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2011年07月22日

沖縄日記2

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激戦地 シュガーローフの丘の現在

アブチラガマに入り、最後にもう一度祈りをささげ、お水をそなえて感謝の言葉をこころでつぶやいた。

観光で多くのナイチャーが訪れる沖縄の地のその足の下には、数え切れないくらいの悲しみがある。今、新都心としてにぎわっている、ゆいレールの「おもろまち」駅。DFSギャラリアがある向かいに、沖縄戦の激戦地シュガーローフの丘があるという。
写真の水道施設がかつての丘であったらしい。ホテルから眺めると見えたので、写真に収めた。

66年前の戦争から、沖縄自動車道に乗って辺野古へ向かう。こちらは、現在も戦争を続ける米軍の基地のそば、あたらしいV字滑走路が出来る案があり、昨年の鳩山発言で大揺れに揺れた。

新しい基地を作らせないための座り込みの抵抗。もう15年となる。

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暑い日・寒い日。
まえは、鉄条網で基地と仕切られていた浜も、今は異様な構築物(フェンス)が張り巡らされていた。この日は台風の影響があり多くの支援のバナーは外されていた。
私も自作の小さめのバナーを持参したが、いつかまた張ってもらえればいいなと思っている。じっとフェンスの先をながめていたら、迷彩服を着て、重そうなリュックを背負って浜から丘にあるく兵士を見た。どきっとした。

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テント村の女性と話した。ちょうど、東京から写真家の方も訪れていて高江の状況も教えてもらった。今回は立ち寄ることができなかった高江。ヘイパッドの建設反対で24時間の座り込みを行っている。辺野古と違うのは、動きがあるときは重機でやられるだろうが、それまでは何も動きのない、丸一日を忍耐で座り込み続けている。
時間も長い、予断は許されないが、かといって何もない一日がほとんどで、がまんくらべ。その心理的負担はそうとうキツイものであるということ・・・。

関西でも支援の機会があるにしても、その地に行ってみてわかることは、空気感だ。
この風景の中で、抵抗を続ける人がいる。それぞれに色々すること、したいこともあるだろうに、もうこれ以上にあらたな苦痛をあたえないで、ほしい。

必ず、また訪ねる。

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沖縄戦を語り継いでいる沖縄の人々は、一方では基地に関しては「あるのがあたりまえ」と思わされていることもあると聞いた。米軍の懐柔策の影響もあるが、新たに作るということに対して反対しないというのはやはりおかしい。基地を全部なくせればいい。けれど、それが簡単でないことは誰でもわかっている。ひとつづつ。新しいものは拒否しようというのが辺野古の闘いであり、高江の闘いであるとテント村の女性は語った。

投稿者 pianocraft : 2011年07月22日 22:43

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