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2005年10月13日

言葉でつたえる心

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HJP at yanpyonndon church05.9.24

ブログを書くって、自分にどんな意味があるのか?と思うときがあるけれど、心の有様を文章に書くということで、考えをまとめたり、時にはまとまらなかったりするが、思考のプロセスを見てくれ~というようなものかとも思う。(ホントは、他人様にみせるようなものではないのですがね。)

このところ、ニュースや記事に触発されて”どうなってるん?”ということを書くことが多くなった。そのせいで、更新も滞る・・・。なぜかというと、記事にたいして、自分なりに意見を書くときには、情報を収集する必要があり、あちこち読みまくるから、時間がかかる。その労力に見合う体力・精神力が無い時は、書けない・・・・

心のありようは、言葉で伝える以外に、他人様に表明する事はできない。非常に内省的なことでも、時には言ってしまったりするときもある。偶然、聞いてしまう側になるときもある。けれど、そうする必要があって
のことだとつくづく思う。

調律師という仕事をしていると、他人の家にあがりこみ、時には家人と出されたお茶を飲んだりして、世間話をすることも多い。わたしたちが、その家の近所の人々と何の利害もないせいが、深~い悩みを聞くことになるときもあるのだ。反対に自分のことをべらべらしゃべることもある。こんなややこしいことが、あってね~なんて。子育ての悩みなんて、特に口が軽くなってしまう。

こんな風に、人と人は関わりが深かろうが、浅かろうが、言葉で心内を吐露してしまうものだ。本当に用心深い人は、どうか知らないけれど。私のように、不用意な人間は・・・だ。

結局、自分は自分のために生きる。これは、他人について関心がないといっているのではなく、自分の選択・自分の決意による。

今日、HJPの愛するメンバー(本当に愛らしいのだ。みんな)と話す機会があった。一人で生きているように思うおうが思わまいが、神様と共にあろうがなかろうが、言葉は、こころを人に届けてしまう。
本質的なところ、人間は心があるせいで、自分で生き死にをも選択してしまう。

十分に心を尽くして上げられない・・・と思い悩むけれど、この心のありかは、自分の肉体の中。そうやって、心の中にとどめていてあげていることが、忘れていないことが、何よりも、その人にとって宝物となるだろう。中々、自分にはわからないけどね。きっと、生きるささえになるというのは、存在が目の前にあるということではないと思う。心が人をささえるのなら、愛するあなたの存在は心にあるはずだ・・・・・

投稿者 pianocraft : 2005年10月13日 00:36

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コメント

はじめまして。hanaさんのところから参りました。調律のお仕事をなさっているということ。ホロビッツが来日したとき調律にあたった方(お名前を忘れてしまいました)の書かれたものを読んだことがあります。心って,調律には大事なことなんだとつくづく思いました。言葉も大事だし,言葉にならないことも大事とも思っています。わたしは言葉がうまく出ないほうなので,ブログを「書く」ことで,気持ちを開放しています。よろしければわたしのブログにもお寄りください。調律のことももっとお話聞きたいです。

投稿者 KATEK : 2005年11月02日 19:06

KATEKさん、はじめまして。コメント有難うございます。
調律もピアノという楽器に向き合う技術仕事なのですが、弾くのは人間ですよね。結局、人のための道具なのですから、人と関わることとなります。
どんな仕事もそうだろうと思うのですが、人間の社会の中での営みなのですからね。

KATEKさんのブログ読ませていただきました。
しなやかに、感性をあらわしておられ好感を持ちました。子供さんを教えるという立場でいらっしゃるようですね。これまた、人の心にじかに触れるようで・・・素晴らしいけれど、難しそう。また、あそびに行きます。

投稿者 pianocraft : 2005年11月02日 21:46

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