« マイクを離さない男 | メイン | 歌をもとめて »

2006年07月18日

生きてきた歴史って

気分として・・毎日が日曜日でいたいと思っていても最近はそうもいかない。隙間に映画や集会に出向いていきたいのだがそれもかなわない。
そんななか、災害・紛争が押し寄せていて、そちらも気がかりだ。ジャワ島は地震の被害から立ち直っていないだろうし、インドネシア沖の津波のあとに急がれていた「ツナミ警報」の設備も整備が間に合わなかったようだ。自然も人も国も壊れているような気がしてくる。こんなうっとうしい気持ちをちょっと変えよう。もちろん、支援もわすれず、国の壊れるのを阻止できるように力もつけなくてならないけど。

すてきな人生というか、不思議な人生の話を聞いた。
友人のお父さんの話なのだけれど。友人は、沖縄県出身。小学5年で大阪にやってきた。
お父さんの生まれはインドネシア。沖縄の人たちは、当時入植してたのだろうか、比較的裕福だった様子だ。というのも、お父さんは三輪車に乗っている写真をもっているそうだ。昭和のはじめの生まれの人としては、ハイカラ。けれど、母を失い、沖縄に帰って継母にはいじめられた。そのせいか、大人になってもなかなかひとつところに収まらない、放浪の人生を送った。

友人の母と結婚してから、返還前の沖縄で大工をしたり、農業をしたり、牛飼いをしたり。ふっといなくなるとおもえば、当時だれも住んでいなかった西表島に舟で出かけて(そのときは石垣島に住んでいた。)
掘っ立て小屋をたてて、一人で水牛を飼ってすんでいた。ともかく、自由で、大阪に出てきて、落ち着いてから家族を呼び寄せるときに親戚中で、反対賛成と大騒ぎして、結局、友人は大阪にいついた。
今も、お父さんは、パチンコと仕事と半々で生活してる。母はくろうしたけどね。そうだろうね。きっと。

その友人も、沖縄の那覇に住んでいた子供のころは、ドルを握り締めてお父さんの泡盛を買いにいった。
米軍基地のフェンスの下に穴を掘って、忍び込んでは、米兵の子供と遊び、見つかりそうになったら、米兵の家族にカツラをかぶせてもらい、アメリカ人にカモフラージュしてもらって、守ってもらったらしい。
これもすごいエピソードだ。ほんとは、人と人の間にはひどいことばかりではないはずなのに、仕事として
兵隊になると、人間をすてさってしまうように思う。

人間をすてないと人間の命は奪えない。
多くの人間でない生き物が、今も人間を襲っている。イラクでパレスチナでレバノンで。

投稿者 pianocraft : 2006年07月18日 21:51

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.pianocraftwork.com/mt/mt-tb.cgi/264

コメント

コメントしてください




保存しますか?