホームレスの人を支援する請負仕事をして収入を得ており、路上生活ながらも食事もとれ、お風呂屋さんにも行くといった生活ができていた。
最後に、インタビューで涙で言葉が詰まってしまった岩井さん。
「生まれてこなければ良かった」と思っていた、今もそんなときはあるのだけど、「人を信じられるようになった。」といい目頭を拭いていた。
生きていても死んでいるような、人間らしい感情をもつことさえ許されない厳しい生活に追い込まれる状況を作っているのは、私たちの社会だと思うと、とても痛い気持ちになった。

この放送の感想をとても丁寧に書いておられるサイトを紹介しておきます。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/workingpoor5.html

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2007年12月12日

NHKスペシャル「ワーキンブプア ⅠⅡ」再放送

NHKスペシャル「ワーキンブプア ⅠⅡ」。また。再放送を見てしまった。
みると、ひしひしと辛さが痛い。以前にも増して、痛い感じがするのは何故だろう。

「ワーキングプア」という言葉が新しい響きを持って、耳に入ってきてから時間がたつ。
このドキュメントも最初の放送から一年が経過している。その後の母子家庭の様子、プレスの仕事のおじさんの今。少しだけ紹介されていたが、それを知るとなお、状況は悪くなっていると感じる。

抜け出せない生活レベルを傍観するのは辛い。
私は、娘と見ていたのだが、彼女のようにこれからの人生を歩いていく若者がこういう現実を知るのは必要でありながら恐怖でもある。
大学生の新卒の就職率が上がっていると聞くが、そういう人生をウチの家族は歩かない。

したがって、一歩違えば、格差社会の底辺へ転落する。
組織に所属しない生き方を選ぶ多くの人も同じだけれど、その自己責任という塀のさらに向こう側から
も敵に攻めやられているという感触でもある。
ドキュメンタリーにでてくる人たちが努力していないのではない。

雨宮処凛が洋泉社刊「プレカリアート」で座談会をしていて世の中がプレカリアートをどう見ているかの片鱗を知ることができる。
出席者は、1、フリーター 2、フリーターを正社員に就職させた母 3、大企業の就職成功者 4、水から選んでフリーターになった人(舞踏家)
やはり、最初は「自己責任」と言われて、2や3の人には叩かれるが、徐々に状況の理解は進んでいく。

結局、例えばお隣の一人親の人がどんなに働いているか知らなかったのは私たちで、それについて関心も持っていなかったに違いない。

我が家にはまだ、人生の浪人がいる。この世の中を効率的に泳いで行こうという気はさらさらないらしく、かなりのおおまわりをやってみようとしている。
人のことは言えないと今は思うのだけど。親としてはそうすんなり、腹をくくってるわけでもなし。
ああ・・。また、誰かが私を試してるんだ。不出来なもので、自分でもでこぼこと思ってるけど。

今度の日曜日16日には「ワーキングプアⅢ」が放映される。
世界に目を移し、ワーキンブプアから脱出する希望のようなお話もあるらしい・・・。

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2007年10月19日

アレルギーと決別か?

長年、引きずってる「アレルギー性鼻炎」季節はオールシーズン
(こんなことかくと、トラックバックスパムがバンバンくる)
久しぶりに血液検査をすると、特異なパターン。住居環境のせいで曝露してきた「カヤ系花粉」の抗体数値が高~い。

友人のボーカリストMIKIとも、よく話をしていたのだが。ついに、レーザーを使った手術に挑戦した。
「あんたが先にしな~」とお互いに譲り合ってたのだが、秋口になってまた、ヒドイ日がちょこちょこでてきたので、ネットを調べてみた。
前には見つからなかった・・・見つけられなかったのか、良さげな耳鼻科を発見した。

なぜかそのとき、勢いづいていて、その日の夕方の診察を受けた。
医師に事情を言うと、簡単に「手術できるか検査して、予約とってね」といわれ、なすがままに血液検査そして、今週の手術と相成った。

当日、血液検査を見て、「こんな人は手術にむいてるね~」とお墨付きをもらい、朝にでかけて、お昼前にはすべて終了。

鼻にごろっと、焼いたあとに違和感がのこるが、まあ、順調。仕事もすぐ翌日にしたし、熱もでなかった。
レーザーで焼いてるときは「ジュッ」とかいって、焦げ臭い臭いもする。「あ、自分が焼けてる臭い」不思議な感覚だ。

一般的な人の70%しか、鼻が通ってなかったらしい。全く自覚なし。他人様がすーすーしてたなんて。
ほな、唄うときもちょっと楽になるのか???鼻に抜ける音をだすときに「スカッと」するのだろうか??
いい感じになればいいのにな。
と、いまは、3,4週間で生れかわる、鼻の粘膜に少し期待をしている。

アレルギー剤とおさらば。薬の眠気で本が読めなくなる日々がおさらば・・すればいいのだが。

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2007年10月14日

ヒールとヒーロー

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沖縄の教科書表記について、文部科学大臣が検定意見の撤回を拒否し、元通りに記述回復することは難しいとの認識しており、「政治不介入」を理由としていることは、おかしな話だとおもう。
本来、根拠としている教科書用図書検定審議会が中立であるということが間違っているから。

そっちが先に「政治介入」したんでしょ?っていうこと。

沖縄のマスコミ
沖縄タイムス琉球新報は、継続して成り行きを報道している。
けれど、全国ではそうではない。

こんな風に、マスコミの露出が人の関心をさらい、そして次から次へと忘れさせる。

そんな中、先週の「亀田×内藤」のWBC世界戦では、亀田一家がTBSに担ぎ上げられ、いちやくヒーローになり、一夜で蹴落とされるという姿を目の当たりにしてマスコミのありかたに不信をを感じた。

確かに内藤選手の話っぷりは、TV受けする。苦労がむくわれたことも祝福するし、亀田一家を弁護する気もさらさらないが。
彼らがヒーローになろうがそうでなかろうが、関心はない。

今時は、けっこう「バッシング」が簡単に行われる。結局、マスコミの強大な力の上で個人はもてあそばれ、それを消費する多くの人間が同調して、興奮するすがたは好きではない。
沢尻エリカに関しても同じく。

ヒール役もヒーロー役も虚像だと、それを知った上でTVの向こう側からやってくる映像をとらえなくてはなと自分に言う。

肝心な情報は、受像機からうかがいしれないことが多いのでね。

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2007年08月27日

運命共同体

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だんだん、日が短くなっていく

今月は、私たちのワークショップ仕事が多い月だった。例年そうだが、夏休みに子供向け、大人向けの手作りの楽器教室を開催したり、呼ばれたりいろいろで、そのつど、知らない人たちとであう。
新しい教室を始めると、初めは緊張感のある、何を話しても反応がいまひとつわからないというような大人の人たちが、モノを作り始めると、いろんな性格が現れて、お互いが刺激しあい、一体感のあるいい雰囲気になる。すべてがそうなるとは限らないけれど、今年の夏の大人教室はとても明るく、個性溢れるいいクラスだった。

そんな風に、人は一歩、他人の守備範囲という距離に入れてもらうと打ちとけ合っていく。

この間、電車でもおもしろいことがあった。
阪急電車に梅田から乗っており座っていたら、十三くらいで向かいの若いお兄ちゃんが自分のあしもとをきょろきょろしている。何かと思ったら、なんとゴキブリがうろついてる。一緒に乗車してるごきぶりの行方を自分のほうに来ないか、気になってながめているのだった。

そのゴキブリ、横へ移動を始めた。私はその向かいに座っているので、ゴキブリの行動は一目瞭然。お姉さんの足元当たりで見失ったので、気になりつつ様子をみていた。となりのおばさんとも、「いやだね。ゴキブリなんて・・」と言い合ったりして、共通の運命にさらされた連帯感がうまれつつあった。
その次の駅で、人が入れ替わったとたんに、ゴキブリはやっぱり動きだした。
舟をこいで、居眠りしてる若いおねえさんの、あろうことか足元から、かばんにかけて、さらには上半身へと移っていこうとするゴキブリ、思い余っておばさんが、払い落とす。

今度は、よそに逃げていくゴキブリ、ゴキブリの移動する場所場所に居る人が、びっくりして立ち上がっていく、ちょっとコメディのようになってきた。若い子はキャーキャー言うし。ついに、ドアの隙間に逃げていったのを見届けて、まだ騒ぐ女の子に、「あっちに逃げて行ったよ」といってあげると、ほっとして座席についた。それを見ていた、おにいさんが、おもわず吹き出した。

あ~面白かった。ゴキブリに這われたおねえさんと同じ駅で降りたが、「ぜ~んぜ~ん気づかへんかったわ~」とつぶやきながら去っていった。その間の車両の関心は一点「ゴキブリ」それだけだ。
ゴキブリのおかげでおもしろい運命共同体となった、その車両の乗客。
なんだ、簡単に人は人と打ち解けることもできるんだな。と思い、でもそれが、恐怖の共同体でなくよかったと胸をなでおろす。人と人の距離感、寛容さ、ってごく小さい感情の積み重ねかもしれないな。

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2007年07月01日

おめでとう! ももちゃん

土曜日に、友人の結婚式に行ってきた。
ジャズピアニストであり、いまやゴスペルも指導もする多才な女性でとても魅力的で、エネルギーにあふれている人。であるももちゃんの結婚式だった。

私は、ゴスペル仲間(かつてのクアイア仲間)とキリスト教式結婚式のときと披露宴で数曲、歌わせてもらった。ももちゃんの結婚を歌で祝福できてとても素敵な気分だった。
教会で歌い上げるタイプのゴスペル曲と言うのは本当にぴったりマッチして、良く響く教会内の空気を強く震わせることができるようで、心の中に音が入ってくる感じがする。聞いている人は、より強く感じるだろうと思うけれど。

その感動の挙式もすばらしかったのだが、披露宴が、これまた私も経験したことないような「楽しい」パーティだった。言うならば、音楽ライブパーティ。
もちろん新婦もピアノを弾くけれど、お客の多くにジャズミュージシャンがいるので、順々に素敵な音楽が披露される。新郎まで、歌がうまくびっくりしたけれど、約90名の前での見事な熱唱は、堂々たるものだった。

ももちゃんは、早くに両親を亡くしているので、何でも一人で物事を決めてしっかり生きてきた。結構波乱万丈の人生を今までやってきたけれど、キリスト教の洗礼を受けてからとてもいろんな人の支えをもらったのだろうと思う。・・・なによりも神様を味方につけてしまったのだから、怖いものはないだろう。

これから、二人という単位に慣れないとね。
また、それもいいもんよ。と

若々しいカップルもいいけれど、人生をそこそこやってきた人の結婚式はとても人間関係が充実していて、顔ぶれをみても楽しい。豊かな人間関係が倍増することは大きな喜びだと思う。幸せにね!

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2007年06月13日

自分の人生の歩き方

たいそうな、タイトルをつけてしまったが、これは私の人生について語るために付けたわけではない。

まだ、我が家には自由な高校生が一人生活してるので、所属している学校の保護者会にたまに顔をだす。大概は、仕事で出られないけれど、最低一年に一度は(大体毎月開かれている)でたいと思っている。そうして、先週はそのチャンスがあり、あらためて彼らの学校の教師・カウンセラー・親たちのこころを聞くと、ああ、また来たいと思うのだ。

この学校は、サポート校という名前の学校だ。通信制単位制高校に在籍する生徒たちに、学習以外でも、精神的なサポート、生活のためのサポートをしていこうとする学校で本当にさまざま、いろんな理由でここにたどり着いた子供たちを支えてくれようとしている。

いままで不登校だった子、引きこもりがちな子、通常の学校に合わない子、他にすることがあってそっちにウエートをおきたい子。さまざま。超社交的な子から、人間関係が非常に難しいこまで、子供と先生は同じ目線で向き合う。

こういう子供を抱える、親たちも保護者会という場をあたえられ、子供に対する難しさを話すうち、多くの人が涙ぐむ。本当に愛する子たちへの、つかえるような思いがそこで話される。話すことを許されるような感覚で、あるいは理解者を求めるように、親たちは日ごろ、まわりのものにも話さないような苦しさまで話していく。わたしも、思い出すことを、あらためて思い当たることなど・・話す機会のないことを語った。

以前から学校にはいろんな思いがあり、私も、いろんな学校を調べたりした。サドベリーバレースクールという面白い学校がある。学びたいことがあれば、仲間をつのり、教師にクラスを作って欲しいと申請する。「人間のうまれつきの好奇心」にまかせて勉強していく。3年間つりばっかりしてた子もいると聞いたことがある。学校は、こどもを支配しない形で教育の場を提供している。そこで生活する子たちは、自分のちからで自分の興味を探し、追求しなくてはならない。ここでは、イスにすわっていても何も与えられない。その、すごさに共感したりした。

多くの人は、大勢イスにすわったクラスで授業を受けるというあるいみ特殊な社会(と私は思う)を経験するが、人生の海に泳ぎ出たときは、自分ひとりでえさをとりにいかなくてはならないわけだ。
サポート校を選んだ子たちは、一足先に、あるいは、もう一つの自由学校とおして自分で学び、人生をまず、普通高校よりたっぷりある「考える時間」を使って考え、生きなくてはならない。なかなか過酷な課題だ。ウチの高校生も、そういう意味ではよくやっていると思う。

教育といえば、今、フィンランドの教育について書かれた本を読んでいる。
競争をしない教育というのがどういうものなのか、それが、大勢の子が一緒にすごすクラスで成立するのはなぜか?を知りたい。
以前、シュタイナー教育に関する本も読んだが、この教育方法のなかでもっとも好きな点は、シュタイナーの先生たちは詩でひとりひとりの成績を書くというところ。詩ならずっと大切にしていられるしね。
こういうことを知れば知るほど、学校は、場でしかない。大切なのは、そこにいる大人。

さて、自分も人生をまだ続けているわけで・・・高校生たちが奮闘しているのでこちらもマジメに人生考えなきゃな。政治をどうにかしなきゃだめだわ。

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2007年05月22日

結局、誰を救うのか?

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仕事でであったピアノ猫

全然関係ない、写真をのっけてしまったが。うんざりするような、出来事がつづくなか、猫のほうが幸せに生きてるかも・・とか思って。

ところで、民法改正で、300日規定が変わった。でも、救われない母子を多く取り残している。
この300日規定については、たんぽぽさんのブログに経緯が詳しく書かれていて参考になる。

たんぽぽの涙~運営日誌 http://taraxacum.seesaa.net/

民法改正をして欲しいのは、こればかりではなく、夫婦別姓という問題もある。
これまた、夫婦別姓を待つ身さんのサイトが、追い続けている。知らない方は一読して欲しい。
資料も充実している。
夫婦別姓資料館 http://fb-hint.hp.infoseek.co.jp/index.html

憲法の改定の問題が、暗雲のように立ち込めていて、あまりにも大きく圧迫されてる感じがするなかで、私たちの身近な法律でさえ、救いを求めるものにやさしくない。そもそも、安倍内閣の美しい国キャンペーンが、古い「家」制度を復活させるような精神性の上になりたっており、その中には、女性の自由を奪うという意図があからさまに見えている。

家族は、家という単位のもとに強固に成り立っていると本気で思っているのだろうか?
そのほうが、国民を戦争にかりたてるのに便利だからか?個々人をまとめることが難しいなら、家単位、学校単位、地域単位と強制力を発揮していけばいいと考えているのだろうか?

一方、今、沖縄では、辺野古の米軍へリポート建設のたまの調査を阻止しようと、市民グループがずっとカヌーをだして調査に抗議をつづけている。そこへ、海自まで乗り出して、調査を支援するということに
大きな抗議が起こっている。自衛隊まで出して、市民運動を威圧するつもりか?ということ。これは、国の姿勢をあらわすものだ。今日の国会でも質問がでていたが、安倍総理の答弁は、実にまとをはずれたものであった。本心を隠してるからさ。

ちゅら海をまもれ! 沖縄・辺野古で座り込み中! http://blog.livedoor.jp/kitihantai555/ のブログで日々をつづっている。

命をまもる。安心して暮らす。希望をもって生きる。そんな、本当にささかやな私の生きる望みを今の日本は奪っている。

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2007年05月06日

「癒しの島、沖縄の真実」

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癒しの島、沖縄の真実 
著:野里 洋 ソフトバンク新書

この本の存在は、友人から教えてもらった。私が、沖縄に行ったことないくせに三線と沖縄や八重山の島々に思いを馳せているのを知っているからだ。

そういえば、ちょうど連休の間のTV番組で、石垣島に移住するヤマトの人がとても増えているという話題が放送されていた。けれど、そのうちの80%が島を離れるそうで定着率が悪い。理由は、やはり住んでみたけど、村に馴染めないとうことらしい。(歌ったり踊ったりをうるさいと思う人もいるようで。)

この本は、沖縄の特異性を石川県出身であり、琉球新報の記者として40年にわたって沖縄に住み続けている著者の視点から書いている。それを読んでみて、「癒しの島」だけではない沖縄の生活・歴史・戦後の真実を知ると、移住するには本当に沖縄にほれ込み、そこの人と一緒に生きる覚悟のある人たちしか無理だろうな・・と感じさせる。

沖縄の政治的問題、基地におびやかされながらも、依存を余儀なくさせられている現実。返還されたときの「本土並み」「同化」への強く本土に焦がれる思いから、今の独立したアイデンティティーをもつ、魅力ある沖縄の自立に向う変化へ、著者は愛する沖縄に厳しい目も、暖かい目も持ってみている。

移民県として知られ、世界に散らばる沖縄出身の人たちが、やはり各地で三線をかき鳴らし、歌い踊っている姿を知ると、歌で厳しいときも乗り越えてきた人々のたくましさに感動する。

この本で、あらためて占領時代の沖縄、復帰前後の沖縄、基地問題を抱える沖縄、古い習慣で問題をもつ沖縄。そして、すばらしい沖縄の人々、日本でありながら日本でない文化として紹介しているこの本を読む価値はあった。

私は、沖縄でよく歌われる「十九の春」を歌うのが好きだ。これは、もともとヤマトのはやり歌だった。
この歌の歌詞は、言葉通り、不倫の(おそらく商売の女性とお客)男女の歌なのではなく、私にとってその男女は沖縄と本土の悲恋の物語であると思っている。

 主さん主さんと呼んだとて、主さんにゃ 立派なかたがいる
 いくら主さんと呼んだとて、 一生添えない片思い

本土にはアメリカという本妻がいる。基地にはばまれ、添えない思い。というような具合に・・・・


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2007年04月26日

子供から奪われる「生きる意味」

先日、全国学力テストが43年ぶりに実施された。ふ~ん、それを分析して、何を得ようとしてるのか?
効率的なエリート教育?格差教育?わからない子供はそれなりに、わかるこだけに最先端を教えたいって?

このことが報道されて、それに参加しないという犬山市に興味をもった。
ちょうど、週刊金曜日4/20の記事に「これでも受ける?43年ぶりに復活した全国学力テスト」があり、犬山市の教育委員会の取り組みが紹介されていた。

「豊かな人間関係を育む土壌をなくし、子供同士や学校間、地域間に格差を生み、拡大させる競争原理の導入は犬山の教育理念に合わない」

きっぱり!!である。
犬山では、1997年以来「通いたい学校」を追い求めてきた。それを紹介する本も書いてあった。
「全国学力テスト、参加しません。犬山市教育委員会の選択」 編:犬山市教育委員会 
明石書店 1200円

特徴は、「学びあい」 少人数制。約30人の学級、4~5人の班学習。
勉強面では、友達に教えてもらったからできる。という自信を生み、生活面では誰かが暴力をふるっても
他の子の注意があり、それを受け入れる、子供のこころが育っている。という。

安心、信頼、自信など、競争の緊張感からは得にくいものだろうなと私も感じる。

記事では、犬山の中学校の5教科平均の5段階分布の表が示されていたが、全国の分布に比べて3と4の分布が多い。上と下の子供は少なく、全体的な理解を得ているようだ。日本は、以前フィンランドの教育成果について、興味津々だった。
フィンランドの教育も競争をしない教育といわれていた。

日本の犬山以外の子供たちは、大切にされているのだろうか?

この国でこのまま育った高校生たちは?ブログ「ささやかな思考の足跡」さんから提示されている、高校生の意識調査の結果が、これまたがっかりする。

夢を持てない、意欲の力を感じないその姿。
私は、早くから、そがれた自己肯定感がその根っこにあるように思えてならない。大切にされ、信頼され、人間同士の対話を学んできた犬山の子達は、自信をもって、日本の屈折した状況に元気にでていって、改革してほしいと思ってみたりする。

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2007年04月11日

やっと自分のために文章を書く。

事務仕事で忙しくしていた、毎日毎日、実はまだ終わっていないのだけど。
新年度になって、いらん役がまたあたってしまい、その引継ぎと実務が始まりゲンナリしていたところだ。主にパソコンキーをずっとたたいていたのだが、データやら、事務文書やら、アンケート集計やらと心は文字にのっかってない。ので、エントリーも書く気がうせていたのだった。

そうそう、日曜に選挙もあった。東京をみていて本当にがっかりしたのだが・・・。相方など、勝利した石原知事が映るたびに、TVのチャンネルをかえていたら、子供に「現実はかわらん」といわれてしまっていた。なまいきなやつめ。

本当に、このまま「日本国憲法改悪」の汚点を残さないように、踏ん張らなければならないところだが、どうなんだ。と自分につっこんでみる。

桜もいっぺんに開き、舞い散っている。前にも書いたけど、狂気の花のように感じる桜。桜に罪はないけれど黒い枝に直接花がついている。花が終わってようやく葉が見えるけれど、「木の花」だ。草花のように緑色の茎や葉にささえられていない、唐突な花に、あのまぶしい薄ピンクに、どうもなじめない。

車で通り過ぎる道すがら、見事に花をみせつける桜。見るたび「あ~狂い咲いてる」と思い、この日本の政治とダブって嫌な気分を思い出す。
ちょっと、沈み気味だな。たぶん、嫌な仕事をしてるせいだ。事務処理ができても、好きな人っているのかね?

音のでる鍵盤も触ってないのだ。仕事以外では。明日から、変わろっと!

投稿者 pianocraft : 23:04 | コメント (2) | トラックバック

2007年04月01日

土鍋でごはん

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いっとき「土鍋ごはん」がはやっていたが、その時は気になりつつも手を出さなかった。
ご飯を鍋で炊くのは、海外に旅行のとき(安い旅のため自炊)くらいだったけれど、今年に入って初めころホームセンターで安売りされてる、ご飯炊き用の土鍋を見つけた。それが、写真のもの3合まで炊ける小さ目のもの。980円なり。

家は、あまりご飯を食べない人が多かったのだが、これに変えてから「ご飯がかなり主役」の食事に代わっていった。精米から自分ですると、格段においしいと、TVで山瀬まみが言っていたけど、ごはんってこんなに魅力的だったんだと再発見したのが嬉しかった。

忙しい夕方でも、15分で炊ける。ホントに忙しくて、米を磨いで、水につける時間があまりなくてもいい感じにいける。

いまさら、毎日のあたりまえのことなのだけれど、我が家に定着したこの形を書いてみようと思った。

今日も町に選挙カーが走り回っていた、仕事であちこちを走っていても同じ。

ご飯のことと政治は関係ないって?
平和を表現するのも主張するのも難しいけど、おいしいご飯がずーっと食べられること、好きなやり方で生きていける自由、そんな当たり前の日常がとても重要と思う。

若い人も、年上の人たちも、美味しいご飯が食べられる生活ができるように、国政だけでなく、地方政治もちゃんと見据えないとね。

投稿者 pianocraft : 22:13 | コメント (6) | トラックバック

2007年03月26日

能登半島地震

気象庁は、石川県で起こった地震の名称を「能登半島地震」と名づけた。

能登半島は、わたしにとっては、学生の時に好きで何度も訪れた場所だった。
海岸線をあるくのが好きだった。「ランプの宿」と言う名で有名な、海岸にせまったところに建っている旅館で、ランプの灯だけですごす一夜は、オイルの臭いと柔らかい灯で静かな気分にさせてくれた。しかし、今ではかなり増築されていて、雰囲気が違っている。(HPをみたら・・)

大丈夫だったのだろうか?

テレビで映し出される映像は、阪神大震災のときのような傾いた家屋。屋根につぶされるように木造の家屋はへしゃげている。
続く余震に気持ちが休まる間もないだろう。インタビューで「ちょっとのゆれでも敏感に反応してしまう。怖い」というような言葉があったが、本当に思い出す。わずかのゆれが、前触れのようで恐ろしくて仕方ない。南海地震がおこることも間違いないのに、ふたたび思い出す、恐怖と人々のやるせない、いまの気分を思うと胸が痛む。

多くの支援がすみやかになされるように行政に願う。
高齢者の多い地域と聞く。住宅の確保も急いで、ゆっくり体を伸ばして眠れるようにしてあげて欲しい。

美しい海辺の道は分断されている。

義援金の情報

能登半島地震 義援金受け付け NHK金沢放送局 

能登半島地震で被災した人たちを支援するため、NHK金沢放送局では、災害義援金の受け付けを始めました。9月28日まで受け付けます。27日からは郵便振替でも受け付けます。送金先は、▽社会福祉法人石川県共同募金会が「00780ー6-320」、▽日本赤十字社石川県支部が「00780-1ー3」、▽石川県災害対策本部が「00730-4-7700」です。通信欄に「能登半島地震災害義援金」と書いてください。窓口での振替手数料は無料です。詳しくはNHK金沢放送局、電話076-264-7030までお問い合わせください。
(3月26日 19時33分)

日本赤十字
平成19年能登半島地震義援金の受付について

3月25日に発生した石川県能登半島沖を震源とする地震で被害を受けられた方々を支援するため、日本赤十字社は下記のとおり義援金の受付を行います。
みなさまのご協力をお願い致します。

1. 受付期間 平成19年3月27日(火)~平成19年9月28日(金)
2. 受付方法  
郵便振替 口座名義 日本赤十字社石川県支部 
       口座番号 00780-1-3
(1)振替用紙の通信欄に「平成19年能登半島地震義援金」と明記してください。
(2)受領証の発行を希望の場合は、その旨を通信欄に記載して下さい。
(3)郵便局窓口での取扱いの場合、振替手数料は免除されます。

※寄せられた義援金の配分は、石川県、日本赤十字社石川県支部、石川県共同募金会等で構成される義援金配分委員会で決定し、被災者に配分します

YAHOOボランティア
募金テーマ 「能登半島地震」義援金
募金先団体 日本赤十字社
金額 500円~100,000円(税込)
※壁紙を購入いただくことで、購入金額全額を募金でき、団体を通じて支援活動に活用されます。購入金額に含まれる消費税は別途納税し、その消費税と同額をYahoo! JAPANが補填(ほてん)した後に団体へ送金いたします。
内容 3月25日に能登半島で発生した地震は、各地に大きな被害をもたらしました。日本赤十字社では、この地震で被害を受けられた方々を支援することを目的に、義援金の募集を実施しています。
ご協力をよろしくお願いします。

このページでの義援金受け付け期間:2007年3月26日~4月30日
(現地の状況などにより期間が変更になる場合があります)
募金の使途 義援金は、災害により生命・財産に大きな被害を受けた方々に対する慰謝激励の見舞金の性格を持つもので、受け付けた義援金は、被災された方々に迅速(じんそく)かつ公平に配分されます。
また、義援金は日本赤十字社だけでなく報道機関など多くの団体が受け付け、第三者機関である「義援金配分委員会」(被災自治体、日本赤十字社、報道機関などで構成)に拠出されます。同委員会では、各機関で受け付けた義援金をとりまとめるとともに、配分基準を作成し、被災された方々へ配分を行います。

なお「インターネット募金」の利用には、「Yahoo!ウォレット」(支払い情報保存サービス)への登録が必要となる

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2007年03月24日

技術者というものは・・

3月、4月といえば、総会シーズン、年度初めの会議やらなんやらが、続く。

本日も、一つ総会が終わり、懇親会にも参加した。

ピアノ調律師と一口に言っても、仕事の仕方もフリーや社員や、嘱託やら色々。仕事の対象もコンサート中心から家庭回り中心など、あるいは、修理工房で各種の修理をする人やら、おもに調律ばかりの人年齢もさまざま。

けれど、会が和むと、やはりピアノの話。それも、細かい話、道具の話いろいろ。
だんだん、熱が入ってくる。けれど、学ぶことが多い雑談タイム。こういう、雑然とした時間が、いつもは一人でピアノに向かい、考え、工夫を凝らしている技術者たちにとって大切な情報交換の場となる。

本来、変わり者の多いという感じのピアノ調律師なのだけれど、それは、それぞれのこだわりのせいなのだろう。この職業について、このように多くの同業者と交流することはかつてはなかったのだが、何らかの役にあたったせいで、本当に個性的な人々のありように気づかされる。

やはり、人は面白い。
ピアノを弾く人のためだけにある職業。これだけで充分変わってるけどね。

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2007年03月06日

生姜はすごい

このところ、花粉の影響と気温変化のせいで、朝はくしゃみを連発する。それでも今年は、アレルギー剤と抗ヒスタミン剤に頼らず、なんとかやりすごしている。

私のアレルギー性鼻炎は、どちらかといえば、通年性のもので年中、草に悩まされていて、杉やひのきより草のほうがひどい症状を引き起こす。
そうやって、調子の悪い状態は、のどまで及び、風邪だかなんだかわけがわからなくなってしまう。

のどがつらいとき、生姜湯の市販のものを以前はたま~にのんでいたのだけれど、最近、なんでいままでそれを生で作らなかったのか???と思うくらい、生の生姜でつくっては飲んでいる。
それは、知り合いの一言だった「わたしは、風邪気のときは生姜をすって、黒糖をいれてお湯で飲んでる」そうか~。それって、生姜湯や。

ためしに、わたしは生姜のすりおろしたもの、はちみつ、熱湯で作ってみた。飲んでびっくり。
生姜がのどをとおるときに、「か~~っ」と熱くなる。体ものどもあたたまり、いかにもよさげ。

生姜好きは、前からだけど、味噌汁にすりおろした生姜をあとで入れたり、うどんに入れたり、なんでも入れてみると、自然に出汁の甘みが引き立てられてとてもおいしい。しかも、のどにぐっとくる。

なので、一度試しに、生の生姜をすりおろして、あれこれに入れてみてください。のどのケアにどうぞ。
もう、知ってるよという人もいるかもね。のどケアのいい方法しっているかたは、また教えてくださいね。

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2007年02月07日

おじさんと犬

ふと街でみかける風景。
ちょっと足が痛そうに歩くおじさんが、犬の散歩をしている。そういうときに連れている犬は、とても配慮ができている。ひょっとしたら老犬なのかもしれないが、遠目からははっきりしない。
寄り添うように、決して付けられたリードを引っ張って、先走ろうとしない。
信号であくびをひとつしたりして、ぼちぼち歩いている。そのような犬を見ると、こころやさしい人生のパートナーをこのおじさんは持っているなとほっとする。

街のあちこち、公園のブルーシートの家、非情にも大阪の長居公園で強制代執行が行われた。そんなおじさんたちも、よく犬を連れている。おじさんの連れの犬は、やはり大人しい。決して、敵意をむき出しにするようなことはしない。寄り添う犬。

人は人にこんなにやさしく寄り添うことができるのか?共生よりも排除を選んだ大阪市。
ずっと、ずっと、おじさんたちはあちこちの住処をもとめてきた。対話をして、解決をしてこなかった行政は、やはり人を切り捨てていく。ひょっとしたら捨てられた、犬も肩を寄せておじさんと暮らしているのかもしれない。

住処を私は持っているけれど、なんだかそれも、ふわふわはかないことのように思えてきた。誰もがいつ切り捨てられるかわからない世の中。国会は、予算を審議しているが、軍事費も引き上げられている。
中国が宇宙を汚染する衛星爆撃を成功させ、人は自らを汚し、自滅の道を歩む。
対話をすることは、本当にできないことなのか。
犬とおじさんのように、お互いのペースでどちらの存在も認め合って生きていくことがそんなにもむずかしいなんて、私たちは浅はかだ。

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2007年01月17日

いつまでわすれずにいれる?

1.17。震災があって12年の歳月が経った。報道の中心は、12年たったということで、小学生は1年から6年まで震災をしらないということだった。もっとも記憶がある年齢以上とするならば、高校生以上ということになる。神戸方面の学校では、このことを語り継ぐ学習をしている。

原爆の投下地である、広島や長崎でも、原爆の犠牲者追悼や学習を重点的に行い、引き継いでいることかと思う。けれど、よその地域では、全然違ってたりするけれど、これと同じように、震災も色あせていくのかもしれない。犠牲者の家族の心理、残されたものの悔いを少しでも、癒すことができるならば、震災を忘れず、その日だけは少なくとも思いを馳せる。壊れた街をあるいて、胸が締め付けられた。けれど、記憶は遠く、宙にういたように心に残っている。

でも、この日を境に私は生きていく道を方向修正した。見知らぬ多くの人とかかわりを持つことができるようになり、被災地では誰もが知り合いのようだった。手助けはいりませんか?と自分が知らない人に対して何かを手伝うということなど、できなかったのにだ。

今日この日が、無事に過ごせたこと、明日はわからないけれどささやかに生きられることに感謝して、地球に押しつぶされた6000人以上の人たちに、わすれてないよ、それなりにしっかり生きているよ、あのときみたいに助け合っていくよ、と、心の中でつぶやく。


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2007年01月01日

今年見る世界はどんな風だろう?

