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2010年09月07日

ヤスクニの中の民間人

朝日放送のテレメンタリーを見た。
「英霊か 犬死か~沖縄から問う靖国裁判」

番組概要(HPより)

国のために命を捧げた軍人軍属246万柱を「神」と祀る靖国神社。そこに沖縄戦で死んだ民間人6万人近くが祀られている。なぜ軍人でもない沖縄戦の犠牲者が「英霊」となってしまったのか。無断で祀られた家族の名を祭神名簿から消してほしいと、沖縄の遺族らは国と靖国神社を相手に裁判を起こした。そこには、国が戦後補償のような形で整備した「援護法」で、援護金をもらうと民間人も「準軍属」の扱いになるというからくりがあった。

制作:琉球朝日放送

沖縄靖国訴訟の原告である彫刻家で反戦平和活動家 金城実さんの強烈で印象的な自らの父に対する思いを語る言葉は、ひりひり痛いように私には感じた。
父は、志願兵であり、周りの人々をけしかけて率先して戦争に巻き込んだ立場の人間だったと言い、母に「父は犬死だ」と言葉をぶつけた。
その父は、靖国に神として「・・・・命(ミコト)」と名づけられている。でも、父は底には居ない。と金城さんはいう。

一方で、民間人の戦争犠牲者も、靖国に軍人にさせられて(名前だけ)祭られている。
当時、沖縄戦の惨状に対して、表に見えない形で戦後補償のかわりに沖縄の各地域にとりまとまてもらって、民間人でも補償の対象になる人を人選して、国に提出したという。その人の遺族は援護金を受け取ることができたので、結果として軍属として神の名前をつけられて、多くの沖縄の民間人は祀られている。

無断で行われた合祀を取りやめて欲しいという遺族らの裁判が沖縄訴訟だ。

それは、イ・ヒジャさんや台湾の高砂義勇隊のチワス・アリさんたちのものとも結びつく。

靖国は、遺族の心の慰安のためにあり、遺族に犬死と思わせない、感情の自然な流れをつくるためのものでもあったというようなことを高橋哲哉の「靖国問題」(ちくま新書)に書いてあったと思う。その仕組みにのっとって死の正当化があったのか。

釈然としない。戦争の犠牲者の民間人は、特に沖縄戦で奪われた無為な死はどうやっても報われない。魂がヤスクニにいくなんて沖縄の人たちは信じないだろう。
先祖信仰の深い沖縄の人々。神はもっと身近にいる。

投稿者 pianocraft : 2010年09月07日 21:30

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