« 話題の映画の人が来日 | メイン | パッチギのDVDを借りた »

2006年01月17日

1.17それぞれのストーリー

1.17.jpg よる.jpg
1.17夕方そして夜の月

1月17日11年前の未曾有の地震。それぞれのストーリーは、一人一人に時間時間に刻み込まれていると思う。昨年は、長田の慰霊祭に行った。今年は、西宮に仕事に行っていた。
国道43号線の上に走る阪神高速が、地震後すっかり取り払われていた時期があった。
目印になるものがなくなった、だだっぴろい交差点に、方向感覚を失いかけた事もあった。
路地を入っていくと、ぼこぼこの隆起した道が長く整備されずにそのままになっていた。

この日、我が家では相方の実家が西宮にあるために、気が気でなかった。いてもたってもいられない相方はついに車で出発した。とんでもない道のりが待っているとはしらなかった。
電信柱が倒れ、通れない道、止まってしまった幹線道路。
世界が変わった朝。
どんなに人力で、戦争で爆撃しようとも、ほんの数分で地面のそこから破壊する力に勝てはしまい。

私が、神戸の地に立ったのは、それから随分してからだ。炊き出しの食材の入ったキャリアカーをひきずり
ぼこぼこ道の歩道を歩いた子どもも連れて。本当にこわれた地球の地面を見たこどもは、TVで繰り返される映像がフィクションでないことをこの地に立ってはじめて知った。
「ほんとに壊れているとおもわへんかった・・・」

想像することの難しさ。
人が事故や災害や戦争で死ぬ事、どこかで毎日起きている事。でも、想像するのは難しい。

しかし、このことが残したものが、私たちの今の活動を支えている。
いろんな人と出会おう。何か自分のできることで多くの人に関わろう。できたら楽器を通して。
障害を持った人。お年より。子ども。国籍の違う人。多くのひとと努めて出会う生き方を選んだ。
人と人がとても近い距離で支えあった。そのことを忘れずに。

投稿者 pianocraft : 2006年01月17日 23:58

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.pianocraftwork.com/mt/mt-tb.cgi/203

コメント

こんばんは。今の行政のやることといったら,単なる数合わせの切捨てばかり。本当に人間どおしの出会いと支えあいが大事だなぁとつくづく思います。この世の中の流れの中で逆らうのは難しいことかもしれませんが,実際の人との関係を大事にしていく中で,何かが変わることを祈っています。今日も『みんなが殺人者ではなかった』という本を買いました。英雄ではなくとも,ナチの親衛隊員や売春婦やといった人がユダヤ人を救っていたといいます。ゆっくり読むつもりです。

投稿者 KATEK : 2006年01月18日 23:23

私の活動の原点も阪神淡路大震災にあります。今年は22日が日曜日ですね。95年もそうでした。電車で20分の距離なのにほんと天国と地獄のような違いに、自然の力の大きさ、恐ろしさを実感したことは、絶対に忘れることが出来ません。
 21日土曜日に準備して、午後11時に出発。22日の午前3時過ぎに東灘区の烏帽子中学に到着。道中の破壊された町に言葉もでませんでした。炊き出しの後の避難されていたおばあさんの一言が忘れられません。「残ったお湯を分けて下さい。私らのできることは、汚れたトイレの掃除ぐらいです。」   人間って凄いです。自分のことばかりいう人が多いのに、避難生活の中で少しでもみんなが気持ち良く過せるように、私のできることはこれぐらいでしか!! なかなか言えませんよ。 あの状況の中で。 あったかい心の持ち主はいっぱいおられると思います。出会い、人と人をつなぐことができたら、子供達にもいい社会を引き継ぐことが、できると思います。
 多くの人と出会い、笑顔をつなぐことで少しでも心地よくなれば・・・人からもらったあったかさを、少しでも熱くして次の人につなぐことを・・・今日も新しい出会いを求めて動きます。  

投稿者 アントン : 2006年01月20日 01:46

KATEKさんへ
人間と人間、普段は同じ大地に何事もなく、一緒に暮らしているのに
戦争という状況のもとでは、敵となり、殺し合いをする。

戦争はじめていいという人は、想像力を封じ込めているというか、乏しいのでしょう。目の前の我が子が、戦士になり、自分を殺すなんてことを考えるでしょうか?行政は、だから恐ろしいのですね。
人を人と考えないから。番号付けて管理してるんだもん。

投稿者 pianocraft : 2006年01月20日 15:00

アントンさんへ
コメントありがとう御座います。
本当に大変な状況で、まったく知らない人と助け合うということを被災地では経験させてもらいました。
ボランティアという言葉が、うんと多くの人に使われるようになり、実際に自分のできることを何かしようという気持ちを、多くの人に与えることになりました。

このときも行政というよりも、自発的に動く人によって街がささえらたのです。すごい人のちからが結集されました。それを忘れてはいけませんよね。

投稿者 pianocraft : 2006年01月20日 15:43

コメントしてください




保存しますか?