年が明けた。年賀状をいつもながら、ようやく元日に出す。元日の午後の街を自転車で走ってポストまで行った。
明け方の眠った街とも違う、静かな街だった。物干しに洗濯物があり、子供もたまに見かける。けれども静かな街。車もまばらに、自転車もすいすい。モノや人や車にあたらないように気を使わなくても、スペースはゆったり。店はしまっており、そのためか喧騒も感じない。

自転車でDVDも借りに行った。そこで、去年みた映画はどんなだったのか?エントリーしたものだけを並べた。
2006年
1月「ロード・オブ・ウォー」、DVD「パッチギ」、「ルート181
2月「ジャーヘッド」、「ホテル ルワンダ」、「あんにょんサヨナラ
4月「白バラの祈り」、「ナイロビの蜂
5月「ヒストリー・オブ・バイオレンス」、「Marines go home」、DVD「マラソン
6月「ナミイ!と唄えば」「六ヶ所村ラプソディ」DVD「スタンド・アップ」、「イン・ハー・シューズ
9月「出草の歌
10月「男たちのヤマト
11月「トンマッコルへようこそ

案外すくないな。といっても映画を見るには時間が要る。ともかく、昨年は、しょっぱなの正月のうちに「ロード・オブ・ウォー」を見てしまったので、こういう作品に偏ることは、はっきりしていた。私が映画をなぜ見るか?の答えがここにはあって、映画から得られる、映像から得られる、けれどなかなか知りえない真実を見つけるためだ。
ブログ友達hanaさんから、刺激されて行った映画もある。hanaさんがブログを閉鎖されるのはさびしかったが、きっとそのうち言葉の感性がどこかであふれ出すのではないだろうか・・・と期待している。

一番印象的だったのは、ドキュメンタリー超大作の「ルート181」パレスチナ問題をイスラエルとパレスチナ両側から、人々の言葉から探っていった。ファンタジーでは、「トンマッコルへようこそ」さあて、今年も楽しみ。そうそう、音楽もたっぷり楽しみますよ。

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2006年12月22日

NHKスペシャル「ワーキングプアⅡ」

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NHKスペシャル「ワーキングプアⅡ」~努力すれば抜け出せますか?~の再放送を19日の深夜に見た。母子家庭で、小学生の子供2人を支える母は、2つの職を掛け持ちしないと生活ができない。母子手当ても今後削減される。生活保護以下の生活を強いられても働く貧困層。

正社員で雇用されず、安い派遣やパート労働で生活は支えられない。この母子家庭の母は、ともかく子供が自立できるあと十年は、朝からの労働と夜八時から深夜までの労働を続けざるを得ないと言う。
「十年はなんとしても」子供たちは、早く寝かしつけられているけれど、本当は眠れない日もあるし、母にうんと甘えたいときもある。母の時間も切り売りのように、細切れにされる。虐待やひどい子供の状況もニュースで聞くけれど、この母は本当に心を掛けて、手を掛けて、育てようとしている。安心して、生きていけるような経済がこの国にはないのか?と気分が落ち込んだ。なんて国だ。

アジアからの研修と称する、労働者を工場で雇用し、うんと安い賃金で仕事をさせている会社。周りの地場産業を支えてきた零細の会社は、競争できない。結局、安い賃金で雇うと言うことは、日本の人の労働も安くすることにつながる。水は低きに流れる。労働するのは人間だ。人間を安く叩きのめす日本の会社が貧困を生み出している。

このドキュメンタリーでの紹介は、老人人も及んだ。無年金のお年寄り。空き缶を拾い生計をたてる。
このような状況について、経済学者、福祉問題の専門家などそれぞれの立場で意見を述べる。
でも、政府の考え方は真逆。セーフティーネットとまだ言う。母子に関しては、技能訓練のための学校へいく資金の援助をするなど・・・。その間の生活費はどうするの?学校へ行ったら雇用の保証はあるの?番組に出てきた、若い女の子は、調理師免許まで取ったのに、病院の給食センターで、時給600円台で朝5時から働いている。個人の努力?彼らは、充分に努力を重ねている。でも、タイトルどおり。「抜け出せますか?」

経済格差。地域格差。と呼ばれて久しいけれど、胸が痛い。他人事ではない。いつ自分がそういう状況に立たされるかわからない。自分の子供たちも、同じ立場だ。
派遣で働く、30代の独身女性もまわりには多くいる。本当によくやっているのに・・・。この国は実に暗い。

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2006年11月10日

「死ぬこと」と引き換えること

学校が行きにくい場所だなと思ったのは、自分のすごしてきた学校時代の中にはなかった。それは、単にそういう巡り会わせだったからなのだろう。私の友人も決して幸せな学生時代を送ったわけではなかったから。どの時代だから、ということはなく、いつもそうなのだろう。

けれど、今連鎖して起こる子供たちの自死は、何を訴えてるのだろうと考えてしまう。逃げ場がない行き止まりに彼らはいて、誰にも救いを求めることができなかったなんて残酷だ。

私も子供を育てたおかげで親というものにさせてもらっている。「育てた」なんて偉そうに書いてるけど実は、一緒に生きてきた連中だ。ちいさくても、力がなくても、ただ寝てるだけの赤ん坊でも、あるいは、手が付けられない動きまわり、わめく幼児でも、こちらが精魂尽き果てても、次の朝にくっついてくる連中。
大きくなったら、いろんな世界で勝手にいろんなことして、振り回してくれる愛すべき連中。

彼らも学校を拒否した。いろんな違う理由であるけれど、でも、大人としては折り合いつけてなんとかならんのか??と思うこともある。その上で、もう少し時間を与えた。考える時間は、学校に行かなくていい。自分のためだけに、自分に向き合い、考えてみる、ちょっと休み時間をあげた。大人だって休憩する。朝から晩まで、ずっと学校に通ってられるって偉いことだとつくづく思う。

そして違う学び方で、生きている。第2の学校やドイツのシュタイナーのようなまったく違った教育観を持つ学校ももっとあっていいと思う。教育基本法の改悪で、もっともっと窮屈に国の型枠にはめていくようなものは、絶対反対だ。軍隊を持つために、まず教育から。口当たりのいい、美しい国とかいうおかしな台詞を振り回して。

子供たちがもう自分で死ぬことを選ばないで欲しい。大人ももちろん、死ぬことで闇にほうむらないで!
死がひとつの「完結」というものにはならないこと。愛するものほど傷つける。にくくて仕返ししてやりたいようなものは、すぐ忘れて自分の別の人生に出かけるだけ。死ぬことは終わらない。悲しみを新たに生み出し、憎悪を増殖させる。
「死ぬこと」と引き換えるほど大切なものなんてない。病で苦しみを持つ人もいると思う。生きることがとてもとても大変な人もいると思う。けれども、それでも、自分から引換券を持っていってはいけないんだ。

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2006年10月29日

脱力の日々

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謎のボトル

脱力してた・・というか、22日のライブを終えてそのまま、事務仕事(調律師協会の)を嵐のようにこなした後は、脱力したというか、疲れがでてしまい、気力を失っていた。その上、地域の会議があったりして三線も十分に弾けず、もともと文化的には贅沢な生活をしているとは思っているが、いろいろなしわよせで、のびきっていた。

その間に、ハングル教室も週1に入った。ホントに、韓国に友人はいるけれど(彼が日本語をしゃべるので)わたしは、初歩の初歩のハングル。字を読むのに一苦労している。頭の別の部分を鍛えてるっていう感じがひしひしと脳に伝わる。

さて、私が脱力している間に、相方は、3度目のどぶろくつくりに挑戦。謎のボトルは、その成果である。とはいえ、3日で仕込み、絞りとる。残りかすは、「酒かす」として楽しめる。米のジュースのような、フレッシュ感のある仕上がりである。炊き立てご飯とおいしい水、麹、イースト菌。後は、温度管理と混ぜ込みで、できてしまう。インターネット上にも、市販の本でも作り方は、どこにでも手に入る。個人の楽しみとして、なかなかおもしろい試み。

そういえば、脱力の日々の最後は、30年ぶりの仲間内だけの同窓会だった。
わたしは、同窓会は好きじゃない。基本的には、今を生きることがすき。つながりのある友人とは、今も連絡をとりあっているし、なつかしさを特に求めることもない。おもしろかったけど、また別の遊びができるといいとは思う。会って、そこまでの人生を語ってもね・・・・。と思い。

さあて、明日からはピアノの修理をいくつか抱える。仕事と、音楽の楽しみに戻ろう。

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2006年10月10日

連休にしたこと

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ニューオリンズビーズ募金   栗の渋皮煮

連休とはいえ、毎日仕事をまわり、そうでなければ修理の仕事をしていたから、完全な休みではなかったけど。でも、気分的にリフレッシュした。

ひとつめは、もらった栗を「渋皮煮」にすること、鬼皮を剥くのが面倒だけど、その前に大好きな包丁研ぎを軽くやったら効率があがった。重曹でゆでると、すごい灰汁がでるんだというのを知った。栗ご飯は、今シーズンに入って一回つくったから、別のものを作ろうと挑戦した。案外簡単にでき、家族のおやつに好評だった。普段と違う料理をするのも楽しかった。

もう一つの写真の腕にまいているのが、大阪ニューオリンズ祭りでニューオリンズ復興のための募金をするともらえるビーズの首飾り、はではでなので腕にまいて、野外コンサートを楽しんだ。
ニューオリンズは昨年の8月のカトリーナ以来、いまだに復興から遠い状況だ。貧しい黒人の人たちに救済の手はとどくのだろうか?イラクにお金使ってる場合じゃないだろうに・・・ここでも、国は国民をまもらないという教訓を得たように思う。災害より戦争をとったアメリカ政府。という印象だ。

今日のニューオリンズ音楽祭でのわたしのお目当ては、シリル・ネビルのバンドだった。ネビルブラザースの前回の来日からどれだけたったのだろう?単調だけど、ニューオリンズテイストの重圧なファンクサウンドに、腕をふりまわして踊り、楽しんだ~。10月10日は、シリルの誕生日らしくフェスティバルゲートで誕生日会が開かれるらしい。詳しくは、Help Neworleansのサイトへ。

ハリケーンによって、「民族浄化」だといわれるくらい黒人の居住が減ってしまったニューオリンズ。この街にどういう思いをシリル・ネビルが描いているかを、上記のサイトでは紹介している。

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2006年10月04日

MTのアップデートに苦労し、プラスチックアートに癒される

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minさんの、美しいペットボトルアート

昨日の夜、ふと、このblogを動かしているソフトMovable typeのアップデートをしなくちゃと思いつつ、ほったらかしていたのに、ついにアップデートしようと決心した。何事もなければ、ファイルをどんどんアップロードして、読み込むと成功するのだが・・・。夜に始めたせいで、あせってつまらないミスをした。それを修復しようと、また原因を探ろうとあちこち触っているうちに朝の4時になってしまった~~~。できてないのに、明日の仕事のことを考えて眠ることにした。今日・・・。仕事しながら「あれが悪かったのでは?」と考えをめぐらし、帰ってきて実行すると、「成功!」でいやに嬉しい。見た目は、かわりませんけど、いろんなプラグインが追加され、デザインの変更もやりやすくなりそう。なので、とにかくやれやれでした。

そんな昨日のお昼。ごはんを食べに帰ってきて、TVをつけたら、知っている人が「おもいっきりテレビ」に出演していた。そうそう、メールもらってたんだ。その人は、サイエンスフェスタでうちのテジョンとご一緒させていただいた、プラスチックアーチストのminさんだ。
本も出されていて、その活動はおおきな評価を得ている。美しいストローの生き物はしっていたけれど、ペットボトルでティアラを作るシーンを、取材していた。写真のような、美しい造形の作品であるけれど
繊細な技術によって成り立っている。
作品は、コチラのサイトで詳しく紹介されています。いや~美しいくて、きらきらして、みていて癒されます。

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2006年10月01日

ふと気づく

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今日、阪急電車に乗っていたら「おやっ」と思い、「そうか~」と納得したつり広告を見た。私は、阪急沿線に住んでいるが、仕事柄車で移動することが多い。日曜に、気がかりな楽器を下見にでかけていて見つけた。

それは、阪神タイガースの公式ファンクラブの募集広告だった。2枚続きのつり広告。「おや~ここは阪神電車じゃないぞ」「そっか~阪神と阪急は一緒になったんだった」というわけ。妙な感じがする。別にスポーツに執着はない、特にファンのチームが野球であろうとサッカーであろうとなし・・である。カラーの違う2つが、どんな風になるんだろうな・・と遠巻きにしてみている。

そういうえば執着しない。平和の危機と音楽以外には。平和の危機は命にかかわること、音楽は心の命に関わることなんていってみたりして。他のことについて、こっち側とあっち側をなるべくいったりきたりして、ものを見ていたいと思う。だから、一つのものに熱狂しない。今も大好きなものはあるけれど、まい進することはない。

執着しない生き方といえば・・・この間、夕刊を読んでいて森巣博という人をクローズアップしていた。実は、この人の本で「ナショナリズムの克服」という姜尚中さんとの対談のを持っていた。でもずいぶん前。
全然経歴や職業をしらなかったけれど。ギャンブラーで作家でテッサ・モーリス・スズキさんの相方でもある。彼の言う、「境界」という言葉にふ~んとひっかっかた。自分の子供が学校で差別を受けたときに、差別するほうは「境界」をもっていて、そのエリア内を守ろうとする。それって、人の垣根だけれど、これが地域の垣根になり、国の垣根になったり、民族というものの垣根になったり、肌の色という垣根になったりするんだろうな。

要するに、「違う」ということと「保身」があわさったときに、排他的な行動をする。そこに利害がからむとやたらとヒートする。ひどくすると戦争する。という人間の感情にコントロールされた、浅くて薄いナショナリズムを感じる。だから、なるべく執着しないでいるというか、そういう性格かもしれない。

ところで、この秋。梅田をうろうろするわたしは、鍵盤を捜し求めている。生のピアノではなく、当の昔に手放したフェンダーローズの音を求めて。あるいは、ぐっとくるサウンドを求めて。さあて・・・。どんな音楽をつくろうか。

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2006年09月14日

日常社会の中の宗教

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朝日新聞の夕刊に2週にわたって掲載された対談があった。「宗教と社会活動」というテーマで、カトリック神父の本田哲郎さんと浄土真宗本願寺派の住職の釈徹宗さんの対談である。
現代に生きる宗教について語り合ったものであるが、おそらく日本社会の中で今ある、求められる宗教的かかわりとは何かを問うている。

本田さんは、大阪西成区のあいりん地区で、野宿者の支援を行っている。はじめは炊き出しをしていたが、食事をもらいにくる労働者が本当はそういう「施し」を望んでいるのではないと気づく。
それから、賃金不払いの会社への交渉、生活保護申請の助けなど具体的な生活支援を行う活動に転換していった。彼らに「寄り添う」活動へと。
本田さんはクリスチャンファミリーに生まれている、だから、キリスト教の組織と建前との開きに疑問をもってきた。組織としてのキリスト教と、宗教の本質が離れているということで、隣人を愛せといいつつ、現実にできないことをするところに生じる欠落したもを感じ取っていた。
本来はキリスト教で言われる「アガペー」は、「愛」という抽象的なものより元の意味は、「その人をその人として大切にする」ことだという。そういうことなら、しっくりくる。

西成で活動していても布教は一切しない。神父は、布教よりもこちらが野宿者、日雇いの人から教えられることのほうが多い。という。宗教者よりも本当の困難をしっている彼ら。そいういう底辺で苦しむ人に寄り添うことが本来の「隣人愛」であるということも言っている。今、アメリカでブッシュの支援するキリスト教は、原理的な福音主義であり、聖書の記述がすべて歴史的事実とするとらえかたは根本的に間違っていると本田神父は重ねて言っている。

誰に寄り添うか?釜ヶ崎(西成)では、キリスト教・仏教・左翼の人たちが互いにうまく共同で活動しているという。自分の心の中で、誰を信心しようが、それを超えたところに本当に「人として人を大切にする」ということが成立する。と。これは同感だ。

目的は、人に寄り添うことであるならば、まず自分の宗教的立場があって活動しているというのはおかしい。まず、一人の人としてあり、その人が何に支えられているかは問わない。
本田さんの言葉の紹介ばかりになったけれど、こういう意見が多数派なのかは私には知りようがないが、かなり日本的なあるいは、日本固有の、多くの神との共存という社会認識の上にこの考えはあるように思う。原理的に先鋭化していきにくいのが日本の風土であると思うが、中には、オウムのように排他的になっていく新興宗教も中にはあるのが現実か。
誰が何を心の支えに生きていくかは問題ではなく、組織にとらわれないのが大切なのだろうとわたしも思う。教義や信条にしばられないことが大事だと、釈さんも言っていた。

この国は、神道原理主義を政治的に利用して国民を戦争で殺した。先鋭的になるということは、ほかを見ない、相容れないという孤立姿勢だ。人間も人との関係もゆるいほうがいいなとわたしは思っているけど。何にも属したくないというのもそいういうこだわりの表れか?やっぱり転石のように生きようかな。
Like a rolling stone ってことで・・・・

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2006年08月17日

求人募集

以前も、子供が中学のときに自衛官募集のチラシを持って帰ったときにはブログにのせた日付を見ると、去年の1月だ。

MLでしった琉球新報の記事。hanaさんの息子さんにも募集がきた自衛官募集を思い出す。
この自衛官募集のDMは、住民基本台帳を閲覧して高校生に向けて送られたものという。保護者から苦情がでている。

この記事の最後の那覇の母親の言葉が象徴的だ。
>那覇市内の県立高校に通う息子に、ダイレクトメールが届いたという40代の
母親は「息子は資料請求もしていないのに自衛隊からのダイレクトメールが届き、
赤紙が来たみたいだと話していた。親としても不愉快だ」とまゆをひそめた

赤紙。徴兵される感覚。まさに、この国の政治の今の空気を物語っているように感じる。
まず、政治家の子供から勧誘をしたらどうですか?華氏911でマイケル・ムーアが議員に向かってさかんに米軍の勧誘を行ったように。

週刊金曜日では、8月4日号で「息子は自衛隊に殺された」という記事がある。戦場に送り出されなくとも、自死という形で「いじめ」によって殺される。
自分で死ぬ以外に逃れられない苦しみを自衛隊から受けた、家族の告発がこの記事である。
軍隊というのは、大なり小なり人間性を失うことを教えるというのは知ってはいる。一方的な正義のために
何の疑いもなく、人を殺すことができるように。そんな人間に誰がさせたい?また、きわめて暴力的な環境で、お互いの人間性も守られないそんな組織というものがあっていいのか?

自衛官が殺人マシーンであるといいたいわけではない。だって日本は、他国へ行って戦わないのだから。
どんな残酷な軍人だって、まもりたい家族の命というのがあるとすれば、誰の命も奪ってはならないというのが原則だ。人が人として、普通の感覚を取り戻せる。それが国の単位であってもまたそうだと思っている。

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2006年08月15日

ホームステイ~韓国からの客人

先週は、手作り楽器のワークショップが連日行われていて、楽しくも忙しい日々だった。その最後の土曜日に、韓国から若い礼儀正しい、姉妹が我が家にホームステイにやってきた。

韓国の私の家族の友人である、黄氏がパックツアーの日本行きを考えていた姉妹に進言し、ツアーをキャンセルさせて、我が家に泊まるように計画している・・・と連絡があったのは8月にはいってからだった。
急なことで、とりあえず仕事のある日もあったのだが(ワークショップの)受け入れることにした。
私たちが、韓国に行くときは本当に、障害者施設やこどもの施設に案内してくれたりする、黄氏の頼みだ。お返しをしなくてはいけない。

日曜日は、混雑がわかっていたけれど京都観光へ。
我が家からは、京都はわりあいと近い感覚でいける。希望するところは、金閣寺・清水寺など。
京都は、本当に観光客であふれかえっており、バスに乗ると、ハングルはもちろん、スペイン語、英語、ポルトガル語(らしく聞こえた)など、いろんなことばが飛び交い、京都はほんま日本を代表する観光地なのだと実感する。

京都は歩くのが楽しい。八坂神社から清水まで二年坂、三年坂と上がっていくと、いろんな土産物屋がずいぶん長く来ていなかったので増えていた。

彼女らはもちろん神道について知識はないから、御祓いなどは知らないらしく、厄除けの御祓いが15分5,000円と書かれた立て札を見て、説明するとびっくりしていた。自分で祈るのは「ただ」だよというと、がらんがらんとすずを振り回して祈っていたけど。

お守りもみたことがなかった。日本は節操なく、神や仏に現世の利益を望むという習慣をなかなか理解しにくいことと思う。私の友人から日本人は何でもお金にかえるから信仰心が薄いと韓国の牧師が言っていたと聞いた。うん、なるほどね。神や仏はなんにでも金がついてまわるわ。

そんな違いを楽しんで、彼女たちは帰って行った。何を感じたか?それは聞かなかったけど。
友人と連れ合いのハングルだのみで、わたしは片言の英語という会話だったので、いかんせん深い話はできなかった。

そんな彼女たちがかえった次の日、つまり明日というか今日になったけれど、小泉はおそらく靖国に出向くのだろう。久しぶりに、こんなにTVで靖国が取り上げられ、雑誌でも特集されることとなった原因はまたしても、コイズミの行動にからむ。

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2006年07月30日

よくも悪くも

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よくも悪くも、誰も問題にしないことだろうがブログの更新をしていなかった。
よくも悪くも、この間に「どうしても書いておきたい」と心を動かすことがなかったからか?
よくも悪くも、悲しかったり、嬉しかったり、腹が立ったりしなかったからなのか?

今、気がついた。確かにパソコンに向かっていた時間は、今多くは、楽器に触る時間に変わっている。
音を出す時間は限られている、とはいえ常識的でない時間にウチでは音がなっているけれど。長年、住み慣れた家で、父も楽器を教えているのでいつも音が鳴っている。
心の力を使わなくて、知的な力や、技術の力をたくさん使っていると、感性的な部分は働きにくいのかもしれない。

今日、「世界一受けたい授業」というTV番組で、「泣くことは、心をリセットする」というテーマの授業があった。泣きたくなるようなこと、何かで心を動かされて泣くところまでいくと、心はそれまでのストレスを開放してくれるそうだ。血液中のストレスをあらわす物質が減少するという結果が示されていた。
そういえば、泣いてない。映画や本とゆっくりつきあってなかった。

今の自分は、実に上滑りに生きてると感じるときがある。多くのことをこなさなくてはならないとき、人は
深く考えたり、立ち止まることをとりあえず、置いといて先に進もうとするから。充実していないわけではないのだけど。いろんな人と出会うし、考えるし、段取りするのだけど。

今日も、茨木市でワークショップをひとつした。
子供たちと楽器つくりを一緒にしたのだが、とてもいいワークショップになった。それというのも子供たちが小さい子と大きい子で自然と協力したり、作る喜びや、音を出す楽しさをみごとに体現してくれたから・・・
よかったなあと、思っている。この夏は、まだ子供のワークショップがあるが、いいスタートだ。

だけれど、やっと深夜。今日、立ち止まることができた。そうしたいと思ったからなのだけど。
そして、WEBの中のブラックホールにすいこまれる感覚に帰ってくる感じがもう、すでに懐かしい。
またいろんなブログのところに遊びにいこうっと。

投稿者 pianocraft : 02:26 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月07日

マイクを離さない男

もうひとつ、七夕には書いておかないといけない話がある。
とはいえ、もう何べんも書いてきた。私的なことだ。

七夕は友人の命日である。真夜中の駐車場の前で暴漢に襲われ命をおとした。
大きな体をしていた男だったのだが、腕に覚えが中途半端にあると、必要以上に抵抗してしまうのか相手の凶器を省みずに、失血死した。

結局、尻のポケットから見えていた長い財布を盗む目的の犯人だった。
抱えていたバックの中に、本当は私が見てみたかった、大切なノートが入っていた。もう、二度と見つからないだろうけれど、大好きなシンガーの伝記のようなものを書きためていたらしい。
私も好きなそのシンガー。
結局多くのものを、奪われた。

先日、日曜に、彼のご両親宅へおしかけて、にぎやかに供養パーティ(変?)をしてきた。
仏壇の写真は、相変わらず「マイクを掲げてシャウトする」姿だった。よう10年以上おんなじ格好してるわ。とみなに冷やかされて、どう思ってるんだ。え!?
これからも、私も音楽を離さないからね。

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2006年07月02日

小さい出来事

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桔梗寺のピンク桔梗

6月は、いつになく仕事がばたばたした。けれど月末には、老親を連れての小旅行に出かけた。
その前日は、もう何年もあってない高校時代の友人と再会して深夜まで飲んでいて、とんでもなくヒドイ朝になったのだが、ドライブ旅行のために重いからだを引きずり、車を出した。

昼ころには、梅雨の中日の強烈な日差しに、へろへろになりながらゆっくり、いくつかの場所を移動した。
夕方になるにつれ、なんとか調子を取り戻したときに、桔梗の寺を訪れた。
老親と一緒なので、極力歩く距離の少ない旅だ。
新緑の美しい田んぼと桔梗の紫がぱっと気分を変えてくれるのを助けてくれた。

その日の一泊は、ことのほか私にとって、パソコンを使わない、TVを観ない、家族の用事もない、ゆっくりとした夜になった、信じられないくらい早く眠って、本当に御褒美のような一日をもらった。

旅行が好きだった両親は、今は体力の自信もなくなってきていて、その上、たよりの子供は仕事でばたばたしているので一緒にゆっくり旅にでることはなくなっていた。
こんな日も良い。と久しぶりにおもった。

年をとるということは、自由がきかなくなること、つまり不自由なことが増えること。けれど、心の中まで不自由になるわけでなく、きれいなものは心に響く。

今日、大阪で最高齢の調律師協会の会員の方の手紙文をFAXでもらった。
読んでみて、びっくりした。
手紙というものを何年も読んでいなかった・・・と。
この方の手紙は隅々まで、美しい言葉でつづられている。日本文学の秀作を読んでいるような流れるような文。私にはとうてい書けない。
若輩者に対して礼を失せず、おしつけがましくもなく、自然で、よけいな修飾もない。難解ないいまわしを使わず、本当に美しい。

そんな日本語が老いた人たちのなかに息づいていることを知ると、見えなかった何か小さなものが見えた気がした。

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2006年06月26日

奇妙な病気

雑然とした書類仕事、ありがたいけれど多忙な本職。このせいで、ブログの更新はとどこおりがちだ。

この間、沖縄の「慰霊の日」も粛々と過ぎ、イラクでは自衛隊が撤退の準備を始めた。
自衛隊がイラクへ行き、日米の軍事同盟は強化され、着々と「敵を待つ国」になる日本。
そうそうW杯も見てたっけ。何故か、野球よりも愛国主義的でないサッカーは、チームがはっきり組織で成り立つ、パーツとしてしっかり動くというような野球と違って、個人技のウエイトの大きさ、個々の体力の強さ、など個人の「考え」「体」「技」が非常に重要だからか。

それだけは良かった。、スポーツイベントとをみてる不快さがなかった。君が代はたいがい聞かないしね。

ところで、そのような毎日で、疲れ気味の自分がぼんやり休んでいた今日。急に息子が帰ってきた。
「しんどい」と言うその顔をみて驚いた。
まぶたが赤くはれ上がり、むくんでいる。涙がとまらない、鼻水が出る、咳も。
おかしな顔をしてる。アレルギーか?と疑った。
熱を測り、脈をはかってと相方にいう。

「どうしたん?」「友人宅で食事した後すぐに、目がかゆくなり、息苦しくなった」こりゃ急性の食物アレルギーや。と判断。呼吸のことが、何よりも心配だった。
アナフィラキシーになってたら命取りだ。

心配で救急病院へ連れて行く。
診断は、やはり「何か」のアレルギー。アレルギーを押さえる点滴をしているあいだも、呼吸の状態に変化がないが、お医者さんが見に来てくれた。
この病院は、2歳で肺炎で入院して以来だ。
最近は、血液中の酸素の量を指先にはさむ機械で判るらしい。
それで、おちついているので呼吸には問題なさそうで、点滴後に帰宅した。

食品添加物に気をつけていても、体調によっては何があたるかわからない。
原因物質はわからないが、小麦か生いかか生ほたてか? 誰にもわからない。
アレルギーは親も持っているし、本人も花粉症が少しはある。
本当に、奇妙な状況だ。

息子の顔のはれは、ずいぶん時間がかかって、ましになっていった。
けれど、何らかの食物は注意しなければならないということは、これからずっとつづく。
人間は、あるいみタフだと思うけど。
からだが奇妙な反応をするせいで、随分生活はめんどくさい。
ひさびさに、心配した。健康のことでは、老親以外にわりと元気な我が家では、あまりない一日だった。

けれど、世の中には、本当に辛い戦いをしている人もいれば、望まない紛争地に生きる人もいる。

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2006年06月20日

歌を失う

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今日は、ご近所の大衆中華料理店「珉珉」で、やはり近所の串カツ屋さんでもありテナーサックス奏者でもある方のJAZZ LIVEがあった。身近に音楽があり、いつも顔を合わせる街の人が、同じ街でパフォーマーになったり、お客さんになったりするのはいいことだと思う。

と、こうしてお客になっていると、心が騒いでくる。

私は、街の人間は、いつ自分の歌をうしなったのだろうとよく考える。お店で、カラオケで歌う歌ではなく、たとえば日本でも民謡をよく唄う地域の人たちが持っている、人が寄り合い、歌う唄。
自分にはもとから、ないという感じもしている。気がついたら、流行の歌や、レッスンのピアノの音がまわりにあった。ヨーロッパ産のクラッシック練習曲を自分も弾くことになったりすると、より、根っこの音楽がわからなくなる。決して好きでなかった練習曲。

その後は、ロックを好きになった。

だけど「ルーツミュージック」ということばに、いつからか惹きつけられる。
次には、アメリカ黒人のブルースを聞き、弾きはじめる。
ピアノは、器楽演奏のためというより、わたしにとっては伴奏楽器としてのほうが自分には合っている。
というのは、歌い弾きをしたいからなのだけどね。

うんと時間がたって、アメリカ黒人にとってのルーツミュージックとなる「ゴスペル」と出会い、イエスキリストのためにのみ歌い、聖書の言葉を歌うという音楽というより、祈りの時間をすごす。
そして今がある。
けれどここにきて、歌を取り戻したいと強く思うようになった。

「ナミイ」とであってから。
「歌は講釈するもんではない」
これは、歌の中身などについてあれこれ理由を考えたりすることをいなしてる。
「歌は隠すもんではない」これは、歌を歌えるのに歌わない人にむけて言われたことば。
ナミイは、歌を生きている。
年端もいかないころから仕込まれた三線で生きてきた。死にたいと思うことも積み重ねて。

私も自分の歌をとりもどそう。と考え始めた。
歌は聴くもんではないのだ。聞いて癒されることもあるだろけど、自分がやったほうがおもしろいって。
急遽、私はゴスペルから卒業することに決めた。別に入学したわけでも入信したわけでもなかったけど、この日本にあった唄を忘れていたから。
これから取り戻しにいこう。ぼちぼちね。

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2006年06月10日

虫よけの話。

「週刊金曜日」が毎週ポストに届けられる。創刊当時からの読者だけれど、忙しいときはつい、封もあけず(郵送なので封がされている)何週間もほったらかしになっている。一冊500円もするのだからもったいない話だ。
来たばっかりの金曜日を今回はさっさと開けた。「愛国とはなにか」と大見出しが踊っている。ふむふむと
読んでいくと、「新・買ってはいけない」が気になった。
以前も「買ってはいけない」が発売されたがその続きは、金曜日でつづいている。

今回は「虫よけ塗るタイプ」の商品だ。以前はスプレーが多かったが、噴射による薬剤の吸入が問題になり、塗るタイプが発売されたという。
けれど、内容は同じで有効成分は「ディート」である。リンクをたどってもらえれば、その薬品の怖さがわかるのだが、
書かれているとおり、米軍が兵隊を蚊からまもるために開発した薬剤で、湾岸戦争のときに用いられたが、帰還兵の一部が記憶減退・頭痛・疲労感・皮疹などの湾岸戦争症候群に陥り、ディートが原因と疑われたらしい。(劣化ウラン弾の被爆が原因とも私は思うけどね。)

特に夏場は子供のアウトドアでの遊びに欠かせない、必須アイテムのように思われているから、気をつけなくてはいけない。
では、何をつかえばいいのか?の答えも記事にはかいてあった。
「なのはな生協」からの情報で手作りで虫よけが作ることができるという。
作り方 精製水 90ml、りんご酢 10ml、天然エッセンシャルオイル 10滴 を加えるだけ。
エッセンシャルオイルは虫よけ効果のある、ユーカリとか月桃の花のとかがいいのだろうか?
そういう商品も見つけた。リンクはここ

ともかく、「食品の裏側」で学んだように、身の回りにはない、わけのわからん薬品は要注意だ。

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2006年05月29日

一泊カラーセラピー温泉付き

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散歩でこころ惹かれる自然を採取して作った作品(左が管理人作、右は小迫さん作)

わたしの素晴らしい知り合いのカラーセラピスト・ただみよこさん(キッズクレーレ主宰)がお声を掛けてくださった、温泉一泊のセミナー、仕事が終わってから27日の夕方より参加してきた。
多田さんの吹田の北千里の自宅でのセラピーは友人を連れて行ったり、家族を連れて行ったり、遊びにいったりと何度となくお邪魔している。いろんなことの気づきを、インスピレーションを得る事ができこころがリフレッシュする。

カラーカウンセリングといっても、多田さんのものは、カラーだけに留まらず、色んな角度から心理分析をしていく、多分誰でもどこかでやったことのあるはずの「エゴグラム」も勝手に相手の都合で、受けさせられているのに、その結果を知らないでいることが多い。それを、自分で確かめ、自分のもっている行動のうらづけとなる、「心ぐせ」(と多田さんは呼ぶ)をつかみ、人間関係や物事に対処する時の自分をコントロールしていこうというもの。その方法を心がけると、ストレスを減らす事ができる。

「相手は変えられない」でも「自分の行動は変えることができる」。と多田さんはよく言う。苦手な相手には、自分が苦手とする原因があるはずだ、心のパターンで自分とは相容れない何かがあるのかもしれない。そのときは、この人はこういう人であるから、こう行動すれば、がっかりしたり、おこったりしなくてすむのでは・・・というように自己コントロールをかける。
私は、苦手な相手とやりとりするのがある意味「楽しい」と感じる時がある。分析的につきあうとおもしろい。

この週末は、そのようなセラピーもあったが、前半を参加できなかった、でもちょっと意外な出会いがあった。それは、「みちるwith関西1バンド」のパフォーマンスだった。
このバンドはアニメソングをうたう「みちる」さんとシンプルなギター・ベース・ドラムのバックバンドのセットだ。アニメソングっていうと、ちょっとオタクの好きなジャンル?と連想してしまったり、なんや、お子様向けか~とたかをくくってしまったりしがちだけれど、このバンドはナカナカのものだった。

懐かしいアニメソング(年齢にあわせてか・・)が次々繰り広げられるのだが、そのアレンジが最小セットのバンドらしくない重圧なリズムで畳み込んでくる。タイトで華やかなドラム、それにからむ弾きまくるベース、リズムにささえられ、一見サンボマスターのギターみたいな(というのは外見のことです。実はサンボマスターは意外とすき)素敵なリード。あんまり生のロックバンドを聞くことがなくなってきた最近の私の日常だったが、いい気分にさせてくれて幸せだった。

またバンドしたいなと思ったりした。

翌日は、散歩をして、自然のものを拾ってあつめたり、ゆっくりして、初めて出会う参加者の人たちとも楽しく過ごさせていただきリフレッシュした2日だった。
多田さんは大阪のOAPでも講座を持っている。癒されるのもいいけど、自分で知り、変化を求める人にはいい発見があると思うな。

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2006年05月26日

PCが戻ってきた

メインのPCの故障で、入院させていたのが帰ってきた。あろうことか、ハードの故障で、電源ボタンが押せないという状況だった。さっきまで、押してたのに・・・・
メーカーの修理に直接だす。デスクトップだったので、大きなハードディスクを日通の人が梱包してくれた。

結局、パネル部分の交換。けれど、ハードディスクの内部にも問題があり、アクセスできないファイルがあるとのこと。修理にはハードディスクの交換をすすめられた。しかし、電源をいれたら早速打ち出さないといけないファイルがあったし、そのまま初期化されたらデータがパーになる。ともかく、そのまま返してください!といって返してもらった。

機嫌よく働いているけど、なんだか爆弾をかかえているようなやな感じだ。
バックアップは取ってる。もしクラッシュしたら、考えよ。

でもいつものところに抜けた穴があいていて、なんだかペースが狂ってしまった。ノートPCは使えるのだけれど、いまいちブログ更新する気分ではなかった。

そんなおり・・ちょっと三線をまじめにしようと考えた。
十三の第七藝術劇場では、「ナミイと唄えば」が上映されている。人間ジュークボックスとよばれる、ナミイおばあの物語。沖縄の歌を覚えたいと思っている。

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2006年05月14日

生野フィールドワーク

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日本一古い橋の跡

昨日は雨の中、「在日コリアンの歴史を学ぶフィールドワーク」をコリアボランティア協会の金君、鄭さん、杉山君に案内、レクチャーしてもらい楽しい時間をすごした。
この企画は、私のゴスペル仲間の数人の要望で、在日韓国・朝鮮人の歴史を学びたいという熱い気持ちに答えるためにコリアボランティア協会にお願いしたものだ。
生野区を在日韓国・朝鮮の歴史を感じながら、歩き、史跡を訪ねる。コリボラは普段からこういう活動を行っており、希望に応じて案内してくれる。

コリボラのある生野区桃谷駅~鶴橋駅周辺は猪飼野のと呼ばれていた。いまではほかの地名になっているが古くから韓国・朝鮮の人がすんでいる。
戦争で強制労働のために連れてこられた韓国・朝鮮の人々は疎開道路といまでも呼ばれる大きな、かつての軍用道路をもとあった百済川を埋め立て工事し、新たに平野川を作った。
平野川にたたずむと、細い生活のための橋がいくつも架かっている。多くの人が朝鮮市場に食材をもとめていききしていたのだろうな・・・と思うと活気のある風景がこころに浮かんだ。

今の韓国の若者たちは、在日韓国・朝鮮の人たちの独特の苦しみをしらないことが多い。それは日本にいたからこそ、アイデンティティーを強く求める。祖国を離れざるを得なかった人と今の韓国の人との間では違った感性をもっている。お互いを理解することも、十分に交流していかないとうまくいかないこともあると思う。日本人としては、そもそもその苦しみの原因を作ってしまったわけだが、どちらの状況も知るほうがいいと思う。確かに、後年仕事をもとめて日本にやってきた人たちも少なからずいて、この生野という地域は独特の活気を持っているが。

せまい路地裏の人情。肩を寄せ合っていきている街。
ここには、そういう空気が日本人の貧しい人や障害者も引き付けて、今ではもっともバリアフリーのこころを持つ街となったと私は感じている。
雨の中、いい街めぐりをしました。
でも、コリアンタウンは本当に観光地に変わっていてびっくり。

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2006年05月11日

サヨクとかウヨクとか

今日の新聞で、小熊英二さんがインタビューに応じていた。著書に「<民主>と<愛国>」という大作や最近では、「日本という国」という中学生向けの本も書いている。

このインタビューのタイトルは、「ナショナリズムの今」。
ナショナリズムは、いつの時代でもあった。内容が変容してきただけ。好景気の時は、「日本人が優れている」「日本的経営はすぐれている」式のナショナリズムが、90年代は、経済が停滞したために歴史問題や靖国問題を焦点にしたナショナリズムが生まれたという。それは「表現形態が変わっただけ」と。

今は中間共同体が壊れ、個人がばらばらに存在するために、孤立と不安が生じ、よりどころをもとめて大衆社会型のナショナリズムが成立するという説明。それは、むしろ「群れ」ているポピュリズムと呼ぶにふさわしい。従って、右派や保守派には「思想的な核」がなく、「アンチ左派、アンチサヨク」という一点で結びついていると述べている。

このような分析をおもしろいと思う。おおよそ、平和主義と自称する人々のどれだけが「サヨク」と思っているだろう。私もそうとは思っていない。右・左どっちでもない。例えば「憲法9条」が素晴らしいから、変えたくないと思っていても、それは、その言葉どおりである。
アンチ巨人、アンチなんとか・・・これが嫌いな人集まれというのが、よりどころの群れっていうのは、なんてつまらなさそうな・・と思う。

けれどそう言う団体が、世間の「なんとなく軍隊賛成」「なんとなく東アジア脅威」というムードに後押しされて、本当に政治を動かす時。それは、恐怖でしかない。
どこかいごこちのよい、全体主義に寄りかからないで欲しい。せっかく個人でものを発信し、情報を獲得し、ネットワークを持つことができる力を得たのだから。
そういえば、教育基本法の政府改正案の「愛国心」も問題になっている。そういうものを規定しようということそのものが、理解できないけれど。
個人を本当に大切に思わない人間は、他人のことも想像がつかない。さらに関心を持たない、知らないでもいいと、関わらなくてもいいじゃないかという人も、結局自分が享受している自由を失う事になるだろう。

最近、実に自分が愛国的であると思う。国の政治を考え、平和を願うことはこの国、このエリアを大切に考えているからこそだ。そういう事を愛国というんじゃなかったっけ?
でもね。「愛国」という言葉は、いまやある種のイメージしかもてなくて、嫌いだな。自分の生きているエリアがすみやすい、生き易いところであるように、願い、考えること。でしょうか。特別なことでない。

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2006年05月06日

静かなる拒絶

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中之島祭り最終日

今日は、仕事に行った。こんな休みにしか在宅しない人もいる。KORGの消音装置をつけるという仕事。
でも、きのうは、相方と中之島祭りの最終日に出かけた。手作りの二胡をもって、もし売れたら売上の一部を「コリアボランティア協会」にカンパするということで、テントの片隅でひろげていた。
大方が、楽器に興味をもって体験してもらっておしまいだったけれど、人寄せとにぎやかしにはなったかなとも思う。お隣のお店のガーナの人と顔見知りになった。来年も中之島で会えるかな?

