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2006年05月01日

5月3日の憲法記念日を前に

憲法について、こんなに意識をせざるを得なくなったのは「9条」が改憲されるという、自民党草案がでてからだ。

9条があるということが「あたりまえで」あった前提の平和が揺らぐ。
じゃあ一体「9条」って何なのだ?と去年は映画「日本国憲法」であらためて、1945年当時を振りかえった。

思えば、毎年ブログでこの日のことに触れている。
2005年5月12日 「憲法記念日はあっと過ぎた
2005年07月31日 「映画 日本国憲法」と日高六郎さん
2004年05月04日 「憲法記念日」

あらためて読んでみて、言葉のトーンが変わってきていると自分でわかる。危機感が増してきたという意味で。昨年は新聞の市民意見広告運動に賛同したこともあり、イラクからの自衛隊の撤退をメインに考えていたが、いよいよ、本格的に「9条」を守るというためにどうするのか?という選択を迫られているような気がする。

昨夜、正確には5月1日深夜1時10分からTVで「憲法誕生60年スペシャル 検証 私たちはこうして戦争放棄を手にした」朝日放送で放送された。
Asahi.com http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200604290030.htmlでも紹介されている。

日本国憲法の特に9条がアメリカの押し付けであるという観点ではなく、日本から「戦争放棄」が提案されたのではないか?という視点でこのドキュメンタリーは作られている。
そもそも昭和天皇の言葉が原点となって、この草案は生れたのではと推測している。
確かに、いろんな証言をもとに、当時「戦争はこりごり」という感覚は強く国民だけでなく、国政の立場の人間にもあった。それを裏付けるものとして、当時新憲法が公布されたときの報道の重点は、天皇の存在がどうなるかにあった。多くの国民の関心もそこにあったという。
おそらく、信じていた「神」が人間宣言をしてなお、強くこころに惹かれてた当時の人々の心理からして関心事は「戦争放棄」ではなかった。

そのことは、裏返すとやっと戦争が終わって、「戦争しない」ということは当たり前のことであったから。
これだけ傷つき、原爆でやられ、戦争をまたすることなんて、考えられなかったから・・・・。

今、その感覚は失われている。だからこそ、「9条」捨ててはならない。
あわせて、戦争できる国にする準備のために作られようとしている「法律」に反対することも忘れないようにしたい。さて、5月3日はもうすぐ。

投稿者 pianocraft : 2006年05月01日 13:23

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