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2008年04月22日

民族の離散・家族の離散

日曜日にシネヌーヴォに行き、『パレスチナ1948 NAKBA』と『ノーム・チョムスキー=イラク後の世界を語る』、『中東レポート アラブの人々から 見た自衛隊イラク派兵』を観てきた。私としては、どうしても『ガーダ-パレスチナの詩-』 を観たいのだが、上映日程をにらんでいるところ。

1948年に村を追われたパレスチナの人々を、広川さんは探してインタビューする。家族の場所から着の身着のままで追われ、豊かだった畑や泉を奪われ難民と化す。難民キャンプでも危険で劣悪な状況で暮すことを余儀なくされたパレスチナの人々。それを「大惨事=NAKUBA」と呼ぶらしいが惨事というには、あまりにも「故意」であり、災害にたとえなければやりきれないといった心境なのか?とも考えてしまう。

『 ルート181』 のときに観た、延々とイスラエルとパレスチナの人にインタビューしていった映像とちがいこの映画では、土地を追われた人を探し出してナクバの時の記憶を聞きだす。再び、昔の村を訪れた人々が「ここに何があった、あそこに何があった」と語るシーンは、胸が痛む。そこにある、いまや野生になった木の実をもいで食べる美しい顔が懐かしさとともにやりきれなさをあらわしていたように見えた。

離散した人々は、ユダヤ人もやはりそうであったわけなのに。また、チベットでもそう。

私たちの国、日本にも在日韓国・朝鮮人という離散の人たちがいる。

「奪い合うと足らず、分け合うと余る」と相田みつおが書いていたけど。

日本にずっと住んでいる、日本人としての感覚は他人よってもちろん違うのだけど、自分の住まいを根こそぎ奪われる、あるいは、どこかへ移住させられる、強制退去させられるという経験をなかなか感覚的に理解できない。1つ、似たようなことを感じるとすれば、阪神大震災で家を失った人が「失う」という喪失感を強く感じたことを目撃した時だった。けれど、それは災害であり、人為的なものでない。
ここに、奪い合う根拠となる政治的な問題が解決を絶っている。

大阪では、公開時期が未定だが「ビルマ、パゴダの影」というドキュメンタリー映画が十三の第七藝術劇場で上映される。それは、ビルマの少数民族の弾圧の証言を扱っている。ここにも、また奪われた人々、忘れられている人々がいる。
映画『ビルマ、パゴダの影で』

投稿者 pianocraft : 2008年04月22日 21:24

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コメント

こんばんは。精力的にご覧になられましたね。私は『連合赤軍 あさま山荘への道程』を最優先させました。これ、どうしても観たかったのです。でも『ガーダ-パレスチナの詩-』もねらっています・・・。

>自分の住まいを根こそぎ奪われる
このイメージは三里塚の農家の人たちにあります。
映像で見た、ただ「自分の農地で耕作を続けたい」だけの人たちに対する、「国家」の暴力は衝撃でした。
それにひるまない野良着のおっちゃん、おばちゃんたちの姿も衝撃でした。
でも若い頃はそれ以上に考えようとはしませんでした。
今ではその時代のことをもっともっと知りたいという欲があります。で、冒頭の映画も観てきました。近いうちに(といっても中々かもしれません)ブログにも書きたいと思っています。

投稿者 りん : 2008年04月24日 21:06

りんさん、こんばんは。
三里塚闘争は、やはり当時はぼんやりと眺めていたような、理解をしていなかったような感じです。
私の世代は全共闘世代から遅れてきた世代で、さんざん「四無主義」と言われて高校時代をすごしていました。

確かにいろんなことを見落とし、通り過ごしをしてきている感じがします。時代をさかのぼり、過去の闘争の意味を今になって考えることができるということでしょうか。でも、あたらめて見つめなおすことが大切だと思います。

りんさんが、突き動かされて、ものを見、考えるという姿はいつも、敬服します。

投稿者 pianocraft : 2008年04月24日 22:42

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