その帰り、コリアボランティア協会に出入りしている車椅子の男性と途中まで一緒に帰ることにした。
中之島公園の最寄駅は、北浜駅と淀屋橋駅。北浜から帰ろうと一緒に移動していた。中之島公園から一番近い駅の入り口を私達はいつも利用している。橋を渡れば、すぐのところだ。だが・・。今日は車椅子の彼と一緒だ。「エレベーターどこ?」「先のファミリーマートのとこにあんねん。」と堺筋をどんどん進んだ。

地図で確認すると、いつもの出入り口から250mほど南に行ったことになる。駅が長いのだが、そのエレベーターは目立たず、判りづらい。エレベーターに乗って、地下に下りる。けれど、そこは改札階ではない。もう一回、エレベーターに乗らなければ、改札にはたどり着けない。
次のエレベーターはどこ? なんと、さっききた道を地下から、逆戻りしなければならない。およそ7割方もどったところに、改札へ通じるエレベーターがある。さらに、ホームに下りるにはもう一度、エレベーターに乗る。

何故、同じエレベーターを使って1回で改札までいけないのか?改札に行くと、コリアボランティア協会の後発で歩き始めたメンバーとばったりあった。「まだ、こんなとこに」そう。ゆうに15分ほどの差がついた。
彼の車椅子は電動だ。なので、手押ししたり、押してもらったりがないので、移動が多くてもしんどいというわけではないのだが。
こんなことは、街では本当に日常茶飯事だ。街が、健常者が静かに拒絶してる・・・と思った。
あからさまに言わないけど、態度でハッキリ。ため息が出る。どうせ、いつかはみな障害者になるのに。
こんな不自由な街の作りかたをして。

北浜から淀屋橋の間に、大阪市役所がある。中之島公会堂も。

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2006年04月27日

身近な死

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切ないほど美しい夕日を、このところ見るときがある。黄砂でかすむ日もあったが、晴れ渡った日の夕方が格別に美しく、明るい。

そんな日に「ナイロビの蜂」の試写会から帰って、一本の電話があった。「~さん。今日のお昼になくなったよ」
彼女と最近会ったのは、今年の初めの新年会だった。3つの家族でするホームパーティで、多分3年ほど続けて毎年やっていた。
ずっと、うんと前から彼女は透析治療を週に2回ほど受けていた。そのせいで、いろんな合併症を抱え、入院する事もしばしばだった。今回も入院していて今度は帰ることができなくなったのだった。

彼女は、子供はいないが、にこやかな連れの夫を「カズ」と呼んで、いつも一緒だった。
私の友人は同じマンションにすんでいて、子どもたちは彼女の家で第2の自宅のような過ごし方をしていたりした。いっしょにゲームをしたり、話相手になったり。
友人の子どもは2人、不登校で、昼間の遊び相手になってくれたり、親以外の信頼できる大人として、彼女の夫婦とはとてもいい関係だった。

我が家の息子も、石垣島の旅に連れて行ってもらったことがある。
ふしぎな大人だった。
これから「カズ」さんは一人になる。妻を亡くしてしまってからの人生は長いだろう。
また、一緒にあそべるようにしようと思う。すてきな笑顔がまた、見れますように。

大切にされ、夫から羽に包まれるように愛され、守られてきた彼女が、今度は天国から夫を見守ってくれると思う。
人は生まれたら、こんなに優しい思いにつつまれて皆が命を終えるわけでないことは、承知している。
そのような状況が、大変難しくなってきているのかもしれないけれど、どの命もそういった権利はもっているはずなのだ。
きっと世界のどこの人でも。

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2006年04月21日

話題の「わるいはかせ」の本を読む

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著者:安部司
出版社:東洋経済新報社
サイズ:単行本/244p
発行年月:2005年11月

このところ、盛んにTVで出演しているらしい「わるいはかせ」、この前のブログの最後で書いたように、この著者の安部さんは、白衣の背中に「わるいはかせ」と書いて、小学生にも添加物の話を講演に廻る。

相方から取り上げて、仕事の合間に読んでしまったというくらい、この本は一気に読める、読みやすい本だ。この手の食品添加物関連の本は、数多く出版されているし、気にしている人はその中の一冊くらいは手元に持っているだろう。けれど、この本はそういった本の専門性ゆえにわかりにくかった部分を現実に添加物に対処する方法として、わかりやすく書いている。

安部さんのTVでのパフォーマンス。センセーショナルな、加工食品の作り方。
マジックのように、食品が作られたり、増やされたり、色が変わったりそれ以外にも目に見えない部分にも使われ、日持ちが良くなったりと、食品添加物は今売っているものに入っていないものを探すのが難しいくらいになっている。

この本の中で、そういう派手な面だけでなく、もっとじわじわと身近に潜む盲点とわたしが感じたのは、
基本調味料だ。手作りでつくっても、使う調味料がニセモノならばそこから、食品添加物の摂取は始まる。すべての食材を自然のものに変えても、ニセ醤油とみりん風調味料、調理用酒などで味付けるとということ。
私は、だしをとるのは嫌いじゃない。昆布だけの味もかつおの味も、煮干の味も好きだ。醤油やみりん、酒にも気を使っているつもりだ。でもポン酢を買ったり、ドレッシングの1、2本は冷蔵庫にある。
直接加工品をたべなくても、スーパーの安売り生活では自然と添加物を取るような生活をしいられるということを多くの消費者がもっと知っていいと思う。

食に関していえば、わたしの周りにはベジタリアンの友人が何人かいる。その中でもビーガンの人は動物性のものを身に付けないほどの人もいる。(バッグなども)
そういった、ベジタリアンへの移行も食を中心とした、現代生活のひずみを拒否するという行動のようにも思える。
精進料理を例にとっても、植物性のみを食することによって、人間の精神的な状態を変えようという考えは、なんとなくわかる。

基本は、シンプルなものをシンプルに作る。あるいは、素材と相談してつくることでしょうか?
そのためは、正しい舌でツクリモノにだまされないようにしないとね。

この本の内容に関する安部さんのインタビューが書いてあるサイトを見つけました。
インタビューのサイトはこちら

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2006年04月18日

歩いて仕事にいく

ここ2日ほど、暖かな日が続いた。たまたまその間、電車で仕事をまわった。
この季節は、変化の楽しい季節だ。車で来たことのある街なのに、駅から歩いていくとやはり風景が違う。

最近は歩きでまわる時は、カバンを担ぐのをやめてキャリアーつきカバンを引きずっている。
ごろごろと、うるさい面もあるのだが、背に腹は変えられない。金属製の道具をしっかり詰めたカバンは、
肩から担ぐバッグだと、どうも偏りのあるほうにかけてしまう。
それでなくとも、ひどい側湾のある体なので体が歪んでしまっている。
調律の姿勢というのもタテ型をやるときなど特にひどい姿勢だ。片腕だけ、ピアノ上面について、片手は
ピアノの鍵盤をたたくので。
いつも、まっすぐでない状態といえる。

歩いて仕事に行く時もたまにある。
自転車のときだってある。
この仕事は、大概毎日違う場所を移動しているので、気持ちのいい季節は、道すがら楽しみもある。
電車でいくと、大阪駅周辺をとおっていくことが多いので、本屋の寄り道もできる。
キャリアカーになって、よくばって本を買って食事の買い物までしたらむちゃくちゃ重くなってしまい、階段を使わないといけないところで、マズイと思うのだが、人間、自分を忘れるといけないなと思う。
よくスーパーでカートにいい調子でてんこ盛りの買い物をして、あとで持つときに後悔するというの・・・

昨日、仕事帰りに本を買った、ベストセラーらしい「食品の裏側」という本。その他いくつか。
この食品の本は、食品添加物のトップセールスマンだった人が、ざんげのようにその裏側を書いているもの。前にTVでご本人が出演していたのを見た。あちこちで食品添加物の講演をしているらしい。
白衣を着て、背中に「わるいはかせ」と書いて、人工のイクラやコーヒーフレッシュをつくって見せたりして大盛況らしい。食べ物との付き合いもよく考えなければね。


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2006年04月15日

心の自由・発言の自由

風邪でぼーっとしていても、自公の教育基本法改正案のニュースには憤慨した。

個人主義が行き過ぎたから、日本の若者は働かないのか?あるいは、教育が公共を教えないから、人は不道徳になるのか?
何故今、細かに教育基本法を改悪しようと画策するのか。

自民党が大好きな「愛国心」を養うという言葉をつかうかわりに、「我が国と郷土を愛する態度を養う」という。
愛するということばの、実にプライベートな響き。
おおよそ政治がささやく言葉ではない。日本をよりよくしようというならば、アジアと先の戦争の総括をするべきであって、国民個々人が、国は素晴らしいと思うことではない。
順序は逆で、そういうとこ日本は好きだな~といいたくなるように、するということ。

「日の丸・君が代」を無理やり強制しなくてはならない理由は、それが矛盾した事だからだ。
心まで政治に踏み込まれることはゴメンだ。

KATEKさんも書いていたが、我が家の朝日新聞でもこういう記事があった。

「職員会議採決禁止 都教育委 校長の権限を強化」
東京都教育委員会は、13日職員会議で、挙手や採決によって職員の意思確認を行わないよう指示する通知を都立高校など全263校の都立学校長あてに出した。

「職員会議は校長の職務を補助する機関」なのだそうだ。
教職員に対する締め付けがいっそうひどくなりそうで、教育基本法以前に先生達が首をくくりたくなるじゃないか?
学校というところに民主主義がなくなる。
国がこころを縛る。

でも、本当はこころは縛れるものではなく、するりとかわし、自由にすりぬけていくものだ。

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2006年04月08日

霞と強風

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本日の太陽

多分、今日、花見をした人は多いだろうな。と思う。強風の中、花びらとともに吹き飛ばされそうな突風にもまけず、楽しんだのだろうか?私も午前中は車で移動中に、背の高いワンボックスカーが横風にゆれるのが嫌だった。

午後からは、フリマの下見に行ってきた。
今年は、手作りの楽器を野外のクラフトフェアのような場で販売してみようと計画している。今日は宝塚のガーデンフィールドの手作り市をのぞいてきた。宝塚ファミリーランドの跡地にできた、ドッグランもあったりする公園だ。宝塚駅から歩くとちょうど、「花の道」ぞいに植えられている桜が見事に満開だった。

犬を連れて遊びに来ている人も多く、天気のよいときは気持ちの良い公園だと思うが、つい子供の頃に何度か来た「宝塚ファミリーランド」のこの階段はかわってないな、とか、植物園にもよく行ったとか思い出にふけってしまった。

その帰りに見たのが写真の「太陽」だった。電車でも「六甲」もみえへんな~と相方と話していたのだが、たしかに今日はかなり視界がわるい。中国の黄砂が強風で舞っているからなのか、春霞なのかよくわからないが、雲もみえずにそらが白んでいる。
太陽もじかに見ることができ、白く浮かぶように見えていて、「白夜ってこんなんかな」という感じさえした。
幻想的な太陽。
帰りの電車でもずっとみていたけれど、白くぽっかり浮いた太陽は不思議な印象をあたえた。

黄砂のシーズンになると、車が汚れる。中国と空の国境はないから、自由にやってくる。
人間だけが不自由だなとも思う。

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2006年04月05日

曇天の桜

桜がやっとあちこちで咲き出したな。と昨日、大阪城公園を横目で通り過ぎて思っていた。
けれど、夕方から雨が降り、今日もまた雨が降った。

雨上がりのどんよりとした雲の下に、幹だけがきわだって黒い桜を見た。
多分、太陽があるときには気が付かなかっただろう、「黒」に桜の別の美しさを見たような気がする。
鮮やかな顔料でうかびあがるうすピンクの花ではなく、墨絵にも近いかすかなピンクとまっ黒い幹。
こういう風景はたいがい車から見る。
仕事で移動しながら、あちこちで出会う桜を楽しみにしているが、こういう風に思ったのは初めてだ。

そういえば、随分。小さな旅もふくめて、旅のために旅をしていないなと思う。
街から街へ
住宅街から住宅街へ
国道からわき道まで
ぶらぶら歩くときも、もっぱら大きな街の書店であったり、地下街だったり、CDショップだったり。人のまみれたところばっかりだった。

ときどき、大きな風景を見にいきたいと思う。
昔のようにひとりでふらっといけたら・・・とちょっとだけ思った。

これは天気のせいということにしておこう。

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2006年03月24日

ブログを休んで「ダ・ヴィンチ・コード」にハマル

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タイトルどおり。今週は会議もあったり、その準備があったり、仕事と別のこととが重なり、気持ち的にばたついた。といいながらも、日頃は新書マニア(?)の私がめずらしくベストセラーを手にした。あんまり、ベストセラーといわれると、たいがい読む気がうせるのだけど、今回はすこし違った。
何の事は無い、「ダ・ヴィンチ・コード」が文庫化されたからだ。そして映画公開も決まっていて、読んでおきたかった。
ダヴィンチにまつわる謎めいた話。そして、イエスキリストの結婚説を扱うストーリー。これに惹かれた。

この本には、名画うんちく、キリスト教うんちくが満載で、そして映像を是非見たいと思わせる美術、建造物の描写にひきつけられた。ヨーロッパに行ったことがないけれど、本物見てみたいよな・・・と思わせる。ネタばれがおおいにあるが、角川のサイトも面白い。

この話のキーワードは女性だ。キリスト教における女性。そもそも、聖杯伝説やシオン修道会、オプスデイ、テンプル騎士団などのお話は古くから知られているらしい。ネットでごく簡単に見つかる。オプスデイの日本語サイトもある。そんななか。キリスト教に限らず、宗教が原理主義的になっていくと、「女性」は忌み嫌われる。その理由はひとつ「男を惑わす」ことにあるらしい。男を惑わすためでなくて、女性は存在してるはずなのだが、男が力を持つ社会では、差別対象となる。

アフガニスタンでは、タリバンが女の子の教育に介入して、学校にいかせないように脅しをかけたりしている。日本では、ジェンダフリーという言葉狩りをしている。いつも差別の底辺にいるのが、女性。
なぜか?人間同志の違いを考えるときの最小単位は男女の性別だ。どの世界にもある、男女、雌雄。
この二つの文化領域をどちらかが、支配しようとするとき。宗教を理由にしたり、社会的性的役割を理由にしたり、身体的相違を理由にしたり・・・・・きりない。

また、話の本筋にあるキリスト教について「ダ・ヴィンチ・コード」の作者ダン・ブラウンにインタビューしているのが面白い。

角川書店サイトから引用
<■あなたはキリスト教徒ですか。

 そうですが、最も伝統的な意味におけるキリスト教徒とは言えないかもしれません。キリスト教徒とはどういうものかと3人に尋ねたら、三者三様の答が返ってくるはずです。洗礼を受ければそれでじゅうぶんだと感じる人もいるでしょう。聖書の記述は歴史的にも完全に正しいと確信している人もいるでしょう。キリストを自分の救世主と見なさない者はすべて地獄に堕ちる、と考える人もいるかもしれません。信仰はいわば一本の連なった線で、人はそれぞれ自分の段階に応じた地点にいるのです。信仰のようなあいまいな概念を厳密に定義しようとしたら、ことば遊びに終始して、明白な真理を見失ってしまう結果になりかねません。その真理とは、わたしたちのだれもが人生の大きな謎を解き明かそうとしており、啓示へ至るそれぞれの道をたどっているということです。わたしはいまも多くの宗教について学んでいますが、学べば学ぶほど、疑問は増すばかりです。わたしにとって、霊的な探求はこれからも生涯にわたってつづくことでしょう>

これを読んで思った。自分の心の中にしかないもの。人にどうこういうものではないと。
超越したところに「信仰」はある。と牧師に聞いた言葉を思い出した。

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アクセスディンギー その後の顛末

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アクセスディンギーについて書いて、何日かして、セイラビリティー大阪の八木さんからメールが入ってきた。一部引用します。

<さきほど緊急連絡が入りました。
JOBが指定管理者から降りるそうです。
私たちの勝利です。
今後は9月までに、新しく指定管理者を設けねばなりません。
勿論、私達、利用者協議会も名乗り出ます。
当面は、従来どうりの開発協会が管理するので、なんらの変更も
ありません。
大阪市の決定をくつがえすという大仕事をやってのけたわけで、
みなさんの抗議行動が実を結んだのです。
あらためて、利用者の団結の力を感じますね。>

よかった~。「勝利です」のタイトルで送られてきたメール。これで、体験乗艇会も続けられるでしょう。
一度、アクセスディンギーというヨットを体験したい方、セイラビリティー大阪のサイトをチェック!!

障害を持った方も沢山参加できますように!


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2006年03月17日

アクセスディンギー 大阪北港での不安材料

昨年に正式に休止してしまったボランティア活動で、「みっくす家族レクリエーション」というものに震災以降、スタッフとして関わった。これは、現在も様々なボランティア活動を繰り広げる、大阪生野区の「コリアボランティア協会」の活動のひとつとしてあった。

簡単に言うと、障害を持った子供もそうでない子供もいっしょに「みっくす」して、月に一回は野外であそぼうという企画で、夏は奈良の山までキャンプに行ったりした。参加する子供には、ボランティアの若者(やそんなにわかくないものも含め)が一人に一人は寄り添い、いつも付き添う親とは離れて行動する。

障害をもつ子供の親は、その間にすこし一息できる。その時事情がなければ一緒に同行してもらうけれど、他の子供達の様子も見てもらったりする。親以外の関わりの機会を増やす目的も有った。子供達はいずれ一人で生きていかなくてはならないから、出かけていくのも、他人の力をうまく借りて、自己実現してもらいたいから。今のように支援費でガイドヘルパーをお願いしたり、そういう制度がまだととのっていたかったころにスタートした。
この会は障害を持った子供だけのものではない、「混ざる事」に意味があったので、健常とよばれるやんちゃな我が家の子供達も一緒になって駆け回った。障害をもっていて、変わった行動をする子供達と接して、それに慣れることが、理解の一歩だと私も考えていた。

その「みっくす」の企画の一つで、「アクセスディンギー」というヨットを体験しようという企画をかつて何度か持った。ヨットといえば、ちょっとお金持ちの遊びという感じがするのだがこれはちょっと違う。アクセスディんギーは障害を持った人が参加するレースもあるくらいで、子供にも操作が簡単だ。実際、知的障害をもつ子供と大人のボランティアさんと2人組になって、海に出てもらったけれど、操作は子供たちのほうがうまくいってたりして面白い結果となった。
つまり、海上では、健常といわれる人間は無力で、子供にその舵の行方をゆだねる他なすすべがないのである。なるほど、これはとてもすてきな乗り物だ!とそのときに感じた覚えがある。
身体に障害があっても、多くの人がチャレンジしている。ちいさい、かわいいヨットなのだ。

そんな、アクセスディンギーはセーラビリティ大阪によって、運営されている。
ところが、最近になって問題が浮上した。大阪市のやることによって。
<このヨットハーバーは開設以来大阪市および市の外郭団体である財団法人大阪港開発技術協会によって管理運営されていたが、本年3月1日よりの市議会で株式会杜ジェイ・オー・ビーが指定管理者に選定された。>とある。この会社はヤマハ発動機の関連会社で、琵琶湖などでマリーナ関連の運営販売を行っている。
<説明会開催の要請をする中で、指定管理者に選定された株式会杜ジェイ・オー・ビーが当ハーバーでモーターボートの展示・販売・運用をすることが判明して来ました。>とあり、狭い北港で、モーターボートとヨットの共存によって非常に危険な状態となる。琵琶湖でもモーターボートによる事故は多いと聞く。
せっかく子供や障害を持った人に開かれた北港を危険な状態にしないで欲しいという要望を、有志が起こしている。
詳しくは、 大阪北港ヨットハーバー利用者協議会設立の趣意書
セーラビリティ大阪 HP


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2006年03月12日

ことば・言葉

言葉を使う。blogを書く。しゃべる。読む。生きるためにとても役立つ言葉達。
しかし最近ブログのコメント機能を迷惑コメントに厳しい設定に変えた。もちろん、管理する人間がこのブログをどうしようが勝手なのだが、いろんな反論に丁寧に答えていた時もあった。
けれど、概して反論をする人たちは、「対話」をもとめていない。「批判」は結構だが、匿名製の高いインターネット上の言葉達は、時に攻撃的だ。そして、答えた言葉は投げたボールが相手からまた投げ返されることはなく、「いいっぱなし」の「攻撃しっぱなし」となる。

ある人から、「ようあんなんに答えてるな~」といわれた。実生活で知ってる人だけど。そう、なるべく自分が逃げないようにと思っていたのだけど。

今日、いつも読む、KATEKさんの「風を感じて話しませんか」に紹介されていた、ブログ記事を読んで、痛みを感じた。生の状況で、人間不信な場面にであうと、苦しいだろうと。人は残酷だ。人を簡単に傷つける。

言葉もそう。人間が使うものだから。
言葉・ことば。書きながらも、どうとらえられているか分からない言葉。
そんな不確実な表現の中で、わたしはどんな実を得るのだろう。
自分自身は矛盾もあり、弱さも、苦しさもある。もちろん、エネルギーに満ちているときもあるが、まあ。時には、書きっぱなしの自分に反省してみるか・・・てな感じです。

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2006年03月08日

辺見庸の記事を読む

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学校調律@体育館

今朝の朝日新聞に「漂流する風景の中で」というシリーズで、作家の辺見庸が「小泉時代とは」という一文を書いている。この文章の冒頭で「一犬に吠ゆれば万犬実を伝う」後漢のたとえだという言葉を取り上げている。<一人がでたらめを語ると、多くの人々がそれを真実だとして広めてしまうもの。>という意味らしい。その言葉のなかの「万犬」が群集で、「一犬」が小泉というわけだ。そして重要な事はそれをつないでいるメディアの功罪について、マス・メディア批判を展開している。

本文によると、かつて小泉首相が人気絶頂のころ「支持率80%の首相に批判的な番組をつくるのは不可能に近い」と民放TVディレクター氏は言ったらしい。
確かにTVのニュースショーは、先日からメール問題一色。その前はホリエモンバッシング一色。どこのチャンネルもトップニュースは同じ顔でうんざりした。しかも、どんどんその関心は次から次へとあきられると捨てられ、移り気に、熱狂的に過ぎ去っていく。
この熱狂に恐ろしさを感じないだろうか?
この空気感を辺見庸は「ファシズム」に例えた。ファシズムとは「いかなる精髄も単独の本質もない」ものらしい。本当は、芯のない漠然としたよどんだ空気の塊のようなものなのだろうか?
たぶん、そういった空気にとりこまれて戦争は現実のものとなったのだろうと想像できる。
寒寒とした気分。

右翼的な気分が今は流行で、情熱的で、自分のうさもはらせるし、「いっとけ!」なんて思わないで欲しい。
この集団的な高揚は陶酔できるシロモノかもしれない。でも、脳みそをうんとこき使って欲しい。誰が得してるのか。自分を守ってくれるものは、そんな社会じゃない。

学校を仕事でまわっていると、小学校や中学校では卒業式の準備をしているのがわかる。そんな体育館のピアノを手入れする。ここではどんな卒業式が行われるのだろう?といつも思う。今日の小学校では、子供がチーム分けをして描いた大きな絵が掲げられていた。そう、卒業するのは子供が一緒に過ごした人と場所と思い出。ひとりひとりの違った思い、こころを大切にして巣立って欲しい。
大人は、踊らされちゃだめなんだよね。ホントに。情けない。

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2006年03月03日

私のしごと館

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しごと館「フラワーアレンジ」の体験(作 自由人)

私のしごと館については、以前も書いている。というのもここに、ピアノ調律師の職業体験のブースがあり
月に2回程度は講師をしているからだ。大勢の全国の小・中・高生や一般の方たちと一緒に、体験を進めていく。今日は、そんななか体験講師としてではなく、ピアノのメンテナンスにしごと館に出向いた。
この日はわたしは時間的に自由に仕事ができるので、我が家の自由人を一人連れて行って体験に参加させた。

これは私が体験したものではないが、一つ目は「精密機械 時計」の組み立て。これには1000円の料金(現在)が必要だが、3種類のデザインからすきな一つを選んで、細かい部品を組み立て、仕上げる。
なかなか細かい作業で、大変なのだが、サポートについてくれている技術者さんが、大いにヘルプをしてくれたようだ。体験終了後、自分の腕時計のメタルバンドが大きすぎて調整できないので、相談したらしい。気持ちよく、ぴったりに調整してもらったおまけつきだった。満足して戻ってきた。

二つ目、フラワーアレンジ。体験料300円(現在)。これは、アートフラワーを使い、オアシスにいかにして美しく活けるかということを学べ、これは即、現実に役立つ。職業としてでなくても、実際につかえる技術である。お花も器もなかなか美しい。季節によってデザインが変えられていくので、近い人などは、お正月やクリスマスのシーズンのアレンジを狙ってくる方もいそうだ。自由人も上手い。なかなかのものだ。

この施設は、ハコモノ行政の典型的な施設として、グリーンピアなどにならんで、オープン時(2003年)より槍玉に挙げられてきた。確かに創りは贅沢だ。広すぎるほど広い。けれど、上手くテコ入れをして、あきらかにおかしいところを直していけば、施設の意義としては、悪くないと思う。
学生達に職業観を考えさせるのに、手に道具をもって実際に体験して、得ていくというのも、たとえさわりだけのものだろうが本で字面を追うよりはわかりよいだろう。また、本など読む気のない子だって、得意分野があるかもしれない。

わが自由人は、なかなか楽しい時間を過ごした。
さて、今月も講師でみなさんとお会いします。

私のしごと館 HPで体験が予約できます。
URLは http://www.shigotokan.ehdo.go.jp/

以前の関連記事は コチラ

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2006年02月08日

救霊会館賛美

大阪の西成、労働者の街。そこに救霊会館というキリスト教会がある。今日はそこで、韓国からきた教会の青年達と共に日韓友好賛美礼拝というのがあり、ハーレムJPクアイアの一員として参加した。

ここで聞いてくれる人たちは、多くはここのおっちゃん、おばちゃんたちだ、昨年も一度歌わせてもらう機会があったが、そのときはコンサート終了後に食事サービスがあったので、「アンコール?」「もうええ、もうええ」てな感じで、はやく飯にありつきたい一心のおっちゃんも何人もいた。あたりまえである。歌ではおなか一杯にならないからな。
今日は、韓国のチームも賛美し、わたしたちも歌ったけれど、寒い中教会は少しは居心地のいい居場所だったのかもしれないなと思った。

先日、大阪では大阪城公園と靱公園でホームレスのブルーテントの強制撤去があった。その前に丁度、公園に住民登録をしようとしたホームレスの人がそれを拒否した北区に裁判で勝った事例があったり、ホームレス対策はもっと新しい局面も考えなくてはいけないように思う。公園から追い出された人たちは、まわりの公園にいったり、病院に入院したり、すこし遠くへ移動しただけだ。
それぞれの事情も、意欲も違いすぎる。そこをすくい上げるのは、難しい問題かもしれない。自立に向けた支援も単純ではないだろう。
けれど、追い払っても解決しない。ここ大阪はほんとに豊かではない場所だ。人もお金も。経済格差のひずみがうんと凝縮してる。

こんな日に、ニュースの一番の話題は、一人の女の腹の中の子どもを大勢の他人が心配してるというヤツだ。大きなお世話だ。天皇の継承者?彼らは国に幽閉された一族だ。いっそ解放運動なんてどうかな?

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2006年02月02日

大阪の子どもたち

otona.jpg「大阪府青少年育成条例冊子」

2月1日付けで、大阪府青少年育成条例の一部改正が施行された。
TVなどいろんなところで取り上げられ、ワイドショーのコメンテイターがいろいろ好きな事を言っていた。
こと細かくに規定してあるので、詳しくはリンク先の「大人の責任」という冊子のPDFファイルを読んでもらうとして、大きくは以下のような分類だ。
●立ち入らせない
夜間営業する業種の施設への立ち入りの制限 16歳未満午後7時~翌日午前5時、16歳以上18歳未満  午後11時~翌日午前5時(保護者同伴等の条件つきの16歳未満も)
●外出させない
16歳未満 午後8時~翌日午前4時、16歳~18歳未満 午後11時~翌日午前4時
●見せない
有害図書の販売、貸し付け、閲覧
●持たせない
有害玩具
●買わない
古物、着用済み下着(青少年から買う)
●誘わない
●アクセスさせない 有害サイト

というのを書きつつ、ウチの16歳は友人の誕生日ケーキとプレゼントをもってお泊りに行った。
行く前にインタビューしてみた。
「カラオケで遅い時間は入られへんねんで。」
「10時過ぎたら、もとから学生証はださへん(学割放棄)だからバレナイ(本当は黙認でしょ)」
「店にとってかえってお客がおこったらキレられてややこしいやん。」
などと言っていた。
まあ、こやつは夜中にうろうろしてることはあまりないが、保育園時代(0歳児クラス)からの友達の家にはそこの親とも仲良くてよく出かける。そこでは直に我が子に聞けないことを相談されてしているらしく、「いつも子どもさんにお世話になってます」てな言葉をいただくと、奇妙な気がするが、まずは信頼している。
大人は、夜回り先生のように子どもを本当に「育成」するために、暖かい言葉と視線をもってやれているのだろうか?この条例の冊子の裏表紙には、「子どもたちを健やかに育てるために、ダメなものはダメ!とハッキリいえる大人に」とかいてある。でも本当は子どもを食い物にしているのは大人の側だろう。
ダメといわれすぎた子どもが夜に出かけていく。あるいは、塾に行くことで夜の外出はこわくなくなる。
子どもがやたら、夜にいるのは確かだ。
でも、夜中まで大人が遊んでいるのも確かだ。
なんだか、歪んでいると思う。ある種の規制はいるだろうが、最近、大人が大人でない。
一緒に子どもを連れて夜遅くまで、カラオケするのというのも感心しない。子どもが子どもの時間を失っているというのは、紛争地だけでないな。とあらためて思った。
なので条例で規制しても効果は果たして上がるのか???という感想でした。
さて罰金の第一号はいつ現れるのか?

