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2006年02月12日

宗教国家

今日のNHKスペシャルは、「イラク シーア派台頭の衝撃」というタイトルだった。これは、先日読んだ「リバーベンドの日記 Baghdad Burning」でもあきらかにされている事だけれど、イラクがイランのような「イスラム教国家」になろうとしているということを取材しているものだった。

悪政でありながらも、イラクの多数の異なった宗教・民族を束ねてきたフセイン政権が倒れ、アメリカが占領するようになったイラク。
リバーは、このように書いている。

<悲惨な状況にあって人々が宗教にすがるのは、驚くようなことじゃないでしょ? 同じことは、世界のいたるところで見られる。津波、ハリケーン、地震、経済封鎖、戦争・・・そのさ中におかれた人々は神々に寄りすがる。多くの人にとって、たとえこの世のよすがすべてが滅んでも、至高の存在は不滅だからだ――いたって簡単なこと。
これは私の個人的な考えだけれど、多くのイラク人は3年に及ぶ占領にすっかり失望して、反アメリカ、反占領に1票をと思い宗教政党に投票したのだ。>

イラクでは政教分離がイラク戦争以前は成立していた。特に、リバーの住むバクダッドなどでは、シーア派もスンニ派もキリスト教徒もいっしょに隣り合って生活することができた。隣人として。
よく、イラク戦争で武装勢力の拠点とした一部の地域を「スンニトライアングル」という言い方をした時期があったが、高遠菜穂子さんも講演でそんなものは、米兵が空中から三角形をながめただけに過ぎない。そこでは、スンニ派以外でもキリスト教徒もいるとイラク人が言う。そう呼ばれる事を嫌がっているということが言われている。

確かに、宗派として成り立ちが違う、今までの権力の配分が違っていた、そんな利害が残っていることは確かだけれど、それを宗教国家としての権限に引き上げるとどういうことになるか?
リバーは日記でこのように書いている。
<イラクのように多様な人々の暮らす国で、宗教政党が政権につくと、困ったことに人は無意識に、その政党つまりその宗派でない人間を遠ざけてしまう。宗教は個人的なもの。運命的に定められた何ものか・・・心、精神、霊に関わること。日々の営みの中には喜び招き入れられても、政治の道具とされてはならない。 >

私は、リバーのような女性達にとってイスラム原理主義の国家というのが、いかに不自由な体制になるだろうかと想像する。痛烈に、リバーも日記にもかいているが、おおらかに日常にイスラム教の信仰と共に生きるというのと、非常に厳しい制限をして生きていくのでは世界が違う。
宗教は、時に人を縛る。
国の政治とその国の国民、民族と宗教。それぞれが違っていて、その国の人に共感できる部分がでてきたりするのに、すべてを一色に塗り替えると、上塗りするか、消す事しかできなくなる。

イラクがまだ占領下にあるということも大問題だけれど。
人が民族や宗派であちこちで争いになることは、人間の不幸だ。

投稿者 pianocraft : 2006年02月12日 23:13

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