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2008年11月20日

痛みの記憶

昨夜、NHKTVの「ためしてがってん」で、「痛み」についての新しい情報を知った。

私も、あちこち痛みを抱える父を見ていたので、「どういうこと?」と興味をもった。

人間の体の「痛み」は、サインであると、感じないととても大変なことである。という前振りがあった。
ある少女は子供のときから「痛み」を感じることができず、不自然に腕や足を曲げてしまい、何度も骨折を経験している。今もなお、その病に苦しんでいる。けれど、痛みは、つらい。
原因がわかっていても辛いが、わけがわからない痛みに苦しむ人もいる。

今回は、傷などが完治していたり、直接原因がないという「痛み」についてだった。
その痛みは、脳に記憶されていることから、過剰に反応しておこるという。
脳の錯覚というか、間違った指令なのだが、人間は強い痛みの記憶があると、記憶が蓄積され防衛のために「痛い」という信号を送ってしまうという。

人間は、やっぱり「まどわされて」生きているのだな。と思ってしまう。
PTSDなども最たるものだろう。
イラク帰還兵たちの苦しさもまた、「悲鳴」をあげつづける心との闘いをつづけること。アメリカ政府がどんどん足らない兵を増やすとともに、彼らの「壊れた信号」が渦巻いていく。
アメリカだけではない。
日本の自衛隊の中でも、戦地に行かなくても自殺する人の多さ。人を人が傷つけたり、殺す訓練は、敵も味方もなく、人と人の関係を壊していくようにしか思えない。

私が見ているものも、「脳」が見せているもの。信仰も「脳」が作り出すカリスマ。
自分がありもしない痛みに悩んでるなら、お化け退治をしようと思うけれど、ありもしない歴史や、だまそうとする政治には、疑り深くなくちゃな。とは思っている。

投稿者 pianocraft : 2008年11月20日 22:47

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