子どもには子どもの事情がある。そこをいかに時間をかけて付き合うか。反省をしながら今まできた。多くは、確信をもてずに、やってきたけど。
けれど、子どもが一人前になったな。と評価するのにはうんと時間をやらなくてはならないと思う。これは自戒を込めて。

少なくとも大阪府に口出ししてほしいと思わない。
まあ、簡単にオヤが悪いんだという単純な結論を信用しない。親だけじゃ有りませんよ、大人全部です。

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2006年01月25日

ゴスペル練習初め~試練と新しい命~

今年に入って、練習や懐かしい韓国のヤンピョンドン教会の人たちとの交流もゴスペル関係の動きは何かタイミングを逸していて参加できていなかったので、私としては今日が歌い初めということになる。

講師は、山本真一郎さん
ブラックゴスペルをしているグループは英語で歌うことが多いが、この人は日本語で美しく歌うことを大切に教える。彼は、敬虔なクリスチャンでストイックで自虐的なほどに自分の信仰に対して不足ではないかと問うている。

今日練習した中の一曲で真ちゃん作品は、こんな歌詞だった。

神さまがくれた宝物

神さまがくれた新たな命
声をあげよろこぶ新しい家族に
尊い命が今ここに生まれ
誰にも見えない新たな命
与えられた命を大切にしよう

我が子を授かった喜びに満ちた歌。慈しみ深い親となる愛情。を歌詞から感じ取れる。
でも一方で彼自身は「試練」と感じる病気も持っている。
だが、「声とピアノを弾くための手を神さまは奪わなかった。」そのことに感謝している。と話す。
彼の暖かい声とこころから「感謝する」という言葉の重みが私のところまで響いてくる。

練習に行くと、やはり別の世界に足を踏み入れた感がある。そこは、祈りの場と化する。
そこに行くと、世俗の世界と隔世の感さえあるのだ。これが、わがハーレムJPクアイアの作る磁場のようなものでもある。

日常と非日常というのは、まったくとなりあわせにある。望めば瞑想の世界に瞬く間に入り込める。
生活の中で、ふと現実離れする瞬間が、この「祈り」なのだとあらためて、久々の練習に思う。
このところ、実によく映画をみて、本、雑誌、ネットの情報を読み漁る。現実に立ち向かい渇望し求める自分があるから、追い立てられるように、政府や国に対する強烈な不信があるから。これは、これからもやめられないと思うけれど、ふと、「別世界」に立ち寄ると癒されるような気がする。

毎年、思う。今年わたしはゴスペルを歌うのか?歌わないのか?
果たして、口ずさむ歌は何だろう??

愛するHJPのみなさんへ。感謝しています。人の暖かみをはぐくんだグループを率いる夏子さんにも。

投稿者 pianocraft : 22:25 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月15日

大平光代前大阪市助役 インタビューって・・・

13日の朝日新聞朝刊に、大平光代、大阪市前助役が沈黙をやぶってインタビューに応じた記事が掲載された。
関連 gooニュース 
「市議が発言封じた」大平・前大阪市助役、辞任理由語る」2006年 1月12日 (木) 08:08

大阪市はヤミ退職金・年金など厚遇に対する反発があり、改革を必要とされているのだが、大平さんが助役を降り、姿を消してしまったのには、いろいろ「狙われてる」説などとTVで発言する人がいたりしてどうなっているのだろうと思っていた。

このインタビューを読むと大阪って・・・やっぱこんなんかぁ~と溜息がでる。

議員の口利き問題について、自民党市議団の幹部と対面したとき、別の市議はこういったと言う。
<その時、別の市議は、新聞記事のコピーを私の写真のところをピンとはじいて、「口利きってどういうことや。わしらは、口利きをしますという看板を掲げて市議をやっとんねん」と言った。>(記事より引用)

また、市政に対して問題に感じたこととして、市の幹部、職員がくだらないことで市議に呼ばれることなど。
<例えば、ほうきの話なんて最たるものだ。市議がたまたま後援を散歩していてボランティアの人がいた。
聞いたらほうきは全部自分のものだという。「役所に連絡して届けさせる」と。局長に「すぐ来い」と電話する。>(記事より)
呼びつける、わめきちらす。これが、大阪市民の選んだ市議である。
やくざ?どうちがうの?

大阪市の市会議員 自由民主党・市民クラブ大阪市会議員団 (37人)
名簿はコチラ
さて、一部の議員の方々へ。わたしたち市民は公園掃除のほうきが欲しいんじゃない。ボランティアとは自ら進んですることなのだから。それならば、もっとおおきな無駄金を削減してくださいな。

この内容に関連する記事を調べていてこんなブログを見つけました。TB送っておきます。
自治体政策法務研究室<Blog> >自治体現場の職員が政策法務を語ります。
 ルールとして、コメント投稿・トラックバックは記名(氏名・勤務先明示)を原則とします。
 無断の匿名投稿・トラックバックは内容の如何を問わず、削除します
きょうも歩く

職員も大変なわけだ。市民と職員と敵対せずに、本当にクリアに市政が運営されるというのもっともいいのにな。

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2006年01月02日

今年もはじまりました。

31日に紅白でSMAPの「Triangle」を聴いて、「PEACE」の文字が浮かび上がったのを見て、今年の紅白はここに終結するのか。と思った。(結局、ところどころ見てないのだけどね。)

そして、年越しの喧騒をかもし出すTVから離れようと思って替えたチャンネルがNHK教育TVだった。
年越しであろうが、カウントダウンをしてようが関係なく、再放送のドキュメンタリーをやっている。その辺がいいなと思ったが、思わず見入った。「山田風太郎」の日記を追っている。
戦時、彼は病気で戦争に行けなかった。とっても「軍国少年」だったのにも関わらず・・だ。
だが、そのことで見た戦争を日記につづっている。

作家だから、日記を公開することもどこかにあったかも知れない。でも、中学生から書き始めた日記は、最初は意図してなかっただろう。わたしの周辺にも日記を書く人を最近知った。「10年日記」を書いているという。たった一行でもいい、書いていると、ある人とのかかわりや出来事を振り返る事ができると言う。

blogを書いてはいるが、ここでの自分は「ピアノクラフトワークの管理人」である。そのため、日記ではない面が多くある。でも、日記であるが故の、大切な何かが本当の日記にはありそうだ。ちょっと魅力を感じる。
今年は少し考えを変えて、紙の日記も書こうか?いや~このblogでさえ、不規則更新なのでね~続かんのんちゃう・・とか思いつつも。

今年もあいかわらず、また雑文を書きつづけようと思っている次第です。

投稿者 pianocraft : 18:13 | コメント (2) | トラックバック

2005年12月19日

暴力について

12月に入って今まで、あんまりblogを書いていなかった。去年は真珠湾攻撃やジョンレノンのことを書いたりしていたけど。

ニュースが気になっていなかったわけでもない。
書けない重さがあった。それは、子供に向けられる暴力についてだ。

暴力は、暴力をふるう側が弱いと思う相手に一方的に向けられる事が多い。
しかし、この度の事件には幼い子供に向けられる性の暴力の形がとられた。
何故、一方的に命まで奪い取るのか。憤りをもっていくところがない。

そう思っていたところ、昨日の朝日新聞で田上時子さんの記事を読んでなるほどと思った。
田上さんは、「女性と子供のエンパワメント関西」の代表である。このところ特に注目をあびているCAPプログラムも以前から取り組み、各学校やPTAなどで広めている。

<「CAP」はChild Assault Preventionの略で、子どもへの暴力防止プログラムのこと。18歳未満の子どもに対する虐待、暴力行為、子ども同士のいじめなどにどう対処するかを親、教師、子どもたち自身に教える人権教育プログラムです。
 エンパワメント(子どもの内なる力を引き出す)の理念に基づき、暴力から自分の身を守るために、暴力とは何か、暴力の被害に遭いそうになったときに子ども自身に何ができるのかをロールプレイ(役割劇)などを通して、情報とスキルを教えていく参加型学習プログラム。

1978年、アメリカ・オハイオ州コロンバスの強姦救援センターから誕生。
1995年、日本で最初のCAPプログラムを実施する専門家(CAPスペシャリスト)養成講座を開催し、以後、多くの子どもたち・おとなにプログラムを提供しています。 HPより引用>

ここには、他にもワークショップがある。その一つがメグ・ヒックリングさんの「性の健康ワークショップ」だ。
そこで、小さい幼児のころから子供を性的虐待の被害者にも加害者にもさせず、豊かなおとなへと育てることを目的とした、性教育を行っている。

ここが大事。大人になるまでに豊かに人間関係をつくることができるための性教育を行う。田上さんは、性犯罪者は、誤った情報によって犯罪を起こしていたという統計があると言う。

「格差社会好き?ジェンダーフリーバッシング」のところでも書いたが、現場でどのような過激な性教育が行われていたか個々の例は知らないが、人が人として尊重される、大切にされなくてはならないという事を性教育の上でもしっかり伝えていかないと、自分も相手も傷つけることになるということを知らないで過ごすのではないだろうか?

言葉狩りのように、「ジェンダー」を切り捨てても、何の意味もない。ただしくない使われ方、捉えられ方や教育がこの言葉のもとで行われてきたのであれば、それを正すだけ良い。
本質的にその言葉に込められたものは、女性も男性も個人として尊重されなくてはならないという事の一点だけだ。男・女・そしてどちらのボーダーの人も・子供も老人もだ。それぞれが社会で枠の中にはめられることは一切ないということをみんなが受け入れる事だ。

そういう「尊重」の対極に「暴力」は存在する。
つくづく今の日本は暴力的だと思うのだけどね。
   

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2005年11月19日

親もすてたもんじゃない

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あんまり、自分の身近すぎる話を書くのは控えているのが、今日久しぶりに保護者会というの出かけて、なんて親ってがんばってるだ~と思った。

子供の親をやっていると、その年に応じた子供の心の変化や気持ちを、子供が時には叫び、時にはつぶやき、時には普通に話していることを親がキャッチしきれないことがある。そうやって、立ち止まって、当たり前の道からハズレて歩こうする子供に対し「なんでこうなる」「どこが悪かったのか」と考え、自分を追い込んだり子供を追及するという時期をへて、ささえになることを決意した親達。

これが、今日あった多くの子供の親達の姿だった。
こんな親の会は、他にあまりないだろう。特に、何事もなく、毎朝学校に行き、学校社会と折り合いつけて生きていける子供達の通う学校には。

管理的に子供を扱うのは、簡単だ。彼らを一人一人みないですむから。
けれど、わが子供ももう一つの学校~オルタナティブ・スクール~に行っている。
彼らには自由はある。けれど、自分のことを自分でコントロールしなくてはならない。自由というのはもっとも大変な生き方なのだ。
白紙の画用紙を前に、呆然としていたことがあった。子供の頃、何を描くか見つけられないでいるとき。

ここに来る、親達は子供に育てられる。無理難題を子供に突きつけられるから。苦しみを抱え込んだり、うつになってしまうことも有るだろう。でも、人間は高いハードルを前にしたら、やはり乗り越えようとするだろう。そんな、こころから子供を思う親達がここにいることに、何だか安心する。

そうそう。「勝ち組」「負け組」なんてくそくらえだ。ユニークで幸せな生き方ができることが、人間らしくいきることなのだと思うね。

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2005年10月25日

ローザパークス女史 永眠

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ローザ・パークスさんの訃報を「低気温のエクスタシーbyはなゆー」さんのブログで知った。

ローザ・パークスさんは、アメリカの公民権運動の発端となった「バスボイコット事件」を起こす原因となった方である。
仕事がえりに乗ったバスで満員の白人席。黒人席にやってきた白人に席を譲らなかったローザさんは逮捕される。このことをきっかけにして、マーチン・ルーサー・キングjr牧師が主導し、アメリカ南部の黒人の公民権獲得のための戦いが始まる。

以前のこのblog参照記事
「マーチン・ルーサー・キングJr.牧師 誕生の日」

92歳という天寿を全うした。
いまから50年程前の話だ。黒人が隔離政策の元差別されていたのは。だけれど、50年経っても、経済的な、社会的な差別は続いているから、ニューオリンズのカトリーナ被害やイラクの傭兵に多くの貧しい黒人の人々は苦しんでいる。

キング牧師の演説ももう一度引用する。
「この世で最大の暴力請負人は我が国の政府である」(マーティン・ルーサー・キング Jr. 牧師)

何も変わらないアメリカに、ローザさんは何を感じて、天国にいっただろうか?


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2005年10月10日

格差社会好き? ジェンダーフリーバッシング

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一週間ほど前になるが、朝日新聞10/4朝刊に掲載された記事 「ジェンダー」残す?削る? 男女共同参画計画の改定 用語や表現めぐり論争 (朝日 2005/10/04朝刊生活面) について、憤りを覚える。

これは、今年5月に自民党本部でひらかられた「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実体調査プロジェクトチーム」から問題提起され、来年度の男女共同参画基本計画に影響を与えるという記事だ。

記事の見出しは以下のとおり(引用)

「ジェンダー」(社会的・文化的に形成された性別)という用語をめぐり来年度改定される予定の「男女共同参画基本計画」が揺れている。今年7月、この計画についての「基本的な考え方」がまとまったが、自民党のプロジェクトチームは、この中の「ジェンダー」の言葉を批判し、基本計画に使わないことなどを求めている。内閣府は、言い換えが可能かなどを検討する会合を開く異例の措置を決めた。あなたはどう考えますか。

この記事について詳しいのは以下のサイト
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~gr018035/r/gender.htm
教育と自治埼玉ネットワーク
http://blog.livedoor.jp/kyoiku_jichi_saitama/archives/50122495.html
成城トランスカレッジ
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20051005/p2
TransNews Annex http://transnews.exblog.jp/1918687/

記事の詳細については上記サイトにゆずるが、女性の労働力が重要な社会資源になっている今なお、子育てしながら働くことに不自由な社会であるのに、今さら懐古的な家庭感を政府によって押し付けられけられてこんな言葉を投げつけられなんて不快だ。

山谷えり子事務局長談話;「ジェンダーの定義は人によって違い、混乱を招く未熟な言葉だ。しかも、ジェンダー論は男らしさや女らしさを否定し、過激な性教育や家族軽視、行き過ぎた個人主義などを引き起こしている。こうした言葉は使うべきではない。」(記事より)

行き過ぎた個人主義。そうなのか?家庭軽視?
ここでも思う。男女の格差をつけたいの?男らしい・女らしいと国から言われるなんて大きなお世話だ。
男であろうが、女であろうが、子供であろうが、大人であろうが個人を大切にしない国は危険だ。
夫婦別氏に誘導するというが、それによって何の問題があるというのだ。

経済格差のことで格差社会とよく言うが、男女にまたしても格差をつけようという意図が読める。これは、弱者・強者の振り分けの理屈と似ているように思う。
個人というレベルで自立し、発言しようとする人間に対し、管理しやすいように個人の生活にまで介入する。とんでもない。これでは、女性は、子供をもっと産めなくなる。安心して、子育てできる環境というのは、仕事と保証された保育と、男性の協力。

いきいきと子育てできる。安心して仕事ができる。育児支援がしっかりしている。そういう環境こそ少子化対策と考える。ジェンダーの言葉狩りをしてもなんら建設的ではない。

憲法改正案には多く、個人を規制しようという内容がある。
憲法24条
憲法9条
それ以外でも共謀罪の導入など・・・うんざり
憲法調査会は、あらたに憲法調査特別委員会という形で9月22日に発足された。
エキサイトニュースより
<衆院>憲法調査特別委員会始まる [ 10月06日 13時14分 ]
ついに、改憲へと動いているのか注意が必要だ。

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2005年10月02日

韓国の旅

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韓国 安山市の学童保育と老人福祉施設

韓国の旅を忘れないうちに、書いておこうと思う。
今回の旅は、2つの目的があった。HJPクアイアメンバーとして、ヤンピョンドン教会の人々と再会し、コンサートを行う事。もう一つは、旧友と一緒に韓国で何かボランティアをしてこようということ。

テジョンが旧友、黄ちゃんとであったのは、10年前の阪神大震災後の神戸だった。彼は、韓国から東京に来ていて、神戸の地震があまりひどいのに居てもたってもいられず、何かできることはないかと、神戸に駆けつけた。

彼が手伝ったのは、震災後プレハブで建てられた聖公会(キリスト教のプロテスタントの1会派)の老人の給食センターだった。そこで、テジョンも仕事の合間の縫って、手伝った。給食をつくったり、近所のお年よりに届けたり、長田センター(給食センターの名称)で多くのお年寄りが来て、一緒に食べたり・・・そういうところだった。

そんななか、黄ちゃんは実は観光ビザで日本に来ていて、オーバーステイをしていた。何度か、みつかりそうになったが、まぬがれることもあった、だが、いつか見つかる時が来る。
大阪の都島に収監されて、審判を待つ。多くの支援者。ボランティア仲間、教会関係者が彼の人柄、ボランティア活動について、訴えたが、強制送還されることになった。つらい収監の日々を送って彼は韓国に帰っていった。そして、日本に再び来る事がとても難しくなった。

わたしたちが、韓国に行く事で彼とは会う事が出来た。特に、今回は、テジョンが久しぶりに彼に会えて旧交を温めた。

黄ちゃんは、韓国に帰っても、ボランティアをする場所を求め、いろんなかかわりをもっている。現在は、公園で仲間と歌を歌って募金を集め、障害児の施設や教会、老人福祉施設などに送っている。
HJPもコンサートで、共感して黄ちゃんの活動に募金を呼びかけているが、今回は彼の案内で、そういった福祉施設を訪問することが出来た。

てじょんと私は、手作りの楽器「一弦胡弓」と鍵盤ハーモニカをもって、施設に行った。子供達には、ストローで作った笛で、カズ-のような音なのだが、みんなで鳴らしてあそんだ。子供達は人懐っこく、日本語とハングルでどういうかをいいあいっこしたり、私は、知っている韓国語の歌をみんなと一緒に歌った。
*追記*この地域の子供達の家庭は貧しい。この施設に国の施策で、子供のためにコンピューターが5台ほど入っている。お陰で、PCゲームの順番待ちで、「国のやることはよくわかりません。」と黄ちゃん。家でPCを持ってないここの子供達は、熱中する。私たちが訪問した直後も、PCから中々離れようとしなかった子供達だが、音が出だすと、少しずつ子供は増えていった。ほんとに、楽しいことは、もっとたくさんあるのにね。

旅は、さらに進み、ウォンジュという街まで行く。
ソウルと違い、地方都市だが、人は結構夜遅くまで、繁華街にいて、にぎやかにお酒を飲んだりしている。ここで老人施設を訪問する。ここは、長田センターとよく似ており、昼食を提供する場所だ。

ここでは、日本円で20円ほどで昼食をたべることができるが、お金のないお年よりは、無料だ。ここでも、アリランを演奏したり、韓国語の歌をうたったりした。その後、ひたすら皿洗い!!これが本日の訪問目的だった。
70名ほどの食事の皿をあらって、いっしょにそこで活動するボランティアのオモニやお姉さん、お兄さんと交流できて、幸せだった。

こんな旅をHJPメンバーと離れてしていた。コンサートだけヤンピョンドンで合流。ごめんなさいね。もっと皆と交流したかったのだけど。
韓国で、黄ちゃんは、貧しい暮らし振りをしている。けれど、ほんとに豊かで、一本気で、いろんな場所に出没して、誰かを助けている。「独島のことを言う人は、右翼ですね。」と黄ちゃんは言う。

国も人も宗教も越えて、人が人を少しずつ支えあうことで、わたしたちは繋がっている。政治がどうであれ、歴史がどうであれ、その垣根をこえるのは、わたしたち自身のこころと行動だけだ。

有難う。黄ちゃん。カムサハムニダ。

投稿者 pianocraft : 23:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月23日

La manga Video and Dance Company 大阪公演

la manga.jpg 「The doll on the cake」から

動物園前のArt Theater dBでダンスと映像をつかった、コンテンポラリーダンスという分野の舞台を観た。彼らとは、京都で一度会っていて、京都の洛風中学でワークショップを行っていた。そのときのことは、こちらで。

今回の作品のタイトルは、「Articulating Cake and Guns」(ケーキと拳銃を連結する)というものだった。
2部構成になっており、1部は「The doll on the cake」(写真の作品)で、メキシコでは女の子は15歳になると誕生日に特別なパ-ティを開いてもらうという習慣がある。女性になるための祝賀会なのだけれど
「最後のおもちゃ」「ハイヒール」「招待された男性とのオフィシャルダンス」その女の子の内面の不安やあこがれ、叫び・・・を表現している。大人の女になるということを男性社会が認める式のような様相である。

人の性はいつ、決まるのか?ジェンダーとしての女。単なる人ではいけない何か?が求められてるのか?

この迷いの気持ちは、わかるなー。わかりやすい。

2部の作品「Outrage」怒り、無関心、9.11からの暴力について、2人のダンサーによって表現された。
ビデオでは、86歳の反戦主義の女性が語り、言葉が日本語で、強調されて映し出される。
2人は、一人の影のように、自分の意志の裏側として描かれているようだ。非常に激しい動きと暴力的な表現で、怖い感覚を私たちにもたせるということだろうか。

2つは、まったく違っていて、具体的な表現法と抽象的な表現法を両方の作品でみることが出来る。

ここに現わされているのは、非日常であるけれど、この中にある、不安や怒りや恐怖は、日常にあふれている。この日本は、彼らの住む、メキシコとちがって極端な貧困でストリートに生活をおいやられた子供もいない。一見豊かで、安全なようなのだけど、深くこころに不安を抱えた人は多い。

彼らは、動物園前にほどちかい、西成のあいりん地区にも足を運び、たのしく路上生活のおっちゃんらと写真におさまっている。日本の貧困や、経済の格差をそこに見出したのかもしれないけど、そのおちゃんらも彼らの公演に来ていた。そんな様子をみるとほっとするのだけど、そのおっちゃんたちには、どう映ったのだろう、このパフォーマンス。聞いてみたい。

投稿者 pianocraft : 23:42 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月21日

世界報道写真展 2005 

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世界報道写真展 2005 

盆のシーズンは、ぼちぼち仕事に行ったりしていたので、出かけたのはこの写真展だけだった。昨年に続いて2度目となる。最終日の18日に夕方駆けつけた。
昨年の記事は、こちら

昨年は、池上宗徳さんのDVD「IRAQ WAR」が、写真展の順路の最後に上映されていて、家ではなく、大きな画面であらためて見た、映像に胸が熱くなったのを覚えている。

今回の、受賞の「2005世界報道写真大賞」アルコ・ダッタ(インド)ロイター
「インド・タルミナドゥ州カッダロールで、スマトラ沖地震による津波で親族を亡くし嘆き悲しむ女性」(2004年12月28日撮影)がフライヤーの表紙となっている。

昨年は、さすがにイラク戦争真っ最中の写真が圧倒的だったが、今回は、こうした災害や貧困、内戦などの状況を切り取ったものが多かった。大賞の作品は、やはり迫力があり「悲しみ」が迫るような写真だった。

報道される側になる人々、受賞の対象となる写真の被写体の人々というのは、見られる側の人間なのではなく、いやでも世界から注目を受ける状況の「ところ」に住み、ある種の非日常な状況下に生きているということだ。全体量から言って。

ああ。こんなにひどい・・・と感じることが正しいのか?と写真をみたら思う。でも息をつめてしまう。写真論は、スーザン・ソンタグも書いている。写真というのは、研究に値する、人に作用する不思議なモノだ。

ある現実を切り取る行為。写真。ことに、ひどい状況では、知る事を必要とすることもあり、中には、それで心をあおることも出来る。

写真展には、他にも、うつくしい義足の水泳選手の泳ぎや、南米ペルーの女子サッカーチームの活き活きとしたはだしでサッカーボールをける姿、レスリング大会で4位になった少年の涙やほっとする写真も、あまりにも美しい写真も在った。そういうものを見て、深呼吸をして写真展を後にした。

今年のDVDは、豊田直己さんのスマトラ地震の被害の状況を映し出したものだった。

この写真展は昨年もそうだったが、大勢の人がやってくる。若いひとも、年配の人も。混雑した中、一所懸命に解説の文字を読んでいる。一体、ここには何が写っているのか?みんな、知りたい。
多くの知りたい人が、何をつかんで帰ったのだろう。

重い溜息?それとも、自分は関係ないという感覚?みんな地続きなのだ。

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2005年07月29日

電車で行くと 

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いつもの夕日

仕事に行くのに、車で移動が多いのだが、大阪市内の仕事だったりすると訪問先が路地裏であったり、駐車スペースのない場合もあり、電車で仕事の道具を担いでいく。

そういう時に限って、人を見ていると面白い。(睡魔でとろとろしているときも多いけど)

今日は、座席に座って向かいを見ると、サングラスのみょうに落ち着きの無い、アロハシャツをはおった若くはない男が、携帯でなんやら申し訳なさそうに電話の相手に向かって喋っている。

なんか、困ってるんかな~とか思っていたら、となりに、小太りの若者が座った、なんだかその男ももうしわけなさそうに見える。「なんや今日は~」と思って考えたが、その若者は、髪が少ないがゆえかなんとなく所作が、しっかりしない。なにも、本人はそういうつもりでないのだろうけど。

その隣を見てみると、みょうに毅然とした若者、男の子である。でも、よく見ると、顔にいっぱいピアスがついている。

ふ~ん、街中には確かにうざうざ、おもしろい人がいるけれど、普通だけどなんで、目を引くのだろう??と思ってしまう。

電車男?みんなこころのなかに、電車男がいるんじゃないか?って思うね。

辺見庸さんが週刊金曜日の7/29号で「永遠の不服従とは」第4回で、書いている事で気になることがあった。「見られる側」と「見る側」の視点についてだ。
「する側」「される側」「被害者」「加害者」ものの表裏には、意図がある。
わたしは、見る側の人間であるとともに、見られる側の人間でもある。

一方的にどっちか側だと思うことは、間違いを招く。
つまり、わたしが気になった理由というのは、自分の中にある「何か」「見られる要素」なのかも・・・・


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2005年07月27日

天国へ行った 岡八朗さん

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川のゆうひ

先月から、身近の人の親、おとうさんだったり、おかあさんだったりが亡くなることが続いている。その中でも、昨日なくなった、遠い人のようで、近い人でもあった岡八朗さんのご冥福をお祈りします。

検索エンジンで「岡八朗」さんを検索すると、どれほどの情報があふれてくるか、やってみると一目でわかる。

愛されていた。わたしたちの世代は、学校から帰って、土曜日のお昼にご飯を食べながら、吉本新喜劇をみるのがいつものことだった。花紀京さんと岡八朗さんのからみは、実によく覚えている。
ギャグというものが、初めてコメディにおいて、キャラクターとともにむすびついて、いつも定番のおもしろさをこの方は始めた・・・といわれている。吉本の喜劇役者はトレードマークのギャグを必ず持っている。

この創始者であったというわけだ。

わたしは、自分の所属するハーレムJPクアイアというゴスペルグループで岡八朗さんの娘さんがNYで尽力してこのグループを立ち上げた事を、参加してから知った。娘さんが帰国し、岡八朗さんの「芸暦45周年」の舞台では、吉本の舞台でわたしたちが「ゴスペルを歌う」という機会をあたえてもらった。

貴重な再起をかかえた舞台。細く、アルコール依存症の克服という厳しい試練を乗り越えようとして、凛とたつ舞台に心は動かされた。

今日。通夜があり、明日、お葬式。メンバーの多くは式に出向いて、娘の裕子さんを支えるだろう。
わたしは、式場にいかないことにした。

わたしは、多くの岡さんの人生のなかで、出会い、あこがれのまととなり、時にはささえたであろう、芸能の世界の人々の中に身をおくことに距離をおきたかった。
裕子さんの心は、めまぐるしかった父の人生のように、今、たいへんな状況であろう。静かに、静かに、こころから遠くから、祈る事を許していただきたいと思う。

一人の命の重みは、どんなことがあっても、どんなに偉い人、ヨハネパウロ2世であっても同じである。
常に、はかなく、アフリカでもイラクでもアフガンでも日本でも中国でもアメリカでも、もちろん同じ。
おとなでも、こどもでも、軍人でも、一般人でも、貧しくても、富んでいても。

命は平等に一人にひとつ。

だから、大切に守って欲しい。テロでカウントされる死亡者は、数でなく、ひとつひとつであることを、スーサイズボンブで自分のいのちも引き裂かないで。

投稿者 pianocraft : 23:43 | コメント (2) | トラックバック

2005年07月10日

七夕は命日

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友人の家から雲をながめた

七夕は過ぎてしまったが、この日の10年前、震災の有った年。大切な友人がひったくりにあって、もみ合い、命を失った。

裁判を傍聴するために多くの友人が連日集まった。犯人の経歴や人物が裁判であきらかにされていくと、ますます許されない気持ちが高まる。死ぬことなんてなかったのに。

よく一緒にお酒を飲んだ。一緒にバンドした。たくさん話した。
この世に彼がいなくなる少しまえ、家にぶらっと来て、いつものように延々飲み始めた。酔うと体が傾いてくる。そのときに話したことは、わたしとの出会いから、一緒に音楽できたこと、いろんな本の話をしたこと
いつになく、わたしは多くの過去のおさらいを聞いた。

何だか、さよならを言いにきたみたいじゃないか・・・。あとになって、とことん酔っ払いに付き合って話を聞いて良かったと思ったけど。

そんな彼の実家に友人が年に一度集まる。わいわいいいながら、酒を飲み、両親の健康を喜び、きっと賑やかなのが好きだった彼のために、近況を報告する。

仏壇には、マイクを掲げてシャウトしている姿の写真がいつもある。おかあさんは、「これしか写真がないの」と言うけれど、いつまでもマイクをおろさないでほしい。

レイ・チャールスもそっち行ったし、天国ではいい感じでやってると思うけれど、いつも思う。自分はちゃんと音出してるか!って。音楽をつづけることは、こころのなかで密かに彼との約束だった。(別に本当に約束したわけでなく、自分でそうすることにした)

また、一年。「ばりばりやってんで~」といえるように負けんとピアノを叩き歌うで!!Coozy!!

投稿者 pianocraft : 01:21 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月29日

ダンスと癒し

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京都芸術センターにて(Mako,Gabriela and Mario)

先日、久しぶりに京都にいった。友人のダンサーMakoとNYからやってきた、La Manga Video and Dance Companyのガブリエラとマリオに会うためだ。

京都芸術センターというところにも実は初めて行ったのだが、古い小学校をあまり手を加えずに改装して、ダンスやアートのために利用できる場所になっている。二の金もあったり、木造の手すりや油引きした臭いなど、私たち世代にはとても懐かしい雰囲気を残している。ここに、彼らは滞在し、仕事を行っている。

彼らの来日の目的の一つは、日本ではめずらしい、不登校のこどもたちのために作られた京都市立洛風中学校の授業の一環である。彼らのクラスは、こころのありかを身体表現を使って探るというようなものであるらしい。

実は、MAKOもそういうワークショップを行っている。ピアノクラフトワークのサイトに「癒しのワークショップ」として紹介している。ハーモニーというゲームのようなルールの上で、人と人が動きによって、協調したり離れたりして心も解放しようというようなものだ。

わたしは、彼女の音楽的側面にずっと関わって来た。ダンスと音は切り離せないものがある。もちろん無音というのもモダンダンスには「あり」だが、音はダンスをうまく導く。ダンスは音を要求する。そのように思っている。

アメリカのミネアポリス市の子供たちとのダンス・アートのワークショップでも手作り楽器の指導というかたちでかかわったが、国や言葉をこえ、個人個人のかきねも超えて、アートというのは変幻自在に存在する。

今回会ったガブリエラとマリオの活動も非常に興味深かった。子供達の半分は授業に前向きだけれど、あとの半分は「なんでこんなことしなあかんの?」だったり「ふれられたくない」であったり様々な理由でまったくかかわってこない、この極端な集団で、このふたりは絡み合った心の糸をどんなふうにほぐしていくのだろう?

ビデオとダンスという形で、彼らは舞台をおこなうらしい。どのようなものかビデオを見せていたいたが、滞在期間中公演も行う。興味のあるかたはチェックしてみてください。
○京都芸術センター 
 8/6 La Manga Video and Dance Company     (ラ・マンガ・ビデオ・アンド・ダンスカンパニー)     ”The Hershey Man” (ザ・ハーシー・マン)   一般\1,500 高校生以下 \500
時間15時/19時開演
大阪現代芸術祭
8月20日(土)19:00/21日(日)15:00
上演作品  「Garden of Eros」
 ※ 関西在住の80歳以上の高齢者、及び映像アーティストとのコラボレーション

彼らの4月に行った公演の様子はこちらのサイト
彼らのサイトはコチラ(英語とスペイン語)

from here for Gabriela and Mario

for Gabriela and Mario
I try to write words in english.(I'm sorry I have poor english.)
I was very glad to meet you. Thank you!
I am intersting in your activity in Japan. We have many children who can not go to school in Japan.
So We need more alternative school. and more another way to education.

It is very difficult to search better way that help child. but I am sure your activity can give somthing that looks like "key".
I am looking forward to meeting you next saturday.

