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2005年01月18日

1.17の10年

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神戸 ERTH展
1.17を振り返ると、毎年報道が希薄になるなあと、感じていたが10周年ということで、あの時の風景をまたTVで見る機会が何度かあった。

昨日は(日付がかわってしまったので)、以前、西代仮設住宅に訪問ボランティアを少しさせてもらったかたがたが開催された合同慰霊祭にほんの少し顔出しした。
当時、長田区の西代仮設住宅は、野球場に建っていた。それは、仮設が建ってからの繋がりだが、もっと状況が整っていなかった頃、震災後初めて、神戸に向かったその日のことを鮮明に覚えている。

その日は、東灘区の森南地区の公園で多くのかたが家を失い生活されていたので、仲間と炊き出しをしに大阪からやってきた。当時4歳と9歳の子供を連れてだ。大阪に住んでいるわたしは、電車が神戸へ近づいていく時の車窓の風景を見て、緊張した。だんだんあおざめていくような気分に襲われた。

大阪梅田の人ごみ、何事もなく遊びに行く人々のいる町から、なにもかも失った街へ。そのときに4歳のこどもが言った言葉。「テレビでみてたけど、ほんまにこわれてると思えへんかった。」
4歳は、虚構の怪獣TV、何とかレンジャーシリーズで毎回破壊される街などめずらしいシーンではなかったのだろう。でも、それは、どこかニセモノ臭く、子供にとっても違う感覚のものだったのかもしれない。

大きな屋根が崩れ落ちている。足元は、アスファルトが隆起していたり、亀裂で歩きにくい。子供を連れて行くにはふさわしくないかもしれなかったが、けれど見ておいて欲しかった。そして、それ以上に自分に強烈に焼き付けた。テレビのむこうの他人事(ひとごと)にしないために。

けれど、それが本当に激震の恐怖と喪失を経験した人にとっては、思い出すのも、当時のものを見るのも辛い日々であったり、ようやく10年で振り返ることができる心境になった人もいただろう。人の辛さを替わってあげることは、出来ない。本人でなければわからない、心の細部まで傷ついた人に共感は出来ない。
だけれど、そばまで言って、聞くことくらいはできる。わたしに辛さをブチまけて、心がすこし軽くなるなら。

この10年前の出来事から、わたしも夫も出会う人々、かかわることになった人々が何倍にも膨れ上がった。人生の方向を変えた出来事だった。

投稿者 pianocraft : 2005年01月18日 00:30

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