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2005年01月27日

こどもの死生観

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長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件を受けて調査された小学生の「生と死」の意識調査。「死人が生き返る」と答えたのは小学4年14.7%、同6年13.1%。中学2年は18.5%で、小学生よりも高かった。(記事より)

中学生の方が、多かったことについていろんなことを大人は考える。「死」というものを言葉で読んで、やっぱり言葉で「書いて」答えたらこんな感じになるのだろうか?死は、子供には非日常のイメージの世界だろうと思う。なのに、子供が子供殺しをするという事件がおこって、大人は混乱している。

大人にとっては、寒いこの季節に街の「高齢の人」が死をむかえることは多々ある。葬式に出る回数が増えるという実感がある。でも、これも個別の死だが、本当の死なんて自分がそのときにならなければ、わからないものだ。死と直面しているのに、実感のあるようでない死。見てみぬふりをする死。

中学生といえば、現実を少しずつ理解し、社会の矛盾も、苛立ちも感じる多感な時だ。願望めいた気持ちで「生き返って欲しい」という思いなのだろうか?映画のテーマとしてもはやったし。

大人としてのわたしたちも、ほんと実体のない生き方をしていると思うときがある。イメージやネットのことばに翻弄されたり、感情をぶつけるのもネットだったりと。だからこそ、自分から人にまみれに行く。知らない人と出会うことに喜びを感じる。あえて。

生と死がとなりあわせの現実はイラクにある。リバーベンドの日記は更新されている。そう、本当は観念的なものではないのね。生きているものが死ぬということって。

投稿者 pianocraft : 2005年01月27日 23:08

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トラックバック時刻: 2005年02月23日 17:52

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トラックバック時刻: 2005年04月14日 19:01

コメント

こんばんは。
事件が起きた当時に書いた古い記事なのですが、トラックバックを送らせていただきますね。

投稿者 喜八 : 2005年02月03日 21:39

コメントありがとうございます。このところ、NETの環境を変えていておちつかず、日記も手付かずでしたが、コメントを頂くとまた書きたくなりました。

NETには近づきたくない掲示板もありますが、書いている人間は実体のある普段の生活をしている同じ人間だと思うと混乱します。人間の心は闇というような・・・

でも、こどもにもダークな面と明るい面がありますよね。ヘルマンヘッセだっけ、昔読んだ小説にも、子供の目からみて、「見てはいけない世界」と「子供の世界」が交差するビミョウな年齢のこと。

記事になり、社会学的にコメントすると、一般化したような言い方に成り、誰の立場で考えるか?を忘れてしまいますね。喜八さんのいう弱者の立場。これが大切ですよね。

投稿者 pianocraft : 2005年02月03日 22:39

私もこの意識調査にびっくりした日本人の一人です。
死生観はゲームの影響で変化しているような気もいたします。
まことに唐突ながら、後ほどTBさせていただきたく存じます。

投稿者 eirakusan : 2005年02月23日 17:46

eirakusanさんコメント有難うございます。

大人は、びっくりしますよね。言葉どおり「生き返る」っていうことを信じてるといわれると。

でも、願望とか、死を遠ざけているという感覚というのなら理解できます。

子供にとって、死は遠い世界であって欲しい。と思うのだけど。身近なお年よりの死は、ちゃんと見届けて欲しいと同時に思う。自分の死は遠くても、人は死を迎えるまで、しっかり生きなければならないことも伝えたいです。

投稿者 pianocraft : 2005年02月23日 22:06

「願望とか、死を遠ざけている感覚」、そういえば私も、人間は死なない死なない、と祈っている時期がありました。

それと、生き返ると信じていること、これは人の命をそまつにすることにも通じるような気がします。なぜ人を殺してはいけないかがわからない子供たちを減らすためにも、この問題はずっと考え続けていきたいと思います。

TBありがとうございました。

pianocraftさんのサイト、ブックマークさせてください。

投稿者 eirakusan : 2005年02月23日 22:22

そうですね。人の命については、「殺す」「人の命を奪う」「自分の命を奪う」ということにつながる怖さがありますね。わたしも実は友人の命を奪われた経験があります。その悲しさ、憎さはぶつけようがない。もう2度と会えないものね。

投稿者 pianocraft : 2005年02月24日 10:48

はじめまして、こんばんは!ぱんだといいます。
「死生観」とっても大事なことだと思います。
人間根本の問題ではないでしょうか?
子供にしっかりとした死生観を持たせるには
大人がまぜしっかりした死生観を持っていないと
いけないと感じます。
しかし、現実には、語られることは少ないようで、
残念でなりません。そんな中、このHPは本当に
素晴らしいと思い、コメント&TBさせてもらい
ました!!
他にも関心深い記事が多いので、また寄せて
頂きますね!こちらも同じようなテーマでやって
いますので、是非お越し下さいませ~!!

投稿者 ぱんだ : 2005年04月14日 19:04

ぱんださんへ
自分のブログのお返事とお礼忘れてました。
有難うございます。わたしも散漫に文章を書き散らしているので、むらがありますが、ブログって不思議で結構自分の考えの深いところを露呈しちまってます。

ぱんださんのところにもまた、遊びに行きます。

投稿者 pianocraft : 2005年04月24日 23:38

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