JUN

投稿者 pianocraft : 00:32 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月12日

山へ走る

昨日は、キャンプでよく行っていた、奈良の山へ友人のおかあさんの通夜のために走った。

大阪から、車で往復217Km。これが、トリップメーターが示した走行距離だった。
どんな理由であれ、山を走る。
峠をこえてうねうねと走る国道、せまる深い緑の木々、すいこまれるほど高いところから見下ろす川。
そういうところにたどり着くと、枯れていたような気分が生気を取り戻すような気になる。

登山が趣味の友人もいるが、自然のおおきさに自分の姿をぽつんとおいてみると、街を独善的に支配して、あふれかえる人間がおろかな間違いをしていることに気づく。

友人の母は山で暮らし、山を愛し、山とともに生きて、そして亡くなった、おそらく、あの大きな深い山にある魂の一つとなって、後世の人間が迷わないように導いてくれるだろう。

自然と暮らすのはきびしい。というのは想像に難くない。うねうねとした、集落の塊に出るまでの道は、細い川沿いにあり、上流の川らしく、ごろごろと、とてつもなく大きな岩のような石が転がっていた。
ずんずん、車のギアを替えながら上っていく。かなり登りきった、道がおわる場所に、その家はあった。
鼓膜が違和感を感じるくらい・・・高い。

山には古くから信仰がある。山には霊気があるように思えるからだろうが、深い緑の森の木のにおいはこころを落ち着かせるような気がする。

人間は大きな自然の創造物に畏敬を感じ、信仰の対象とする。木のない、赤いオーストラリアのウルルも
そうだった。人を惹きつけてやまない。山。

今度は、癒しに、のんびりと行って見よう。本当は、必要なことなのだと思う。

投稿者 pianocraft : 00:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月02日

6月5日のBS放送 必見

昨年BBCで放送されカンヌ映画祭で特別上映されたという、番組「テロとの戦いの真相」3部作がこの6月5日(日)午後10時10分~6月6日(月)午前0時59分まで一気に放送される。

平和関連のML pamlから以下転載します。

6月5日(日)22時10分~翌6日(月)1時
 NHK衛星第一放送『「テロとの戦い」の真相』全3部

 昨秋、イギリスBBCで放送されて大評判となり、先日のカンヌ映画祭でも特別上映された秀作ドキュメンタリーです(原題「悪夢の力」)。
対テロ戦争で激突する米国のネオコンと中東のイスラム過激派。2つの政治集団は同じ1950年代に誕生し、人々の心に恐怖を植え付けて権力を握るという戦略も共通している。両者の歴史をたどることで現在の国際政治の核心に迫ろうとするイギリスBBCの3回シリーズ。ゴルバチョフ元ソ連大統領やネオコンのリーダーの一人リチャード・パール、さらにビン・ラディンをよく知るイスラム武装勢力のリーダーの証言をもとに、現在の「対テロ戦争」は2つのグループが生み出した「恐怖の幻想」の産物ではないかと問いかける。

(1)- イスラム過激派とアメリカネオコン -
後10・10~11・00
 イスラム過激派の元祖はエジプト出身のクトゥブである。彼は50年代のアメリカに留学中、退廃した社会を見たクトゥブは腐敗を世界に垂れ流すアメリカを敵視する思想を持つに至る。クトゥブはナセル政権の親米路線に反発。反体制青年団を組織し、66年に処刑された。そのクトゥブの思想を引き継いだ人物こそはビン・ラディンの側近ザワヒリであった。同じ50年代アメリカにネオコンの源流を築いた人物はレオ・シュトラウス。彼は米国が自由と民主主義を維持するには人心を統合する「神話」が必要だと考えた。その神話とは、「アメリカこそは世界から悪を追放できるただ一つの国」というもの。その最初のターゲットはソ連だった。

(2)- アフガン戦争 幻の勝利 -
後11・10~深夜0・00
 79年に始まったソビエトのアフガニスタン介入を、ネオコンとイスラム過激派は共に戦った。そしてソビエトはアフガンから撤退後の90年崩壊する。ネオコンもイスラム過激派も「ソ連崩壊はアフガンの勝利が引き起こした」と実態と異なる宣伝を行いさらに勢力を拡大する。イスラム過激派の内部ではビン・ラディンは資金提供を行うのみで、クトゥブの弟子ザワヒリが主導権を握った。90年代半ば、イスラム過激派はアルジェリア・エジプトでテロを通してイスラム政権の樹立を図るが敗北、新たな敵をアメリカに求めていく。一方、ネオコンはクリントンのスキャンダルを誇張するメディア戦略を展開、政権を奪取する。

(3)- 幻のテロ組織を狙って -
深夜0・10~1・00
 2001年1月、ケニアとタンザニアでの同時米大使館爆破事件の公判がニューヨークで開かれていた。この法廷で一人のアラブ系証人が「アルカイダ」という言葉を発した。米当局は、テロ組織に「顔」を必要としていたため、この「アルカイダ」という言葉に飛びついた。さらに同時多発テロ以降、FBIが存在しない「アルカイダ」の地下組織を摘発すると称して冤罪事件を繰り返していると、検挙されたアラブ系アメリカ人の弁護士が語る。ディズニーランドでの単なる観光ビデオが「爆破の下見ビデオ」とされ子どもの落書きが「トルコ米軍基地爆破の暗号」とされ裁判に提出されているのだという。

[原題] The Power of Nightmares
[制作] イギリス/2004年

NHKのHP
http://www3.nhk.or.jp/omoban/

♪ 転送大歓迎 ♪

関連記事
TUP-Bulletin
TUPによると、アメリカでは、バッシングを恐れて放映できないそうです。

このところ、BSは、劣化ウラン弾の番組放映や目の離せないドキュメンタリーが多い。
ビデオセットだな。DVDレコーダーもってないからな。日記も音楽ぶっとんで、こんな話題が続いています。

今年は戦後60年。ひしひしと迫る恐怖。戦争について考える好機。音楽、平和産業と呼ばれるものに、こころ癒され、ご飯をたべさせてもらってるこの身である。なんとか平和を守り抜いて、後に続く人に素晴らしい芸術作品を残していってほしいから。

投稿者 pianocraft : 22:20 | コメント (1) | トラックバック

2005年05月15日

TV朝日「ザ・スクープスペシャル」を見る。

TV朝日「ザ・スクープスペシャル」を今日は録画して見た。この時間、仕事にでていたので帰ってからみようと、ビデオをセットした。
この番組の新聞での紹介は、「警告!自衛隊が危ない イラクでマルヒ放射能汚染。 障害児続出」というセンセーショナルさを訴えるだけのような紹介だが、見た感想は、いたって真摯なレポートだった。

日本は「被爆国」である。米軍によっておとされた原爆によって、核汚染の被害を受け、爆発によって壊滅させられるだけでなく、世代を超えて、健康被害を及ぼし、数多くの人々を殺しつづけた。

その後も米軍はベトナムで枯葉剤を湾岸戦争で劣化ウラン弾を(劣化ウラン弾が使用されたのは1991年、湾岸戦争でイラクに300トン、ボスニア・コソボのバルカン紛争で11トン、アフガン攻撃で1700トン、そしてまた新たに2003年、イラク侵略戦争で2000トン。ドラコビッチ博士のデーターより・・劣化ウラン廃絶キャンペーンHPより引用)使用した。

このことによって受けた今も続く被害を各地でレポートしたものがこの番組だ。
もちろん、自衛隊が行っているサマワも核汚染地域であることは確かな事だ。イラクへいって被爆した米兵は、あんなところには誰もいきたがらない。といっていた。帰還して一年は子供をもうけないように。と軍から言われているのに、健康被害についてはなんの保証もしない。それは、劣化ウラン弾のせいではないという。

明らかな事実があるのに、非をみとめないアメリカ政府。

もちろん、ベトナムの枯葉剤の障害児に対しても、劣化ウランの被爆者についてもなんの保証もしない。

つい先日、こうの史代さんの「夕凪の町 桜の国」が手塚治虫文化賞を取ったことを新聞で読んで、かねてから読んでみたかったこのコミックをやっと手にいれ読んだ。これは、広島の被爆者をテーマにしている。

この番組を観ていて、「夕凪の街」のラストでかたられる主人公 皆実のつぶやきを思い出した。
被爆から10年たった広島の町で、静かに死を迎える皆実。

<嬉しい?
 
十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?皆実>

孫子の代までたたってやるって、核のことなのかしら。アメリカはもうすでに、原爆何個分も世界に核汚染をばらまいた。地球をこわした。ゆるせない行為。

投稿者 pianocraft : 23:07 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月12日

憲法記念日はあっと過ぎた


連休はいつになく、ばたばたしていたので、憲法記念日もぶっとばして生活してしまった。
しかし、ほんとうは今年の憲法記念日はいつもの年とちょっと様子が違う。それは、憲法改正論議が盛んだからだ。

憲法記念日にこんな意見広告を新聞で見つけた人は多いだろう。薄く「殺すな!」と書いてある。今回は、参加していないが、憲法を国民投票で変えるということに
ついて、非常に複雑な思いでいる。

憲法は9条や24条など、個別で大きく問題になっている。
中でも、24条については、こちらに以前書いたが、これに関しては、最近では、映画「ベアテの贈り物」でふたたび脚光を浴びるようになった。

ベアテの贈り物についての記事
 ベアテさんに感謝 夫婦別姓を待つ身の溜息

「ベアテの贈り物」の記事にふれて tamyレポート

男女平等。そういうことは、もう今はあんまり関係ないのでは?と思うかたがいるかもしれない。十分に女は強いし。でも、それは憲法で保証されないと実現できないことだった。ベアテさんがいなければ。

この映画が大阪で上映される日を待ち望んでいる。
いまのところ予定がないようなので、がっかりしているが、自主上映などを企画するのも手だからいろいろ
やってみたいな。

こうやって、表にあらわれている、不安要素以外に、知らないでいることが実際は沢山ある。それを十分に議論したうえで国民投票となるかどうかは、本当に?だ。まず自分から、この国を変える憲法パズルの1ピースをわたされる責任が全うされるように、知る努力をしなければならないな。

きくちゆみさんのブログで 「「2007年7月15日、日本国憲法は死にます」?え、うそ! という記事がありその中に「厭世庶民の会」のHPで国民投票模擬投票のページが紹介されている。模擬投票はコチラから

具体的に選択をせまられたら、あなたはどうします?ちょっと練習しておくのがいいかなと。

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2005年04月21日

抗議行動の質

今夜もデモを見た。扇町を車で走っていて、警察がやたらに多いなと思っていたら、対抗車線に長いデモの列があった。ちょっと、シュプレヒコールが聞こえづらかったので、過ぎ去ってしまって何だったかわからなかった。何を訴えてるか?ってのがデモ重要なポイントなのにね。

整然と粛々とこのデモ隊は歩いていた。この人たちをみて、中国のデモというより暴動を思い出した。

大体、集団ヒステリー状態になった、人の塊は、意志をもった(ようにみえる)凶器にすぎない。
このような抗議が、ほんとうにものごとを訴える手段として適当なのかというのは、理性をもってすれば明らかだ。

ものを破壊する行為。暴力行為をみるのは嫌だ。特に集団でやってるやつは。
以前もとりあげた、キング牧師の非暴力平和主義をまたもって、偉大な抵抗運動だったと再認識した。

キング牧師の運動は、バスボイコット事件からはじまった。それはまず、「歩く」という抵抗だった、バスに乗らない。という抵抗。簡単なことのようで、実にたいへんな抵抗運動だった。このことで、黒人のバスでの乗車の差別が撤廃されたが、その撤廃後の初日の様子が本で描かれている。

あるものは、白人から実際に暴力を受けた。だが、暴力で仕返しはしなかった。非暴力ということの実践には、強い、プロテスタント系キリスト教のキング牧師の教えが浸透していたからであるが、信仰などの強い一つの思いにたいする絆をもっていないと人間という集団は、暴力にまみれるのか?
でも、信仰が暴力を生み出しているパレスチナの地もあるので一概にいえないね。ひとえにキング牧師の偉大さだったのか、求心力だったのかもしれない。

たとえテーマは、「平和」であれ、手段が暴力では意味がない。暴力の連鎖は食い止めたい。
日本で中国人を支援する団体や、中国人に暴力的行為がおこらないように。ここは積極的に祈るしかないか。

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2005年04月13日

新しい動き

日記の更新がとまっている原因は、HPのみでなく、手作り楽器教室の新たな展開と、世界とつながる具体的な方法として、「フェアトレード」を始める準備をしていたからだ。

その拠点となるスペースをHP上とJR吹田駅近くに持つために手作り改装屋をやっている。
本日は、ペンキ塗り。
ピアノ塗装はするけれど、日頃しない白いボードや、看板を塗り替えてどんどんもと喫茶店がイベントスペースに変化していく。

展覧会、ワークショップ、物品販売やアート活動など、いろんな人間が出入りし、創るところにしていこうと仲間で企画を検討中だ。

HPにどんどん公開をしていく予定にしています。楽しい忙しさにかまけて、白いペンキだらけの手でキーボードをたたいています。

この4月は、世の中が騒がしい。平和関連のMLリストでは、良くない情報がんがん毎日入ってくる。
こと中国、韓国との関係が深刻なことや、ほんとうに国を越えて人が繋がると言う事を実現するのはとても冷静で地道な努力がいるような気がしている。
ともすれば、政府の思う壺のような反応をしてしまわないように、憎悪が憎悪を生まないように。

また、「平和のつくりかた」をおさらいしないといけない。どういう理論で考えるか対立する立場をどう調整するのか?

個人レベルではどうしようもない・・なんてことはない。個人の意識から、憎悪という見えない負のエネルギーを増幅させないように自分に用心することから、空気は変わると思う。
理想から始めないと何から始めるのだろうな。。

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2005年04月01日

気が付けば4月

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HPの引越しを計り、ついでにページをいじっていたら、ブログの更新も止まってしまい、おそらく思考もあんまり動いていない日々であった。もう4月やな~

とくにサーバーを替えるにあたり、blogの設置のやりなおしや、バージョンUPに頭をなやませていたからなのだ。

脳みそのあるぶぶんだけ、熱をおびてぐたぐたになっているのに、先がすすまず、情報もひっかかりつつ考えをとめてしまう。こういうのってよくないよね。

こんなとき、癒してくれたのは、アーロン・ネビルの歌声だった。

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Nature Boy スタンダードアルバム 2003年7月に発売されている。

Neville Brothersの泥くさーい、ニューオリンズばりばりのサウンドも大好きだけど、アーロンのブラックヨーデル(というらしい)歌声で、Danny Boyなんか歌われると、しっとりと部屋の空気を変えてしまう気がする。

昔は、うす暗いジャズ喫茶やバーへ喜んで行ったもんだ。そこの空気が違うから、行ったのだとおもうけど
自分のごく私的な空間を、変えるのも音楽のおおきな役割で・・・頭のなかがすさんでくると、脳みそがつかれてくると、極限的に音に走ったり、むちゃくちゃ楽器をならしたい欲求にかられたり・・・

やはり疲れてるのだろうな~
隣の部屋では、HIPHOP鳴ってるしな、また、若いやつはでっかい音かけるもんな、こっちの音が負けちまうじゃないか!

はやく引越しおわりたい。

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2005年03月09日

「生ましめんかな」

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「生ましめんかな」の栗原貞子さんがなくなったという記事を読んだ。反戦にかけた92年の生涯について初めて知った。

「生ましめんかな」はコチラで読める。
原爆投下後の地下室で、あたらしい命が生れる。それを助けたのは、瀕死の産婆だった。命が丁寧にバトンタッチされていった。

一つ一つの生きる力を繋いで行く。織物のようにつむいでいく。そんな風に、命とははかなく、力強く、大切に取り扱われなくてはならないものだ。

反戦にかけた生涯は、強く・激しいものだったようだ。今、命がうすく引き伸ばされているような気がする。
大切にされずに戦場にもっていかれる。カウントされた、死体の山の一つになってしまう。そんなことを許しておくわけに行かないだろう。

抵抗することが、非暴力平和主義である。積極的な抵抗がない限り、おおきな思いに絡め取られてしまう。

広島には、3年前と子供時と2度おとづれた。
原爆記念資料館の情報は資料館のサイト http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/
原爆のことは、 A-Bomb WWW Museum のサイトに詳しい。

子供の時は、焼け爛れた子供のマネキンが怖かった。ただ、恐ろしいことがここにはあると思っただけだった。でも、3年ほど前、子供を連れて訪れたとき、学徒動員で子供と同じ年頃のこどもが大勢なくなっていることを知って、親として苦しい思いをした。子供のマネキンは、我が子と同じ年の子供のものだった。

今は命が薄くひきのばされているようにも感じる。それは、ロード オブ ザリングの物語でも指輪保持者で長生きをしたビルボが語る言葉でもある。

薄く長く引き延ばされる一方で、簡単に殺される命。国に殺されないようにするためには、大人が本気で平和を創る努力を惜しまないということだろうね。

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2005年03月02日

フィンランドの義務教育

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昨年あった経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)での日本の成績などで報道された記事は、一時話題になり日本のレベルが特に読解力で前回(2000年)の8位から14位に転落したことを取りざたしていたが、そのときの1位の国について注目が集まっているらしい。関連記事


PISA2004年のトップはフィンランド。
フィンランドの教育ってどうなのよ?といういと。なかなか面白い。

成績表がない。
他人と比較して上か下か、という考え方をしない。
少人数学級。20名。
出来る子も出来ない子も同じクラスで助け合って教えあいしている。
教師になるのに5年はかかる。

くわしくは、「そよ風に乗せて」さんを一読ください。

これを見ていて、ドイツのシュタイナー教育やアメリカのサドべリーバレースクール(フリースクール)を思い出した。

シュタイナー教育では、詩のような成績表があり、サドベリーでは、子供が学びたいときは自分や仲間をつのり、教えてくれる人をさがし学んでいき、本当に自由の中からしたいことを考える能力を育てる。(自由ってのはたいへんな労力をつかう)

詰め込みも競争もないそんな、フィンランドで、子供達は自信をもって、自尊心を傷つけられることなく学んでいっており、すばらしい成果を生み出していることを考えたら、日本では簡単にまねできない、大人の社会がしっかりしているように垣間見れる気がするのは私だけだろうか?

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2005年02月06日

この地にある楽しみとは?

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ショッキングな言動である。「人間を撃つのは楽しみ」と米海兵隊中尉が述べた。それを聞いた聴衆は笑ったという。最低な言葉だ。

「毎日新聞」の記事
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20050205k0000m030042000c.html
「低気温のエクスタシー」の記事
http://blog.melma.com/00111843/20050205072827
「壊れる前に・・・」の記事
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_5.html

これを読んで、「華氏911」の米兵のインタビューを思い出した。戦車に乗って、イラクで人を撃つときに最適なロックを聴いて若い兵士は「人を撃つと気分がいい」というようなことを言っていたシーン。
あんな頑丈な戦車で自分の身が、鋼鉄で固められていて、その中から人を撃つことは、ゲームさながらに興奮することなのか?実際にヤッテイルのに実感のない戦争。死体なれした、心の停止した人間。

そのようにつくられた人の姿を辛く思う。もう人間じゃなくなったヒト科の生物。

一方で、現実のわたしたちの生活は、いろんな事件を引き起こしながらも連綿と続く。誰かが何かをしているときに他の誰かはまた違うところで何かをしている、同時刻に別々のところで別々の世界が動いている。

そう、わたしの今日は、いきいき音楽とともに生きる70歳の女性とともにあった。たった1時間そこそこ仕事で行った時間だけど。音楽を演奏して楽しむのにレベルがすべてでないということは、その人をみるとわかかる。挑むための楽器ではなく。征するためのものでもない。

人は、勝手に楽器を自分のものとしようとする。だけれど、この道具、一筋縄ではいかない。弾き手の求めるものに応じて変幻自在。そういうところが、楽器のひきつけられる魅力だろう。

今夜はWOWOWの無料放送とかで、映画「シャイン」をやっていた。久方ぶりに最後の1時間だけ観てしまった。精神のバランスのわるい天才ピアニスト、デビット・ヘルフゴットにとって、ピアノとは何なのだろうか?音が自分の中に渦巻いているってどんなだろうか?と考えてしまった。

幸せであり、苦しみでも有り、楽しみでもあったと。
わたしの楽しみ?人の心の音を知ること・・・。

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2005年02月03日

トラックバックスパム

どこのブログでも、困っていることは、同時期大体いっしょらしく、スパムコメントをはじく対策をほどこしてはいるものの、今度は、同じonline casinoからトラックバックスパムというのが、連日流れ込んできた。

削除は、一括でできて簡単だが、不愉快だ。早速、検索すると対策はあった。

とてもわかりやすい方法。
BiancaさんのBlogで公開されている。
「概要が半角英数字のみのTrackBackは拒否する」という形のものになります。これで、何とかなりそうだ。感謝。

しかし、ネット助け合いというのでしょうか、実に助かりました。

投稿者 pianocraft : 22:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月22日

暴力に巻き込まれずに

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津波や地震が奪う人の命は、自然の大きな力にかなうことができなかった証だけれど、人によって生み出される暴力は、果てしがなく罪深い。

イラクで米軍から命を故意に狙われるのは、14歳~50歳の男の人。戦闘要員という考えだ。子供の戦士がシエラレオネや、アチェでもいる。許されない。

我が家にも実は戦闘要員の下限近くの年齢にたっするやつがいる。昨年、学校から配布されたのか、道端でもらったか不明だけれど、「自衛隊生徒採用案内」という紙切れを持って帰ってきた。ずっと、気になりとってあった。

この紙を持って帰った時はぞっとした。要するに、中学卒業者対象に募集している。

案内から

自衛隊生徒とは
科学技術の進歩が著しい現代、自衛隊においても常に現代科学の粋を集めた装備が各分野で使われています。これらの優れた最新装備を扱うためには、専門的な知識と技術が必要であり、このような観点から、とくに素質に優れた若い人たちを専門技術者として養成するために、中学校卒業者を対象に採用する制度です。

身分・待遇等
身分・特別職国家公務員
給与・初任給152,300円(16.4.1現在)*昇給:年1回
賞与・期末・勤務手当(ボーナス)年2回6月、12月 年間4.4ヶ月分
衣食住・全員が宿舎で生活し、宿舎費は無料、食事、一部の被服類は支給又は貸与
休日・休暇:週休2日(土・日)年次休暇(24日/年)
高等教育・陸上・海上・航空自衛隊生徒として入隊すると同時に高等学校(通信制)入学
(通信教育の経費年間約25,000円前後は自己負担)

一次試験
国・社・数・理・英・作文(マークシート方式)
2次試験
個人面接、身体検査、適性検査

てな内容だった。「華氏911」でマイケルムーアが海軍兵士の募集を上院議員たちにむかって「お宅の息子さんを最前線に是非どうぞ!」と勧誘しているシーンを思い出す。むろん、戦時において日本では少年までもが借り出され、特攻として命をおとしたり、広島では、学徒動員で奉仕活動をしていた中、原爆が投下された。

ヒロシマの原爆資料の中で、小さい軍服(のような制服だと思うが)がぼろぼろになっているのをマネキンがきていたのを子供の時にみて、覚えていて、再度、子供をつれてもう一度、見たときは、親の目になっていたので、苦しかった。自分の子を失った気持ちになった。

暴力に巻き込まないで欲しい。

21日の夜に、疲れてぼんやりTVを見ていたら「夜回り先生」のドキュメントをやっていた。以前も他のドキュメンタリーで見たことがあったけれど、昨日は疲れていたからなのか、何かわからないけれど、涙がでた。「人はやり直すことが出来る。」子供達が薬物依存やシンナー中毒、リストカット、自殺願望でがんじがらめになっているときに、圧倒的な力で子供達からSOSが送られてくる。病魔と戦い命をけづり、ささやかな一人一人の、子供達の命を守ろうとする大人がいる。

(「水谷修先生の夜回り日記 」毎日新聞はコチラで読めます。)

命と引き換えか?この人の行動は・・・と思わせる。私自身は、うけとめることがしんどいと、たまには思うことがある。それは、他人であったり、我が子供であったりしたが、やっぱり、自分の子供はなんとかふんばろうとする。

不細工な受け止め方しかできない。そんなことを繰り返すけれど、この水谷先生の存在を見ていると、ぜった見捨てないということの大切さを感じる。

そうやっていつくしみ深く、子供を守ることの困難で苦しいみちに比べ、戦争にかりたてる甘い言葉と自分の死や他者の死まで軽くあつかう暴力は相反する。

暴力に巻き込まれずに賢い大人になって欲しい。こころからそう願う。今年も一つ大人になる子供たちへメッセージするとしたら・・・

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2005年01月18日

1.17の10年

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神戸 ERTH展
1.17を振り返ると、毎年報道が希薄になるなあと、感じていたが10周年ということで、あの時の風景をまたTVで見る機会が何度かあった。

昨日は(日付がかわってしまったので)、以前、西代仮設住宅に訪問ボランティアを少しさせてもらったかたがたが開催された合同慰霊祭にほんの少し顔出しした。
当時、長田区の西代仮設住宅は、野球場に建っていた。それは、仮設が建ってからの繋がりだが、もっと状況が整っていなかった頃、震災後初めて、神戸に向かったその日のことを鮮明に覚えている。

その日は、東灘区の森南地区の公園で多くのかたが家を失い生活されていたので、仲間と炊き出しをしに大阪からやってきた。当時4歳と9歳の子供を連れてだ。大阪に住んでいるわたしは、電車が神戸へ近づいていく時の車窓の風景を見て、緊張した。だんだんあおざめていくような気分に襲われた。

大阪梅田の人ごみ、何事もなく遊びに行く人々のいる町から、なにもかも失った街へ。そのときに4歳のこどもが言った言葉。「テレビでみてたけど、ほんまにこわれてると思えへんかった。」
4歳は、虚構の怪獣TV、何とかレンジャーシリーズで毎回破壊される街などめずらしいシーンではなかったのだろう。でも、それは、どこかニセモノ臭く、子供にとっても違う感覚のものだったのかもしれない。

大きな屋根が崩れ落ちている。足元は、アスファルトが隆起していたり、亀裂で歩きにくい。子供を連れて行くにはふさわしくないかもしれなかったが、けれど見ておいて欲しかった。そして、それ以上に自分に強烈に焼き付けた。テレビのむこうの他人事(ひとごと)にしないために。

けれど、それが本当に激震の恐怖と喪失を経験した人にとっては、思い出すのも、当時のものを見るのも辛い日々であったり、ようやく10年で振り返ることができる心境になった人もいただろう。人の辛さを替わってあげることは、出来ない。本人でなければわからない、心の細部まで傷ついた人に共感は出来ない。
だけれど、そばまで言って、聞くことくらいはできる。わたしに辛さをブチまけて、心がすこし軽くなるなら。

この10年前の出来事から、わたしも夫も出会う人々、かかわることになった人々が何倍にも膨れ上がった。人生の方向を変えた出来事だった。

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2005年01月16日

憲法で両性の平等が揺らぐ?

1月16日の赤旗日曜版を見ていて、ギョッとした。うちでは、一時期、記事の比較のためにいろんな新聞を取ることがあったが最近はWEBで検索できるので、複数紙とることがなくなった。(お金がもったいないし、目を通す時間がないしね。)だが長年のつきあいで赤旗日曜版はポストに入っている。

中々日刊紙にない記事があったりしておもしろいのだが、この記事には恐怖を感じた。
 婚姻・家族における両性の平等を規定した憲法24条を見直そうという動きがある・・・と言う。

憲法24条
①婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

②配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚ならびに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

記事は、憲法学者の中里見博さんから聞いている。要約すると・・・
自民党の憲法調査会憲法改正プロジェクトチームが昨年6月に公表した、「論点整理」に「婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである。」という、見直し案のもつ問題点である。

何故、見直すのか?「個人主義が利己主義に変質した結果、家族や共同体の破壊につながった。家族や、共同体における責務を明確にする方向で新憲法を考えていく」から・・らしい。

我々が、日本という国にとって不都合な自由度をもっていると言う事?どういう責務を果たさなければならないの?ということについては

「公共の責務」 ①社会連帯、共助の観点からの公共的な責務
          ②家族を扶助する責務
          ③国の防衛及び非常事態における協力義務
以上3点。
ほら、恐ろしくなってきたでしょ。

サイトを調べていたらすでに反対キャンペーンを張る、市民運動が存在していた。
STOP!憲法24条改悪キャンペーンのサイト
その中から、昨年10月31日の憲法改正プロジェクトチームの議事録が載っている。青ざめる。

夫婦別姓反対。神道への回帰。愛国心。老親を子が扶養する義務。等々。こんな古い価値観、家制度に縛られたかつてへの回帰を何故いまごろいっているのかって~。戦争が出来る国は、家族単位で国民を縛り付けて、国へ奉仕しやすいように考えてるからじゃないの。

お隣、儒教の社会体制をもつ国韓国では、2月にむけて家族単位の戸籍制度を廃止する方向である。

朝鮮日報の1月10日記事はこちら

中央日報の1月10日の記事はこちら

移行する「1人1籍制度」は、個人別に1個の身分登録簿を作る。そのため、これまで、父や夫の戸籍に偏在していた女性も、今後は、自身の身分登録簿を持つことができる。以前の戸籍制度が、男子の戸主を中心にした家族関係だったとすれば、1人1席制度は、登録上には男女平等の形になる。 (中央日報記事より抜粋)

どうだろう。この違い。直接、戸籍制度について、憲法24条が規定しているわけではない、が、日本の現行の戸籍制度と比べてみてどうだろう?ちなみに韓国は、夫婦別姓である。理由は、男子の戸主主義のため女性の氏は、夫の氏に家族としてはいれない、ようするに男系のためにはいれないためなのだが、それを考えても、家族で2つの姓があっても混乱なんかしてないよ。

憲法9条もそう。戦争したい人間は差別主義者である。(と断定したい)戦争暴力は相手の生きる権利を
奪っていく、人権侵害だから・・・・

「夫婦別姓を待つ身の溜息」さんのサイトですでに昨年6月に問題が発覚したときに取り上げられている。
以下二つの記事
2004.6.25 実は家族よりも優先されるものがある家族条項
2004.7.9 自民党の憲法24条改正に関係する記事

投稿者 pianocraft : 22:31 | コメント (0) | トラックバック

マーチン・ルーサー・キングJr.牧師 誕生の日

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映画「テロリストは誰?」から

1月15日は、マーチン・ルーサー・キングJr.牧師 の誕生日である。アメリカでは、1月の第3月曜日にKing's Holidayとして祝日となる。ユキノヒノシマウマさんのブログにもこの日のことは詳しくかかれているので参考にして下さい。

非暴力的抵抗、非暴力平和主義。この今の時代にキング牧師の言葉が数々引用されている。

映画「テロリストは誰?」の冒頭のシーンでのメッセージ。キング牧師のビデオ映像と共に伝えられた。

「この世で最大の暴力請負人は我が国の政府である」(マーティン・ルーサー・キング Jr. 牧師)

 「あなた方の苦難を課す力には、私たちの苦難を耐え抜く力で立ち向かおう。物理的な力には、魂の力 で対抗しよう」 マーチン・ルーサー・キング牧師
豪州NGO女性ドナのファルージャ拘束報告No1より)TUPのサイトから

また、
「後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ。」
これも、心にコタエル。無関心の恐ろしさ。見ないでおこうとする無謀さ。

もちろん、ワシントン大行進での有名な「I Have A Dream」の演説も・・・このサイトで演説内容の翻訳と肉声が聞ける。この演説は、中学生の英語教科書にも取り上げられている。

キング牧師の公民権運動のきっかけとなった、ローザ・パークス事件により、バスボイコット運動が起こり、
黒人はみんな、職場まで歩いたり、車を乗りあって、バスに乗車することをやめた、初めは、白人はくだらない抵抗運動だととらえていたが、結局、バスはがらがらで、白人の生活にも影響を与えた。

これは、映画「ロング ウォーク ホーム」主演 ウーピー・ゴールドバーグ松竹ホームビデオ。監督:リチャード・ピアース 1990年アメリカ映画 96分にも描かれている。
喜八ログさんに詳しい映画の内容がかかれている。

わたしも見たが一見の価値がある。白人によってひどい言葉で語られる、当時の黒人の気持ちを思うとつらく、絶対的な差別状況に彼らはいたといくことを、怒りをもって感じる。

では、今、差別的な状況に苦しんでいるのは誰か?アラブのイスラム教徒?イスラムの女たち?偏見をもたれている苦しい人々はどこ?

どこにでもいるのだと、思う。大きく、民族や人の種、出自によって差別があったとして、その被差別者のなかにも、さらにまた、被差別者を作ることがある。男性の女性に対する差別である。イスラム教の中には、本当にひどい女性差別があり、家族からも追われ死を余儀なくされる女性が少なからずいることは、辛い。

さらに、DVのなかから、子供に対する虐待という差別も現れる。

暴力の連鎖。というのは、卑近なことから、戦争レベルにおいてまで果てしない。
非暴力的抵抗の偉大さ。

今、岩波新書の「自由への大いなる歩み」を読み始めている。今だから、戦争しないための抵抗をどうやって考えればよいのかのヒントが見つかれば・・・と思う。

キング牧師の本については、心想事成さんのサイトに詳しい。

人の足を踏んずけてもわからないような人間にならないために。

投稿者 pianocraft : 00:11 | コメント (4) | トラックバック

2005年01月08日

似たもの同志の溝・・和解へ

人間と人間。であうと、お互いの共通する趣味や、嗜好に盛り上がったり、共感して喜んだりする。
けれど、どんな人間も違う文化を生きてきた年数分持っている。そこを、すっとばして、今ある共有できる幸福感を拡張しすぎて、少しの違いを許容できなくなって亀裂を生じさせる。そんなこと経験したことないですか?

ほんとに人間は小さいこころの生き物だと思う。

ふらふらこころを揺さぶられる。

自分の価値基準を、一般化する。

世界は同じ一つの価値によって支配されてはいないということ。唯一「愛」くらいかな?みんなが求めてでもなかなか手に入らないってものがあるとすれば。

共感は点であって、面ではない。わたしは、心ってものは、あるいは魂ってものは、球体のようにどこも平面がなく、他のこころに接するのも「点」でしかないと考えている。でこぼこの球体なので2ヶ所が点でひっついてしまうこともあるだろうしね。3つもあり4もあればすごい凸凹。

そうして、人との付き合いを考えると、とんでもなく人に失望するってこともなくなった。嫌いということばがなくなった。合わないとか、ペースがいまいちとかはあるだろうけど、そんなん当たり前。わかりきったこと。

極力集団にまみれないように生きてきたつもりだけれど、愛する人々がいる場所にまた、もどってなかから異端を発揮してこようかと、開き直った。(ことばどおりだと誤解があるが)
つまり、本日よりゴスペル集団にまいもどったという宣言をします。

なぜ、異端か・・・信仰のないわたしが楽しくゴスペルを歌おうということ。歌の力をしっているから、もういちど、違うアプローチで行こうという、非常に私的な宣言でした。

実に抽象的で日記らしくなりすぎすいませんでした。本日は終了。

でも、どんな集団にも抱える問題はある。平和運動でも然り、物事の何かに賛成していても、そのアプローチには反対といえることも多い。まるがかえで、全部いいってのがあるとすれば、それは、信仰そのものだ。と感じるね。では、駄文終了。

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2005年01月06日

今年も毎日が日曜日

今年は、何か一歩踏み出せるか?と問いつつ。1月も一週間が過ぎようとしている。地震についての情報も気になるが、私の生活はごく普通に毎日が日曜日状態である。年始は起動が遅いこともあるが、日記も含め、エンジンがかかっていない。

ひとつ楽器をつくろうと、その辺のものをかき集めていた。チェンバロピンと弦で、ピアノの原型のような楽器をつくってみたいと思い・・・。その辺のものといっての、ピアノの仕事をしているせいで、あんまり一般的でないものも、転がっている。

いつも手作り楽器の情報の豊富さでは、楽器工房ミネハラさんのページがおもしろい。ここの手作り楽器は、ウチとは違い、古楽器などけっこう本格的なキットの販売をしていて、見ていると楽しい。

身近なもので、というのがウチのコンセプトなのだが、手作りとはいえ美しい楽器をみると魅了される。
昨年暮れにピアノ調律師の集まりで、大阪音楽大学の音楽博物館へ見学に行った。アジアの古楽器や日本の三味線から古典ピアノ、太鼓や民族楽器と多岐にわたって展示がされていたが、やはり、手作り楽器をし始めてから、本物の民族楽器の構造をみるのに執着してしまった。

もちろん、みんな調律師なので、ピアノの歴史も詳しいし、ああこれが、あれね~など、実物で確認したり、見慣れない楽器の発音構造を推測したりも楽しい。

ウチでは、テジョンが竹二胡をバージョンアップさせたり、二胡弾きの練習に余念がない。

わたしは、音楽に関わりがあるが、そのアプローチがディープな時とそうでない時(まるで蓬莱のぶたまんCM)にムラがある。音楽に精進している人は、何時間楽器をいじっていても平気なのだろうが、ムラ気の多いのは単に自分のせいだと思うが。

ことしはも少し精進しよっと。
そろそろGospel復帰かァ?

