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2005年10月10日

格差社会好き? ジェンダーフリーバッシング

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一週間ほど前になるが、朝日新聞10/4朝刊に掲載された記事 「ジェンダー」残す?削る? 男女共同参画計画の改定 用語や表現めぐり論争 (朝日 2005/10/04朝刊生活面) について、憤りを覚える。

これは、今年5月に自民党本部でひらかられた「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実体調査プロジェクトチーム」から問題提起され、来年度の男女共同参画基本計画に影響を与えるという記事だ。

記事の見出しは以下のとおり(引用)

「ジェンダー」(社会的・文化的に形成された性別)という用語をめぐり来年度改定される予定の「男女共同参画基本計画」が揺れている。今年7月、この計画についての「基本的な考え方」がまとまったが、自民党のプロジェクトチームは、この中の「ジェンダー」の言葉を批判し、基本計画に使わないことなどを求めている。内閣府は、言い換えが可能かなどを検討する会合を開く異例の措置を決めた。あなたはどう考えますか。

この記事について詳しいのは以下のサイト
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~gr018035/r/gender.htm
教育と自治埼玉ネットワーク
http://blog.livedoor.jp/kyoiku_jichi_saitama/archives/50122495.html
成城トランスカレッジ
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20051005/p2
TransNews Annex http://transnews.exblog.jp/1918687/

記事の詳細については上記サイトにゆずるが、女性の労働力が重要な社会資源になっている今なお、子育てしながら働くことに不自由な社会であるのに、今さら懐古的な家庭感を政府によって押し付けられけられてこんな言葉を投げつけられなんて不快だ。

山谷えり子事務局長談話;「ジェンダーの定義は人によって違い、混乱を招く未熟な言葉だ。しかも、ジェンダー論は男らしさや女らしさを否定し、過激な性教育や家族軽視、行き過ぎた個人主義などを引き起こしている。こうした言葉は使うべきではない。」(記事より)

行き過ぎた個人主義。そうなのか?家庭軽視?
ここでも思う。男女の格差をつけたいの?男らしい・女らしいと国から言われるなんて大きなお世話だ。
男であろうが、女であろうが、子供であろうが、大人であろうが個人を大切にしない国は危険だ。
夫婦別氏に誘導するというが、それによって何の問題があるというのだ。

経済格差のことで格差社会とよく言うが、男女にまたしても格差をつけようという意図が読める。これは、弱者・強者の振り分けの理屈と似ているように思う。
個人というレベルで自立し、発言しようとする人間に対し、管理しやすいように個人の生活にまで介入する。とんでもない。これでは、女性は、子供をもっと産めなくなる。安心して、子育てできる環境というのは、仕事と保証された保育と、男性の協力。

いきいきと子育てできる。安心して仕事ができる。育児支援がしっかりしている。そういう環境こそ少子化対策と考える。ジェンダーの言葉狩りをしてもなんら建設的ではない。

憲法改正案には多く、個人を規制しようという内容がある。
憲法24条
憲法9条
それ以外でも共謀罪の導入など・・・うんざり
憲法調査会は、あらたに憲法調査特別委員会という形で9月22日に発足された。
エキサイトニュースより
<衆院>憲法調査特別委員会始まる [ 10月06日 13時14分 ]
ついに、改憲へと動いているのか注意が必要だ。

投稿者 pianocraft : 2005年10月10日 23:18

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コメント

はじめまして管理人様。私はジェンフリ派の1人です。
ジェンダーと言う言葉が、意味が曖昧な「悪語」というのであれば、自民党(行政?)の言う、「正しい男らしさ・女らしさ」とやらも、意味を明確にしてほしいです。また、職場での必要以上の性的役割分担(お茶くみとかです)やセクハラと、「男・女らしさ」は、無関係であると、立証してほしいですね。

産経新聞に書かれている「男・女らしさ」とやらは、いっつも、『鯉のぼり・ひなまつり』だけです。これ以外、何か、自民党が「正しい・残すべきだ」と言っている「男らしさ・女らしさ」とはなんなのでしょうか?これも、何か文章で明記してほしいと思います。また、セクシャルマイノリティとそれとの関係も、意見を公表してほしいです。

