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2006年11月10日

「死ぬこと」と引き換えること

学校が行きにくい場所だなと思ったのは、自分のすごしてきた学校時代の中にはなかった。それは、単にそういう巡り会わせだったからなのだろう。私の友人も決して幸せな学生時代を送ったわけではなかったから。どの時代だから、ということはなく、いつもそうなのだろう。

けれど、今連鎖して起こる子供たちの自死は、何を訴えてるのだろうと考えてしまう。逃げ場がない行き止まりに彼らはいて、誰にも救いを求めることができなかったなんて残酷だ。

私も子供を育てたおかげで親というものにさせてもらっている。「育てた」なんて偉そうに書いてるけど実は、一緒に生きてきた連中だ。ちいさくても、力がなくても、ただ寝てるだけの赤ん坊でも、あるいは、手が付けられない動きまわり、わめく幼児でも、こちらが精魂尽き果てても、次の朝にくっついてくる連中。
大きくなったら、いろんな世界で勝手にいろんなことして、振り回してくれる愛すべき連中。

彼らも学校を拒否した。いろんな違う理由であるけれど、でも、大人としては折り合いつけてなんとかならんのか??と思うこともある。その上で、もう少し時間を与えた。考える時間は、学校に行かなくていい。自分のためだけに、自分に向き合い、考えてみる、ちょっと休み時間をあげた。大人だって休憩する。朝から晩まで、ずっと学校に通ってられるって偉いことだとつくづく思う。

そして違う学び方で、生きている。第2の学校やドイツのシュタイナーのようなまったく違った教育観を持つ学校ももっとあっていいと思う。教育基本法の改悪で、もっともっと窮屈に国の型枠にはめていくようなものは、絶対反対だ。軍隊を持つために、まず教育から。口当たりのいい、美しい国とかいうおかしな台詞を振り回して。

子供たちがもう自分で死ぬことを選ばないで欲しい。大人ももちろん、死ぬことで闇にほうむらないで!
死がひとつの「完結」というものにはならないこと。愛するものほど傷つける。にくくて仕返ししてやりたいようなものは、すぐ忘れて自分の別の人生に出かけるだけ。死ぬことは終わらない。悲しみを新たに生み出し、憎悪を増殖させる。
「死ぬこと」と引き換えるほど大切なものなんてない。病で苦しみを持つ人もいると思う。生きることがとてもとても大変な人もいると思う。けれども、それでも、自分から引換券を持っていってはいけないんだ。

投稿者 pianocraft : 2006年11月10日 21:29

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