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2005年01月04日

スマトラ沖地震

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新しい年になり、といっても連綿と続く日々のつながりに一区切りの休暇があって、けじめをつける。という人間の生活習慣の中でのとらえかたであるが。

とはいえ、12月26日に起こった「スマトラ沖地震の被害」が今は緊急を要する問題である。

いまや15万人もの犠牲者を出してしまった。この朝日の記事では、各国が援助を申し出ていることを伝えている。

同記事中から引用
北欧の「スウェーデンでは民間募金でも国民1人あたり10ドル(約1000円)に達した」という。AFP通信によると、デンマーク政府は3日、援助額を当初表明より4割多い4億2000万クローネ(約80億円)に増やすと発表。国民1人あたりに換算すると1500円近くで、援助表明国の中で最高額になるという。

世界で多くの地域に住む人々が心を痛め、とおい国への支援を申し出ている。
人間だけが、地球をエリアにわけて、故意に壁を立てている。空気も同じひとつづき、大地もひとつづき、海を隔てていても、海の下は一続きである。

「破壊」の絵をみると、天災も人災(戦争)も同じ風景になる。阪神大震災のとき戦後の焼け野原をそうぞうした人も多かったように。

誰をも無差別に襲った洪水。自然現象には、人間の作った小さな壁面をあっさりぶち壊す力がある。

だから、わたしたちは無差別に自然と相対している。
どこに誰がすんでいようが、遠かろうが近かろうが、なので、わたしは心苦しい。

何かをするためのリストをあげてみました。
続く

募金なら

募金パーク http://bokinpark.com/index.html
ワンクリックで、募金が1円できます。


支援活動をしている団体リスト(MLより転載)
各サイトには、現在の活動状況が写真などで報告されています。

■■支援を開始した団体(情報入手順、プロフィールはページ下に)

■(特活)AMDA(アムダ)(岡山)
http://www.amda.or.jp/ 被災直後に多国籍医師団を結成し、インドネシア(アチェ)とスリランカ
(キリノッチ、トリンコマリ)で支援活動開始。インドでの活動も検討中。

■(特活)ピース ウィンズ・ジャパン(東京)
http://www.peace-winds.org
 現地スタッフ2人を27日にスマトラ島北部へ派遣。日本からの支援チーム第
一陣として、国際スタッフ2人を27日午前ジャカルタへ派遣し、情報収集中。

■(特活)ワールド・ビジョン・ジャパン(東京)
http://www.worldvision.or.jp/notice/page8.html インドネシア(アチェ地域)、インド(タルミナドゥ州)、スリランカ
(バッティコラ/アンパラ/コロンボ/プッタラム)支援を決定。

■(社)セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(東京)
http://www.savechildren.or.jp/ インド、スリランカ、インドネシアなどでシェルターや緊急必需品などの
救援物資を供給するために活動開始。

■(特活)難民を助ける会(東京)
http://www.aarjapan.gr.jp/index.html 支援を決定。28日調査のためスリランカへ職員数名派遣。

■(財)オイスカ(東京)
http://www.oisca.org/ 普段からの活動地であるインドネシア、スリランカ、インドなどで、被災
者の衣食住の確保、被害建築物の撤去などに着手。

■(特活)れんげ国際ボランティア会(熊本)
http://www.uproad.ne.jp/rengein/ 普段からの活動地であるスリランカへの支援のため、緊急募金を開始。
年内にも調査団を派遣。

■(特活)JEN(東京)
http://www.jen-npo.org スリランカでの支援を決定。30日に職員2名を現地へ派遣し、ニーズ調査
の上、生活必需品の配布から活動を開始する。

■アジアアフリカ環境協力センター
(ウェブ無し、紹介文が
http://www.hyogo-ip.or.jp/hiaf/jp/dantai/contents/004.htm に掲載)
 救援物資の輸送をする予定。詳しくはJANICウェブ上のPDFファイルにて。

■(社)ケア ジャパン(東京)
http://www.carejapan.org/救援のための緊急募金の受付を開始。

■(特活)ブリッジ エーシア ジャパン(東京)
http://www.jca.apc.org/baj/
スリランカ北部地域にある現地事務所にて、ワウニア、ムラティブ、キリノッチ、
マンナールなどで負傷者の搬送、衣服や食糧、マットなどの輸送および配給を
行っている。ミャンマーにおける被害に関しては現在調査中。


■■支援活動団体のプロフィール

■(特活)AMDA(アムダ)(岡山、1984年設立)
 「多様性の共存」という理念のもと、多国籍NGOであるAMDAには世界
30カ国に支部があり、このネットワークによって災害被災者や難民への救援
活動、そして開発途上国(アジア、アフリカ、中南米、欧州)での地域医療活
動を世界規模で展開している。各国支部からの医師で構成する「AMDA多
国籍医療団」はそのシンボルである。AMDAの活動は幅広く、支援を要す
る傷病者への治療から長期的な保健教育や社会開発までを含んでいる。

■(特活)ピース ウィンズ・ジャパン(東京、1996年設立)
 紛争や自然災害、社会システムの崩壊により、生存を脅かされている人々
への支援を行う。緊急人道支援をはじめ、貧困の脅威にさらされている人々
を対象とした復興・開発支援にも取り組む。

■(特活)ワールド・ビジョン・ジャパン(東京、1987年設立)
 飢餓、戦渦、貧困、災害に苦しむ世界の人々への支援を目的に、教育・医
療援助、農業・職業支援、また緊急援助を行う。世界74ヶ国にあるワールド・
ビジョンと連携して活動を行う。

■(社)セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(東京、1986年設立)
 子どもたちの生活と教育環境の向上に貢献することを目的に、フィリピン、
タイ、ネパール等で未就学の子どもたちの識字教育、学校建設、母親の保健衛
生教育、青少年職業訓練活動等を行う。1919年に英国で始まった運動で、米国
やカナダ等先進国の同様な団体と世界連盟(連盟の調整事務局はスイス・ジュ
ネーブに置かれる)を構成する。

■(特活)難民を助ける会(東京、1979年設立)
 世界各地の難民等の自立を目指した支援活動を実施。国内での定住難民等へ
の生活相談や自立援助金給付ほか、カンボジア・ラオス・ミャンマーで身体障
害者の自立支援、旧ユーゴスラビア紛争の被害者支援、ザンビアでマラリア予
防やエイズ被害者支援、ロシア、北朝鮮に支援物資配布、他多数。地雷廃絶キャ
ンペーンも実施中。

■(財)オイスカ(東京、1961年設立)
 アジア太平洋、ラテンアメリカの開発途上国の農村・農業開発等への支援・
協力を目的に、これらの国々の青年を対象として人材育成活動、地場産業振興
活動を行なっている。また、相手国の学校児童が参加する「子供の森」計画や
日本からのボランティアが参加する植林事業、環境教育活動を推進する。

■(特活)れんげ国際ボランティア会(熊本、1980年設立)
 大乗仏教の精神に基づき、国境を超えた人々の間の共存・共生を目指し、
タイ、スリランカ、カンボジア等でスラムの子どもたちの教育支援、里親運動
の推進、幼児教育の支援を行う。

■(特活)JEN(東京、1994年設立)
 全世界の人々の精神的、経済的な自立を支援し、世界平和づくりを目指す理
念を基本に、国内外での平和な社会の実現のための事業を実施し、誰もが平等
で、健全な生活を営める社会の発展を支援する。旧ユーゴスラビア難民・避難
民支援や、職業訓練などの自立支援、緊急救援活動を行う。2000年に日本緊急
救援NGOグループからJENに改名。

■(社)ケア ジャパン(東京、1987年設立)
 世界70カ国で活動するケア インターナショナルの日本メンバーとして、アジ
ア地域における社会開発を目的に、子どもへの基礎教育と住民のキャパシティ・
ビルディングを行なう。

■(特活)ブリッジ エーシア ジャパン(東京、1993年設立)
 アジアの人々の間に相互理解の橋、心の橋を架けることを願い、都市環境問題
への協力、職業訓練、教育施設整備、障害児教育支援、研修生・視察団の受入れ
などを行う。

投稿者 pianocraft : 14:38 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月30日

日々が過ぎ行く

今年が終わろうとするこのとき、TVではお笑いを中心とした娯楽特番がのきなみ、どのチャンネルにでもやっている。

このまま、大晦日をひどいドンちゃん騒ぎで終えようとするのが、今のなさけないマスコミの現状だ。

インドネシア沖の大津波での被害状況も、イラクの今も、新潟の地震後の様子も、10年を迎える神戸の生活も知りたいものを探すのがとてもたいへんだ。
このネットの世界には探しに行こうと思えば、見つけることのできる情報がたくさんあるが、そうして知ろうとしてネットを巡り歩くうちに、現実と乖離していく気分になる。

どちらが、今のわたしのいる世界なのか?あきらかに虚構の空騒ぎのTV画面。無事、平穏。そうおもわせておきたい思惑が誰かにあるのだろうか?

TVは消せば静かな箱である。

ただそれだけなのだけれど。

人々をふぬけにする。そんな恐ろしいおもちゃでもあるように思うね。

暗い。おわりかただな。もう少しましなことがかければいいのだけれど。

投稿者 pianocraft : 01:19 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月25日

Blog復活 アイヌの音

MTをバージョンアップさせて、スタイルシートをいじっていたらえらいことになってしまった。
何せ、本来はなれない作業・・・・しかも今は、朝の4時を回ってしまった。なんとか復旧。

この間23日に、コリアボランティア協会のクリスマスパーティに参加した。例年企画がわで、裏方をやっていたが、今年はゆっくり楽しませてもらった。

いろんなボランティアさんと障害をもった人達の交流の場で、今年はよさこいソーランを乱舞し、手話コーラスをみんなでしたり、楽しかったのだが、その中で秀逸だったのが、「むっくり」の演奏だった。

口琴といわれるもので、ジューイッシュハープというのも金属だがおなじような仕組みの楽器がある。
スヌーピーが犬小屋の上で、演奏しているのがそうだ。(といっても知らない人の方がおおいかも)

それをマイクでひろうと・・・・口のなかが共鳴のうつわになって、ビヨーン、ビヨーンと神秘的な音がする。
ずーっと演奏をきいていると、はるかな大地がひろがってきて、こんな狭い、視界のふさがった街にくすぶっていたらいかんな~と思わせるすばらしさ。

実はうちにも一本あるのだが、鳴らし方がいまいち解らず、放ってあった。帰ってからとりだして、思わず
やってみた。少しはなるが、どうなのだろう。

民族楽器は不思議だ。ふっと世界をこえてしまう。
音楽には、国境というボーダーがない。東から西へ、楽器も音楽も流れて伝わってきた。人間だけが壁を作り、武器を持つ。国に流れる風も海につながる川の水も、自由なのに。

投稿者 pianocraft : 04:03 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月02日

イラク意見広告 その後

本日、毎日新聞朝刊、全国版1面広告として、自衛隊派兵反対の意見広告が出た。毎日新聞をとっていないので、コンビニで購入。募金者の名前の中に自分を見つける。

この広告の中には、サマワでの自衛隊の活動、給水活動についての情報も書いてある。
日本の自衛隊は、供給する水の51%を、自分達とオランダ軍のために使う。49%はイラクの人のために使っている。フランスのNGOは、この15倍の給水能力でイラクのために水を使う。
というもの。

大金をはらって、自衛隊とオランダ軍をやしなっている日本。NGOにできることが、できない日本の自衛隊。

本当に人道支援のためならば、こんなやりかたはしないだろう。アメリカの方をむいて、気をひくためにだけ自衛隊員の人々は送られてるのだろうか?命をかけて、劣化ウランの被爆の危険もおかして・・・。

イラク意見広告の会では、この広告のために必要な800万円のための募金をいまも継続中である。12月1日現在の募金額は6,384,050円。

うずまくうそや、民意の反映されない政治。失意に感じるが、WEBの世界では、多くの平和を願う意志が強固になっていく。簡単に平和といっているわけでなく。最大限の想像力をはたらかせ、他人ごとにしない努力をつづけたいと思う。

投稿者 pianocraft : 23:45 | コメント (2) | トラックバック

2004年11月28日

イラク意見広告の会

○ここ何日かしてきたこと

てじょん:盲学校で二胡を弾いて楽しんでもらう。友人の交遊亭楽笑さん(手話落語の人)と一緒に活動。みんなに手話を知ってもらう。「盲学校のみなさんの手話の覚えが速くて感動した。」との感想。

管理人:ハレルヤウォーカーソン参加。大阪の弟子教会~大阪城までの往復を歩いて、寄付を募る活動。募金は、新潟、兵庫県の災害義援金として送られる。秋の素晴らしい天気にハレルヤ!だった。

ピアノクラフトワーク:トーキングドラムワークショップ。毎日文化センターで一日ワークショップ。太鼓をとあして、自己表現を・・・。本物の皮をつかったトーキングドラムは3日後の皮の張り具合が楽しみ。

毎日、何らかの社会との接点をもって生きてきた。そんな今日、ブログめぐりでたどり着いた場所とは?

イラク意見広告の会だった。
何故ブログめぐりをするのか。もっぱら「平和」を追い求めて・・・どうすれば、実際に平和のための動きを一人の人間としてできるのか?捜し求めて、いろんな人をめぐる。そして、今日見つけたひとつの活動。

イラクの自衛隊派兵打ち切りをもとめる意見広告を毎日新聞に出す」という活動だ。意見広告のための募金を行っており、募金をした人の名前が新聞に載る。

ただし、12月2日の毎日新聞なので、本体のHPでは29日までに募金の入金確認が出来た人となっているが、tamyさんのブログ(トラックバックさせていただきました。)には、本日28日中にメールを送れば、あとで募金を送金しても名前は載るということだ。

自衛隊派兵にNO!と意思表示したいひとは、行動できるチャンスと見た。
わたしも、本日メールを送った。
日本にイラクの少年が再来日している、あのイラクで亡くなった橋田さんの遺志で治療にきているが、ファルージャでは、今も民間人が殺されつづけている。

一人の少年の命。重い。傷つき、国に帰っても、また死の危険にさらされる。そんな、国にしているのは誰か?アメリカ攻撃を支持しているのはどこの国か?自衛隊は、その仲間なのだというとことを思うと、わたしの心が痛い。

人道支援はほかの方法ですればよい、アメリカと傀儡政権のアラウィ政権に要望されても、自衛隊は、そっち向いていてはいけないんだとつくづく思う。

NO!誰と共にいきるか考えていきたい。

投稿者 pianocraft : 23:08 | コメント (2) | トラックバック

2004年11月25日

ブログめぐり

体調をくづしていた。そうでなくとも、滞りがちのブログ日記である。前回の、ブルース映画でのもりあがりから、あと1本「ロードトゥメンフィス」もやっと見た。これで、第1シリーズは制覇した。

来年の第2段を待つのみ。

ブルースの世界は、アメリカの歴史そのもので、綿畑で働き、ブルースを演って、公民権運動が有り、白人の若者にみいだされ、ブームになる。その後は、R&B、HIPHOPへと黒人音楽は姿を変えて、世界に浸透していくこととなるが・・・・

アメリカの古い歴史を見つつ、たかだか100年のこの動きをおどろく。しかも、今アメリカは戦時だ。

体調を崩すと、書く気力がないかわり、ブログめぐりを沢山した。
とくに、イラク関係、平和問題関係を動くと、チェーンのようにつながって、ずるずるとみるところが多くなる。自分の考えが、右翼的であろうが、左翼的であろうがそんなことは、知ったことではないが、自分のものであるには違いない。

こうして、いろんなブログで語りかける、思慮深い人々に敬服する。
時間がいくらあっても、興味は尽きず、書くまえに疲れる。そんな日々であった。かつて、個人がこんなに意見表明をしたことはなかっただろう。ネットという果てしない海で。おぼれそうになりながらね。

投稿者 pianocraft : 23:41 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月10日

ファルージャ再び

世界のいろんなところで、そしてインターネット上で。ファルージャへの米軍、イラク軍の攻撃のことが、かかれている。

めぐっていくだけでも、果てしなく、ぐるぐる目が廻るほどだ。

ファルージャは、日本人の人質3人の拘束された舞台となったところでもあった。そのときから、何度、大規模な爆撃が繰り返されただろうか?

「奪われるファルージャ」と言う記事が投稿されている。ファルージャを見捨てるな。この言葉は、自衛隊を派兵している日本も加担していることから、他人事ではない。

「沈黙していれば、次はあなたの町が破壊されるであろう。」

12月14日の自衛隊派兵期限。日本は攻撃されないから、される側の事は感じられないのか?
ヒロシマ・ナガサキを知っていてもなお、イラクの地へ人を送るのか。復興支援といいながら、ブッシュ政権に賛同した小泉首相。戦いにエールを送ってる国。

もうイラクでは10万人もの人が殺害されたと言われる。

イラク関係の記事ふたつ

Falluja, April 2004 - the book のサイト益岡賢さんのbloghttp://teanotwar.blogtribe.org/category-c56e4f6734fc74edd84e74c48f8fdcc9.html

平和はお好きですか?のサイト
http://ken-nye.seesaa.net/article/1005023.html#comment

まだ、まだ終わらない。こころ痛い日々

投稿者 pianocraft : 19:12 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月31日

地球が動く

この一週間は、天災・・・とは言うが天から降ってくる災害というより、足元、地球の中心から悲鳴をあげたかのような叫びを聞いた気がする。

神戸から10年。もうすぐその10年を迎える前に、あらたな震災被害が生れてしまった。

その報道を見るにつけ、ため息をついて、いつ、どういうタイミングに何ができるか?をあらためて考える。神戸は近かったので、炊き出しも出来た。電車も分断されてはいたが、比較的近づくことができた。みちがぼこぼこになっていたのも覚えているが、新潟の山間部のように隆起したり、完全に崩壊した道にはであった事はなかったが。

仮設住宅ができてからの支援もあるし、かといって、新潟は豪雪地帯である。仮設がたつころには本当に雪で覆われているのではないだろうか?

新潟のNPOのHPもある。にいがたNPO情報ネットでは、ボランティアのニーズなどの情報を掲載している。何かをいつかしようと思っている人は日々かわっていく状況をキャッチして欲しい。

兵庫の水害については、外部からのボランティア募集を終了しているところもあるが、HPでは
ひょうごボランタリープラザで募集の概要、募金、物資の援助などの情報を提供している。

土日のボランティアとして参加するという、調律のお客さんがいた。現地にいくということは、やはり得るものがある。ささいなことしかできなくても、少なくとも、人々が疲れ、傷ついている現実に直面することで、TVの他人事が、他人事ではないことを知るから。

わたしもむずむずしている。この1週間様子をみたが。情報をみて、考えたいと思っている。
共感というのは、とてもむずかしい心の動きだ。失う。つらさ。恐怖。すこしでも、人間が他の人間がいてよかった。と思える。生きていてよかったと思えるような支援ができたら・・・と考える。

今日のニュースでは、イラクの人質事件についても悪いニュースがあった。災害で傷つき、家や町や道路を破壊された日本の地域とイラクで今日もまたザルカウィ探しのため米軍爆撃。果てしなく失うものを積み重ねていく。

人の死の重さ。自衛隊の撤退は必須である。イラクでは、日本は星条旗をまかれた遺体に象徴される、米軍の手下以外になんと見られることがあるのか?

投稿者 pianocraft : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月23日

ごく私的な日常

台風が去った。ごく私的な日常は連綿と続くが、非日常な日常を余儀なくされている人々もこの天災のせいで多くあるだろう。

風と雨は、ようしゃなく建物にぶつかって、くだけちったが、小さい頃の台風はもっとおそろしかった記憶がある。

その日は、ひどい風が吹いていて、奥の間でろうそくをともして息をひそめていた。暗かった。きっと停電してたのだろう。電柱が嵐でやられたのか?裏の住宅の人も非難して一緒にいた。
とりわけ、家が大丈夫なわけではないが、少し裏のうちは傾斜しており、水がでたらひとたまりもなく水没するであろうから。

その当時はそんなことは考えていなかった。特別な日、特別な時間と空気。ただ、自分達をみつけられないように、息をひそめて隠れている。そんな感じだった。はやく恐ろしいものが立ち去ってくれるように。

このところ、停電も断水もしないので、生活の便利さを奪われたら現代人はとっても非力だろうね。

バスの上に取り残された人たちのドラマも、60代の人たちの結束の強さからうまれた。命を大事にするということ。ここでも感じた。災害のとき、みな生きようとふんばる。命がつきないように。神戸でもそうだった。

でも地球の裏側では、殺戮がまだ行われていることを何があっても思い出してしまうわたしは偏執的?


ごく私的なところでは・・・・・
Happy Birthday VIGGO 1958.10.20
わがアイドル。ヴィゴは46歳。こんな俳優はみたことない。こんなに影響をあたえる詩人もあまりしらない。人の生と死と考えることの多い日々がわたしにはあるが、そんなときふと、あたらしいこの人の記事にであい。癒される。このサイトに感謝ありがとうMISAさん

投稿者 pianocraft : 00:28 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月17日

季節の変化

kemabasi.jpg

季節の変化を日々感じる。とくに、仕事の帰りに見る夕日など。冷たい空気も、肌に感じる乾燥した風も。あんなに暑く、長い夏だったのに、気が付けば、長袖をたんすから引っ張り出さなくてはならない。

そろそろ、12月のイベントの予定も明確になってくる。ありゃ~今年もこんなにきてしもた。
ちょっと、イラクや憲法9条のことなどから遠ざかっていた。決して、忘れてはいないけれど、気温の変化と共に何年もたってしまったような気がするのは、単に気のせいか?

今日、本を買った。雑誌世界の別冊「もしも憲法9条が変えられてしまったら」と言う本。
このまま、今の内閣で郵政、郵政とさわぎながら、大事なことを短時間で変えられてしまう恐怖を感じる。まだ、未読なので詳細はまた・・・

今度の内閣は郵政民営化内閣らしいが、そんなことが最優先されていいのか?と思う。
郵政では、民営化への第一歩で無駄をなくすとかいうことで、過酷な労働を強いられている人々。死ななくてはならない、過労死でね。サービスだって低下する。人間が人間らしく働けない職場でいい仕事、機能的な動きができるはずがない。これは、週刊金曜日の特集記事から。

やはり、自殺や殺人もふくめて、いろんなところからこの国の人は殺されている。と感じる。
恐怖をあおるのは、どこかの国みたく嫌だが、本当に怖いことというのは、目に見えて字や画像で簡単に見えるところにはないという気がする。

真綿で首をしめるとかいうが、そんな風にはなりたくない。と。

投稿者 pianocraft : 23:14 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月02日

秋・日本

rakujitu.jpg

ここのところ、色んなことがあった。その中でも、イタリア人女性の解放のニュースは、ひところの日本の人質事件とダブって政府やイタリア国内の反応が興味深かった。そんななか、昨日
新聞記事では政権の右派が「政府に感謝足りぬない、帰国費用を負担せよ」という日本と同じような批判を浴びせている。

解放当初、報道などでは、とてもイタリアの人々がこころからよろこんでいる・・・そんな印象だった。イタリアからの軍隊の撤退も野党が訴えている。日本人で人質になった高遠さんも応援にいっていた。同じく人質になっていた郡山さんの話を思い出す。「お互いに理解しあおうと、活動を伝え、イラク人はイスラム教について教えてくれた。」また、日本人の人質となった彼らが自分の宗教を持っていないことについて「宗教をもっていないから、だめなんだ。いや、宗教がないから色んなところで活動できる。などと議論を交わした。」という内容の話もあった。

そこは、理解しようとする。人間と人間の場だったということ。これも共通している。でも、残酷に殺される外国人もいた。それは、どんなにアラーの後ろ盾があるといっても、筋がとおらない。

まだまだ、混迷を極める。人殺しのつづく日々をどうか止めたい。

こういうことを書いていると、無力感を感じる。というのは、どうやらわたしだけでないらしい。
ほんとうにつぶやくだけでは、仕方ないと思う。だから、何かひとつでもできることを考えようとしている。


ここ何日かはまアメリカと日本だけで、イチローが大注目を浴びた。その、瞬間をみようとBSにチャンネルをあわせていたことは白状するけど。

命の重さまで差別されている世界の不均衡をどうすればいいんだろう。

投稿者 pianocraft : 12:31 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月21日

リバーベンドの911

Baghdad Burningというブログがあって、リバーベンドというイラク人女性が、バクダッドから、送る、日記がかかれている。というのは、以前も、このブログで紹介したが、また、あたらしい投稿があった。

テーマは、9.11。イラクで彼女は9月11日何をしていたか?というと、マイケルムーアの華氏911の海賊CD(映画館でコピーされたもの。イラクではこんな形でしかこの映画を見ることはできないらしい。)を見ていた。

その感想がつづられている。

その怒りは、登場する軍隊に息子を送り出すことを喜々と話す母が、その後息子を失い、悲嘆に暮れることを他のアメリカ人に街で訴えるが誰も、聞き入ることがない。というシーンで、まず、母親に怒り、しかし、憎い米兵が死んだことなのに、同情して一緒に涙してしまう自分にとまどいを感じていた。

また、イラクで攻撃され、殺戮される映像がはさまれているが、それを目の当たりにして、彼女にとっては、映像ではなく、現実に目の前でおこっていることを、映像の中に再び見ることで、ひどく傷つけられたこと。これは、わたしたちが見る、同じ映像に対する感覚と、うんと違う辛さを感じるのだろうと、読んでいて辛くなった。

もうすでに、自衛隊がイラクにいることすらどうでもいいくらい、日常では忘れ去られている。
でも、小泉首相がアメリカに行き、イラク暫定政府のアラウィ首相が要請したように、自衛隊のイラク派遣期間の延長を決めた。

まだまだ、地獄のようなイラク。

スパム対策に奔走し、しょうもないCGIの設定ミスでうろついているわたしは、何なんだ。
ちょっと愕然とした。

投稿者 pianocraft : 21:33 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月15日

9.11からどしゃぶりの雨まで

あんまり、デスクトップのネット表示が遅いのでノートで書いている。

9.11が過ぎ、やはりニュースで「グランドゼロ」で犠牲者の名前を呼んでいるシーンを見ると胸が痛い。けれど、狂気のような星条旗一色のアメリカがまい進したもの。はなにか?

それは、個人情報よりもテロから身を守るという選択だ。アメリカはそうでなくとも銃社会だ。かねてから、いのちを危険にさらしながら、不安のために銃をもってしまう構造。また、ならずもの国家の抑止力のためにもつ、核兵器。そうして、自由の国アメリカは自由も捨てた。

テロのために。だが、もう一方でテロのために、戦争を仕掛けた。

ファルージャではまだ、一般人が女が子供が殺されている。13日のことだ。

そんなニュースを捕まえては、苦しくなるのだが、日本だって、殺人は日々重ねられている。

小さなこども、死刑囚。名前のついた人間の死。はるかに多い、無名の死。人間の命は重いのか?はかないのか?

今日の昼ころ、宝塚を車で走っていた。土砂降りの雨で、前方が見えない。稲光は目の前にあらわれるし、一時信号も停電し、濁流のような雨の流れる道路を舟をこぐような気分で・・・・
実際、水しぶきは船がすすんでいるかのようだった。

でも、1時間もしたら、すっかりくもは姿をかえて、日が差し込んできた。

一時、台風で水害にあった地域のことを想像した。やはり、自分の想像力などしれている。
たいへな被害のあと。みんな、気を取り直して、大地に足をふんばっているんだろうか?
こころからお祈りする。

投稿者 pianocraft : 00:04 | トラックバック

2004年09月09日

一週間がたった

先週は、悲しいことがあり、ちょっと心の中で、書きたいことがせき止められていたようだ。

あたらしく、人との出会いもあったけどね。WWBジャパンの起業セミナーに行ってみた。
豊中の蛍池に、MOMOというコミュニティービジネスの後押しをしてくれるところがあって、そのセミナーは、そこで行われた。

何をしたいか?これから起業?この不景気な世に、なにか事業を起こして成功することなんてあるのかしら?とも、思う。でも。ね。いままでいろいろな人と出会った。仕事上でも、子供関係でも、ボランティアというところでも、今度は、出会いをより広げるような事業に発展させたいと少し思う。

まあ。まだ、いろいろ模索中であるが。そうこうしている内に、今年の楽器つくりワークショップも後半もボツボツ入ってきていて、結構スケジュールは(特に土日)埋まっている。
楽器を作るということで何か新しい、音あそびを覚えてくれれば嬉しい。

ここまでは、ごく日常の中の出来事。

だが・・・アテネが終わって、アテネがヒートしている間も。イラクは、相変らず戦地で、おまけにロシアでは最悪のテロ事件がおきていた。

子供が犠牲になるのは、本当に辛い。憎しみが憎しみを生み、対立を解きほぐす難しさは増す。

チェチェンとロシア。ロシアの自爆テロは、女性が犯人であることも多い。イスラムの女性は死を捧げる必要がそんなにあるのか?生きることでなく。

テロを見ると不安になる。その上、地震と台風の来襲である。恐怖の連鎖のような、ヒステリックな感覚に陥らないようにしたいが。それは、誰かの利益になるからね。利用されてはいけない。恐怖ビジネス・恐怖政治にね。

でも、やはり不安は、あの揺れだ。神戸の震災を知るものは微弱な揺れも怖い。
この揺れの次に、大揺れがやってくるんでは?ってね。

近いところも・遠いところも。ひどいが、建設的に生きよう。と思う。

投稿者 pianocraft : 00:51 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月02日

亡き人

突如として亡き人になった人を偲ぶ。

人間長く生きてきたら、死と向き合う回数が多くなるのは当然のことだ。
でも、不慮の死は、なかなか複雑な思いを残す。

まして、人前で活動していた人である。まわりに及ぼす死の波紋は、えんえんと続くであろう。
その人がどんな人であったかの本質は、わたしにはわからないが・・・・

さあて音楽へ力いれようとしていて、呆然となった。でも、役割をはたし、生きよう。
より、自分に力をこめて、よく生きよう。あしたはわからない。

こんなふうに身近な死は、コタエル。だが、死は、どこにでも、塊でも、果てしなくある。

さてさて、ピアノにむかおう。

投稿者 pianocraft : 18:11 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月15日

本日の行動

tutenkaku.jpg
通天閣の夜

今日は終戦記念日。というムードもあまりなくTVはオリンピック放送とそれに負けじとぶつけるスペシャルなどで、ほとんど戦争がらみは放送がない。

今日で開催が終了になる世界報道写真展に行ってきた。受賞した写真なので、ショットに息を呑む。イラクだけでなく、世界の紛争地域に入って、ジャーナリストは一部分を切り取ってくる。辛い、痛々しい、残酷なまでも・・・・写真のコーナーから、現代人のそれも、紛争地域でない、性的嗜好の写真。街の、光り輝く、地下鉄の駅の・・・駅の美しい写真。
スポーツマンの写真。

この違いは、何なのだろう。一方で戦場があり、一方では文化退廃がある。経済的な格差、平和のあからさまな違い。自分は、どっちの側だ。

こっち側から、あっち側にどうすれば、釣り合いの取れる世界になるんだ!と心が絶叫していた。

写真展の最後に、池上さんのDVD「IRAQ WAR」がエンドレスで流されていた。20分ほどの作品だが、多くの人が最初から最後まで観ていた。心がゆれるが、静かで写真展をあとにするのに最適な作品であったと思う。

その後、堀江のシサム工房へ寄った。フェアトレードとアジア雑貨の店。アジアの貧しい生活を強いられている人々と日本の国を結ぶ、輸入という形の支援。単なる、アジア雑貨でなく、顔の見えるつきあいがある。アメリカ村を通って、いろんな人々の間を通り抜け、新世界へ。

新世界。なんて響きだろう。そこに行ったのは、新世界国際劇場という映画館に行くためだ。
通天閣のすぐそばにその映画館はあった。

大好きなヴィゴモーテンセンのロードショーを見逃してくやしい思いをしていたので、この劇場で上映されるとあり喜んでいたのだが・・・・

別に西成や新世界が怖いところとは思っていない。日雇いのおっちゃんたちが、安いお金で食べたり、おいしい串カツ屋がたくさんあったりで、どくとくの大阪のムードもまた、面白い。
だが、だが、だ。こんな私でさえ、ひるんだ。

新世界国際劇場の入り口には、おおくのピンク映画のポスターが張ってある。私が観にきたのは、「オーシャンオブファイアー」であり、「トロイ」と「クリムゾンリバー」の3本立てである。だが、ほとんどが、この劇場の地下にあるスクリーンで上映している、ピンク映画のポスターで、
外には見上げて眺めるおっちゃん有り、入場券は、入り口に券売機があり、そこで買うのだが、ピンク映画の券売機と並んでいる。

私が買っていると、横でにいちゃんが、地下劇場の方を買っていた。

それは、序の口だった。入ってビックリ、おっさんばっかりは承知の上だが、煙がもうもうしていて息が出来ない。(私は、たばこが苦手で、アレルギー性鼻炎もあり苦痛)もちろん、禁煙。の電気はついてるのだが。

仕方ない。口をハンカチでおおって、映画に集中しようと試みた。が、おっさんたちは、お菓子の袋はバリバリあける。ビールはシュぱっと、あちこちで抜いてる。その上、上映中であろうがなんであろうがお構いなしに、ドアから出入りする。それがうるさい。

無理やり集中した。だが、暗いなか、心細い。隣に座られないように、端に座る。でも、横に立ってる気配がすると、緊張する。あ~しんど。こんな経験は貴重だね。

そう映画は、ね。ヴィゴがでていたから見とれていたが、話のなかで1880年代とはいえ、アラブの人々の描き方が、ステレオタイプなのでは?あるいは、キャラが単純すぎではと思えるとこもあった。うーん、LORが良すぎたせいか。なんか、お話としては(実話だそうだ)物足りない。

というわけで、楽しい新世界体験でした。
もういっかいDVDでチェックしよ~っと。

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2004年08月14日

終戦記念日は明日

river.jpg

暑い毎日と世間では盆休みがあったりなかったり。そんななか、終戦記念日はまたやってくる。みなさんは、靖国神社をご存知だろうか?知ってる。あたりまえ・・・と思うけれど、知り合いから教えられて、HPをたどってみたら、これまた、靖国神社を詳しく知ることが出来る。ちなみに、リンクはこちら

一度も本当に訪れたことがない。写真を見てビックリ、兵器がたくさんあったり、軍事神社である。本当に、神さんかいな?

そんなことは、どうでもいいが、(ホントは重要な面があるが今は言及しない)。もうスグ、マイケルムーアの「華氏911」が公開されるのを心待ちにしていて、先日新聞を読んでいて、京都の立命館大学で19日に「華氏911」の上映と、大谷昭弘さん、安西育郎さん(立命館大学 国際平和ミュージアム館長)のトークイベントがあるという記事を目にした。申込の上抽選というやつなので、ダメもとではがきを書いたら、今日、招待状が届いた!

とっても楽しみ~。一足お先に盛り上がってこよう。

確かに「華氏911」は全米だけでなく大当たりのようだが、現実は、映画の中にあるのではなくて、実際に起こっているところがあり、今もなお、イラクでは、シーア派と統治軍の戦闘が続いている。サドル氏は、どうするのか?停戦の提示は、良い方に向いていくのか?