鯉のぼり・ひな祭りだけで、男・女らしさの育成に、そんなに繋がりがあるのでしょうか?うちは「ひなまつり」をしますが、せいぜい日本人形を飾るだけで、それ以外のことはしません。それを行ったからといって、私が“女らしく”育ったわけでもありません。実際、私は心は中性ですし。友人の家でも、せいぜい、ピアノの上に人形を2体飾るのみで終っており、女の子供に客を接待させ、白酒を注がせるなど、そんなお酌行為をさせるなんてしてません。また、鯉のぼりは、『この家に小さい子供がいる』という目印を出したくない、広い庭がなかったりとの理由で、あまり行われていません。もう、これは仕方ないと思います。(ちなみに、うちは、おもちゃの小さい鯉のぼりをベランダにくくりつけたりしますがσ(^_^;) )

伝統とは、生まれては消え、また、新しく形成されの繰り返しです。消えたといえば、正月の「年始まわり」とか消えましたし、年賀状だって、明治以降にできたものです。それも、メールにとってかわられようとしています。
やりたくない人に、無理矢理「やれ」と言うようになると、それはもはや「伝統」とは言わないと思います。『因習』になってしまいます。
もしも、それらが本当に必要とされるのであれば、自然に復活するものだと思います。(最近、「お手玉」が復活しているようですが^^。)

投稿者 およね : 2005年12月31日 01:48

およねさん。はじめまして。コメント有難うございます。

ジェンダーフリー教育が伝統否定=日本人否定という、わかりやすい理屈で多くの人に訴えかけるというのは、よくあるやり方ですが、こういう簡単でわかりやすい言葉で大切な本質的なことをわかりにくくする。これが、腹立たしいですね。

また伝統という言葉は、幻想ですね。、社会のなかで行われつづけた「慣習」」というものが「伝統」というなんだか貴重なもののように尊ばれています。たしかに、残したい「慣習」はあるのです。それは、人々の生活の中で必然的に行い続けられるのではないでしょうか?

でも、守らなくてはならないと思う「事実」でさえ、意図して葬ってしまうのが「声の大きい・力の強いモノ」がいままでしてきた事です。

ほんとに、おしつけられたくないものですね。おっしゃるように。

投稿者 pianocraft : 2006年01月02日 18:07

レスありがとうございますm(_ _)m
書きたいことができたので、また書かせてください^^
(読み流されてください。お忙しかったら、
無理にお返事くださらなくていいですよ~)

突然ですが…私はセクシャルマイノリティでもあるのですが…(もしも、管理人さんが、セクシャルマイノリティに関して、あまり関心がなかったら申し訳ありません。)

ネットにて、非セクシャルマイノリティ達のセクシャルマイノリティに対する意見を読んでいて、つくづく、悲しく、そして寂しくなることがあります。

人間って、人間同士をカテゴライズしたり、区別して、“自分達は正しい、そして、自分達と少しでも違う者は間違っている”と、主張するのですね。そう考えないと、安心できないようです。

例えば…具体的に書きますと、同性愛に関して言えば、
「同性愛者は気持ち悪い。異常である。」
宗教に関して言えば、
「我々は、●●教を信仰し、正しい人間である。
しかし、●●教を信仰していない者達は、罪深い。」
女人禁制などの宗教的因習に関して言えば、
「男は神聖な場所に入れるが、女は穢れているので入れない。
男は聖・善だが、女は俗・悪である。」
…といったものです。他に人種差別もありますが…
人間って、本当に、弱い生き物だと思います。

自民党さんが、男女に格差をつけたがることも、『区別をつけることによって、上下関係を作り、一部の人間だけが安心して暮らせる世の中を作ろう』といった考え方なのだと思います。できるだけ多くの人間が幸せに暮らせる世の中など目指してないのです。

「私達は、お互い違う。だけど、同じなんだ。」
という考え方ができる世の中になってほしいと私は思っています。

投稿者 およね : 2006年01月02日 22:35

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