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2010年02月08日

黄ちゃんの物語

韓国に住む黄ちゃんは、私たち家族の友人だ。

黄ちゃんと知り合ったのは、相方が神戸の長田区で震災後のボランティアとして、高齢者の給食サービスを仮設の施設で行っていたところで同じくボランティアとして動いていた黄ちゃんと意気投合したことが始まりだ。

神戸に来る前は東京の方で何かしていたらしい(詳しくは知らない)、けれど大きな災害があったと知って神戸に飛んできた、韓国人青年だった。長田区は、在日コリアンの多く住むところでもある。コリアボランティア協会とのかかわりで知ったボランティア先だった。

ここでのボランティアは結構長く続いていた。ところが、ある日彼は急に捕らえられた。私たちは知らなかったが、オーバーステイだったのだ。
都島の大阪入国管理局で拘留されてしまう。まわりのボランティア団体や仲間からも、彼の献身的な神戸での生活を申し入れて、情状酌量の余地はないものかと画策したが、悪い印象こそもたれなかったが、強制送還されてしまうこととなった。

その後、今までずっと彼と交流があり、韓国に行けば会うことはできる。
彼は、韓国でも高齢者のための給食サービスでボランティアをしたり、障がいを持った子供やお年寄りの施設でも働いた。韓国に私たちが行けば、そういうところを案内してもらって、小さな歌の会を持たせてもらったり、皿洗いのボランティアをしたり、街頭で募金活動をしようとストリートで歌う計画をしてくれたりと、旅では味わえないかかわりをコーディネイトしてくれる。とても優しい人間だ。

韓国は学歴社会でもある。極度な受験戦争で、よりレベルの高い大学へ入らないと、就職の口がない。最近では、大学を出ただけでは仕事がないらしい。そんな国で、大学もでていない黄ちゃんは、心優しい人間だけれど、仕事は建築労働などで不安定な暮らしをしている。また、敬虔なクリスチャンだけれど、教会のもつ閉鎖性は嫌い。
そして、私たちが韓国に行ったとき感じたのは、少し裕福で高学歴なクリスチャンの人たちは、彼を良い目でみなかったということ。寂しいことです。

その彼が、先週急に船で福岡にやってきた・・・らしい。私たちに何も知らせてなかった。
だが、留守電に入っていたくらい声。「入国拒否で帰らされました。」
何故、誰にも相談しないでたった一人、やってきたの~~!と周辺の友人達は驚いた。
ネットで調べたけれど、強制送還された人は、再入国不可の年数は5年とか年限は書かれていても、実際はかなり難しいらしいこと。私たちは、軽く「もう来れるん違うん!」と言っていたけど。実際はそうではないらしい。もう10年も過ぎたのにね。

あらためて、彼から今日連絡が来た。意外と元気そう。
本当は100万ウオンで、飛行機で日本に行こうと思ったけど、船だったら50万ウオンでいけるから、50万ウオンをハイチに寄付しようと思って・・・。
なんてやつだ!

この秋には彼に会う。それまで友人たちと色んな音楽を仕込んで、韓国のまだ見ぬ方々に披露する準備をしている。ハングルの歌、日本の歌、二胡、三線。ゴスペルもね。
本当に、待っていてね。

投稿者 pianocraft : 2010年02月08日 21:46

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