そんなことを、新聞やネット報道などで知るうえで、イラクの女性の日記を読んだ。
これは、最近出版されたアートン出版の「バクダッド バーニング」の今もつづく同タイトルのblog日記だ。

その中で、シーア派への攻撃のことも書いてあるが、私が知って驚いたのは、その日記の半ば以降の、イラクでのイスラム教徒とキリスト教徒のかつての生活の様子だった。
全文は上のリンク先のリバーベンドさんの日記を読んでほしいが、引用すると。

 「みんな聞いて知っていることだけれど、先週は教会が爆撃された。これには私たちみなぞっとした。何十年もの間-何世紀も、というわけじゃないけど-イラクでは教会とモスクが共存してきた。私たちは、クリスチャンの友人たちといっしょにクリスマスとイースターを祝い、彼らも私たちといっしょにイードを祝う。私たちはおたがいに「クリスチャン」とか「ムスリム」とかいうレッテルを貼りあうことをけっしてしなかった…そんなことはほんとにどうでもいいことだった。私たちは隣人であり、友人であり、お互いに相手の宗教上の慣習や祝日を尊重しあっていた。私たちの信仰は多くの点で異なっているし、その中には根本的な違いもあるが、そんなことはまったく問題ではなかった。

 クリスチャンの人たちがもはや安全だと感じることができなくなってしまったと思うと打ちのめされる。もちろん現在私たちのだれもが安全でないと感じていることはわかっている。けれども、これまではずっと、異なる宗教の間にだれもが知っている安心感があった。結婚式や洗礼式や葬式に参列するために教会の中に入ったことがあるイラク人は多い。戦争終結以来、クリスチャンの人たちは痛い目にあわされ続けている。南部だけでなく、バグダッドや北部の一部においても、住んでいる家から追放されるということが起こり続けている。しかるべき服装をするように、あるいは、教会に行かないようになどと強制されている人たちもいる。クリスチャンの多くが国外に脱出しようと考えているが、これは莫大な損失になる。イラクには、クリスチャンの高名な外科医、大学教授、芸術家、音楽家がいる。これが中東地域でのイラクのすばらしいところだった-私たちはみんなうまく共存しているということで、有名だった。

 この一連の爆発を企てた連中は、イスラムに可能な限り最悪なイメージを与えようとする人々だと、私は確信する。これはイスラムとなんの関係もない。ちょうど、いくらブッシュが関係あるように見せかけようとしても、この戦争と占領がキリスト教やキリストとなんの関係もないのと同じように。これが問題の一端だ。つまり多くの人々がこの戦争と現在の状況を十字軍になぞらえて考えていること。“イスラム”があらたな共産主義になってしまったのだ。これは、アメリカ人を脅えさせ、完全に武装して“自衛”のために他国を攻撃するようにさせるための、あらたな冷戦だ。“テロ警報”を発令して人々を脅えさせ、アラブ人一般、ことにムスリムを差別するようにさせるのが、もっともよい方法だ…ちょうどこの戦争が西欧人一般やアメリカ人に対する憎悪を生み出すのにおおいに役だっているように。戦争と占領で親や子どもや家を失った人々は、これをわが身がやられたことととらえ、おそらくは復讐したいと思うだろう。ムスリムであれクリスチャンであれ。

 私はいつも、教会の前を通るのが好き。地域のモスクからほど遠くないところに、バグダッドの太陽に照らされて教会が輝いているのを見ると、世の中はなにもかもうまくいっていると、つかのまでも感じることができる。教会の洗練された簡素なたたずまいは、モスクの込み入ったデザインと対照的だ。

 私の住む地域にもすてきな教会がある。高く、堅固で灰色をしている。とても機能的で簡素な建物だ。長方形で、尖った屋根のてっぺんにはあっさりとした十字架、つまりサリーブ(アラビア語で“十字架”の意)が立っている。質素な木製の扉があり、小さな庭がある。そう、ちょうどあなたの7歳の甥や娘が描く小さな教会の絵とそっくり。この簡素なつくりと窓のステンドグラスとがすばらしい対照をなしている。窓には少なくとも30色は使われている。教会の前を通るとき、私はいつもこの窓を見つめ、中にいる人たちに無数の色と形が降り注いでいるのだろうと思いをめぐらす。でも、最近はここを通るのがつらい。なぜなら、かつてこの教会へ礼拝に訪れていた人たちの多くがいなくなってしまったことを知っているから。彼らはシリアやヨルダンやカナダなどに発って行ってしまった。傷ついた心と苦しみを抱えて。 」

どう感じたでしょうか?

かつて平和なイラクでは、クリスチャンもムスリムも共存し互いに尊敬して生きていた。

できるんだ。

こうして、平和を考えていくとやっぱり、今はおかしい。

日本だって、とってもあやしい、米のパウエルが9条について意見を言った

いやなムードだ。やめて欲しい。外圧かけるな。

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2004年08月02日

近づく、原爆の日

今日、新聞で8月6日の広島原爆投下の日の式典「原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式」のために、広島市長が読み上げる文の骨子を発表した。参照記事

これに、アメリカへの批判として唯我独尊主義。そして、小型核兵器の研究再開と述べている。

この度のイラク戦争でも、その前の湾岸戦争でも、劣化ウラン弾を使用したアメリカ。

核の被爆国である日本だから、イラクの人々はこの痛みをわれわれ日本人が理解してくれるであろうと思った。アメリカから受けた原爆。

いつも、いつまでも、原爆の被害者ぶってるんだ。あれは、正当な戦争の終わらせ方だと、米の退役軍人がいったとしても。

まだ、核兵器がありつづける限りは、これは過去のメッセージではなく、まだ、いまだ、いいつづけなければならないという悲しいメッセージだ。

また、今日も、イラクでは自爆テロによるキリスト教会への被害があった。参照記事
争いは、争いを呼び、殺人は連鎖する。いつも終わらない。ひょっとして最後のひとりまで。

日本では民主党首が米で、憲法改正を公言してくる。わけがわからない。なぜ?

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2004年07月18日

災害

夏休みを迎えようとしているときに、梅雨、集中豪雨のために洪水災害が起きていることは、大きく報道されている。

泥水をかきだし、家財道具に電化製品にうしなったものも数知れないだろう。人は、想像力が豊かとかいうが、実は、自分勝手な好きなことに関する想像力を働かしても、人の苦しみにたいして、鈍感である。

確かに、自分が足をふまれてもいないのに、「いたっ!」とは叫ばないけど。新潟、ついで福井でも雨がまだ、心配される。

同じ日本に住んでいても、その災害にたいして何かできないかとまた考える。

うにさんの「壊れる前に・・」の日記はよく読ませてもらっている。翻訳された情報に、はっとさせられるものがあり、自分の考えのヒントをもらっているときも多い。ここで紹介された、「梅雨と洪水」のコラムは、この洪水が日本だけでなく、アジアのインド・ネパール・インドネシア・台湾などいろんな地域で被害を及ぼしていることを伝えている。

こうやって、世界規模で、とくにアジアでお互いを気遣う、文化の違いをこえて共通に理解し支えあえる、そういう想像力を豊かにしてくれた。地球は繋がっている。

あっとうてきに違うことが多くても、似通っていても、基本はお互い違う人間同志なのだから、違うことで大いに楽しみたい。そして、支援もしたいと思う。

今日、イラクで拘束された高遠さんが市民活動を立ち上げたらしい。「放って置けない」。そういうことがこの人を動かす。

じっとしていても、感じることは忘れたくない。

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2004年07月17日

もうすぐ夏休み

もうすぐ夏休みだが・・・それは、子供の話。我々は毎日が日曜日ではあるが、仕事が日曜にあることも多々ある。

世間では3連休なのだが、3日ともに仕事の日々。一日は、竹二胡つくり指導です。夏は、やはりすぐ疲れる。暑さ負けしてしまう。

とはいえ、いろいろやっていると、いろんな人と出会えそれも楽しい。

イラクのことで頭に血が上る日々、毎日が腹立ちに満ちていた。そこでも新しい人と出会い。

仕事館勤務でも、いろんな専門職の体験講師と出会い、人の仕事を知ることになる。
そうそう私のしごと館は、夏休みに小学生は無料となり、数々のイベントを土曜日曜を中心に組んである。少し遠いが、館内は涼しく快適なので、真夏に出かけるにはオススメできるかも・・・・・

ということは、夏休みは大勢の小学生がやってくることとなる。幸い、月に2回ほど行くだけだから、毎日、喋りずめで、声を枯らすこともないが、8月はお盆付近に入っているのだ・・・しごと館勤務。盆も休まず営業・・・。

ここで調律をグランドピアノで体験するというのは、なかなか贅沢な環境だ。だが、ピアノはいたむ。かわいそうだが、いつも、しろうとにチューニングピンをぐねぐねされていると、ピンがむちゃくちゃになる。

調律を勉強していたころもそうだった。調律学校のピアノは、毎日練習台なので、ひどい状態になる。弦のこする跡が、ピアノのフレームという鉄骨部に食い込み、音がなめらかに変化しない。(このことを「渋滞」と呼ぶ)になってしまう。チューニングピンをまわしても、なかなか音が変らないようになって、合ったところにもっていくのが難しくなる。

調律師の体験といっても、たった1時間のことである。説明をいれると、実際にさわる時間は短いが、それなりに喜んで返ってもらっている。

なかなか、知ろうとしてもまったく、出会うことのない職業の人々やその仕事振りを、そこに行くことで出会える。というのは、興味深いことには違いない。

専門職でも、こんなのもある。TVスタジオのしごと。栄養士。消防士・・・これは消防自動車があって、なかなかアトラクション的。建築機械のオペレーター。へ~ってことも多いね。せkっかく大金掛けて作った施設。お金の使い道としてはばかばかしいけど、出来たものは利用しないとね。もったいない。

わたしのしごと館のサイトはこちら

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2004年07月14日

めげた日々

梅雨があけたと思ったら、新潟方面で浸水の災害が起こっている。地球はいよいよ悲鳴をあげているのか?

先日の選挙も、民主躍進だけれど、そして2大政党時代というけれど、アメリカの共和党と民主党のように、ふたを開けると、どっちの政策も似たり寄ったりじゃないの?というような政権交代は、どうにかしてほしい。

違う顔して同じことする。そういうのってやめてほしい。

めげたのはセキュリティソフトの不具合のせいとか、この暑さのせいかもしれない。そういうことが積み重なると、思考が停止する。非常に重要なことを、考えずに過ごしてしまう。

体の調子を崩すと、やはり良くない。ちっとも目先の苦しさから逃れられない。そういうとき・・・
あかんな。脱出を試みよう。

映画でもみたいな。がらっと別世界へ連れて行ってくれるような。

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2004年07月03日

7月7日

7月7日が近づくと、ため息がでる。七夕のストーリーでは、おり姫とひこ星が年に一度出会うという、ロマンチックな日なのだが・・・

私の友人が1995年7月7日に、ひったくりに遭い。バタフライナイフで殺された。

高校時代からいっしょにバンドをしたり、音楽のおしゃべりをする、大事な友人だった。命は、誰かに奪われた。誰だか知っているけど。加害者は、まだ人生の続きをやっているだろう。

わたしも好きなミュージシャンでボニーレイットというシンガーがいる。スチールギターの名手で、数多く、演奏する機会のあった、お気に入りの人。彼女のことを、同じように好きな、友人は、ボニーの伝記を書こうと思っていたらしい。

いろいろ書き溜めた、そのメモ帳が、財布と一緒に奪われた。
もう二度と見ることはない伝記。

この友人のご両親・お姉さんの家族・友人が7月の初めになると、一同に会す。懐かしさと、過ぎていく日々、今も、死はあちこちにある。

何度も書いているが、戦場では束になったように死んでいく。

一つの死と大勢の死は、一見まったくちがう感情をもたらすが、身近である・ないという問題を越えて、すべての死には、死のまわりにある、血縁や親しい人の悲しみがある。
あるいは、すべての死だってある。家族親族、全滅になってしまうことも。

それが、戦場だからという、危険地帯だからというそんな言い訳は無意味で無慈悲で、本当に最前線に出ない人間のくちから生れる屁理屈だ。

DON'T KILL

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2004年07月01日

人と人の垣根

batti.gif
イラクの子供達の描いた絵の缶バッチ
人と人は、出会わなければ何も始まらない。そして、長年つきあってみると、なんだかお互い違う方向に向いてる気がするときもある。

それは、自分が変ったり、相手が変ったりすることからそう思うのか?もしかしたら、自分のみていた相手は、自分の都合で作り上げたキャラクターであったかも知れない。

夫婦はそれを、生活の細部のレベルまでやっていて、ある程度、けん制したり、譲歩したりして、自分たちの独特のペースで家庭運営をやっていける。(失敗もたくさんあるけどね)、だが、他人については、どのぶぶんで関わっている人間かによって、関係を調整することが難しくなる。

仕事であったり、親であったり、趣味の場や自分の生活にはおおきなウェートを持つ好きなことのなかにもあるだろう。

このことは、ちいさな、クアイアの中での話のなかにもある。ちいさなというのは、世界に対して、ちっぽけなーという意味で。多くのものが、そして私が悩む、信仰の裏打ちのないゴスペルは、間違いではないか?という問いかけ。信仰というのはごく、私的な部分であるから、人の心のどれが、信仰心か?といわれても、人間の中にあるものに揺らぎのないものはないであろうから、誰にとっても、問題は同じと思うが。

そして、自分の信仰を問われるのはいいが、宣教をするとなれば立場的に無理がある。歌の多くは、そういう、すばらしい神の愛を称える歌ばかり。リーダーと黒人講師からも熱いメッセージが飛んでくる。これを繰り返していくと、自分は失格だ。ここにいてはいけない。とマイナスな思考にどんどん流れていってしまう。大いなる愛を享受するのと正反対に!

それが、垣根。信仰をもつひとと持たない人。その間の見えない垣根。そこを乗り越えて、男も女もない、障害もあってもなくても関係ない。宗教も違っていい。国だってどこだっていい。
と、だれが見ても聞いてもすばらしいと思う、そんなものになっていって欲しいな。と思うけどね。

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2004年06月29日

もぎとるジャーナリズム 郡山総一郎さん

IRAQ WAR.gif
IRAQ WAR(DVD)/作 池上宗徳

昨日、思い立ってイラクで拘束された3人の日本人のなかのフォトジャーナリスト、郡山総一郎さんの講演集会に行ってきた。以前に日記にAOZORA BLOGで京大で講演されたときの様子が詳しくレポートされていて、そちらとほぼ同じ内容で(多分、今回は前より短いものだったと思うので)参照してもらうといいと思うが・・・

レポートで読んだとおりのひょうひょうとした好奇心の強い若者だった。たまに、冗談をいいながら話をすすめるあたり、だいぶ講演回数もこなし聞きやすいものだった。

何より、彼は、今のイラクでなく4月に拘束されたのであり、昨日急遽むすばれた暫定政権への政権移譲の現在では、イラクの危険度はより増している。橋田さんが殺されたのも、そんな泥沼の中で。

郡山さんたちは、ごく普通の農民がクワやカマを持つ代わりに、親族・家族が殺されたために
ムジャヒディンになったイラク人に拘束された。初めは、何者かわからない彼らが、例のビデオを撮影したあと、長い時間、お互いについてやり取りが合ったらしい。

アラーの神を唯一信じる彼らは、日本人は何を信じているのか?と聞かれ、キリスト教もいるイスラム教徒も少しいる、仏教も多い。など、話していて、では、お前達はどうなのか?ということの説明に高遠さんがそれぞれの心の中に神様がいる。と答えた。ムジャヒディンたちは、そんなだから、お前達日本人はダメなのだ。といったらしい。その言葉に、高遠さんが燃えて大論戦を張って、結局、納得させたらしい。彼女の勢いは、一度、走り出すと暴走して止められないと郡山さんは語っていた。

高遠さんは、自分が憲法9条を地でやったのだ。といったらしく。確かに、非暴力で、相手にン自分たちの考えを理解してもらい、紛争を避ける。という見上げた人だ。

ともかく、彼らは、打ち解け、いいものを(鳥肉)を1日に2度は食べ、欲しいタバコを銘柄まで聞いてもらって用意してもらっていた。まさしく、ゲスト扱いだった。

結局、日本政府は、イラクのどことのパイプも持てず、救出に何の力も果たせなかったのだが、彼らもだからこそ、助かったのだと考えている。日本政府が居場所を見つけ、米軍に協力を依頼でもしていたら、彼らは、イラク人もろとも米兵によって爆死させられたろうという。米兵が乗り込んでくるんではないか?とそれが恐ろしかったとも言っていた。


日本で何が起きていたかは知る由もなく。

自己責任論をまだ言う人がいるらしいが、彼らは帰りの航空券も持っていたし、別に政府機で帰りたかったわけではない。飛行機代を請求されても払うことなんてないのである。まったく、バッシングもつまらないことばかり。週刊誌をにぎわした。しかも批判の手紙・メールなどみな同じ論調だという。自分の頭で考えた批判でなくどこかの社説をまるごとかいているようなそんなのが、多かったらしい。いかにも、いかにも。

印象深かったのは、カメラで人をとるとき、人から何かをもぎとっていると思っている。という言葉。重い。映される対象とカメラを持つ自分。それほどに伝えなければならないから、そうする。好奇心で行って何が悪い?

神戸で震災があったとき、アノ映像を好奇心なしで見た人がいるだろうか?あんなにひどい。と思いながら、自分はなんともない、家のリビングにいる。いろいろ大変としても、よりひどい映像が繰り返し現れる。

そうして、神戸に入ったとき。幼い子供も連れていったけれど、本当にそこに連れて来てよかったと思った。映像はツクリモノと子供は思っていた。その破壊の大きさに息を呑んだ。衝撃を受けた。だから、なんとか支援をしようと。ここまで来たから、思うのだ。

ジャーナリズムというのは、伝えるという大儀がある。が、本人が見たい、伝えたいと本気で思わないことから、わたしたちは真実を知る手立てがないのだ。

この講演会で、販売されていた池上宗徳さんのイラクを映した、DVDを買った。静かな、あまりにも静かな映像の中に棲むひとは、傷ついていた。だれも、失っていた。

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2004年06月26日

平和って

平和って・・・と思うとき、思い出すのが、相田みつをの一文。ずいぶん前展覧会で見つけ釘付けになった。

「うばい合えば足りぬ わけ合えばあまる」

これは、争いのことだ。奪い合う戦争とは、利権。ブッシュの戦争もこの類だ。悪いことにその上、イスラム教徒への人権侵害ということまでくっついてる。

他者への理解は、尊敬をもって始まる。あきらかに自分たちにない習慣。というものに違和感を覚えるとき、それを文明として馬鹿にする視線をなげかけているという状況から、理解は始まらない。

その習慣を行うのが、恋人だったら、許すかもしれない。それほどに個人のレベルでは、あいまいな拒否というものが存在する。鼻から理解するつもりのない人もいるけれど。

平和って何か?今の状態がまあまあ満足で、なんとか食っていけるからOK。それは、平和だから。というふうな考えもあるかもしれないし、確かに、平和なくしては、食料の確保だって難しいのだから。生きるか死ぬかにさらされることだから。

でも平和は「あるもの」ではない。自然に、ほったらかしにしといてもあるもの、ではない。
創る。守る。そういうものだ。ほったらかしにしていて、自衛隊はイラクに行ってしまった。その上多国籍軍の仲間入りも果たした。どんどん、崩れていく不安が私にはある。

「あなた方の苦難を課す力には、私たちの苦難を耐え抜く力で立ち向かおう。
物理的な力には、魂の力で対抗しよう」 マーチン・ルーサー・キング牧師

だが、自分たちに苦難がないと感じている、日本の人々には脅威の力に対抗する魂ももちあわせてはいないのではないか?と思う。

投稿者 pianocraft : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月22日

包丁とぎ

今日は、台風一過の一日だったけれど、私は、PCに張り付いたままだった。自治会というところで、広報的な部分を担当しているがゆえ、新聞を作るという作業に掛かりっきりだった。

仕事はお預けである。本日はね。明日から、仕事館2連続勤務となる。台風だったら休校だから、修学旅行も見学もなかったろうな~

ところで、PCに張り付いていると健康を害する。そしてストレスがたまってくる。本日はついに夕食の用意をしていて、キレタ。

といっても、じつに建設的なキレ方だろう。気分転換ってことです。つまりは。
それが、このタイトルの包丁とぎ。
私は、かつて友人から木工を習っていた。M’S WORK管理人からね。そのときにカンナを研いだり、ノミを研いだりすることを覚えた。
なかなか好きな作業なのだ。切れない包丁にキレタから、ようするに包丁とぎを急遽決行したというわけなのだけど。

研ぐという作業は一定のリズムがある。そのパターンにはまると、スポーツの中にある訓練の単調さと似てくる。たんたんと、考えているのか考えの中にはいりこんでいるのか、考えのそとに空同化した感覚でいるのか?

そんな、没頭する時間でぐっと気分は良くなった。そして、おそろしく切れる包丁。
紙をきったりして確かめ、ついに、ネギの小口ギリをするにいたっては、喜々としていた。アアすっきりした。

その後、またPCに向かう。やっぱ。もう今日はやめとこ。しんどいわ。

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2004年06月19日

イラクで続く米からの攻撃

イラクでは?といつも考えるようになった。多国籍軍参加の小泉首相の口頭での約束で、多国籍軍の指揮下に入らないというが・・・・

・・・・てんてんてんである。実際に確約できないことでこの国はどんどん前に前に進む。
どこが前なの?って、戦争のあるところでしょ。きっとね。

米軍はまだ、ファルージャで攻撃を仕掛けている。一般人へ。朝日のWEB記事はこちら
水も不足する。病院には薬も不十分。こんななか、どうするの?
確かに、政権譲渡までに反発する勢力は、外国人を殺している。けれど・・・だ。

イラクで活動する国際救援隊のオーストラリアの女性のイラクからの手紙を読んでみて欲しい。彼女は、米兵からの攻撃でけがを負ってしまった。国際救援隊であることをつげても、ダメだった。どうなっているの?

毎日。記事を読むと。ぐっと苦しくなる。

けれど、毎日はつづく。明日は日曜日。
竹二胡のワークショップを行う。受講生はみんな二胡弾き(生徒さん)である。情熱のこもった竹二胡が生れるだろう。楽しみだ。

そうやって、人と接するのは、楽しい。こうして、平和の中に生きていけるのに。

このところ韓国映画ブームだが、韓国の映画も軍隊を扱っているのが多いな・・・とこのところ思う。軍隊も、徴兵制もある国だから、共感する人も多いのだろうな。辛い、徴兵の間のことを
思い出してね。人殺しの訓練。まっぴらだけどね。

投稿者 pianocraft : 23:44 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月16日

イラクの人々は?

osaka.jpg

郡山総一郎さんと言えば、みな記憶に新しく。この日記でも人質の3人について書いたことがある。この人が先日京都大学で講演会を行った。この講演会の内容を書いてあるAOZORA BLOGというサイトを知ったので紹介します。

郡山さんがごく普通の若者の視点で、イラクを見ているということが良く分かる。イラクの状況は、おおむね新聞では、イラクの一般人の死者○人、○人死者何人、自爆テロという内容が連日報道される程度で、いったい今、ファルージャはどうなっているんだろう?一般人の生活は?自衛隊はどんな風にイラクの人に思われているの?などを知ることはない。

イラクで人質として拘束されているときのことを「ホームステイ」のような感じだった。と郡山さんは語っている。拘束のビデオも、残酷という理由で、一部分しか放映されなかったために「自己責任論」などの意見を助長させたのでは?という意見や、あらためて冷静に語る内容に驚かされる。

このところ新聞で知ることができないことをネットで探るようになって、とくにこのたびの政府の有事関連法案、多国籍軍参加ということをどう考えるのか?あるいは、平和への具体的な個人の努力というものがどんなものなのか?と探りつづけるうち、膨大なネットの世界での、情法網を知ることとなった。

もう、WEBの字を読むのに目は悪くなるし、時間は費やされる。しかし、必要なプロセスである。目の前に議論する相手がいなくても、WEBを開けば、限りない活動が書かれている。
この世界も有効利用すると、あたらしいネットワークになる。

また、そんなサイトを紹介していこうと思う。

「毎日が日曜日」という言葉は平和のなかにあってこそ、輝きを増すものだと思っている。
戦争で仕事もできず、戦火に逃げ惑う毎日が日曜日なんてまっぴらごめんだ。

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2004年06月13日

戦争のつくりかた

sensou.jpg
絵本「戦争のつくりかた

さいきんスーザンソンタグのことをWEBで探していて、たどりついたサイトで紹介されていたのがこの「戦争のつくりかた」だ、国民保護条例や有事関連法案の国会答弁を(現実の)ベースにして書かれた、未来の話である。

でもあってはならない未来。

未来へ続くものは何か?現在である。
戦争をしないニッポンを作るには、これは、知恵と行動が必要になってくるのだろう。

平和、平和と軽軽しく言うものではない。実に、守るためにはかない。壊すには簡単な、そんなわたしたちの生きる現実世界である。他人でも、よその国でもなく、この国で、選挙で選んだ人間が話し合ってこんな風になっているということを、そら恐ろしいと思い。

恐ろしいと、おそれているだけでもダメ。

タイトルにもリンクを張っていますが、まずは、WEBで読んでみてください。
WEB版はこちら

投稿者 pianocraft : 23:20 | コメント (0) | トラックバック

2004年06月11日

サミット/スーザンソンタグ

アメリカでサミットが開かれている。開かれる前の日米首脳会議でさっさっと「多国籍軍への自衛隊参加表明」を小泉首相が言ってしまった。
自衛隊は、どんどんより軍隊になっていく。

人質問題、アブグレイブの虐待写真、橋田さん小川さん事件とことあると、イラクへまた目が向くが、毎日確実にイラクで人は死んでいくのに、人々の関心は、どんどんあきたようにどこかへ行く。

死者を数でしか報道されなくなる、むなしさ。

アメリカという国に鋭い批評を行う人がいる。
私は、久しぶりにこの人の名を聞いた。昨日の朝日新聞で取り上げられていたのだが、それに関するブログ記事があったのでトラックバックした。記事を読んでください。


その人は、スーザンソンタグという人で、学生時分に聞いたきり忘れていた。今回あらためて
アブグレイブの写真についてコメントをしている。

また改めてこの女性の本を読んでみたいと思っている。
アマゾンで本を検索してみた。興味のある方はどうぞ。読みましょう。

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サミット/スーザンソンタグ

アメリカでサミットが開かれている。開かれる前の日米首脳会議でさっさっと「多国籍軍への自衛隊参加表明」を小泉首相が言ってしまった。
自衛隊は、どんどんより軍隊になっていく。

人質問題、アブグレイブの虐待写真、橋田さん小川さん事件とことあると、イラクへまた目が向くが、毎日確実にイラクで人は死んでいくのに、人々の関心は、どんどんあきたようにどこかへ行く。

死者を数でしか報道されなくなる、むなしさ。

アメリカという国に鋭い批評を行う人がいる。
私は、久しぶりにこの人の名を聞いた。昨日の朝日新聞で取り上げられていたのだが、それに関するブログ記事があったのでトラックバックした。記事を読んでください。


その人は、スーザンソンタグという人で、学生時分に聞いたきり忘れていた。今回あらためて
アブグレイブの写真についてコメントをしている。

また改めてこの女性の本を読んでみたいと思っている。
アマゾンで本を検索してみた。興味のある方はどうぞ。読みましょう。

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2004年06月05日

ちかごろ

hida.jpg
飛騨にて

「ちかごろ」と書いて、まずは日記をサボってました。飛騨に両親の付き添いの旅をしていて、帰ってから、日々がながれ。

自分のための旅というのと、また違う、サポートのたびでした。旅というのは好奇心と体力が要ります。年老いてくると、あとの方。体力が意欲にまけるときもあるんだということです。

とても大きな景色をみて、圧倒されたいというような旅、秘境にいって自然の神秘を堪能したい旅などは、非常に体力の準備が要る。もっと、今のうちにいかなくてはならないところがいっぱいあるな。と思うのだけど。

「ちかごろ」その2.本日は、子供の学童保育所のOB会であった。もちろん卒所・・・「出所」といったやつがおったな・・・堀の中に子供はおるんか?・・・いえいえ学童保育所は大阪市では民営(主に親によって運営されている)で、少ない助成金の中で高い保育料をとらざるをえず、悪戦苦闘しながら、小学校の下校後の生活を自由に楽しく、有意義にすごすことができる居場所として作っているものだ。

その運営の苦しさゆえ、OBにも協力を仰ぐ。しんどいゆえ結束する。
私は、仕事をしながらの子育てで、この学童での親同士の出会いは非常に親育てに重要な役割を果たしたと思う。

仕事と家の往復のようなことも多く、地域の親とのかかわりも薄く、大人も子育てに悩むときがよくあるけれど、こうやって学童の親があつまると、いろんなヒントを授かった。指導員の親でも学校でもない視点でみる子供の姿も貴重な情報となった。

なによりも、子供と過ごすことの思い出の多さは、学童にあった。
集団の中で、自分の遊びを創造するということも多々あった。独特のルールで遊ぶ、ここだけの遊び、どこにも売っていないおもちゃであそぶ、年上のこどもも下の子供も、背伸びしたり、年長のやさしさを発揮したり、ときには、いじわるしたりされたり・・・・・

そこには、懐かしい、人間関係がある。生身でやりとりするダイナミックさがある。
けっして、ネットやメールにはない、生々しい、おもしろみが詰まっていた。

子供には、その年齢できっとしなければならない通過点があるのだろう。それを飛ばして、老成しているようにみえても、実におさない心しかもっていないアンバランスをかかえて生きている子は多いのではないだろうか?

それは、おとなが、とっておきの「こどもの時間」をきっと奪い取ってしまったからだろうけど。
モモの時間泥棒は、実はこの世の全部の大人である。
不気味な野心をもっていて、自分に都合の良い、管理をしようとする。

自由になるんだよ。子供達。本当の自由は実にたいへんな時間なんだけど。全部を自分で決めていくなんて、大人だって大変だ。次にすることを、今やっていることをやめた時点で考えなくてはならない。いつも、次があるから、永遠に息あるうちは。

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2004年05月29日

またひとつの

またひとつの

つちくれのなかで
流れ出た赤を追って
痛さを思い出す

ためいきのように
生きたものは
深い記憶のなかに
沈み落ち

遠くの激しい土煙に
むせた呼吸は
生を止められた

ちかくのひとつ
とおくのひとつ
無数のそれぞれのひとつ

日や月や星や天気のように
うけいれられない
死出の旅

2004.5.29.18.52


※イラクでの2人のジャーナリストの死と友人の家族であるネコの死を悼んで

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2004年05月25日

うきよばなれ

感性のほうでいろいろ、びんびん来ている毎日なのだけど、いまいち体調は良くない。

恒例のカヤ系植物の花粉のおかげである。
アレルギーと付き合いだして、はやめに対応するように心がけているのだけど、この草のヤツときたら、なかなか薬の強さをUPさせないと、どんどん遣られてしまう。

なので、薬をつよくすると、へろへろになる。
ノドもからからになる。

仕事をしてるときは、しっかりやれるのだけど、家に帰り着き、パソコンを使ってコード書きをはじめたとたんに、Ebm7やらBbm7やらが繰り返されてきて、いつのまにか眠ってしまってた。
けダル=。

なので、しっかり生きてない気がする。ふわふわと。

ことに、このところ、お客さんとのおしゃべりが多い。何年か行ってて友達感覚になってるからだけど、1年にいちど、あえて嬉しい。やっぱり、日曜日だらけだな。気楽や。

投稿者 pianocraft : 21:47 | コメント (0) | トラックバック

2004年05月24日

Unchain my heart

TLORでビルボが言う言葉に、「だんだん自分がうすっぺらく、引き伸ばされている気がする」
というようなものがあったのを思い出した。

これは、指輪保持者となって寿命が本来より伸びていることについて、うすっぺらになって、生きつかれている気持ちをあらわしているが、よく、だんだん一年の過ぎ去るのが速くなっていくという良く聞く言葉となんだか重なって思える。

人は、なににも本当はつなぎとめられていない。だが、Eフロムの言うように、「自由からの逃走」を人間はこころみるからか、制約を好む。

フロムと出会ったのは高校生の時。むさぼり読んで、社会心理学ごっこで遊んだ。一人でね。

いまも続きをやっているようなのだが、そうそう、人はまるでchainでつなぎとめられた奴隷のようなものだと思う。

そのchainは、自分のこころにある。自由を不自由にするのも自分、リリースするのも自分。
神様の仕事じゃないの?そう、神様でもある。
その人のぬし=主=LORDが存在すれば。それは、茨の冠を被ったイエスであるかも知れない。

あるいは、他の神
あるいは、脳内物質

夏に向かうこのごろ、車に乗って仕事にむかう途中で、びんびん音楽が入ってくるのだ。
素晴らしい音が、まぶしい風景とともに通り過ぎていき、というよりは、自分の体の中をとおっていく、そんな時。

Uncain My Heart
わたしは自由。と思う。70年代ウッドストック気分

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2004年05月20日

FAN

syukugwa1.jpg

このところ雨続きである。文章を書くにも、何か煮え切らないものがもんもんとありすっきりしなかった。

私は、自分の人生のなかに音楽を重要なポイントとしてもっていこうとしてきた。時たま餓えるように思うときさえある。ゴスペルを歌いだして、満たされることも多かったし、随分よい勉強をした。素晴らしいミュージシャンとの出会い。魂の奥底にある、黒人音楽のルーツは、ゴスペルであり、ゴスペルの歌詞は、単なる、JESUSへのラブソングではなく聖書の中の言葉でもある。

心の支えというのは、そういうものなのか・・・・と。福音=ゴスペル。さもありなん。

ところが、心が乖離状態になっていく。理解と信仰とは別物である。ずっとテーマでありながら
避けずに正面きってむきあってきたはずなのだが、そして、今、自分の求めるものをまた、探している。

そんな状況の時。すごく惹かれる俳優をみつけた。まだ、追っかけの最中だが。かなり充実してる自分がある。ちょっとした、ファン心理なのだが、このことが自分に、こうも大きな影響を持つとは思わなかったのだが・・・・・

以前も書いた。VIGOO MORTENSENNなのだが、言わずと知れたアラゴルンだ。LOTRファン(The Lord Of The Ring)というのは、Ringersとも呼ばれるらしく、全世界的に広くいるらしい。わたしも、Ringersであることがスタートであった。けれど、この俳優、36本も仕事をしていて、ある時期は、子育てのため・・・つまり生活のために映画にでていて、バイプレイヤーとしても秀逸の役者だった。

これは、「モーテンセン礼賛」というサイトで詳しく書いてある。

ところが、いまやもうハリウッドのセレブとなってしまい、本人がいちばん困っている。自分のもう一面の姿が絵描きであり、詩人で写真家であるのだが、忙しすぎて、大切な時間を奪われてしまう。その、アーチストとしての発言や実生活の方に非常に興味を奪われ、創作するということにたいして、自分の表現をおこなうという姿勢について、インタビューの内容などから彼に学ぶことが多かった。

実に膨大なインタビューのサイトがある。興味のある人にとってはお宝サイトなのだ。
「ヴィゴモーテンセン 翻訳アーカイブ」というサイト。同い年ということもあるのかもしれないし、同じ年に生れているが、育ったところがアジアとヨーロッパや南米、NYなどという俳優と共有できることは少ない。

しかし、時代感というのはなんとなくある。そういう風にこの人をたどっていくと、ふつふつと勇気のようなものが湧いてきた。そろそろ、変わり目だな。私は、変化が好きだ。それは、飽きっぽいとかいうのとちょっとニュアンスが違うと思うのだが、変わっていくわくわく感にすこし元気になり、たくさん考えた。

身の回りをみわたして、また、整理しないといけないことが増えた。変化するためにね。
最近不思議な植物を調律のお客さんからもらった。また、写真を今度UPしようと思うが、葉っぱの先から新しい芽がでてきて、葉っぱがもげて土に落ちると、新しい芽から根が出てくる。
いくらでも増えるのだ。生命力のある、植物。

この植物みたいに、自分の一部分をはがれ落としてあたらしい自分をまた創り直そう。
Thank You VIGOO!

