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2007年06月04日

パラダイス・ナウ

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映画 パラダイス・ナウ
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自爆宣誓のビデオを撮るシーン

映画「パラダイス・ナウ」を観た。
以前から、いろんなところで紹介されてきた、この映画が大阪シネ・ヌーボで公開されている。6月8日までは一日、4回、それ以降22日までは、10時20分からのモーニングショーのみの上映となる。

この映画が、自爆攻撃に向かう、2人の青年の48時間を描いたものであるということは事前にしっており、少々重い気分も背負いながら観にいった。ところが良い意味で、予想を裏切り、この映画はとても静かな映画で、こころに深く浸みわたっていく映像だった。

実際は、爆弾の音、銃撃の音が日常的な音であるだろう、パレスチナのナブルスの町を音楽で感傷をあおることも、観客を先導することもなく淡々と静かに描いているところに好感を持てた。

この映画は、イスラエル人にとっても衝撃をあたえたらしい。自分たちが標的になる自爆攻撃をする側の人間と映画の中で初めて対面するわけだ。私たちも一緒だ。初めて、自爆に向かう若者の心理や組織の準備を目の当たりにする。

ハニ・アブ・アサド監督は、多くのリサーチを通じて、自爆攻撃者の実像に迫る。自爆失敗者の弁護士から、遺族から、また、自爆攻撃者を募る組織から聞き取りをし、時には、その組織から台本を見せろと迫られ、本当のことが描かれているということで協力を得たりしている。写真にある、自爆宣誓のシーンの映像も実際に組織がそこでビデオを撮影したところで撮影している。(写真下)

自爆攻撃者に選ばれた、サイードとハーレドは、生まれてから壁の外に行ったことがなく、貧しく、閉塞感と絶望の日々を送る若者だった。彼らは、突然自爆攻撃者に指名されて、粛々と準備の時間を過ごす。サイードには、父親がイスラエル側の密告者であり、パレスチナで処刑されたという家族という負い目を持っている。ハーレドも父には弱さを感じており、イスラエルの占領に対して自爆攻撃の方法に迷いはない。

彼らを、自爆に駆り立てるもの。「この世の地獄より、頭の中の天国を選ぶさ」というハーレドの言葉。
自爆は、イスラエルに対する抵抗ではなく、単なる復讐だ。とスーハという平和運動をする女性に言われて、葛藤する。体に巻きつけれれた爆弾。追い詰められる心理。
彼らには理由があった。けれど、自爆ではない方法を考えられる状況に、彼らが置かれるということがこの先もあるのだろうか。あの、閉じ込められた空間の中で。

イスラエルのテルアビブの町は、美しく、沢山の韓国製の車がはしり、ビルが立ち並ぶ。空爆で攻撃された後がそのままのパレスチナのナブルスとの対比はすさまじい。イスラエルの巨大な軍事力に自爆攻撃で対抗することが、いかに不毛か。しかし、民族浄化を意図するイスラエルに抵抗しないわけには
いかない。

自爆攻撃者は、狂信的な信者であるというわけではなかった。普通に葛藤し、けれど、どこへも抜け出すことのない生き地獄、「不平等な生よりは、平等な死を」というサイードの言葉に表される、絶望を知ることになった。

是非、観て欲しいと思う。

投稿者 pianocraft : 2007年06月04日 21:36

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タイトル:パラダイス・ナウ 、製作国:仏独蘭パレスチナ ジャンル:問題作と呼ばれる/2005年/90分 映画館:福知山シネマ2(135席) 鑑賞日時:20... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2007年09月02日 21:53

コメント

こんばんは。
うーん、この映画も見逃してしまいそうです。生活のリズムを立て直さないと… 最近、乱れまくりなんです。

投稿者 うに : 2007年06月04日 23:27

いやぁ、観られたのですか。
もう観たくてうずうずしながら日ばかり過ぎて・・・。
上映終了期日も迫り焦っているところです。
この水曜日はやっとお休み。最優先でこの映画、観てきます!
(予定通りにいくかちょっと心配・・・)

投稿者 りん : 2007年06月04日 23:43

おはようございます。この映画,みたいと思っていましたが,また見逃しました。静かな映画だったのですね。特攻隊で死んでいった青年たちが,死を選んだときもそうだったのでしょうか。狂信的ではない,普通の若者が死を選ばざるを得ない状況自体のおかしさですよね。そして悲しさ。こういうのんきな暮らしをしているわたしが簡単にコメントできることではないのでしょうが・・・

投稿者 KATEK : 2007年06月05日 04:44

うにさん。生活乱れてるんですかぁ。。。この映画は、京都シネマでも7月7日から公開されるようですよ。まだ、時間などのスケジュールは出てませんでしたが。

どこかで観れたらいいですね。

投稿者 pianocraft : 2007年06月05日 14:01

りんさん。
是非観てください!私ももう一度細部を見たいと思ったりしてます、でも足を運ぶことは難しいでしょうけど。

シネ・ヌーヴォXでは、チョムスキーのもやっていて、ただし長いので一気に2つは観れません。(途中休憩入ってましたね)

そうそうパッチギも観たいんですよ。いけるかな、あっちはメジャーだから。

投稿者 pianocraft : 2007年06月05日 14:06

KATEKさん。
この6月10日14時と11日18時30分から渋谷アップリンクでトークショーとセットで上映されますよ。映画の公式サイトにありました。

映画についてですが、観ている観客、こっち側の私たちは常に映画に描かれてる立場の人たちと別世界にいます。もちろん、ごく日常的な情景を描く映画もありますが、ことにこういう映画は、知らない部分をドキュメンタリーでないからこそ切り取れる視点をもって語られます。のんきな生活をしてるのは、KATEKさんばかりじゃありませんよ。

知らないからこそ、観て、率直に語り、人に伝えたいという気持ちです。
映画を観ると、自爆攻撃者ということばを、自爆テロという言葉で呼んで欲しくないという監督の思いがわかります。
パレスチナの人たちは、世界から無関心でいられることに疎外感を感じています。

投稿者 pianocraft : 2007年06月05日 14:21

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