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2010年01月11日

故郷とは・・・

招待状を手に入れたので、大阪女学院の講演と映画のイベントに行ってきた。
講演のスピーカーは、今をときめく姜尚中氏と、大貫隆氏。そして、映画は「ガイサンシーと姉妹たち」を撮った班忠義監督の「チョンおばさんのクニ」。

午後1時に始まり、6時半まであった長丁場のイベントは、『和解への対話―東アジアに聴く・視る・識る』と題されたテーマで4年にわたり行われてきた連続講座の最終回だった。私は今回が始めての参加だったが、さすがに姜サマ人気で、大女のへールチャペルは満員だった。

今回は、「故郷」について姜さんは語る。
在日としての自分にとってのふるさとはどこにあるのか?という姜さんの自問。
今年出版される初のフィクション作品は自分の母を描いている。その母の生まれ故郷を30年ぶりに訪ねたときの驚きを語っていた。近代的に様変わりした母の故郷。その風景をみていて、本当の故郷と言うのは種をまいて、根をおろしたところにあるのではないか。という。不幸なことも幸せなこともあった日本での郷里がそうだという。
国家と言う宗教のような概念を超えて、ふるさとはあり、厳しい状況で強制連行された場所であっても、そこに根付いた時、そこが人のふるさとになるのではという話は納得がいった。そこに自分との和解があると。

私には、家族離散の経験がない、身近では在日の人以外にはそういう人を知らない。けれど、世界には色々な流浪の民がおり、古くはユダヤ人もそうだ。
私などのノーテンキな平和主義者が、国境なんて意味がないと言っていても、いつも少し気が引けていた。けれど、離散の経験を持つ家族がやはりそのように思うということを姜さんの思いを聴いて初めて知った。人は結局自分の居た場所を故郷・ふるさとと思うということ。

そして、もう一人のスピーカーは、「神の国」についての講義。久し振りに聖書勉強をした気分。でも、ある意味面白かった。ユダヤ人の当時のありようも。
ひとつだけ、あげるとユダヤ人はイエスキリストを死に追いやったけれど、その時に処刑する自らの法も権利もあたえられていなかったので、ローマ人のピラトに処刑を依頼するという形で十字架にかけたという。神に選ばれたユダヤ人は貧しく、何ももっていない、そんなものたちだから選ばれたというわけだ。

最後に観た映画。「チョンおばさんのクニ」は、まさに姜さんの言ったふるさとはどこか?といったテーマにばっちりあったドキュメンタリー作品だった。
日本の従軍慰安婦にされた韓国人のチョンおばさんは、中国に強制連行されていた。
そこで、ずっと後の人生を送り、子供も3人、孫も沢山に恵まれ中国で貧しく、苦しい生活だったけれどかけがえのない家族を得た。そのおばさんが、故郷の韓国を訪れたいと行って、肺がんで余命が5ヶ月とわかっていたが韓国の支援者のおかげで帰国する。
結局、そこで亡くなるのだが、遺言を中国の家族に残した。
私の遺骨はお父さんと一緒にしてほしい。と。
けれど、韓国の支援者は、遺骨を返さなかった。家族の切実な訴えにも韓国人として帰ったから、「遺骨に何の意味がある」と言い返されたりして・・・。
おばさんは、きっと中国に帰りたかったろうな。種をまいたところに。

いろいろ考えさせられた。
自分の立ち位置。クニという宗教あるいは、形のない概念。

投稿者 pianocraft : 2010年01月11日 23:26

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