投稿者 pianocraft : 22:09 | コメント (0) | トラックバック

2004年05月13日

草の季節

雨が降ったり、晴れると強い日差し・・・・と夏になるまで、天気は大荒れだ。
このところ、日記をすこしサボる。連休には、書けたけれど、今は、特に今週は、草にやられている。

家は、川に面したところにある。雑草は、雨でぐんぐん育ち、晴れた日にゃ、花粉を飛ばしているらしい。
アレルギーなのである。ここに住んでいる限り逃れられない。スギやヒノキと違うのは、症状が、目、ノド、鼻と3つ同時に来るところ。

薬にぼやっとするし、気持ちがしっかりしないな。こんなこと書いてると、どっかの健食の会社や漢方のサイトから、BBSに書き込まれてしまうんだな。

このおかげで医者に年中かかると、医療費もばかにならない。アレルギーのための控除とかないのかな?とぼやきたくなる。

とそういう日々であった。なんとかしてくれ。

投稿者 pianocraft : 20:56 | コメント (0) | トラックバック

2004年05月09日

mother's day


今日は街のあちこちで母の日用のカーネーションを売っていた。華やか。でも、本当にじっくり感謝をこめて、母と向き合うことがそんなにあるだろうか?自分も親になったが、自分ではまったく自分の力で生きてきているつもりなのだが、こんな自分も守ってもらわなければ生きていけない日々もあったのだ。「ありがと。おかあさん。」ネットで言ってどうすんねん。とも思うけど。

本日は、同窓会でもあった。とはいえ、学校の同窓会ではなく(これはあんまり気が進まない。苦手分野だ。)、たしか震災後にあった旧婦人会館(現クレオおおさか中央)での講座受講生と先生の約10年ぶりの交流会であった。

この講座は「障害児・者から学ぶボランティア講座」というタイトルで、大阪市大の障害児教育専門の先生である、堀智晴先生の半年間ほどつづいた講座であった。

年齢もさまざま、でも障害を持った方々と関わろうとする熱意ある人たちの集まりで、約10年ぶりの再会でも、みんなそれぞれ活動をしていた。

中でも、最高齢の90歳の方が熱く、知的障害の方々との交流を語られる姿、また、知識をもっと吸収したいとおっしゃる姿勢が本当にわたしたちに力を与えてくださる。
ご自分の子供のころの話も興味ぶかく、そういう方の言葉は残していくべきだと思う。人が生きてきた歴史というのは、実に、ユニークでどんな平凡とおもわれる人生でも、今となっては貴重な忘れられた生活スタイルであったりして、もっとお年寄りと交流することが大切だと感じた。

一つの文化。財産である。
中には、数奇な人生を送られた方もいる。そして、何よりも戦争経験者である。圧倒的に今のわたしたちにない強さもあるのではないだろうか?

こうして、現況を活き活き語り合える会というのは、いい。振り返る、思い出だけのものでなくこれからまだ続いていく関係。また、お会いできるといいな。

堀先生のお蔭で本当にいろんな事を学べた。いいきっかけをもらった。これで、人生の方向が少し変わった参加者も少なくないのではないだろうか?今も、市大で学生さんを教えておられる。ゆったりと生きよう。色んな人がこの世に一緒に暮らしていることを、わたしたちに教えてくれた。

いろんな人の立場にたてば、紛争を起こすことそのものが不可能になる。相手との関係を緩やかにしてしまうと、争う理由がなくなる。
相田みつをのことばを思い出す。
「うばい合えば足らぬ、わけ合えばあまる」

ペースを大事にしよう。と自分に言い聞かせる。

投稿者 pianocraft : 22:39 | コメント (0) | トラックバック

2004年05月04日

憲法記念日

雨がよくふった。怒り、洗い流すかのような春の雨。季節を後押ししてるかのような、自然の力。

5月3日は、憲法記念の日だった。昨日は、書かなかったけれど、実はTVの討論を見たりしてつい、「つっこみ」をいれてしまう。そんな話題だった。

国立国会図書館の日本国憲法の資料がHPで公開されている、成立の概要や詳しい流れなど
この際、いい機会だからゆっくり読んでみようと思う。

9条の問題に触れて、いろいろ意見がある。改憲派は、自衛隊が憲法違反だからといういう理由や、現行憲法で解釈をいろいろ、曲解してまで、まげてつかわれるなら、改憲をという理由や。護憲派は、なにがなんでも守るべき。護憲派の力が弱いからいままで、守りきれなかったとか・・・・

でも、今の国会でなんでも、強行採決なんて決めてしまうのは、不安で仕方ない。選ばれたはずの議員が、わたしたちの意見などどうでもいいような様子で恐ろしい。

平和について、命に関わることについて、もっと丁寧に考えて欲しい。
大阪では、「大阪市無防備条例直接請求署名」というのを行っている。

無防備都市宣言というのは・・・・HPのQ&Aから引用

国際法に基づく無防備地域宣言は国家単位ではなく地域(自治体)単位での宣言が可能。
大阪市が攻撃されるのを防ぐだけでなく、戦争協力を拒否する手だてとなり得ます。
たとえば日本国憲法第9条に反して、日本政府が地方自治体に対して戦争協力を求めたとしても、国際法で定められた
無防備地域として大阪市はNOと言うことができるのです。
世界に向けて発する大阪市民の平和の意思表示となります。

というようなものだ。
無防備都市宣言をした都市は、攻撃をされない。
詳しくは、HPの質問を読んでみるとよい。

直接請求署名とは、大阪市の有権者の50分の1の約50000人の署名が集まれば、”非核・無防備平和都市条例”を市議会に諮(はか)ることができる。

市議会にかけなくてはいけないということになる。

平和は、じっとしていても守られないような世の中になってしまった。
実に、恐ろしいのだけど。

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2004年05月02日

同じひとつの命

夕方になって、薄ら寒くなってきた。

子供の友人の死を知る。まだ20歳である。原付バイクでの死。たいがい、家族にも恵まれず、ひとりけなげに生きてきたそんな、一人の青年の死を知るとき、命のはかなさを知る。

あたりまえの平和(という日常)。本当は、自分にとって平和な生活があると感じているに過ぎないが、その中にある、これまたあたりまえの「生」。いつもあって当たり前のもの。

その時間の流れが急に断絶する。ぷつん。終わるとはおもえないものがおわると、拍子抜けする、その後に喪失感がおしよせてくる。

こんな風に一つの身近な命はちゃんと、人を揺り動かし、生の意味を問う。

のに。イラクの空のした。イラク人とアメリカ兵、その他の国からやってきた兵隊。毎日カウントがその命の重さだ。

HPのカウンターが一つ動くように、一つ死ぬということ。

そんなバカなことはないはずだ。
アメリカのTVが戦死した兵士の名前と写真をすべて放送した。政府からクレームがついたが
放送は行われた。

数が人間の生身になるとき、想像がつかないほど死が重くのしかかってくる。

ファルージャから米軍は徐々に撤退をしていく。

でも失われたものはもう、返らない。

通夜から返ってきた子供は、無言であった。

イラクの人質であった18歳の今井さんの朝日取材を読んだ。拘束中、お守りを握り締めていた。という。

命への執着は、誰もある。だから価値のあった帰還だった。
もう、戻らないというのはなんとむごいことか。

祈り。

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2004年05月01日

ぷーみょん近況

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ゴールデンウィーク突入である。ここ2年ほど毎年、管理人のGWはゴスペル漬けであった。本年は、ペースを変えていろいろしようと思っている。

写真は、プーミョンとテジョンが最近会ったときのものである。映画は、また大阪で監督をまねいて上映される。

日程は、5/28(金)場所 中央公会堂 時間18:30~20:15 申し込みは往復はがきで5月20日まで市民局人権啓発課「シネマ広場」係りまで。問合せ電話06-6208-7631.ファクス06-6202-7076 参加希望人数(2名まで)も記入してください。

と、以上大阪市政だよりから引用しました。まだ、大阪市のHPにはこの情報はUPされていません。現時点。

いちど、プーミョンの世界に触れてください。障害をもっている、いないに関わらず、人のペースを考えて生きるというのは、つい忘れてしまい勝ちですが、ぷーみょんをめぐって多くの周りの人間は、彼のペースを見守っていきます。

見守るというのは、迎合するのと違います。拒否もしていくことをいいます。
こうやって、ごく個人との関係を考えていくことが、また、イラクなどの紛争の原因になっている異なるものとの付き合いを基礎になると考えることも多いです。

人は人を、理解するための努力を惜しんではいけません。わからんやっちゃ~ということも沢山あるけれど、わからんなりに、その人の行動パターン、思考パターンから、その人のクセや方法を知ることは出来ます。苦手な相手ほど、分析のしがいがあるというものです。
だからこそ、面白い。

そのときの自分の対応も考えて、愕然としたり、うまくいったとおもったり、まちまちですがね。
でも、面白がろうとすれば、なんとなく気楽になれます。
障害は、たいへんな不便さを伴うときも多々ありますが、そのなかにも気楽で優雅な部分もあるのはずです。

知るためには、直接あって、楽しんでください。いろんな人や物事に。ね。

投稿者 pianocraft : 14:00 | コメント (2) | トラックバック

2004年04月30日

Gospelコンサート

昨日の、島之内教会のゴスペルコンサートは、ひさびさ(というのはヘンなのだが)にすがすがしい歌いごこちだった。

わがHJPクアイアというのは、賛美奉仕を含めると、人様の前で歌う機会の多いグループだ。
代表の夏子さんがとても、エネルギーが高く、クリスチャンスピリットも熱いので、いろいろ声を掛けてもらう。

だが、そのときによってやはり色々ある。歌うほうも。

いろんなカラーのコンサートがある。カラーというのは抽象的な表現だが、気持ちの持っていきようがどこまで行くか?お客さんと、どんなスピリットを共鳴しあえるか?っていうのにかかっている。

本来は、イエスキリストに向かって賛美する。そこに向けてだけ歌う。けれど、人間がカラダを動かし、ハンドクラッピングして、こころも揺り動かしている様子は、一方通行ではなく、むこうからかえってくるものだ。

わたしの周辺の友人達も足を運んでくれるが、クリスチャンでない人ばかりだ。そのため、クリスチャンメッセージを非常に複雑に感じてしまう。端的にいうと「引く」のだ。歌詞の意味を知れば知るほど、そのストレートなイエスへのラブソングを、違和感をもって感じている。

歌うわたしたちは、それぞれ、神様とは、個人個人違う関係を持っていると思う。そして、歌うときは、楽しい。嬉しい。その理由が、歌のリズムとメロディーだけでないことも知っている。
昨日のコンサートは、その本質を感じるというか、初心に帰るような、楽しさのあるコンサートであったと私は感じた。

もうすこし歌っていけそうだ。歌う限りは、確信をもっていきたい。宗教とつきあうというのは、本気で向き合わないと、自分がしんどくなる。つきあうというのは、信仰ともまた違う。でも、非常にデリケートで深く、考慮をせまられ、しかもその時間あるいみ楽しみでもある。いつまでも宿題をとけないでいる、子供のようにネ。終わらせたくないのかもね。ホントは。

投稿者 pianocraft : 22:58 | コメント (0) | トラックバック

2004年04月18日

人質になった人たちへのエール

人質の3人の自己責任論がかますびしい。
あまりにも、権力差のある、力関係の違う人間達から、それも大勢でやってくれている。なんか子供が大人にいじめられているような図になってしまっている。卑劣だ。

この3人がしてきたことは、イラクへの地道な民間人の支援である。よく考えて欲しい。国費をいくらつかったとか、いう損失よりもこの3人が果たした貢献は一体なんであるか?

4/17朝日新聞記事より
仏紙ルモンドは「事件は、外国まで人助けに行こうという世代が日本に育っていることを世界に示した。」

このように、日本のジャーナリストがこの3人を助けるためにしたこと。イラクでこの3人がどんなにイラクの人たちのために働いているか・・を伝えることだった。イスラムの聖職者たちがそれを知った。アルジャジーラもこれに答えてTVで訴えた。

このことは、世界に日本の民間人の素晴らしい働きを伝えるという、お金ではとうてい支払えない日本宣伝を行ってくれた。ということを意味する。

そもそも自衛隊が派兵されたことで彼らの活動が危険にさらされることとなった。
自衛隊は、税金で安全なサマワへ行った。必要とされる支援のあるところではなく、押し着せの支援を・・・である。

なんども言うが、人ひとりは弱い。だが、人と繋がるたびに強くなる。そんな、ボランティア意味は自発的に行う人。が日本にも増えたということは喜ばしいことであって、金の無駄ではない。
と考える。

投稿者 pianocraft : 00:47 | コメント (0) | トラックバック

2004年04月16日

憂慮

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今日のサクラは八重桜。グラマラスで見事。@芦屋

3人の人質だった日本人について、厳しい言葉が政府筋の人間、自民党からも投げかけられている。

当事者達は、これからこの、一週間の出来事を違うサイドからしることとなるだろう。

けれど、決してこの問題を矮小化しないで欲しい。3人という日本人の民間人の責任問題にするのでなく、根本的なところ「イラクへの自衛隊派兵」の間違いを再び訴えていきたい。
イラクの友人である日本人と敵である日本政府とに、イラクの人々は分けて考えているようだ。つまり、自衛隊派兵は迷惑なことなのである。アメリカに向けて支援しているのであり、イラクへの本物の支援とは評価されていない・・・らしい。

早速、電車のつり広告はこの3人のプライバシーに深く入り込むような、踊る見出しをさらしているらしい。今日、電車にのった多くの人の目に触れることとなっただろう。
民間人のプライバシーを追いまわすくさったマスコミも3人の命をすくうため、奔走するジャーナリストもいる。

だが、考えて欲しい。今日の朝刊でイスラム宗教者委員会理事のアブドルジャバル師のコメントが載っていた。これを読んでうなってしまった。「日本では、たった3人のためにデモをしているが、ファルージャの犠牲者のために何故声を上げないのか?」

ファルージャでは4月になって700人以上が米軍の掃討作戦で死んだ。
米軍のいる限り、人は死んでいく。

人の命の重さのことを以前にも書いたのだけど。戦争などであまりにも多くの犠牲者をだすと
国のためとかいう理屈で美化されたり、仕方ない状況とまったく痛みのかけらもない言葉で表されてしまう。人数をカウントされる、命がカウントされる。

だが、3人でもホントに今回は心が痛んだ。この自分の気分の差は何なのだ?自分とて、それとこれは、別物と感じてたのではないか?と自戒する。気をぬけば、目先のことに流される。本質。根本を見失わないよう。命はひとつとて、人の手で奪われてはいけない・・・と。

投稿者 pianocraft : 22:58 | コメント (5) | トラックバック

2004年04月15日

日本人解放

sigotokan.jpg
朝の「わたしのしごと館」

日本人が3人解放された。バンザイ!こころが雲って、遠く離れた日本にいて、こんなに心配をした3人が解放され本当に喜んでいる。だが、まだ2人。昨日拘束された日本人がいる。

彼らが日本に帰ってきて、日本の自衛隊が今後どのようになるか?続けて、イラクへの自衛隊派兵を訴えつづける。いいつづける。しつこく、あきらめずに・・・・ということが必要なのだと思う。自衛隊がイラクへいってしまって、日本の世論はあきらめムードだった。日本の世論って決まってしまえば、おとなしくなる傾向にあると思う。

いつだってやめて帰ってくればいいのだ。アメリカでも反戦運動が盛んになってきた、この自暴自棄のイラク攻撃が、泥沼になり、ベトナムのようになるのをおそれている。もう、やめるときだ。そもそも、イラク戦争が正当化されるのはおかしいのだから、あやまりは速くたださなければ、新たな、犠牲者を数えるだけだ。

いますぐ。人道支援を押し付けている、自衛隊も。本当に、イラクの人々の友人になるほうには、やはり軍隊はNO。いらん。

投稿者 pianocraft : 23:31 | コメント (0) | トラックバック

本物の祈り

ずっと、イラクの情勢は好転しない。どころか、また、ファルージャへの米軍の攻撃が延期されたとしても、死者を増やしてばかりだ。

フィリピンは軍の撤退を検討している。日本は?

拘束されている日本人の家族にいやがらせが相次いだという。もっとも醜い人の心を見たように思う。。自分より困って、弱っているものを、踏みつけにして優越感という見当違いの快感を得ているやつがいるのを知ると気が滅入る。共感ともっとも遠いところにいる、想像力のない。あるいは、そんなこと考えたこともないそういうヤツ。

もう少し、自分のことを振り返ろう。祈りよりも行動、願いよりも一歩。そう思う。でも呆然としているならば自分のことでなく本当に3人のことを祈りたい。

私も本当に、祈ることなどできなかった人間だ。ほんの、少し前まで。でも、心から苦しみを共感して、深く思考に旅立つと、強い思いが湧きあがってくる。

首相、外務大臣などにメール送る作戦もある。募金もできる。デモや行動もできる。探せばじっとしていられない。その気分を、何か形に変えることはできるはずだ。

本物の祈りは、本物の行動にも結びつく。とわたしは感じる。

投稿者 pianocraft : 01:09 | コメント (0) | トラックバック

2004年04月08日

イラクで日本人拘束

ついに、バクダットで日本人の若者が拘束されてしまった。これには、コタエル。サマワは安全な地。バクダットは危険な地はある。

でも、支援を必要としているところに危険を顧みず民間人は入っていった。自衛隊は、安全なところに行った。

彼らの活動が、紹介されていた。高校卒業したての若者は、米軍がイラク戦争で使った、劣化ウラン弾の被害をうったえる活動をしていた。女性の拘束者は、イラクの子供のための活動を行っている。もう一人は、ジャーナリストである。

この3人は、すくなくともイラクのために動いている人たちである。相手を間違ってる。拘束して殺す相手では、絶対無い。間違えてはいけない。軍隊はサマワにいるんだ!
国の後ろ盾で来ていない人を、どうか殺さないで欲しい。もう、間違いは十分だ。沢山だ。

こんな思いをしているときに、また池澤夏樹さんのメールマガジンが届いた。
パンドラの時代007。愛国心についてがテーマだ。

どうか一読して欲しい。
わたしも、君が代歌わない派である。国は、エリアにすぎないと思っている。
愛する対象を間違えるととんでもないことになるよ。
このテーマについては、次回。

イラク情勢が非常に不吉で嫌だ。

投稿者 pianocraft : 22:15 | コメント (0) | トラックバック

二胡弾き人形

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二胡弾き人形

これは、中国製の二胡弾き人形である。サイパンみやげなのだが・・・・・なかなか大きな(大きすぎる)美しい二胡の音が鳴る。不思議な風貌。青い目の二胡弾きなのだ。

二胡好きテジョンは大喜び。
女子十二楽坊がはやって以来、「二胡」といっても世間で通じるようになってきてはいる。が、やはり習得は難しい。

どんな楽器も一緒なのだが。すぐに手の届くところに、理想の音はない。バイオリン然り。チェロ然り。

ピアノのように音程固定楽器にはない苦労がそこにはある。
でも、いつはじめても音楽は遅くない。それなりの到達点があるので、魅力を感じるかたは、さあ!チャレンジ!この春から、やってみませんか?

投稿者 pianocraft : 01:06 | コメント (0) | トラックバック

2004年04月06日

木の花

サクラが狂い咲いている。何か叫んでいるような、そんな華麗さを感じる。のは私だけだろうか?サクラは花が終わると葉っぱが現れる。つまり、花が満開の頃、くろっぽい木の幹に花だけがくっついているという絵になる。

つまり、木の花。変わっているなと改めて思う。きわめて特殊な花でもあるな。こんなに、日本に植えられて、入学や暖かさや香りまで、記憶のなかで漂う。

ちょっと、気分が沈みぎみの日々が続いて、ようやく上向いてきた。体とこころを、大きなものにゆだねられず、あがくような思いがするときがあるが、まさにそんな日々でもあった。そんなときもっとも求めているものを拒否するような気持ちになりませんか?

ちょっと内省的すぎて、日記らしすぎた。

季節をめぐって必ず、サクラが咲く頃がやってくる。そんなように、音やモノや臭いや単に感覚的に言葉で残っていないが強く残っている記憶というものがある。

言葉をつかうと、感覚を文字で再生産するので、また違った物になるのだけど、記憶にはたらきかれる外的な刺激は実に様々で、特に思い出すときに独特の郷愁を与える。
嫌な記憶もあるのだけれど、日頃は心理的に防波堤があって見えないところにしまってあるからね。ふんわりと、やさしいにおいのする(ような気がする)、サクラの色。

そんな、はかないサクラともお別れは近い。
だけど、花見はいかないんだよな。あちこち、仕事で移動しながら見るのが一番好き。

投稿者 pianocraft : 23:29 | コメント (0) | トラックバック

2004年03月17日

生れてはみたけれど

昨夜、思わずのめりこんだ映画を観た。のめりこむといっても、真剣に見入るというよりも、あまりにもはまってしまった。というほうが確かだけれど。

小津安二郎の作品といっても、映画通やマニアの方々と違い、BSで放送されたものをチェックする程度の認識しかない私にとって、衝撃の作品だった。

大人の絵本~生まれてはみたけれど」という作品を知る人は多いのか少ないのか一般的には解らないが、すくなくとも私には未知のものであった。これは1932年に公開されている。

2人兄弟(小学生)と父の関係。郊外に引っ越してきて、子供の仲間に入れずケンカをしたりする毎日。ふてくされる姿、遊ぶすがた、街の風景。すべて良く出来ていて、子役がすごすぎて
のめりこんだのだった。コメディでもあり、ホームドラマでもある。この、すぐれた子役の青木富夫さんという方が、今年1月になくなられた。80歳の姿を私はしらないが、最近の出演作もあり機会があればチェックしてみたい。

こんなことを言うのは、日本映画を知らないせいだろうが、この頃の映画のクオリティはすばらしく高いことに驚かされた。無声映画なのだが、場面の音のなさ、口がパクパクしているなかに言葉を読み取ろうとするのも楽しいものだと思った。

ついこの間、アメリカの現在のヒット映画のランキングと簡単な紹介のあるTV番組をみてしまったが(というのは後悔してるということ)、どうなってるのかねエ、下らん映画ばっかりやってて(本編をみたわけではないが)、ランクの多くはコメディ+エロチック路線。この中で日本に公開されるのはあるんかね?と思ったところだった。

実に新鮮な映画。そして、1930年代の父は暴君ではなく非常に、穏やかに、子供に語り掛ける。女性も権利や社会進出は今のようではなかったろうが、母も父にちゃんと話し合いをする
ポジションがあった。古く、しかしモダンで実に自由な生活があって、ほのぼのとして。日本の軍隊が力を持つようになるまでは、平和でおだやかな人の心があったことを想像させる。
機会があれば、見る価値あり。です。

投稿者 pianocraft : 10:30 | コメント (0) | トラックバック

2004年03月14日

夫婦別姓などについて

昨日、「自民党で夫婦別姓の民法改正案を議論していたが、異論が相次ぎ了承をえられないまま終わった。」と言う記事を朝日新聞で読んだ。大見出しには「国家解体運動の一環だ」「認めると少子化がすすむ」といったわけのわからん理由が書いてあった。

そもそも自民党の民法改正案もたいがい非現実的な内容なのだ。以下朝日新聞から引用。
■例外的夫婦別姓案の骨子■
・夫婦は同性を原則とし、別姓は例外とする。
・職業生活上の事情、祖先の祭祀の主宰などの理由がある場合、家庭裁判所の許可を得て別姓を認める。
・別姓から同姓への転換は認めるが、同姓から別姓への転換は認めない。
・別姓夫婦は婚姻の際、子供の姓を定めなくてはならない。別姓夫婦の複数の子はすべて同じ姓を名乗る。
・別姓夫婦の子は成年に達した後、家庭裁判所の許可を得て、父か母のせいを選ぶことができる。

以上。

とてもこの内容では制限されているにも関わらず、「一部マニアだけで議論して欲しい」とのたまう。人権の問題がマニアだけの問題という認識そのものが、まったく想像力が乏しく、多くの要望を理解しようとさえしない。そんな感じを受ける。

本当に非嫡出子の問題と言い、別姓論といい。怒りがこみ上げる。
国家が姓で解体するのなら、韓国はとっくに解体している。強い儒教精神の上で、日本よりはるかに強い絆で家族が結ばれているというのに・・・見識のなさもはなはだしい。

まさに、姓の問題で言えば、戦争のときに日本人が在日の人から韓国の姓を奪って日本人にしたり、外国人にしたり、かって気ままに政治に利用してきた。一人一人、生きている。大切に生きようとするから、個人を大切にする。というのが、わたしの私的な考えだ。

人間は、人間だけでなく、生きとしいけるもの、あるいは、生きてないものだって何ひとつ同じものはない。クローンができたとしても、同じ環境で生きるのは不可能でしょ。実験室でない限り。

人は人とあらそうけれど、それは「違い」を「違い」として認めるよりも、支配したり、支配されたりする関係をすぐにつくろうとする傾向があるからなのではないかと思う。
違うから解ろうとする。わからないこともあるが、あるところまでは許容しよう。そうやって、それぞれの文化を尊重して生きていきたい。そして、それは夫婦だって同じ事。別の文化で生きてきて、同じ一つのものになるわけではない。別のなにかを創っていくことだ。ならば、違うことを違うとより間違わずにいるために、「べつの名前」を持つことは有効である。と考える。
というのが、持論。自論。すぐにわかってあたりまえと思うから・・・間違うんだと思う。

あ~あ太田知事の相撲問題まで出てきた。もう、今書くのはやめだ。ちなみに、太田知事の太田は旧姓であります。彼女の戸籍は「渡辺」だったと思う。

投稿者 pianocraft : 00:27 | コメント (1) | トラックバック

2004年03月11日

非嫡出子差別

ここのところ、戸籍の記載方法の動向が気になっていた。2日の裁判で表記が改正された。関連記事はこちら
婚外子について、男・女で記載されていて、戸籍では、長女・次女・・・等の表現だったのにあわせた表記になるということだが・・・・

そもそも子供の産まれる順番で、長だとか次だとか順番をつけてるのは、家制度の名残でそのものがもう不用のものだと感じている。また、遺産の相続が結局、嫡出子の2分の1であるという民法上の区別があるために、根本的にまだ問題があるのだけれど。

朝日新聞でも、韓国の女性からのコメントもあり面白かった。韓国では、夫婦は別姓なのだ。夫の姓つまり家系に女性は入れないといういみで、父系社会、儒教の制度を引き継いでいる。だが、婚外子については戸籍上の差別はなく(うがった見方をすれば、男性の血統を引き継ぐ子については、同等の権利ということか?)、「戸主制」というものがあり、父が認知すれば父の子という制度だそうだ。

だが、韓国も今は女性運動が盛んになっていて、この「戸主制」に対し反対が起こっており、ただ今審議中とのことだ。戸主制以降は、個人籍か家族籍かでまだ、議論の最中というが・・・

日本の現状をみれば、それ以前の段階だな。いつも、春になると新学期になり、家族構成とかいえの地図とか学校に提出するけど、我が子はいつも1子、2子である。1番2番もひつようないのだけどネ。

パリに住んでいる人のコメントでは(朝日新聞)、フランスでは4割が婚外子なので、戸籍による相続の差別条項は撤廃されたということだ。そもそも、戸籍のある国のほうが少ないのだ。
国によって、個人が実に把握されやすい国なのだよ、日本って。

アメリカでのゲイ婚にせよ、結婚そのものの枠組みがもう形骸化してるように思うのだけど、日本ではまだまだですが・・・個人単位でモノを考え、行動し、選択しというように、生きていかねばね~。これは、自分にも科していることですが。

結婚しててね、子供もいてね・・・両親もいるのに子供が虐待されて死んでるんだよ。心豊かに愛情をもって生きるというのは、他人だっていいのにと思う。子供のない夫婦には、里子をそだてられないそうだ。

養子でも、肌の色が違っても、男でも女でも障害があっても、愛情をもって育てていくことは育てるものにとっても幸せなのに。親にさせてもらってありがたいと思う。生きていくうえでエポックメイキングなこと。

エポック-メーキング 5 [epoch-making]
(形動)
ある分野に新しい時代を開くほどであるさま。画期的。
「科学史上―な発見」

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2004年03月09日

mi-ha-

ミーハーやってると楽しいね。特にインターネットが普及して、国を越えてファンは宇宙を飛ぶ。

ロードオブザリングで好きな役者は・・・といえば、いろいろ分かれるところだろうが・・・アラゴルン役のviggo mortensen好きは数知れず。新しいファンもウン万と生み出したことだろう。

ということで、彼のフォトギャラリーの中にムチャ魅力的なのがあるのでリンクから探してみてください。

また、この人の仕事には、美術・詩作があるが、絵を見ることができる。このサイト

なかばファンサイト並。ちなみに誕生日は1958.10.20なり。
我々の世代ジャン!

私は、G.Iジェーン観てたのにな。イヤ~な上官だったよな。いやはや。また、楽しみ増えたっと。

私だけ?楽しいの?

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2004年03月03日

池澤夏樹さん

以前友人から教えてもらい、池澤夏樹さんのメルマガを送ってもらっている。イラクの問題、日本の問題、アメリカの問題。いろんな問題があるが、この人の言葉には確かに、強い憂いがあり、日本という国をみつめなおすヒントをたくさん与えてくれる。

本日「パンドラの時代 006」が届いた。「路線を変える」というタイトルで、リンクをクリックしてもらうと本文を読むことができるが、日本国憲法、非戦の憲法についてや、アメリカに追随しない独自の日本のあり方の提言などがかかれている。

911以降のアメリカ→イラク→日本自衛隊にいたるまで、その時々の考えを書き記されている。私も、状況の判断材料にも使った。
ともかく、まともな目で見ている。そんな文章を読むと。新聞に踊っている、煽情的な文字に気分を悪くしている時など、清浄剤のよな気がするときがある。

とても気になる。自分のいるところ。住んでいるエリア。どんな考えにどんな政治に支配されているのか?国が、民族の象徴でもなく、ましてや宗教の象徴でもない。と考えたい。そうでない国もあるのだけど、最大の相違を最大の努力で理解して。たまたま自分のいるところが、日本という地球の1エリアに過ぎないと考えたい。

そう、地球の1地方かな。だから、日本弁しゃべるねん。

投稿者 pianocraft : 22:19 | コメント (0) | トラックバック

2004年02月29日

旅ははるかな記憶に

devil.jpg
砂漠の悪魔とうい名前のカワイイ生き物です。昨年の3月に旅した思い出のヤツ。手のひらに乗るくらいの大きさで、オーストラリアの砂漠の赤砂に混じって、ひときわ美しい姿。この旅の話は、ほとんど一年封印していた。

別に理由があるわけではないのだけど。旅行記は、なんかつまらないでしょ。他人のは。
でも広い赤砂と巨岩のウルルを見たときは、異形の神か?とも思ってしまった。神様論はずっとテーマだね。このときも、原住民のアボリジニの人々にとっての大地の赤い岩は、それはそれは、偉大なる神の創造物あるいは神そのものであったのだろう。

人間の脳みその中の救いをもとめる神経は実に手前勝手で、自分の想像のそして創造の主を求めてしまっている。意識する、しないに関わらず。

大きくて、広くて、あらあらしくて存在をしつづける。そんな風景をやっぱり時々見たくなる。
一緒にその風景の一部になりたいと思うことがある。自然の地球の姿というのは、あらゆる人間の造形物より多様で、巨大であるいはごく小さい。そんな無差別な姿を、感じとれるときにとても生き物としての幸せを感じる。

何だか、今日は抽象的。

投稿者 pianocraft : 22:47 | コメント (0) | トラックバック

2004年02月23日

フヌケと冷静さ

コンサートについて嵐のような日々が過ぎ。次の音楽活動に向かっていこうと切り替え中・・・・
なのだが、HPの不備をさわったり、していてちょっと自分がフヌケ状態になっているように思った。

でも、嵐がさって「あの嵐は何だったの?」と思い返すと冷静さを取り戻し・・・賛美の嵐のあとには神様が抜けきった自分がいるのだろうか?じゃあイエスキリストを体のなか、魂の中に入れると自分は元に戻るか?

いや~そうであるならば、私はりっぱなクリスチャンではないか!そうはいかないのが、単なる俗世の人間と言うべきか。

ちょっとカツをいれるために「上原ひろみ」を聞いてみた。この人は、この日記にもう3回くらい登場しているが、またあらためて聞くと、こっちの精神状態に答えるように、がんがん来て、素晴らしいと思う。

ハードな音の洪水を聞くと、おりゃ~と音楽をもっと攻撃的にたたき出したいと思う。
願望であって、実現はまた、違うのだけど・・楽器をするというのはこういうことにも使える。
涙と賛美の心の震え・・と全然違うけれどそういう音楽もとっても必要なわたしの餌である。

おし。決意しよう。

投稿者 pianocraft : 17:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年02月12日

アジアンリズム

ちょっと滞りぎみの日記。なんだかず~っとペースが取り戻せないでいる。

しかし、久しぶりに東京で韓国のヤンピョンドン教会のメンバーと合流し、つい11月のことなのに懐かしく、楽しいひと時であった。

東京には、わが講師ブッチ・ヘイワード氏も一緒に同行したのだが、彼はわたしたちハーレムJPクアイアに本物のゴスペルを教える、ニューヨーク在住のオルガニストだ。多くの曲を作曲し、10年以上も前になるがMama I want you sing.のミュージカルで演奏したり、ヒットメーカーズでも演奏する。(またブルーノートで公演があるらしい)。

わたしたちアジア圏の人間はもちろんアフリカからきた音楽のリズムを生れ持って持っていない。それが、ブラックゴスペルをしようというと、おのずと「後ウチ」「アフタービート」とも言う、
その手拍子などに苦労する。

韓国の教会の人たちも賛美歌をうたい手拍子をするときに、「頭打ち」で日本人の宴会ビートと同じノリだったのに思わず笑ってしまったが・・・一緒にわたしたちも盛り上がる中、一人ブッチさんは「後ウチ」の人であった。

「こうじゃ~」と言わんばかりの抵抗であったが、ここは日本。しかも、韓国の人々の賛美であった、ついにいやいや「ふん!」てな感じで、「オンビート」を無理やりやっていた。
さぞ気持ち悪かったのであろう・・・・

英語の発音にせよ、ビートにせよ、日本人にとってハードルの高いところがあるのだけれども
スピリットだけは、熱~い。これが、ハーレムの良さ!

お互いに祈り。ハグして、熱い熱い賛美をするのです。5周年コンサートは21日。
テレンス牧師も来日。さらにヒートUPすることでしょう。
さあ、元気だそ

投稿者 pianocraft : 23:34 | コメント (0) | トラックバック

2004年02月03日

身近なことも身近でないことも

身近であるか無いかは、本人の意識・意向次第なのだが、どっちにしても混乱気味の日々である。この、サイトをもう少し整理しようとして出来ない由縁というか、言い訳でもある。

身近か身近でないかの話題:やはり自衛隊がイラクに行ってしまった話。ラジオの毎日放送で編集委員の近藤さんが何日か前にコメントしていたこと。小泉首相が自衛隊員の前で演説したないようのなかで「尊い任務」という言葉を使った。これは、おかしいのではないか?という問いかけであった。どんな任務・仕事にも尊いものやそうでないものは無い。それよりもむしろ、「尊い命」というべきだ。という言葉であった。

いかにも、日本が戦場へ軍隊を送るにふさわしい言葉とでも言うのか?それは、任務のために命をも捨てる価値のある「勅命」なのか?

今はいつの時代だろう。日本全部がこれから戦争しようとしてるかのような光景。ぞっとした。
これに徴兵制が出来たら?
軍備はもう立派なものだし。
後は、法律・・・とはいえ、国民の意思など本当に反映されているのか?強行採決。一握りの人間に思うようにさせたくない。

いやはや、一握りで無いとしたら?どうしよう!

投稿者 pianocraft : 11:29 | コメント (0) | トラックバック